Monthly Archives: April 2009

パラノーマルなひとびと

何回かこのブログの記事でも書きましたが、わっしは幽霊というものを信じておらぬ。 そんなものがあっては(自分の論理体系が破壊されるので) 困るのい、と思っています。 本人は信じていないけれどもお友達には「存在しないものを見る人」がたくさんいます。 朝、目が覚めてみると女のひとの顔(顔だけ)が宙に浮いて自分と向き合う形で、というのは床と平行な形で自分の顔30センチくらいのところで自分を見つめていたというひとや夏の縁側でビールを一杯やっていたら、鎧帷子に身を固めた小柄な男が塀からすぅーとあらわれて庭の反対側の塀にすぅーと入って消えた、っちゅうようなひとたちです。 わっしの義理叔父も夜中に鎌倉の妙法寺の境内を散歩していたら、中世の武者たちが呼ばわる声を聞いたという。 幽霊にも文化形態というものがある。 合衆国の幽霊はたいてい「自分の家」に出る。 あらわれとしては日本で言う「地縛霊」 に限るもののようである。 合衆国人にとっては「自分の家」というものが精神的な聖域なので、そこに訳のわからんものが出る、というのが最大の悪夢だからかもしれません。 連合王国になるともうちっと公共の場に出る幽霊の話の比率が多くなります。 ロンドン塔であるとか学寮であるとかパブだとか。 連合王国では幽霊が出ると不動産の価値が上昇したりするので幽霊の方でふて腐れて個人の家をボイコットしているのかもしれません。 わっしが生まれて育った家も幽霊が出るので近在ではユーメイだったそうである。 だったそうである、なんて他人事みたいな言い方をしているのは、わっし自身は見たことがないからです。 夜更け、二階の自分の部屋で宿題をやっていると階段をギシギシギシと上ってくる音がする、とか、長じてたまに家に帰ったときなどにワインを飲んで酔っぱらっておるとあたかも壁を誰かが全力で蹴っておるような音がするとかはよくあることでしたが、しかし、わっしはそーゆー騒々しい物音を「幽霊」というようなものに考えたことはなかった。 なんとなく漠然と、「そーゆーもんなんだべ」 と思っていただけです。 では、どーゆーことがあったかというと、Cという女のひとが家に泊まったことがあった。合衆国人であって、たしか父親の友人の大学の先生の紹介で家に泊まりに来たのでした。わっしの両親の家はボロイが大きい家であって、客人を泊めるための部屋がいくつもあったので、そーゆーことも割と普通なのでした。 このひとはわっしの妹と気があって大人と子供ではあっても一目ですぐお互いを気に入ったもののようであった。 妹はこのひとの部屋にでかけていって、いろいろな話をしておった。 ある午後のことであります。 このひとは研究に疲れたので午寝をしておった。 ところが妹がこっそりやってきて足の上に乗ってふざけるので、これが煩くて眠れない。 でも子供のやることなので、ちょっと我慢してます。 妹はいっこうにやめる気配がない。 それでちょっとうんざりして、「ねえいい加減にしなさいよ」 とやさしくゆってみたのです。 そしたら、その瞬間に部屋に近いところにある正面玄関のドアが開いて妹の「ただいま!」 という声がした。 六ヶ月滞在する予定であったのに一ヶ月で退散してしまったな。 その他にも、ときどきホールウエイを歩いていると、急に冷凍庫から風が吹き付けるような冷気にあたることがあって、そーゆーことも後で他人に訊くとパラノーマルな事象なのだそうでしたが、繰り返しになるようですが、わっしにとってはただ自分の住んでいる家の性格の一部にしか過ぎなかった。 (いかん。自分の話を長々としてしもうた。 他のひとの話をしなければ) 義理叔父と秘書のにーちゃんといきつけの飲み屋のおっさんが3人で鎌倉の海岸通りを歩いておった。 海岸通りっちゅうのは、由比ヶ浜から若宮大路に抜けるまっすぐな一本道です。 まあっすぐであって、簡単明瞭な道である。 3人でいっぱい酒を飲んだので、すっかり幸せであった。 午前2時。 … Continue reading

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塾スクール

ひとが通る部分はガードレールで区別されているが、ひどく歩きにくい道です。 モニとわっしは麻布の公園の脇の坂道をスーパーマーケットのほうにおりてゆくところである。 身なりの良いパキスタン人の奥さんと(多分)ネパール人のお手伝いさんが坂を上ってきます。そのむこうがわを日本人の子供が4人くらいで歩いておる。 ひとめで「塾」に行く途中だとわかります。 モニが眉をひそめておる。 「なんて気の毒な子供たち!」という。 わっしが「でも日本の子供は結構ジュク・スクールを楽しんでいるという。日本の子供のいちばんくつろげる時間だというよ」 と言うとモニに「それでは、なおさら悲劇ではないか」と怒られてしもうた。 「塾」は、英語では「学校が終わった後に行く学校」と言う。 日本の社会ではいかに異様なことが行われていて、そしてそれがなぜか日本人には当然のことだと思われている、っちゅうような番組をつくるときにテレビ局が必ず取り上げる制度です。 わっしの義理叔父は、広尾の日比谷図書館に近い高校を出た。 叔父本人の弁によると日本では「良い学校」ということになっているのだそうです。 もっとも、わっしはいっぺん叔父に連れられていってみたことがあるが、ものすごくボロイ学校だったので、叔父の言うことがほんとうなのかどうかわからん。 義理叔父の言うとおり「良家のガキ」が学ぶ場所としては、なんだかちょっと安っぽいようにも見えます。 12歳の義理叔父がこの学校の入学式に出かけて行ってみると、新入生たちがお互いに旧知の友人同士のひとのように話していたのだそうである。 義理叔父は、パズルったな。 なぜ、このひとびとはお互いに知っているのであるか。 この学校には秘密の附属小学校があるのだろうか。 義理叔父はこの学校で「塾」というものに行ったことがないただひとりの生徒だったので判らなかった。 義理叔父の同級生がお互い同士をよく知っていたのは、このひとたちが同じ「塾」の出身だったからでした。 わっしは日本人の友達に頼んで小学生相手の大手塾と高校生相手の「予備校」(ようするに塾だが)を見物に行ったことがあります。 大学の研究室では優秀であるということになっているとかいう若い講師の授業を眺めていてわっしが考えていたのはこれは「無認可の堕胎医師」とよく似ておる、ということでした。 一見して、塾という「学校」は実は芸能界と同じ仕組みで出来ているとわかる。 「人気がある」ことがすべて、なのです。 わっしが初めて見たその塾は有名中学に生徒がいっぱい入るのでユーメイな塾だそーでしたが、日本語がわからないことになっているわっしの横で交わされている若い講師たちの話は性的なことばかりであって、「あの子は、発育が早いからもうやれるな」とか、先週あの生徒の母親とやったら声がでかくて興ざめであった、とか、そんなことばかり話しているのでした。 わっしは吐き気がして困った。 「面積算」とか、ああいう和算に近い手法で問題を解いてゆくのはおもしろい、と思いましたが、無事女子有名中学に進学した娘とその母親とを等しく自分の愛人にしていることを誇る若い院生講師たちの会話を聞きながら、こーゆーモラル的には完全に崩壊している制度を日本が残しているのは何故なのか考えた午後のことを思い出します。 野依良治が2006年に教育再生会議議長になって行った提言はただひとつであって 「塾を禁止しろ」ということでした。 教育とは社会がチェックできる正統的教育一本でなければならない。 そうでなければ子供が知育という面について安全であるとは到底いえないではないか。 無認可の教育を野放しにするのは法外である。 結果は、「一笑に付された」とゆってもよい。 学者は現実を知らない。 いまの日本から塾を取り去ったら教育がなりたたないことすら知らないのか。 というので役人筋の評判は散々であった。 野依良治は結局「賢い人々」のもの笑いの種になっただけでした。 だからこんなことを書くと日本のひとの反応は「現実がわかってない」「日本の教育は結局塾に依存しているのを知らないのか」とゆわれるのはわかっておる。 でも、わっしは、やっぱり日本の「塾教育」の伝統はおかしいと思います。 「塾」の最も良くない点は、「子供から時間を奪う」ことであると思う。 … Continue reading

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1984

「時事もの」みたいなブログは書かないようにしてます。 書いてもアホらしい感じがするに決まっておるし、第一、たとえば今回の「草なぎ剛」というひとも知らない。 SMAPSMAPって、なんすか?と訊いて義理叔父に苦笑されてしまいました。 テレビを見ないんだからしょーがないではないか。。 新聞も読まんしな。 もう少し正確にいうと日本のテレビは観ないし、新聞はウエブ版のファイナンシャルタイムズしか読んでおらん。 後の必要な自分の事務所のねーちゃんが、選んで送ってくれたものを読んでいるだけです。 でも「草なぎ剛」 というひとの逮捕は驚いた。 日本って恐い国なんだなあー、と思いました。 公園でよっぱらって裸になったら家宅捜索がはいるんだって、ぎょええー、とモニとふたりで怯えまくった。 拘留されると家族とも音信不通なんだって! どひゃあー。 と言って盛り上がりました。 どーゆえばいいかわからん。 日本って、こんな国だっけ? なーんか。どーゆーか。 こんな国、なのか? わっしは、ですね。 最後のところでは日本の文化を信頼していたような気がします。 日本のヤフーニュース、とかを観ていると、ただのしょもない芸能ニュースだが、 わっしにとっては(悪い意味での)大ニュースであった。 なーんちゅーかなー。 なんだかんだ言っても、日本ってアジア人がつくったといってもセイヨーなんでしょ、と漠然と思ってたのが、ほんとーは法治的には未開国(ごめん)だとわかったちゅうか。 おもいきり非難されるのをわかっててもなお言うとアジアなんだなあーと考えました。 わっしは日本に5月末までいようと計画していたが、ちょっと、やめたい。 わっしも温泉で酔っぱらって、誰もいないと見てとると背泳ぎで「チンポコ潜水艦」するもんなあ。 タイホ、されてしまうではないか。 わっしはもともと日本のひとの泥酔の仕方が好きです。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/05/26/happy-slapping/ でも日本ではそーゆーのって重大犯罪だったのだな。 ふざけてキスしたせいで指名手配になったリチャード・ギアよりすごい。 日本って、マジな警察国家なんすな。 ビッグブラザーイズウォッチングユー こえー。

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「親日」と「反日」

夕暮れのあぜ道の向こうからチッコイばーちゃんがふたりで並んで歩いてきます。 ふたりでひょこひょことゆれながら歩いてくる様子が双つの精霊のようである。 モニとわっしは立ち止まって道をあける。 ばーちゃんたちは、頭を深々と下げて通り過ぎてゆきます。 通り過ぎながら、「ひゃあー、よそのひとは大きいのう。 見ているだけで、いっそスカッとするくらい大きいわ」とゆっとる。 「よそのひと」というのが、なんとなく可笑しくて笑ってしまいました。 当の本人たちの目の前でひとのことをシアーズローバックタワーのように言うのは失礼だ、と思う人がいるかも知れないが、もちろん、ばーちゃんたちは、わっしがまさか日本語を理解するとは思っていないのです。 まっ、電柱やなんかについて論評するのと同じだのい。 ガイジン、という呼び方は慣れてもやはりあんまり気持ちの良い呼ばれ方ではないが、わっしは「よそ者」であることが好きなので、この距離感が嫌ではない。 ニューヨークでもチェンマイでもサンフランシスコでもバルセロナでもどこにいても、なあーんとなく「電柱」みたいな感じでぼっけっーと突っ立ているのが好きなのだとも言えます。 フーケイであるというかユーレイであるというか。 日本のひとは見ていて不思議の感に打たれるくらい何かが反日的であるか親日的であるか考えるのが好きです。 寝る前にこのブログの管理画面を眺めるのが習慣になっているらしき義理叔父によると「反日女優 ジュリア・ロバーツ」っちゅうような検索語でやってくる人が多いのだそうです。 こーゆーひとは、マジでこの世の中に「反日女優」みたいなヒマな信念に燃えているひとがいると信じているわけで、それだけでなんだかお伽話の中の国のひとのようです。 あんまり面白いので、しばらくわっしも「反日外人」とか「親日俳優」、「反日的宇宙怪獣」「親日家のクジラ」というような検索語で遊んでしまった。 早い話がわっしのこのブログは「反日ブログ」なのだそーであって、わっしは「反日外人」。 去年くらいまでは「殺してやる」「白人死ね」とゆーよーなコメントやメールがいっぱい来て面白かったので英語に訳して友達と遊んだ。 わっしの仲の良いわしの五百倍くらいカシコイ大学時代の友達が、 「こーして見ると、日本人の考え方ってのはアフリカの、ルワンダやジンバブエあたりの部族社会とほぼ同程度のゼノフォビアで出来てんだな。文明度的に中国人にむちゃくちゃ負けているではないか、ダメじゃん」 と笑っておった。 ここで中国人が出てきたのは、実はこの「親日・反日」感情みたいなものは、東アジア人に特徴的だからです。中国のひとも、森羅万象を「親中・反中」に分類するのが好きである。そーゆーところが日本のひとと瓜二つです。 韓国のひとは戦前の軍国日本の文化の影響もあって、もっと苛烈である。 親韓か否かが原理主義的なところまでいっておる。 だから「親日」とか「反日」ばかりに夢中になっている日本人ばかりがいろいろなところで笑いものになっていますが、それは不公平であって、ほんとうは中国のひとも韓国のひとも同じである。 日本人だけのことではないので、そんなにクサルことはない。 東アジアの文化のどこかに、そういう情緒的な国家とのつるみかたを奨励するなにかがあるのでしょう。 ゆってみれば「東アジア三兄弟」の代表としてもの笑いの種になっているのであって、考えようによっては(三兄弟を代表しているという意味において)名誉に思うべきかも知れません。 英国人が何かを「親英」的か否か分類する、というのはちょっと想像するのも難しい。 あっ、待てよ。 むかしむかし英国王室がいかに反英的か立証しようとしたウエールズ人のおっちゃんはおったな。 でも、あーゆーひとは例外でしょう。 ニュージーランド人も「反ニュージーランド的」とかは考えん。 いまこうやって書いていて考えたが、そもそも「反ニュージーランド」って、どーゆー哲学なのか判らんものな。 連合王国人がたとえば黒澤明を「反英監督」か否かっちゅうようなことを考えないのは、あるいはフランス人が岸恵子を反仏女優かどうか考えてみたりしないのは、英国人も仏国人も「国家と個人は別である」 ことをあたりまえのこととして知っているからです。 もう少し正確に言いつのると「ひとりの国民は国家の部分ではない」ことを知っている。 そんなことは10歳くらいのガキでも当たり前のこととして知ってます。 わっし自身が「親日」か「反日」 かを「正直に言え」と書いてきた頭のわるそーなひとが以前にはいたが、さっさとゴミ箱にしてトラップに登録だけしたそのひとの質問にいま答えると、国家としての日本はわっしは嫌いです。 どーだ。満足でしょう。ガメ・オベールはやっぱり「反日外人」なのである。 … Continue reading

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ラザロよ

日本にいるときは、どんなことをやっているのかというと広尾にいればモニと夜でかけます。昼間はベンキョーしたり、いちゃいちゃもんもんしたりしておる。 昨日は水木しげるをベンキョーした。 モニはあんまり日本のものに関心がないが、むかしから「ゲゲゲの鬼太郎」だけは好きです。鬼太郎のとーちゃんがことのほか気に入っておるようだ。 水木しげるの「マンガ」はとても面白くて背景をじっと見ていると、たとえば鬱蒼とした山のなかの森などは実は細密美術画であっていわゆるマンガの絵とはまったく異なります。ところが、その背景の前で「タハッ」とかゆっておる登場人物のほうは、チョーえーかげんな絵であって、到底おなじひとが描いたとは思われないいい加減さである。 なんだかもう限りなく記号に近いような杜撰を極めた造形です。 ところがスナカケババはまた細密であったりする。 わしは「墓場の鬼太郎」 から「悪魔くん」 、貸本時代の全然やる気のない戦争マンガまで読んだことがある。好きだからです。 鬼太郎カルタまで持ってるもんね。 そうやって、ずうーと読んでゆくとよく判るのは、水木しげるというひとは「人間なんて、どうでもいいや」と思っていることで、このひとにとっては世界というものは「背景画」 だけが大事なもののようである、ということです。 そーゆー言い方のほうが判りやすければ、なんのことはない、水木しげるのマンガは人間というものへの「絶望の表現」である。 ……なあーんちゅうふうにベンキョーしてるのす。 結構マジメではないか。 モニが自分の部屋で絵を描いているときには、わっしはネズミ男の研究に飽きると、寝っ転がってスーガクの本を読んだり、やおらガバと起き上がってTALES OF VALORの戦場で激しく戦闘したりする。 昼寝もする。 暗くなると、モニとふたりで不良外人になります。 長野にいれば山や森をほっつき歩く。 横川のあのカッコイイ、アプト式線路をずっと歩いてそこから中山道へ折れたり、野辺山の道のない森を自転車でとばして木の根っこにぶつかって空中高く放り投げられたり、 誰もいない布引観音をダッシュで駆け上がったりする。 長野の家の庭でワインを飲みながらモニと話します。 コンチャ・ブイカや神や悪魔やカントチーニ・コン・ビンサントの話をする。 それだけですか? そう、それだけです。 モニもわっしも自分たちの人生に多くを望まない。 なんとか暮らせて、モニは好きな絵が描けて、わっしはモニが幸せならばそれだけでもう十分である。 去年から今年にかけてはずいぶん儲かってしまったが、まったくの偶々であって、そっちのほうは、焦点からはずれている。 どうでもいい、とは言わないが、そんなに重大なことだとはどうしても思えないのす。 むかし小学生のときに、かーちゃんに「お金」というものをどう考えればよいのかと訊いたら、かーちゃんの答えは「人生の5%にしか過ぎないけど、その5%がないと残りの95%がなくなってしまうものだと思いなさい」だった。 わっしは未だに、そのときのかーちゃんの教えに従っているように思えなくもないのです。 気温が6度くらいの庭でハンモックに寝転がって「滅びた生物種の図鑑」を眺めます。 気味が悪いくらい澄んだ空気に覆い被さった青空を見た。 それから、このブログのコメント欄にあるNASUさんの 「そんな状態でも、歯を食いしばって前向きに頑張って行くしかない」 という言葉を思い出して、唇をかみしめました。 吉増剛造の「奮起せよ、アムンゼン」という詩を脈絡なく思い出した。 がんばらなくては。 … Continue reading

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鎖国中

前に「員数合わせの「一千万人移民計画」 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20081015/1224114928 っちゅうのを書いたことがあります。 移民を欲しがるにしても、欲しがり方があまりに杜撰なので びっくりして書いた。 不景気が明瞭になってトヨタもキャノンも工場労働者がいなくなったので、たぶん、沙汰やみでしょう。 このブログ記事を書いて面白かったのは、日本には「外国人が多すぎる」 と思っている人が たくさんいることがわかったことで、わっしは、へえー、と思いました。 日本のひとのゼノフォビア(外国人嫌悪症)は、世界中で有名です。 だから頭では判っていたつもりだが、いざ、「いまにニセコ村のように日本はオーストラリア人に占領されるかもしれないと考えて心配です」っちゅうようなコメントやメールをもらうと、うーむ、ちゅうか、どひゃ、と思ってしまう。 いまの世界では人種的文化的に異なる移民が人口の10%以上いるのが普通ですが、日本のそれは1%にも遠く及ばない数だからです。 いまからこんな反応だと、やっぱり日本は鎖国方式で行くしかねえべなあ、と思う。 お役人のお友達に訊くと、「この国では、そーゆーときは国民の意志なんか聞かないでさっさと話を進めれば、案外あっさり移民を受け入れるのよ。『議論をさせない』のがコツなんです」と、すごいことを言う。 わっしの意見は簡単で「外国人も外国資本も受け入れないで実質経済鎖国してる国が一個くらいあってもいいじゃん」という意見です。もう何回も書いておる。 そのためには当然諸外国との関係を解消しなければなりません。 いくらなんでも、そんな無責任な、と日本のお友達にはいつも怒られるが、だって、そうやって独自の道を歩いて万が一うまくいったら、ものすごく面白い国になるかも知れないではないか。 毎年毎年世界をうろうろしていて思うのは、世界中どこもかしこも同じになってゆきつつあることで、「他とは異なるもの」や「変わったもの」が好きなわっしは、ものすごくつまらん。 この頃はバルセロナのような頑なな街ですらレストランの内装や店の在庫が似てきたばかりか、街のまんなかの若い人たちは、わっしの顔を見ただけでいきなり英語で話しかけてきたりして、まことにクサル。わっしの顔にはユニオンジャックがどこかに絵柄ではいってるのだろーか、と悩みます。 そこへゆくと日本は、国として、いまだに唖然とするくらい特殊であって、英語も訳のわかんねえ英語以外には行き当たらないし、わっしとしてはこのまま「変な国」として生き延びてもらいたい。 困ることもなくはない。 将来も、モニとわっしが住む、というわけにはいかなくなります。 しかし、そんなことは個人の些細な都合であって、その上、どうも日本があんまり好きでないみたいに見えなくもないモニさんはもちろん、わっしのほうも、日本がだめならメキシコがあるべ、というよーなお気楽なひとなので、どーでもよろしい。 日本のひとにとっても困ることがあるだろうか。 疑いなく経済的には破滅です。 だって日本は貿易で食ってるんだから。 いまでもたとえばオーストラリアやなんかにいると、「毎年毎年こんなにイナゴみたいに日本人が移住してくるのに、日本に住んでいるオーストラリア人がたったあれっぽちではフコーヘイではないか。両方の国で移住許可は同じ数にしろ」 とオソロシイことをいうひとがたくさんいますが、そーゆー「ビザとかは平等でいこう平等で」とか言うひとは、その路線で進んでゆくについて「おれっちは、なんでも自給できるからデージョーブ、日本人のことなんか知るかよ」と内心思っているからです。 合衆国人も「日本人は、どうせ強いものについて行く犬みたいな民族なんだから、いまみたいなバカっぽい片務軍事同盟なんか解消するべ」と言う人が、「えー、こんなひとまでそうなのか」という層にまで広がっておる。 口では表向き「大事な戦略パートナーだから」と言うカシコイひとびとより、 かえって「アニメファン」とかのほうが、素朴に日本と付き合いってゆきたい、と思ってるように見えます。 「日本は外国と付き合いたくないです」っちゅうような方向に行くと、こーゆー国々は、いきなり日本をぶち捨てて中国のひとびとと直接対峙する道を選ぶであろう。 しかし、だね。 小国になって、それほど悪いだろうか。 貧乏になって、なんか致命的に拙いことがありますか。 いまの世界は貧富の差の大きさに呻吟しておるが、みんな貧乏なら、そーゆーことからは自由です。 いまのペースで行っても、どうせ日本の経済は2025年にはいまの半分の規模になると言われておる。 2015年(もうすぐじゃん)には実質中進国化が避けられない、と言われ続けている。 来年発表の統計はまだ今年の円高でダイジョーブだが、いまの世界の景気が回復しちゃったりすると、いきなりおいてけぼりなのが見えているので、最近露骨に日本から資金を引き揚げているので有名なオーストラリア人諸君に限らず、あちこちの国の人間がなんとかして他人にババをつかませて逃げようとしておる。 わっしは日本には、なあーんにも投資していないので、こーゆーおちゃらけた態度だが、マジで投資しておったお友達は、壁の世界地図の日本のところを塗りつぶしてあるそーだ。 … Continue reading

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日本を探しに行く

「龍泉洞」は、どう? とモニが言う。 わっしはニセコや椎葉の山の写真を眺めています。 龍泉洞の地底湖は素晴らしいが、この「歌謡祭 」 ってなんだべ。 なんという悪趣味。こんなところにはいきたくねえす。 椎葉の山を越えて南熊本から 鹿児島まで西郷軍の敗走の跡を辿ってゆくのはどうでしょう。 モニとわっしは「日本」を 探している。 ガメは何でも良い趣味なのに、日本に興味を持つことだけはわからない、とモニは言います。 街は汚いし、ひとは意地悪だと言うではないか。 アニメは文化として強力だが悪趣味であると思う。 ガメはなんらかの理由で日本に妄想をもっているのではないか。 期待しすぎなのではないだろうか。 モニさんは、あんまり日本が好きではないようだ、とわっしは思う。 でもモニはやさしいひとなので、わっしが喜びそうなことなら夢中になって考えてくれます。 ミシュランを持ってくれば良かった。 まさか日本では売っていないとは思わなかった。 モニは広尾のアパートよりも森の中の長野の山の家の方が好きです。 懐中電灯をつけて夜中の森を散歩したり、幽霊が出るというので有名な橋に出かけて、 谷を覗き込んだりするのが好きなようです。 わっしは広尾の家のテラスから見える東京の夜景が好きである。 モニもだんだん日本が好きになってきたのではなかろーか。 希望的観測、というものなのかも知れないが。 「日本」という、わっしが生きているうちに滅びそうなマイクロ文明があって、わっしは、その「小さな文明」について学習した。 鮎川や岩田宏や岡田隆彦、透谷や百輭先生に巡りあった。 めんどくさがりのsleepyheadさんや、希望がいっぱいにつまった大学生のenderさんや、 不良政治青年のwindwalkerさんに会った。 そーやって関わりが出来てみると、なかなか知らん顔というものは出来ないのです。 なにごとか言わねば。 なにごとか記録しなければ。 英語でも日本語でもその他一部欧州語でも、わっしは「日本」という国のことを記録します。 ところがふつーの日本人なら判っていることがわしには判っておらん。 niigaさんのようにわっしが「日本にしか住んだことがない日本人」であると断じるひともいて、それはそれで面白いが、わっし自身はなにしろわっし自身であって、自分が残念なことにアジア人でもなければ、日本にいながらバルセロナの写真を念写で撮っているわけでもないのを知っているので、そうそう気楽に日本人のふりをするわけにはゆかないのです。 わっしは「日本」を探しにゆきたい。 球形の惑星のどこもかしこも同じになってゆくこの地球の上で、ひとつだけ突っ張って全然違う文明をやっている日本のことをもっと知りたい。 おお、だから。 わっしは「日本」を探しにゆくのだ。 … Continue reading

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五箇山相倉

バルセロナのアパートでモニがテレビを観ておる。 さっきまでわっしがスペイン語版の「金田一少年の事件簿」を観ておもしろがっていたのにコントロールを奪い取って、さっさとフランス語チャンネルに変えてしもーた。 昨日の矢張りスペイン語の「クレヨンしんちゃん」も、そうやって途中でチャンネルを変えられた。 専制君主のようなひとです。 ひどい。 わっしは寝転がってのんびりしておった寝椅子をしょんぼり立って寝室でしょぼしょぼと着替えておった。 モニの呼ぶ声が聞こえてきます。 「ガメ、ガメ! ご覧なさい、すごい!」 わっしがラウンジに走っていってみると、モニがカウチを指さして、「座りなさい」と言う。お座り、わしは飼い犬か。ついでに迎合して「お手」 もしちゃおうかしら。 画面には合掌作りの家が並んでおってフランス人のおっちゃんが囲炉裏端で漫画を描いておる。むちゃくちゃカッチョイイ集落であって「アイノクラ」ちゅうところだと言ってます。 森が有って滝があって、セーヒツである。 モニが行ってみよう、という。 日本に行くのは、わっしも異議はない。 今年は皇紀2669年だしな。 新潟のとんかつの政ちゃんの中入れかつ丼も食べなくてはならないことになっておるし。 でも、アイノクラって、どこだ? あのでかいサッチドルーフの家って、シラカワじゃねーの? 広尾から400キロ。 クルマで怒濤のように関越長野と自動車道を駆け上がって北陸道を西へ行きます。 立山はまだ雪で真っ白。 立山のほうをちらちらと見ると曼荼羅にあるとおり、虚空に死人(しびと)が長大な列をなして雪壁に吸い込まれてゆくのが見える。(ウソです) 「蜃気楼の町」魚津を通りかかると、海の向こうに山が見えます。 運転しながら「あっ、蜃気楼だ! モニ、ほら、あそこ、陸地が見えるでしょう? あれ蜃気楼。魚津って、これでユーメイなんです」 コーフンするわっし。 助手席(助手席、ってすごい日本語だすな)でL-02Aを使ってインターネットを見ていたモニが、ガメ、あれって、ノトじゃない?と言う。 えっ? おー、そー言えば、そーゆー見方もできるな。 どーりで、映像が妙にクリアだと思った。 でもモニさん、蜃気楼が見えるのはほんとーなのよ。 晴れた日には、遠い火星で火星人たちが畑を耕しているのが見えるという。 砺波が近づくと、チューリップ畑が見えます。 綺麗である。 イスタンブルの郊外のようです。 町並みが他の日本の町に較べて圧倒的に綺麗なのは陽光に輝く釉薬を塗った瓦屋根がどの家も同じだからでしょう。 見た感じがスラムのように見えない日本の町は珍しいのでモニが感心してます。 わっしも砺波はカッチョイイと思った。 巨大な屋根が蹲っているように見える大きな建物は、あれは一向宗の寺である。 戦闘時に要塞として使えるように工夫した有名な建築様式です。 相倉は小さな集落だが、モニとわっしはすっかり好きになってしまった。 … Continue reading

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わしは舞い降りた_Susan Boyle

「また、いらしたんですね?」 カウンタの向こうで女のひとが微笑んでいます。 こーゆーときに適切な反応を示すということがわしには絶対にできないのだ。 へっ?と相変わらず間抜けな返答をするわっし。 女のひとはなんだか力をこめてスタンプを捺すと 「お帰りなさい!」 と、ゆった。 こんな素晴らしいパスポートコントロールは世界のどこにもない。 成田の空港は毎年毎年よくなる。 かつて心ないガイジンども(たとえば、わし)から「ナリタ・フォートレス」 とか「成田刑務所」 とか呼ばれた成田空港は、働いている人たちの努力で、(相変わらず物理的には不便だが)世界でも指折りのカッチョイイ空港になったと思います。 少なくも、わっしは最近の成田空港は好きである。 そーです。 友よ、わっしは舞い降りた。 どこに?って、日本ですがな。 一応、ストップ・オーバーだがな。 もっとマイクロ文明を観察するのだ。 税関を抜けて自動ドアを通り抜けると、スーパー家政婦のYさんが待っておる。 でっかい「ウエルカム! モニさんとガメ」というサインを手に持っておる。 わしらの姿を見つけると、「ブエノス・タルデス」と言う。 とても会いたいと思っていました。 モニが、「わたしもです」 と言う。 わっしは、あんまり意味もなく涙ぐんでしもうてうまく声が出ない。 Yさんが笑っています。 周りの人たちがわっしらを見て暖かく微笑っておる。 まるで故郷に帰ってきたようではないか。 広尾のアパートにたどり着きました。 モニはたちまち眠ってしまったが、わっしが眠れないので、 Susan Boyle http://www.youtube.com/watch?v=9lp0IWv8QZY&feature=related のYouTubeを観て、思いっきり泣いた。 5回も観ちった。 連合王国人なら皆がわかる。 いや、連合王国人でなくてもわかるに決まっておる。 このひとの、イギリス人らしさ、イギリス人であることのやりきれなさ。 そこから這いだそうと決心したこのひとの勇気のありかた。、 水に投げ込まれた金属ナトリウムのように激しく化学反応を起こす聴衆と審査員たち。 … Continue reading

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ラングランズ・プログラムとホアン・ミロの描線

アンドリュー・ワイルズが「すべての(無限個の)楕円曲線は(そのひとつひとつが)モジュラーである」谷山・志村予想 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B1%B1%E3%83%BB%E5%BF%97%E6%9D%91%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%90%86 を証明することによって同時に フェルマーの大定理を証明することになったのは、1993年のことでした。 ワイルズは小さな群をひとつづつ検証するというガロアの思想に従って、この20世紀数学の総集編に見えなくもない証明を書いた。 まるで島宇宙から島宇宙を旅する(チェホフの)黒衣の僧のように、この偉大な旅人はラングランズ・プログラムの初めの1ページを開いたのでした。 わっしはここしばらく忙しくて脳が腐りそうだったので数学の本ばかり読んでいた。 忙しい時の習慣なんです。 数学は脳を健康にする、とわしはマジメに思う。 バルセロナの西の丘の上にはミロ美術館があります。 わしは美術狂いだが美術館は好かん。 なんとなく動物園みたいっちゅうか、不自然な場所な感じがするからです。 その日はモニが、どーしてもミロを見に行きたいというので借りもんのディーゼルBMW X3を引っ張り出して渋渋見に行った。 玄関のところまで行ったらフランス人のバカガキどもが群がっていたので、やべー帰るべ、と考えた。 でもわしの表情を素早く見てとってモニがバカガキ高校生の元締めの教師にわしらの邪魔をしないと約束させたので、やむをえずわしは美術館に入ったのでした。 とてもカタロニア的なミロの絵に見入っているモニを置いてひとりでふらふらと奥に歩いていったわっしは、日本式な数え方でいうと畳十畳くらいのカンバスに一本の線を描いただけのふたつの作品が向かい合っている部屋に迷い込んだのでした。 それはミロが感性で見いだした確固とした空間の「定型」であって、わっしは「こうやってみると、あのカタロニア人のおっさんはまことに恐いひとであった」 と改めて思いなした。 われわれはみな巨大な暗闇のなかで途方にくれて立っているだけだが、ときどき谷山豊(とよ)のようなひとが現れて「見よ! 万物は確かに照応しているのだ。 あの遙か彼方の島宇宙を見てみたまえ。あそこにはきみとまったく一対一に対応した謎が輝いているではないか」 と言う。 まったく同じ理屈に立ってミロは真っ白で広大な面に画然たるふたつの宇宙を見いだす。 わっしはときどき思うがたとえばシンクロニシティのようなものでさえ、やはりこの宇宙には存在するのです。 そうでなければ、どうして楕円方程式とフェルマーの大定理との関連がゲルハルト・フライに見えただろう。 フェルマーの大定理が「20世紀最大のクイズ」に終わらなかったのは、結局は、そうやってこの宇宙に「定型」が存在して、人間がただその全体像を見いだせないで途方に暮れているからでしょう。 日本語ではわしにはうまく言えないが、谷山・志村予想が架けた巨大な宇宙から宇宙への橋は、「人間の存在」ということについての、わっしの希望の源泉である。 そこでは「神」の存在が保証されているからです。

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シナモンクラブの夜は更けて

G20のせいでお巡りさんだらけのロンドンにバルセロナから移動してきたわっし。 と言っても水曜日のことだけどな。 遊び歩いているときと違って自分の会社の用事なのでおおっぴらにクルマのお迎えが使える。 ラッキー。 ロンドンシティ空港に着くと、 わっしの仲良しの運転手のにーちゃんがばっちしスーツで決めてニコニコして立ってます。 やー、元気? ひさしぶりだのい。 喉のイガイガは直った? バルセロナにいるあいだに二個増えたスーツケース(モニと旅行するといつのまにかスーツケースが増殖します。きっとスーツケース同士で夜中のクロゼットのなかで怪しからぬことをしているに違いない)を山のように積み上げたトローリーを押して歩くにーちゃん。 空港の外に出ると日射しがロンドンの夏の日射しである。 おー、春だのい、とつぶやくわっし。 夏の日射しなのに春はねーだろ、と思ったきみ、きみはロンドンの天気を知らないでしょう? 暫く待っていると会社のくるまがやってきてにーちゃんの名人芸で、すー、ぴた、と格好良く駐まります。 にーちゃんは気が利くひとなのでクルマのなかのちっこい冷蔵庫にモニの好きなシャンペンとわっしの好きな胡桃餅がおいてある。 にゃはは。 うめー。 にーちゃんは、今日はG20だから混みますよ、きっと、と言う。 いーよ、急いでねーもん、とわっし。 しかし意外や、道は最後まで不気味なくらい空いておった。 クルマの電話が鳴って天井の端っこに付いているスピーカーから、わっしの百倍くらい頭のよいねーちゃんの声が聞こえてきます。 「ガメさん、今日は予定、どーします? どーせ会社には来ないんでしょう?」 わっしがカイシャなどという不吉なところに到着第一日に現れるわけなし。 アパートに戻って昼寝してから、考える、と返事するわっし。 あーのさー、ほら、Rがペントハウスつくったやん、お披露目を今日やるとゆってたから、 あれ行くわ。 あのおっさんはワインの趣味がいーからな。 食べ物はいつも不味いが。 「じゃ、そこで夕食も食べますか?」 モニが横で、とんでもない、と言う。 いや、Rのほうは8時くらいに途中で抜けさしてもらってシナモンクラブでも行くわ。 「じゃあ、8時ちょっと過ぎに予約をいれておきますから」 はーい。 「レストランへは、Rさんのところまでクルマ回しますか?」 ふんにゃ、タクシーで行くからいいっす。 ペントハウスのロビーにはいると、Rのところのガーナ人とオーストリア人の混血の「太陽ねーちゃん」が走ってきます。こーゆー場所で走るのは一日中エネルギー全開でどう考えても体内に核融合炉を持っているとしか思われぬこのねーちゃんくらいです。 「きゃあー、モニさん! ガメさん!来ないのかと思ってたら、来ていただけたんですね!すごい!サイコー!! 」 趣味の良いRが自分で選んだに違いない多分トルコの北から取り寄せた絨毯の上を歩いてゆくと、Rがチュシャ猫のように笑いだけになって立っておる。 イタリア人のすばしこいにーちゃんがシャンペンを注いでくれます。 Rは顔が広いので、ゲイノージンやレポーターやショーセツカや建築家がうろうろしておる。 … Continue reading

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