Monthly Archives: May 2009

出て行くひとびと

この頃日本人の友達から「移民するにはどうすればよいか」と訊かれることが多くなった。 これから大学に行くひともいれば子供が大学に入学して一段落付いたからというひともいる。年齢も階層もさまざまです。 急に増えた、と思う。 わっしはむかし英語国民が転職するように国籍を変えてしまうことをブログに書いたことがある。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080204/p1 そのときの考えでは日本のひとは言語的な障壁と文化的な違和感のせいでどこか他所の国に移住することはなかなかしないようだ、と考えていたのす。 それがだんだん変わってきたようだ。 義理叔父の友達のHさんは40代半ばであってくそまじめにまじめなひとです。 わっしは知らなかったが日本ではこのくらいの年で「あと何年かすると年金を受け取る資格が出来る」のだそうである。実際には受け取るのは65歳からだそうですが、70歳まで受け取りを待つと、月40万円ほど年金がもらえるのだそーでした。 英語は発音はともかくふつーに判る英語です。 商社マンで英語でショーバイしていたそうである。 ニューヨークにも5年住んでいたことがある。 ニュージーランドに移住したいがどう思うか、ということでした。 ニュージーランドドルはここ3年間の対円最高値が92円なので、これから国力が衰退する日本の経済を考えても年収は50000ドルくらいはあると思って良さそうです。 ニュージーランドの平均収入はむかしは「日本人の半分」だったが、この頃は7割だという。ちょうど50000ドルくらいです。 だから経済的な条件は整っておる。 暮らせなくはない。 ひところオーストラリアやニュージーランドに移住した企業年金で食べている日本人たちが両国のバブルのせいで食えなくなって大量に日本に戻ったのが話題になったことがありましたが、あれは特殊な時期だったので、参考にはならない。 普通に考えて金銭的には大丈夫。 ところが、調べてみて驚いたことには、最近は露骨に移民を制限する方向にニュージーランドもオーストラリアも動いていて、日本では有能な商社マンであったHさんも資格を満たしていないのでした。 わっしはおおげさにいうとショックを受けてしまった。 結局、義理叔父が自分のニュージーランドの自分の会社でスポンサーすることにしたもののようでした。 わっしはもともと日本のひとが他国に移住することには反対なほうです。 一般論としては日本の文化のびっくりするような偏狭さと鎖国的な性格が個人が逆に他国へ住もうとするときにも働いて、移住しても全然うまくいかない。 そういう例をいくつも見聞きしているので、あんまり賛成しない。 でも「ニュージーランドが好きなので移民したい」というひとにあった場合は、そりゃもうもちろん手伝います。 「勇気のあるひと」というのは見ていて気持ちがいいものだからです。 移住して連合王国やニュージーランドやオーストラリアに住んでいる日本人たちと話をしてみると、明るい良いひとが多い。 外国にいても「普通にしていられるひとたち」です。 ときどき現れる「日本に残っている日本人はバカばかりです」というタイプのひとは、当然と言えば当然、他国の社会にも適応できずに日本にもどってゆく。 わっしは「一生懸命考えてみましたが、自分の一生を実りの多いものにしようと思っても、いまの日本ではもう無理だと思います」という日本人の友達を見ながら、 あー、やっと、日本も普通の国になってきたのだなあ、と考える。 「家族と自分の幸福を大事だと思う」ひとの真摯な姿がそこにはあるからです。 タイミングとしてはいまは最悪です。 中東や中国や韓国からの移民の数の多さに顔を顰める国が多くなった。 移民としては「最良」とみなされることが多いインド人に対してすら、オーストラリアのような国であってもちょっと妙な反応を示すようになっている。 日本人という東アジアの国に生まれて育ったひとが移民を思い立つには、あんまりよくない時期かも知れません。 それでも、わっしは自分にとってもっと良い環境を求めて移住しようとする日本のひとたちの新しい傾向をよいことだと思う。 それにもまして、まだ十分に人材もなく社会も出来上がっていない国へ移住して、自分の理想の社会を少しでも実現しようというひとたちや、3ヶ月だけ日本に戻って稼いではその稼いだ金で医薬品をうんとこさ買ってまたアフガニスタンに「帰って」診療にあたるF女医さんのようなひとたちは素晴らしい。 日本のひとたちも世界に参加するようになってきたのだなあ、と考えて嬉しくなります。 … Continue reading

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Rise of flight

「先生、わたし、豚インフルエンザにかかったような気がするんですけど」 「どういうご症状でしょう?」 「熱があるし、ゴホゴホ、あっ失礼、咳もでます」 「手術ですね」 「えっ?」 「これからすぐに手術です。手術室で裸になってもらわないと。 いますぐ麻酔をかけて手術しないと、あなたは豚になってしまいます」 きゃあー、きちがい医者です。助けてください。 パタパタパタ(モニが走って逃げる音) ま、またんかい。シジツだぞおー、服ぬがしちゃうぞー ドタドタドタ(わしが走って追いかける音) うーむ。平和じゃ。 あまりに平和なのでひさしぶりにモニと「悪いお医者さんごっこ」をしてしまったではないか。 この遊びは、やっぱりフランス語でやらないといけません。 英語だと、いまいち感じがでん。 閑話休題。 kikuoさんがゆっておった「Rise of flight」がいよいよ出るよーです。 どーやらでかいディストリビュータに配給をしぶられててーへんだったよーだ。 ウヨキョクセツのあげく、やっと英語版が出ることになった。 よかった。 めでたい。 フライトシム自体、なんちゅうか茅葺き屋根住宅みたいな存在になりつつありますが、 第一次世界大戦が舞台のものというと、もっと状況は悲惨である。 わっしが最後に燃えたのは、ショーガッコーのときの「Fokker Triplane」であった。 そーです、あれです。マッキントッシュで動くやつね。シロクロで、 フォッカーの3枚翼機がピッピッピッとひいた三本の棒線で表現されているという、 たいへんゲージツ的なゲームであった。 かーちゃんからお下がりでもらったトールボーイマッキントッシュにいっぱいくっついてきたソフトのうちのひとつ。 わっしはハイパーカードやPT109と並んでこのソフトが好きであった。 クーリキも、なーんにも考えてなくて、プログラマのおっちゃんが、「まっ、こんなもんだべ」でつくった戦闘機が、ぽにょーん、ぷわーんと空を飛んで、点々の機銃弾で血湧き肉躍る空中戦を繰り広げるのだ。 おもろかったよな、あれ。 そーいえば、やっぱりショーガッコーのときのIBM互換機のソフトで「ブルーマックス」っちゅうのもあったな。 今度は、インデクスきちがいのロシア人たちがつくったソフトなので、クーリキがどーのこーの、弾の収束範囲がどーのこーの、またいろいろ計算しくるってつくっているに違いない。Men of warも徹甲弾の貫通係数とかむちゃくちゃ計算しとったもんな。 その割に兵隊の顔が全部同じだったりして、力点のおきかたがやや偏っているよーな気もしたが。 ちょっと急旋回しながら機銃をうちまくってみたい感じがするソフトです。 … Continue reading

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午後

ドーバーの白い崖を見ながら、しょぼしょぼと「Wimpy Burger」を食べていた夏を思い出す。わっしは16歳で世界はわからないことだらけであった。 週末はクリケットバットと共にあった。 わっしはまだ自分が「数学」を発見したコーフンのなかにいた。 フランシス・ベーコンという画家に狂い始めていた。 ブリジット・フォンテーヌばかり聴いていた。 Seido Keitaの写真をあちらで一枚こちらで一枚と集めて悦に入っていた。 そのうえ、わっしは恋もしていたのだ。 なんという忙しい夏であったことか。 世界中の用事という用事がいっぺんに押し寄せてきて、いっせいに御用聞きに来たようであった。 時間はいまのように流れるものではなくて爆発的なものだった。 わっしは眩暈のなかで暮らしていた。 オトナというものはただの愚者であった。 世界は変革されるためにあった。 1956年、かーちゃんが生まれる何年か前に、わっしの知る限りにおいて戦後日本において最も偉大な知性をもった日本人であった鮎川信夫は、こう書いています。 「穫りいれがすむと 世界はなんと曠野に似てくることか あちらから昇り むこうに沈む 無力な太陽の言葉で ぼくにはわかるのだ こんなふうにおわるのはなにも世界だけではない」 ほんとじゃん、と多分鮎川がまったく予測しなかった読者であるわっしは思います。 なぜ、あなたはわれわれの秘密を知っているのか。 われわれの煩悶を知り得たのか。 「空中の帝国からやってきて 重たい刑罰の砲車をおしながら 血の河をわたっていった兵士たちよ むかしの愛も あたらしい日附の憎しみも みんな忘れる祈りのむなしさで ぼくははじめから敗れ去っていた兵士のひとりだ なにものよりも おのれ自身に擬する銃口を たいせつにしてきたひとりの兵士だ」 わっしは、あの後、あれほどやさしかったガールフレンドと別れてひとりで出かけた。 スーガクとイガクを学んだ。 ベンキョーした割には、いっこうに賢くならなかった。 年齢とやっていることの見当がつくひとならすぐわかるが、わっしは、ヘンな人生を選択した。 なんだか混乱した飛び級やおやすみが混淆した滅茶苦茶な生活。 でもリニアな人生を送る気がなかったわしにはどうでもよかったのです。 わっしはよく旅に出た。 金がなくなると空と陸のあいだで眠った。 … Continue reading

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マスキーなひとびと

日本のコーベの映像がテレビで流れてます。 どのひともマスクを掛けていて不気味である。 アホガイジン(わし含む)どもは、みなテレビを観て「おもしれー」「こえー」 とか好きなことをゆーておる。 日本にいるときモニが不気味に思った日本風俗のひとつに「マスク」があります。 初めて広尾のアパートのロビーででっかいマスクをかけたおばちゃんとソーグーしたときにはコワイので走って逃げた、とゆっておった。 ふっふっふ。 きみは初心者だから知らんだろーが、あれは、日本名物「日焼けよけマスクおばちゃん」なのよ。なははは。きみはデカマスクを見たか。 なんちって大喜びをしていたのであった。 日本のひとは不思議なくらいマスクが好きである。 なーんとなくカルトっぽい。 ついでに白衣も着ちゃえばばっちしである。 わっしはいつもマスクのひとに会うと、うっひっひ、と嫌味な笑いを浮かべながら 「外科医に転業ですか?」とかゆって苛めるのを専らにしていたものです。 画像は神戸駅、あとからあとからけったいなマスクがけのおっちゃんやおばちゃんが湧いておる。 笑い転げるひとびと。 ….しかし。 しかあーし。 あのですね。 今回の場合は、日本人の反応のほうが正しいね。 ニュージーランドではメキシコに3週間のスペイン語語学研修旅行に出かけていった高校生のバカガキが、見事に豚ちゃんフルに感染して戻ってきて、 「いえーい、でも、たいしたことないぜ、WHOは騒ぎすぎだぜ。ばっかみたい。 ぼく、昨日はサッカーの交流試合にもいっちゃったもんね」とか新聞でゆっておった。 ニッカリ笑ったでかい顔写真付きである。 疫学音痴のバカモノである。 インフルエンザは態度がころっと変わる人間よりももっとこわくて性質も形状もころっと変わる。今回のは(ふつーならフルウイルスが増殖するにはまったく不適な環境下ですら)感染率がぶわっか高いので、強毒性に変身されるとどーもならん。 インフルエンザは個人の側から考えることにあんまり意味がない。 社会や集団で考えないと対処できないビョーキの典型です。 感染が始まった集団があると感染者を早く発見して隔離するワクチンがあれば、なるべくワクチンをうった個体の数を増やしてそこで感染が止まる確立を高める。 就中マスクをかけて仮にその個体が感染している場合、そこからの感染確率を低下させる。 いまのフルだって、個人からいうと、毒性が弱いあいだにさっさとかかって抗体をつくる、ちゅうひともいるでしょうが、そーゆー考えはいかんいかん。 個は集団のためにある、といういわば前線を死守する兵隊の理屈でなければ有効でないのです。 だから、アホガイジンが笑ってもでっかいマスクをかけてみなで雄々しく赤っ恥をかくのは正しいな。 マスクというものの致命的な欠点は見た目がはなはだしく異様であって、極端に言うと、 パンツを頭にかぶって歩いているひとに出くわすのとあんまり印象が変わらん。 キャプテン・アンダーパンツ(英語世界のガキどもに伝わる雄々しい英雄物語だす)、成人版、だの。 わっしなどは、捕鯨もそーだが、こーゆーところですら日本人の「文化的孤立と孤独」を感じます。なんで正しいことして笑われないといかんねん。 マスクは本来自分が感染しているときに他者への感染を防ぐ役割ですが、N95なら感染に対する防御にもなるかも。 モニは、わっしの「マスク怪人=ほんとは正義のひと」説を、ふんふんと聴いていましたが、翌々日の朝、わっしの机の上に綺麗な花柄や、嘴の絵(^^)を描いたN95マスクが置いてあった。 ほんとうは、N95マスクってそのままでも息をするのがてーへんである。 … Continue reading

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日本滞在記_revisited_1

モニは日本にいてもあんまり文句を言いません。 日本のこーゆーところはよくないのではないか、ちゅうようなことも言わない。 なんだか面白そうな顔をして眺めているだけです。 ときどき頼まれもせんのに日本の制度的な遅れとかに怒って、もう一回いうと、頼まれもせんのにブログに書いて「日本人」と名乗るひとに「おまえのブログを読むような日本土人などは家畜と同じであって話をするだけムダなのがわからんのか」っちゅうようなコメントをもらったりしている旦那とはえらい違いです。 もっとも、この自称「日本人」さんは、「おまえに日本土人の秘密を教えてやろう。 こいつらはおれのような『日本人』に頭ごなしに命令されることだけに従うしか能がない」 まっ、ここまではよく日本のひとがよくいうことなので良いとしても、 「これがヒントだ。後は演繹的に将棋倒しにわかることだ」だそーである(^^) 「演繹」と「将棋倒し」がふたつの正反対の概念なくらい小学生でも知っとるがな。 コメントはなるべくのせるべ、というふうに一応は考えていますが、腰がぬけるほどバカなひとなのは明らかなので面倒くさがってゴミ箱にいれてしまったが、大きなお世話をするからこういう論外なバカまでやってくる。 わしと違ってモニのほうは、なにを見ても腹が立たないようです。 秋葉原の駅前で立ち小便をしている若い衆を見て顔をしかめていたかと思ったらカメラで写真を撮るくらいのもので、あとは、なにを見ても笑っておる。 旦那よりも人間が出来ているようです。 ニュージーランドの家は「屋根がかっこわるい」「安普請だ」とゆって笑うくせに、日本のどっからどーみてもニュージーランドよりも何倍かぼろい家を見ても、「タイ人の家よりも立派だ」とかとゆっておる。「急いでるんですみませーん」なんちゃって行列に割りこんで自分の用をすますズッコイおっさんと遭遇しても、「中国のひとよりはマシだ」と言って涼しい顔をしてます。 わっしはシューヨーが足らないもののようである。 今回あらためて考えたのは日本という国が特殊なやりかたの、しかし、訳が分からないほど強大な権力をもった政府が支配している国であって、しかも、そういう専制支配のありかたを国民のほぼすべての階層が支持している、という不思議な事実でした。 西洋の人間にこれを説明するには、多分、日本というのは一個の巨大な軍隊なのだというのがもっともよい方法であるようです。 だから社会の性格もとても軍隊組織に似ている。 1)効率的である 2)目的遂行のための障碍が少ない 3)構成員同士(古参兵)が友愛的である 4)内部では陰惨なイジメがある 5)個人の生活は犠牲にされる 6)構成員個人の幸福は極端に優先度が低い ……… そう思って考えると、いまの日本の社会の頽廃は戦争に長い間参加しなかった軍隊の頽廃とたいそう似ていることも合点がゆきます。 揃いも揃って「トーダイ」を出て、にこにこしながら風呂敷にわっしが探していた本を「今日はガメちゃんにプレゼントがあるんだよ」といって、嬉しそうに包んでもってくるわっしの日本人の友達と、粗野で獣じみた口の利き方で退屈な罵りを繰り返す以外に能がない、このブログで出会ったある種類のひとたちとの違いも、どうやら将校と兵隊の世界の別があるようだと判ってくると、比較的簡単に説明がついてしまう。 日本のひとは中国やタイのひとをバカにしたような口を利くひとが多いが、中国のひとやタイのひとの特徴はまったく教育を受けていない層のひとたちでも、こちらがはっとすることや涙ぐんでしまうような人間性や叡知をもっていることであると思う。 それに較べると、日本の自称「日本人」さんのようなひとは、いかにも芸がない、というか退屈であって、ちょっと日本人というひとたちに対して幻滅であるな、と思うのです。

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半信半疑

経済でもっとも難しいのは心理的な要因が大きく働くところであると思う。 人間の集団心理はそれが向く方向も行き先に向かって動いてゆくスピードも、動き出すタイミングも予想外であることが多い。 それが経済の問題について考えることを難しくしている。 振り返ってみると2008年の北京オリンピック前後に屋上屋を重ねた金融世界のビジネスモデルが崩壊するのは、別にわっしに限らず、およそ2005年くらいからみなにわかってました。だからいけいけおっちゃんたち以外は早々と撤退し後退して景気が悪くなったときのために自分のポートフォリオを作り直した。 マーケットのなかの立ち位置を変えたり、出資先を変更したり、瓦解に近い変化に備えて零細投資家は零細投資家なりにアホな頭を使って考えたのでした。 個人のわっしとしての観点からいうと港を出たらいきなり嵐の警報に出会ったサンパンのようなもので、てーへんであった。 こうやって日本語をおぼえて遊んだり、自分の家をいくつか買ったり、そーゆーヒマなことをやって喜んでいたのも、とーぶん景気なんかよくならねーべ、と考えたからでした。 やることがねーもんな。 モニと遊んでるのがいちばんいいべ、というのがわっしの判断であった。 5年くらい遊んでないといかんのとちがうか、へたすると10年だのい、と考えた。 しかし、どーもこの頃は、またみな強気がもどってきたようだ。 天気の悪い午後、事務弁護士のおっちゃんとカボチャスープを食べながら、しょぼしょぼと景気の話をします。わっしはよく仕事のひとと昼飯を食べるが、合衆国人の好きな「パワーランチ」とは違う。無理に名を付ければ「脱力ランチ」であって、へろへろしながら仕事の話をしているだけである。 「後退局面において強気」という連合王国人の頭のいかれた伝統に基づいて、おっちゃんによると 「金融危機なあんてのは新聞のでっちあげだんべ」という。 でも誰それも破産したし、あの会社とこの会社は液体になってしもうたではないか、というと、「まっ、そーゆーこともある」なんてゆーとる。 今回の金融恐慌の特徴はみなやたらと強気であることで、そこにわっしのズツーの種がある。 わっしには借金はありません。 正確に言うと妹から借りた金はあるが、あんなものはいざとなれば踏み倒せばいいだけなので、借金のうちにはいらん。 こーゆーと、「借金をしない投資家なんて投資家とはいえん。だからきみはダメなのだ」というひとがあるに決まってますが、うるせーな、わっしはきみよっか儲かってるんだからこれでいーの。 わっしが零細投資のプラットホームにしているわしの零細会社も借金はない。 しかし、投資というものが広い意味でゲームである以上負けるのはくだらん。 零細投資家は零細なりに常に勝利しないと一年の終わりに六甲おろしを歌う楽しみがなくなってしまう。 会社間契約やプロパティ売買の事務弁護士は強気ですが、一方会計会社のねーちゃんは、自分の仕事を通じて見聞したマーケットは相変わらずこの世の終わりのような様相である、という。 みんな意見が違う。 シドニーのタクシーのおっちゃんは、「クレジットクランチ、クレジットクランチって、騒いでるけどさ、あれは合衆国のものなんだから、こっちにもって来られちゃ困るんだよね。みんなで蹴返してアメリカからオーストラリアに来る途中で太平洋のどっかに沈んでもらうしかないよねー」なんていう。 まだ不景気にはなっていない、という認識なのです。 手元にあるインデックスは、どれもこれもボロボロで、しかも数理的な整合性がないところを見ると、このひどい数字でもまだインチキがあるようです。 統計がもっとも信用できるといわれているドイツの統計でも、ちょっとみるとわかるようなヘンなところがある。 官民ともに経済に携わっているひとたちの最近のモラルの低さが判ります。 モニとふたりでプールの球を突きながら、わっしは悩んでおる。 理屈の上では絶対に経済が来年回復する、というようなことはあり得ないが、 みんなで「だいじょぶだあー、だいじょぶだあー」と合唱しているうちに経済が回復する、というようなことが実際にありうるのだろうか。 そこのところで「経験」というものに欠けるわっしには読めなくなってしまう。 4月は、会社のひとの取り越し苦労に終わったが、情けないことにいつでも歯切れの良い自分の金がかかっていない経済評論家のみなさんと違って、自分の金がかかっているわしは、ぐずぐずしょぼしょぼと考えてばかりいます。 まるで頭の中が梅雨になっているようです。 脳下垂体あたりにはもうカビが生えているのではなかろうか。

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田舎者

「このイナカモン!」ということが英語では言えない。 田舎のひとであるということが悪いことである、というイメージが湧きにくいからで、 わっしなどは「こーのイナカモノめが」とゆわれると、きっとニコニコしてしまうであろうと思う。 日本のひとが「イナカモノ」を蔑むようになったのは、淵源をたどると、平安時代に行き着く。平安時代の殿上人たちにとっての「人間」であると認めうる最小要件は「京都の外で生活したことがないこと」であった。 何らかの家の都合でたとえば金沢で3ヶ月を過ごさなければならなかった娘時代をもつ女のひとはいかに歌芸に優れていても「キズモノ」の娘であって、京都から出て過ごさなければならない娘が一門から出ると親戚の女たちは悲嘆に暮れたりした。 当時のひとにとっては京だけが人間の世界であって、その外は化外の地であって魑魅魍魎がはびこる闇の世界であり瘴気に満ちた世界なのでした。 だから「イナカ」を忌み嫌った。 わっしは日本のイナカは長野県くらいしか知らないが、東京よりも田舎のほうが好きです。広尾や麻布の丘陵も緑が多くて悪くはないが、それでも野辺山や飯綱や小諸のイナカの美しさには負けておる。 軽井沢のボロイ家に行くとモニとわっしは夜中に懐中電灯をもって出かける。 ホッチやオイワケにくるまで出かけて街灯もないまっくらな道を月の明かりに皓皓と照らされた浅間山を眺めながら散歩した。 物音がする方向を暗視鏡で見ると狐や狸がおもしろそうにこちらを眺めておる。 「ヘンな奴らだな」と顔に書いてある。 昼間でも人工物が何もないところに行けば、自然の美しさは息をのむほどです。 カナダやニュージーランドの人間の手がはいったことのない拒絶的な自然もそれはそれでよいが人間の眼には日本のひとが「箱庭」のようだと言って自嘲する人間の手がはいった自然のほうが圧倒的に綺麗です。 人工物はひどい。 色褪せて傾いた、貧しい生活の質を率直に反映したような「ラブホテル」の看板や閉業したままいつまでも放置されている汚らしい建物、道端に唖然とするような公共心の欠如を見せつけるタクシー会社が捨てた錆び付いた営業車。 こういう投げやりな人間のありかたや、およそ自分自身の故郷を破壊することに没頭しているとしか見えない「開発」の仕方というのは、多分、平安時代以来の日本人の考え方によって自尊心も誇りも持ちようがなかったイナカのひとの無恥からくるのでしょう。 前橋、というところに行くと駅前商店街であるはずのところが延々と延々と錆び付いたシャッターを閉ざして廃墟となった建物が続いている。 日本人の友達に教わって行ってみたのですが、わっしは、不思議な恐怖心を感じました。 ひどい、というのを通り越して、なんだかひとの感覚を麻痺させて非現実的な感懐を起こさせるような光景だった。 平安貴族は京都以外の土地が存在することを恥ずべきことであり忌むべきでもある、と考えていたので日本には京以外の土地は無いふりをすることにした。 いまの日本の暴力団や戦争犯罪と同じで都合が悪い存在自体当惑させられるようなことなので京以外の土地があることは忘れることにしたもののようである。 そしてその京にたてこもっていまで言えばマンガにあたるひらがな文学を延々と書き綴ったり、首相でありながら「政治や軍事はおれの知ったこっちゃねーよ」と日記に堂々と書いた不思議なひとが、いまなら、Jポップかの、和歌をつくったりしておった。 表記からして極めて特殊なこうした「平安京サブカルチャ」は、しかし、いまのマンガと同じことで、結局は意外なくらいの普遍性をもった芸術として確立されたのでした。 歴史は、その優れたサブカルチャーをつくりあげた京文化が「ないこと」にしていたイナカの荒廃の力によって滅びたことを教えています。 イナカモンに対する蔑みと多少の文化を手にした自分たちの思い上がりによって瓦解した社会の一典型として名を残した。 野尻湖の森を抜けてかつてはいちばん美しい場所であったという湖の一角にある巨大で間抜けな白鳥のかっこうをしたボートを見ていると、わっしはその一角だけを消しゴムで消してみたくなる。 もう少しイナカを大切にすればいい国なんだけどなあ、と野尻湖までやってきたことを後悔しながらわっしは思います。 グロテスクな白鳥と破壊された湖の一角のインパクトが強すぎて、美しい田舎というものを永遠に失った社会の未来のことを考えてみたりするのです。

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