Daily Archives: May 13, 2009

田舎者

「このイナカモン!」ということが英語では言えない。 田舎のひとであるということが悪いことである、というイメージが湧きにくいからで、 わっしなどは「こーのイナカモノめが」とゆわれると、きっとニコニコしてしまうであろうと思う。 日本のひとが「イナカモノ」を蔑むようになったのは、淵源をたどると、平安時代に行き着く。平安時代の殿上人たちにとっての「人間」であると認めうる最小要件は「京都の外で生活したことがないこと」であった。 何らかの家の都合でたとえば金沢で3ヶ月を過ごさなければならなかった娘時代をもつ女のひとはいかに歌芸に優れていても「キズモノ」の娘であって、京都から出て過ごさなければならない娘が一門から出ると親戚の女たちは悲嘆に暮れたりした。 当時のひとにとっては京だけが人間の世界であって、その外は化外の地であって魑魅魍魎がはびこる闇の世界であり瘴気に満ちた世界なのでした。 だから「イナカ」を忌み嫌った。 わっしは日本のイナカは長野県くらいしか知らないが、東京よりも田舎のほうが好きです。広尾や麻布の丘陵も緑が多くて悪くはないが、それでも野辺山や飯綱や小諸のイナカの美しさには負けておる。 軽井沢のボロイ家に行くとモニとわっしは夜中に懐中電灯をもって出かける。 ホッチやオイワケにくるまで出かけて街灯もないまっくらな道を月の明かりに皓皓と照らされた浅間山を眺めながら散歩した。 物音がする方向を暗視鏡で見ると狐や狸がおもしろそうにこちらを眺めておる。 「ヘンな奴らだな」と顔に書いてある。 昼間でも人工物が何もないところに行けば、自然の美しさは息をのむほどです。 カナダやニュージーランドの人間の手がはいったことのない拒絶的な自然もそれはそれでよいが人間の眼には日本のひとが「箱庭」のようだと言って自嘲する人間の手がはいった自然のほうが圧倒的に綺麗です。 人工物はひどい。 色褪せて傾いた、貧しい生活の質を率直に反映したような「ラブホテル」の看板や閉業したままいつまでも放置されている汚らしい建物、道端に唖然とするような公共心の欠如を見せつけるタクシー会社が捨てた錆び付いた営業車。 こういう投げやりな人間のありかたや、およそ自分自身の故郷を破壊することに没頭しているとしか見えない「開発」の仕方というのは、多分、平安時代以来の日本人の考え方によって自尊心も誇りも持ちようがなかったイナカのひとの無恥からくるのでしょう。 前橋、というところに行くと駅前商店街であるはずのところが延々と延々と錆び付いたシャッターを閉ざして廃墟となった建物が続いている。 日本人の友達に教わって行ってみたのですが、わっしは、不思議な恐怖心を感じました。 ひどい、というのを通り越して、なんだかひとの感覚を麻痺させて非現実的な感懐を起こさせるような光景だった。 平安貴族は京都以外の土地が存在することを恥ずべきことであり忌むべきでもある、と考えていたので日本には京以外の土地は無いふりをすることにした。 いまの日本の暴力団や戦争犯罪と同じで都合が悪い存在自体当惑させられるようなことなので京以外の土地があることは忘れることにしたもののようである。 そしてその京にたてこもっていまで言えばマンガにあたるひらがな文学を延々と書き綴ったり、首相でありながら「政治や軍事はおれの知ったこっちゃねーよ」と日記に堂々と書いた不思議なひとが、いまなら、Jポップかの、和歌をつくったりしておった。 表記からして極めて特殊なこうした「平安京サブカルチャ」は、しかし、いまのマンガと同じことで、結局は意外なくらいの普遍性をもった芸術として確立されたのでした。 歴史は、その優れたサブカルチャーをつくりあげた京文化が「ないこと」にしていたイナカの荒廃の力によって滅びたことを教えています。 イナカモンに対する蔑みと多少の文化を手にした自分たちの思い上がりによって瓦解した社会の一典型として名を残した。 野尻湖の森を抜けてかつてはいちばん美しい場所であったという湖の一角にある巨大で間抜けな白鳥のかっこうをしたボートを見ていると、わっしはその一角だけを消しゴムで消してみたくなる。 もう少しイナカを大切にすればいい国なんだけどなあ、と野尻湖までやってきたことを後悔しながらわっしは思います。 グロテスクな白鳥と破壊された湖の一角のインパクトが強すぎて、美しい田舎というものを永遠に失った社会の未来のことを考えてみたりするのです。

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田舎者

「このイナカモン!」ということが英語では言えない。 田舎のひとであるということが悪いことである、というイメージが湧きにくいからで、 わっしなどは「こーのイナカモノめが」とゆわれると、きっとニコニコしてしまうであろうと思う。 日本のひとが「イナカモノ」を蔑むようになったのは、淵源をたどると、平安時代に行き着く。平安時代の殿上人たちにとっての「人間」であると認めうる最小要件は「京都の外で生活したことがないこと」であった。 何らかの家の都合でたとえば金沢で3ヶ月を過ごさなければならなかった娘時代をもつ女のひとはいかに歌芸に優れていても「キズモノ」の娘であって、京都から出て過ごさなければならない娘が一門から出ると親戚の女たちは悲嘆に暮れたりした。 当時のひとにとっては京だけが人間の世界であって、その外は化外の地であって魑魅魍魎がはびこる闇の世界であり瘴気に満ちた世界なのでした。 だから「イナカ」を忌み嫌った。 わっしは日本のイナカは長野県くらいしか知らないが、東京よりも田舎のほうが好きです。広尾や麻布の丘陵も緑が多くて悪くはないが、それでも野辺山や飯綱や小諸のイナカの美しさには負けておる。 軽井沢のボロイ家に行くとモニとわっしは夜中に懐中電灯をもって出かける。 ホッチやオイワケにくるまで出かけて街灯もないまっくらな道を月の明かりに皓皓と照らされた浅間山を眺めながら散歩した。 物音がする方向を暗視鏡で見ると狐や狸がおもしろそうにこちらを眺めておる。 「ヘンな奴らだな」と顔に書いてある。 昼間でも人工物が何もないところに行けば、自然の美しさは息をのむほどです。 カナダやニュージーランドの人間の手がはいったことのない拒絶的な自然もそれはそれでよいが人間の眼には日本のひとが「箱庭」のようだと言って自嘲する人間の手がはいった自然のほうが圧倒的に綺麗です。 人工物はひどい。 色褪せて傾いた、貧しい生活の質を率直に反映したような「ラブホテル」の看板や閉業したままいつまでも放置されている汚らしい建物、道端に唖然とするような公共心の欠如を見せつけるタクシー会社が捨てた錆び付いた営業車。 こういう投げやりな人間のありかたや、およそ自分自身の故郷を破壊することに没頭しているとしか見えない「開発」の仕方というのは、多分、平安時代以来の日本人の考え方によって自尊心も誇りも持ちようがなかったイナカのひとの無恥からくるのでしょう。 前橋、というところに行くと駅前商店街であるはずのところが延々と延々と錆び付いたシャッターを閉ざして廃墟となった建物が続いている。 日本人の友達に教わって行ってみたのですが、わっしは、不思議な恐怖心を感じました。 ひどい、というのを通り越して、なんだかひとの感覚を麻痺させて非現実的な感懐を起こさせるような光景だった。 平安貴族は京都以外の土地が存在することを恥ずべきことであり忌むべきでもある、と考えていたので日本には京以外の土地は無いふりをすることにした。 いまの日本の暴力団や戦争犯罪と同じで都合が悪い存在自体当惑させられるようなことなので京以外の土地があることは忘れることにしたもののようである。 そしてその京にたてこもっていまで言えばマンガにあたるひらがな文学を延々と書き綴ったり、首相でありながら「政治や軍事はおれの知ったこっちゃねーよ」と日記に堂々と書いた不思議なひとが、いまなら、Jポップかの、和歌をつくったりしておった。 表記からして極めて特殊なこうした「平安京サブカルチャ」は、しかし、いまのマンガと同じことで、結局は意外なくらいの普遍性をもった芸術として確立されたのでした。 歴史は、その優れたサブカルチャーをつくりあげた京文化が「ないこと」にしていたイナカの荒廃の力によって滅びたことを教えています。 イナカモンに対する蔑みと多少の文化を手にした自分たちの思い上がりによって瓦解した社会の一典型として名を残した。 野尻湖の森を抜けてかつてはいちばん美しい場所であったという湖の一角にある巨大で間抜けな白鳥のかっこうをしたボートを見ていると、わっしはその一角だけを消しゴムで消してみたくなる。 もう少しイナカを大切にすればいい国なんだけどなあ、と野尻湖までやってきたことを後悔しながらわっしは思います。 グロテスクな白鳥と破壊された湖の一角のインパクトが強すぎて、美しい田舎というものを永遠に失った社会の未来のことを考えてみたりするのです。

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