午後

ドーバーの白い崖を見ながら、しょぼしょぼと「Wimpy Burger」を食べていた夏を思い出す。わっしは16歳で世界はわからないことだらけであった。

週末はクリケットバットと共にあった。

わっしはまだ自分が「数学」を発見したコーフンのなかにいた。

フランシス・ベーコンという画家に狂い始めていた。

ブリジット・フォンテーヌばかり聴いていた。

Seido Keitaの写真をあちらで一枚こちらで一枚と集めて悦に入っていた。

そのうえ、わっしは恋もしていたのだ。

なんという忙しい夏であったことか。

世界中の用事という用事がいっぺんに押し寄せてきて、いっせいに御用聞きに来たようであった。

時間はいまのように流れるものではなくて爆発的なものだった。

わっしは眩暈のなかで暮らしていた。

オトナというものはただの愚者であった。

世界は変革されるためにあった。

1956年、かーちゃんが生まれる何年か前に、わっしの知る限りにおいて戦後日本において最も偉大な知性をもった日本人であった鮎川信夫は、こう書いています。

「穫りいれがすむと

世界はなんと曠野に似てくることか

あちらから昇り むこうに沈む

無力な太陽の言葉で ぼくにはわかるのだ

こんなふうにおわるのはなにも世界だけではない」

ほんとじゃん、と多分鮎川がまったく予測しなかった読者であるわっしは思います。

なぜ、あなたはわれわれの秘密を知っているのか。

われわれの煩悶を知り得たのか。

「空中の帝国からやってきて

重たい刑罰の砲車をおしながら

血の河をわたっていった兵士たちよ

むかしの愛も あたらしい日附の憎しみも

みんな忘れる祈りのむなしさで

ぼくははじめから敗れ去っていた兵士のひとりだ

なにものよりも おのれ自身に擬する銃口を

たいせつにしてきたひとりの兵士だ」

わっしは、あの後、あれほどやさしかったガールフレンドと別れてひとりで出かけた。

スーガクとイガクを学んだ。

ベンキョーした割には、いっこうに賢くならなかった。

年齢とやっていることの見当がつくひとならすぐわかるが、わっしは、ヘンな人生を選択した。

なんだか混乱した飛び級やおやすみが混淆した滅茶苦茶な生活。

でもリニアな人生を送る気がなかったわしにはどうでもよかったのです。

わっしはよく旅に出た。

金がなくなると空と陸のあいだで眠った。

たくさんの賢人とそれと同じくらいの数のたくさんの愚者にあった。

寂しくなると地平線の見える田園で歌った。

高い建物に挟まれた狭い路地で酔っぱらった。

…そんなことを考えながらハンモックに揺られて読んでいた鮎川信夫の詩はこんなふうに終わるのです。

「勝利を信じないぼくは どうして敗北を信ずることができようか

おお だから 誰もぼくを許そうとするな」

This entry was posted in gamayauber. Bookmark the permalink.

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out /  Change )

Google photo

You are commenting using your Google account. Log Out /  Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out /  Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out /  Change )

Connecting to %s