Monthly Archives: June 2009

マイケル・ジャクソンの死

WBGO http://www.wbgo.org/ はニューアーク・ベースのジャズFMだが、わっしはこのFMを世界中どこにいてもインターネットを通して聴いています。かっちょいいジャズばかりで、アホな曲をかけないところがたいへんよい。 そのWBGOが今日は一日マイケル・ジャクソンの曲ばかりかけています。ジャズ専門なのに、今日は、マイケル・ジャクソン以外の音楽など、この世界には存在しないかのようにふるまっておる。 DJのおっちゃんが、「マイケル・ジャクソンのスリラーが出たとき、ぼくは5歳だったけどアルバムが出た次の日にはもう歌えた」と威張っておった(^^;) ニュージーランドの91FMも全部マイケル・ジャクソンです。 洗濯物を干したり、通勤の途中でFMから流れ続けるマイケルの歌を聴きながら涙ぐんでいるニュージーランド人たちの顔が思い浮かぶようである。 世界中のひとが、40年以上もひとを楽しい気持ちにすることに熱中してきた風変わりなポップ・スターを、そうやって思い出している。 モニがラウンジいっぱいに何百というローソクを点して何事か神様に祈ってます。 いま20代から40代のひとで子供の時にマイケル・ジャクソンの「スリラー」やミック・ジャガーの「スタートミーアップ」の振り付けをマネしてふざけたことのないひとなんて、この世の中にいないでしょう。 パーティでもどこでも、「マイケル」は、まるで招かれた友達か、滅茶苦茶ラッキーな近所のおっちゃんのような扱われかたで、いつも高校生たちの話題にのぼるひとであった。 いつも格好良かった。 その自分を極限までポップな状態においておきたいと思う努力を指さして笑い転げるひとたちに最後まで苦しめられたが、実は、それはなんのためらいもなく笑い転げる残酷さを服でも着るようにあっさりと身につけたひとたちの側の問題であって、マイケル自身がそんなことに悩まされる必要はなかったのでした。 人間の病的な悪意は、このひとを追い詰めるだけ追い詰めてしまった。 「救急車が着いたときはもう呼吸が止まっていたんですって」 モニの声がちょっと震えています。 わっしも、マイケル・ジャクソンが「BAD」を出した頃からの痛ましさを思い出して、ふつーな声で返事を出来る自信がなかったので黙っていた。 死んだポップの王様は、雲の上からいまごろになって自分の音楽に耳を傾ける世界中のひとを眺めながら、「もう誰もぼくを訴えられやしない」 「音楽を聴いてぼくがいないことを考えてみることしかできないんだ」と 可笑しいような、不思議な気持ちに打たれているところかも知れません。

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統合参謀本部指令JCS1380/15

日本の戦後史を眺めて誰でも奇異に感じるのは急進的なニューディール派社会主義経済そのものである戦後日本の経済政策がダグラス・マッカーサーという「超保守派」とまで言われる保守派のチャンピオンに依って推し進められた、という部分です。 当時の日本人が書いたものを見ると、いま伝えられる「戦後日本人」とは異なって、日本人がマッカーサーをほとんど「神」として崇めていたのがとてもよくわかる。 食べ物すら満足に買えなかった敗戦直後の財布をはたいて日本人は「マッカーサー元帥伝」を80数万部も買ったりする。 多分、「強い者」が現れると、神格化して媚びよう服従しようとする日本人の感性にマッカーサーの(本国では決して許容されなかった)尊大な態度がマッチしたのでしょう。 フランクリン・ルーズベルトが、ダグラス・マッカーサーのあまりの「超保守」ぶりに「世界で最も危険なふたりの人間のうちのひとり」に挙げて、ああいう男に社会を委ねてはならぬと言った、というのは有名です。 この「超保守」主義者が急進的なニューディール改革の立役者になったことの不思議さは、日本の戦後の本ではあんまり説明されていないようです。 もうひとつ、西洋人の目から見て奇異なのは、マッカーサーというひとは、(あたりまえだが)軍人であって、西洋の社会、というか連合王国や合衆国にあっては軍人には政治的な決定権などありえようはずがなく、「マッカーサーの占領政策」などというものは、論理的に存在するはずがない、ということがあります。 わっしは、このあいだのブログで書いたように日本語自己教育の一環として戦後の本をぼちぼち読んでいますが、こーゆー謎の解明は英語側で書いた本のほうが早そうなので、ちょいと寄り道をしてアメリカ側の本を読んでみました。 すぐに答えはみつかりました。 なーるほど、と思った。 英語側の書籍をあたると、マッカーサーは謂わば現場管理者として「JCS1380/15」という、およそ7500ワードの命令書の実行を本国政府から命令されていたことが書いてある。 軍人ですから命令には絶対服従なのがあたりまえですが、超保守主義者として悪名高かったダグラス・マッカーサーの命令不服従を危惧して本国は何回もマッカーサーに圧力をかけます。(もっともマッカーサーのために付け加えておくと、現実には「完全な軍人」たるべく自己を規定していたマッカーサーは「命令への絶対服従」は当然のことだったので、自分たち自身の狡猾さを反映させたこれら政治家たちの勘ぐりはダグラス・マッカーサーにとっては理解不可能で迷惑なだけだったはずですが) その結果ダグラス・マッカーサーは「改革は容赦せず、狡猾で欺瞞論理に長けた日本人にごまかされないように徹底的に行う」と言わざるをえないところに追い込まれる。 一方で気位が高く、何事も王のように振る舞うのが趣味であったダグラス・マッカーサーは、日本人に対しては、それが「本国政府の命令」であることなどおくびにも出さずに、あたかも自分で考えたことのように発表したのでした。 軍命令書というものは絶対機密文書なので、ばれる心配はなかったわけだ。 1945年9月から年末にかけて、マッカーサーはおよそ自分の信条とは正反対の政策を矢継ぎ早に、しかもなんとかごまかして切り抜けようとする日本人に対して有無を言わさぬ強力さで実行を強いてゆきます。 治安維持法の撤廃 戦犯逮捕 政治犯釈放 婦人参政権授与 秘密警察および思想統制の廃止 財閥解体 農地解放 天皇の全資産の凍結 国家神道の廃止 と進んで、年が明けたすぐには、 日本の全支配層を根絶やしにする目的をもって「公職追放令」を発令する。 1945年革命の始まりです。 日本人は、その後も長く自分たちの国をまったく異なった世界に一変させたのは、このいささか時代遅れな王様気取りの保守主義者の将軍とその幕僚だと信じましたが、実際には 25ページの命令書だったわけです。 この命令書はまことに数奇な運命から生まれたので、考えてみると、ヘンリー・スチムソンと言い、ジョージ・フォレスタルと言い、あるいは当時の国務長官であったステティニアスも、まして日本の上流階級の友人たちに愛着を持ちすぎて「日本びいき」のレッテルを貼られて失脚したジョゼフ・グルー国務次官は言うまでもなく、当時の日本占領政策に対して決定権をもっていた合衆国政府上層部の誰ひとりとして急進ニューディール派にシンパシィを抱いている人間などいなかったのに、この命令書が書かれた経緯を読んでいると、 ダグラス・マッカーサーが日本国民をあやしつけるために使った子供だましのトリックよりも遙かに不思議な成り行きですが、 もうモニにコーヒーをつくる時間なので、また、この次。

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「鬼畜」からの返書

windwalker さん、 >2ちゃんねるが「ただの本音の世界」だってのが理解できた windwalkerさんがコメント欄に現れる以前に、わっしが「2ちゃんねるが特別にバカなひとの集まりだとあなたがたは言うが、わっしは2ちゃんねるがそのまま日本人の考えていることにいちばん近いと思ってます」と言っては盛大に「2ちゃんねるのような白痴の集まりを取り上げて日本人の意見だと言うなんて許せない」とか「2ちゃんねるというのはウジ虫の集まりです。あんなものを日本人だというのは侮辱である」とかいっぱいメールやコメントが来た。わっしは、探しても他に発言らしい発言なんてないのだから、2ちゃんねると新聞くらいがようするに日本人の意見なんでしょ、と思ってます。 この頃はどっちも見なくなってしまいましたが、いまでも考えは変わらない。 実際、このあいだもwindwalkerさんを名指しで「日本土人」と呼んで、「日本土人を相手にするお前は最下層の人間に違いない」と書いてきたひとがあったが、自分は土人よりも上位の「日本人」であると自称するそのひとは、ほんの4行のそのコメントでいかんなく頭の悪さを発揮する、という特異な才能に恵まれたひとであった。 でもたぶんこのひとも頭の中では漠然と「自分はwindwalkerのような人間とは違って高尚な意見をもっているのだ」と実際に信じているのでしょう。 それをいざ言葉にすると出てこないだけだ、と考える。 日本人の大半が同じような反応を示しますが、なーに、ほんとうは高尚なことを考えているような「気がしているだけ」で、現実には「2ちゃんねるの日本土人」とまったく変わらない意見しかもっていないから、たった4行でもうボロが出る。 >でも、鞭打たれなきゃ鼻が高いのは君ら白人のほうも同じじゃないかね? 日本人を鞭でひっぱたきにくるのは今度は中国のひとたちです。「白人」は関係がない。 「もうちょっとで日本人に復讐するだけの実力がつく。それまでの辛抱だ」は中国の人の合い言葉です。この合い言葉は、どこにでも転がっているので、きっと日本語に翻訳された記事やなんかにも見つかるでしょう。上の話と人種とは関係がない。 それを関係づけようとするのは日本のひとの常套手段ですが、第二次世界大戦のときですら、いくら自らのドイツ人の尻馬にのった帝国主義的野心を「アジア人の白人種からの解放」にすりかえようとしても誰にも信じてもらえなかったのに、ましていまの世界でそういう欺瞞を唱えても誰も聞かないと思う。 第一同じ人種どころか同じ文化集団に属している朝鮮民族をただ彼等が自分たちよりも弱いというだけの理由で娯楽代わりにいじめ抜いてきた日本人が、「人種」などというと他の「黄色人種」は迷惑だと思うだけでしょう。 >「どんな馬鹿なことでも言ってもいい、ただし俺に馬鹿にされても文句は言ってもいいが、反論自体を禁ずることは出来ん」 これが俺の考える自由というものだ。 それは「アニメ世界」の「自由」でしょう。自由というのは「人間として暮らせること」のことです。他には意味がない。「カッコイイ言葉」には気を付けたほうがよい、と思う。アニメ的な自由を説きにくるやつというのは、必ず自由の簒奪者です。 本人が自由の価値を知らないのだから他人の自由など安いものだと考えるのはあたりまえです。 >君はこの靖国で馬鹿を晒してる若い連中の珍妙なコスプレに文句を言ってもいい 「コスプレ」なんかに文句を言っているのではなくて、中国人たちが常に言っている「日本人は結局ほんとうに前の戦争で悪いことをしたなんて思っていやしない。強い者が去ればまた必ず同じ事をやろうと狙っている」という主張が正しいのが明らかになってきた、と言っている。第一、あれを「コスプレ」だと言い換えるところがもうゴマカシだと思う。 また「八紘一宇」の夢を見ているのでしょう? >日本の近来のナショナリズムは、反左翼から来ている 「左翼」という言葉の定義がまさか「朝日新聞」だとか「社会党」だとか言うのではないでしょうね?日本の左翼というのはもともと右翼と通底しているところに特色がありますが、「朝日新聞」や「社会党」などは、どのような意味においても日本での「左翼」であったことはない。 爆弾闘争時代の非合法共産党を除いては日本には革命党は存在しなかったと思います。 BUNDは言葉の上では革命党でしたが実行においてはせいぜい数丁の銃砲で散発的で無意味なテロを起こした程度でした。 左翼が存在しない以上、「反左翼」などはただのユーレイにしか過ぎない。 第一、地理的歴史的条件もあって日本では「ナショナリズム」は生じようがない。 いま日本で起きているのは韓国や中国で起きているのと同じ素朴なパトリオティズムの昂揚だと思います。 そしてそれは「反左翼」ではなくてよく根を調べてみると「日本が占領政策によってつくられた国である」という現実からくる傷ついたプライドを国家的な単位で復元しようとしているに過ぎない。どうあがいても現状のままでは「アメリカによってつくられた国家とすら呼べない半国家」であることに若い世代が気付きだしたということだとわっしは思っています。それを正面切って言うわけにいかないのでアメリカの社会主義者たちが本国を追い出されて日本でつくった社会主義的な部分を壊そうとしている。 しかし、その「社会主義」は多分に「アメリカ社会主義」なのです。 本来、日本人がやりたいことはアメリカの影響をぬぐいさることなのだとわっしは思ってます。そしてそれは民族的には当然のことだと思う。 >『米兵による強姦事件数万件』は、無かったことにするのかね? それは問いかける相手を間違えているでしょう? その問いかけは日本人に対して向けられるべきです。このブログでも何回も何回も何回も書いているように、日本人がほんとうに「大義」のために戦ったのなら、なぜ『米兵による強姦事件数万件』をなかったことのような顔をして合衆国に尻尾をふるのか、わっしが訊きたい。 日本人は中国人を軽蔑しているといいながら、現実の経済や投資世界では中国勢に対して見ていて恥ずかしくなるような阿諛追従を重ねて媚びを売る。 天安門の経済包囲を破ったときのことを他の国が忘れていると思ったら大間違いです。 まして日本を完膚無きまでに破壊して自分のくぐつとしてのみ生きることを許したアメリカという国に対しては傍で見ていて見ているのが辛くなるほど尻尾をちぎれるほど振って、足指をなめるようにして媚びを売って完全な服従を示してきた。 あちこちの国の元首(パキスタン、フランス、…)からあからさまに「日本人には民族としてのプライドがないのか」と言われても、アメリカに踏まれても蹴られても揉み手で寄り添う姿勢を変えないでここまでやってきた。 その結果アメリカ合衆国の意志決定層は共和党民主党であるのを問わず「日本は強いものにつくだけの国だから外交対象として考える必要がない」と期せずして同じ事を言うに至った。 キッシンジャーでも誰でもいいから合衆国の外交責任者が書いた本を読んでごらんなさい、日本など数ページの記述もない。80年代の日本の最盛期にすら、問題にされていなかったからです。 ただのゴマすり、強いものに媚び弱いと見れば居丈高になるだけの卑屈な、プライドのない国だと判断されている。 … Continue reading

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戦後日本の思想

丸山眞男や橋川文三、鮎川信夫、磯田光一、花田清輝、埴谷雄高、吉本隆明、野村秋介っちゅうようなふうに日本の戦後思想を見ていくと、いわゆる「第一戦後世代」が1945年の「日本占領革命」という革命をまのあたりにした人々特有の甲高い誇らしい声を挙げてから1984年に至って浅田彰や柄谷行人が体現する一挙に起きた思想的頽廃によって日本の思想世界が終止符を打たれて見るべきものがなくなる時まで、日本というマイクロ文明が考えたこと、というのは、他の世界の人間にとっても有益であるのがわかります。わっしなどには、どうしてゲーデルを根本から誤解して援用した自称思想家や浅田彰(これほど質の悪い「知識人」がなぜ日本で受け入れられたか、わっしにはものすごく興味があります)のような箸にもボーにもかからない「日本式大学」という特殊阿片窟の内部でだけ通用するオメデタイロジックが当時はまだ健康であったはずの社会に流行するに至ったか、まだよく事情がわからなくて「あっけに」とられているところがありますが、いままでのところ日本の思想らしい思想というものが、1946年から姿を現し始めて1982年くらいで死に絶えたのは確実のようである。 来週からヒマなので、いまさっき、日本から大量(487冊)に書籍を注文した ところです。 日本語、読むどー。

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日本語サイト

日本のインターネットは無茶苦茶はやい。 そのうえ無茶苦茶安い。 データ制限がない。 わっしはオーストラリアの某市の評議会に大叔父と一緒に出席したことがあります。 大叔父は元ガクチョーなので、こーゆー席ではエラソーにザチョーである。 わっしの家でワインを飲み過ぎて椅子からこけて前歯を折ったひととはおもえません。 インターネットを「ブロードバンド化」するというので、奇妙な縁で出席することになった。出席したカンソーは「二度とこねー」でした。 だって、アホばっかしなんだもん。 だいたい「光ファイバー派」からして想定速度5メガとかで話しておって「それ以上のスピードなんか非現実的で必要ない」と言う。 いちばんアホなのは、わっし以外は全員一致でデータの関係のない「フラットレート」は加入者の平等という原則にもとるから反対だ、という点でした。 大叔父もこの点では従量制支持であって、フラットレートは「論外」という意見でした。 一日に何ギガっちゅうようなデータダウンロードをする大学生とメールしかみないような主婦ユーザとで同じ金額を払うような不平等は絶対許容できない、という。 みんな、この「使用量比例負担」の原則を公理のように思いなしているもののようである。 わっしは日本の例とかいろいろ並べてみましたが全然ダメであった。 その他にも学校用の計画をよく見てみると光ファイバと光ファイバのあいだに銅線がはさまっていたりして、「なんじゃ、これは」と思って計画をつくった元ニュージーランド人の鼻毛がはみだしたおばちゃんに訊いてみると、「そうするとかなりコストが削減できるんです」とゆわれてのけぞったりした。 マジメな顔で「全体の基幹をしめる光ファイバーの部分は銅線よりもかなり速いのでダイジョーブ」とかいいやんの。 おばちゃんジョーダンは鼻毛だけにせんかい。 こっちはさすがに是正されました。 おばちゃん、怒っとったがの。 わっしが日本にいるときにやっていることのなかで、思い出して、いちばんイメージとして楽しいのは、窓を開けていると鳥の声が聞こえる長野の森のなかの家で日本のびゅんびゅんデータが流れるインターネットを使って英語サイトを見る、っちゅう時間です。「日本のコンテンツがいちばん面白い!」 「日本人はもっと自信をもって自分たちのコンテンツを楽しまんかい!」というひとは日本人では大半を占めてます。 このブログのコメント欄にもよく書いてあるように、外国人たちも日本のアニメやなんかが大好きなひとはいっぱいいる。 でも、わっしは、人間が遅れておるので、観てみたけどやっぱりつまらん。 醤油があんまり好きでないのと同じで、体質的なものなんでしょーか。 登場する人間の顔からして眼が顔の総面積の一割を越えると拒否反応を起こすもののようである。アニメ以外でも、Youtube はまったく抵抗がないのにニコニコ動画は、もうニコニコ動画を紹介した画面のデザインを見ただけで「やだ」になってしまうのは、自分でもうまく判らない。日本のお友達から「これを見れば」「これ面白いよ」とゆって、いろいろなニコニコ動画のリンクを送ってもらっていますが、実を言うと会員登録すらしていないので、全然見てねえんす。(す、すまん) わっしは、もう、あのコメントのフォントのデザインだけで、どひゃ、と思ってしまう。 見てもいなくて、ダメではないか。 そー、ダメなんです。 いつかニコニコ動画を観なくちゃ、観なくてはダメではないか、というのがストレスになっておる。 それなのに観る気になれないんだすな。 なぜか、わからん。 日本語のコンテンツでよく観ているものというと「価格.com」(^^) 別になにか買おうと思っているわけではなくて、第一海外発送してくれるところなんて殆どないので買おうにも買えないが、なあんとなく面白いので、よく見ます。 「クチコミ」欄とか、じいーと、眺めておる。 英語サイトの「商品評価」みたいな欄とは、ものすごく異なる意見の書き方で、とってもおもしろいっす。 日本は不景気だというが、相変わらず、商品もおもろいものがあって安い。 日本のひとの文句の言い方も面白いな。 商品について気にすることとしないことに他の国の人間とずいぶん違いがあるようです。 あとはブログがほとんどであって、日本語のブログを読むのはほぼ習慣化しています。 … Continue reading

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彗星_ある艦爆パイロットの戦い

カシノのブラックジャックテーブルというのは不思議な社交場であって、身も知らない人間同士が一致して、たとえば17からもう一枚ひきたい誘惑やディーラーの絵札に対してエースをスプリットしないまま勝負する誘惑にひとりひとりが耐えて「テーブルをつくる」作業をとおして一種の「友情」を形成してゆきます。 シドニーの平場のテーブルなどは世界でもいちばん滅茶苦茶なテーブルであって、絵札をスプリットしちゃうひともいれば、18からひくひともいて、論外だが少なくともクラブのブラックジャックテーブルにはまだブラックジャックというものの複雑さや良さが残っている。 そういう場ではマフィアの親分と市長が肩を並べて真剣な顔で考え込んでいたりします。 ある晩、冬のロンドンの裏通りに唐突に有る感じのカシノのクラブでエイトデックのシューとシューとのあいだに、わっしは隣りに座った合衆国人のへろい杖付きのじーちゃんと話しておった。 わっしが東京にいっていたのだと知ると、じーちゃんは、ちょっとなつかしそうな顔をして、自分もちょっとだけいたことがあるんだよ、と言う。 話は戦争のことになって、 「沖縄はこわかったなあ」と言います。 いやね、被害なんかはほとんどないんだよ。 カミカゼの奴が、殺されても殺されても襲ってくるんだ。 誰がどう見たっておれたちの乗っていた空母にまで届きっこないのに、見たこともないオンボロ飛行機でよたよたよたよた突っ込んでくる。 あんな高度から爆弾もって体当たりしてきても、たとえ当たったって被害なんか知れたもんさ。 徹甲弾ってものは弾丸でも爆弾でもある程度の加速度の加勢で被害を与えるようになっているわけだからね。 そのくらいのこと、彼らだってわかっているはずなのに、それでも突っ込んでくる。 殺されても殺されてもムダ死にしにくるなんて、あいつらヘンだったよ。 なんだか人間でないものと戦争をさせられている感じがしてやりきれなかった。 そのうちに根性なしの対空機銃手のやつがひとり頭がいかれちまってさ、取り押さえるのに往生した。 「たいへんでしたね」 わっしは頭の中でちょうどその頃たくさん読んでいた日本側の特攻隊員の本に書いてあったことを思い浮かべてじーちゃんの話に照合したりしていたが、当然のことながら、そーゆー活字で仕入れた虚しい知識を口に出して言ってみるわけにはいかなかった。 そう言えば、おもしろいことがあったよ。 じーちゃんは、相変わらず遠くを眺める眼をしながら沖縄戦の記憶をたどっています。 ひとしきり特攻機がやってきて攻撃をした後にね、おれが空を眺めていると、高いところに天井をつくっていた雲のなかからポツンと黒点が現れてね。 それがみるみるうちに大きくなったかと思ったら、日本の水冷エンジンの急降下爆撃機なのさ。 「Judy っすね」と、言ってしまってから、「しまった」と思っているわっしのほうを 「おっ、知っているじゃないか」という顔で見やってニヤっと笑ってから、 そう、たった一機だけのね、と言う。 ところが、こいつがうまいパイロットでね。 びっくりするような急角度で突っ込んできたと思ったら船団の大型油槽艦の甲板のど真ん中に500キロ爆弾をたたきつけていったよ。 一瞬で、大爆発して、そうだなあ、2千メートルくらいはある火柱をふきあげて沈んじまった。 あんまり見事な間(ま)とタイミングなので、周りの船も対空砲火すらろくすぽ撃てない始末でね。 すぅーと、なんとなく戦場の「幕間」みたいなところにやってきて、狙い違わずぶつけていきやがった。 名人だったぜ、あれは。 それから、じーちゃんはしばらく黙ったな。 少し濁った青い眼が、湿っぽくなったようでした。 そのJudyが、そのあとやったことをおれは忘れられんのだ、と言う。 「?」 急降下から猛烈なプラスGの引き上げをやって急降下爆撃の見本をみせてくれたんだけどね、引き上げが終わってから、また反転して、なんとこれみよがしに海に突っ込んで自爆しやがった。 あの頃は、という頃になるとじーちゃんは声が出しにくそうである。ちょっと涙をぬぐったりしてます。 あの頃は….おれなんかは、いまでもそう思っているがね….おれたちはみんな「良いジャップは死んだジャップだけだ」と思っていた。 でも、あの操縦士の気持ちだけは、あいつがまるで自分の怒りを叩きつけるように自爆するのを身動きも出来ないで見つめていた同じ操縦士のおれたちには痛いほどよくわかったよ。 … Continue reading

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Jさんからの手紙

ひさしぶりにネットお友達用のメール箱を開けてみたらJさんからのメールがはいってました。Jさんはむかしときどきコメントをつけてくれていたひとで、わっしがブログをばっくれてふけているあいだも一度メールをくれたことがあった。 いわば、わっしの古いお友達であります。 もう一年半くらいコメントもメールも見ないので、どっかいっちったなあー、あのひと、と思っておった。でもブログは読んでくれていて反発を感じたり共感したりしてくれていたそうです。 それだけでも、もう嬉しかった。 長いメールですが、わっしはもう5回くらい繰り返し読んだ。 あんまり詳しいことを書くわけにはいかないがJさんというひとが、いまの恵まれた環境を捨ててでも人間らしく生きたい、と願っているのがよくわかる手紙です。 わっしは、読んでいるうちに、人間のマジメな気持ち、というものの尊さに触れて涙ぐんでしまった。 >ガメさんのブログを読んで、自分自身が「日本」という国の一部で世界と相対して生きているのではなく、 「日本人」として世界の中に存在しているのだと考えるようになりました。 わっしの、日本語がよくわからんくなるととりあえず書けることのほうへ文章をもっていくという支離滅裂な文章を読んで何かを考えるようになる、というのはJさんの特殊能力だと思うが、 「日本」という国の一部で世界と相対して生きているのではなく、 「日本人」として世界の中に存在しているのだと考えるようになりました。 というところを読んでわっしは、すげえなあー、と感じました。 この世界のなんにんのひとが、たとえば 「合衆国」という国の一部で世界と相対して生きているのではなく、 「アメリカ人」として世界の中に存在している と考えられるだろう。 わっしなどは、そういう正しい認識に至るためには、まず、いまいる世界の外側みたいな場所を出て世界に戻るところからはじめなければなりません。 こーゆー箇所もあります。 >私はそんなに賢くもないし、性格も弱いけれど、幸せになりたいです。自分自身を幸せにしたいと思っています。 もちろん生きていくうえでは、苦しいこともたくさんあるでしょうが、それでも楽しく生きていきたいです。 わっしは、誰かから、この一言を聞きたくて日本語ブログを始めたのではなかろうか? 日本のひとの口から「自分自身を幸せにしたい」という言葉が聞けるなんて夢のようです。 まず全体から、と日本のひとは言う。 みなが幸せになって、それから自分のことを考える、と言う。 しかし、本人がまず幸せになってくれないと、周りも幸せになれるわけがないのは、ほぼ自明であって、それが自明でないとひとというのは根本的に人間性について想像力がない、というか傲慢なのではないかとわっしは思っています。 日本が大繁栄を謳歌して、聞かれもせんのに「どうやってわしらが世界一になったか教えてあげよう」とマジで世界で言ってまわって無茶苦茶みんなに嫌がられていた1980年代ですら、日本では「個人の幸せ」というようなものは存在しなかったように見えてしかたがないのです。 わっしは日本語の周辺知識として日本の歴史を学習しだしたころ不思議でならなかったのは、なぜそれほど金が余っていたのなら高速道路を無料化できなかったのだろう、当時売りに出ていた、、たとえばブラジルの研究所(世界一の体系的な植物標本をもっていた。日本では教官が退官するたびに標本を廃棄(!)してしまうので、世界一貧弱、と言ってもいい体系標本しかないのです)を買わなかったのだろう、なぜ、なぜ、なぜ….と、ずうーと見ていって、結局、考えるようになったのは、日本のひとはそもそも「自分が幸福である」というビジョンをもたないのではないか、と思ったのでした。 それが結局はすべての原因なのではないだろうか、と思った。 むこうのほうに霞がかかったゴールがあって、そのほんとうにあるんだかないんだかもようわからんゴールを目指して他人を押しのけたり蹴倒したりしながら、なんだか闇雲に走っていってるだけなんちゃうか。 穐吉敏子というわっしが尊敬している日本人が、ものすごく有名だった自分のジャズバンドを解散した理由を訊かれて「これからは、自分がほんとうにやりたいことだけにしぼって活動して、もっと自分に優しくしようと思った」とインタビューに答えているのを見た。そのときが「自分」という視点をもった日本人を初めて見た瞬間でした。日本人じゃないみたい、と思ったので、わっしはそれをよくおぼえています。 わっしは、あんまり学習しないほうなので、他人の言うことなんか全然聞かんが、このひとことはカンドーしたので、わっしも、そのときから余計なことはやめた。 余計なこと、というのは、たとえば、「生活の安定を考えて役人になる」というような考え方で職業を選ぶような愚かさや、「他人の目を考えて、このへんでローンを組んで家を買っておこう」というような軽薄というよりほかどうにも呼びがたい決断の仕方を絶対にしない、ということです。 それでは「自分」というものにワリイよな、と考えるようになった。 その結果、見事にぷーになってしまったが、わっしは別に後悔しとらん。 ぷーでいいじゃん。 Jさんは、わっしのようにケーハクな表層でなくて、もっとマジなところで、いままで自分がたってきた文化的なベクトルにひとりの人間として立って、世界と向かい合おうとしているのです。 くっそお、Jさん、カッチョイイな。 わっしもがんばるど。 (このあいだも言ったが、「なにを?」とか致命的なことを訊かないように)

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