Jさんからの手紙

ひさしぶりにネットお友達用のメール箱を開けてみたらJさんからのメールがはいってました。Jさんはむかしときどきコメントをつけてくれていたひとで、わっしがブログをばっくれてふけているあいだも一度メールをくれたことがあった。

いわば、わっしの古いお友達であります。

もう一年半くらいコメントもメールも見ないので、どっかいっちったなあー、あのひと、と思っておった。でもブログは読んでくれていて反発を感じたり共感したりしてくれていたそうです。

それだけでも、もう嬉しかった。

長いメールですが、わっしはもう5回くらい繰り返し読んだ。

あんまり詳しいことを書くわけにはいかないがJさんというひとが、いまの恵まれた環境を捨ててでも人間らしく生きたい、と願っているのがよくわかる手紙です。

わっしは、読んでいるうちに、人間のマジメな気持ち、というものの尊さに触れて涙ぐんでしまった。

>ガメさんのブログを読んで、自分自身が「日本」という国の一部で世界と相対して生きているのではなく、

「日本人」として世界の中に存在しているのだと考えるようになりました。

わっしの、日本語がよくわからんくなるととりあえず書けることのほうへ文章をもっていくという支離滅裂な文章を読んで何かを考えるようになる、というのはJさんの特殊能力だと思うが、

「日本」という国の一部で世界と相対して生きているのではなく、

「日本人」として世界の中に存在しているのだと考えるようになりました。

というところを読んでわっしは、すげえなあー、と感じました。

この世界のなんにんのひとが、たとえば

「合衆国」という国の一部で世界と相対して生きているのではなく、

「アメリカ人」として世界の中に存在している

と考えられるだろう。

わっしなどは、そういう正しい認識に至るためには、まず、いまいる世界の外側みたいな場所を出て世界に戻るところからはじめなければなりません。

こーゆー箇所もあります。

>私はそんなに賢くもないし、性格も弱いけれど、幸せになりたいです。自分自身を幸せにしたいと思っています。

もちろん生きていくうえでは、苦しいこともたくさんあるでしょうが、それでも楽しく生きていきたいです。

わっしは、誰かから、この一言を聞きたくて日本語ブログを始めたのではなかろうか?

日本のひとの口から「自分自身を幸せにしたい」という言葉が聞けるなんて夢のようです。

まず全体から、と日本のひとは言う。

みなが幸せになって、それから自分のことを考える、と言う。

しかし、本人がまず幸せになってくれないと、周りも幸せになれるわけがないのは、ほぼ自明であって、それが自明でないとひとというのは根本的に人間性について想像力がない、というか傲慢なのではないかとわっしは思っています。

日本が大繁栄を謳歌して、聞かれもせんのに「どうやってわしらが世界一になったか教えてあげよう」とマジで世界で言ってまわって無茶苦茶みんなに嫌がられていた1980年代ですら、日本では「個人の幸せ」というようなものは存在しなかったように見えてしかたがないのです。

わっしは日本語の周辺知識として日本の歴史を学習しだしたころ不思議でならなかったのは、なぜそれほど金が余っていたのなら高速道路を無料化できなかったのだろう、当時売りに出ていた、、たとえばブラジルの研究所(世界一の体系的な植物標本をもっていた。日本では教官が退官するたびに標本を廃棄(!)してしまうので、世界一貧弱、と言ってもいい体系標本しかないのです)を買わなかったのだろう、なぜ、なぜ、なぜ….と、ずうーと見ていって、結局、考えるようになったのは、日本のひとはそもそも「自分が幸福である」というビジョンをもたないのではないか、と思ったのでした。

それが結局はすべての原因なのではないだろうか、と思った。

むこうのほうに霞がかかったゴールがあって、そのほんとうにあるんだかないんだかもようわからんゴールを目指して他人を押しのけたり蹴倒したりしながら、なんだか闇雲に走っていってるだけなんちゃうか。

穐吉敏子というわっしが尊敬している日本人が、ものすごく有名だった自分のジャズバンドを解散した理由を訊かれて「これからは、自分がほんとうにやりたいことだけにしぼって活動して、もっと自分に優しくしようと思った」とインタビューに答えているのを見た。そのときが「自分」という視点をもった日本人を初めて見た瞬間でした。日本人じゃないみたい、と思ったので、わっしはそれをよくおぼえています。

わっしは、あんまり学習しないほうなので、他人の言うことなんか全然聞かんが、このひとことはカンドーしたので、わっしも、そのときから余計なことはやめた。

余計なこと、というのは、たとえば、「生活の安定を考えて役人になる」というような考え方で職業を選ぶような愚かさや、「他人の目を考えて、このへんでローンを組んで家を買っておこう」というような軽薄というよりほかどうにも呼びがたい決断の仕方を絶対にしない、ということです。

それでは「自分」というものにワリイよな、と考えるようになった。

その結果、見事にぷーになってしまったが、わっしは別に後悔しとらん。

ぷーでいいじゃん。

Jさんは、わっしのようにケーハクな表層でなくて、もっとマジなところで、いままで自分がたってきた文化的なベクトルにひとりの人間として立って、世界と向かい合おうとしているのです。

くっそお、Jさん、カッチョイイな。

わっしもがんばるど。

(このあいだも言ったが、「なにを?」とか致命的なことを訊かないように)

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