日本語サイト

日本のインターネットは無茶苦茶はやい。

そのうえ無茶苦茶安い。

データ制限がない。

わっしはオーストラリアの某市の評議会に大叔父と一緒に出席したことがあります。

大叔父は元ガクチョーなので、こーゆー席ではエラソーにザチョーである。

わっしの家でワインを飲み過ぎて椅子からこけて前歯を折ったひととはおもえません。

インターネットを「ブロードバンド化」するというので、奇妙な縁で出席することになった。出席したカンソーは「二度とこねー」でした。

だって、アホばっかしなんだもん。

だいたい「光ファイバー派」からして想定速度5メガとかで話しておって「それ以上のスピードなんか非現実的で必要ない」と言う。

いちばんアホなのは、わっし以外は全員一致でデータの関係のない「フラットレート」は加入者の平等という原則にもとるから反対だ、という点でした。

大叔父もこの点では従量制支持であって、フラットレートは「論外」という意見でした。

一日に何ギガっちゅうようなデータダウンロードをする大学生とメールしかみないような主婦ユーザとで同じ金額を払うような不平等は絶対許容できない、という。

みんな、この「使用量比例負担」の原則を公理のように思いなしているもののようである。

わっしは日本の例とかいろいろ並べてみましたが全然ダメであった。

その他にも学校用の計画をよく見てみると光ファイバと光ファイバのあいだに銅線がはさまっていたりして、「なんじゃ、これは」と思って計画をつくった元ニュージーランド人の鼻毛がはみだしたおばちゃんに訊いてみると、「そうするとかなりコストが削減できるんです」とゆわれてのけぞったりした。

マジメな顔で「全体の基幹をしめる光ファイバーの部分は銅線よりもかなり速いのでダイジョーブ」とかいいやんの。

おばちゃんジョーダンは鼻毛だけにせんかい。

こっちはさすがに是正されました。

おばちゃん、怒っとったがの。

わっしが日本にいるときにやっていることのなかで、思い出して、いちばんイメージとして楽しいのは、窓を開けていると鳥の声が聞こえる長野の森のなかの家で日本のびゅんびゅんデータが流れるインターネットを使って英語サイトを見る、っちゅう時間です。「日本のコンテンツがいちばん面白い!」

「日本人はもっと自信をもって自分たちのコンテンツを楽しまんかい!」というひとは日本人では大半を占めてます。

このブログのコメント欄にもよく書いてあるように、外国人たちも日本のアニメやなんかが大好きなひとはいっぱいいる。

でも、わっしは、人間が遅れておるので、観てみたけどやっぱりつまらん。

醤油があんまり好きでないのと同じで、体質的なものなんでしょーか。

登場する人間の顔からして眼が顔の総面積の一割を越えると拒否反応を起こすもののようである。アニメ以外でも、Youtube はまったく抵抗がないのにニコニコ動画は、もうニコニコ動画を紹介した画面のデザインを見ただけで「やだ」になってしまうのは、自分でもうまく判らない。日本のお友達から「これを見れば」「これ面白いよ」とゆって、いろいろなニコニコ動画のリンクを送ってもらっていますが、実を言うと会員登録すらしていないので、全然見てねえんす。(す、すまん)

わっしは、もう、あのコメントのフォントのデザインだけで、どひゃ、と思ってしまう。

見てもいなくて、ダメではないか。

そー、ダメなんです。

いつかニコニコ動画を観なくちゃ、観なくてはダメではないか、というのがストレスになっておる。

それなのに観る気になれないんだすな。

なぜか、わからん。

日本語のコンテンツでよく観ているものというと「価格.com」(^^)

別になにか買おうと思っているわけではなくて、第一海外発送してくれるところなんて殆どないので買おうにも買えないが、なあんとなく面白いので、よく見ます。

「クチコミ」欄とか、じいーと、眺めておる。

英語サイトの「商品評価」みたいな欄とは、ものすごく異なる意見の書き方で、とってもおもしろいっす。

日本は不景気だというが、相変わらず、商品もおもろいものがあって安い。

日本のひとの文句の言い方も面白いな。

商品について気にすることとしないことに他の国の人間とずいぶん違いがあるようです。

あとはブログがほとんどであって、日本語のブログを読むのはほぼ習慣化しています。

おもしろいものが多い、と思う。

「政治」とか「社会」について述べたもの、っちゅうようなのより、「自転車狂のひとの日記」とか「大盛り定食を探求するひと」ちゅうような肉体の感覚にもとづいたもののほうが面白いようである。

日本のひとは、たいへん観念的だが、実は具体性のあることのほうにすぐれた感覚をもっていることが判るようで面白い感じがします。

全般に日本語のサイトを見ているあいだじゅう、「覗き見」の感覚があるよーだ。

日本語のサイトは意図するしないに関わらず「日本人だけの仲間内意識」で成り立っているところが特徴的である、と思う。

わっしみたいな、へんなひとが来て見ているかもしれない、と思わないもののよーです。

だから、こっちからすると、なんちゅうか子供用蟻の巣キットのカーテンを開ける楽しみ、というか、そーゆー感じがして楽しい。

英語のサイトっちゅうのは、もっと「世界中が見ている」という意識がありますな。

「人類一家皆兄弟」という、ほんとうだったら、人類はみんな喧嘩ばっかりしていてうるそうてたまらんではないか、とわっしなどは思う標語が日本の町にはあちこちに立っていますが、英語人にも、世界中の人間はみんな英語で暮らしている、とふつーに妄想しているところがあるよーだ。

わっし自身は、やや面白い、と思っていることに、フランス語やスペイン語のサイトっちゅうのも、実は英語サイトと同じで、「世界中のひとに話しているんだかんね」という趣がある。スペイン語サイトなぞはたいへん面白い存在で、スペインのものは英語サイトとまったく同じ「世界に話している」という意識が強いのに中南米のものは内向きで「南米大陸に話している」という趣です。

スペインは欧州の他国と日常的に連結されているが、中南米諸国は隣の英語大国合衆国と被疎外的に接しているからだろーか、とか考える。

日本語サイトと英語サイトの中間的なスタンスです。

日本にいても英語サイトばかり見ているのは、「文化の優劣」というようなことではなくて、ときどき日本のうまい鮨を食べに行っても、ふだんはローストしたラムだとかマッシュドポテトとかそんなものに終始しいているのと同じことで、要するに身についた好みの差でしょう。たとえばカンザス州で育った合衆国人でも納豆が大好きでご飯に生卵をぶっかけて食べるのが好きなひともいそうだが、わっしは、どうも、そういう「日本人になりきってしまう」というタイプの異文化への馴染みかたが出来ないようです。

全然、ダメ。

食べ物で言うと、トータルでは結構長い間日本に接しているはずであるのに、身についたのは日本酒だけであった。それも「自然に感じる」という意味で「身についただけであって」飲むのは一年に4回か5回でしょう。

多分、日本語サイトをほとんど見ないのも、理由は同じかのい。

日本語との接点というと、相も変わらず「読書」とこのブログだけ、という状態は多分未来永劫変わらないもののようです。


D

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