Monthly Archives: July 2009

88mm_flakとドイツ中世物語の終わり

88mm_flakは連合王国人やニュージーランド人にとっては恐怖大魔王とあんまり変わらない存在であったのは日本のひともよく知っているはずである。 ロシア人たちにとっては丁度対戦初期のドイツ人にとってのKV1と同じような存在であったと思う。 ろくでもない兵器しか持たなかったロンメルのアフリカ軍団のなかにあって水平射撃が出来るように改造された88mm_flakは、ほとんどロンメルによってコントロールされた落雷のような効果をもっておった。 連合王国人はみなロンメルが文字通り支配した砂漠の戦場で「うにゃー、あんたは雷神か」とさぞかし愚痴ったことでしょう。 背が高いという地上兵器としては致命的な欠点があったが、ロンメルは歩兵指揮官時代からカムフラージュの天才であったので、この扱いにくい兵器をうまく秘匿した。 88mmによるアンブッシュに遭遇する、ということは連合軍の戦車兵にとって、そのまままっすぐ死を意味したのです。 地雷原のあいだに開いた細い戦車路をすすんでゆくと、ぜーんぜん見えない遙か彼方から高速の徹甲弾が飛んできて砲塔は吹っ飛ばすわ、車体は跡形もなくなるわで、連合軍のほうはなんだか人力を越えた神話的な懲罰に遭っているようだ、とその頃の記録には書いてあります。 敵にはなかなか当たらないで味方の歩兵に対して百発百中なので有名だった榴弾をえっこらせと後ろからぶっぱなすか、地上砲火による死亡率が高いので航空兵が死ぬほど嫌がったカーチスP40やハリケーンによる地上攻撃によって破壊するくらいしか方法がなかった。ひどい例になると一台の88mm_flakに40台余の戦車が瞬く間に破壊されて、ロンメルに日記で「いったいなんだってイギリス人たちはわざわざ一台ずつ壊されにやってくるのか、さっぱりわからん」とか書かれておる(^^;) まっ、わっしはドイツ人だったロンメルと違って理由を知っておるがな。 えっ?理由? そんなことはわかりきっておる。イギリス人とニュージーランド人だもの。 「マジメだから」です。   88mm_flakは兵器としてみると、ドイツ兵器のよいところがいっぱい詰まっておる。 まず第一に使用された弾頭が優秀である。 当時のドイツは冶金の研究や材料工学では世界一であった。 当のドイツ軍歩兵から「あれが戦車なら、うちのかーちゃんは重戦車だぜ」と悪口を言われた見るからに可愛いドイツのII号戦車の20mm機関砲でも日本軍の九七式中戦車「チハ」の57mm戦車砲よりも装甲貫通力が高かったのは、ドイツ人の「世界一の合金技術でつくった砲弾を高初速で打ち出して敵の装甲に叩きつける」という技術方針が有効であったせいです。日本はおろか合衆国ですらなかなか現実にはできなかったこの技術思想をクルップは1928年という段階で実用兵器化してしまいます。 無論、第二次世界大戦を通じてT34やチャーチルやM4シャーマンの砲塔をふっとばし続けた。 部品点数も意外なくらい少ないな。 多分、開発後、減らし続けてきたのでしょう。 扱いやすさと信頼性、という点でもドイツの兵器らしい。 ちょっと重すぎて戦場に放棄されることが多かったが、これはこのクラスの防御砲の宿命である。   ドイツ人たちが最も記憶に残しているのは多分ベルリン陥落のときの英雄的な戦いにおける88mmの活躍でしょう。 もうどんな狂信者にもドイツ帝国の崩壊が確実になった戦闘で、押し寄せるT34に対してドイツ人たちは街の角角に砲座を築いてすえた88mm_flakを最後の盾にしてロシア軍と対峙します。 どんなにヒトラーの帝国を憎むひとでも、このベルリンの戦いの最後を涙なしで読むのは難しい。 たとえばベルリンの中心街区におかれた88mm_flakは信じがたいような正確さと発射速度でT34の戦車群を何度も後退させますが、弾薬がつきて、やがて沈黙します。 ロシア歩兵たちが戦車のあいだから駆け抜けて殺到してみると、そこにはお互いの頭を拳銃で撃ち抜いた14歳くらいのふたりのお下げ髪の少女とやはり同年代のふたりの少年が倒れていたそうである。 この有名な挿話にもちゃんといつものごとくしたり顔の評者がいて、あるアメリカ人は、「14歳くらいの子供に88mm弾の装填もふくめて、そんな射撃が出来たわけはない」とゆっていますが、こーゆー人間は「人間の必死さ」というものをまったく理解できないヤナ野郎だというほか何も言っていないのだということを自分でわからないもののようである。   近代戦史上、もっとも強かったのはドイツ軍兵士だろう、とわっしは思っています。 ドイツ軍兵の強さは有名な歩兵の攻勢戦と並んで敗退するときの後退戦で最も顕著である。 潰走したはずであるのに、ほんの数キロ先ではもう再結集して何事もなかったかのように防衛陣を布いててぐすねひいて待っておる。 支援装甲部隊も機関銃以上の武器ももたない歩兵部隊が、ロシアの戦車群に遭遇するとたいして悲壮な気分にもおちいらずに地雷を改造した爆弾を抱いて匍匐して戦車の腹にもぐりこみ黙々と戦車を破壊してはまた匍匐して自軍に戻ってゆく。 ドイツ人の「負けているときの強さ」というのは戦史に未曾有のものである、と考えます。 多分それはドイツの職人文化をつくったのと同じ根っこの、ドイツ人たちの頑固さと部族文化的な「仲間意識」から来ている。 一方でドイツ人を見ていて、このひとたちって、ほんまにこれが好きやな、と思うのは 中世騎士物語的な悲劇の感情であって、どうもドイツのひとは、これに酔いだすととまらない。ヒットラーみたいにケーハクなポピュリストにころっと歴史的な規模でだまされちゃったのは、明らかにこの嗜癖によってます。 暗い夜と、裏切りと、絶望と、その真の闇にたかれた松明の炎に浮かび上がった英雄たちの血まみれの顔、っちゅうようなもんに痺れやすい体質であるよーだ。 みんなでジークフリートになってしまう。 … Continue reading

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88mm_flakとドイツ中世物語の終わり

88mm_flakは連合王国人やニュージーランド人にとっては恐怖大魔王とあんまり変わらない存在であったのは日本のひともよく知っているはずである。 ロシア人たちにとっては丁度対戦初期のドイツ人にとってのKV1と同じような存在であったと思う。 ろくでもない兵器しか持たなかったロンメルのアフリカ軍団のなかにあって水平射撃が出来るように改造された88mm_flakは、ほとんどロンメルによってコントロールされた落雷のような効果をもっておった。 連合王国人はみなロンメルが文字通り支配した砂漠の戦場で「うにゃー、あんたは雷神か」とさぞかし愚痴ったことでしょう。 背が高いという地上兵器としては致命的な欠点があったが、ロンメルは歩兵指揮官時代からカムフラージュの天才であったので、この扱いにくい兵器をうまく秘匿した。 88mmによるアンブッシュに遭遇する、ということは連合軍の戦車兵にとって、そのまままっすぐ死を意味したのです。 地雷原のあいだに開いた細い戦車路をすすんでゆくと、ぜーんぜん見えない遙か彼方から高速の徹甲弾が飛んできて砲塔は吹っ飛ばすわ、車体は跡形もなくなるわで、連合軍のほうはなんだか人力を越えた神話的な懲罰に遭っているようだ、とその頃の記録には書いてあります。 敵にはなかなか当たらないで味方の歩兵に対して百発百中なので有名だった榴弾をえっこらせと後ろからぶっぱなすか、地上放火による死亡率が高いので航空兵が死ぬほど嫌がったカーチスP40やハリケーンによる地上攻撃によって破壊するくらいしか方法がなかった。ひどい例になると一台の88mm_flakに40台余の戦車が瞬く間に破壊されて、ロンメルに日記で「いったいなんだってイギリス人たちはわざわざ一台ずつ壊されにやってくるのか、さっぱりわからん」とか書かれておる(^^;) まっ、わっしはドイツ人だったロンメルと違って理由を知っておるがな。 えっ?理由? そんなことはわかりきっておる。イギリス人とニュージーランド人だもの。 「マジメだから」です。 88mm_flakは兵器としてみると、ドイツ兵器のよいところがいっぱい詰まっておる。 まず第一に使用された弾頭が優秀である。 当時のドイツは冶金の研究や材料工学では世界一であった。 当のドイツ軍歩兵から「あれが戦車なら、うちのかーちゃんは重戦車だぜ」と悪口を言われた見るからに可愛いドイツのII号戦車の20mm機関砲でも日本軍の九七式中戦車「チハ」の57mm戦車砲よりも装甲貫通力が高かったのは、ドイツ人の「世界一の合金技術でつくった砲弾を高初速で打ち出して敵の装甲に叩きつける」という技術方針が有効であったせいです。日本はおろか合衆国ですらなかなか現実にはできなかったこの技術思想をクルップは1928年という段階で実用兵器化してしまいます。 無論、第二次世界大戦を通じてT34やチャーチルやM4シャーマンの砲塔をふっとばし続けた。 部品点数も意外なくらい少ないな。 多分、開発後、減らし続けてきたのでしょう。 扱いやすさと信頼性、という点でもドイツの兵器らしい。 ちょっと重すぎて戦場に放棄されることが多かったが、これはこのクラスの防御砲の宿命である。 ドイツ人たちが最も記憶に残しているのは多分ベルリン陥落のときの英雄的な戦いにおける88mmの活躍でしょう。 もうどんな狂信者にもドイツ帝国の崩壊が確実になった戦闘で、押し寄せるT34に対してドイツ人たちは街の角角に砲座を築いてすえた88mm_flakを最後の盾にしてロシア軍と対峙します。 どんなにヒトラーの帝国を憎むひとでも、このベルリンの戦いの最後を涙なしで読むのは難しい。 たとえばベルリンの中心街区におかれた88mm_flakは信じがたいような正確さと発射速度でT34の戦車群を何度も後退させますが、弾薬がつきて、やがて沈黙します。 ロシア歩兵たちが戦車のあいだから駆け抜けて殺到してみると、そこにはお互いの頭を拳銃で撃ち抜いた14歳くらいのふたりのお下げ髪の少女とやはり同年代のふたりの少年が倒れていたそうである。 この有名な挿話にもちゃんといつものごとくしたり顔の評者がいて、あるアメリカ人は、「14歳くらいの子供に88mm弾の装填もふくめて、そんな射撃が出来たわけはない」とゆっていますが、こーゆー人間は「人間の必死さ」というものをまったく理解できないヤナ野郎だというほか何も言っていないのだということを自分でわからないもののようである。 近代戦史上、もっとも強かったのはドイツ軍兵士だろう、とわっしは思っています。 ドイツ軍兵の強さは敗退するときの後退戦で最も顕著である。 潰走したはずであるのに、ほんの数キロ先ではもう再結集して何事もなかったかのように防衛陣を布いててぐすねひいて待っておる。 支援装甲部隊も機関銃以上の武器ももたない歩兵部隊が、ロシアの戦車群に遭遇するとたいして悲壮な気分にもおちいらずに地雷を改造した爆弾を抱いて匍匐して戦車の腹にもぐりこみ黙々と戦車を破壊してはまた匍匐して自軍に戻ってゆく。 ドイツ人の「負けているときの強さ」というのは戦史に未曾有のものである、と考えます。 多分それはドイツの職人文化をつくったのと同じ根っこの、ドイツ人たちの頑固さと部族文化的な「仲間意識」から来ている。 一方でドイツ人を見ていて、このひとたちって、ほんまにこれが好きやな、と思うのは 中世騎士物語的な悲劇の感情であって、どうもドイツのひとは、これに酔いだすととまらない。ヒットラーみたいにケーハクなポピュリストにころっと歴史的な規模でだまされちゃったのは、明らかにこの嗜癖によってます。 暗い夜と、裏切りと、絶望と、その真の闇にたかれた松明の炎に浮かび上がった英雄たちの血まみれの顔、っちゅうようなもんに痺れやすい体質であるよーだ。 みんなでジークフリートになってしまう。 戦争をやっているあいだじゅう、それが「ニーベルングの歌」であるかのように錯覚していたようなところがあります。 頭のなかではずっとワグナーが鳴っていたのと違うか、と思う。 88mm_flakというドイツ文明が生み出した剣を最後に握りしめて死んだのが金髪を三つ編みのお下げ髪にした少女であるところも、なんだかいたたまれないくらい「ゲルマン的」である、と考えました。

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日本の近現代文学

「日本文学」という学問は、数ある学問のなかでも名だたる「不人気」学科です。 いまでもところどころ残っているのが不思議である。 もともと「日本学者」を輩出したのでユーメイな大学でも、(調べてはいないが)多分、学生が「ひとり」とかではないでしょうか。 もともと日本学の関係はビンボーで有名であって、日本がバブルで浮かれている頃でも、たびたびの寄付の要請にもかかわらず日本の会社は一円も出してくれへん、というので有名であった。ハーバードの名だたる日本学者たちは、雨漏りする全学一ボロイ研究室で研究しておった。こういうところにも、最近ではもう常識になった日本のひとの「日本人を理解しようとする外国人に極端に冷たいという訳がわからん文化」があらわれておる、とわっしには思えます。 いまのように「日本のことなんか知らん」という西洋人の態度は、日本人が「おまえなんかに判ってほしくない。ほうっといてくれ」と言い続けた結果である。 ほうっといてくれ、というから、ほうってある。 いまでは、まるで捕鯨以外はやっていない国のごとくである。 自分の国のファンをつくるためならむかしからなんでもやった中国人とは好対照をなしているところが面白い、と思います。 エズラ・ボーゲルが1979年に書いた「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というやけくそみたいな名前のベストセラーはだから、通常は専門対象国が養ってくれることになっているのに当該国が知らん顔をしている悲しい境遇の日本学者が生き延びるに足るだけの収入をつくるための必殺小遣い稼ぎだったのかも知れません。 マジメな研究には一円も出してくれない日本人も、自分たちをヨイショしてくれる「箔付きガイジン」には徹底的に弱いので、翻訳されたテキストをいっぱい買った。 調べたことがないからわからないが、きっと、無茶苦茶売れたのではないかと思います。 日本文学が冴えないのはしかし、外国だけでなくて日本でもそうなので、仕方がねーじゃん、という趣もある。 日本のひとは、この頃はあんまり「ショーセツ」というようなものは読まないもののようである。 「文学」のほうは売れていたときにえばりすぎて信望を失った、ということなのかもしれません。 「室内」という雑誌を主宰していた山本夏彦、というシブイ編集者は、自分でもいっぱい雑文を書きましたが、書いている人間がまともならば、その人間の書いたものを読む読者はまずざっと見て300人を越えないだろう、と言っています。 では芥川賞を取った大江健三郎の物語は、どうして「純文学」なのにベストセラーになりえたのか、というと、むかしは「読まなくてはならない本」という考え方があったからだそうである。 きみは柴田翔の「されど われらが日々――」を読んだ? えっ、読んでない?ダメじゃないか、きみは、いまの時代の学生なのにあれを読まないなんて、ふざけているとは思わんのか、とゆーよーな調子であった。 政治に関しても文学に関しても、「読んでいなければいけない本」というものがやたらあったようで、この頃の大学生がさぞかし疲れるものであったであろうことは、たとえば 関川夏央の本を読むとよくわかります。 だから、本来「シンコクな本なんかつまんねえ」というひとも読んだ、あるいは読んだよーな顔をした。 ちょっと信じがたいことですが1960年代の長者番付には三島由紀夫が載っている国だったのです。純文学界の宇多田ヒカルだの。 英語は本人が主張しているのと違ってテトリスマスター・ヒカルの10分の1も出来なかったのはいまの孫正義と同じだが。 わっしは、どう思っているかというと、北村透谷に始まって三島由紀夫くらいまで続く日本の「純文学」文化は、素晴らしい、と思う。 多分たいていの日本のひとよりも評価が高い、と思います。 むかしむかしここにやってきていたbeachmolluscという生物の研究者のおっちゃんが「日本の文学みたいなもんは真剣にくだらん」とゆっておったので、おっっちゃんがバカにしてやまない日本のぐじぐじぐだぐだした文学を大好きなわっしは、とてもとても傷ついたが、それはやっぱりbeachmollusc 先生のほうが、間違っておる。 いまおもいつくままに挙げていっても、 北村透谷 二葉亭四迷 幸田露伴 森鴎外 夏目漱石 永井荷風 川端康成 内田百輭 三島由紀夫 埴谷雄高 大岡昇平 というようなひとたちが書き残した散文は単に「日本語を読む人が少ない」という理由で知られていないだけであって、このひとたちの母国語が英語かフランス語であったら、 … Continue reading

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ヤマトナデシコの逆襲(その2)

あー、あぢかった。 モニはどういう身体の構造になっているのか涼しい顔をして汗ひとつかかないで歩いてますが、わしは思いっきり真っ赤でカッコワルイことこのうえなし。 銀座の料亭主も「ガメちゃん、暑いの弱いよねえ。お医者さん行ってくれば」という。 昨日は長野の山の家にいたので油断しておった。 東京はいつからシンガポールになったのでしょう。 あっちいー。 題意に戻る。 オーストラリアのゴールドコーストには有名な日本の女のひとが住んでいます。 オパールのお土産店で成功した。 日本でも紹介されるひとなのだそうなので知っているひともいるでしょう。 ダンナの出張についていって、あまりの環境の変化についてゆけずにアル中になってしもうた。 これでは自分はダメになる、と一大決心をして40代で実業家を志した。 オパールで財をなしていまはオーストラリアの男共を鉱山でも店でもアゴで使ってます。 日本の女のひとが通常「家」の中だけで夫と子供のためにだけ発揮する能力は、実はそのまま実業世界で成功する能力と同じもののようである、とわっしは観察していて思います。アカデミズムの世界でも、日本の女のひとは西洋アカデミズムの男尊女卑社会においてすら、あっというまに教授にまで駆け上がる。 どうもキーワードは「効率」であるようで、日本の女のひとはものごとの手順を「効率化」することにかけては文化的に天才なのであるようです。 「要約」や「手順の簡素化」ということになると真に天才的な才能をあらわす。 ヤマトナデシコという言葉がわしはあんまり好きでない。 ナデシコ、がいかん。 日本の女のひとの潜在的なスケールの大きさを理解しておらぬのだな。 反日ガイジンのわしとしては、日本は結局おんなからしか変わらねーよ、と思います。 日本の外で見る限り、男は女に較べるとだいぶんバカである。 家事もやれないナマケモノだしな。 話題も乏しければ聞き下手である。 どーしよーもねっす。 わっしには確信があるのす。 いままでダッチワイフ並の扱いであったヤマトナデシコはきっと逆襲するであろう。 自分たちをセクシュアリーアベーラブルであるという観点からしか見なかったガイジンバカオトコにもニホンバカオトコにも、その逆襲は速やかにすすんで、世界を震撼させるであろう、と思います。 日本オトコどもには判らぬ、日本文化と秘匿的に並列する日本オンナ文化をチューンにして世界支配に乗り出すに違いない。 2025年の日本は「ゴジラ対メカゴジラ」が予言したごとく水野久美のような美人おばちゃんが支配しているだろうと思うのです。 その頃には一妻多夫がなっておるな、きっと。 なんという血湧き肉躍る未来ビジョンでしょう。 かっこいい。

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ヤマトナデシコの逆襲 (その1)

「きゃあーーーー!いやあーーーん!」とカイタック空港にあがる時ならぬ声。 いっせいに振り返った中国人の学生たちがハッとして振り返ります。 「目引き袖引き」と日本語では言うな。 次の瞬間、周りの中国人の男どもが始めたのはそれであって一瞬カイタック空港は雰囲気からしてスーパーモダンストリップ劇場の様相を呈した…..のだそーである。 ほんとかどうかしらん。 セルビアで両眼から血を流しておる聖マリア像を見た、とかぬかしたデブPの話だからな。第一、あいつが韓国に赤犬のスープを食べに行ったのはおぼえておるが、香港に行ったことなんてあったっけ? でも、そーゆーことがあるんでっか?と訊いてみると、日本人のお友達はみな「あるある。日本ではユーメイです」とゆわれた。 どーゆーことかというと、現実の合コンでぼられたので錯乱して遂にAV(この言葉を初めて見たとき「アダルトビデオ」の意味であることがわかるのに、わしはたいへん時間を要した。オーディオ・ビジュアルがいつから観ているだけでビョーキが「感染るんです」な映画のことになったのであるか。 だってさ、日本のコンピュータの歴史っちゅう本には、FM77AVとかっちゅうのがあったりして、じゃあ、あれは、FM77アダルトビデオだったのだろうか。わからん) の世界と現実の区別がつかなくなったと思われるwin○walkerさんのような中国人がたくさんいて、日夜、日本製AVを観ておる。 だもんで、日本人の女の子の甲高い「いやあーーーーん!」が聞こえると、自動的に頬がぽっと赤くなる、のだそうです。 ほんまかいな。 たとえばカシノのクラブとかで中国人のお金持ちと話していると、よく「今度、新しい日本人の女の子の愛人が出来たんだよ。留学生でね。典型的日本人。よく気が付いて、おとなしくて、それがベッドのなかでは全然態度が変わるんだよ。最高ですよ。綺麗なことだし、前のロシア人より全然いい。……ガメさん、今度、見に来ませんか?」ちゅうようなオトロシイことをいうひとがいる。 まるで買った新車を自慢するような調子です。 わっしは、タイランドや日本の女のひとに生まれなくてよかった、と思うことがあります。このふたつの国に生まれるというと、世界中のバカ男が「あっ、日本人?じゃ、セクシュアリーアベーラブルだな」と考えて涎を流してグフグフ言いながら寄ってくるもののよーである。マンハッタンのような普通そんな態度をとったら次の瞬間ぐしゃっと音がして生殖機能を司る垂下人体部分がハイヒールの踵で粉砕される街ですら、わっしは、そういうバカを目撃したことがある。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080129/p1 自分が日本人の女の子だったら、と想像するだけでうんざりである。 わっしは日本人の女の子とつきあったことがないので、現実の日本人の女の子がガールフレンドとして、どーゆー感じなのかよくわからん。 話に聞くと、一緒に歩いていて汗をかくとハンドバッグから、さっとハンカチを出して渡してくれたりするそうである。 モニもとってもやさしいひとであって、わっしがユデダコみたいな顔になって東京の街を歩いていると「ダイジョーブか?」と訊いたりしますが、ハンカチを出したりはせんな。 英語国民の女の子たちに至っては、これも神経が細やかなひとが多いアフリカン・アメリカンの女の子たちを除いては、人の顔を見て、「ヘンな奴だなあ。そんなに暑いのか? 頭から水ぶっかけちゃえば?」とゆってハッハッハと笑うであろう。 フランスも合衆国も男女同権社会とは到底いいがたい。 日本のひとが「男女同権の国」だと思っているらしき合衆国などは、そのうち女のひとたちが内乱を起こすんちゃうか、と思うくらい女性差別がひどい、と思う。ニュージーランドや連合王国のように「わたしを女だから、ちゅう態度で扱ったらシバキ倒しちゃるぞ。わかっとるか?」という国とは根本的に社会が違うのです。 日本もひどい、と思う。社会からの巨大で陰湿な圧力がすべての若い女の子を「性的対象牧場」「生殖牧場」に囲い込もうとしているかのように見える。 大臣が女のひとを「子供産む機械」とみなしたり「子供を産む年齢をすぎたババアは不要な人間だ」と公言する都知事がいまだに知事のままであったり、ちょっとSF的、っちゅうか、ほんとにそんな国あんの?と聞き返したくなるような国です。 就職差別も無茶なくらいひどいよーだ。 それで「労働人口が足りない」っちゆわれても、なんのこっちゃ、と考えます。 ひょっとすると、日本では女のひとは「人口」に含まれないのでしょうか。 前にこのブログでフロレンスのかっちょいい日本人の女の子のことを書いたことがあったが、イタリア人にはイタリア語で英語人には英語で日本人には日本語でテキパキパキテキと素早くしかも的確な言葉の選択で話しかけながら仕事をこなしているそのアイスクリーム屋さんの売り子の日本人の女の子は、「すげー」かっちょよさであった。 賢いのだよな。 しかも毅然とした感じであって、わしはアイスクリームがおいしそうであったせいの涎を急いでぬぐってパチパチパチと拍手をしたくなるほどでした。 メキシコのホテルのレセプションをしていた日本人の女の子もかっこえがった。 一ヶ月の予定でスペイン語の勉強をしにきたら、気候が向いているもんだから、そのまま5年もいちゃって….はははは、と笑っておる。 なんだか、近所に買い物に来たみたいな気楽さでメキシコにいてしまったようであって、 そのリラックスした自然な感じが、この女のひとの「強さ」を雄弁に表現している感じでした。 日本の外で会う日本人の女の子たちのオオザッパな印象は「活き活きして」いて「カッチョイイ」ことです。元高級官僚の卵、元学生、元主婦、いろんなひとがいるのはあたりまえだが、一様な印象がある。 「水を得た魚」という。 その通りの感じがします。 ありっ? … Continue reading

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人情嫌い

けんぞうさん、という半年に一回くらいコメントをしにくる周期が短い彗星のようなひとがいます。けんぞう彗星、だのい。けんぞうさん、木星に衝突して自爆したりしないよーに。あのちっこい穴ぼこが地球よりも大きいのだから木星は神話でも威張っているわけである。 この「けんぞう」さんが、このあいだやってきたときは、わっしを「サイボーグ」だとゆっておった。わっしは、「なんでばれたんだべ」と思ってパニクリました。 びっくりしたので換え忘れていたマイクロチップが一個とんでしもうた。 太陽系の支店に在庫がないと本店は4.2光年くらい先なので木曜日までこないので焦りました。 ういいいいいーん、と唸って考えて初めてこれは「比喩」という修辞法であって、ケンタウルスからジョン・タイター http://en.wikipedia.org/wiki/John_Titor の予言を無効化するために800年前にケンタウルスから地球に送り込まれたサイボーグだというわっしの正体がばれたわけではないことを悟った。 よかった。 一時は、本国に送り返されて南京玉すだれ教習を受けさせられるかと思いました。 ….ジョーダンです。 日本語文章の巧みさだけでも、わっしの能力があまりに人間離れしているせいで、すっかり信じてしまったひともいると思うが、わっしは、驚くべし、ほんとうはサイボーグではない。 ウソのようだが、ほんとうだ。 わっしは、ほんとうの真実は人間でサンセイの反対©赤塚不二夫なのだ。 第一、昨日のコンビニエンスストアでの買い物みたいに168円と243円の買い物をして、ぴったり421円を出すサイボーグがいるかよ。 ねーちゃんに明るい声で「ジューエン、お返ししますねー」とゆわれて頬がぽっと赤くなるサイボーグなんておらん。 でもサイボーグのほうが人間よりもかっこいいよな。 感情がない、というところが良い。 ロボットなら、もっとよかった、とよく考えます。 空き缶でつくったできそこないみたいな「鉄テツ、カッチン」したやつじゃなくて、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」みたいなやつね。 人情、というようなものが嫌いだからです。 あるいは人情という日本語についている手垢のようなもの、とゆったほうがよいだろーか。 「日本語を習得するなら、これがいいですよ」とゆって「フーテンの寅さん」のDVDをくれたひとがあった。 「この映画を観れば日本人についても、よくわかります」 フーテンの寅さんが好きな日本人の友達にいうと、すごく怒るが、あんなつまらん映画は初めてであった。 わっしは小津安二郎が熱狂的に好きなので、笠智衆が、こんなショーモナイ映画に出てるなんて情けない、と思いました。 「お荷物小荷物」で日本刀をぶんまわしたとゆわれている志村喬とは同じ神技の俳優といえどエライ違いです。 もうすぐお盆なので渥美清が実家に帰ってきたついでにわっしの広尾山のアパートに怒りにくると困るので内容に立ち入ってまでは書かないが、あれが「人情」なら、人情なんていらんわい、と考えました。 人間の情、なんちゃって気持ち悪い、というのは、わっしの世代の人間の、割とふつーの気持ちだと思う。世界共通なのではなかろうか。 いらねーな、そんなもん、と言うのが平均的な反応だと思います。 人情なんていらんから、わしに迷惑かけんでくれ。 なれなれしくすんじゃねーぞ。 玄関を開けてやったからとゆって土足で居間にあがってよいとは誰もいっておらん。 えっ、おまえの家でも靴を脱ぐのかって? 最近は西洋世界でも靴を脱ぐほうがふつーだが、ウチはちゃいます。 もののたとえでんがな。 考えてみると「親身に」なられるのも嫌、やさしい言葉も気持ち悪い、他人が自分に対してとってほしい態度は「ほっといてくれること」であって、わしらはまことに砂漠の民である。本物の砂漠の民と違うところはオアシスもいらないと思い詰めているところだろーか。 モニはわっしの「ソウル・メイト」だが、この連帯感は死体と化した文明を一緒に観察しているところから来ているのかもしれません。 壊れて瀕死になった世界を窓からじっと眺めている。 わしらはいつもわしらだけの世界に閉じこもっていて、ときどき世界の壊れ方を調べにドアを開けて外に出る。 言語は本来は伝達の道具ですが、モニとわっしには、まるで自分たちの世界に対するとどめようもなく冷ややかになってゆく気持ちをなんとかして暖めるために使おうとしているようなところがあります。 … Continue reading

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岡崎京子

「存在に対する不安」から女の子の性器がこすれて痛くなるまでやりまくるバカ暴力男や喉に指を突っ込んで嘔吐しながらイタリア料理を食べまくる高校生モデル、なぐられ、蹴られ、いじめぬかれることの優越に残虐な愉悦をおぼえるゲイ高校生。 好きになって欲しい一心で性の奴隷になってやったボーイフレンドが手引きした男たちに輪姦される女の子。 この女の子は、オレら悪い病気持ってないから大丈夫だよー、と明るい声で去ってゆく強姦者たちが去ったあとで、 「人のちんちんて 色んなカタチが あるもんだにゃあ」 「アレの味も ちがうんだにゃあ」 「空知君と もう顔を忘れた やつのしか知らないから『そーか』って感じ」 とつぶやく。 悲惨、という現実事象の実際どおり乾ききった姿をそのまま放り出したような表現が特徴である。 岡崎京子が描く「若者」たちは気味が悪くなるくらいリアルであって、少なくともこの舞台が連合王国であれば、きっとこの作家は高校生たちにインタビューして実際の逸話を絵にしたに違いない、と思うでしょう。 生命のエネルギーに身体全体をわしづかみにされて破滅に向かって叩きつけられるようなところが誰の「青春」にもあるからです。 外から見えない、(たいていは地下の)ロンドンのレストランで開かれる高校生たちのパーティに出かけてゆくと、階段を下りたところで、もうマリファナの甘い匂いがぷうーんとする。 やあ来たね、と言う同級生の手のひらにお金を握らせて、わっしはパーティのなかにわけいってゆく。 (マジメなひとは、ここから先は読まないように) ドアを開けてはいるとクラブでは結構有名なバンドが壁が歪みそうな音で演奏しておる。 相変わらずPAの調整がちゃんとしてないので、わっしは顔を顰めます。 音があってねえじゃん。 カウチでは顔見知りの女の子がすっかり「石化」しているのでしょう。 男の子ふたりを相手に性交しておる。 他のガキどもも、踊りくるいながら服を脱いでいるのもいれば、うるんだ目で男の子の手をひいて人目のないトイレに連れ込む女の子がいる。 前を開けた男の子の前に跪いている女の子もいます。 みな裕福な家のガキ共である。 わっしは他人がはめを外すのはなんとも思わないが、嫌な奴なので自分でくわわろうとは思わん。 実はマジメ同級生のKに「妹があれらのパーティに行っているのかも知れんのだ。。きみ、行ってみてくれないか。ぼくにはとてもじゃないが行く勇気がないんだ。 ぼくが行っても入れてもらえないかも知れないしね」とゆわれて来た。 カウチがうまい具合にひとつあいていたので、そこに腰掛けて辺りを見渡します。 どうもKの妹はいないようだ。 小部屋やトイレを名をよばわって歩かねばならないだろうが、まずはひと安心である。 カウチの肘掛けの脇の床からわっしの名前を誰かが呼んでいるので、そちらを見るとわっしの父親の親友Dの息子で一級上のFが裸で仰向けになっていて、不思議なかっこうの、つぶれたような四つん這いになったやはり裸の見知らぬ女の子とつがっておる。 「きみ、ちょっと申し訳ないのだがね」と言います。 まだ18歳でも、そういう口の利き方をするのは、そうやって教育されているからである。 「このレディの尻の穴に親指をつっこんであげてもらえないだろうか。 この方は、そうされるのがことのほか好きなのでね。お願いできると助かるのだが」 わしは生憎親指の爪を切り忘れているので、この方(かた)がやわらかい部分に怪我をする可能性を考えると、そういうわけにはゆかないようです、と答えます。 「そうかね。それは残念」と答えたあとは、もうFは、わしに対する関心を失ったようでした。 少し「パーティ」の様子を観察して、どのカップルもやっていることは同じの小部屋とトイレをひと渡り探してから、入り口の同級生にもう一度挨拶すると、わっしは歩いて家に帰った。 自分には、ほんとうに人間の世界を渉ってゆく勇気があるだろうか、と考えたのをおぼえています。 岡崎京子を読んでいると、あの、魔物にすっかり食いつくされてしまうような「高校時代」というものを思い出します。 一般的にはマリファナとブージングとボーイレイシング。 わっしの学校でゆえば「パーティ」とライブリでのキチガイ沙汰でしょうか。 岡崎京子が描いた乾燥してひりひりするような身も蓋もないガキどもの絶望は、世界中の高校生たちが共有しているものです。 … Continue reading

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無力の王

「われわれは物理現象にしか過ぎないのに」と若い釈迦は悩んでいます。 「なぜ意識をもってしまったのだろう」 血を吸おうと手の甲にこっそり飛んできて硬い針をつきたてる蚊には意識がない。 だからどんなに邪慳に追い払われても、無慈悲にたたきつぶされても、悲惨を感じなくてもすむ。 しかし自分はこんなにも卑小で惨めな存在であるという点で変わらないのに、その卑小さを否が応でも認識してしまうのはなぜなのか。 この宇宙を支配する法則の巨大な不公平さが釈迦をすっかり打ちのめしてしまった。 ゴータマ・シッダルタの一生は「無力なひと」の栄光に包まれている。 ニーチェやヘーゲルなら、ゴータマの哲学上の主張を苦もなく退けたでしょう。 彼等の哲学には「論理の鋼」がとおっている。 それに較べればゴータマの思弁など少女小説のようにあまっちょろいものです。 でも世界中の哲学者がありとあらゆる思惟のあとで帰ってくるのは、やはり若いゴータマのため息に限りなく近い、哲学と呼びうるかどうかも判らない「もの思い」である。 仏教ほどヘンな宗教はこの世界に存在しないでしょう。 この宗教には宗教が宗教として成り立つためのふたつの必要条件である「救済のビジョン」と「他者への激しい憎悪」とがふたつともに欠けているのです。 だから仏教は生まれ故郷の北インドではほぼ消滅した。 いまの世界でも、もっとも力のない宗教のひとつです。 しかし、わっしは仏教は素晴らしい、と思う。 「あれは宗教ではなくて哲学である」と多少でも宗教や哲学に理解力があるひとは言いますが、それは間違っておる。 釈迦はいつも「強いものが勝つ」「人間の道、なんて強者のおためごかしである」というような立場の対極に立っている。 人間が「生命」というものの悲惨を認識して、しかもそれに対して何もなしえない存在であることを発見して、ただ絶望しただけのひとであった。 しかし、西洋人であるわっしから見ると、それこそが若い釈迦族のリーダーの栄光だったのだと考えます。 絶望が教義の宗教をつくることによって、ゴータマは「人間の栄光」というものが、どういう形をしているかを後世の人間に教えた。 前にも書いた覚えがありますが、釈迦が死んだとき森林という森林から動物たちが現れて「釈迦のために泣いた」という。 この頃ではこの「子供向けにつくられた仏教物語に過ぎない」とされているこの物語が、ほんとうは実際に起こったことなのではないか、とすら、わっしは思います。 絶望を教義とした教祖は、勢力を伸ばすべき宗教家としては失敗でしたが、しかし 「無力の王」として、いまでも人間の思想の天上に輝かしく君臨している。 その底知れぬ海淵のように切り立って深い絶望のなかにだけ人間の希望が微かに残っている、と考えるのは、きっとわしだけではないような気がします。

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福留聖司さんのコメント

(以下は、あんまりどひゃな長さになってしまったので、記事欄に載っけてしまうことにした「福留聖司」さんへの返信です。ふつーの記事を期待して読むと頭がバクハツするので、読まない方が健康によいかもしれません….ちゅうか、読んじゃいやん) 福留さん、 コメントがやっと届きました。 よかった。 どうやら福留さんがほんとうに話したいことであるらしい話題から先に答えてしまいましょう。 >日本と中国の歴史問題に関して、日本が中国側の主張をすべて認め、すべての事件について公式謝罪を行い、巨額の賠償を行えば 子供が見ても、中国政府は、日本がそんなことを認められるわけがない、と知っているから主張しているので、日本のひとがよく福留さんのようなことを言うのをわしもよく聞きますが、そういう中国のわかりきった意図をなぜいまさら日本のひとが第三の国の人間に説明したいと思うのか、ちょっとわかりにくい。 ご存知でしょうが、少なくとも英語の「日本と中国の問題」を扱った本にはすべて書いてあるごとく中国政府にとっては対日関係は「国内政治問題」なのです。 日本にいわば「裏切られ」て完全に面子と党内の権威を失った胡耀邦を失脚させた事件に淵源があるのであって、胡耀邦の失脚以後、日本の問題について少しでも宥和的な態度をとることは中国の指導者にとっては致命的になる確率が極めて高い。 そういう図式をつくってしまったのは中曽根首相であったのはご存じであると思います。 悪意、によってではなく、中国という国の文化を誤解していたからでしょう。 こんな誰でも知っていることを書き連ねるのは読まされる方も迷惑でしょうが、それ以来、中国の指導者には「反日」スタンス以外政治的立場をとりようがない。 誰がどう考えても他のスタンスを取るという選択肢は存在しない。 わっしもときどき「自分が中国の指導者だったら、どんな方法があるだろうか」と考えてみますが、わしでもルーティンで反日姿勢を見せないと失脚するよな、と考えます。 江沢民があれほど強硬だったのも、あやうく胡耀邦が陥った罠におちかけたのを悟ったからでした。 この指導者たちを懼れさせる力の源泉は軍部なわけで、そういう構図を全部書くのはいかになんでも当事者である日本のひとが知らないわけはないので、失礼だからやめておきますが、そういう絵柄を考えると、 >日中の歴史問題は既に政治の道具となっているので、上記の日本政府の行動は歴史問題の終結に何の意味もないと思っています。 と日本の側から口に出して言うことには、日本にとっては不利益でしかありえない、とわしは思います。それを聞いておおいに肯くのはいまはまだ支配権からは遠い「日本に復讐する以外中華の栄光をとりもどす道はない」と確信している「一部の」中国軍幹部だけでしょう。 ちょっとゴルバチョフが返還しようにも返還のやりようがなくなるようになった頃の北方領土問題ともちょっと似ています。 >国際社会というものは、すべて力の論理で動いており、人権とか人道というものは大国が用いる建前ではないかという疑念を自分は前から持っています。 日本のひとの「本音」はそういう意見が多いんですね。 わっしは、全然、意見が違います。このブログ記事のコメント欄にも何度も書きましたが、まったく逆で「人権とか人道というもの」以外を信奉する国は結局は歴史のなかで滅びてしまった。 「強いものが勝つ」というのはいつも弱いものが見る夢なのです。 しかも悪い夢、です。 人間というのは、日本のひとはなかなか信じてくれませんが、「自分がいちばん大切」なのでしょう。「人権や人道というもの」は結局、人間が自分でつくってしまった「国家という化け物」から自分を守るためにあります。 福留さんは上原良司 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E8%89%AF%E5%8F%B8 のようなひとの書き残したものを読んで、どう思われましたか、 あるいは、福留さんは歴史が好きなようなので歴史上の事件をひくと、 「補給」という概念をもたなかった「素人将軍」ナポレオンが連戦連勝した理由をご存じでしょう。 他の国では兵士が逃げ散ってしまうので絶対にとれない隊形であった「散兵突撃」ということが出来たからであるのはご存じと思います。 なぜフランス人だけが「散兵突撃」を出来たかというと「人権や人道」というロシア兵や英国兵には価値が理解できなかったもののために戦っていたからでした。 >実際に絶滅したタスマニア・アボリジニーの悲劇はあまり知られていません。 どうしてそう思われるのかわかりませんが、現にいまこうやってご返信を書いている、あんまりそういうことに興味があるほうだとは言えないわっしの机の上には「初めのオーストラリア人」という白人植民者のアボリジニ虐殺を詳細に描いたベストセラーのビデオDVDが載っています。これはオーストラリアのフィルムですが、買ったのはカリフォルニアのスタンフォード、という小さな町の家電屋でした。他の少数民族弾圧にしても同様で、アルメニア人にしろ、クルド人にしろ、アフリカの数々の事例にしろ、わっしは興味深いことに福留さんとは丁度逆で、日本のひとのほうがそういう事柄に対して興味をもっておらず、しかも日本では書籍やビデオやドキュメンタリ映画の放映(わしは岩波ホール以外でそういうドキュメンタリ映画の放映を観たことがない)も圧倒的に少ない、と思っています。たとえばヤマダ電機やTSUTAYAではアボリジニや回族の悲劇についてのビデオを見かけませんが、英語世界では普通にあります。 だからちょっと同意できません。 >貴殿はネット上での日本人の意見と、現実社会での日本人の意見を混同しているように感じました。 以前から、善意の忠告としてネット上でそう言ってこられるかたが多いんです。 でも、わっしは混同していると思いません。 違う言い方をすると、ネット上での政治的発言は「特殊なバカ」がしている、と日本のひとはよく言いますが、大正時代の新聞を読むと、「鬼畜米英」というような考えをもつひとや「支邦膺懲」というようなことを言いたがるひとがいかに「特殊なバカ」と見なされていたか良くわかります。 わっしは日本のひとには悪癖があって自分の社会にあると認めると恥ずかしいものは「ない」ことにしてしまう癖があると思います。80年代の「暴力団」や大正末期の「元気があっていいじゃないか」くらいですまされていた青年将校たちも、みなそうでした。 … Continue reading

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表札

初めて日本の住宅地にやってきた英語国民がぶっくらこくもののひとつに「表札」がある。わっしなどは子供の時から大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)の峠を渡るトロイガキだったので、まさか表札がその家に住んでいる人たちのファミリーネームだとは思いが至らなんだ。 だって、まさか「わしの家はここだよお」とわざわざ自分で白状するようなひとがいると思わねーじゃん。 危ないでしょう。 セキュリティ、というものをきみは知らんのか。 「西洋人はみな掲示板の発言やブログを実名で書くのに日本は匿名文化である」っちゅうようなことを海外在住10年の「インターネット専門家」のひとがよく書いていて、「だから日本はあかんのだ」と書いていますが、そーゆー記事を見ると、このひとはありきたりの付き合いをするお友達しかいないかなあー、と疑う。 あの、あれはですね、「公人としての存在」だからなんです。なんちゅうかなあ、うまくゆえないが、雑誌の企画広告記事みたいなもん、っちゅうか、いろいろな立場での「もうそのひとだってわかりきってないと目的をはたせない」記事についてはモロに名前を出してしまう。 日本でだって三波春夫が渚ミカ♡なんちゅう匿名で自分の歌の売り上げをのばそうと思っても無理です。 だから三波春夫とちゃんと名乗る。 それと同じ原理を素人衆も採用している、ということです。 特に「名前が売れることにいいことしかない」けったいな社会を持っている合衆国ではそーゆー理由で名乗る。 英語世界でも、切所が多い意見を書くには匿名でやります。 ただ「いかにも匿名」だとなんとなくしっくりこないので実名みたいにしておく。 多羅尾伴内みたい、というべきか。 少なくともわっしの連合王国の友人はみなたとえばフロントページでにっかり笑っている写真は本物でも、名前はほんとうでない。 ニュージーランドでも半分は仮名です。 掲示板でも「名前を書くのはおっくうです」というようなドロップメニューが用意されておる。 セキュリティ、の問題からです。 英語国民でも、ナイーブなひとはそういう事情を知らずにもろに実名で簡単に本人を同定できるブログを書いたりしますが、だいたいエライことになって、生活がぼろぼろになる。日本よりもひどい、と思います。 Facebookなどは、犯罪者の草刈り場と化しておる。 第一、現実の社会で犯罪が跋扈しまくっておって日本のひとなんか西洋人というと犯罪者集団社会みたいなことを言ったりするのに、インターネット世界だけ日本と違ってまったく平和、と考えるのはかなりどうかしておる。ヘン、だと思わないのかしら。 西洋人は、ヒジョーに用心深い、のです。 だからクライストチャーチの町を歩くと門柱には「129」ちゅうような数字だけがディスプレイされておる。 下に小さく「No Circular」とよく書いてありますが、あれは Circularさんの家のNo ちゃんが変わり者で自分の名前を表札にしているわけではありません。 ダイレクトメール、いらんからね、という意味です。 これを出しておくとダイレクトメールを郵便のひとがいれていかないことになっておる。 日本の不動産屋さんが使っている地図をわっしは日本の文物コレクションのひとつとして持ってますが、これはすごいっす。 各戸に住んでいるひとの名前が全部書いてあるもんね。 プライバシーっちゅうようなもんはゼロ戦になってしまってます。 初めて見たとき、すげー、と感動しました。 誘拐犯マーケット用なのか、と考えました。 これだけ楽勝なターゲット探知本があれば、誘拐という商売もさぞかし儲かるであろう。 「表札」は、日本の社会の安全さやプライバシーというものへの考え方、あるいは思考方法というようなものまで集約的に表しているのかも知れません。

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モニを待つ午後

モニは昏昏(こんこん)と眠っておる。 別に病気なわけではない。 よく眠るひとなんです。 特に自分の体質とあわない天候に遭遇すると、一日の大半を眠って過ごすようである。 日本の梅雨と夏は苦手なので特に睡眠時間が長くなるようです。 カウチに寝転がってお気に入りの刺繍がはいったクッションを抱えて、健やかに眠っておる。 吾妻(あがつま)ながら、なにしろロンドンの高い天井に客たちの話し声がいつも快い音で反響しているので有名なレストランCのようなところでも、モニが一歩店にはいった途端に店内がシーンとしてしまうくらい美人なので、凝っと見ていると磁器製の美術品のように思えてきます。 そばによってツンツンしてみたくなる。 ツンツンしてカウチから落っことして割れてしまうと男寡夫になってしまうのでやらないが。 わっしはモニが眠っているあいだ、本を読んでいたり、科学の世界で身につけたものを玩弄して遊びほうけたり、こうやってブログを書いたりしておる。 アホなので4つもブログがある。 どれも言語習得用であって、なかにはきっと「ぼくは きょう いだいなシソーを はっけんしたぜ。 ぼくが こんなら おおきなあたまがあるとは しらずにそうろう」 とゆーよーな、火星語を習いたての木星人のようなブログ記事もあるに違いないが、なあに、外国語だもんね。気楽なもんです。 テキトーだぜテキトー。 この日本語ブログと同じようなものであって、脈絡崩壊な表現がいっぱいあっても、気にしとらん。 ときどき言語中枢を刺激しすぎて鈍ってくると、オンラインゲームの世界にわけいって、 「おどりゃあ、ぼけえ、ここまでやったら観念してくたばったらんかい。 うわあ、どひゃあ、なんでそんなものが出てくんねん。ぎゃあー、うわあー」 どおおおおーん。あっ…….死んじった。 とゆって天上の静けさのポータルに戻ってきます。 激しい闘争のあとの死後の世界の静寂って、素敵だわ、と思う。 第一、古代ギリシア人があれほど強調した「死の練習」を21世紀のわしは一日に五回はやっておる。 まことにゲーマーというものは哲学的です。 したがマウスのクリックのしすぎで前腕がしびれた。 わし死んじゃったじゃん、いえーい、と考えながらラウンジに行って、そおっとカウチの妻を眺めます。 しいぃー。 まだ、眠ってる。 「白雪姫」というこの世で最も美しい女の輝くばかりの屍体を愛してしまった若者の物語がありますが、そーゆー気分にならぬでもない。 あの頃はガラスの棺って高いよな。 七人のこびとは、若者が甦らぬ女に絶望したあまりワインを飲み過ぎてアルコール依存症になった結果の幻視なのかしら。 小泉八雲の「チンチンコパカマ」と同じなのかも知れません。 聊斎志異にも同じ行列が出てくるよな。 まだ起きないなあ、ちぇっ、と思いながらラウンジを抜き足差し足で、そおーと出て行くわし。 キッチンに寄ってベジマイトサンドイッチを頬張りながら、やっぱ、マーマイトよっかこっちのほうがうめえな、と考えるわし。 つまらん。 どーするか。 不景気の影響で売り上げが激減して気息奄々いまにもオトーサンであるらしきシャチョーのところに電話して、オンラインゲームでは決死の防戦にはいるとたいていの場合破滅するんだってえ、という定石の話でもしてみようかしら。 泣くかな。 いいとしこいて泣かれると困るからやめたほうがいいな。 (ここでしばらくプロセスマップを書いて遊ぶわし) … Continue reading

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図鑑と夏休み

「寒くないの?」と日本人の友達はみな心配してくれます。 東京であれば冬でもたいていわっしは半袖のTシャツにジーンズだからな。 だいたい摂氏10度くらいがわしには適温であって、18度を越えると、「ちょっと暑いのう」と思う。わっしの友達のカナダ人の女の子は零下40度くらいにならないと調子が悪いという。 そこまではいかぬが、どちらかというと低温体質のよーです。 でも夏も好きである。 雨期のプーケ島はホテルのドアを開けて外に出た途端に「むあっ」とサングラスが曇って前が見えなくなるくらいの無茶苦茶な蒸し暑さだが、わっしはあれがなかなか好きであった。かーちゃんも妹もぐったりしてプールサイドで寝倒している頃、わっしだけは、あの気候のなかでへらへらしながらオカマのおねーさんたちが跋扈するプーケのパタヤを探検して歩いたものでした。 40円のチャーハンを食べてますますへらへらしたり、ハーゲンダッツで売春婦のねーちゃんたちをいっぱい連れた性病みたいな顔の合衆国人たちを見て、おのれらいつかは必ず成敗してくれるわ、と憤ったりしておった。 ねーちゃんのほうは生活のため、というひとも多いはずであって悪いとは思わんが、客のほうは別であって、買春みたいなことをする人間は辻の棒にくくりつけておいてチン○コを道行くひとに竹鋸でひかせるのがよいと思う。 買春する女のほうはどうするかって? 描写が18禁になってしまうのでパスっす。 ガキンチョにとってはクライストチャーチの夏は天国である。 「町の家」の木と木のあいだにハンモックを吊って、30度くらいある日でも木陰ではひんやりする空気にひたりながら、そよ風にあたって本を読みながら午寝する。 庭先のボート乗り場から小川にボートを出して寝っ転がって本を読むのもなかなか愉しい午後の過ごし方です。 近所のハグレーパークという公園で無線操縦のヨットを友達と競走させてもよいし、Acornに出かけてタミヤのプラモデルに見入るのもよい。 しかし。 しかあし。 なんと言っても血湧き肉躍るのは図鑑を読んでから公園や植物園(公園とくっついておる。クライストチャーチ人がビンボなときから金を注ぎ込んでつくった)に出かけて昆虫や鳥を観察することであった。 花も。 そーです。 わっしは「図鑑」というものが好きなのです。 いまでもどこの国にいても年がら年中大量の図鑑を買いこむので、モニは呆れてます。 長野の「山の家」には「動物図鑑」や「樹木検索図鑑」や「高原草花の図鑑」がずらりと並んでおる。 広尾山のアパートにも鳥類図鑑やいまはもうそらでみんなわかるのであんまりひらくことはないがクラシック・カーやクラシック・オートバイの図鑑やなんかがある。 図鑑とはいわないかも知れぬが、古本屋でみつけるたびに買い集めた「文春ビジュアル文庫」も全部揃っておる。 そう。「魅惑のフェロモンレコード」(みうら じゅん)とか、「全国名品取り寄せ図鑑」(萬 眞智子)ちゅうような、なかなかシブイ顔ぶれの、あのシリーズです。 あれは神保町ではシブイ本を求める客が多いので1000円はするが、田舎のブックオフを「まあ、ものすごく綺麗なお連れさんですねえ。ロシアの方たちですか?」とかゆわれながらはしごして歩くと、200円とかで売っておる。 わしのシュッパンジンの日本人のお友達はブックオフを丑三つ時にブックオフのロゴを顔に貼ったわら人形に五寸釘を打ち付けそうなくらい憎んでおるよーだが、わっしは、好きです。ははは。ゆっちゃった。 だって、良い本ほど安いんだもん。 タイトルは内緒だが、チャリングクロスだったら10万円はする写真集(フランス語)を1000円で買ったこともあったな。 長野県をクルマで走っていると、「ハッピー・ドリンク・ショップ」という腰が抜けそうな、でもなんとなくほんわかと笑わせてくれる名前の自動販売機集団があるが、あれにならってブックオフなどという、本が病気になったような名前をやめて、「ラッキー・ブック・ストア」とかにしたらどうでしょう。 あれだけ稀覯本に近い本を「定価の半額」とかで売っているのだから全然OFFじゃねーじゃん。 ハードオフ、とかいう語感の問題として、アダルト系な音感の名前よりはマシだが。 (あれもハッピー・ハード・オ….いや、ちょっと下品すぎるので自粛いたします) 図鑑である限り、ちょっと面白そうだと反射的に買ってしまうわっしとしては、当然、 iphone用の「寿司ネタ図鑑」も買いました。 えがった。 写真がうまそーに撮れているところがよい。 英語で魚の名前を書かれると、どひゃまずそう、と思うのは相変わらずだが、 (穴子って、congerだったのか? ぎょええええ。こわい) これは、まだやってないが、iphoneの標準言語を日本語に変えると日本語になるそーだ。 … Continue reading

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福留さん、windwalker さん

福留さんがwordpressに送られた以下のコメント、いま届きました。 福留さんが仰っている「同様の長文のコメント」はなぜか届いていませんが、仰ることは理解しました。 ほんとうに、ごめんなさい。 知っても不愉快になるだけでしょうから内容は書きませんが、妙なメールが来てそちらを真に受けてしまったのです。 届いているコメントは以下の通りです。 「福留聖司です。 このコメントが貴殿に届くかどうかは分かりませんが、 7月20日の貴殿の記述に反論いたします。 自分は昨日、貴殿のコメントを読み、2時間程熟考の上、 貴殿のコメントと同様の長文のコメントをまた書きました。 そのコメントが何らかのエラーで届いていないのか、貴殿が取り上げるに値しないコメントだと判断したのか分かりませんが、少なくともこちらは貴殿のコメントについて熟考させていただきました。 その後、何らかの反応があるかと思い、貴殿のHPを再び見てみましたが、自分のコメントが消えているようだったので、何かのエラーかと思い何度か開きなおしました。 それでも出てこないので、自分の名前を入れて検察すると貴殿のHPがリストに出てきたので、それで見てみることとしました。 貴殿からの反応があるかと思って何度も検索をかけましたが、別にいたずらでやっていたわけではありません。 大体、真剣に議論する価値のある相手だと思っているからこそ、こちらもコメントしているのです。そのようないたずらをするわけがないではないですか。 今現在、貴殿の真意は分かりかねますが、自分の対応に不満がある、あるいは自分との議論が意味がないと思うならば、メールアドレスも公開しているのですから、まずそちらに意見を言ってくればよいことではないですか?」 削除したコメントは、 「 『はじめまして。福留と申します。 偶然このサイトに到達しましたが、第二次大戦における日本軍の一部の 行動を貴殿が非難するのは、どのような基準に基づいているのでしょうか? 例えば、この世の中に宗教、地域特性、文化を超越した善悪の基準がある と仮定して、それに基づいてかつての日本軍の行動が悪であり、それに対して 大日本帝国の継承国家である現在の日本国及び日本国民が、十分な反省、謝罪、 賠償をしていないという意味で貴殿は非難されているのでしょうか。 もし可能であればお答えください。」 というものでした。 こちらの都合でご迷惑をおかけしてしまいましたが、反論は、もちろん大歓迎です。 どういう反論があるのかいつも知りたい、と思っています。 ip制限がかかっていたと思いますが外しておきます。 windwalkerさん、上の福留さんの件で「日本のひととネット上で政治や社会の話をするのはつくづく嫌だ」と考えて、その方面の話題が多い(しかも態度がわるい)windwalkerともとうとうお別れのときがきた、とおもってipを止めましたが、やはり思い直した。外してあります。 windwalkerさんのことだから、もうむくれかえっていて、二度とコメントしてやるかよ、と思っているでしょうが、ま、それならそれで仕方がない。 縁がなくなっている場合は、母親思いのwindwalker さんが、いつまでも(プンプンしながら)お母様とふたりで元気で暮らされることを望みます。

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オンライン

わっしが生まれて初めて自分で勝手に触ってよいことになっていたコンピュータは、かーちゃんのお下がりのSE/30であったのは前にも書いたことがあります。 それまでは台所のベンチの片隅にあるもうひとつ別のSE/30にときどき触らせてもらえるだけだったが、カウンタの椅子が高くてよじのぼる途中でこけてデコをぶつけていたりしたので、ただでさえ頭が悪いガキにこれ以上頭がわるくなられると困る、と考えたらしきかーちゃんが、SE/30を一個、おもちゃにくれたのです。 コンピュサーブの会員権も買ってくれた。 馬に乗ったりクリケットやなんかから帰ると、怒濤のように走っていって、 ピー、ブーというダイアルアップモデムの音にコーフンしながら画面を見つめたものであった。 わっしよりも20歳以上年上である義理叔父は、富士通のFM7にRS232Cカードを付けて通信していたそうである。叔父のオタク倉庫にあるそのFM7を見せてもらったことがあるが、ひとつしかスロットがないところに漢字ロムカードとRS232Cを無理矢理一枚にした基盤が付いておる(^^) むかしから「コンピュータをオンラインにする」といういことにいかにオタクどもが情熱を燃やしていたかわかります。 そういえば叔父はソニー製の電話のような不思議な「パーソナルホストマシン」も持っていて、これで友達とBBSをつくって、遊んでいたようでもある。 当時は日本のほうがオンライン世界が進んでいたようで、驚きました。 「自分にオンラインのコンピュータを一台あたえてくれれば世界がどんな専制支配に陥っていても自分ひとりで互角に戦ってみせる」と、わっしが子供の頃のオタクなオトナたちはゆっておった。 かっこいい、と思ったものでした。 わっしにとっての「コンピュータ」はガキンチョの頃はハイパーカードとパスカルとコンピュサーブでしたが、いまは「インターネットにつながる機械」です。 普段はコンピュータのある部屋に行くのも、その辺に転がっているノートPCを開けるのもめんどくさいので、iPhoneで用事をすます。 世界のあちこちで3Gが使えるようになったので楽です。 特に日本はすごい。 山のなかで3Gが使える国、というのは他にないのではないでしょうか。 わっしは日本にいるときはNTTのフォーマのデータカードも持って歩く。 モニにクルマを運転してもらっているときは隣に座って「ここから100キロくらいいくとおいしい天ぷら屋がある、って書いてあるから、そっちにいくべ」ちゅうように使う。 高速道路でもちゃんと使えるのがエライ、とゆったら日本人の友達に笑われました。 家の中でころころしながら、英語フランス語スペイン語日本語…とサイトを渡り歩いていると、「つくづく便利じゃなあー」と素朴な感想をもちます。 コンピュサーブの頃は、こんなふうに気軽にいろいろな国のひとと直に話して毎日を過ごす、というわけにはいかなかった。 ウクライナ人とT72の操縦方法について話したり(このひとは徴兵されていたとき戦車兵だった。T72に乗せられて訓練されたそうです)、カタロニア人とカタランソースの作り方について話したりするのはまことに楽しい。 だから何、とゆわれると困るんだけど。

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カレーライス (その2)

日本の「カレーライス」の起源は多分インドのひとが英語で呼ぶところの「インディアン・ポリッジ」であると思います。 (インドの人の英語の呼称ではややこしいが、ヒンディー語はおぼえはじめだから、まだようわからん。もうすぐコルカタの近郊の町に3ヶ月くらいいる予定なので、それが終わったら、エラソーにヒンディを濫発しようと計画してます。むふふ) インディアン・ポリッジは新鮮なスパイスを必要としないので、カレー料理のなかでももっとも安い部類にはいる。 カレーがひと皿3000円くらいのレストランで600円くらいで出てくる料理です。 サイドメニューの扱いだが、ライス・ソースともに量は日本のカレーよりちょっと多い。 こーゆー感じの食べ物です。 (ひどい写真ですまん) この小麦粉がはいった糊っぽい感じ、というとひどいが、のったりしたソースをインドのひとは「ポリッジ」(粥、ですかいの)という。 安い肉や野菜をいれて半日ぐつぐつ煮込んで、たいていは味にキックを出すために子羊の腎臓、とかいれて出来上がり、です。 同じ「ポリッジ」の範疇にはいる、ドライ・ポリッジは完全に日本のドライカレーである。挽肉とタマネギで出来たペーストがライスの上にのっておる。 これまたすごい「大盛り」ででてくるのが普通ですが、値段は上のポリッジと同じくらい。 多分、この新鮮なスパイスを必要としない割においしいポリッジを連合王国の海軍が水兵の食事として採用したのでしょう。航海の終わりには駆逐艦などでは肉が半分腐ってしまうので、細かくちぎって混ぜちゃえば腐ってるんだかダイジョブなんだかよくわからんので便利だったのに違いない(^^) いまでも連合王国の海軍やニュージーランドの海軍では、航海の終盤になると、このポリッジが出ます。 日本の海軍は連合王国のデッドコピーで始めたので、そのときに日本の海軍にはいってきたのでしょう。当時の将校の日記を読むと、水兵たちがこのポリッジを泣いてありがたがった、喜んだ、と書いてある。 この「水兵」たちの幾人かが兵役を勤め上げたとき、それぞれの家庭にレシピを持ち帰って自分の家族にも食べさせてやりたい、と思ったのは日本のひとの家族思い、優しい心根から考えて普通の成り行きだったのではないか、と想像します。 むかし日本に来たときガキガメであったわっしは、ヘンな食べ物がいっぱいあるので、やたらコーフンしたのをおぼえてます。 ルームサービスで片端から聞いたことのない料理を頼んで喜んだ。 蒲焼きを頼んだら妹に半径二メートル以内によるな、と言われたのもこの頃である。 でも、おいしいぞお、これ。イール。eeeeeeeeel、とゆっていたら妹に蹴られた。 なかでもヘンな食べ物三兄弟は「カレーライス、ハンバーグ、シチュー」であって、日本語になおすと、これは「卵かけご飯、メザシ、ドジョウ汁」っちゅう感じでしょうか。 なんちゅうか、きみらは、どうしてこの国では、そんなにえばってメニューに載っているのかね? という感じであって、高級風に装っておるところがクールである。 日本の食べ物って、おもろいな、と思ったそもそもの初めであります。 一方では、茶碗蒸し、とか、鶏のすまし汁にショウガと白髪ネギを浮かしてあるやつとか、とんかつ、とかは、普通に好きであった。 こーゆーものを我が国でも輸入しなければいかんではないか、とマジメに考えました。 ハンバーグやシチューはいまだに食べないが、いまはカレーライスは普通に食べます。結構好きである。 いろいろなところを日本の友達がすすめてくれるので、ときどき出かけますが、あんまりおいしくない。 勢い、純日本式カレーでも自分でつくることのほうが多い。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080724/1216942883 鮨になって出てくるときやおにぎりの形ではあんなにおいしくても、普通に出てくるときのジャポニカ米は、匂いがなくて、なんとなく味気ない粒糊みたいな感じのする食べ物ですが、このカレーライスはバスマティで食べると、ものすごくまずいっす。タイ米もあかん。 ジャポニカ米でしっくりくるところが何となく玄妙です。 不思議である。 カレーごとタタミゼ、しているんでしょう。 知っている人もあるでしょうが義理叔父が教えてくれた「遠藤賢司」というひとの歌に「カレーライス」というのがあります。 呟くような繊細な声でおもろい。日本版ニール・ヤング、なのだろーか? このひとがむかし明治通りの渋谷駅から原宿に向かう公園の手前のところにカレー屋さんをもっていて、若かりし頃の義理叔父は、よく出かけたそーである。 「うーんとね。こう平たい大きな皿にだね。カレーの海があってね。 そこにジャポニカ米のピラミッドがそびえておるのだな。 それでね。このライスピラミッドをカレーうまいなあと思いながら掘り進めていくと 梅干しがコロン、と転がり出てくるのだよねえ。これがすごくよかった」 … Continue reading

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モニがわっしと結婚してもっともよかったことはバク転が出来るダンチャンであったことだそーである。 さっき、そうゆーておった。 「もっともよかったこと」がバク転だというのは、なーんとなく気に入らない感じもするが、わしにはものごとを深く考える習慣というものがないので、しばらく経つうちには、なんとなく嬉しくなってきてしまう。 かすかに、どうも、こーゆーところに日頃モニや妹やかーちゃんに軽んじられる理由があるような気がしたが、まあ、どうでもよい。 自分でいうのもなんだが、わっしの肉体は雄大であって、フランボウ(チェスタトンの小説、知ってるよね?)もかくや、とゆわれておる。 わっしがジャンプして一回転ひねりをしてバク転する様はシャチのジャンプのようであって、これほど見事なジャンプはもともと運動神経が悪くて森林をおんだされた人類のなかでは希有であるという。 妹は、かーちゃんがわしをサーカスに売り飛ばさなかったのは、ビジネスセンスに欠けているからだ、と主張するわけです。 おにーちゃんが子供の時にたたき売っちゃえば500ドルくらいにはなったのに。 しかし、わしはトシをとるのだ。 いやさ、わしですらやがてはトシをとるのだ。 そんなことはあっていいはずはないのに、わしですらトシをとる宿命なのはなぜか。 子供の時は気が付かなかったが、映画「ブレードランナー」を観ていて、あれほどアンドロイドにいれこんだのは、結局アンドロイドたちが、その謎を知るために地球にやってきた「なぜ自分たちが若くて死ななければいけないのか」という疑問が、ほんとうは人間の根源的な疑問、「なぜ自分は死なねばならないのか」という疑問と本質的に同じだからです。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080803/1217722975 なぜ死ななければならない宿命のものが生まれてくるのか。 もしそのことに本質的な解答がないとすれば、わっしは岩と同じ、 いいや風と同じ、であって、生命などというものには本質的意味など無い。 歴史上の人間でこの謎の解明にもっとも近づいたのは疑いもなく釈迦だと思いますが、しかし、それでも最後は人間のためにウソをつくことに決めた。 釈迦が見いだした「解答」が、あまりに悲惨な絶望的なものであったからです。 仏教家たちは、釈迦が「シャーリプトラよ」と呼びかけるのはシャーリプトラがもっとも仏道に遠い弟子であったからだというが、わっしは、そう思わん。 釈迦が、あれほどシャーリプトラよ、と呼びかけるのは、シャーリプトラだけが釈迦の絶望を知っていたからではないでしょうか。 釈迦が語ったのは自分が現象にしか過ぎない、と悟った「意識」の悲しみである。 西洋では遙かに何世紀もあとになってパスカルがやっと同じことをいう。 人間がDNAの乗り物であると言った信じられないほどケーハクな生物学者には、とうてい理解できない悲哀をわっしらは抱えているのだと思います。

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忌野清志郎

清志郎が死んだ日に書いて2時間くらいここにあったブログの記事を見て、「どうして消してしまったのですか。結構良い記事で好きだったのに」とゆってきてくれたひとがあったが、なんで削除してしまったかは自分でもわかりません。 夜中の、しかもたった二時間で60人くらいのひとがめざとく見つけてやってきたのがなんとなく嫌だったのかもしれません。 第一、記事どんなんだったかなあー、と思ってキャッシュを見てみたが、他の記事を上書きしたのでキャッシュも残っておらない。 忌野清志郎は多分コードを3つくらいしか知らなかったでしょう。 でもいい曲を書いた。 わっしはマイナー進行の曲が嫌いなので、その点でも好きでした。 日本の忌野清志郎と同じ世代の音楽でマイナー進行の曲を意識して嫌っていそうだったのは井上陽水と忌野清志郎、くらいだと思います。 意識して、「日本人の心に迫る」チューンを避けていたのではないか、と想像します。 わっしが割と真剣に好きな日本の歌手は高田渡と忌野清志郎と浅川マキと3人くらいしかいないが、もう、そのうちふたり死んでしまったわけです。 くだらないことをいうと歌詞を聴いていると、「お酒を飲むとすぐ顔が真っ赤になる」「胸焼けがする」「喉がかすれる」というところがよく出てくるので、清志郎を知らなかっシャチョーにRCサクセションの説明をしたときに「ああいうひとは、喉頭癌になりやすいってゆう」と言ったのをおぼえています。 その一ヶ月後に、喉頭癌に罹った、というニュースが流れたのでした。 去年、左腸骨へ転移したと聞いたときには、わっしは、どういうか、我慢できないような気がして、夜中にひとりで大酒を飲んでしまった。 知識のある人間のいやらしさで、「あっ、もうダメだな」と思ったからです。 ウイスキーをコップで飲んでいるうちに外の景色が液状化してぐしゃぐしゃになった。 わっしが初めて清志郎を聴いたのはかーちゃんシスターと義理叔父のクリスマスプレゼントでした。RCサクセションから清志郎のCDとレコードが全部はいっているかーちゃんシスターが手作りのラックをもらった。 いつもはおちゃらけたおっちゃんである義理叔父が、妙にマジメな顔で 「あのね。おれは、ガメみたいなひとが日本語に興味をもってくれて嬉しいんだよ。 おれたちを助けてくれよ」とゆったので、吹き出してしまった。 義理叔父はそーゆー義理甥の不誠実な態度を見て少し寂しそうな顔をしておった。 それから暫くは家の隅にほっぽったままでした。 いちばん初めに聴いたのは「甲州街道はもう秋なのさ」だったな。 もっているCDはみんな聞き飽きたような気がしたので日本語の歌でも聴いてみんべ、ともって出かけたクルマのなかでした。 カンタベリのバカみたいにまっすぐなオープンロードを走りながら「シングルマン」を聴いた。 びっくりしました。 これでほんまに日本のバンドかいな、と思いました。 家にかえって他のアルバムも聴いてみた。 「トランジスタラジオ」はどっからどう聴いてもバックは完全でしかも正確なジャズであって、それが「日本語」と違和感なくチューンをなしているのです。 その夏、メルボルンにいるあいだじゅう、わっしは、「楽しい夕べに」と「初期のRCサクセッション」を聴いておった。 「もっとおちついて」と「九月になったのに」に痺れました。 ヤラ川のほとりを歩きながら、「この世は金さ」を鼻歌に歌いながら歩いていて、聞きつけたおばちゃんやおじちゃんにヘンな顔をされたりした。 「甲州街道はもう秋なのさ」は、こんな歌詞です。 たばこをくわえながら 車を走らせる 甲州街道はもう秋なのさ ハンドルにぎりながら ぼく半分夢の中 甲州街道はもう秋なのさ もう こんなに遠くまで、まるで昨日のことのように 甲州街道はもう秋なのさ ぼく まっぴらだ もうまっぴらだ これからは来ないでくれないか … Continue reading

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太陽が昇るとき Wish You Were Here (その2)

「わし、クイーン、ふたつがいい」 「ダメ。それじゃ、ゲームにならないでしょう」 「でもクイーンふたつ欲しい。モニがキングふたつ使えばいいやん」 「好い加減にしなさい! じゃあ、わたしはどうやってチェックメートするの」 「そこがポイントなんです。わっしは、そうして不敗プレーヤとなるのだ」 バカ、とゆわれてしもうた。 じゃ、日本将棋の「飛車」とかオプションでチェス盤に並べちゃダメ? 裏に成ってドラゴン、なんちて。 モニとわっしは毎日チェスをやります。 広尾のアパートのテラスのチェステーブルで、あるいはラウンジのコーヒーテーブルの上で、長野の山の家の庭で木洩れ日のなかで遊ぶこともある。 コーヒーとビスケットを摂りながら、サンドイッチを片手に、カントチーニ・コン・ビンサントをかじりながら、カバを飲みながら、ワインを飲みながら、毎日チェスをやって遊ぶ。 しかしながら、わっしの戦績は目下ついに637敗である。 いくつ勝ったかって? ゼロ、ですたい。 いちどなどは、負けが込んであんまり頭に来たのでデートカクテルの本を研究して、30年代にジゴロたちが愛用したという「口あたりは軽いけど、飲ましちゃえば一発で泥酔でさあダンナ…むふふ」なカクテルをチェステーブルに供したのに、見事に酔っぱらってすっかり楽しくなってわっしのホッペを手のひらでぴたぴた叩きながら、「ガメは、ほーんとに、あったまわるいなあー」とかゆって浮かれておる酔ってふらふらのモニにたてつづけに3連敗を喫したのであった。 きみ。 誤解してはいけません。 わっしは賢い人間なんです。 ほんとよ。 怜悧で鋭い洞察の持ち主であって、論理こそがガメ友であるとゆわれている。 チェスというものと相性が悪いだけである。 理由なんか知るかよ。 閑話休題。 チェスや「立体四目並べ」も面白いが、わっしはもちろんコンピュータの対戦ゲームもやります。ははは。ゲームブログだからな。二年に一回くらいはゲームの話しねーと。 この頃はやんねーが、前はCOHも時々やった。 英国軍およびドイツ軍である場合には無敵であって、一方、パンツアーエリートだとボロ負け、アメリカ軍でやると五分、っちゅうようなことであったと思います。 いったい、あれは、っちゅうのはパンツアーエリートで勝つにはどうすればよいのかいまだによくわからん。大戦後半のドイツ軍の苦労が忍ばれるようなたいへんさです。 ある夜、わっしは「むひひひ。これならパンツアーエリートでも勝てるのい」という必勝作戦を思いついて、ひさしぶりに戦場に戻ることにしたのであった。 ロビーで、待つことしばし。 1、2、とインディケーターがピヨーンと伸びて3でピコピコッと鳴ります。 わっしはパンツアーエリートで相手はアメリカ軍。 うーし、がんばるど。 チャットが開いて、「Hello ^ー^」という。 アジアのひとだな、と思うわっし。 わっしはHi!という。 その次に起きたことは、あんまし思い出したくないようなことでした。 i am sorry i am … Continue reading

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捕鯨、くじるら、くじられるりら?

「学校のイジメ」についてのフォーラム(英語だす)を読んでいたら「留学生に対するイジメ」というところに、最近の日本人留学生に対するイジメの理由は「捕鯨」「鯨を食べるけだもの民族」っちゅうのが多い、と書いてある。 ニュージーランドでも日本からの留学生が「鯨食い」とゆわれて苛められているのをみかねて、えー、日本語ではなんちゅうんだ、わからんからカタカナで誤魔化すと、スタンドアップフォーした(意味わからんがな。すんまへん後で日本語調べて直します)日系ニュージーランド人の子供がなぐられて脳外科手術を必要とする重傷を負ったそーである。 イジメ自体は、こーゆーイジメが専門のガキ、とゆうのはどの学校にも存在するのであって、わっしが出た学校は国ではいちばんジョーリューで上品である、ということになっていたが、しかしバカガキどもは豊富に存在した。 なかでもどーしよーもない4人組は全員いまでは恐竜なみと言われている「上流階級」のご出身であらせられたが、こいつらは、ほんとーに救いがたいバカであって、アジア人の学生を見るとアジア人めマネしのチビの猿もどきとゆっていじめ、下のほうの階級の出身者を見ると、学校を間違えてんだろ、ばーか、おれたちの発音のインチキな真似なんかしねーで、てめーの階級のクソ英語をしゃべっておれ、っちゅうような具合であった。 ベトナム人を見ると「犬くい」といい。日本人を見ると「鯨くい」という。 褐色の肌の同級生には「アフリカに帰れ」と絡みつき、スウェーデン人の兄弟には「へんな英語しゃべってんじゃねえ」と悪態をつく。 アホ、というのは万国共通なのがよくわかります。 わっしにはこの4人組を「いじめて」退学寸前になった苦い記憶があるが、わっしのように気が優しい人間はもちろんこういう悪意のガキどもとは違ってポロで間違って膝頭を強打してしてしまったり(しかもわしは「Dくん、すまんな」とお詫びをゆったはずである)、キャンプのときに間違ってあごに拳があたったりしたくらいで騒ぐこのひとたちが間違っておったのが気取りまくった校長のつるっぱげおやじにも理解されたようで世の中にはやはり正義というものがあるのがわかります。 わっしの仲の良いアフリカ人の友達をイジメることにわっしが憤りを感じていたのは事実だが、それをもって故意に4人組をいじめた、などというのは、いいいがかり、というものだったからな。 校長には「きみに対してはまことに友好的だったというではないか。それなのにきみがひとりで勝手に腹を立てていたと証言されておる」とゆっておったが、友好的かどうかは、わっしの側が決めることであって、あんなアホの4人セットのほうから友好的かどうか決めるなどというのは思い上がりもはなはだしい。 「苛める側の屈折した心理」というのは動物に近い人間の心理としてオモロイからそのうち研究するとして、いままでも日本で話題になる前からダラダラダラと書いてきた「捕鯨論争」の続きをちょっとだけ書こうと思います。 鯨論争で日本のひとのバカっぽいところは「鯨はキリスト教では人類に近い生き物であってだから西洋人はキリスト教的立場から鯨を捕ることに反対なのである」というグリーンピースがつくりあげたいわばプロパガンダを、前提として論争に臨むところである、と思います。 わっしは、「おまえは西洋人だろ。西洋人なら無意識のうちにキリスト教の原理で生きているだろ。キリスト教では鯨は神聖だろ。だから捕鯨に反対してるんだよ」という日本の人らしいケーハクな思い込みで全員がかたまっているので、 むかしは連合王国人もふつーに鯨肉を食べていたことをちっとだけこのブログでも書いたことがある。 オックスフォードの学寮では60年代まで鯨の肉をメニューに載せていたはずである。 だって、たとえばわっしのジーチャンは、これがいままで生まれてから食べたもののなかでいっちゃん不味い食い物であったと、いまだにシミジミ述懐しておるからな。 鯨がキリスト教では神聖な生き物だ、っちゅうのは、もともとグリーンピースが発明した戦略であって、それをのっけから鵜呑みにしてどーする、とわっしは思います。 回教徒は豚を食わないし、ヒンズー人は牛を食わん。 文化ごとに、そういう習慣があるのはあたりまえであって、それにいちいち目くじらを立てる西洋人なんておらん。 それがなぜ捕鯨だけ攻撃されるのかを、日本のひとは落ち着いて状況を検討してみたほうがよいと思う。 日本人の捕鯨を「反西欧社会・反キリスト教」に結びつけるのこそがグリーンピースやシーシェパードのゆいいつの戦略なのに、初めっからそれに全面的に乗っかって「オーストラリア人は全員、人種差別主義者だ」などと喚いてまわっていた日本人たちは、わっしにはシーシェパードに雇われて、時給で働いていたとしか思われまへん。 まして「オーストコリア」なんちゅう言葉を発明して浮かれてるバカは、頼まれもせんのにシーシェパードの営業を熱心に助けているだけである。 そういう発言をときどき英語に訳して、普通の英語人に「日本人って、こんなにヤな奴の集まりだったのか」と眉を顰めさせて拍手喝采して喜んでいるのは、当然、日本人にダメージを与えたい一心のひとたちである。 日本人にとっては不利なことに日本語世界をちょっと見渡せばメディアというメディア、インターネットも含めて、その類の自爆発言は洪水のようにあるので、翻訳して日本人をいじめるべ、と考えているひとたちには材料を捏造する必要などないのです。 日本のひとは、ものを現実に即して考えられない(注)ので、ほとんど何も現実を観察しないでハンコを捺す「ペッタン思考」が好きである。 はい、次のひと、あ、白人ね、「キリスト信奉者で、偽善者、人種差別主義者でーす」 ペッタン。 反捕鯨の見るからにレーシスト風のにーちゃんが、オーストラリア人であると、 「オーストラリア全員が人種主義者」だという。 もし、そういう理屈が成り立つなら、きみの人生で出会ったクソ日本人を思い出してみよ。日本人全員が彼もしくは彼女のような人間であるかどうか落ち着いて考えてみるがよい。レイシズムは、そのにーちゃんの個人的な病気なのであって、それを「オーストラリア人全部」のようにいうのは、それはきみの頭の構造がきみが攻撃してやまないレイシストと全く同じ構造をしているからです。 どんなに反捕鯨でカッチンカッチンに固まった合衆国人でも、シーシェパードが商売であれをやっているくらいは知っています。アホにもわかる明快さだからな。 しかも最近はディスカバリ・チャンネルで人気番組をつくったほど流行るショーバイである。 誰がそこまで、あのくだらなくもあれば(80年代のむかしから故意に捏造したデータをつくりあげたりして)不誠実でもある商売を成長させたかというと日本のひとだとわっしは思ってます。 グリーンピースが路線を敷いてシーシェパードが拡大した、日本人に「反捕鯨は人種差別だ西洋人の傲慢だ」と言わせる作戦にまんまとのって、それどころか「オーストコリア」だの「反日女優」だのと期待以上の働きを見せる人間が続出して、傍観していたひとびとにまで「日本人の異常さ、訳のわからなさ、薄気味悪さ」を印象づけることに成功した。 あーゆーバカバカな日本人たちを見ていると、わっしですら「八紘一宇」を思い出します。 日本人はアジア征服戦争を「アジアの白人からの解放」をうたい文句にして始める、という当のアジア人たちがあまりの厚顔無恥ぶりに唖然とするような破廉恥で鉄面皮な偽善でスタートしました。「日本人は、われわれ中国人を襲い強姦し殺しまくって、それを中国人のためだと言った」とわっしの中国人の友達はいまでも、(アニメの話になると日本人の才能を目を輝かせて話すのに)唇を震わせて言う。 日本のひとが「人種差別」を口にするとき、世界中のひとが自動的に思い出すのは、要するに、そーゆー歴史的な事実である。 日本ではあまり言われないが日本を一歩でも出てみれば日本人こそが最悪の人種差別主義者だと言われているのを知らないはずはないと思うが。 西洋人の鯨肉に対する一般的な感想は、年寄り共は「あんな不味いもん、よく食うなあ」であって、それ以外のひとは、「きもちわるー」であると思います。 しかし、だね。 … Continue reading

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日本の味

朝起きてみるとYさんからメールが来ておる。 Yさんは美術のひとであって、わしの仲良し日本人友達のひとりです。 しかし、この頃はしばらく会っておらなんだ。 「モニさんとガメを洋食タイガー食堂に連れて行こうと思っていたのになくなってしまって残念です」と書いてある。 洋食タイガー、 http://ginza.keizai.biz/headline/820/ http://r.tabelog.com/tokyo/A1302/A130202/13007702/ は、Yさんの口吻では「日本人の原初の味」だそうでした。 Yさんはベンキョーとシュギョーで12年パリにいたが、そのあいだじゅう寝ても覚めても「タイガーでミックスフライ定食がたべてー」と考え続けていたそーである。 ささみフライとアジフライにカレーに豚汁がついておる。680円。 「日本に戻ってミックスフライ定食を食べたときには、あまりに幸福で、おれはもう死んでもいいと思った」とYさんはオーゲサなことを言います。 そのくらい幸せであったそーな。 わっしにとって「日本の味」と言えば何であるかというと、「鮨」です。 たいへん日本的な食べ物であって、他に思い浮かばん。 ところが日本人の友達に訊くと、「鮨が日本の味ではダメではないか」とゆいます。 明治の元勲の末であるお友達は日本の味はメンチカツに決まっておる、と断言する。 合い挽きの奴がいいのよね。それにばしゃばしゃっとウスターソースをかけて食べるの。 日本の味です、あれは。 と、ややコーフンして断言します。 日本のひとは食べ物のことになるとミョーにコーフンするな。 フランス人やスペイン人と傾向として似ておる。 連合王国人が甘いものについて示すコーフンと同じなのでしょう。 日本のひとは政治やなんかの話題についてはせいぜい4つくらいの意見に分かれていて、 議論なんかしないでABCDの4っつのうちの意見はどれであるか?と訊いた方がはやいようなバラエティの少なさだが、食べ物のことになると他の国のひとが見てぶっくらこいて腰が抜けるほど多様性と独自な見解に満ちておる。 考えてみると国民としては問題があるとはいえ人間としてはセイヨー人よりも健全である。ケンポーよりトンポーロー、なんちて。 「洋食」を日本の味としてあげるひとが多いようだ。 海外の生活が長いひとに多いな。 こーゆーひとびとは、酒を飲むときでもカッチョイイ「ミラノ風」カヘ、とかもいかん。 だいたい鯨ベーコンがメニューにあるような居酒屋を好むようです。 湯豆腐で熱燗。 この頃は、そー言えば英語圏でも「SUSHI BAR」に代わって「IZAKAYA」がよく雑誌やなんかに出るよーになった。 モニの好きな「焼鳥屋」も人気がある。 日本で修行してきた人が「ビチョータン」なんてサインを出して、流行っておる。 「ベントー」という名前で松花堂のぱちもんみたいなものも人気があります。 と、こうやって考えてくると、論理的に言って、そのうち「YOSHOKU」というのが流行り出すのではなかろうか。 マンハッタンでヨーショク。 ははは。なかなかいいな。 モニが初めて日本へやってきたとき、わっしは午前5時の築地に連れて行った。 寒い朝、白い息を吐きながら「せり」を見て眼を輝かせていたモニを思い出します。 … Continue reading

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