捕鯨、くじるら、くじられるりら?

「学校のイジメ」についてのフォーラム(英語だす)を読んでいたら「留学生に対するイジメ」というところに、最近の日本人留学生に対するイジメの理由は「捕鯨」「鯨を食べるけだもの民族」っちゅうのが多い、と書いてある。

ニュージーランドでも日本からの留学生が「鯨食い」とゆわれて苛められているのをみかねて、えー、日本語ではなんちゅうんだ、わからんからカタカナで誤魔化すと、スタンドアップフォーした(意味わからんがな。すんまへん後で日本語調べて直します)日系ニュージーランド人の子供がなぐられて脳外科手術を必要とする重傷を負ったそーである。

イジメ自体は、こーゆーイジメが専門のガキ、とゆうのはどの学校にも存在するのであって、わっしが出た学校は国ではいちばんジョーリューで上品である、ということになっていたが、しかしバカガキどもは豊富に存在した。

なかでもどーしよーもない4人組は全員いまでは恐竜なみと言われている「上流階級」のご出身であらせられたが、こいつらは、ほんとーに救いがたいバカであって、アジア人の学生を見るとアジア人めマネしのチビの猿もどきとゆっていじめ、下のほうの階級の出身者を見ると、学校を間違えてんだろ、ばーか、おれたちの発音のインチキな真似なんかしねーで、てめーの階級のクソ英語をしゃべっておれ、っちゅうような具合であった。

ベトナム人を見ると「犬くい」といい。日本人を見ると「鯨くい」という。

褐色の肌の同級生には「アフリカに帰れ」と絡みつき、スウェーデン人の兄弟には「へんな英語しゃべってんじゃねえ」と悪態をつく。

アホ、というのは万国共通なのがよくわかります。

わっしにはこの4人組を「いじめて」退学寸前になった苦い記憶があるが、わっしのように気が優しい人間はもちろんこういう悪意のガキどもとは違ってポロで間違って膝頭を強打してしてしまったり(しかもわしは「Dくん、すまんな」とお詫びをゆったはずである)、キャンプのときに間違ってあごに拳があたったりしたくらいで騒ぐこのひとたちが間違っておったのが気取りまくった校長のつるっぱげおやじにも理解されたようで世の中にはやはり正義というものがあるのがわかります。

わっしの仲の良いアフリカ人の友達をイジメることにわっしが憤りを感じていたのは事実だが、それをもって故意に4人組をいじめた、などというのは、いいいがかり、というものだったからな。

校長には「きみに対してはまことに友好的だったというではないか。それなのにきみがひとりで勝手に腹を立てていたと証言されておる」とゆっておったが、友好的かどうかは、わっしの側が決めることであって、あんなアホの4人セットのほうから友好的かどうか決めるなどというのは思い上がりもはなはだしい。

「苛める側の屈折した心理」というのは動物に近い人間の心理としてオモロイからそのうち研究するとして、いままでも日本で話題になる前からダラダラダラと書いてきた「捕鯨論争」の続きをちょっとだけ書こうと思います。

鯨論争で日本のひとのバカっぽいところは「鯨はキリスト教では人類に近い生き物であってだから西洋人はキリスト教的立場から鯨を捕ることに反対なのである」というグリーンピースがつくりあげたいわばプロパガンダを、前提として論争に臨むところである、と思います。

わっしは、「おまえは西洋人だろ。西洋人なら無意識のうちにキリスト教の原理で生きているだろ。キリスト教では鯨は神聖だろ。だから捕鯨に反対してるんだよ」という日本の人らしいケーハクな思い込みで全員がかたまっているので、

むかしは連合王国人もふつーに鯨肉を食べていたことをちっとだけこのブログでも書いたことがある。

オックスフォードの学寮では60年代まで鯨の肉をメニューに載せていたはずである。

だって、たとえばわっしのジーチャンは、これがいままで生まれてから食べたもののなかでいっちゃん不味い食い物であったと、いまだにシミジミ述懐しておるからな。

鯨がキリスト教では神聖な生き物だ、っちゅうのは、もともとグリーンピースが発明した戦略であって、それをのっけから鵜呑みにしてどーする、とわっしは思います。

回教徒は豚を食わないし、ヒンズー人は牛を食わん。

文化ごとに、そういう習慣があるのはあたりまえであって、それにいちいち目くじらを立てる西洋人なんておらん。

それがなぜ捕鯨だけ攻撃されるのかを、日本のひとは落ち着いて状況を検討してみたほうがよいと思う。

日本人の捕鯨を「反西欧社会・反キリスト教」に結びつけるのこそがグリーンピースやシーシェパードのゆいいつの戦略なのに、初めっからそれに全面的に乗っかって「オーストラリア人は全員、人種差別主義者だ」などと喚いてまわっていた日本人たちは、わっしにはシーシェパードに雇われて、時給で働いていたとしか思われまへん。

まして「オーストコリア」なんちゅう言葉を発明して浮かれてるバカは、頼まれもせんのにシーシェパードの営業を熱心に助けているだけである。

そういう発言をときどき英語に訳して、普通の英語人に「日本人って、こんなにヤな奴の集まりだったのか」と眉を顰めさせて拍手喝采して喜んでいるのは、当然、日本人にダメージを与えたい一心のひとたちである。

日本人にとっては不利なことに日本語世界をちょっと見渡せばメディアというメディア、インターネットも含めて、その類の自爆発言は洪水のようにあるので、翻訳して日本人をいじめるべ、と考えているひとたちには材料を捏造する必要などないのです。

日本のひとは、ものを現実に即して考えられない(注)ので、ほとんど何も現実を観察しないでハンコを捺す「ペッタン思考」が好きである。

はい、次のひと、あ、白人ね、「キリスト信奉者で、偽善者、人種差別主義者でーす」

ペッタン。

反捕鯨の見るからにレーシスト風のにーちゃんが、オーストラリア人であると、

「オーストラリア全員が人種主義者」だという。

もし、そういう理屈が成り立つなら、きみの人生で出会ったクソ日本人を思い出してみよ。日本人全員が彼もしくは彼女のような人間であるかどうか落ち着いて考えてみるがよい。レイシズムは、そのにーちゃんの個人的な病気なのであって、それを「オーストラリア人全部」のようにいうのは、それはきみの頭の構造がきみが攻撃してやまないレイシストと全く同じ構造をしているからです。

どんなに反捕鯨でカッチンカッチンに固まった合衆国人でも、シーシェパードが商売であれをやっているくらいは知っています。アホにもわかる明快さだからな。

しかも最近はディスカバリ・チャンネルで人気番組をつくったほど流行るショーバイである。

誰がそこまで、あのくだらなくもあれば(80年代のむかしから故意に捏造したデータをつくりあげたりして)不誠実でもある商売を成長させたかというと日本のひとだとわっしは思ってます。

グリーンピースが路線を敷いてシーシェパードが拡大した、日本人に「反捕鯨は人種差別だ西洋人の傲慢だ」と言わせる作戦にまんまとのって、それどころか「オーストコリア」だの「反日女優」だのと期待以上の働きを見せる人間が続出して、傍観していたひとびとにまで「日本人の異常さ、訳のわからなさ、薄気味悪さ」を印象づけることに成功した。

あーゆーバカバカな日本人たちを見ていると、わっしですら「八紘一宇」を思い出します。

日本人はアジア征服戦争を「アジアの白人からの解放」をうたい文句にして始める、という当のアジア人たちがあまりの厚顔無恥ぶりに唖然とするような破廉恥で鉄面皮な偽善でスタートしました。「日本人は、われわれ中国人を襲い強姦し殺しまくって、それを中国人のためだと言った」とわっしの中国人の友達はいまでも、(アニメの話になると日本人の才能を目を輝かせて話すのに)唇を震わせて言う。

日本のひとが「人種差別」を口にするとき、世界中のひとが自動的に思い出すのは、要するに、そーゆー歴史的な事実である。

日本ではあまり言われないが日本を一歩でも出てみれば日本人こそが最悪の人種差別主義者だと言われているのを知らないはずはないと思うが。

西洋人の鯨肉に対する一般的な感想は、年寄り共は「あんな不味いもん、よく食うなあ」であって、それ以外のひとは、「きもちわるー」であると思います。

しかし、だね。

わっしの義理叔父はスペインで目ん玉付きの、皮をひんむかれて無念そうに歯を剥き出したウサギが肉屋にずらりと並んでいるのを見て、「きっしょくわるー」とゆってましたが、それと同じことなだけで、だからと言って、どうということではない。

「鯨を助けなければ」というのは、もともとは日本の捕鯨のやりかたが効率が良すぎて、実際絶滅寸前までいったのがことの来歴である。

食う、食わない、に関しては、日本のひとで言えば犬を食べる人たち(中国、韓国、ベトナム、タイ、ミャンマー、カンボジア)に対する感情と似ているでしょう。

しかし、ではなぜ、鯨よりも遙かに人間の友人として意識される犬を食べる民族に対してよりも鯨を捕る日本人に対してのほうが憎悪が強まりつつあるか、というと、その捕鯨を推し進めようとするにあたって使う理屈や手段が、いかにも卑怯で虚偽であるからです。

このブログでも何度も書いたように「調査捕鯨」のような奇妙な日本の役人の世界でしか本来通用しない理屈をでっちあげたところで、わっしにはもう勝負がついているように思われる。これからは、一年一年、捕鯨シーズンがくるたびに、ますます「卑怯で嘘つきで傲慢な日本人」のイメージが世界中にひろまっていくだけである、と思う。

本来の理由は、要するにひとの嫌がりそうなことなら目聡く見つけて、それをネタに相手を苛める、というだけだが、ただのアホの口実にしても「捕鯨・鯨食」を理由に、あちこちで日本人が襲われたり殺されたり(どちらの例も警察は認めなかったが、日本人留学生たちは、「憎悪犯罪」であると信じている、とゆっておった)しているのを見ていると、日本の政府が国内向けによくやるインチキロジックを国外に適用しようとした結果、そのインチキと杜撰さの代金は日本人の、特に学生が憎悪と暴力を浴びるという形で代償を支払っているわけで、どうにかしたほーがいーのでは、と相変わらず思ってます。

2006年にブログを書いたときは、日本の友達はみな「捕鯨なんかいまさら問題にされないよ」と笑っておった。

それからしばらく騒ぎに騒いで、いまはまた日本のひとは自分の国が捕鯨をしていて他国の特にガキ共が、いまや「悪の帝国(日本のことです)の世界に対する挑戦」としてそれを受け取りつつある、ということを忘れてしまいつつあるようですが、しかし、わっしの観察するところ、グリーンピース・シーシェパードの注文相撲でここまで来た「捕鯨問題」は、あの目立ちたがりでヒーロー気取りの集団の思い通りの展開でいっそう以前より深いところで日本と日本人にダメージを与えつつあるようです。

ダイジョブかなー。

ついでに思い立ったので過去の鯨関連(^^)のブログ記事を並べておきます。

前に読んだ人はリンクをおしちわないよーに。

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20071226

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080314/p1

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080508/1210203315

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20081125/1227666391

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20090128/1233087709

http://moa2008.wordpress.com/

ははは。結構いっぱい書いてるな。

プーとはいえ、なんちゅうヒマ人でしょう。

(注)わっしがショーバイやオベンキョーの世界のプレゼンテーションの場で日本のひとを観察した印象です。

観念にどんどんのめり込んでひきづられていって、それと不即離な現実がなんであったか忘れてしまうところがあるよーだ。そういう集中力の特性なのでしょう。

多分、日本人の高い生産性と表裏いったいなのではなかろうか。

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One Response to 捕鯨、くじるら、くじられるりら?

  1. ursaemajpris says:

    はじめまして。さっそくですが、newsing に本エントリーを投稿させていただきました。http://newsing.jp/entry?url=d.hatena.ne.jp%2Fgameover1001%2F20090714%2F1247655812

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