Monthly Archives: August 2009

通のマスメディアを持つ不幸

「そんなことは、いやしくもマスコミの人間なら誰でも知っていた」と、いろいろな「ジャーナリスト」があちこちで書いてます。 前からブログを読んでくださっているひとたちは、わっしの趣味のひとつが 「過去の雑誌の蒐集」であることをおぼえているであろう、ちゅうか、おぼえていてね、さんきゅ。 雑誌は正直である。 ひとつには、まさか自分が雑誌に書き飛ばした記事を40年経ってすみずみまで読むやつがいるとは思わないからかもしれません。 「覆面座談会」や「今年の総括」で記者たちが何を「知っていた」と話しているのかというと「田中角栄がロッキードから賄賂をもらっていること」乃至は「首相が賄賂をあちこちから受け取っていたこと」であって、当時の政治記者の「常識」だったそうである。 では、なぜ書かなかったか。 日本人の友達に訊いてみると、 「番記者」制が理由だという。 特定の政治家に特定の記者がはりついて「お話を聞かせてもらう」。 毎晩食事は政治家がおごってくれる。 秘書たちと麻雀卓を囲む。 頼まれもせんのに使い走りを買ってでるバカまでいるそーだ。 そうやって「政治家的世界」に同化していった記者は日本の政治世界の楽屋裏について俄然「通」になってゆきます。 あのひとは、いまこーゆー状態で立場がこうだから、「ここなら勝てる」というのは「あそこでは負けるに違いない」という意味だ。 「善処する」と、あのタイミングでいうのは「拒否する」という意味である。 そんなこともわからないで政治を語るな。 音楽屋のバンスや鮨屋のガリどころではなくて、文章がまるごと符丁であったりする。 広い意味で隠語的ギルドを形成しておる。 記者クラブに象徴される現代日本式大本営発表の完成です。 わっしがワインで酔っぱらってモニとふたりで遊んでいるあいだに日本ではLDPが惨敗して民主党が大勝したもののようである。 第一報は「日本人、改革を望む気持ちを表明」 みたいなものだったが、そのうちに会員制ニューズレターのようなものを通して、 日本のマスメディアがいっせいに「小沢支配への移行」をニュースにしだしたことを伝えてきます。 日本のメディアは選挙に強い小沢なしに民主党はたちゆかないであろう、と報じているという。 どうやらこれは「改革」などというものではなくて日本人の過去への退行であるらしい、 と外国人たちは考えだします。 賄賂で失脚したはずの小沢一郎がなぜどうやって国政を支配できるのか、長くわかりにくい解説が続いたあとで、参考として「田中角栄の闇将軍支配」の解説が添えられている。 結局、ニューズレターを読んでいる方は、なあーんだ、日本はいつもの後ずさりを始めただけなのか、と思う。 選挙にでかけた日本人の意思はマスメディアの段階ですりかえられて、いつのまにか「国民が雪崩をうって小沢一郎のような旧タイプの政治家を支持した」ということになってしまった。 選挙のあと、日本語サイトを読むと、そこには「小沢一郎の大勝利」が描かれておる。 呵々大笑、を絵に描いたような破顔の小沢一郎が写真に映っています。 小沢一郎というひとは、小泉純一郎と並んで日本国内での評価と国外での評価が極端に違うひとです。 小沢一郎への評価は、ちょうど自殺した韓国の元大統領盧武鉉への評価とうりふたつである。 どちらが実像かは判りませんが、たとえばワシントンDCのアジア部門で働く人間にとっては「約束を守らない男」「信用できない政治家」であることが常識であって、もっとも聞きたくない名前のひとつでしょう。 新中国派にとっては千載一遇の日米同盟を破壊するチャンスである。 多分、これから先、合衆国は主要な局面で中国のみを軸としたアジア外交を強いられるに違いない。日本を外すこと以外に選択肢があるとは思えない。 しかし、と日本の政治にはほとんど興味がないわっしですら思うのです。 ちょうど日本のマスメディアが「世界」についての虚像を国内に流し続けてきたように、 今度は同じ回路を逆にたどって世界に向かって「玄人にしかわからない政治世界」を日本人がいっせいに支持した、という事実と異なるメッセージを世界に伝えているだけなのではあるまいか。 … Continue reading

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ナマケ日記(3)

須賀敦子の全集欠けていたぶんが着いた。河出文庫。 全部そろっちった。 こんなものが出ているとは知らなかったので驚いた。 須賀敦子の本は全部ニュージーランドに送ってあったのでこっちでも読めるようになって便利。 ***** Snow Leopardをインストール。 はえーじゃん。さすがはハードで稼ぐソフト会社アップル。 Apple II のときからジョブスの戦略は全然かわらん。 ***** TempranilloのワインがTierra Serenaだけになっちった。 日本は安い良いワインを売っているところが少なくて閉口。 ***** 広辞苑第六版をドーニューしました。 ***** モニとふたりで顕微鏡でいろいろなものを拡大して絵に描いて遊ぶ。 古典的なタマネギの細胞とか。 モニは絵がジョーズでうらやましい。 接眼レンズ筒のかわりにCMOSカメラを取り付けてPC画面で標本が見られる。 標本のつくりかたをモニに教授する。 「科学に強いダンちゃんは良いな」とゆわれて、ひくひくするほど喜びました。 ***** 午後はクラプトンの弾き方をマネして遊びました。 Help the Poor やっぱり結構良いな。 ちょっと、クラプトン、見直した。 ***** 西瓜と生姜を混ぜたお菓子をつくって食べた。 サンマを焼いて食べる、というのをやろうと思ったら、あまりの料理中の臭さに挫折。 この家の換気扇はプロ厨房用なのに。 魚を捌くところまではモニもわっしもうまくやったのになあ。 くっせえー(ごめん) ***** MacBookProのHDDをWDの320G/7200rpmからSeagateの500G/7200rpmに換装。 30インチディスプレイにつないだら1920×1200しかでねー。 … Continue reading

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桐生悠々

戦前の日本の議会には傍聴席に双眼鏡を手に携えた軍服を着た将校の一団がいました。 軍部の利益に相反する発言をする議員があると、その名前を記録し、軍が組織を挙げて 妾の有無、収賄の有無、家族のなかにたとえば非行に走った息子や娘がいないかどうか、 特に世の中の人間に知られると本人の「恥」になるようなことがないか、徹底的に調べ上げた。日本陸軍という組織は、軍事上の作戦立案においては「兵力の逐次投入」の専門家であった上に空想的としかいいようがないバカバカな作戦しか考えられなかった癖に、こういう身内相手の姑息な陰謀となると妙に頭のよかった組織で自分たちの反対者を黙らせるためにはどうすればよいか、というようなことに関しては素晴らしい才能をもっていたのです。 日本の言論弾圧の特徴は西洋のように「すでに公表された意見」を弾圧する、という形をとらず、「空気を読め」という、その「空気」を濃厚に自分たちの思想で染め上げることによって「ものを言えなくする」ことにあります。 それは、いまでも変わらない。 たとえば天皇家についての言論上の禁忌を考えれば納得がゆくと思います。 多分、日本のひとたちは自分たちに言論の自由がない、ということにすら気が付いていないだろうとわっしは観察しています。 こういう江戸時代の農村的な「息苦しさ」は日本の近代史の特徴ですが、なかには変わった人がいる。 8月のあいだじゅう、わっしは「日本はなぜ戦争を始めたか」ということに説明を与えてくれそうな本ばかり読んでいました。近衛公の本や天皇の独白録、以前やはり英語側の本で系統立てて読んだこととあわせると何かわかりそうな気がしたからです。 「日本がなぜ戦争にはしったか」というようなことは英語人にはぜーんぜん興味がないことなので、きっとそのうちにこのブログの記事になると思います。 桐生悠々、という名前は、そういう読書のなかで出会った名前でした。 わっしが知らなかっただけで日本では有名なひとだそうである。 信濃毎日の主筆として五・一五、二・二六と続く軍人の圧倒的な暴力の嵐のなかで、その暴力をまったく恐れないひとであるかのように、桐生悠々は軍部こそが日本を破滅に導くものだと論難し、軍部の欺瞞、「誠心」や「大義」というような口当たりの良い言葉に隠れた薄汚い野心を弾劾します。 おそるべき勇気であって、「豪勇」というような言葉は、この眼鏡をかけて冴えないちょびひげを生やしたおっちゃんのためにあるのではないでしょうか。 主筆をやめざるをえなくなり、名古屋にひきこもったあとも今度は「他山の石」という個人誌(!)を出して軍部を糾弾します。 日本人にも、こんなひとがいたのだなあ、と思うと、なんだか胸が熱くなるようだ、と考えました。 「昭和よ、御前は今日から、その名を「暗闘」と改めよ」と書いた 桐生悠々は1941年、日本が太平洋戦争を始める3ヶ月前に死にます。 死んだあとには伏せ字だらけで、なにがなんだか全然わからない記事ばかりの「他山の石」とたいへんな数の「洋書」が残されていたそうです。 わっしは、その「洋書」のなかにポール・ヴァレリーがあるのを見て、へえ、と思いました。 桐生悠々がほんとうに生きたかった世の中がどういうものであったか、ちょっと判ったような気がしたからです。 そこには文明化した日本人というものの原像があるように思える。 日本が日本人が生来もっている文明的知性に見合った社会をどうしても実現できなかったくやしさが覗いているように思えます。しかも彼はそうした最大の秘密をひとことも言わないまま死んでしまった。 その沈黙の大きさが後世彼を有名にした政治的勇気となり剛勇となったのでしょう。 すごい。

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炎暑の夏うさぎ

す、涼すい。すずすいのう。気持ちいい。 楽しいのい。 ころころころ(ベッドの上でモニのほうにわしが転がる音)、 しゅぅぅう(眠っているモニさんの身体の手前に寸止めで止まって、モニさんの周りに立ちこめるいい匂いのする空気をすっているとこ) ころころころころ(ベッドの反対側にもどってくる音) ころころころころ。 しゅぅぅ。 ころころころころ。 むふふ。 ほんまに、涼しいのはいいのい。 日本の夏は暑い。 無茶苦茶な暑さであって、真に殺人的、であります。 オソーシキも実際多いようだ。 わっしは、こんなにくそ暑いところというのは、タイの南のほう、とかメキシコの低地とかシンガポールとか、そのくらいしか知らん。 物理的にはタイのプーケとかのほーが暑いはずだが、そーゆー印象がないのは、多分、いるところにはどこにでもプールがあって、日がな一日プールにつかって遊んでいるからだすな。 最後にごろごろしていたプールはテラスからいきなり豊島園みたいに複合されておるプールに飛び込んでホテルのどこにでも泳いでいけたので、おもろかった。 夕方になると、背泳ぎしながらコウモリが椰子の木のあいだを飛び回るのを眺めたりした。 また、行きたいのい。 津波の被害も恢復したというからな。 地中海のカッチョイイ避暑地にあるEl Faroはまだちゃんとあってミシュランにも載っているが、わっしが好きだったプラヤ・デル・カルメンのEl Faroはなくなってしまったよーだ。コンクリートの頑丈な建物だったから、ハリケーンで壊れたはずはないが、町全体がハリケーンで壊れちったそうなので、客がいなくなったせいでしょうか。 あの大きなテラスでマルガリータを飲んで遊べなくなったのは寂しい。 タイ人の姉妹がやっていたピナコラーダが途方もなくおいしいバーもなくなってしまっただろうか。 気の小さい若いスペイン人がリセプションに座っている、年中空調が止まるホテルや、フランス人の姉妹が経営する水深10メートルの水がちべたくて気持ちのよホテルはまだやっておるのだろうか。 メキシコの海岸の町では夕方になると自転車にリヤカーみたいなのをつけたアイスクリーム屋さんがやってくる。手作りアイスクリーム。 すごおく、おいしいんです。 おっちゃんがシャリシャリシャリとやっているのを、ゆでだこみたいになって暑いのを我慢しながら、じぃーと待つ。 「ほれ、出来たがな」と差し出されたアイスクリンを夢中で食べる。 あー、なつかし。たまらんですのう。 もう2年近く行ってねえでねーか、メキシコ。 シンガポールは夏用に出来ておる。 冷房の効いた地下を通って、あちこち行けるしな。 アンバサダーホテルの一階のカフェで夜中にチキンライスを食べる、とか、 朝ご飯を食べにタクシーでマクスウエルセンターに出かける、とか、 あの「食っちゃ寝」生活がシンガポールのよいところです。 スコットから住宅地のほうにずずずずぅーとはいったところにある一軒家のインド料理屋みたいに、うまいタンドリもあるしな。 なにしろ、わしの頭の中ではシンガポールは東京と二択の街なので、東京によくやってくるぶん全然行かなくなっちったが、「中華化した」っちゅうても、やっぱりシンガポールはシンガポールで、よいところもいっぱい残ってます。 東京の夏は物理的条件が示すより暑いよーな気がする。 わっしは地下鉄とかは乗らん。 … Continue reading

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十全外人ガメ・オベール中間報告

あと3ヶ月だべ。 前回までの遠征で日本文化を征服して十全外人ガメ・オベールを称しておったのにsleepyheadさんwindwalkerさんの鋭い指摘で「ものすごく偏った日本観」をもっているだけだというのがばれたので、再遠征しにきたんだす。 最後のほうはめんどくさくなってバックレちった十全老人乾隆帝よりも遙かに良心的です。お徳度も10倍お徳だとゆわれておる。(なんのこっちゃ) お陰でトルコ文化とインド文化の征圧が遅れておるが、やむをえない。 でも日本語うまくなったんだお。 まず速度が違うな。 浦島太郎の亀とエイトマンくらい違うであろう。 魚ついでにいうとソードフィッシュと天山くらい異なる。 (なにをゆっているかわからんひとは兵器史の本を立ち読みするよーに) このブログのいちばん初めの記事、「あけおめでごんす」という記事は、わしの「自称日本人時代」から生き残っておるゆいいつの記事ですが、あれを書くのに13時間かかった。広辞苑とくびっぴきで、ついでにサイトの日本語を読みまくって「自然な日本語」を切り貼りしまくった。 えっ、あれって、じゃあ盗作なんでねーけ、と思った、そこのきみ。 「寛容は非寛容に対して寛容であるべきか」でも、読みなさい。 なんで? 難しいことは考えてはいかむ。 いまは速いのい。 こーゆーことをヘーゼンと自分で自慢出来るのがサイノーなわけだが、たいていの日本人よりも書くのがはやくなった。 はずである。 読むのも速いぞ。 わっしは昨日、寝椅子に寝転がって大好きな戸井田康二の「中村雅楽全集」を再読しておった。 午寝に最適な気候であった。 すると、見よ、さっきまで13ページだったのが、気が付くと一瞬で220ページではないか。 光速だの。 もうちょっとでも速く読むとページはどんどん白紙になってゆくであろう。 弓の名人はいよいよ技神にいると弓を見ても何だかわからなくなる、というが、心境としては限りなくそれに近いな。 何が書いてあったか、おぼえてないもん。 皮肉ではなくて日本では「思想」とは「情緒と感情の傾向」のことです。 「どうしても、こうじゃないとやだもん」という集団的情緒が生じて、それを後だしの理屈でみなが納得するために理屈はある。 そのうちブログに書こうと思いますが、東条英機とかが、仏印進駐までやっておいて、合衆国がくず鉄の輸出を禁止すると、「えっ、なんで?」とゆって、ぶっくらこいたりするのも、そーゆー日本のひとの独特な「ぼくが見た世界が世界だもん」という主観的世界観のせいである。 いまも、あんまし変わらんよーだ。 桐生悠々や斎藤隆夫のようなひとは、「こうなってからでは遅い。もう、遅いのだ」とゆってくやしがりましたが、いまの日本は、桐生悠々が「あそこで気が付くべきだった」と思ったような線を跨いで越えつつあります。 そんなバカな、ときみが笑うのをわしは知っていてゆうのだが、日本は軍国化しつつある。加藤陽子がいうのは正しい。 日本人はすでに「歴史を自分の都合だけで拾い読みするひとびと」によって枉げられた歴史を信じ始めている。 「いやなことはいいたくない新聞記者」であった司馬遼太郎の上品さも、悪いほうに働くに違いない。 半藤一利の危惧は正しかったのです。 あのひとは、どうしても昭和も書いておくべきだった。 これから先はきっと自分が最も憎んでいたひとびとによって御神輿として担がれるだろうと思います。 司馬遼太郎は小説を書いているつもりだったのが、死んだあとでは彼の書いたものは日本国の正史になってしまった。 まさか日本人が歴史のなかから自分に都合がよいところだけモク拾いしてつなぎあわせるところまで落ちぶれるとは思っていなかったのでしょう。 わっしには、まだ出だしとはいうものの、もう戻れない曲がり角を日本という社会は曲がった、と思ってます。 ヨソモノにはヨソモノの言葉で、住んでいるひとよりもよく判ることがある。 … Continue reading

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選挙

日本は選挙なのだそーである。 国政選挙。 もっともわっしには選挙権がないので関係がない。 うるさいだけです。 毎日、おっちゃんやおばちゃんが自分の名前を連呼してます。 聞いている方は、この国のひとって自分が投票したい候補者の名前をおぼえてねーんだな、とか、たまたま名前をおぼえたのを書くのだろーか、とかいろいろ考える。 万が一「政見」とかを知りたいひとがいる場合は、問い合わせのお手紙を書くシステムなんでしょうか。 わっしは二週間くらい前に投票した。 「えー、なんで? ガイジンのくせに、そんなことあるわけないじゃん。 我が国はガイジンの人権は認めていないはずだ」ときみはいうであろう。 ニュージーランドは国民でなくても外国人にも投票権を認めてます。 日本は、そーはなっておらぬ。 そのくらい、わっしでも知っておる。 違うんです。 わっしが投票したのはニュージーランドのリファレンダムであって、「親が子供の尻をたたく権利を認めるか否か」という国民投票であった。 わっしもちゃんと投票しました。 どうやって? 国際郵便で送ってくるのね。 Yes、Noと書いてあって、印をつけてくれ、と書いてある。 親が子供に暴力をふるう権利があるわけはないので、Noとつけて送ります。 しばらくして日本の新聞の記事が出ておった。 「ニュージーランド、子供を折檻する権利を89%の賛成で可決」 な、なぬ。 リファレンダムが実施になっただけでもアホらしい、と思ってたのに、そんなもんが可決されるほどアホなのか。 ニュージーランド人はやめて来年はオーストラリア人でいくべ、と思っていたら、 次の日にはアサヒに 「ニュージーランド、子供を折檻する権利を9割近い反対で否決」と出ておった。 新聞記者の諸君は、もっと英語をベンキョーするよーに。 自分の意見を「事実」として報道するのは国内ニュースだけにしてね。 日本の選挙は投票率がとっても低いのでユーメイです。 ベルギー人は、日本の投票率を聞くとすごくうらやましがる。 あの国は選挙が「国民の義務」で取り締まりも厳しいからな。 投票が国民の厳粛な義務なのです。 まずくすると監獄行きの可能性もないとはゆえぬ。 日本の選挙の投票率が18%であった、と聞いて、 「まあ、なんて、いい国なんでしょう。自由の国なのだな」という。 道を歩いていると、選挙カーが反捕鯨船用に開発したと思われる音波砲を乱射しながら走ってきます。「○○○でーす。よろしくお願いしまーす」「XXXでありまーす。最後のお願いにあがりました」 「△△△、△△△、△△△、△△△を男にしてください」 あんまり言うと、シュジツして女にしちゃうぞ、とわっしは交差点で並んだ候補者に横目で「イービルアイ光線」を送ります。 そしたら「ありがとうございまーす」とゆって手をふられてしまった。 … Continue reading

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コメントへのご返信828

コメントを付けていただいたみなさん、すんまへん、またたまっちったのでこっちで答えます。 windwalkerさん、 韓国人やレイシストとかのことになると頭の悪いヘンなおじさんみたいなことばっかりゆっているのに、普通のことになると鋭いのい。 かっこええやん。 >日本のマンガの絵ってのは、当然のことながら描画メソッドの集大成なんだよ。 いっくらわっしがマンガ・アニメ音痴でも、そのくらい知っとるぞ。 エーゴの「日本の歴史」みたいな本にも日本の「マンガ」は遠く奈良時代の鳥獣戯画に起源をもつ、とか必ず書いてある。 あとメルボルンとかニューヨークとか、そーゆー街ではこの頃年がら年中「マンガ展」みたいなのがあってね。 手塚治虫生誕何周年なんちゃってマンガの歴史とか大々的にやってるもん。 小布施っちゅう、町全体がじーちゃんばーちゃん向けの読売ランドみたいな情けない町があるのですが、そこに葛飾北斎のちっこい美術館があります。 そんでもってそこのお土産やさんでわっしは「北斎漫画」を買った。 線が戦前戦後期の漫画と同じ系譜っすな。 こーゆーものが漫画の直截の祖先かなあー、と思いました。 だから、 >なんか理由はわからんが描線を主体にした日本風の絵を描けるアメリカ人はあんまりいないし、いても正直言って上手くない。たとえアジア人でも、子供の頃からアメリカに住んでるやつはダメだ。 というのは、文化の継承ということを考えると、当たり前なのよね、きっと。 前に台湾の奴は結構うめえーんだよ、というお話があったでしょう? わっしがむかし教わったチューゴクゴ及び漢文の個人教師のおっちゃんは日本に長い間(70年代)留学していたのですが、留学しているあいだじゅうセル画描きのアルバイトをしていたそーです。他にもセル画描きのバイトをしている台湾人はいっぱいおった、とゆってました。 そーゆーことも関係あるのかもしれねっすな。 >アメリカのプロの漫画家って、日本で言うと 「どこかの公立高校の学年で3番目ぐらいに絵がうまい奴と同レベルで、同人誌を描いたら20冊売れるかどうかのラインの人」 というのが結構いるんだよな。 アメリカのいわゆる「アメコミ」の場合は、あの伝統的なドキタナイ線がかえって障碍なんじゃないでしょうか。 フラッシュゴードン、とか、バットマン、とか、ほとんど正視できないくらいひどいもんね。わしお話自体は好きだけど。 >ちなみにこれは、アメリカで仕事した俺の知り合いとネットでBlogを開設してた漫画家ほとんど全員が証言してるから、たぶん事実なんだろう。 ほんとうでしょう。 >そもそもアメリカで漫画描いたらアニメ化・ゲーム化・映画化・舞台化・玩具化などの隣接著作権を出 版社側に取られるって、それいったいどういう冗談だよ? よくそんな滅茶苦茶な条件で漫画家なんてやってるな、ジム・リー以外誰も怒らなかったのかよ、そ れじゃまるで作画奴隷じゃねえか、と思う。 ぬわるほど。 そーゆー問題があるのだな。 自分でも書いているけど、それが最大原因でしょう。 最近日本でも漫画家が出版社のバカヤローとゆってあばれているそうだが、ほんとでしょうか? そーだとすると、日本の漫画も、もうあんまり進展しないのかな。 メジャー業界の幹が太くないとたとえば「吾妻ひでお」みたいな面白い枝が出てこない。 わっしは幹も好きですが、なんでも姿がいい、カッチョイイ枝が好きなので、ジャンプとかはやっぱり600万部くらい売れてもらわないと、つまらん。 一方で長い間若い漫画家の実験場兼餌場であったエロ本を若者がこそこそと読みつづけないと困る。 わっしはむかしむかしドイツの高速道路脇の店でおっちゃんがもうひとりのおっちゃんのチン○をむさぼっっている写真を見たのがトラウマになっておるので、子供がそーゆーものを見ないですむ、ということは大事だと思いますが、あんまり規制ばっかりやると、おもわぬところで文化って死ぬのよね。 やっぱり文化のものは基本は「野放し」に限りますのい。 >自分で書いてて答が出たわ。 … Continue reading

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ナマケ日記(2)

午寝をしていたらヒュームの墓の前に立っている夢を見た。 エディンバラの城が見える墓地にある、あれだす。 なぜわっしがヒュームの墓を夢に視ないといかんのでしょう。 不明。 よく散歩した場所ではあるが。 ***** 鎌倉の妙本寺の墓地もいいな。 ぶあいそなおばちゃんたちがやっているおにぎり屋からゆるやかな坂をあがってゆくと、墓がたくさんある。 奇妙な造形の墓。 読めない文字。 ***** わっしの山の家の自分の部屋には長い間ムンクの「嫉妬」が飾ってあったが、ちょっと納屋にはいってもらうことにしました。 カウチに寝転がっていると、あのコワイ視線に射すくめられるから、ではない。 その眼がだんだん悲しげに見えてきたからです。 わっしは、そーだったのか、と考えた。 ムンクのバカめ。 ***** PCの木製ラックをつくりなおした。 日立の電動ねじ回しを使ってね。 びゅいいいいーんびゅいんびゅいん。 でも右か左かロックできたほうが使いやすいのい。 明日はAcerのなかみを買ってきたケースにうつさねーと。 電源のレシートをよく見たら三万円近くしていたのでのけぞりました。 そーだっけ? 本体、買えるやん。 ***** 「丸善洋書部」で買った「テヘランで読むロリータ」を寝っ転がって読んだ。 どーも、この頃はエーゴの本ばかりでたるんでおる。 日本語の本も他の外国語の本も、読むのめんどくさい。 結局エーゴの本ばかり読んでいるではねーか。 なんちゅう軟弱さでせう。 それはともかく。 面白い本でした。 アマゾンで調べてみたら、さすがは翻訳大国日本、日本語版も出てるのい。 おすすめいたします。 ***** 当用漢字他のアメリカの対日言語政策の本読み漁る。 バカバカしいこと限りなし。 日本人は、おとなしすぎる。 ***** … Continue reading

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ナマケ日記(1)

T国ホテルからタクシーに乗って東京駅前の丸善に行く。 スーザンソンタグの本を買った。 (母国語ブログで必要だったので)ラッセル卿の「西洋哲学史」をまた買う。 3回目だの。 なんで、わっしが、あんなエロおやじの本を三回も買わなあかんねん。 ***** 戻ってきてみると、T国ホテル全館に制服がうようよしておる。 「軍人」が嫌いなモニ、きれる。 こんなところにいたくない、という。 ごもっともであります。 長野の「山の家」でもゆくべか。 薪つみのおっちゃんに電話して訊くと、18度だそーだ。 それなら東京にいる必要ない。 ***** ACERのCorei7ぶっ壊れたので、中を開けてみたら、どーしよーもない、線の引き回し方であって、うんざり。 テスタで、壊れたのは電源であると判明。 秋葉原にケースを買いに行く。 選んだケース、重さだけで17キロ(電源別) 店員のおっちゃん、自分でもこのケースを買ったそうで、長さが足りなさそうなケーブルを教えてくれる。 こーゆーことは日本でしか起こらないので、ラッキーどす。 ***** レセプションに「夏ばてしたから予定を縮めて帰ってもえーですかいの」と訊くと、OKどした。 広尾の家では散歩が暑そうなので、いきなり軽井沢まで出張る。 帰りにも新宿の紀伊国屋によって本を結局総計300冊くらい買う。 アホちゃいまんねんパーでんねん、であることを再確認。 でも紀伊国屋、いいな。 三省堂よりずっと良い。 アマゾンみたいな巨大バッタ屋に負けずに頑張ってほしいっす。 ***** 広尾の家に寄ってモニが持って行きたい顕微鏡と天体望遠鏡(両方ビクセンだす。顕微鏡はCMOS付き天体望遠鏡ももちろん「PC対応」じゃもんね)をクルマに載せた。 モニは子供のようだ。(そう言うと怒るが) いつもえばっていて、かわいい。(そう言うと、ものすごく怒るが) 高坂でクルマを駐めて、ふたりで「マイセン」のサンドイッチを食べた。 インターエフエムが聞こえなくなったので、iPodをセットしました。 Concha BuikaとPink。 ***** 軽井沢は、涼しいのい。 他には取り柄がない町だが。 道が暗いのと天気が涼しいのは宝です。 … Continue reading

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主のない個展

日比谷の某ビルのてっぺんで、わっしはワインを飲みます。 パキスタン人のウエイターのHと日本の夏は暑いのう、わし、めげたから山の家に撤退したい、パキスタンでは、こんなの夏じゃないよお、45度だぜ45度。 白人は軟弱だね、ぬはは、という。 けたけたと笑い転げてから、 そーゆえばガメちゃんは絵が好きだったよね、とゆってHはパンフレットを出してみせた。 明るい色の、くっきりとした絵である。 アクリル、かのい。 これ、ぼくがときどき行く画廊で貰ったの。 来週からだってよ。 知らない女の画家です。 パンフレットの日本語がなかなか頭にはいってこない。 モニが、テーブルの向うがわからパンフレットの絵柄を「面白いな」とゆいながら観てます。 どんなひとだろう、画廊にゆけばあえるだろうか。 ガメ、翻訳して聞かせなさい。 えーとね、と言いながら急いで日本語頭に切り換えてパンフレットを読んでいたわっしは、絶句してしまった。 この展示会に飾られる絵は誰にも買えない、のだそーだ。 赤丸、アカポチ、なしだのい。 展示会の主催者は、どの絵も売りたくない、とゆっておる。 どの絵も手放すわけにはゆかない。 前代未聞の展覧会です。 読み進んでみると、そのどこまでも明るい絵を描いた画家は、もう死んでおる。 展示会主は旦那さんで、妻の絵を誰かに見て欲しいと願った。 自分ではうまく判らない、のだそーです。 なんちゅう、ぶわっかたれな個展主でしょう。 わっしは涙でその先が読めないではないか。 奥さんの絵が画廊の壁に飾られるのは初めてなのだそーだ。 すごいなあ、と思いました。 日本のひとは夫婦間の仲が冷たいのでよく他の国のいろいろなメディアに出るが、 それは、ほんとーなのだろうか。 日本人の、奥さんは2階の寝室で寝て旦那は階下で趣味に夜中まで没頭する夫婦像は世界中にあまねく行き渡っておる。 でも、そーゆー映像から推察される「愛情を媒介としない」夫婦像は、ほんとうはほんとうなのだろうか。 わっしは、自分が知っている限りではただひとつの「どの展示作品も売らない」展示会のパンフレットをHにもらって立ち上がります。 日本のひと、うまくゆえないが、カッコイイのい。 (来週は)その場所へゆかねば。

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猿の国

映画「猿の惑星」で支配者としてふるまう猿たち、というのは実は日本人のことです。 うっそおおおおー、と思うでしょう? あれだけ人種差別にド敏感な事典版2ちゃんねるのwikipediaをいま見ても、載ってないもんね。どーも、マジでこの国のひとは知らないよーである。 わっしのほうは、日本に来て初めて「TSUTAYA」で「猿の惑星」DVDを見たとき、いーのかなあーと思いました。なんで? いや、なんとなく、です。 だって、ほら、やっぱり貸しビデオ屋さんに「南京大虐殺」とか置いてあったら嫌でしょ。 だから、ちゅうか。 この映画の原作を書いたピエール・ブールというひとは、戦争中日本軍にビシバシひっぱたかれて半死半生になりながらクワイ川の橋のために働かされて心から日本人を憎んでおった。その日本人に対する底知れぬ憎悪がやまない自分の気持ちと折り合いをつけるために「戦場に架ける橋」という本を書いた。 そ。作品賞でオスカーを取った、日本風に言うと、「アカデミー賞映画」のあのアレックス・ギネスやなんかが出てくる、あれです。 雪舟、も出てくるのい。 その次に日本人という「猿」たち(すまん)にうんとこさいばりくさられた自分たち「文明人」の皮肉な気持ちを書いたのが「猿の惑星」なんです。 どーだ、驚いたか。わっしは日本のひとがこんなユーメイな、ちゅうかジジイのフランス人なら誰でも知っていることを知らないので、日本に来て、逆に驚いちった。 歴史上、日本人のことを公文書で露骨に「猿」と呼んだことではロシア皇帝のニコライ2世がユーメイである。 ドイツ皇帝も「猿」とゆった。 皇帝、なんちて威張っていても、頭の中身はその程度であったことがよく判ります。 …….。 なんだか書いていて愉快な話題でないのが判ってきたので、書こうとおもっていたことを大幅に省略してブッチして書くと、文明を受容した、というときの「文明」は19世紀以降では西洋語を使う人間のもののことです。 知りませんでしたか? 文明、というのは西洋人の概念なのであった。 だってマヤ文明って言うぜ、ときみは言う。 違うのだな。 「マヤ文明」というのは、マヤンも、よおーく見てみれば、西欧の「文明」と似た体系をもっているではないか、というだけで、きみもいつのまにか「西洋人」の眼でマヤンのつくったものを見ているだけのことなんです。 いま日本語でいう「文明」はイメージとして、そういう西洋文法の脈絡のなかで投影されている。 なーんだ、そんなこと、当たり前ではないか、ときみはいうであろう。 ほんとうに、そうか? きみは、いま洋服を着ているでしょう。 なかなか似合ってもいるに違いない。 しかし、わしの偏見で偏光した映像によると、きみは浴衣を着ているほうがカッチョイイ、というか、なんとゆえばよいか、きみの魂から発したオーラがそのままダイレクトに伝わってクールじゃん、というきみが着物を着たときのあの感じがないのです。 洋服のきみはカッコイイが、なんとはなし、切り花のようである。 ときに造花のようにすら見える。 残念だが、そうなのです。 板についておらぬ。 金髪、とかに髪を染めていると、失礼にもガイジンは「ぶっ」とかいう音を立てる。 へをぶっこいた(下品でごめん)わけではない。 笑いの発作に負けたのです。 カッコワルイ。 カッコワルイ、と思っちゃいけない思っちゃいけない思っちゃいけないと自分に言い聞かせるのに、「ぶっ」。 マネ、というのは難しいんです。 本質が理解できないとマネられん。 わっしは、ちょっと前に初めて韓国製のクルマに乗った。 … Continue reading

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夏の一日

とんとことんとことこてんとこてん。 日比谷公園から盆踊りの音が聞こえてきます。 わっしは突然パイドパイパーについていった子供たちの気持ちを理解する。 世の中には「ひとを歩かせる」「ひとを遠くへつれさってしまう」チューンというものがあるのだな。 盆踊り、の場合は、「遠く」とは「彼岸」のことなのだろうか。 あまりにマギー(蒸し暑い、という意味の英語だす)ちゃんなので、一分くらいしか公園には立っておられなかったが、しかし、カンドーしてしまいました。 お茶の水の三省堂に出かけてみるとひとがたくさんいる。 半分くらいは、なんだかおじーさんみたいなひとであって、老人ホームの生協書籍部、みたいである。 「歴史」の階のほうが若い人がおおい。 「あの戦争は正しかった」 「戦艦大和がどうちゃらこうちゃら」「零戦がうんちゃらかんちゃら」 「大東亜戦争は防衛戦争がたんたりたりたら」っちゅうような本が洪水のように置かれていて、毎年毎年えらい勢いで増えているようだ。 そーゆーことは別にして、日本では夏は「戦争」の季節なのだなあ、とあらためて認識します。 棚での「日本の戦争は正しかった」の洪水を見てなにがなし疲れちったわっしは銀座に戻って冷や酒でハモを食べた。 浴衣はいいなあ。 夏のお堀端はいいなあ。 熱帯の空気のなかで柳の枝が揺れておる。 なんという不思議な風景だろう。 わっしはシンガポールに行かなくなった。 3年くらい前から、突然、というくらいの唐突さで社会が変質したからです。 人間から「ひたむきさ」が失われた。 要領がよくなって、ウソをつくようになった。 シンガポール人の友達は、こういう変化を「中国化」と呼んでいたのをおぼえています。 そう言っている本人もわっしの考えではなんとなく「中国人」だと思っていた。 見た目も姓も中国人だからな。 だからふいをつかれた。 そのとき初めて、わっしはシンガポールが直面している深刻な危機を理解したのでした。 「ガメ、広尾のアパート、売っちゃえば?」とモニがいう。 もう来ないかもしれないし、どうせ東京にいるときだってほとんどめんどくさがってホテルにばかりいるではないか。 日本にいるときじゃないと、売るにしても、なにかとめんどーでしょう、という。 うん、そーなんだけどね。 一瞬、この世界のうえに大好きな街がどこにもないような気がして、不安になるわっし。 なんでだかわからないけど、ひどい寂しい気持ちが外套のようにわしをすっぽりくるんでしまう。 とんとことんとことこてんとこてん とんとことんとことこてんとこてん また日比谷公園からパイドパイパーのリズムが響いてきます。

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東京裁判

64年前、わっしがいま泊まっているホテルにひとりのインド人が泊まっていました。 インドのなかでも田舎の出身であって、食事のマナーを知らずに周囲の欧州人の眉をひそめさせ、当時は完全に洋式であったホテルのバスタブの外で身体を流しては階下の部屋を水浸しにしてホテルの部屋係を嘆かせたそうです。 何度ゆっても直らなかった。 このひとは名前をラダビノド・パル、とゆった。 極東国際軍事裁判、通称、「東京裁判」に招かれてやってきた。 国際法の専門ですらなかったが、このひとは奇妙なひとでした。 全身全霊で「法の正義」というものを信じていたのです。 法は法の原理によって導き出された結論が言葉に出来るのでなければならない、という、 まるでエウクレイデスのような考えを信奉していたひとです。 東京裁判はいろいろな意味で常軌を逸した裁判でした。 弁護側も訴追側も初めから最後まで日本人の「ウソをつく癖」に悩まされた。 戦争が終わったときに少しでも具合が悪そうな書類は全部燃やしてしまったので、それでダイジョブと思うほど幼稚な狡猾さを持っていた。 日本人たちは、その上で、誰がどんなふうに見たところで本人が実行したことですら、「やってない」という。 裁判というものは、まず具合の悪いことは否定する、というゲームのようなもの、と思っていたかのようであった、と いろいろなひとが書きとめています。 書類を全部保持しておいた上で正面からナチの正統性を訴えたドイツ人たちとはえらい違いであって、連合国の法官たちは、「こりゃ、ちょろいな」と思った。 狡いだけで頭が悪かった、っちゅうか、なにしろ弁護側が必要な書類まで焼いてしまっていたので手続き上の基礎的な弁護すら出来なかったのです。 「心証」などというものは、ほとんど言うまでもなかったでしょう。 この当時の日本の「上層部」は義理叔父が教えてくれた日本の中小企業のおっさんたちと非常によくにておる。 日本の製造業やなんかの中小企業のおっさんたちは、ちょっと前までは税務調査がはいるとなると、帳簿を捨ててしまうひとが多かったそうです。 「なくなっちゃいました」とゆえば証拠なんかありゃしねーから、あとはどーとでも言いくるめられる、という(^^;) 事実関係の書類もみんな焼かれてしまったので、いちいち証言をとらなければならなかった面倒くささと煩雑さは、いま資料館に残っている書類をちょいと瞥見しただけでも、げんなりしますが、しかし、日本人たちの態度を見て、連合国側は先行きを楽観します。 「どんどん首つりにしちまうべ」と思う。 そんな無茶な、と日本のひとはいまでも憤慨しますが、そしてそりゃ憤慨したくもなるでしょうが、自分たちがこのあいだまで「鬼畜米英」なんて、わっしからいうと味噌もクソも一緒にした敵の定義をしておいて、負けたからとゆって急に「裁判が公正じゃない」っちゆわれてもなあ、と連合王国の神様も言うでしょう。 国と国が戦争をするとき、というのは、相手の思想を廃絶するためにやるのです。 そんな簡単なことを知らなくてどーする。 アケメネス朝ペルシアとスパルタがテルモピレーで激闘したむかしから戦争とは思想の戦いなんです。 古代ギリシアというわがままでてんでんばらばらな自由人の国に自由なんか認めたら金輪際国家が成り立たないペルシア人たちが攻めてくる。 自由という概念の息の根を止めるためです。 「自由」というものがアイデンティティであったギリシア人たちは、だから最後のひとりがぶち死ぬまでテルモピレーで戦った。 相手の国が議会をもっていれば「敵」はそれを破壊しにやってくる。 敵の国が「天皇制」をもっていれば本来はそれを破壊して絶対否定をしにくるのです。 天皇を中心とした欽定憲法があれば、それを自分たちの憲法と似たものに変えにくるであろう。 だから、いまの憲法がほんとうはアメリカ人たちがつくったものなのではないか、というような「疑問」は日本人以外の国民には理解不能で、そりゃ、あーた、アメリカ人のつくったものに決まっておる。 だって、そのために遙々カエル飛びをしながら東京まで攻めてきたんじゃもの。 やっとたどりついた敵の首都で相手の憲法を変えないでどーする。 戦争が戦史に残る世界記録達成のボロ勝ちだったうえに、勝ってみると予想よりもさらに態度が卑怯きわまる日本人たちを見て、連合国側は「ほーれ、みたことか。日本人なんて草の家に住んで同じ人間を神様だと崇めている野蛮人なんじゃん」とグルーのような戦争中にすら合衆国内をドサ巡りして歩いてマジメに日本擁護論をぶって歩いた(日本ではもちろんグルーは鬼畜米人の筆頭に数えられていた…いつものことだすな)「理性的人間」をバカにします。 「日本人なんて、力をみせればちょろいぜ。見て見給え、男共は卑屈に愛想笑いをして揉み手をしておる。女たちは、夢見る瞳でしょもない二等兵を眺めておるではないか」 当時はほとんどの日本人も「戦犯は悪い奴らだから早く処刑しろ」と思っていた。 証言がいくらでも残っています。 … Continue reading

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軍靴の響き

横浜の山下公園から再開発された赤レンガ倉庫を通って演習用の帆船日本丸まで遊歩道があります。 わっしはむかし横浜の「おばちゃんの定食屋」さんへゆくと、だいたいここをぶらぶら歩いて帰った。行きは横浜駅から水上バスでどわどわどわとエンジンの音が響く水上バスで行く。 この頃はクルマで行くので通らなくなっちった。 シカゴの会社がつくった日本で初めての鉄橋も非現実的なくらい狭い血湧き肉躍る狭軌の線路の跡も、もう見ることがなくなった。 最後にここを通ったときのことをまだおぼえています。 高校を中退して大検で大学にはいった韓国系日本人の友達が大学を卒業したので、わっしはお祝いに日本にやってきた。 ふたりで中華街で酔っぱらってへろへろと大観覧車のほうへ歩いていった。 ジエータイのひとがいっぱいおる。 みんな久しぶりの休暇なのでしょう。 楽しそうである。 写真を撮りあって笑いさざめいています。 みていて楽しくなるような光景です。 にこにこして見守っていたおじちゃんのひとりが、若い人たちが楽しそうにしている様子を見てなにかしてあげたくなったのでしょう。 「ぼくがみんなの写真を撮ってあげようか」と女の将校に申し出た。 おじちゃんはびっくりしておったな。 女将校が、「いいえ、これはわたしたちの夜なので結構です」とずいぶん強い厳しい口調でゆったからです。 他の自衛官も、みな迷惑そうにいっせいにそっぽを向いておる。 おっちゃんは別に酔ってはおらなかった。 見た目もふつーである。 そばで見ていて、わっしも驚いた。 書いてあらわすのは難しいが、その瞬間的で厳しい拒絶にはどこかしら異世界のものの誘いを拒むような調子があったからです。 第一、わしの国なら集団の軍人に親切にする物好きなんていねーよ。 おっちゃんがニンニクを食べ過ぎて口が臭かった、とか、 わしのたっているところからは見えなかったが、おっちゃんが羽織っていたカッチョイイバーバリのコートの下は実は裸で下半身が露出されておったとか。 そーゆー理由でしょうか。 わっしがいま泊まっていてモニとふたりで遊びほーけている日比谷のホテルではいろいろな国の将官が集まってPACCS(よくわからんが、多分、Post Attack Command and Control Systemかな?)の巨大コンファレンスを開いているもののようです。 制服のひとがいっぱいうろうろしておる。 モニとわっしは広尾のアパートに忘れ物をしておったのを思い出して駐車場からクルマを出して取りにいった。 タクシーをとめるために立っているだけで行き倒れになりそうなくらい湿気がすごいのでやむをえない。 アパートのライティングデスクを開けて、忘れていたものを取り出してニャハハあったと喜んですぐにホテルに戻ってきた。 戻ってみると駐車場は混んでおる。 ぶおおおと駐車場をあがってゆくと何やらひとの声がしてます。 「すみません。すみません」となにやら若い人がへこへことお辞儀をしてます。 ベンツに乗ってえばりくさったおっちゃんが怒ってます。 なにごとならむと窓を開けるわっし。 … Continue reading

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わかりやすさ

日本では評判がよろしくないらしい小泉純一郎というひとは日本から一歩外に出るとえらく評判がよかったひとです。 プレスリーのマネをして、エアギターをやってみせたときには、プレスリーの娘のみならずブッシュもドン引き自失呆然でニュースを見ていた人たちも一瞬日本の国債はやっぱり売った方がいいな、と思った。 しかし、そーゆー本然がちょっと見えちゃったりするときの他は、おおむね、評判が良かった。 なかんずく小泉首相が首相になったときには「コイズミが首相になった」ということそのものが日本にとっては大きなプラスでした。 すごいインパクトであった。 いくらレーサイでも、わっしは投資家なので、こういうことははっきり言えます。 日本の評論家やマスメディアが知っていて黙っていることがある。 あのとき小泉首相が誕生していなければ、日本は今頃とっくに経済的に破滅している。 IMF国化していたかどうかは別にして、トヨタが売れようがキャノンが頑張ろうが、もうとっくに経済的にはオダブツでした。 あのプレスリーおじちゃんのせいで、まだ国が立っておる。 日本人は小泉純一郎を首相に選んだ。 海外の投資家たちは「ウソだろ」と思った。 第一、あのひと派閥の支持もないいやん。 暴力団組長襲名と日本の首相誕生には派閥がかかせないのを知らないのか。 ニュースがほんとうであることがわかるとダッシュで日本に資金をつぎこみました。 日本では「頭がいかれている」ということになっているコイズミさんは、同じくらい頭がいかれているガイジンどもにとってはただひとりゆっていることが理解できる政治家だったからです。 「政府は小さくする」 「派閥なんていらねー」 「郵政も民営化する」 「改革できないんなら自民党なんかぶっつぶす」 もともと知能が高すぎるらしき日本のひとたちは、「よう言うよ」と冷ややかに迎えるひとが多かったようですが、ガイジンどもはテーノーなので、どうしてそんな何年も前からやらなきゃいけないに決まっていた改革を、玄妙でくろうとっぽくていろいろに事情を勘案した不思議な理屈にみなで肯きあって延ばしてきたのか判らなかったので、 バカ同士の連帯を感じた。 「強いものが勝つような社会はよくない」という。 強いものが勝つ社会をつくってしまった合衆国のひとにインタビューしてごらんなさい。 百人中の百人が日本人とまったく同じように「強いものが勝つような社会はよくない」と言うから。 強いものが勝つ社会をつくろうと思って、あれをつくっちったんではなくて、社会が破滅しないように必死こいて考えてやったら、ああなったのです。 なにも弱肉強食社会をつくろうとしてんじゃねーよ、と合衆国のばかっぷりをあますところなく体現しておるブッシュですらゆーであろう。もしかしたらバカの上に悪党でもあるチェイニーでも、そのくらいのことはいうかもしれぬ。 ひょっとしてひょっとするとバカの上に悪党でしかもその上に強欲でイヤな奴ですらあるラムズフェルドでもそう思っているかもしれません。 もっとも最後のおっちゃんは、葉巻がテーブルの上にあって、最終的にはベッドまでついてきてくれる銀座ホステスとは根本的に制度が異なる綺麗なねーちゃんが侍っておるラウンジで、ちらと考えるだけだとは思うが。 「弱いものもナマケモノも不運だった人も、狡をして税金をくすねようとしているひとも、みんなで生きてゆこうね」という社会には競争力がなさすぎて、どもならん、というのがこの50年間に人間が学習したことだった。 そこから「弱いものもナマケモノも不運だった人も、みんなで生きてゆく」けど税金をくすねて給料にする奴はゆるさねえ、という対策をおったてたのが欧州です。 そんなもの監視なんかできないから、弱いひとには自力更生してもらって資源を生産性が高い人間のところに集中しちゃうべ、という方針を立てたのが合衆国である。 オーストラリアとニュージーランドは欧州型から合衆国型にジャンプした。 着地しそこなって、いまちょっと腰をさすってるところだけどな。 日本は….日本の場合は、なにゆってんだか全然わかんねー国だったのです。 行政改革をするはずだったのが、行政改革をする役の役人のぶんだけ数が増えたり、 金融は自由化されたのに、肝腎の外国資本に対しては苛めに近い態度に出て実質的に「お断り」したり、見ていても、何がやりたいのかちょっともわからない。 そこに、なんか見た目からして、自分たちにわかりやすいおっちゃんが首相になって、ゆーこともわかりやすいので、あっ、ほんなら、わっしもちょっとこの国にお金はってみんべ、と思った人が多かったのす。 元にもどっちった。 むかしむかし日本で大臣やってたひとの「お孫さん内閣」ちゅうかなんちゅうか、 … Continue reading

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つられ笑い

日本のひとの目立って他と異なる文化的特徴に「つられ笑い」をするということがあります。 周りの人が笑うと無意識に一緒に笑う。 それもまわりが爆笑すると一緒にほんとうに爆笑する。 爆笑している日本人の友達に 「いまの何で可笑しかったかわかりましたか?」と訊くと、 マジメな顔をして首をふります。 今度は、わしのほうが微笑してしまう。 日本のひとだなあ、と思います。 日本の人自身は気付かないことですが、「日本人は不誠実だ」とか「日本人は周りを見渡してはマネをするだけの民族だ」というような濡れ布は、どうも歴史的には、この「つられ笑い」を観察した西洋人たちの日本人評に淵源があるよーだ。 すでに19世紀には「日本人の不愉快な癖」としてあちこちに顔を出します。 近くは「ノッティングヒル」に出てくるホテルマンにキスする日本人ビジネスマンは、明らかに「つられ笑い」から思いついたアイデアでしょう。 間違っておるかも知れないが、わっしの観察では西洋人たちがそうだ、と考えたように、 「みんなが笑っているから、おれもここで一緒に笑っておかないとまずいな、取りあえず笑っておくべ」と考えて笑っているのではなさそーだ。 もっと自動的な反射行動のように見えます。 わっしはハルノートよりなにより、日本がドイツの尻馬に乗ることばかり考えて「三国同盟」を結んだ瞬間に合衆国は日本と開戦してたたきつぶすことを決意したと思っています(ハルノートそのものが合衆国の外交常識にはないもので、あれは「外交文書」ではなくて「戦争への意思表示」ですから)が、そこに至る意志決定をたどってゆくと服部や石川といった作戦課長クラスの下剋上士官たちの頭の出来のお粗末さは別にして、いちいち名前はあげませんが、将官クラスの軍人や大臣たちの顔ぶれを見ると、いまの閣僚などは足下にも及ばないほどの叡知のひとたちがいたにも関わらず、そういうひとたちの意見はまるで発せられず、いちばんバカで物欲しげな意見が国の意志を代表してゆく不思議さに打たれます。 そのことと「つられ笑い」はなにか関係があるのではないでしょうか。 三国同盟に最後の最後まで反対であって、「イタリアやドイツのような国と組むことになって自分は子孫のことを考えると心配で耐えない」とまで公言して反対した昭和天皇は 日本人としては例外的に「つられ笑い」をまったくしないひとであったと入江相政というひとがどこかに書いておったのをおぼえてます。 みなが誰かの冗談に大笑いしていると 「おまえたちは、なにをそんなに笑っておるのだ? どこが可笑しいのか?」という。 入江侍従がお上のために説明申し上げると、突然得心した天皇陛下が今度はひとりで呵々大笑する。 わっしは、きっと昭和天皇があれだけ情報から遮断されながらただひとり正常な判断力を保ちつつづけた最大の理由は、その「日本人が誰でももっている情緒的能力」の欠如にあったのではないかと考えます。 あくびがうつりやすいひとは気持ちのやさしいひとであると心理学者はいう。 では、つられ笑いをする国民は、どんな国民なのか、わっしは興味があります。

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つられ笑い

日本のひとの目立って他と異なる文化的特徴に「つられ笑い」をするということがあります。 周りの人が笑うと無意識に一緒に笑う。 それもまわりが爆笑すると一緒にほんとうに爆笑する。 爆笑している日本人の友達に 「いまの何で可笑しかったかわかりましたか?」と訊くと、 マジメな顔をして首をふります。 今度は、わしのほうが微笑してしまう。 日本のひとだなあ、と思います。 日本の人自身は気付かないことですが、「日本人は不誠実だ」とか「日本人は周りを見渡してはマネをするだけの民族だ」というような濡れ布は、どうも歴史的には、この「つられ笑い」を観察した西洋人たちの日本人評に淵源があるよーだ。 すでに19世紀には「日本人の不愉快な癖」としてあちこちに顔を出します。 近くは「ノッティングヒル」に出てくるホテルマンにキスする日本人ビジネスマンは、明らかに「つられ笑い」から思いついたアイデアでしょう。 間違っておるかも知れないが、わっしの観察では西洋人たちがそうだ、と考えたように、 「みんなが笑っているから、おれもここで一緒に笑っておかないとまずいな、取りあえず笑っておくべ」と考えて笑っているのではなさそーだ。 もっと自動的な反射行動のように見えます。 わっしはハルノートよりなにより、日本がドイツの尻馬に乗ることばかり考えて「三国同盟」を結んだ瞬間に合衆国は日本と開戦してたたきつぶすことを決意したと思っています(ハルノートそのものが合衆国の外交常識にはないもので、あれは「外交文書」ではなくて「戦争への意思表示」ですから)が、そこに至る意志決定をたどってゆくと服部や石川といった作戦課長クラスの下剋上士官たちの頭の出来のお粗末さは別にして、いちいち名前はあげませんが、将官クラスの軍人や大臣たちの顔ぶれを見ると、いまの閣僚などは足下にも及ばないほどの叡知のひとたちがいたにも関わらず、そういうひとたちの意見はまるで発せられず、いちばんバカで物欲しげな意見が国の意志を代表してゆく不思議さに打たれます。 そのことと「つられ笑い」はなにか関係があるのではないでしょうか。 三国同盟に最後の最後まで反対であって、「イタリアやドイツのような国と組むことになって自分は子孫のことを考えると心配で耐えない」とまで公言して反対した昭和天皇は 日本人としては例外的に「つられ笑い」をまったくしないひとであったと入江相政というひとがどこかに書いておったのをおぼえてます。 みなが誰かの冗談に大笑いしていると 「おまえたちは、なにをそんなに笑っておるのだ? どこが可笑しいのか?」という。 入江侍従がお上のために説明申し上げると、突然得心した天皇陛下が今度はひとりで呵々大笑する。 わっしは、きっと昭和天皇があれだけ情報から遮断されながらただひとり正常な判断力を保ちつつづけた最大の理由は、その「日本人が誰でももっている情緒的能力」の欠如にあったのではないかと考えます。 あくびがうつりやすいひとは気持ちのやさしいひとであると心理学者はいう。 では、つられ笑いをする国民は、どんな国民なのか、わっしは興味があります。

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Lに

ルクセンブルクのポルトガルバーで会った日のことをおぼえていますか? わっしは世界というものが嫌いな何も判っちゃいない大学生で、あなたは、こんな名前はあなたには相応しくないが、 あなたはそんなものよりも何倍も素晴らしいひとだったが、天使そのものだった。 他に、どんな呼び方がありうるだろう? 4月の季節外れの嵐のなかで、あなたと会った。 ホテルの男の子がやってきて、あなたのことを伝えに来た。 あなたは初めから妖精のようであった。 肉体がある、どころか、誇らしげに輝かしい肉体を誇示する妖精だった。 わっしは19歳で途方にくれている単純で蒙昧な肉体だったわけです。 あの灌木が茂った丘の上で、あなたとわっしは遠くまで続く田園を眺めた。 わっしが我慢できなくなって、「あなたは天使のようだ」というと、30歳になる天使なんていないわ、と言って笑った。 あなたがあれほど結婚しなさいとすすめたモニが今日はヘアドレッサーに行っていたのでよかった。 わしは狼狽した夫という姿を見られないですんだわけです。 日本という遙か彼方の国で、有楽町駅の前に立っていたわしの手元にあなたが死んだというメールがくる。 純粋な人間はみなあなたのように白い粉にまみれて死んでしまう。 わっしのように、すれっからしになる、という防衛策を持ち得た人間だけが生き延びてゆけるのです。 わしがいる東京は今日も神様の汚ない息で曇っています。 われわれの非人間的な神の圧倒的だが驕慢な知性でこの街の空も曇っている。 わっしは(あなたの死を知ったので)モニにあうために美容室を探しているのに、この知らない人たちがつくった街では東も西もわからなくて、どうしても見つからなくて泣きたくなる。 どうして、わしはこんなところにいるのだろう、と考えてばかばかしい気持ちになりました。 トンブリッジウエルの径を一緒に歩いた。 わしは、いまでも木洩れ日のなかに立っていたあなたの途方もない美しさをおぼえています。 あなたは人間は信頼するに足る存在だと言ったが、ほんとうなのだろうか。 あなたは人生は過ごすに価する時間だと言ったが、わしにはちゃんとは信じられないのです。 この国には、あなたと同じ「人間はウソをつくから信用できるのだ」という意見の小説家がいて、なにを言っているか誰にもわからなかった虚しい演説のあとで首と胴体が離ればなれになったのを、あなたは知っていましたか? わっしはホテルのテラスに出て、あたりを照らす光のなかで あなたとモニが共通に好きなSeydou Keitaの写真集を見た。 夜のなかで囁き交わすひそやかな「声」を聴いた。 そして、こんな世界はもうたくさんだ、と考えました。 ばかばかしい。 もう、うんざりです。

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ここではないどこかへ

英語ではローナーというな。 わっしはもともとはひとりでいるのが好きなほうである。 モニと結婚したり、友達がふえてきたり、なんだかインチキみたいな会社をもったりするようになったので、いつも誰かと一緒にいるが、そしてそれは楽しいことだが、 ときどきひとりでいることが懐かしくなります。 意識していたわけではないが、隙さえあればダッシュでどっかの国に行っちって、フリップ・フロップって、日本語ではなんちゅうんだ、ゴム草履、かのい、ゴムゾーリひとつでメキシコのプール掃除のにーちゃんに化けていたり、黒いスーツに身を固めてディスコの入り口の両脇に立っているにーちゃんに化けていたり、いろいろな役をやって喜んだりしていたのも、自分が生まれついた社会的自分がつまらん、と思ったからでしょう。 いま書いていて気が付いたが、外国語に対する興味なんて自分で考えても全然ないのに、こうやって外国語を使ったりするのも実は同じ理由によるものなのに違いないっす。 そうやって社会との紐帯が全然ないメキシコならメキシコで遊びほうけて、ねーちゃんたちといままでとは異なる新しい社会的関係をマジメに構築していたりしていたころ、いちばん嫌なのは同国人と会うことであった。 特に王国のひとは嫌であった。 わっしは「けんぞうさん」が賢くも見破ったとおり、ほんとうはアンドロイドなのでスコットランド訛とイングランド語とカンタベリー訛を完璧に話せる。 やる気になれば脳が溶けたような合衆国語、なかんづくヤンキー語も話せます。 ハリウッドのヘッドハンターがわしのような人材を見逃しているのが不思議である。 しかしわしの同国人はいちじるしく意地が悪い人間が揃っているので、さりげなくもともとの言語を相手からひきだすことになれておる。 かすかなアクセントで、一発で見破ってしまう。 見破ることは同国人であることだけではないのです。 きみとぼくは一緒にサラミスの海戦で戦ったのに、なぜきみはこんなところにいるのか。 きみはきみのアゴラに帰らなければダメではないか、っちゅうようなことをヘーキでいう。 そーですか。 つまらんのう。 わっしは、自分の知っているところではないどこかに行きたかったのにビッグ・ディッパーは、どんなに遠いところへでも連れて行ってくれるのに、気が付いてみると、あれほどの興奮のあと、いつでも出発点に戻ってきているのはいったいなぜだ。 人間の人生なんてくだらねえー。入場料返せ、と思う。 人間以外の言葉を話せるようになればどうか。 アルマクの第五惑星人の言語の教科書はなぜこの惑星では売っていないのか。 神様の語彙を人間にちょっとも分けて寄越さなかったのは神様の吝嗇ではないのか。 おかげで、わっしには判らないことが多すぎる。 ちぇっ、全然わからんと思いながら、 部屋にはいってきたモニさんのほうを、振り返ると、モニさんは賢いので一瞥しただけでわっしが何を考えているか判る。 滑るように歩いてくると、立ったまま、椅子に座っているわしの顔を自分の身体にむぎゅっと押しつけます。 ガメ、考えてばかりいないで泳いでくれば。それでもダメならお堀のまわりを走ってくればよい、という(^^;) 三人寄ればモニの知恵、と日本の諺でもいう。 吾妻ながらなんという叡知の深さでしょう。 どおりゃ鉛の臭いのする道をぐるっと走ってくるかの。 それがすんだらモニといつか行ったビルの地下のとんかつ屋に行ってみよう。 おっちゃん、また「おれの人生って、鍋の油のなかに沈んじった。いや、もうとんかつは見るのもいやだぜ」なんちって、うんざりしたような顔をしながらすっげえうまいとんかつを揚げてくれるに違いない。

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コメントへのご返信その2

>Freikugel(通りすがりだった人)さん、 やっぱり「通りすがり」よりも名前があったほうがずっとカッコイイすな。 日本人はもっと誇りを持つべき、と聞くと「はあ、そうですか」と思いますが、よく考えてみると実体のない発言なんじゃないでしょうか。 「誇りをもつ」って、なんのこっちゃ。 たとえば日本で向こう1000年くらいは絶対に役に立たない研究をしているひとたちは、小柴先生のような「ク○の役にも立たない研究」によってノーベル賞をとれる国になった、ということについて、日本人としての大きな「誇り」をもっているでしょう。 ああいうのは社会が学問というものを理解していないと研究に手をつけることさえできない。 科学と社会の関わりというものをちょっとでも理解していれば、実際、日本のひとが「日本人として」誇りをもってよいことだとわっしは思います。 ライトウエイトスポーツカーに詳しいひとは、ユーノスロードスターをマツダがつくりえたことに「日本人としての誇り」をもっていると思います。 連合王国ではMX5、とゆいますが、MX5が出たときには、みなが驚愕したそうです。 日本のようにクルマの歴史が浅い社会にMX5みたいな滅茶苦茶シブイくるまがつくれるとは誰も思っていなかったので、腰が抜けるほど驚いた。 あの値段で、あんなことをやるとは思わなかった。 わっしが日本人ならMX5を世の中に送り出したことも「誇り」に思うでしょう。 つまり、「誇り」って、ブリキを拾って身につけるように簡単にホイと勲章にするわけにはいかないんですよね。 逆に誇りなんかもとうと思わなくたって自分の生活をマジメにやっておれば、「誇り」はいつのまにかそのひとの物腰や態度にあらあわれてくる、という体のものです。 わっしは、横浜で肉体労働者風のおっちゃんが、多分息子さんでしょう、小学生くらいの子供に、あの橋は、おれが若いときにつくった橋なんだぞ、と、おっちゃんひとりでつくったようなことをゆって威張っているのを見かけたことありましたが、その誇らしそうな顔はほんとうに「ベイブリッジをつくったひと」の顔であった。 「誇り」というものは、そう言う具合のものです。 田母神というひとは長い職業軍人生活のなかでつくってきたかもしれない彼の誇りを、 ケーハクな発言を公の場で繰り返すことで、自分の履いた土足で踏みにじってしまった。 もちっと、「軍人」という職業に誇りをもてばよかったのに、とわっしは思います。 >退職なされた将軍クラスの知り合いもいます。 退職した自衛官は、もっと発言したほうがいいと思います。 「国民に嫌われる軍隊」というのは「仮想敵国」なんかよりも、ずっと国にとって危険だと思いますが、日本のひとって、そーゆーことに著しく鈍感ですね。 わっしの観察ではもうだいぶん国民と軍隊のあいだに亀裂が出来ていて、いざ公認されたときにはまた文民を「地方人」と呼び出すのではないかとおもっています。 日本という国は役人が発明したひとりよがりのインチキロジックがたくさんある国だと思いますが、そういう浅知恵で誤魔化した制度、というのは、必ずあとで巨大なしっぺがえしになって国民のほうにもどってくる。 わっしが「自衛隊」の将軍なら、「いまにみておれ」と思うでしょう。 機会があれば軍部が圧倒的に強い政府をうみだしてみせる、と考えるでしょうね。 >日本では性犯罪が年々減っているそうです。 調べてみます。 >高校生とHした大学生が捕まったというニュースがあったと思います。あれは性犯罪に入るのでしょうか たいていの国では16歳未満の女の子と性交渉をもった場合は、相思相愛だろうがなんだろうが誘拐罪+強姦罪に問われると思います。 わっしが(日本の制度で言う)高校生のときの記憶で言うと大学生というのは「薄汚い豚オトナ」で、高校生の女の子に手を出すなんて、脂ぎった豚、という印象でした。 いやだった。 いまなら大学一年生と高校最終学年の女の子のカップル、ちゅうのは許容範囲でねーの、と思うかもしれませんが、でも、やっぱり見ていて気持ちのいいもんではねっすな。 >もしガメさんが日本で育っていたら捕まっていたかもしれませんね いえ、そーゆーわけなので、わしらが嵐のなかにいたときは高校生同士限定ですのい。 大学にはいったあとはオベンキョーのほうに関心が移ってしまったので、そっちは「あんなガキのやることはしらんわい」と思ってました。 >性犯罪が年々減っているそうです。 強姦、みたいなのは本質的に暴力犯罪であって性犯罪とはほんとうは動機が違うんです。 言い方が下品だが「やりたくてやりたくてやりたくて、強姦しちゃいました」なんてのは基本的には20代前半くらいまでしか起こらない。 それこそ(粗暴な人間なりの)「誇りをもつ」ための暴力なんだと思う。 … Continue reading

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