Monthly Archives: August 2009

通のマスメディアを持つ不幸

「そんなことは、いやしくもマスコミの人間なら誰でも知っていた」と、いろいろな「ジャーナリスト」があちこちで書いてます。 前からブログを読んでくださっているひとたちは、わっしの趣味のひとつが 「過去の雑誌の蒐集」であることをおぼえているであろう、ちゅうか、おぼえていてね、さんきゅ。 雑誌は正直である。 ひとつには、まさか自分が雑誌に書き飛ばした記事を40年経ってすみずみまで読むやつがいるとは思わないからかもしれません。 「覆面座談会」や「今年の総括」で記者たちが何を「知っていた」と話しているのかというと「田中角栄がロッキードから賄賂をもらっていること」乃至は「首相が賄賂をあちこちから受け取っていたこと」であって、当時の政治記者の「常識」だったそうである。 では、なぜ書かなかったか。 日本人の友達に訊いてみると、 「番記者」制が理由だという。 特定の政治家に特定の記者がはりついて「お話を聞かせてもらう」。 毎晩食事は政治家がおごってくれる。 秘書たちと麻雀卓を囲む。 頼まれもせんのに使い走りを買ってでるバカまでいるそーだ。 そうやって「政治家的世界」に同化していった記者は日本の政治世界の楽屋裏について俄然「通」になってゆきます。 あのひとは、いまこーゆー状態で立場がこうだから、「ここなら勝てる」というのは「あそこでは負けるに違いない」という意味だ。 「善処する」と、あのタイミングでいうのは「拒否する」という意味である。 そんなこともわからないで政治を語るな。 音楽屋のバンスや鮨屋のガリどころではなくて、文章がまるごと符丁であったりする。 広い意味で隠語的ギルドを形成しておる。 記者クラブに象徴される現代日本式大本営発表の完成です。 わっしがワインで酔っぱらってモニとふたりで遊んでいるあいだに日本ではLDPが惨敗して民主党が大勝したもののようである。 第一報は「日本人、改革を望む気持ちを表明」 みたいなものだったが、そのうちに会員制ニューズレターのようなものを通して、 日本のマスメディアがいっせいに「小沢支配への移行」をニュースにしだしたことを伝えてきます。 日本のメディアは選挙に強い小沢なしに民主党はたちゆかないであろう、と報じているという。 どうやらこれは「改革」などというものではなくて日本人の過去への退行であるらしい、 と外国人たちは考えだします。 賄賂で失脚したはずの小沢一郎がなぜどうやって国政を支配できるのか、長くわかりにくい解説が続いたあとで、参考として「田中角栄の闇将軍支配」の解説が添えられている。 結局、ニューズレターを読んでいる方は、なあーんだ、日本はいつもの後ずさりを始めただけなのか、と思う。 選挙にでかけた日本人の意思はマスメディアの段階ですりかえられて、いつのまにか「国民が雪崩をうって小沢一郎のような旧タイプの政治家を支持した」ということになってしまった。 選挙のあと、日本語サイトを読むと、そこには「小沢一郎の大勝利」が描かれておる。 呵々大笑、を絵に描いたような破顔の小沢一郎が写真に映っています。 小沢一郎というひとは、小泉純一郎と並んで日本国内での評価と国外での評価が極端に違うひとです。 小沢一郎への評価は、ちょうど自殺した韓国の元大統領盧武鉉への評価とうりふたつである。 どちらが実像かは判りませんが、たとえばワシントンDCのアジア部門で働く人間にとっては「約束を守らない男」「信用できない政治家」であることが常識であって、もっとも聞きたくない名前のひとつでしょう。 新中国派にとっては千載一遇の日米同盟を破壊するチャンスである。 多分、これから先、合衆国は主要な局面で中国のみを軸としたアジア外交を強いられるに違いない。日本を外すこと以外に選択肢があるとは思えない。 しかし、と日本の政治にはほとんど興味がないわっしですら思うのです。 ちょうど日本のマスメディアが「世界」についての虚像を国内に流し続けてきたように、 今度は同じ回路を逆にたどって世界に向かって「玄人にしかわからない政治世界」を日本人がいっせいに支持した、という事実と異なるメッセージを世界に伝えているだけなのではあるまいか。 … Continue reading

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ナマケ日記(3)

須賀敦子の全集欠けていたぶんが着いた。河出文庫。 全部そろっちった。 こんなものが出ているとは知らなかったので驚いた。 須賀敦子の本は全部ニュージーランドに送ってあったのでこっちでも読めるようになって便利。 ***** Snow Leopardをインストール。 はえーじゃん。さすがはハードで稼ぐソフト会社アップル。 Apple II のときからジョブスの戦略は全然かわらん。 ***** TempranilloのワインがTierra Serenaだけになっちった。 日本は安い良いワインを売っているところが少なくて閉口。 ***** 広辞苑第六版をドーニューしました。 ***** モニとふたりで顕微鏡でいろいろなものを拡大して絵に描いて遊ぶ。 古典的なタマネギの細胞とか。 モニは絵がジョーズでうらやましい。 接眼レンズ筒のかわりにCMOSカメラを取り付けてPC画面で標本が見られる。 標本のつくりかたをモニに教授する。 「科学に強いダンちゃんは良いな」とゆわれて、ひくひくするほど喜びました。 ***** 午後はクラプトンの弾き方をマネして遊びました。 Help the Poor やっぱり結構良いな。 ちょっと、クラプトン、見直した。 ***** 西瓜と生姜を混ぜたお菓子をつくって食べた。 サンマを焼いて食べる、というのをやろうと思ったら、あまりの料理中の臭さに挫折。 この家の換気扇はプロ厨房用なのに。 魚を捌くところまではモニもわっしもうまくやったのになあ。 くっせえー(ごめん) ***** MacBookProのHDDをWDの320G/7200rpmからSeagateの500G/7200rpmに換装。 30インチディスプレイにつないだら1920×1200しかでねー。 … Continue reading

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桐生悠々

戦前の日本の議会には傍聴席に双眼鏡を手に携えた軍服を着た将校の一団がいました。 軍部の利益に相反する発言をする議員があると、その名前を記録し、軍が組織を挙げて 妾の有無、収賄の有無、家族のなかにたとえば非行に走った息子や娘がいないかどうか、 特に世の中の人間に知られると本人の「恥」になるようなことがないか、徹底的に調べ上げた。日本陸軍という組織は、軍事上の作戦立案においては「兵力の逐次投入」の専門家であった上に空想的としかいいようがないバカバカな作戦しか考えられなかった癖に、こういう身内相手の姑息な陰謀となると妙に頭のよかった組織で自分たちの反対者を黙らせるためにはどうすればよいか、というようなことに関しては素晴らしい才能をもっていたのです。 日本の言論弾圧の特徴は西洋のように「すでに公表された意見」を弾圧する、という形をとらず、「空気を読め」という、その「空気」を濃厚に自分たちの思想で染め上げることによって「ものを言えなくする」ことにあります。 それは、いまでも変わらない。 たとえば天皇家についての言論上の禁忌を考えれば納得がゆくと思います。 多分、日本のひとたちは自分たちに言論の自由がない、ということにすら気が付いていないだろうとわっしは観察しています。 こういう江戸時代の農村的な「息苦しさ」は日本の近代史の特徴ですが、なかには変わった人がいる。 8月のあいだじゅう、わっしは「日本はなぜ戦争を始めたか」ということに説明を与えてくれそうな本ばかり読んでいました。近衛公の本や天皇の独白録、以前やはり英語側の本で系統立てて読んだこととあわせると何かわかりそうな気がしたからです。 「日本がなぜ戦争にはしったか」というようなことは英語人にはぜーんぜん興味がないことなので、きっとそのうちにこのブログの記事になると思います。 桐生悠々、という名前は、そういう読書のなかで出会った名前でした。 わっしが知らなかっただけで日本では有名なひとだそうである。 信濃毎日の主筆として五・一五、二・二六と続く軍人の圧倒的な暴力の嵐のなかで、その暴力をまったく恐れないひとであるかのように、桐生悠々は軍部こそが日本を破滅に導くものだと論難し、軍部の欺瞞、「誠心」や「大義」というような口当たりの良い言葉に隠れた薄汚い野心を弾劾します。 おそるべき勇気であって、「豪勇」というような言葉は、この眼鏡をかけて冴えないちょびひげを生やしたおっちゃんのためにあるのではないでしょうか。 主筆をやめざるをえなくなり、名古屋にひきこもったあとも今度は「他山の石」という個人誌(!)を出して軍部を糾弾します。 日本人にも、こんなひとがいたのだなあ、と思うと、なんだか胸が熱くなるようだ、と考えました。 「昭和よ、御前は今日から、その名を「暗闘」と改めよ」と書いた 桐生悠々は1941年、日本が太平洋戦争を始める3ヶ月前に死にます。 死んだあとには伏せ字だらけで、なにがなんだか全然わからない記事ばかりの「他山の石」とたいへんな数の「洋書」が残されていたそうです。 わっしは、その「洋書」のなかにポール・ヴァレリーがあるのを見て、へえ、と思いました。 桐生悠々がほんとうに生きたかった世の中がどういうものであったか、ちょっと判ったような気がしたからです。 そこには文明化した日本人というものの原像があるように思える。 日本が日本人が生来もっている文明的知性に見合った社会をどうしても実現できなかったくやしさが覗いているように思えます。しかも彼はそうした最大の秘密をひとことも言わないまま死んでしまった。 その沈黙の大きさが後世彼を有名にした政治的勇気となり剛勇となったのでしょう。 すごい。

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炎暑の夏うさぎ

す、涼すい。すずすいのう。気持ちいい。 楽しいのい。 ころころころ(ベッドの上でモニのほうにわしが転がる音)、 しゅぅぅう(眠っているモニさんの身体の手前に寸止めで止まって、モニさんの周りに立ちこめるいい匂いのする空気をすっているとこ) ころころころころ(ベッドの反対側にもどってくる音) ころころころころ。 しゅぅぅ。 ころころころころ。 むふふ。 ほんまに、涼しいのはいいのい。 日本の夏は暑い。 無茶苦茶な暑さであって、真に殺人的、であります。 オソーシキも実際多いようだ。 わっしは、こんなにくそ暑いところというのは、タイの南のほう、とかメキシコの低地とかシンガポールとか、そのくらいしか知らん。 物理的にはタイのプーケとかのほーが暑いはずだが、そーゆー印象がないのは、多分、いるところにはどこにでもプールがあって、日がな一日プールにつかって遊んでいるからだすな。 最後にごろごろしていたプールはテラスからいきなり豊島園みたいに複合されておるプールに飛び込んでホテルのどこにでも泳いでいけたので、おもろかった。 夕方になると、背泳ぎしながらコウモリが椰子の木のあいだを飛び回るのを眺めたりした。 また、行きたいのい。 津波の被害も恢復したというからな。 地中海のカッチョイイ避暑地にあるEl Faroはまだちゃんとあってミシュランにも載っているが、わっしが好きだったプラヤ・デル・カルメンのEl Faroはなくなってしまったよーだ。コンクリートの頑丈な建物だったから、ハリケーンで壊れたはずはないが、町全体がハリケーンで壊れちったそうなので、客がいなくなったせいでしょうか。 あの大きなテラスでマルガリータを飲んで遊べなくなったのは寂しい。 タイ人の姉妹がやっていたピナコラーダが途方もなくおいしいバーもなくなってしまっただろうか。 気の小さい若いスペイン人がリセプションに座っている、年中空調が止まるホテルや、フランス人の姉妹が経営する水深10メートルの水がちべたくて気持ちのよホテルはまだやっておるのだろうか。 メキシコの海岸の町では夕方になると自転車にリヤカーみたいなのをつけたアイスクリーム屋さんがやってくる。手作りアイスクリーム。 すごおく、おいしいんです。 おっちゃんがシャリシャリシャリとやっているのを、ゆでだこみたいになって暑いのを我慢しながら、じぃーと待つ。 「ほれ、出来たがな」と差し出されたアイスクリンを夢中で食べる。 あー、なつかし。たまらんですのう。 もう2年近く行ってねえでねーか、メキシコ。 シンガポールは夏用に出来ておる。 冷房の効いた地下を通って、あちこち行けるしな。 アンバサダーホテルの一階のカフェで夜中にチキンライスを食べる、とか、 朝ご飯を食べにタクシーでマクスウエルセンターに出かける、とか、 あの「食っちゃ寝」生活がシンガポールのよいところです。 スコットから住宅地のほうにずずずずぅーとはいったところにある一軒家のインド料理屋みたいに、うまいタンドリもあるしな。 なにしろ、わしの頭の中ではシンガポールは東京と二択の街なので、東京によくやってくるぶん全然行かなくなっちったが、「中華化した」っちゅうても、やっぱりシンガポールはシンガポールで、よいところもいっぱい残ってます。 東京の夏は物理的条件が示すより暑いよーな気がする。 わっしは地下鉄とかは乗らん。 … Continue reading

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十全外人ガメ・オベール中間報告

あと3ヶ月だべ。 前回までの遠征で日本文化を征服して十全外人ガメ・オベールを称しておったのにsleepyheadさんwindwalkerさんの鋭い指摘で「ものすごく偏った日本観」をもっているだけだというのがばれたので、再遠征しにきたんだす。 最後のほうはめんどくさくなってバックレちった十全老人乾隆帝よりも遙かに良心的です。お徳度も10倍お徳だとゆわれておる。(なんのこっちゃ) お陰でトルコ文化とインド文化の征圧が遅れておるが、やむをえない。 でも日本語うまくなったんだお。 まず速度が違うな。 浦島太郎の亀とエイトマンくらい違うであろう。 魚ついでにいうとソードフィッシュと天山くらい異なる。 (なにをゆっているかわからんひとは兵器史の本を立ち読みするよーに) このブログのいちばん初めの記事、「あけおめでごんす」という記事は、わしの「自称日本人時代」から生き残っておるゆいいつの記事ですが、あれを書くのに13時間かかった。広辞苑とくびっぴきで、ついでにサイトの日本語を読みまくって「自然な日本語」を切り貼りしまくった。 えっ、あれって、じゃあ盗作なんでねーけ、と思った、そこのきみ。 「寛容は非寛容に対して寛容であるべきか」でも、読みなさい。 なんで? 難しいことは考えてはいかむ。 いまは速いのい。 こーゆーことをヘーゼンと自分で自慢出来るのがサイノーなわけだが、たいていの日本人よりも書くのがはやくなった。 はずである。 読むのも速いぞ。 わっしは昨日、寝椅子に寝転がって大好きな戸井田康二の「中村雅楽全集」を再読しておった。 午寝に最適な気候であった。 すると、見よ、さっきまで13ページだったのが、気が付くと一瞬で220ページではないか。 光速だの。 もうちょっとでも速く読むとページはどんどん白紙になってゆくであろう。 弓の名人はいよいよ技神にいると弓を見ても何だかわからなくなる、というが、心境としては限りなくそれに近いな。 何が書いてあったか、おぼえてないもん。 皮肉ではなくて日本では「思想」とは「情緒と感情の傾向」のことです。 「どうしても、こうじゃないとやだもん」という集団的情緒が生じて、それを後だしの理屈でみなが納得するために理屈はある。 そのうちブログに書こうと思いますが、東条英機とかが、仏印進駐までやっておいて、合衆国がくず鉄の輸出を禁止すると、「えっ、なんで?」とゆって、ぶっくらこいたりするのも、そーゆー日本のひとの独特な「ぼくが見た世界が世界だもん」という主観的世界観のせいである。 いまも、あんまし変わらんよーだ。 桐生悠々や斎藤隆夫のようなひとは、「こうなってからでは遅い。もう、遅いのだ」とゆってくやしがりましたが、いまの日本は、桐生悠々が「あそこで気が付くべきだった」と思ったような線を跨いで越えつつあります。 そんなバカな、ときみが笑うのをわしは知っていてゆうのだが、日本は軍国化しつつある。加藤陽子がいうのは正しい。 日本人はすでに「歴史を自分の都合だけで拾い読みするひとびと」によって枉げられた歴史を信じ始めている。 「いやなことはいいたくない新聞記者」であった司馬遼太郎の上品さも、悪いほうに働くに違いない。 半藤一利の危惧は正しかったのです。 あのひとは、どうしても昭和も書いておくべきだった。 これから先はきっと自分が最も憎んでいたひとびとによって御神輿として担がれるだろうと思います。 司馬遼太郎は小説を書いているつもりだったのが、死んだあとでは彼の書いたものは日本国の正史になってしまった。 まさか日本人が歴史のなかから自分に都合がよいところだけモク拾いしてつなぎあわせるところまで落ちぶれるとは思っていなかったのでしょう。 わっしには、まだ出だしとはいうものの、もう戻れない曲がり角を日本という社会は曲がった、と思ってます。 ヨソモノにはヨソモノの言葉で、住んでいるひとよりもよく判ることがある。 … Continue reading

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選挙

日本は選挙なのだそーである。 国政選挙。 もっともわっしには選挙権がないので関係がない。 うるさいだけです。 毎日、おっちゃんやおばちゃんが自分の名前を連呼してます。 聞いている方は、この国のひとって自分が投票したい候補者の名前をおぼえてねーんだな、とか、たまたま名前をおぼえたのを書くのだろーか、とかいろいろ考える。 万が一「政見」とかを知りたいひとがいる場合は、問い合わせのお手紙を書くシステムなんでしょうか。 わっしは二週間くらい前に投票した。 「えー、なんで? ガイジンのくせに、そんなことあるわけないじゃん。 我が国はガイジンの人権は認めていないはずだ」ときみはいうであろう。 ニュージーランドは国民でなくても外国人にも投票権を認めてます。 日本は、そーはなっておらぬ。 そのくらい、わっしでも知っておる。 違うんです。 わっしが投票したのはニュージーランドのリファレンダムであって、「親が子供の尻をたたく権利を認めるか否か」という国民投票であった。 わっしもちゃんと投票しました。 どうやって? 国際郵便で送ってくるのね。 Yes、Noと書いてあって、印をつけてくれ、と書いてある。 親が子供に暴力をふるう権利があるわけはないので、Noとつけて送ります。 しばらくして日本の新聞の記事が出ておった。 「ニュージーランド、子供を折檻する権利を89%の賛成で可決」 な、なぬ。 リファレンダムが実施になっただけでもアホらしい、と思ってたのに、そんなもんが可決されるほどアホなのか。 ニュージーランド人はやめて来年はオーストラリア人でいくべ、と思っていたら、 次の日にはアサヒに 「ニュージーランド、子供を折檻する権利を9割近い反対で否決」と出ておった。 新聞記者の諸君は、もっと英語をベンキョーするよーに。 自分の意見を「事実」として報道するのは国内ニュースだけにしてね。 日本の選挙は投票率がとっても低いのでユーメイです。 ベルギー人は、日本の投票率を聞くとすごくうらやましがる。 あの国は選挙が「国民の義務」で取り締まりも厳しいからな。 投票が国民の厳粛な義務なのです。 まずくすると監獄行きの可能性もないとはゆえぬ。 日本の選挙の投票率が18%であった、と聞いて、 「まあ、なんて、いい国なんでしょう。自由の国なのだな」という。 道を歩いていると、選挙カーが反捕鯨船用に開発したと思われる音波砲を乱射しながら走ってきます。「○○○でーす。よろしくお願いしまーす」「XXXでありまーす。最後のお願いにあがりました」 「△△△、△△△、△△△、△△△を男にしてください」 あんまり言うと、シュジツして女にしちゃうぞ、とわっしは交差点で並んだ候補者に横目で「イービルアイ光線」を送ります。 そしたら「ありがとうございまーす」とゆって手をふられてしまった。 … Continue reading

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コメントへのご返信828

コメントを付けていただいたみなさん、すんまへん、またたまっちったのでこっちで答えます。 windwalkerさん、 韓国人やレイシストとかのことになると頭の悪いヘンなおじさんみたいなことばっかりゆっているのに、普通のことになると鋭いのい。 かっこええやん。 >日本のマンガの絵ってのは、当然のことながら描画メソッドの集大成なんだよ。 いっくらわっしがマンガ・アニメ音痴でも、そのくらい知っとるぞ。 エーゴの「日本の歴史」みたいな本にも日本の「マンガ」は遠く奈良時代の鳥獣戯画に起源をもつ、とか必ず書いてある。 あとメルボルンとかニューヨークとか、そーゆー街ではこの頃年がら年中「マンガ展」みたいなのがあってね。 手塚治虫生誕何周年なんちゃってマンガの歴史とか大々的にやってるもん。 小布施っちゅう、町全体がじーちゃんばーちゃん向けの読売ランドみたいな情けない町があるのですが、そこに葛飾北斎のちっこい美術館があります。 そんでもってそこのお土産やさんでわっしは「北斎漫画」を買った。 線が戦前戦後期の漫画と同じ系譜っすな。 こーゆーものが漫画の直截の祖先かなあー、と思いました。 だから、 >なんか理由はわからんが描線を主体にした日本風の絵を描けるアメリカ人はあんまりいないし、いても正直言って上手くない。たとえアジア人でも、子供の頃からアメリカに住んでるやつはダメだ。 というのは、文化の継承ということを考えると、当たり前なのよね、きっと。 前に台湾の奴は結構うめえーんだよ、というお話があったでしょう? わっしがむかし教わったチューゴクゴ及び漢文の個人教師のおっちゃんは日本に長い間(70年代)留学していたのですが、留学しているあいだじゅうセル画描きのアルバイトをしていたそーです。他にもセル画描きのバイトをしている台湾人はいっぱいおった、とゆってました。 そーゆーことも関係あるのかもしれねっすな。 >アメリカのプロの漫画家って、日本で言うと 「どこかの公立高校の学年で3番目ぐらいに絵がうまい奴と同レベルで、同人誌を描いたら20冊売れるかどうかのラインの人」 というのが結構いるんだよな。 アメリカのいわゆる「アメコミ」の場合は、あの伝統的なドキタナイ線がかえって障碍なんじゃないでしょうか。 フラッシュゴードン、とか、バットマン、とか、ほとんど正視できないくらいひどいもんね。わしお話自体は好きだけど。 >ちなみにこれは、アメリカで仕事した俺の知り合いとネットでBlogを開設してた漫画家ほとんど全員が証言してるから、たぶん事実なんだろう。 ほんとうでしょう。 >そもそもアメリカで漫画描いたらアニメ化・ゲーム化・映画化・舞台化・玩具化などの隣接著作権を出 版社側に取られるって、それいったいどういう冗談だよ? よくそんな滅茶苦茶な条件で漫画家なんてやってるな、ジム・リー以外誰も怒らなかったのかよ、そ れじゃまるで作画奴隷じゃねえか、と思う。 ぬわるほど。 そーゆー問題があるのだな。 自分でも書いているけど、それが最大原因でしょう。 最近日本でも漫画家が出版社のバカヤローとゆってあばれているそうだが、ほんとでしょうか? そーだとすると、日本の漫画も、もうあんまり進展しないのかな。 メジャー業界の幹が太くないとたとえば「吾妻ひでお」みたいな面白い枝が出てこない。 わっしは幹も好きですが、なんでも姿がいい、カッチョイイ枝が好きなので、ジャンプとかはやっぱり600万部くらい売れてもらわないと、つまらん。 一方で長い間若い漫画家の実験場兼餌場であったエロ本を若者がこそこそと読みつづけないと困る。 わっしはむかしむかしドイツの高速道路脇の店でおっちゃんがもうひとりのおっちゃんのチン○をむさぼっっている写真を見たのがトラウマになっておるので、子供がそーゆーものを見ないですむ、ということは大事だと思いますが、あんまり規制ばっかりやると、おもわぬところで文化って死ぬのよね。 やっぱり文化のものは基本は「野放し」に限りますのい。 >自分で書いてて答が出たわ。 … Continue reading

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