Daily Archives: August 7, 2009

ursaemajprisさんへの返信

ursaemajprisさん、 長くなりそうなので、こちらでご返信させてください。 このブログ記事(アメリカ文明の輝きの下で)を書いた直截の理由は「日本の右傾化」が英語世界では再び話題になっているからです。「えっ?そんなバカな」と思われるかもしれませんが、わっしはアジア地域を研究している研究者やジャーナリストと話していて、「日本は過去をなかったことにしようとしている」と彼等が感じ始めているのを強く感じます。 中国が成長するにつれて、その圧迫への反発から日本が暴発するのではないか、と強く疑っている。 通常は、こういうひとたちが口にしはじめてからしばらく経ってから新聞や雑誌に載るようになってゆく( 調査捕鯨のときがそうでした)のですが、今回は、いまでも靖国神社を軍服を着て練り歩く若い人たちや、アメリカ合衆国下院を逆上させた例の遊就館の 「侵略戦争だったという人がいます。虐殺をしたという人もいます。それは大東亜戦争というものを正しく理解していうのではなく…アメリカの言い分を、今日まで信じ込んでいることに原因がある」という解説文(いまはアメリカの抗議に驚いてひっこめてあるようですが)や、田母神俊雄論文のようなものについての記事がいまでも随分でています。 わっしは日本のひとが信じたがっているほど合衆国人は「日本との同盟」を信用していると思っていません。(アメリカ)民主党の対アジア政策は言うまでもなく、日本がイメージしている同盟関係をヘンリー・キッシンジャーが「bottle cap」である、と言ったのはご存じかと思います。 周恩来を納得させるための外交ロジックだと考えることも出来ますが、その後の合衆国の国務長官たちの書いた本を読むと、どうやら本音のようです。 合衆国という国にとっては太平洋を越えた向こうの関心は常に「中国」なんです。 中国は判りやすいが、日本は「何を考えているか訳がわからなくて信用するのが難しい」という。 日本に対しては「リップサービスだけで大丈夫」という伝統に従ってなるべく正面から付き合わないようにしてきた。 合衆国の対日観というのは宋美齢が合衆国に大きな感化を与えてからほとんど変わっていないことをアメリカの「ハイソサイエティ」(アメリカで「上流社会」なんちゅうとなんとなく笑っちゃいますが)のパーティでひとと話しているといつも感じます。 長くなりすぎますが、日本がこの先、生き延びてゆこうとすれば、わっしは1931年に日本が始めて1945年に終わった戦争と、その後をもういちど総括しなおさなければ無理だ、と思っています。 だから書いた。 外国から眺めていると、日本という国は目先の利益の追求と強い国に無条件に付き従うことだけでやっているように見えるのです。 「原則」がほんとうは何なのかわかりにくい。 ところが「国」というものは実体は一個の思想にしか過ぎないので、それでは他から見ると、なにがなんだか訳がわからない。 「自衛隊」って、なんのこっちゃ、と笑い転げるシツレイなガイジンたちの無神経な笑いの奥には、 「やっぱり」という単語がはりついた深い日本への疑惑がある。 地理的に「島」であることをいいことに、なんだか何をやっていても一個の独立国家だもん、と居直っているように見えるのです。 そこに反発を感じるのでしょうが、過去についても、わっしには日本人はずっと「都合の悪いことはなかった」と言い続けてきたように、どうしても見えてしまう。 原爆も南京虐殺も、その点では同じであるように見える。 1970年初頭くらいまでは、いまでは想像もつかないくらいの数の論文が、そういう言い方がわかりやすければ「右からも左からも」書かれていたのですが、いまでは、ほとんどそういうことすらなくなってしまっている。 それがいかにこの国の文明の存続にとって危険なことか、うまく書けそうな時が来たら書いてみたいと思いますが、それは多分英語で、になるでしょうね。 ひどい言い方のようですが、わっしにとっては日本のことは結局は「よそごと」なので、自分の考えをまとめて、日本という国についてどう思ったか、ということをうまく考えるために書くことになるわけで、その目的のためには日本語は相応しいと思えません。 どえりゃあ、疲れてしまいました。 この話題になるとブログではいつも展開が同じで、日本のひとが「ひでー」と思って終わり、ということになってます。 こういう記事を書くと、その次に読みに来るひとが極端に減る(^^;) しかしコメント受けを狙ってブログを書いてもしようがないので、考えたことを書くしかやりようがないのです。 >仰ってるのは、こういう事ですか? ヒロシマに関しては、日本のひと自体がもう何も言わないので「流行らなく」なってしまっていますが、しかし、いまでも8月6日になると世界中で広島市民の死を悼む集まりがあちこちであります。核兵器拡散の現状についての報告であるとか、そういう催し物がたくさんある。 そのなかから「カラチで米原爆投下への抗議デモ」というようなものだけをよりによって選んで報道するAFP(実質的にフランス政府が掌握している通信社です)と、それをそのまま配信する日本のマスメディアの大胆な世界の人間への「舐めきった態度」にふきだしてしまいました。(ごめん) わっしは、こういう政治的茶番には興味がありません。 パキスタンのイスラム原理主義者がマジメに核に抗議するわけがない。 AFPは、その茶番を笑っているのです。 核に反対する人間なんて「自分がもちたいだけなのさ」と言っている。 「正義とは結局政治の力学バランスで決まる」のだと嘯いているのです。 これを日本のサイトが載せることには、本人が理解しているいないを別にして大きな意味がありますね。 … Continue reading

Posted in Uncategorized | 1 Comment