Monthly Archives: September 2009

言語の腐敗、あるいは大破したデクノボーについて

目下、大破中です。体調が不良である。 一日に一回は日本語で何か書かないと、というキョーハク観念があるので、通常にもまして訳のわからんことを書いているが、日本語でものを考えるのがつれえっす。 どーも、わっしの健康は二年に一度くらい定期的に崩壊するようだ。 日本語能力がはなはだしく衰弱しているので、ムズイ本が読めん。 具体的にはセンテンスが長くなると、「ありぃー?ありぃー?」と考えているうちに寝てしまう。 長椅子で我に返るとモニがかけてくれた毛布にくるまって、2時間くらいごくすやすやと眠ったあとである。 さっきまで「蒼氓の叛旗」という学生運動期にBUND派の学生が読んでいたと思われる本を読んでいたが、あまりに退屈なのでねちった。 気を取り直してskybookでダウンロードした岡本綺堂先生の本を読んでいたところです。 岡本綺堂は、やっぱり抜群にオモロイ。 このひとの文章を読むと、クソ冬の大陸ヨオロッパ某所と霜が張り付いた窓と、フレンチオニオンスープの毎日を思い出すが、むろん、それは益体のないわしの個人事情である。 岡本綺堂を読んでいると、その日本語がふつうに目にはいってするすると理解できるので不思議な気がします。日本語が腐ってしまっていない。 わしは、これはケンキューに値する、と感じます。 横光利一などは、名文家として有名だが、いま読むと日本語が、どういうかな、才気煥発でありすぎて殆ど読めていかない。 そこにゆくと岡本綺堂の文章は防腐剤いりであって、いまでも普通に読めます。 「わたしの叔父は江戸の末期に生れたので、その時代に最も多く行はれた化物屋敷の不入(いらず)の間や、嫉み深い女の生靈(いきりやう)や、執念深い男の死靈や、さうしたたぐひの陰慘な幽怪な傳説を澤山(たくさん)に知つてゐた。しかも叔父は「武士たるものが妖怪などを信ずべきものでない。」といふ武士的教育の感化から、一切これを否認しようと努めてゐたらしい。その氣風は明治以後になつても失せなかつた。わたし達が子供のときに何か取留めのない化物話などを始めると、叔父はいつでも苦(にが)い顏をして碌々(ろくろく)に相手にもなつて呉れなかつた。」 なんちゅう書き出しを読むと、熱で半分変性しかかった頭でもむくむくと興味が起きて、 物語のなかへすんなり日本語頭と一緒にはいってゆけるようだ。 日本語のなかで最も腐りやすいのは多分カタカナ語でしょう。 それも西洋語の文脈から離れた、思い入れのある言葉ほど腐りやすい。 「テニスボーイの憂鬱」という本を百円本のワゴンのなかに見つけたことがあるが、わっしはマジで笑い話集だと思いました。 題名からしてもう死語化している。 セレブ、とかビッチ、とかは日本のひとに仮に告げ口をしたとすれば余計なお世話、ということになるだろうが、もとから実体にそぐわなかったり単純な言語上の無知によっていたりするので寿命が短い鯖のような言葉であるのは明らかである。 敬語世界のストレスから自分たちを守るためにあるかのような高校生や大学生同士の言葉も短命であるに決まっているが、これは短命を半ばは志しているのだろうから、また話が別です。 違う方向から、この言葉や表現の寿命を眺めると、いわゆる「標準語」はこのごろでは特に寿命が長い言葉をつくるのは難しいようだ。 関西弁と現在の東京語を較べればわかりやすいと思うが、前者が言語としての命脈をわけもなく保っているのに較べて後者はほぼ死語を駆使していまの生きた社会を表現するのに悪戦苦闘している観があります。 極端に言うと、標準語による表現に成功しているのは「翻訳調」だけであって、大江健三郎がその代表でしょうが、フランス語や英語の翻訳文そっくりの標準語を使うときのみ言語の深部におよぶ使い方が出来得ている。 明治時代からずっと、とゆってもよい。日本人は気がつかないでいるようですが、ロシア語、フランス語、英語、と変遷はあるもののいずれも西洋言語の表現の体系を背景にしているときのみ言語芸術の域に達しているのは日本文学の極めて明瞭な特徴で、その原因はなんといっても会話にもちいるべき標準語が不便であることのように思われます。 関西の人がかるがると、いかにも肉体の一部のように言葉をつかうのに比して、東京のひとは、まるで慣れない外国語をしゃべっているかのようである。 谷崎潤一郎の「細雪」の成功は、そういうところにも理由がある、と思う。 現代日本語の達者として有名であった志賀直哉は「日本語はダメだから、もうこのへんで諦めて国語をフランス語に変えよう」と言い出したことがあった。 身の丈にどうしてもあわない服のような日本の口語文は、この志賀直哉に限らず、たくさんの文学者や作家を苦しめてきた。 ただ岩田宏のような日本語使いの天才や田村隆一のような沈黙を飼い慣らすことに成功した詩人、あるいは三島由紀夫のような意識的に死語を装飾的に用いることが出来た作家だけが、この「標準語」の呪いから逃れることが出来た。 「青空文庫」のなかに潜り込んで明治時代からずっと特にむかし「大衆作家」と呼ばれたひとたちの文章を見てくると、その言葉の腐りかたのはやさに驚きます。 そして、その原因は明治時代にでっちあげられた「標準語」の微妙な生活感情からの乖離にあるように見える。 日本で人気の高い「ライ麦畑でつかまえて」というサリンジャーの小説は、実は、表現が腐ってしまっている、という点でも有名な小説で、わっしは日本語の腐り方の速度を考えるときに、よくこの小説のことを思い出しますが、しかし、大破中のわしには、これを日本語で書き続けるのは、ちょっと無理があるようだ。 どさっ。(疲労のあまり起き直っていたベッドから床に落ちた音)

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空騒ぎ

ネットビジネス、というのは要するに突出した技術で既存のビジネスモデルをどれだけ破壊できるか、というサーカスの場であって、それ以外のものではありえない。 他の、プレゼンテーションの場に行けば「ぼくシブヤのシャチョーだもん」というひとがいかにももっともらしく説明してくれる「ネットビジネス」なんちゅうのは、「伝統的な世界」なんて知るもんけ、と思って次々に伝統世界のルールを破壊してケッケッケと悦んでいるキチガイ揃いだが愉快な技術屋たちの後ろにぞろぞろついて歩いて、「ぼくがやってることは、あたらしーいんだから、金くれ」とゆってる「他人を欺すのがうまいマヌケ」の与太にしかすぎない。 わっしはもともと「ワナビー・マッドサイエンティスト」のみなさんに取り囲まれて暮らしていたので、グーグルでもなんでもよろしいが、なにかのサイトが「インターネットビジネスの皮をかぶったマヌケビジネス」か「ほんちゃんのネットビジネス」かは、そのサイトが突出した技術の表現になっているかどうか、しか見ないことにしておる。 グーグルに関していえばマーケティングはバカバカであった。 だってえ、ヤフーが寡占体制を敷いていたところにヤフーが必死こいて考えて捨てた「非人力検索エンジン」をもって市場に居場所がある、なんて考えるひとはアホアホのバカバカである。 でも技術屋的見地からマーケットを見ると、全然なんの突出した技術も持たない、いわばノータリンの巨人がぼっけーと突っ立ているだけなので、「ダイジョーブ、勝てるべ」と思ったのに違いない。まっ、「グーグルの本」なんて読んだことがねーからわからないが。 グーグルのビジネスモデルはよく知られているようにアドワーズという「広告代理店」をターゲットにした戦略である。本来せいぜい1マイル四方くらいしか商圏をもたない町の八百屋でも有効なインターネット広告を開発することで群小広告代理店を時代遅れなショーバイに変えてしまった。 いまでも収益はこれ一本です。 アマゾンはどうか? わっしのガッコー友達であるMDは「アマゾン? あんなくそサイト知るか。売ってるものを全部ダウンロード出来るようになったら認めてやる」という。 あれは流通上の革新であって、ネットとはカンケーがねーだろ、とゆいたいのでしょう。 しかし、わっしはキンドルによって本はダウンロード出来るようになったので、あとは分子変換装置を開発するだけで道はそんなに遠くない、と思ってます。 (念のためにいうとジョーダンだが) そんなに無茶苦茶突出した技術でなくても、みんなでヨイショコラエラセと技術を積み上げてきたので、いまある技術を組み合わせて洗練させることによってだけでも、たとえば 「evernote」や「dropbox」「zumodrive」みたいなクールなビジネスをつくるのも可能ではある。 でもいまだに「あっ、アメリカにはEコマースっちゅうもんができたんだな。ほんじゃ、これをまねっこして、あとは、どすこい、日本伝統のドブイタ営業でがんばるぞい」でつくったサイトだとか、なんの恥じらいもためらいもなく、これも他人の考えのネット商売をもってきて満足なツールひとつつくらずに「ITだよーん」のイメージ戦略でエンタメ・ニュースに顔をだしながら、ぬけめなく立ち回って自分よりもっとマヌケな「大衆(笑)」から金をくすねるだけのサイトとか、そーゆーのは、いくら儲かっても本質的に(社会の進歩を停滞させているという点で)反社会的なビジネスであると思う。 わっしの知っているひとにもネットでクールげな洋モノの名前をつけてパッケージのゲームを売っている人がいるが、そんな商売は…(ピー)。 日本のネットビジネスの惨めさは、結局、そこでは未だに「パチモンのアメリカ」がまかり通っているという点です。 他のどんな分野でも、そこまで恥ずかしくも「ベタ」なアメリカかぶれは、文字通りの「ヤンキー」のにーちゃんやねーちゃんでもやらん。 世界中の若い衆が「ハイテクの国」であると信仰している日本でネット産業が「ネット産業廃棄物展示場」みたいになってしまっているのは、結局、ネットビジネスというのは技術による旧ビジネスの新解釈である、という肝腎の点を忘れてしまっているからでしょう。日本のひとはITという言葉もネットビジネスも根本から誤解している。 実際にはネットビジネスというのは、仮想世界側に住んで、そっちから逆に現実世界を見直す、という作業なしでは成り立ち得ないのに日本のサイト制作者たちは、その作業を怠っている。技術が偏光させた一見すると万華鏡のようなテクノロジーの鏡のなかから現実を見つめ直して、そこに新しい秩序を見いだすこと以外に道はないのに、それが出来ないのではどーしよーもない、のではないか。 まず「カネ、カネ、カネ」のバカバカ自称IT実業家を全部ぶち捨てるところから始めるべきである。 明日から技術的に見るべきもののないサイトのボタンをぽちるのはやめるべ。 (ただし零細サイトは除く。例:輸入ゲーム販売サイト)

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「日本国民」第1号

ずっと遡ってベンキョーしてみると日本人の「国民」という概念は、どうもオランダ人のもののような気がする。非常によく似ています。 オランダ、という国は欧州にあって階級というものがもともと存在しない珍しい国である、と思う。 えええー、なにゆってんの。他にもいっぱい階級のない国なんてあるじゃん、 ときみはゆーであろう。でも、そーゆー国は言語のせいで気分としては階級のある社会の悪い息が残っているのです。うまくゆえないが。 オランダ人、というのはどのひともこのひとも「わし、オランダ人だもんね」という単一の意識でまとまっていてかわいげがない。 ….あっ、いや、失礼しました。そーゆーところが立派である。 わっしにはうるせーだけであった衆院選挙のあいだじゅう、「国民のみなさん」とか「いまこそ国民の審判を」とか、国民こくみんコクミンと突然テレビも拡声器も肉声も胴間声もしわがれ声も金切り声も、いっせいに連呼しだしたので、日本では「コクミン」って誰のことなんだべ、と考えて手持ちの本を頼りに歴史を遡っていってみた。 そーすると、ニホンコクミンっぽいひとが現れるのは幕末です。 榎本武揚、とか勝海舟、とかは自分のことを「幕臣」だとは思ってねーな、どうも。 勝海舟なんかは確信犯的に「ニホンコクミン」であって、多分、いまの日本の会社のサラリーマンのおっちゃんやなんかと同じで、自分が「幕臣」だと思うと、自分の上に積み重なったウ○コのようにバカバクシンがいっぱいてんこもりになっているのでやってられなかったのであるよーだ。勝海舟なんて、幕臣としては下も下、ヒラよりもっと下の時間雇いのおばちゃんよりももうちょっと程度がわるいくらいの「幕臣」だったので、若いときは大野心家であった勝のおっちゃんは、憤懣やるかたない日々を送っていたもののよーです。 そーゆーときにオランダ語に出会ったのだった。 そこから後の勝海舟の言動は佐幕も倒幕もない「国民」としての自分をアピールするものになってゆきます。 日本国民第一号、だのい。 榎本武揚か勝か、そのくらいが国民第1号車であると思う。 余計なことをいうと薩摩人や長州人が西郷隆盛にしろ木戸孝允にしろ、まだこの頃は全然「日本人」などという思想を持ちようもなくて、「我が藩の御為」としか考えられなかったのとは良い対照です。 わっしは、幕末のこういう機微を、おもろいのい、と思う。 日本のひとは、あんまり気が付かないようだが、ここでいきなり英語に出会っていてごらんなさい。 明治時代なんか来てやしないから。 イギリス人の、どーしよーもない階級社会を間近に見て、「こんなら日本の身分社会のほうがましですのい」で終わっておる。 少なくとも「西洋」が革命のバネにはなりえなかったでしょう。 階級が全然存在しない、みな百円均一の「オランダ人」だったから下っ端ぞろいだった幕末の志士たちのやる気が出たのである。 「みんなで力をあわせてがんばるべ」という気分に合致しておったのに違いない。 まずオランダから西洋文明に入門したので日本が回り道をしたようにいうひとがいるが、わっしはそうはおもわん。 オランダ人が近代日本に与えた影響はいま考えられているよりも遙かに大きいのではなかろーか、という感じがします。 詳しいことは省くが、わっしは日本のひとの「国民」という概念が、ふつうの国民という概念の間尺にあわなくて困ったが、それがオランダ由来だと考えた途端にしっくりきました。 オランダというのは言うまでもなくスペインやフランスと地続きであって、年がら年中「おまえらの国なんかナシにしてやる」という脅迫に曝されていた国です。 日本は海に隔てられた島国なのに強度に閉鎖的な「国民」のイメージをもっているのは、それが由来したところに理由があるのではないか。 「島国根性」というが、島国の「国民」というのは通常「国民」としての固まり方がゆるい。 日本のひとは身分社会を破壊してオランダ型の「一枚岩国民」を発見したとき、どうしようもなくコーフンしたのではないか、とわっしは想像します。 それが現在の人民民主主義的な国家と国民のイメージの淵源なのではないだろーか。 ドケチでずるっこくて人間性の表と裏の差がすさまじいオランダ人も、たまにはよいことをすることがあるのだな、と考えました。

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鎌倉

もう鎌倉に行かなくなってしまった。 なんだか汚いだけの町になってしまって、行く気がしない。 長い間、鎌倉に住んでいた義理叔父も、どうやら生まれ故郷の東京に戻るようです。 鎌倉の友達に訊くと、5年くらい前に鎌倉ブーム、のようなものがあったそうで、 「そのときに、鎌倉という土地そのものでなくて、雑誌やテレビが囃し立てる『鎌倉』にたくさんのひとが引っ越してきたのが拙かった」という。 「?」 「うーんとね。そーゆーひとってのはさ、オジョーヒンでセレブな鎌倉、ちゅうような考えがあってね、鎌倉の半分田舎なライフスタイルには興味がないんです。 40坪くらいの土地を買って、ベンツ買って越してくるんだよ」と憮然として言うので笑ってしまった。 そーゆえばむかしむかし義理叔父がニュージーランド人たちに鎌倉のことを自慢して、 「お金があるひとは多いがメルセデスとかに乗ると白い眼で見られる町なんです」とゆって自慢していたのを思い出した。 わっしが日本で初めて買った家も鎌倉にあります。 取り壊してマンションにする、と聞いて買った家です。 古いがゆったりとした敷地に建っていて、なんとなく考えもなしに買ってしまった。 古い木造の日本家屋で、日本人の解釈で考えた洋室がいくつかある。 縁側もあって、そこに寝転がってワインを飲みながら、なんでか日本式の庭園をぼんやり眺めるシブイ午後がわしは好きであった。 成田空港に着くと、いきなり脇目もふらず総武横須賀線をNEXでかけくだってこの家に来るのを楽しみにしていたものです。 でもしぶかったのは初めの一年だけであって、そのうち朝の6時くらいから「クルマがきまあーーーす、右に寄ってくださあああああい!!」とかっちゅう、ガイドの声で目がさめる、ちゅうようなふうになった。 なんのこっちゃ、と思って二階の窓から覗くと、200人くらいの同じ帽子に同じベストを着た不気味な団体がぞろぞろと歩いておる。 あるいは、犬を連れたおばちゃんが朝の7時くらいに街角で信じがたいくらいでかい声で立ち話をしておる。 角のおっちゃんが騒音に耐えかねて「うるさいいい! 何時だとおもってんだ、くそばばああ!」と窓を開けて叫ぶ、というふうになった。 全然シブクねっす。どちらかというとスラムの生活に近い感じである。 子供の時から仲良しであって、二年ぶり、とか、どうかすると6年ぶりくらいに行っても顔も名前もおぼえていてくれて「まあ、ガメちゃん、いつ日本に来たの?」と嬉しそうにしてくれたひとたちの店ももうみんななくなってしまった。 鎌倉の居心地のよい店はまず第一にやっているひとたちがもともとじーちゃんやばーちゃんだったので、「この頃の客はあらっぽくて疲れる」とゆって、店をたたんでしまった。 次には、ガイドブックに載った途端、テレビで紹介された途端に洪水のように押し寄せる客にうんざりしてやめてしまうもののよーだ。 そーゆー店の前に立って「あっ、なくなっちった」をしていると、店をやっていたおっちゃんやおばちゃんが出て来て、「もう店はやめちゃったけど、お茶飲んでいきなよ」ということがある。 でも、何十年も住んだ鎌倉にうんざりして、江ノ島や横浜の金沢に越してしまうひともたくさんあります。 「年をとると、鎌倉はよい医者がいないから」っちゅう、理由もあるそーだ。 実際、医者のお友達に訊くと鎌倉の医療砂漠ぶりは有名で徳州会の病院のほかは、どもならんのだ、あそこは、という。 徳州会は、わっしですら知っておる「突撃ビョーイン」なので医者はいつかん。 医療の面でも、なかなか大変なよーです。 わっしはたいてい十日から2週間、ストップオーバーで鎌倉にいるあいだ、よく由比ヶ浜から腰越まで散歩した。夕方、日が沈みかける頃になると、江ノ島の方向に茜色に染まった富士山が見えて綺麗だったのをおぼえています。 ときどき空気が屈曲して、おもいがけず巨大な姿になる富士山は息を呑むほど荘厳で、見とれる、というよりは畏い感じがした。 春に立ち寄って、東京ですっかり酔って終電でもどってきた夜中に、照明にすきとおった段葛の桜の花の下を一面に細かい白いひかる粉砕された磁器のような粉(中世にここで戦死したお侍たちの骨なのだそーだ)を見つめながら、なんだか桜も春も、日本という土地には「死」がいつも寄り添っているよーだ、と考えたこともあった。 …..こうやって考えていると、わっしにとっては「日本」というのが如何に長いあいだ鎌倉のことだったかに気が付いてびっくりします。 どーも、わっしの日本への基本的イメージは鎌倉からきているようだ。 鎌倉には鎌倉時代のものは大仏以外はなにも残っていないのは有名ですが、もうひとつ特徴があって、鎌倉は多分日本の古い町ではただひとつ「江戸時代」が存在しなかった町です。200年以上もある江戸時代は、この小さな古い町の頭上を通過してしまった。 だから町の造作も室町時代からいきなり明治時代にとんでしまう。 化粧坂のような坂は残っていてもその次はもう明治の「力車道」(軽自動車がサイドミラーをたたんでやっと通れるくらいの幅で、まんかには車夫の足場の石が敷き詰めてある)のネットワークにとんでる。 東側へ行けばまだ江戸時代のニオイがぷんぷんする路地が残っている東京とは正反対なところが鎌倉のもともとの町の性格で、もしかすると、わっしは、鎌倉のそういうところが好きだったのかもしれません。 義理叔父が送ってきれくれたD黒屋のくるみ餅を食べながら思い出す鎌倉はなつかしいが、どうも、もう行く気になれん。 … Continue reading

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鎌倉

もう鎌倉に行かなくなってしまった。 なんだか汚いだけの町になってしまって、行く気がしない。 長い間、鎌倉に住んでいた義理叔父も、どうやら生まれ故郷の東京に戻るようです。 鎌倉の友達に訊くと、5年くらい前に鎌倉ブーム、のようなものがあったそうで、 「そのときに、鎌倉という土地そのものでなくて、雑誌やテレビが囃し立てる『鎌倉』にたくさんのひとが引っ越してきたのが拙かった」という。 「?」 「うーんとね。そーゆーひとってのはさ、オジョーヒンでセレブな鎌倉、ちゅうような考えがあってね、鎌倉の半分田舎なライフスタイルには興味がないんです。 40坪くらいの土地を買って、ベンツ買って越してくるんだよ」と憮然として言うので笑ってしまった。 そーゆえばむかしむかし義理叔父がニュージーランド人たちに鎌倉のことを自慢して、 「お金があるひとは多いがメルセデスとかに乗ると白い眼で見られる町なんです」とゆって自慢していたのを思い出した。 わっしが日本で初めて買った家も鎌倉にあります。 取り壊してマンションにする、と聞いて買った家です。 古いがゆったりとした敷地に建っていて、なんとなく考えもなしに買ってしまった。 古い木造の日本家屋で、日本人の解釈で考えた洋室がいくつかある。 縁側もあって、そこに寝転がってワインを飲みながら、なんでか日本式の庭園をぼんやり眺めるシブイ午後がわしは好きであった。 成田空港に着くと、いきなり脇目もふらず総武横須賀線をNEXでかけくだってこの家に来るのを楽しみにしていたものです。 でもしぶかったのは初めの一年だけであって、そのうち朝の6時くらいから「クルマがきまあーーーす、右に寄ってくださあああああい!!」とかっちゅう、ガイドの声で目がさめる、ちゅうようなふうになった。 なんのこっちゃ、と思って二階の窓から覗くと、200人くらいの同じ帽子に同じベストを着た不気味な団体がぞろぞろと歩いておる。 あるいは、犬を連れたおばちゃんが朝の7時くらいに街角で信じがたいくらいでかい声で立ち話をしておる。 角のおっちゃんが騒音に耐えかねて「うるさいいい! 何時だとおもってんだ、くそばばああ!」と窓を開けて叫ぶ、というふうになった。 全然シブクねっす。どちらかというとスラムの生活に近い感じである。 子供の時から仲良しであって、二年ぶり、とか、どうかすると6年ぶりくらいに行っても顔も名前もおぼえていてくれて「まあ、ガメちゃん、いつ日本に来たの?」と嬉しそうにしてくれたひとたちの店ももうみんななくなってしまった。 鎌倉の居心地のよい店はまず第一にやっているひとたちがもともとじーちゃんやばーちゃんだったので、「この頃の客はあらっぽくて疲れる」とゆって、店をたたんでしまった。 次には、ガイドブックに載った途端、テレビで紹介された途端に洪水のように押し寄せる客にうんざりしてやめてしまうもののよーだ。 そーゆー店の前に立って「あっ、なくなっちった」をしていると、店をやっていたおっちゃんやおばちゃんが出て来て、「もう店はやめちゃったけど、お茶飲んでいきなよ」ということがある。 でも、何十年も住んだ鎌倉にうんざりして、江ノ島や横浜の金沢に越してしまうひともたくさんあります。 「年をとると、鎌倉はよい医者がいないから」っちゅう、理由もあるそーだ。 実際、医者のお友達に訊くと鎌倉の医療砂漠ぶりは有名で徳州会の病院のほかは、どもならんのだ、あそこは、という。 徳州会は、わっしですら知っておる「突撃ビョーイン」なので医者はいつかん。 医療の面でも、なかなか大変なよーです。 わっしはたいてい十日から2週間、ストップオーバーで鎌倉にいるあいだ、よく由比ヶ浜から腰越まで散歩した。夕方、日が沈みかける頃になると、江ノ島の方向に茜色に染まった富士山が見えて綺麗だったのをおぼえています。 ときどき空気が屈曲して、おもいがけず巨大な姿になる富士山は息を呑むほど荘厳で、見とれる、というよりは畏い感じがした。 春に立ち寄って、東京ですっかり酔って終電でもどってきた夜中に、照明にすきとおった段葛の桜の花の下を一面に細かい白いひかる粉砕された磁器のような粉(中世にここで戦死したお侍たちの骨なのだそーだ)を見つめながら、なんだか桜も春も、日本という土地には「死」がいつも寄り添っているよーだ、と考えたこともあった。 …..こうやって考えていると、わっしにとっては「日本」というのが如何に長いあいだ鎌倉のことだったかに気が付いてびっくりします。 どーも、わっしの日本への基本的イメージは鎌倉からきているようだ。 鎌倉には鎌倉時代のものは大仏以外はなにも残っていないのは有名ですが、もうひとつ特徴があって、鎌倉は多分日本の古い町ではただひとつ「江戸時代」が存在しなかった町です。200年以上もある江戸時代は、この小さな古い町の頭上を通過してしまった。 だから町の造作も室町時代からいきなり明治時代にとんでしまう。 化粧坂のような坂は残っていてもその次はもう明治の「力車道」(軽自動車がサイドミラーをたたんでやっと通れるくらいの幅で、まんかには車夫の足場の石が敷き詰めてある)のネットワークにとんでる。 東側へ行けばまだ江戸時代のニオイがぷんぷんする路地が残っている東京とは正反対なところが鎌倉のもともとの町の性格で、もしかすると、わっしは、鎌倉のそういうところが好きだったのかもしれません。 義理叔父が送ってきれくれたD黒屋のくるみ餅を食べながら思い出す鎌倉はなつかしいが、どうも、もう行く気になれん。 … Continue reading

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死んだ自然が残したものは

一面の黄金の海。 稲穂が秋の風に揺れておる。 わっしは日本の風景ではやはり田んぼがいちばん好きだのい。 なんという美しさだろう。 ガキンチョ時代、かーちゃんと一緒にでかけた福島の畦道でほんとうの空と足下の田に映った空と二枚の大空を積雲が流れてゆくところにみとれて以来、わっしは、ずっとこの国が好きなのだと思う。 日本語や日本の中世美術も好きだけどな。 でもなによりも、この国の自然の美しさが好きなんです。 途中でシンガポールやメキシコと浮気しちゃったりしたが、結局、日本にまたやってきたのは、そこここにカケラのように残っている、この国の自然の美しさのせいでしょう。 やわらかで、ささやきかけてくるようで、ただもう豪勢な美しさである。 そーゆわれるのも聞き飽きただろうが、日本のひとはもっと自分の国を大事にしたほうがよい。どんなに懸命に否定しても、あるいは無視してかかろうとしても、自然が貧しい国は滅びる運命にある国なのだと思う。 それはちょうど自分の身体を大事にしないひとが早死にするのと似ている。 懸命に働いて、少しくらいふところが暖かくなっても、国自体が無惨な姿に破壊されてしまっては、なんにもならないではないか。 東京の西の「稲城」というところには、米軍のリクリエーションセンターがある。 (もちろん結婚する前だが)わっしは、その頃、アメリカ軍の将校のねーちゃんと仲がよかったので、軍属の夫婦と一緒によく遊びに行った。 ゲートをくぐるとまるで別世界であって、鬱蒼とした森があります。 1家族、あるいは1グループあたり(うろおぼえだが)1000平方メートル(300坪?かのい)くらいあるデカイ土地がぽんぽんぽんぽんとあちこちにあって、そのひとつひとつが茂みで区切られてお互いの土地が見えないようになっておる。 ついでにシャワー棟やペイントボール場やアーチェリーをやるところ、ミニゴルフ、っちゅうような施設が点在してます。 戦前は帝国陸軍の弾薬庫だったので、コンクリートの掩蓋もそのまま放ったらかしにされておる。 ここにいると、ぶっくらこくのは、ナラもクヌギもシイも全部、むかしの小説に出てくる 「武蔵野の森」そのままであって、トトロの世界が、そのまま残っていることです。 でっかいクワガタや、ほとんど(そんなわけはないが)肥満したカブトムシが、誇張ではなくて、そこここにモソモソしておる。 地上の楽園、みたいなところです。 わっしらはそこで、アメリカ人特有の準備周到で「やりすぎなんじゃない?」という感じのテント群を張って遊んだものであった。 アメリカ人は連合王国人やニュージーランド人の、ほぼ日本人と変わらないアイデアの「キャンピング」と違って、ほとんど「設営」っちゅう感じのおーげさなキャンピングをするのを知っているひとも多いと思います。 「食堂テント」「ラウンジテント」みたいなのから始まって「食料と飲み物の貯蔵テント」まである。まるでスコット探検隊みたいな完全装備ぶりである。 みんなで、子供にはゆわれないおとなの事情により敷地のいちばん離れた端同士におったてた2カップルのテントからまんなかの「ラウンジテント」に寄り集まってビールを飲みながら話をしていると、むあっくらな闇がやってくる。 闇の中で虫たちが能楽の地唄のような声を響かせておる。 うまく言えないが、ものすごく「日本」な感じの夜であって、それが日本人立ち入り禁止のアメリカ人領内にしか残っていないことに皮肉を感じたのをおぼえています。 実際、わっしは、そのときに初めて「日本近代」を理解する手掛かりを得たような気がした。あの沈鬱な感じのする森に囲繞された町を前提として初めて、たとえば日本の近代小説家たちの「静かさ」がわかるような気がしたのでした。 あるいは、「Sumo Do, Sumo Don’t」の周防監督がなぜ合宿のエピソードをはさまなければならないと思ったのか、少し理解できたような気がしました。 自然がここまで完璧に破壊されてしまったことで、日本の文化は連続性を絶たれてしまっているのではないか、と思うことがあります。 当然のことながらひとつの民族の文化の連続性を保証するものは、その国の自然以外にはなにもない。 それに加えて大陸欧州の、街を完全に人工のアゴラに変えて自然と分離する、というタイプではない、どちらかといえば連合王国風の自然との共生に文明をおくほうが安心できるらしい日本のひとの感性を考えると、自然の破壊は自分自身の文明にとって致命的であるように思える。 逆に言えば、なんのためなのか、再生力が強かったことで世界的に有名であった日本の里山を中心とした自然をそれでも絶対に再生できないほど徹底的に根こそぎ破壊した日本人の努力は、毎年毎年着実に積み重ねた自殺行為なのかもしれません。 これほど自分の国の自然を憎みぬいてふためと見られぬようにした国民、というものを、わっしは見たことがない。 なんだか恐怖小説を読んででもいるようです。 まっ、こんなことを書いても、日本のひとは、「そんなことは、むかしから誰彼がいいつくしていることで、耳にタコができてんだよ、うるせー」と言うでしょうけど。 … Continue reading

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醤油のたわごと

日本に暫くいると、日本の社会に特有な「やさしさ好み」や「かわいい好き」 や「しみじみ好き」 という感情が受け入れられなくなってしまう。 拒絶反応が起こるよーだ。 「節度」があったり「他人のことを慮ったり」気配りしちゃったりするのも同じように嫌になる。 そのいずれもが以前には「日本って、こーゆところがいいな」とか「日本のひとってこうゆうところが変わってておもしろいな」 と考えられたことなので自分でもはなはだ意外です。 丁度それは日本の食べ物が初めおいしかったのに、ある日醤油の匂いが鼻につくな、とおもった瞬間から食べたくなってしまうのに似ている。 多分、こういう感情はそうそう複雑なものではなくて、単に「長くいすぎて厭きた」 のでしょう。でも、ちょっと寂しい感じがする。 今日は(熱が38度くらいあってチョーシが悪かったからだが)朝から、このコンピュータに向かうまでとうとう日本語にまったく触れなかった。 一日に6時間は日本語につきあうべし、という自分で決めたノルマに完全に違反しておる。 ジョン・キーが出ているデービッド・レターマン・ショーを見たり、モニと遊んだり、アニ・レボビッツの本を読んだりして終わってしまいそうである。 ダメダメじゃん。 モニがつくった夕食を食べながら、熱でぼおーーんやりした頭でワインを飲んでいたら、「日本に長くいすぎた、と考えているのだろう」 とモニにゆわれた。 このあいだ、モニの胸はなんて形がいいんだろう、と考えていた(ちらとも見てはおらぬ)ら、モニがやってきて、「嫌らしいことを考えてはいけません。バカモノ」とゆわれた。 だんだん超能力が身についたきたのではないだろーな。 そうだとしたら、モニ、男というのはたいへんに困るのです。 あーんなことも、こーんなことも考えられなくなってしまうではないか。 (それはともかく) 日本は「ショーユ」のようだ、と考えました。 ちょっと見には自己主張もなくひそやかにあるだけだが、ありとあらゆる食べ物にひそんでいて、確然と味を支配しておる。 気がつけば国全体にそのにおいが染みこんでいるのであって、日本にいるあいだは、その意識すればなかなか強烈な臭いから逃れようがない。 どーも日本文化や社会と自己の顕現のやりかたが似ておる。 そーすると「フーテンの寅さん」とか「バラエティショー」とかは、醤油を焼いたときの臭いのようなもんかの。 わっしは、あれは瞬間も耐えられん(ごめん) ショーユは豆だが、魚醤文化のある国も、どこか似ているようにも思えてきます。 イタリア人はかつては魚醤をつかっていたが、歴史の過程でやめてしまったそーだ。 文化的なケミストリが悪くて南から北へ遡上しそこなったのかもしれません。 魚醤および醤油の分布と文化分布を並べて書き出すと、なんかおもろいことがわかるのではないか。 あー、寒気がする。 バカこいてねーで、寝よ。

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日本型技術

「技術」というものは「手」から離れてしまってはダメなもののよーだ。 すべからく職人的でないと、うまいぐあいにゆかないようです。 むかしは計算尺というものがあってね、と義理叔父が話しています。 工学とかでダメなひとって、センセーに、「きみ、8X3はいくつかね?」と訊かれると 「24」ちゅうふうに答えちゃうんだけどね、見込みのある学生は、 「あっ、8X3ですか? ちょっと待ってくださいね」とゆって、おもむろに尻のポケットから計算尺を出して、 「えーと、だいたい、24、じゃないですかね」と答えるものであった、という。 むろん、ジョーダンです。 冗談だが、わっしはエンジニアリングがどうあるべきか、ということを学生に教育するための冗談としては「気分を伝える」という点でよく出来た冗談だと思います。 同様に、ハンダごてを持たない「電気製作」というのは考えられない。 ひところ日本でも流行ったらしいPCの自作が、全然おもしろくもなんともないことを無理矢理「おもしろい」「あやしい」と囃し立てるところまでおちぶれたのも、象徴的に言うと「ハンダごてを手にもって工作しなかったから」だと思います。 ハンダのニオイがしないPC自作なんて、板をはめたり外したりしているだけのことで、はなはだしく制限が強いレゴである。 そんなものが面白ければ、そっちのほうが異常でしょう。 出来合いのものは面白くない、というのは、ものをつくるひとのジョーシキであると思う。 最先端の技術、とゆっても、裏庭でトンテンカントンテンカンと汗水垂らして手を動かしまくるのが「技術」というものの基本であって、実は、これが出来る民族というのは、びっくりするほど少ない。 ドイツ人ロシア人イギリス人フランス人。 そ。それから、日本人。 もちろん他の民族だってトンテンカンしますが、「ものぐるい」なほどトンテンカンに夢中になって、いいものが出来れば人生なんてどーでもいいんじゃ、というところまで行ってしまうのは、上にあげた五民族くらいではないか。 イタリア人やスペイン人も素晴らしいものをつくりますが、どうも「民族的情熱」ということになると美術的な形象のほうに行ってしまうようです。 バルセロナの建設現場で、みんながもうランチブレイクにはいっているのにヘルメットを被って電動鋸で一心不乱にガーゴイルをつくっているおっちゃんを見ていると、つくづく、そう思う。 ドイツ人には「頭で考えて現実を把握できる」という特殊な才能があるように見えます。 たとえばショッピング・モールを考えるのに、顧客がここにクルマを駐めると、こういう動線を描いて、この入り口に来て、ここでショッピングカートが欲しくなるだろうから、このリフトのここにカート置き場をおいて、というようなことを頭のなかだけで完璧に再現する。一緒に仕事をしていると、あまりに具体的な想像力が発達しているので「開いた口がふさがらない」と思う。  いっそ、不気味なくらいです。 ドイツ人が根本的に新しい技術、たとえばロケットであるとかジェットエンジン、原水爆(実現したのは国家としては米国とソビエト連邦でしたが、どちらもドイツ系人たちの手によって現実化されたものでした)のようなものを現実に変ええたのは、要するにこの能力によっている。 フランス人は技術、というものの捉え方が独自であって、「自転車」や「飛行機」のようなもののことを考えるのがもともと好きなよーだ。 どーゆーことかというと、人間のあるひとつの能力を拡大して、いわば「シュルレアリズム的に拡張する」ことが好きなもののようです。 「走る」という能力を極限まで拡張して自転車をつくり、現実の人間には備わっていない運動能力である飛翔を「飛行機」の形で実現しようとしたときに力が出る。 ロシア人は同義語反復になってしまうが、「ロシア的」としか呼びようがない技術的趣味があるようです。泥臭いマジメさと実用の、どーゆーか、土のニオイがしみこんだ技術である。 むかしベレンコという空軍の軍人が日本に超音速戦闘機ごと亡命してくる、という大事件があったようですが、そのときの記事を読むと、「ソ連の超音速戦闘機は見かけ倒しであって、外装は鉄板、電子回路には真空管が用いられていて、車輪に至ってはジープのタイヤであった」と日本の新聞記者が嘲笑しておる。 しかし、これは、技術、少なくとも「ロシア的技術」というものを完全に誤解しています。 マッハ3、というようなことになると、チタンのような外装材を使っていても、そうそうは保たないので鉄板ですむなら、そちらのほうが運用上合理的である、という考えかたがロシア人にはある。 高出力回路では真空管のほうが安定していて壊れにくかった、という考えで採用する、というのは、これも十分現実的な判断として成立しえます。 車輪がジープであうことに至っては、ジープの車輪が使えるのなら、それを使った方がいいのは明らかで、軍用機である以上、ヨーロッパ戦線に伝統的でもあれば特徴的でもある、「陸軍の戦線のすぐ後ろにある」小さな、戦線の移動につれてどんどん移動する飛行場の乏しい補充部品で、タイヤ交換が出来ることになります。 第一、作る側の視点に立つと、鉄板と真空管とジープのタイヤでマッハ3の飛行機をつくってみせる、というのはたいへんなことである。 イギリスに関しては、日本のひとは直ぐに「イギリス人は、ものをつくらずに濡れ手で粟の金儲けで云々」「植民地支配で、かんぬん」といいたがるのであって、そーゆー発言を見聞きするたびに、うるせー、おめーらの使ってるもので、イギリス人がつくったものが、どんだけあるとおもってんだ、ボケ、と思いますが、へのこ自慢、というのは下品なので、省く。 日本の技術のよいところ、というのは「繊細な手のひらと指」が見えるようなところ、だと思います。それがカッチョイイ、のだな。 60年代くらいまで遡ると、日本には「竹細工」のオモチャがたくさんありますが、日本の技術の原型は、あれであると思う。下手に力をいれてまげると「ペシっ」と折れてしまう竹を使って、日本の子供は実にさまざまなものを作れた。 自走するものだけでも自動車、ゴムのねじれが動力の飛行機、竹トンボ、いろいろある。 「手の動き」の制御がうまいのだな。 で、ですね。 … Continue reading

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夜中に起きて考えたこと2

7 P(アメリカ人、トーシカ)からメールが来ておる。 「日本の将来をどう思うか」という。 わかんねーよ、そんなの。 わしは細木数子、ちゃいまんねん、と思うが、一応考えたことを書いて返事をする。 2025年くらいに日本は修羅場を迎えるでしょう。 それはかなりはっきりしておる。 別にわしがゆわんでも、全員一致ですのい。 だって基幹産業がねーからな、その頃になると。 クルマですらチューゴクが勝ちそーだ。 マネジメントはいまでも他国人のほうがうまいしな。 教育程度も、いまの日本人は、ぶっくらこくくらい低い。 読み書き算盤、全部できねーんだから、幕末の旗本みたいなもんです。 「働き蜂」とか「蟻みてえ」とかゆわれて真に受けたのがバカだった、という要因もあるようだ。 日本のサラリーマンっちゅうのは、観察していると、あんまり仕事しねーもん。 「お話してる時間」が長すぎます。 さぼるの、天才だのい。 わっしは日本の会社員って、世界一のんびりだと思うな。 だって、みんなオフィスで寛いでんじゃん。 家代わりのよーなもんです。 そーゆー、ちょっとスペイン人風の、のおんびり勤務なのに、そもそも労働時間そのものがたとえばほとんど息継ぎなしで働くアメリカ人のほうが長いんだから、それで生産性があがるわけねーでしょう。 無理無理。 教育は前にも書いたが、数学なんか、わざわざ退屈な教科書に変えたのが、すごい。 あの教科書、ちゅうか、教科内容で、数学好きガキが生き残っているほうが不思議である。 英語も、授業見させてもらったことあるけど、すげえーっす。 授業、やんないほうがええんちゃうか。 わっしが見た範囲では「高校の理科」っちゅうのが結構よかった。 もっとも学校にもよるんでしょうけど。 2040年くらいには、またなんとかなってくるんちゃうか、と思いますが、こっちは別に根拠ねっす。 なーんとなく、そう思うだけだす。 いま25歳のひとは、55だの。 団塊の世代は、ほとんどがいねーわけだ。 そうやって考えていると、なんで2040年、と思うのか、ちょっと自分でも判るような気がしなくもない、ちゅう程度の薄弱な理由です。 根拠はないが、なあに、2040年くらいにはどうにかなるでしょう。 そのうちなんとかなるだろー、と植木等先生もゆっておられる。(こればっかし) 8 「山の家」がある軽井沢町はもともと外国人たちの別荘地として繁栄していた町です。 大正時代には、「キリスト教徒にあらざる商人の出入りを禁ず」とデカイ札が立っていたそーだ。 日曜日になると、宣教師たちが町の店をまわって開けている店をみつけると表の戸をガンガン叩いて、「安息日に働いてはいけません。イエス・キリスト様のご命令です。店を閉めなさい」と叫んでまわったそうである。 なにしろ収入をこれら「ガイジン」に依存していたので、村人たちはみな表面だけ耶蘇教になったふりをした。日曜日は表は閉めて、裏口を開けて商売したもののよーである。 … Continue reading

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夜中に起きて考えたこと

1 夜中に眼が醒めちった。 どーやら外は雨が降っているよーだ。 モニが起きないように、こおっそりベッドを抜け出して自分の部屋へ向かう。 もちろん灯りなんかつけるわけにはいかん。 いでえ。 テーブルの角に足をぶつけたではないか。 わしはすぐに痣になる体質である。 また、でえっかい痣になるに違いなし。 だっせー。 しぃー。 ははは。着いた。 どこに? 台所です。 ここまで来てしまえば、鍋を叩いて踊っても寝室には聞こえん。 コーヒーでも淹れるべ。 乾き物がいれてある棚に、チョコレートもあったはずである。 2 午前3時、ちゅうような時間は静かでいいのう。 山の家は、周りを年中ひとが通ったりはしないが、結構町の、というかひとの気配は感じられる。 この連休は、なかなかすごい人混みであった。 軽井沢町は、要所要所がwebカメラで見られるようになっているので、ちっと覗いてみたら、すごおい人出でした。 後で、家の手伝いをしてくれているひとに訊いたらスーパーマーケットも、ごったがえしていたそーである。 盆よりも多かった、そーだ。 ぎゃあ。 この頃は、軽井沢町のひとの数は異常である。 なんだか、ついに全然行かなくなった鎌倉と事情が似てきたような気がする。 ここもついにダメかのい。 そーすると、日本に遊びに来たときに、のんびり出来るところがなくなってしまうではないか。 わっしもモニも広尾は飽きた。 飽きた、というか、なんとなくダサイな。 根津、とか、あっちのほうに、なんかカッチョイイ一軒家、とかはないだろうか。 東京は西側はつまらん。 神保町や銀座や浅草がある東側のほうがシブクていいのう。 3 モニは、だいぶん日本がヘーキになったようだ。 えがった。 これで、ときどき遊びに来られる可能性が出来たっちゅうもんだ。 「長野県」のおかげだとゆわれている。 相変わらず日本文化には、あんまり興味がないようだが、ま、それはどーでもよい。 … Continue reading

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日本滞在秒読み日記(あと2ヶ月)

モニとわっしは、まだ山の家にいる。 町の気温が8度から18度、庭の温度計を見ると6度から16度くらいであって、非常に快適です。 このくらいの気温でTシャツ一枚、というのがわっしのもっとも幸福な気候である。 こーゆー天気だと、わっしはなにがなしヘラヘラしてしまうので、スーパーマーケットでも散歩していても、なんとなくヘラ顔だのい。 ばったりでくわしたひとは、不気味にデカイにーちゃんがへらへらしながら近寄ってくるので怖い思いをしているのかも知れません。 山の家でなにをしていたかというと、モニは絵ばかり描いておった。 ついでに仮想ギャラリーをつくって遊んだりしているよーです。 やっと昨日「絵を描くのに夢中」な時期が終わって、遊んでもらえるようになった。 うー、嬉しい、とカンドーしました。 長かった。 さびしかったのお。 わっしは「日本の戦後」までだいたいまとめ終わって、団塊世代とくびれ世代をまとめて相手にしているところである。 「相手にしている」とゆってもディテールまではいまははいってゆかないことにしているので、ふたつの世代の周りをぐるぐる回っているだけです。 「赤胴鈴之助」とか「ゼロ戦レッド」「伊賀の影丸」「弘田三枝子」「ザ・ピーナッツ」 「クレイジーキャッツ」「シャボン玉ホリデー」「夢で会いましょう」 そーゆーものをケンキューしておる。 最近は株ですりまくった団塊世代のさびしい財布から更に金をくすねとるべく「団塊ターゲット商法」が流行しているので、このへんの資料が手に入りやすくて助かる。 もうちっとして広尾にもどったら、また大々的に購買するべ、と思ってます。 **** 来年は仕事をさせられそーな雰囲気なので英語国にいるしかないよーだが、それが終わったらインドへ行きたい。6ヶ月くらいいてーな、と思ってます。 ボリウッドスターたちの家のど真ん中にある、というパラダイスなインド人友達の家にしばらくいて、それからアパートメントに移動する、というのはどうか。 インドは人間やなんかは南のほうがオモロイのに見たい建物や遺跡やなんかは全部北にある、という点でどういうふうに滞在するのか難しい。 いつもインド菓子のつくりかたとかを教えてくれるインドの友達にいろいろ訊いてみるが、なかなかイメージがつかまえられないのい。 埃と臭い。 モニは、相変わらずインドになんか行きたくない、という。 **** 離婚したアメリカ人の女友達から連合王国の家に本や美術品やらなにやらが届いたそーだ。美人で気立ての良いおばちゃんだが、ここ3年くらいは旦那と若いボーイフレンドと二股をかけておった。 「出来ちゃったものは、仕方がねーだろ」とゆって笑っておったが、内心はどうだったろう。 しばらくはマンハッタンのアパートで暮らすので持っていたものがはいりきれないのだそーだ。 アメリカ人たちは離婚や性の問題、あるいは「真実の愛」みたいなことで苦しみすぎるのではないか。 きっとマジメに突き詰めて考えすぎるのだな。 テキトーでいいじゃん、ということが、どうしてもわからんようです。 旦那と共有していた本棚を整理していたら、並んだ本の裏側から「寝室で妻を満足させる方法」っちゅうような本が出て来たそうである。 その安っぽい本の表紙を見たら涙が止まらなくなった、という。 切ないのう。 **** くるみ餅でも、買いに行こう。

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自分が誰であるかを説明する

将来日本が戦争に巻き込まれるのはほぼ自明である、というひとたちがいる。 理由ですか? とそのひとたちは壁の世界地図を指さす。 この地図を見て、地政学的に日本が戦火に巻き込まれない、と思うのはどうかしてるぜ、きみ。 ソビエト共産主義があったときとは異なるからな、と付け加えるのが通常です。 ソビエト共産主義は日本にとって大変な安定をもたらしていた。 中国は北からの牽制によって日本へ脅威を与える可能性はゼロであった。 日本は北海道に軍事力を集中し、韓国駐留の米軍と呼応して抑止力としておればほぼ安定した均衡線を引いていられたのです。 二次的な突発事態として新潟付近への上陸、ということも考えられたのでむかしは碓氷峠で最終防衛線を布く、という緊迫したプランも持っていたが彼我の技術力の差が明らかになるにつれて、そういう心配をしなくなったもののよーだ。 いまはどうか というと、「共産主義陣営」と「自由陣営」という大きな対立図式がなくなってしまったので、第一次世界大戦の前のバルカン類似、というか、なんだか火薬庫のような地域になってしまっておる。 戦火が起こらないのは合衆国が沖縄に日本との片務軍事同盟を抱えて居座っているのと 「海を突破する」という古来から難しいとわかっている海軍技術力がロシアにも中国にもないからでしょう。 ぴんとこないひとは、「資源の絶対的不足」という時限爆弾がいまの世界を突き動かしていることに対して鈍感であるか無知であるかのどちらかであるからだ、という。 どんな本を読んでも書いて有りますが、日本の地政学的な「戦争勃発率」は特A級、なんです。北朝鮮があって台湾があって中国があってロシアがある。 オールスターだもんな。 この危うさをかろうじて支えているのが「アメリカ人のデカイこぶし」ですが、この拳をここに置いておくのは、第一義的にはアメリカ合衆国の安全のためであって、西から敵が侵攻してきた場合日本全土を戦場にして、それを食い止める、という1945年以来伝統的な合衆国の戦略が理由です。それがもちろん大半の理由ですが、こういうことをいうと頭から信じないひともいるが現代アメリカ人の「日本人って仲間なんだろ?」という素朴な国民感情もおおきい、のがアメリカ人、特にカリフォルニア人やワシントン人と話していると感じられる。 日本人が戦争にものも言えないボロ負けをぶっこいて、その結果としてつかみだしてきたものは「自由の尊さ」というものであったように、わっしには見えます。 他の物は、まあ、つけたりなんじゃない? と思う。 日本人は1945年まで、「自由」しかも「西洋型の自由」というものが、こんなにも自分たちにフィットするものだと考えたことも無かった。 しかし、手に入れてみると、日本人の精神と文化とにあつらえたようにぴったりであって、日本人は、あっというまにこの「自由」というものの真の価値を理解してしまった。 多分、「公」というものの概念をはやくから持っていたからでしょう。 日本の戦後政治というのは、この「自由」を守るために行われた、と言ってもいいのだと考えることがあります。 無論、団塊世代の学生運動は、こういう「西側世界のぶったるんだ自由」なんかはほんとうの自由でなくて、朝鮮半島や中国本土で広く行われているような「人民主導型の自由」だけがほんものなのだと頑張ったが、肉屋のおっさんや八百屋のおばちゃんは、機動隊に追いまくられて逃げてきた学生たちを何食わぬ顔で匿ってやったりはしても、その政治的目的は眉唾だと考えていて、実際、そうに違いなかったので、学生運動は結局、革命ごっこのようなものになって終わってしまった。 吉本隆明は、安田講堂の学生たちは、煉瓦を投げるときにわざと外して投げている、と鋭い指摘をしていますが、ま、そーゆーことだったのです。 共産主義の大旦那たるソビエトロシアがごまんとある核ミサイルを日本や合衆国に照準して、「いつでもぶっぱなしちゃるぞ」をしていたころ(フルシチョフのすさまじい国連演説を見よ!)、日本人は自分たちの「自由」というのは西側諸国の「自由」とまったく一体である、ということを論議の余地無く判っていた。 いわば陣営の一員として共産主義のこちらは一枚岩とは全然言えない二国と対峙していたわけで、裏側では、ドイツ同様、戦争の頃の負い目があるので、なんとか「自由主義仲間」に信用を得ようとして必死、という面もあったのです。 だから卑屈なくらい、「悪いところがあれば、なんでも直します。気が付いたことは、なんでもゆってね」をしておった。 最近の日本は、ずいぶん様変わりして見えます。 どうも独自色を出したくなってきたのだな。 しかも都合が悪いことは、全部なかったことにする、という癖がぶりかえして顕著になってきたよーだ。 「中国に攻めていったのは中国人が来てください、とゆったからです」 「戦争中の残虐行為は勝利国のでっちあげである」 「南京虐殺はなかった」 「捕虜を虐待したのは連合国のほうだ」 英語に訳されて出てくる、こういう日本人たちの最近流行の主張を聞いて、たとえば連合王国の大学生はぶっくらこいてしまう。 調査捕鯨、のようなものも、おなじコンテクストのなかで理解される傾向にあります。 結局、日本に興味をもって調べだしたこの大学生の結論は、「この国は、どうしたいのか全然わからん」ということになってしまう。 自由主義同盟時代のよしみで「なかよく行こうぜ」っちゅうんだったら、なんで鯨を食べるくらいやめないのかなあ、と考える。 きみんとこの捕鯨船、ニュージーランドの従兄弟の家の眼と鼻の先で鯨を殺してあるくってゆーぜ。 こーゆーのを、英語ではアンダーマイニング、というのだな。 日本語ではなんちゅうか、しらん。 … Continue reading

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失語症の国(その1)

言葉が変形してゆくのは自然なことにしか過ぎない。 年配の人間は常に若い人間の言葉の用法が気に入らないのであって、その事情は世界中変わらない。しかし、今回の日本滞在では、わっしは日本語の変化が以前と少し異なるように感じられました。 英語の世界はインターネットの普及でおおきく変わった。 何がいちばん変わったかというと、たとえばニュージーランドでは合衆国的な考えや連合王国的な考えが日常的に流入するようになった。 理由は簡単でたとえば高校生のガキどもはダッシュで家に帰るとMMOにとびついてログインする。 アメリカ人のガキや連合王国のガキとオンラインで「待ち合わせ」しているからです。 時差などは、ないかのごとくである。 バーベキューのときに近所のガキどもと話していると、「親友はテキサス人である」とかぬかす。「もうひとりはシカゴのやつなんだ」 テキサスのどこなの、と訊くとダラスだというのでグレープバインモールの向かいにあるテックスメックス料理屋の話をすると、「あっ、知ってる!知ってる! そこのファヒータがうまいんだよ、とかゆいます。 もちろん行ったことがあるわけない。 でも、ぼく、印刷屋のマック使うバイトで金貯めてんだ、来年みんなでシカゴで会うんだ、とかゆうておる。 国際的になっている、のではなくて反対のようです。 インターネットが普及したときの予想とはまさに反対のことが起きているよーだ。 実際に起きているのは言語圏別のセグメント化であってゾーン化です。 英語は英語、ドイツ語はドイツ語、ロシア語はロシア語でゾーン化していてブロック経済圏という歴史用語があるが、それにならえば「ブロック言語圏」だのい。 Company of Heroes で遊んでいた頃は、なかなかおかしかった。 あのゲームはなにがおかしいかというとプレーヤーの年齢層がオンラインゲームのなかでは圧倒的に高いんです。 「hi」 「hi」 「いやあ、今日は酔っ払ってるんだけど、まだゲームやれる、ダイジョーブ」 なに飲んでるの? 「ジン。一本空にしちった。くそ局長にねちねち言われてアッタマにきてんだよ、おれは」 へー。 ちゅうんで、このひと、ゲームやっているあいだじゅう、上司の悪口をゆっておる。 ゲームも抜かりなくすすめていて、手が4本あるんちゃうか、という感じでした。 そーゆーひとがいっぱいいる。 結構、いろいろな話をします。 WOWの世界では、よく焚き火のそばで話し込んだりもした。 なんだか、現実の世界よりもひとなつこく親切な人間が多くて、ゲームのこつから始まって、好きなミュージシャン、好きな自転車、ガールフレンドのことまで、ゲームそっちのけで話したりする。 本来、そーゆーことを目的としないゲームですらそーゆー趣なので、たとえば歴史なら歴史、数学なら数学の自分の関心がある分野のチャットルームやフォーラムは言うまでもない。 欧州では、むかしは大学町にこの機能が備わっておった。連合王国を含めて欧州の大学は、どうかすると大学っきゃないすげーど田舎にあって、おまけに店は週末とかは全部しまりやがるので、大学生はドイツ人もスペイン人もフランス人もごしゃごしゃと集まって議論をするくらいしかやることがない。連合王国人はスカンタコで鳴る国民性なので、もちろんやや閉鎖的だとしても大陸はいまでもあんまり変わらん。 学問の程度があんまり高いとはゆえない大陸欧州の大学のよいところです。 わっしの友達でオランダ人の女とイタリア人男のカップルがいますが、このふたりも、 前にブログに確か書いたことがあるフレミシュとスペイン人のカップルと同じで結婚しても夫婦の会話がフランス語である。 学生の頃、毎週フランス語で議論していた名残なんです。 ドイツに留学していて結婚したひとたちはドイツ語で、フランスやベルギーに留学していたひとたちはフランス語で、話しているカップルが多いよーだ。 インターネットは、こういう交流を言語別に分別して大規模に再構成した、ようなところがあります。 … Continue reading

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世界最悪のオルガン

「偉大な指導者」であった毛沢東は極めて魅力のある人格をもち即妙な冗談と悠揚迫らぬ機知で生きているあいだじゅう西側指導者を圧倒しました。 「自由は鉄砲から生まれる」なんちゅうのは、わっしもなかなか名作であると思う。 一方では残虐なやりかたの公開処刑を好んで、それを娯楽にした。 晩年には若い娘たちを同時に複数寝床にはべらせて性交に没頭した。 ありとあらゆる性戯を試みさせ、若い男にも性的奉仕をさせていた。 性交依存症であった。 毛沢東の指導の下に様々な理由で命を落とした中国人の数は3400万人を数えます。 松岡洋右はスターリンの誠実な人間的深みとロシア人らしいあけすけな親しみと最後の日の破格な抱擁とで、すっかりソビエト連邦ファンになって日本に帰ってきた。 ウインストン・チャーチルは、「盟友」フランクリン・ルーズベルトがスターリンの人格に魅せられてしまって、自分のような老いぼれはもうどうでもいいようだ、とゆって嘆いている。なんだか好きな同級生にふられた女子高校生の日記を読んでいるようで、笑ってしまいます。 このスターリンがほとんど理由にもならぬ理由で1000万人を越えるロシア人を虐殺したことを知らないひとはいないでしょう。 ニキータ・フルシチョフが合衆国にやってきたとき、スターリンの批判者でありながらスターリンの生前には政治委員として活躍していたフルシチョフが「なぜ、あなたはスターリンに反対しなかったのか」と問われて、激怒したのは有名である。 「誰が、いまの質問をした。いま、質問をした記者はどこの新聞記者で、なんという名前か教えろ」とすさまじい剣幕で怒鳴った。 KGBによる闇の報復を直感したアメリカ人記者たちが青ざめふるえあがって沈黙したのを見届けると、 「いまの諸君たちと同じだったのさ」とゆって、ニヤリと笑ったという。 スターリンというひとはフルシチョフたちをすら沈黙させる、人間を越えた恐怖を与える恐ろしい一面をもっていたのです。 ヒトラーへまで、例をひろげてもよいが、もうこのふたりのおっさんだけで、うんざりだすな。 わっしは毛沢東とスターリンの伝記を読んでいて、「これはきっと、あるな」と考えて医学図書館に出かけてみたことがあります。 やっぱり、あった。 毛沢東についてもスターリンについても、「境界性人格障害」の症例として採り上げてある本があるのです。 ここで「境界性人格障害」というものを説明すると、説明する本人がキーボードにうっぷしって画面に無限のwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww列をタイプしながら眠ってしまうのが見えているので、そーゆーことに興味があるひとは自分で調べるのにまかせるとして、このビョーキは遺伝的な理由が大きい、っちゅうか、ほぼセロトニンがらみの遺伝子上の理由によるのがわかっている。 本人にはどーしよーもないビョーキなんです。 セロトニントランスポーターのタンデムリピートがうんちゃらかんちゃら、とゆーよーな議論も飛ばしてしまおう。 ついでに、ブログで書こうと思っていたことも飛ばして、一気におやすみなさいまで飛んでも良いが、そーゆーことをすると二度とここに来るお友達たちに口を利いてもらえなくなるので、もうちょっとだけ眠いのを我慢して書くと、 こーゆー、たとえば19番染色体、とかの研究がどんどん進んでいったばあい、人間がこれまで考えてきた倫理とか哲学とか宗教とかには、いったい、どういう意味が残るだろうか? だって複対立だかなんだかわからないが、染色体上にオルガンの鍵盤のように並んだ遺伝子によって行動が決定され環境要素などは影響力が従来考えられていたよりもずっと小さいのだとすると、極端なことをいうと「善と悪」に区別なんかあるのか、ということになってしまいます。 もうひとつ、共にそれまでのその国の歴史を破壊して、「ゼロ状態」をつくりだした「強力な指導性」をもった指導者、というものが、人間社会の都合ではなく、いわば神のオルガン演奏によって行われたことになる。 異常遺伝子の正常遺伝子に対する大規模なスウィープであったとみなせそうです。 それにはいままでの社会への論理では「意味づけ」が困難なよーだ。 神の人間に対する悪意のあらわれ、とみなすひともいそーである。 実は、こーゆー遺伝性の精神障害に限らず、いまどんどん進められている遺伝子の研究を眺めていると、人間のイメージする倫理や宗教などは、てんから受け付けないような事実が次々に出て来てしまっている。 もっと細部に眼をやっても論理的には、いまの裁判のように「心神耗弱であれば責任能力がないと見なされる」のであれば複対立でない遺伝子が原因とわかっている場合には殺人者に極刑あるいはもっとも重い刑罰を宣告ができないことになりますが、それで法が、ひいては社会が成り立つものなのだろーか。 シェフの友達が送ってくれた紅茶ケーキを、モニが眠っているのをよいことにあらかた食べ尽くした指のクリームでべたべたになった「17番染色体」の遺伝子地図を眺めながら、わっしは、ひたすら悩むのであります。

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ナマケ日記(4)

新しい友達がビョーキをしているよーだ。 胃が痛い、というのは英語世界では「風邪のせい」とはゆえないが、日本では「風邪でお腹が痛い」とゆえるのだな。 ベンキョーしてしまった。 心配である。 まあ、いいや。 お友達たち、に告ぐ。 わっしは日本での毎日をずいぶん楽しんでいます。 まだ山の家にいて、モニは絵ばかり描いていて、わっしはオタクをしおる。 ほとんど外にはでかけません。 ときどき、散歩するくらい。 シェフの友達が東京から出張ってきて料理をつくってくれた。 フランス料理は、頭のなかに「味のデータベース」がないとつくれない。 これとこれをかけあわせると、こーゆー味になって、だから、こーゆーもんとあーゆーもんをかけあわせたソースがいいな、っちゅうふうに複雑な均衡を計算しなければならないので賢くないとおいしい料理をつくれないが、Tさんは、50変数くらいの料理方程式をこなせるひとなので、三時間くらいで、ほいほいと料理をつくってしまいます。 天才、だのい。 3人で、もう、ちょっと寒くなってきた庭のテーブルで食べた。 キツツキどもが好奇心をおさえかねて、うろうろしてます。 Tさんをくるまで送ってゆくと、今日は、季節の変わり目の空気の屈曲で浅間山が異様な大きさに見えておる。 **** 他に読まなければならない本がたくさんあるのに、アウグスチヌスの本を立て続けに読んじった。アホじゃん。 午後はモニの誕生日の曲をまた少しつくりました。 曲をつくるにはギターは向かんのは不思議だな。 なんどやってみてもピアノのほうが簡単である。 バニラの匂いのするろうそくをつけて、カウチに寝転がって、アニー・レボヴィッツの写真集を眺めた。 商業主義の極北にもゲージツはあるのだな。 スーザン・ソンタグに惚れたわけである。 なんという切ない恋だろう。 人間の魂ですら恋をすることがある。 **** 来週くらいにはモニとわっしは東京にもどるであろう。 あの「強盗にはいられた部屋」みたいな東京で、わっしの日本滞在の「最後のまとめ」にかかるのだ。 このブログを読んでいるみなさんとモニ以外は誰も知らない、わっしの労働である。 なんでこんなことをしているのか、自分でもわからん。 Jさん、だから、わっしにもあなたの疑問の答えはわからないのです。 でも日本という国には、その表向きの、なんとなくデタラメであらっぽい、粗野な顔とは別に、絹のような手触りのところがあるのです。 不思議な国。 不思議なひとびと。 不思議な文明。 うまく表現できるようになる日があるだろうか。

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肉体のもんもん

日本でもカヤックをよく見るが、日本人のお友達によると、割と最近の流行だそーである。 カヤックは楽しい。特にシーカヤックがいいな。 カヤックの良い点、というのは、「視点が低いこと」と「自分が向いている方向である前方に進むこと」であって、カヤックで遊ぶ感覚は簡単に言うと自転車みてーなもんです。 わっしはニュージーランドに戻ると一年に一回はネルソンという町にでかけてカヤックで遊ぶ。 なんでネルソンくんだりまで行ってカヤックをやるか、というと、ですね。 一年中天気が良い。 水が綺麗である。 マッスル(ムール貝)が手づかみでとれて、そのまんま食える。 カヤックで上陸できる適当なチビ島や入り江がうまい具合の間隔で点在している。 ちゅうところでしょうか。 この他にかつては、北欧や北米なんかの綺麗なねーちゃんがいっぱいきておって(向こうは冬だからな)カヤックで遊んだ後は夏の太陽の母上のせいですっかり愉快になっているねーちゃんたちといちゃいちゃもんもんできる、という重大で深刻な理由もあったが、いまは、諸般の事情によりそーゆーわけにはいかむ。 人間というのは自己を虜囚化しないと幸福になれんのです。 テニス、というのは肉体を使ったチェスのようなもんであって、知性が筋肉で実感できる、というおもろいスポーツである。 わっしがテニスをやるときは、「どひゃあー」とか「ぐぎゃぎゃぐや」「むはっ」とかゆっていて全然知的に見えないが、それはわしがもともと全然知的じゃねーんだよ。 テニスのせいではないのです。 自転車をこぎまくる、というのも、えーな。 わっしは好きです。 ロードレーサーがいちばん愉快である。 速いからな。 わしの80キロを越えておるデカイ図体を支える、あの細こいタイヤを見ると気の毒な感じがするが、わしの無理強いに必死によく耐えてがんばってくれます。 そーいえば日本のテクノロジーというものは、自転車タイヤギョーカイでも冴えておって岡本理研、とか相模ゴム、ってトップメーカーなんだす。 肉体は鍛えられなければならぬ、というのはなぜかというと、鍛えないと肉体の本来の目的である「快楽の受容」がうまくやれないからです。 かるがると敏捷に動く肉体ほどすぐれた愉悦の源泉はない。 多分、神様でもなんでもよいから「人間の霊的なおとーさん」みたいなものがあるとすると、霊的ガキに「これから肉体をあげるから、地上に出張っていって、いろいろなことを感覚してくるよーに」とゆって人間を地上に肉体のなかにパックして送り出しておるのだな。 ま、リューガクみたいなものである。 まず親指をなめなめしちゃったりするくらいから、ガキに内在する霊性は「うにゃあ、感覚受容って気持ちいーにゃん」と思っているに違いない。 排泄とかでも、うー、いい気持ち、をしてるんだな、あれは。 これから肉体を利用して習得すべきことを練習しておる。 長じては自分の筋肉がぶっくらこくくらい爆発的なパワーをもっていることを楽しむようになる。 わっしはすでにまったく顧みられないスポーツであるボクシングが好きだったが、あれは、だからオモロイんです。 見ても、つまらん。 クリケットや野球と同じです。 やらんと、わからん。 槍投げもスプリントも自転車も乗馬もローイングも、どれもこれも無茶苦茶なくらい楽しいのい。 十六才を過ぎる頃になると筋肉、というものが神様のように思えてくるのです。 隠しても始まらんからゆってしまうと、このくらいの年齢になるといちゃいちゃもんもんの楽しさにも夢中になるよーになる。 でも、これも留学して習得する単位のうちだから、いーんです。 このブログのコメント欄にやってきて、SFやアニメについてぎょっとするほど的確な意見をゆったり半島人や白色レグホン人種について、ぎょっとするほどバカな意見をぶっこいたりしているwindwalkerさんによれば日本は、ひとりいちゃいちゃもんもん文化をもっているそーだが、そーゆーことでは神様の留学目的をはたしておらない、とゆわねばならぬ。 ひとめにつかないところで観念だけをもてあそんで、あー、えがった、というのは、だからいけないんです。 そーゆーことは死亡後、肉体が滅びてから行えばよいのだ。 … Continue reading

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ワジャレコンと古豆腐屋

9月15日のコメント欄に「おばちゃん」というひとが来ています。 「Hi ガメ distortion 不協音ってのどう? ワジャレコン? 2006年からの1日で全部読んだよ」 という。 げっ、「ワジャレコン」ってなんだ? と、カシコイわしも暫く考えたな。 和じゃれ婚なのか? 炬燵のしたでお嫁さんと足の指でつんつんしてきゃあきゃあしちゃうんだろーか。 じゃ、モニとわしは「洋じゃれ婚」だのい。 洋じゃれ婚のほうは、夜な夜なベッドのなかで….(以下、自粛)。 えー、おほん。 でも、なんでそれが音楽と関係あるねん。 わけわかんねえー。 ところが「ワジャレコン」が頭のなかで英語に訛ると音が言葉をひっぱりだしてきた。 What do you reckon? 「おばちゃん」、すごい。 このブログに何度も書いたようにカタカナは日本人に英語を理解させないようにした。 今度から小学生にも英語を教えることにしたそーだが。 保証してもよい、もっと英語がわかんなくなるだけです。 日本人には「カタカナの呪い」がかかっておるからな。 あれが幅を利かせているあいだは、エーゴがわかるようにはなりもーさぬ。 でも、「おばちゃん」のカタカナは呪いであるどころか頭の中の英語を助けてくれておる。 「おばちゃん」は、きっとオーストラリアか合衆国に長く住んでいる人なのでしょう。 こうやって遊んでるんだな、いつも、頭のなかで。 こんなふうに考えられるひとは、きっと英語もジョーズなのに違いねっす。 神保町で100円で買ってきた本のなかに、日本のサラリーマンのおっちゃんの合衆国滞在記があった。おっちゃんは「英文学科」なので、おまえ行ってこい、とゆわれて合衆国に行った。 ところがハチオンが悪くて、全然つーじないんです。 何ゆってるんだか、全然、わからん。 切符を買うのにフィラデルフィアとなんべんも必死で繰り返しているのに、ちょっともわかってもらえません。 どーも、カタカナ発音だったのだな。 フィラデルフィア、で通じない発音なのだから、行きたい先が 「ランヴァイルプルグウィンギルゴゲリフウィルンドロブルランティシリオゴゴゴホ」(Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch、 北ウエールズにある駅の名前です)でなくてよかった、としみじみ思う。 紙に書いたりして、ヒジョーに機嫌が悪くなったアフリカン・アメリカンのおばちゃんにやっと切符を売ってもらって、必死こいてたどりついた支店で先輩社員にその話をしたら、「ああ、それ、古豆腐屋、ってアメリカ人ふうに言ってみればいいんだよ」とこともなげにゆわれたそうである(^^) … Continue reading

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朝ごはん

世の中でベッドのなかでコロコロしているときくらい楽しい時間はない。 特にわっしのベッドはモニの良い匂いがしているからな。 特別である。 だいたいわしが眼を覚ますときはモニさんは、まだすやすやと眠っておる。 そぉーと手を伸ばして、ちょっとだけ触ってみる。 「あっ、モニさん、ちゃんといるやん。いえーい」と喜びますが、もちろん声にはださん。 カサコソコソと毛布の下を巧みに移動して、モニさんの背中に鼻を近づけます。 うー、いい匂いがする。 たまらん。 それからまたコソコソカサ、と自分の定位置にもどって、うつぶせになって枕を抱きしめてモニがいることの幸せをかみしめるのい。 うれちい、モニさん大好き。 きゃあ。 そんでもって起きます。 わっしはどこの家の台所にも、同じ会社の小さなフライパンを持っておる。 朝飯用、ですたい。 卵ふたつの目玉焼きをつくるのに丁度よい大きさである。 こういう「良い台所用品」というのは人間の生活を著しく幸福にする、ということを知ってましたか? ウソだと思ったら、自分でいちばんよくつくるものに使う調理用具をおもいきり良いものに換えてみるがよい。 ぶっくらこくから。 特に朝飯のものは大切だの。 世界が変わり申す。わしが保証する。 ベーコンを焼くときもあるが、(怒ってはいかむ)日本のベーコンははなはだしく不味い。スーパーマーケットで売っているベーコンに至っては、あんなもんをベーコンとはゆわん。へろへろしていて柔らかくて、なんだか不気味な加工肉なだけです。 だから日本のいるときは、だいたいソーセージだのい。 ソーセージは、たまたまなのかも知れないが、どーも土地土地で探すとおいしい店があるよーだ。日本のひとは、ベーコンよりソーセージのほうが好き、なのでしょーか。 ソーセージの場合は簡単で、お湯のなかに放り込んでおけば、自分で勝手に煮えておいしくなっておる。知っているかもしれぬが、ほんちゃんなソーセージの場合は沸騰したお湯で煮てはいかむ。90度くらいでやるのね。8分から9分です。 全然おいしくなります。 ついでにゆうとフライパンで焼くときは「焼く」のであって炒めてはあきまへん。 油をひく、などどというのはとんでもない態度であって、そんなことをしたらソーセージさんがあばれて反乱を起こすであろう。 油はいっさい使ってはいけません。 乾いたフライパンの上でコロコロさせる。 加工済みソーセージの場合は、卵焼き用フライパンの卵のわきっちょの上に載せておいてやればよいのだす。ふたをして卵がうまく焼けた頃にはソーセージもでけておる。 わしは朝はコーヒーです。 モニが生豆をローストしてつくったコーヒー豆があるから、それをコーヒーミルでグッギャアーとひきます。松下製電動珈琲挽器。日本の生活は便利どすな。 カリタのコーヒーサーバーにいれて、お湯をやかんにいっぱいタンクにいれると、待たなくてもいきなりコーヒーがどんどん出来るようになっておる。 文明の威力だのい。 でけた。 トレイに目玉焼き2個ソーセージ添え、バターを塗っつけたトースト二枚、チーズ、ベジマイト、にコーヒーの巨大マグを載せて、わしは朝飯のテーブルに着く。 暖かい日はテラス(広尾の場合)あるいは庭(山の家の場合)だす。 モニさんは、どうなってるんだって? モニは、寝てはりますな。わしが起きるおよそ3時間後に起きてくることが多いよーだ。 … Continue reading

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ギター

広尾にも長野の山の家にも、わっしの家にはどこへでかけてもワインが大量にあります。 ワインが好きだからな。 モニはよく白ワインも飲みますが、わっしは赤ワインばっかしである。 アカのひとつおぼえ、 なんちて。 「造反有理」みたいだの。 ピノノアールが好きだが、テンプラニーニョもよく飲む。 シドニーやメルボルンにいれば毎日ステーキにシラズだが、日本にいるときは牛肉を食べねえのでシラズやシラーはあんまり飲まん。ラムを食べるときだけだが、ラム肉のおいしいのが手に入るのは限られたレストランなので家では飲みまへん。「他の食べ物にあわない」とか、そーゆーカッチョイイことを考えているのではなくて、オーストラリアにいるあいだじゅうシラズばっかし飲んでいるので、飽きた。 せめて北半球にいるときはシラズはやめたい、と思っているだけです。 この頃はフランスとスペインのワインが多いよーだ。 だいたいいつもモニと一緒なのでワインを飲んできゃあきゃあゆって遊んであとはいちゃいちゃもんもんして寝てしまうが、ここ一週間くらいのようにモニがひとりで絵を描いたりするのに熱中しているときは、わしもヲタクなひとり遊びをしながら酒を飲むときがある。 そーゆーときには、夕食のワインの後でウイスキーを飲む。 水割りがいちばんおいしいのは判っておるがストレートです。 水をいれるのがめんどくちゃい。 あと水で割ると全然酔わないものだから際限がなくなって朝まで飲んでいたりしてモニに怒られるので危ない。 グラッパを飲むときもあるはずだが、日本ではおいしいグラッパを手に入れるのに労力が必要なので、もっか在庫がつきているのだすな。 ところでウイスキーを飲むと、うまいギタリストが弾くギターの音が聴きたくなるのはなぜだろうか。 デュアン・オールマンとかはもうギターの音がウイスキーであって、バーボンならもっと良いに決まっているが、あれは家で飲む酒ではないのでやはりウイスキーを飲むことになる。 わっしがもっともいっぱい聴いたギタリストはB.B.キングです。 おっちゃんは、老後の年金代わりにニューヨークにブルーノートと組んで自分の名前を冠したクラブを開いた。ブルーノートらしい、なかなかあくどい料金だったが、わっしは何回か行ったな。 もうメチャクチャにうまいギターで、痺れるどころではなかった。 こちらに向けたお尻をふりまくりながらコルネット/トランペットやトロンボーンを吹くバックバンドをしたがえて、「ルシール」とふたりでのりまくる姿にはどうみたってブルース・ギターの神様が乗り移っている。 おまけにこのひとは声もよくて歌もうまい。 気が遠くなるくらい音痴だったクラプトンや、いまでもすげー音痴のサンタナとはえらい違いです。 やっぱりThe Thrill is Goneがいいよな。トレーシー・チャップマンとふたりで歌っているやつは最高とゆうのもバカバカしいくらい最高です。 バディ・ガイやB.B.キングが同時代に生きていて、その演奏が聴けるのはすごいことに決まっているので、わっしは演奏があると、なるべく行きます。 B.B,キング、この頃糖尿病がいよいよひどくなって演奏しなくなっちったけどな。 B.B.キングはわっしのギターの神様であって、バディ・ガイは大先達だが、そのふたりに較べるとぐっと落ちてもサンタナとジェフ・ベックも好きです。 サンタナの音は、音符ひとつ弾いただけでサンタナだとわかる。 汚ねえジーンズショップの半分壊れたクソスピーカーから鳴るのでもいっぱつでわかるところがすごい。Just feel betterみたいな凡庸を極めた曲でも大口大王とサンタナのギターで、まるで全盛時のBMWの直列6気筒を音楽にしたみたみたいなカッチョイイ音楽になるところがすごい。ロック・ギターに「音」そのもののすごさを持ち込んだひとです。 ジェフ・ベックは、あの音のdistortion(日本語でなんていうかわかんねえ。歪み、かのい)が嫌いなひとにはきっとダメであろう。 でもわっしはワウワウグギャグギャのあの音が好きなので、大好きなのす。 ギターくらい人間の気持ちに近しい楽器はないよーな気がする。 悲しいときには悲しい音しか出ないし、鬱陶しいときには鬱陶しい気持ちの音しか出ない。 レスポールがつくった不思議な電気楽器は結局感情を音楽に変換する機械なのかもしれません。 … Continue reading

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いちばん高い塔の歌

まだ二ヶ月半残っているが、もう日本でやりたかったことはみなやってしまった。 モニとニュージーランドに新しく買う予定の家の話をしました。 モニはクライストチャーチよりもオークランドに住みたいよーだ、というので、いまのオークランドの家では狭すぎる。 こうやってみると、オークランドの住宅価格はだいぶん下がってます。 ガバメントバリュエイション(路線価、かのい)よりも実売価格が下なのはあたりまえになっているよーだ。 オークランドで住宅を長い間商っているC.W.に電話すると、「そんなに下がっちゃいないさ」というけどね。 オークランドは、どんな調子ですか?と聞くと、 景気は悪いさ。でも、思ったほどには悪くならなかった。 あとはいつものことでさ。 落書きして歩くアジア人のバカガキども。 頭のいかれた役人がつくった途方もなく誤ったプランに従ってどんどん進む工事。 ドブネズミのように増えてゆくアジア人たち、右を向いても左を見てもアジア人なんで、おれはたまらん。 頼むからポリティカリイ・インコレクトだなんて言わないでくれ。 クイーン通りに行ってごらんよ。 アジア人、アジア人、アジア人。 クインズランドの洪水よりひどい。 人種差別だって? 文句があるなら来るなよ、とおれは言いたい。 まさかニュージーランドに鯨を捕りにきているんじゃあるまいな。 ははは。 ところで屋内プールは要るのかね。 フランス人ってのは、泳ぐのが好きなんだっけ? 受話器を置いたらモニが自分のスタジオに行って絵を描くというので、わしはラウンジで本を読んだ。山ほど日本語の本を買ったのに、相変わらず油断すると英語の本にばかり手が伸びるでねーけ。 日本語との紐帯はブログだけなのではないか。 日本語と日本文化というものの哀しさは普通でない。 わしは軍歌をケンキューしたが、あんなに勇ましくない軍歌など他の国にはありゃしない。 海行かば 水漬くかばね 山行かば くさむす屍 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ って、あんたねえ。どこが軍歌やねん。 これを歌った後では連合王国の水兵ならば悲観の果てに海に投身して自殺するであろう。 戦い済んで日が暮れて さがしにもどる心では どうぞ生きていて呉れよと 物なと言へと願うたに 空しく冷えて魂は 国へ帰ったポケットに 時計ばかりがコチコチと 動いているも情なや 思へば去年船出して お国が見えずなった時 … Continue reading

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