Daily Archives: October 18, 2009

右傾化

義理叔父の母親、すなわち義理おおおばばーちゃん(以下言いにくいので義理ばーちゃんと呼ぶ)は若いときに中国にいたことがあるそーだ。 義理ばーちゃんは若いとき遊んでばっかりいたので学校をクビになりそうになった。 「遊んでばかりいた」っちゅうても、その頃の日本人のことだから有楽町のジャーマンベーカリーとかで友達とくっちゃべっていた、というところだろうが、なにしろお国を挙げて鬼畜米英と戦おうというときにニコニコして人生を享楽していたのだから、そういうことは当時の日本ではとんでもないことであった。 日本が真珠湾にせめてきたっちゅうのに、恋愛映画をつくりまくっているような頽廃的なお国柄と神国とは違うのです。 困り果てた義理ばーちゃんのとーちゃん、すなわち義理叔父ひーじーちゃんは、仕事上付き合いの右翼の大立て者のおっちゃんに相談したという。 その結果義理ばーちゃんは中国の農場を経営している別の右翼の大立て者の家に寄宿することになったそうです。 「農場」とは見せかけであって、ある日、穀物倉庫が開いていたのでドアのなかを覗いてみると兵器がぎっしりつまっていた、という。 昭和17年に義理じーちゃんが、ぶらっとあらわれて、「日本は、戦争に負けるから日本に帰れ」とゆって「こーの、非国民」と内心憤慨する義理ばーちゃんを連れ戻しにくるまで、義理ばーちゃんは、この右翼の大立て者の食客や中国人たちに守られて暮らした。 義理ばーちゃんは、いまでも無茶苦茶元気であって、老眼鏡なしで中国語やドイツ語の雑誌を読む。わっしも何回か話をしたことがあります。 ばーちゃんと話していてわかるのは、むかしの右翼の「大アジア主義」が、どういうか、孫文やチャンドラ・ボースのようなひとと連絡を取り合って出来た、かなり実効性をもちえた政治思想であって、それがいま伝えられるような惨めな姿になったのは要するに、ほんとうは憂国でもなんでもありゃしない、シーシェパードのおっちゃんたちと同じっちゅうか、政治スタントを行うことによって、自分の利益や存在の誇示を追究しようとするだけの政治的な粗暴ゴミによってたかって食いつぶされた、ということでした。 食い詰め者たちの「自我肥大培養思想」としての右翼思想というのは世界中共通の現象ですが、日本は特にひどかった。 日本の右翼の伝統に壊滅的な打撃を与えたのは実は、こういう似非右翼たちの渉猟だったのは興味深いことだと思います。 アジア革命に賭けた「純粋右翼」とでもいうべきひとは、だいたい宮崎滔天くらいが最後で、戦前のこの辺りで挫折した日本の右翼たちは世論の支持が最も得やすかったテロリズムに走ります。 日本は歴史的に見てテロの国である。 テロが終始一貫「民衆」に喝采をもって迎えられるお国柄です。 昭和天皇が最後に軍部に対しての抵抗を諦めたのも「そうすれば自分はテロで殺されたであろう」からであったと自分で語っておる。 自分がテロによって殺されても支持されるのはテロリストの側であったことを昭和天皇はよく知っていたのです。 井上日召のように「右翼には思想などないほうがよい」という徹底的なテロに身を預ける右翼たちによって日本は悲劇的感情と排外的憎悪に酔ったようになって破滅への道を歩き出す。 それもテロに対する世論の圧倒的な支持があったからです。 そんなバカな、と思う人が多いのは知っているが、わっしはいまの日本は社会全体が排外主義的な右翼的主張に一挙に傾く瀬戸際に来ていると思っています。 かつての三浦義一、西山廣喜とつづいてゆく「正当右翼」の系譜は、笹川良一や児玉誉士夫のような権力の中枢に食い込むことによって得た利権を通じて影響力を強めようとした「資金力追求型」の右翼のなかに次第に溶けていってしまったが、右翼的思考というのは、特に「排外思想」と結びつくことによって、もともと日本人の心に響きやすい。 日本のひとに特有の「悪いのは自分ではない。すべて他民族のせいである」という、社会全体の深層にまで根を張った考えのせいでしょう。 いまの日本の右翼には、かつての宮崎滔天や北一輝のような構想力もなければ、三島事件を戦後体制の破綻ととらえて憲法全廃を目指した中村武彦のような思想的な「読み」もない、と考えますが、しかし日本人の「テロ好き」ということがある。 日本の歴史を少しでも知ってるひとは、経済の凋落と右翼テロの擡頭とは常に平仄を一にしていることに驚きます。 経済が悪くなると、ほぼ自動的に排外運動(現在の日本の不振は外国の陰謀である)が始まり、テロに移行してゆく。 いまの自称右翼のひとたちの言説を眺めていると、かつての野村秋介のような路線を狙っているのだろうか、と思いますが、彼等には野村秋介がもっていた美意識が欠けている。 なんだか同情のしようのない薄汚さだけが眼について、日本人は右傾化することにおいてさえここまで堕ちたか、と眼をそむけたいような気持ちになります。

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右傾化

義理叔父の母親、すなわち義理おおおばばーちゃん(以下言いにくいので義理ばーちゃんと呼ぶ)は若いときに中国にいたことがあるそーだ。 義理ばーちゃんは若いとき遊んでばっかりいたので学校をクビになりそうになった。 「遊んでばかりいた」っちゅうても、その頃の日本人のことだから有楽町のジャーマンベーカリーとかで友達とくっちゃべっていた、というところだろうが、なにしろお国を挙げて鬼畜米英と戦おうというときにニコニコして人生を享楽していたのだから、そういうことは当時の日本ではとんでもないことであった。 日本が真珠湾にせめてきたっちゅうのに、恋愛映画をつくりまくっているような頽廃的なお国柄と神国とは違うのです。 困り果てた義理ばーちゃんのとーちゃん、すなわち義理叔父ひーじーちゃんは、仕事上付き合いの右翼の大立て者のおっちゃんに相談したという。 その結果義理ばーちゃんは中国の農場を経営している別の右翼の大立て者の家に寄宿することになったそうです。 「農場」とは見せかけであって、ある日、穀物倉庫が開いていたのでドアのなかを覗いてみると兵器がぎっしりつまっていた、という。 昭和17年に義理じーちゃんが、ぶらっとあらわれて、「日本は、戦争に負けるから日本に帰れ」とゆって「こーの、非国民」と内心憤慨する義理ばーちゃんを連れ戻しにくるまで、義理ばーちゃんは、この右翼の大立て者の食客や中国人たちに守られて暮らした。 義理ばーちゃんは、いまでも無茶苦茶元気であって、老眼鏡なしで中国語やドイツ語の雑誌を読む。わっしも何回か話をしたことがあります。 ばーちゃんと話していてわかるのは、むかしの右翼の「大アジア主義」が、どういうか、孫文やチャンドラ・ボースのようなひとと連絡を取り合って出来た、かなり実効性をもちえた政治思想であって、それがいま伝えられるような惨めな姿になったのは要するに、ほんとうは憂国でもなんでもありゃしない、シーシェパードのおっちゃんたちと同じっちゅうか、政治スタントを行うことによって、自分の利益や存在の誇示を追究しようとするだけの政治的な粗暴ゴミによってたかって食いつぶされた、ということでした。 食い詰め者たちの「自我肥大培養思想」としての右翼思想というのは世界中共通の現象ですが、日本は特にひどかった。 日本の右翼の伝統に壊滅的な打撃を与えたのは実は、こういう似非右翼たちの渉猟だったのは興味深いことだと思います。 アジア革命に賭けた「純粋右翼」とでもいうべきひとは、だいたい宮崎滔天くらいが最後で、戦前のこの辺りで挫折した日本の右翼たちは世論の支持が最も得やすかったテロリズムに走ります。 日本は歴史的に見てテロの国である。 テロが終始一貫「民衆」に喝采をもって迎えられるお国柄です。 昭和天皇が最後に軍部に対しての抵抗を諦めたのも「そうすれば自分はテロで殺されたであろう」からであったと自分で語っておる。 自分がテロによって殺されても支持されるのはテロリストの側であったことを昭和天皇はよく知っていたのです。 井上日召のように「右翼には思想などないほうがよい」という徹底的なテロに身を預ける右翼たちによって日本は悲劇的感情と排外的憎悪に酔ったようになって破滅への道を歩き出す。 それもテロに対する世論の圧倒的な支持があったからです。 そんなバカな、と思う人が多いのは知っているが、わっしはいまの日本は社会全体が排外主義的な右翼的主張に一挙に傾く瀬戸際に来ていると思っています。 かつての三浦義一、西山廣喜とつづいてゆく「正当右翼」の系譜は、笹川良一や児玉誉士夫のような権力の中枢に食い込むことによって得た利権を通じて影響力を強めようとした「資金力追求型」の右翼のなかに次第に溶けていってしまったが、右翼的思考というのは、特に「排外思想」と結びつくことによって、もともと日本人の心に響きやすい。 日本のひとに特有の「悪いのは自分ではない。すべて他民族のせいである」という、社会全体の深層にまで根を張った考えのせいでしょう。 いまの日本の右翼には、かつての宮崎滔天や北一輝のような構想力もなければ、三島事件を戦後体制の破綻ととらえて憲法全廃を目指した中村武彦のような思想的な「読み」もない、と考えますが、しかし日本人の「テロ好き」ということがある。 日本の歴史を少しでも知ってるひとは、経済の凋落と右翼テロの擡頭とは常に平仄を一にしていることに驚きます。 経済が悪くなると、ほぼ自動的に排外運動(現在の日本の不振は外国の陰謀である)が始まり、テロに移行してゆく。 いまの自称右翼のひとたちの言説を眺めていると、かつての野村秋介のような路線を狙っているのだろうか、と思いますが、彼等には野村秋介がもっていた美意識が欠けている。 なんだか同情のしようのない薄汚さだけが眼について、日本人は右傾化することにおいてさえここまで堕ちたか、と眼をそむけたいような気持ちになります。

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