Monthly Archives: November 2009

野蛮

日本の性犯罪について調べていると、剛胆勇猛をもって鳴るわっしでも怖くなってシクシク泣きたくなるような記事にぶつかることがある。 わっしは渡辺綱ちゃうからな、人知を越えた鬼に会うとこえーでよ。 曾野綾子、という小説家のおばちゃんだそーだがな。産経新聞のオピニオンというコラムに書いてるよーだ。 産経新聞、っちゅうのは、(日本のひとに日本の新聞について説明するというのもヘンなもんだが)つぶれかかったときに「なんでもかんでも朝日新聞と反対のことをする」という紙面編集方針を採用して、それが大当たりに当たって営業が回復した結果社是となり、朝日のほうが硬直左翼ぽくくるくるパーになるにつれて紙面まで一見まともに見えるようになった、という数奇な運命の新聞である。 こーゆー記事なんだす。 「 警察が、夜11時以降の講演の立ち入りを禁止するという条例を作ろうとしたら、それは「憲法に違反する」と若者からの突き上げたあった、という。  警察は「憲法に違反しません」と言う。警察がこういう防止策を講じようとしたのは、もちろん最近残酷な犯罪が起きているからだろう。  もちろん決定的に悪いのは犯人だが、被害者の遺族の気持ちを考慮せずに言えば、最近の日本人は、用心するということをしない。大学生がアルバイト先から、暗くて自分でも気味が悪いと思うような夜道を歩いて帰る、ということが本来は常識外なのである。  アラブの保守的な国なら、娘たちは、毎朝父か兄かに送り迎えをされて登校する。1人で外出したり、外国へ旅行したりすることは、考えられない。欧米の国でも夜道を1人で女性が歩いたりすることは非常識な行動だと、なぜ日本では教えないのだろう。  今でも忘れられないのは、いわゆる「基地の町」の駐車場で、夜半過ぎに1人で歩いていた女性が米兵に襲われて殺された事件である。  もちろん襲った米兵が悪いのだが、午前1時過ぎに基地の近くを1人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない。それは日本以外のほとんどどこの国でも示される反応だ。  基本的な行動の自由と、自衛の手段を講ずることとは、全く別の次元である。というか、行動の自由を口にするなら、十分すぎるほどの用心や、世界的常識を学ぶことができなくてはならない。  ヨーロッパ在住の日本人が驚いているのは、日本の女子校が、どうして制服にあんな短いスカート丈を許すのか、ということである。あれでは男たちに手を出してください、といわんばかりですね、と彼らは言う。  先日パリのデパートをのぞいたら、果たして最新ファッションが並んでいた。しかし町行く人たちは、保守的で質素な服装ばかりで、私はすこしがっかりしたのだが、  「午前中から最新ファッションの人なんかで歩きません。そういう人は夜遅くです」  「ほんとうに最新流行を着こなすお金持ち階級は、車に乗って移動するんです」 という2つの返事で納得させられたのである。  太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。性犯罪は、男性の暴力によるものが断然多いが、「男女同責任だ」と言えるケースがあると認めるのも、ほんとうの男女同権だ。  親の庇護の下、学校の責任下にある間は、両者とも外出時間やスカートの長さに口を出し、常識を教えて当然だ。それが嫌なら、経済的に自立した上で、どんな結果も覚悟のうえでしなさい、と私なら言いそうである。」 「欧米の国でも夜道を1人で女性が歩いたりすることは非常識な行動だと、なぜ日本では教えないのだろう」っていうが、「欧米」とかって味噌もクソも一緒 (欧州が味噌ですのい(^^) ねんのためにいうと) の言い方すんなよな、とゆーことは別にしても、第一、そんなのウソじゃん。 ビレッジでは夜中にいっぱい女のひとひとりで歩いてるぞ。 第一、「路上で襲われる」のはカップルのほうが多いのは常識だべ。 欧州でも合衆国でもクルマ社会のまちでは「歩いている人」というのは惨めな感じなので、ひとりで歩きたくないだけです。犯罪にもよく遇うがそれは歩行者っちゅうか「バスに乗る人」というのが社会的な弱者なのでそーゆーことが好きなバカから見ると襲いやすい、というただそれだけである。 ロンドンとかパリとかで金持ち襲うとただじゃすまねーからな。 言い方を変えると、夜中に1人で女性が歩いたりするのは場所によってはヘンだが、しかしそうしないひとが多いのは特に性犯罪の被害者になるのを避けるためだけに1人で歩かない、のではない。 かんけーねーよ。 西洋社会がもともと「カップル社会」であって、家の外に出てなにかをする、というときは伝統的にはカップルでなにかをする、ということになっているからにしか過ぎないのです。 そんなことすら知らん、というのでは、ちみは「欧米」の常識に著しくかけているとゆわねばならん。 別に性犯罪と関係なくても、「欧米」では「女がひとりで何かをする」というのは場によってはヘンだからなるべくやらん。 日本で女が男湯にはいらないのと同じことです。 別に「男湯に行ったら強姦されちゃうから」ではないのです。 ついでに妙なことにダシに使われた国の人間としてゆわしてもらうと「男がひとりでなにかをする」というのも同じくらい場によってヘンであって、たえばある程度はまともなレストランにひとりで食事にやってくる男、というのは「非常識な行動」だと、なぜ日本では教えないのだろう(このショーセツカのまね)。 「いわゆる「基地の町」の駐車場で、夜半過ぎに1人で歩いていた女性が米兵に襲われて殺された事件である。 午前1時過ぎに基地の近くを1人で出歩く女性は、性的商売をしていると思われても仕方がない。それは日本以外のほとんどどこの国でも示される反応だ」 に至って、わっしは真剣にこわくなってシクシク泣きたくなってきた。 恐怖のあまりクソババア、ケツの穴から手え突っ込んで奥歯ガタガタゆわしたろうか、と考えたが、わっしは育ちが良いことでもあり、ひとに訊いてみると、この小説家のひとは高齢でもあるようなので、奥歯が外れたりすると気の毒である。あきらめます。 でもな。 なんじゃ、これは。 日本では男どものなかに、「男に部屋で強姦される女は部屋にはいった時点で強姦されるのを予期していたことになる」というオオバカタレを通り越してチ○チンをチョンの刑、 … Continue reading

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結婚生活

「奥さん」というのは不思議なものであって、いったん結婚したとなると、なんだか生まれてからいつも一緒にいたような気がする。 このひとと一緒でなくて自分はどうやって暮らしていたのだろうと考えて思い出そうとしてもどうしても思い出せないのです。 新しく箱から出して履いてみたハイヒールが足にあわなくて痛いとゆって裸足になって外苑前の銀杏並木を裸足で歩いてゆくモニ。 なんだか現実とは思えないくらいぐらい美人であるモニさんを見上げて(モニさん、180センチともうちょっとあるからな)道ゆくひとたちが、ぶっくらこいてます。 またゆっちったが、でも、だってモニさんは圧倒的に美人だからな。 そこがちょっとやりにくいかなあーと若い人間の浅薄さで考えたこともないとはゆえぬが杞憂であった。 どこの国のどんな街に行っても周りのひとが男も女もこっちをじいーと見ているというぐらいのことで慣れればたいしたことはない。(ほんとだもん) 居直って、もっと言い募ると、妹というひとは妹というひとで、わっしの国では「大変な美人」ということになっているので、わっしは、「皆がこっちを観ておる」という事態には慣れてもいるのだす。 もっともっと言い募ると、かーちゃんもかーちゃんシスターも美人だからのい。 そんなものがほんとうにあるかどうか知らんが、わっしの家系は「美人家系」なんだす、多分。 わっしの家族の世界の北の果てにある家の居間の巨大な暖炉の上にはひいひいひいひいひいバーちゃんのこれもまた巨大な肖像画が飾ってあるが、このひいひいひいひいひいバーちゃんも、はっきしゆって「修正したんじゃね?」とゆーくらい美人である。 寝室でストリッパーのまねをしてふざけるモニ。 わっしのギターにあわせて、エーゴの歌を高い声で歌うモニ。 (yesterday I cried….) 箱根のホテルの食堂で撮った写真は、誰が見ても女神のようである。 ベッドでふたりで並んでわっしがつくった朝食を食べる。 ベーコンとワッフルとポーチドエッグx2とコーヒーと連合王国式に薄く切ったトーストだぜ。 チベットのニュースを観て、涙を浮かべて、ガメ、行こう、一緒に行って、チベット人のために叫んで一緒につかまってジェイルに行こう、とゆっていたと思ったら泣きじゃくっているモニ。 マヤンのデザインのでっかい耳飾りを揺らせながらマティニを飲むパーティの席のモニ。 モニばかり見つめて暮らしているが、いくら見つめていても、一緒にベッドに行っていちゃいちゃもんもんしていても、いつまでも現実感のない結婚ともゆえるな。 結婚する前は、もしかするとわっしのほうが賢かったりするかなあー、と実はわしは思っておった。 だって、(諸君は信じてはくれぬであろうが)母国及び旧母国ではわっしは「とてもカシコイひと」とゆうことになっているからです。 しかし結婚してみたら、わっしの「知恵」などはモグラの叡知のようなものであるとわかった。 モニさんと較べると肝腎な「真剣さ」というところで全然ふかみが違うのです。 言い訳じみるが、どうもこの「真剣の深さの違い」というのは、男と女の違いから来るもののよーだ。 モニさんの「愛している」に較べるとわっしの「愛しておる」は、まことに迫力に欠ける、とゆわざるをえません。 女のひとは自分を投企するということにかけては天才であると思う。 全存在を賭けて迫ってくる。 初めはおもいつきで「愛してるかなあー」とかで関係に踏み出したわっしの哲学などは一挙に駆逐されてしまうのです。 結婚は、もともとは社会の要請による言わば「便宜」だったが、しかし、怪我の功名、というべきか、本然的には、道端でばったりあった豪勢に綺麗なねーちゃんと「ちょっとそこの路地で押し倒してもよいでしょうか?」という傾向がありげな、男どもを縛り上げることによって一種表現し難い哀切な世界をつくりあげた。 性的な対象をひとつに無理矢理しぼりあげることで、恋愛よりもすごい関係をつくりあげた。 「ケッコン」しちった、わっしは、したが、とっても幸せ、なんです。 モニのいるベッドは良い匂いがする。 寝ぼけてモニの脇の下に顔をくっつけると、ますます良い匂いがするので、わっしは良い匂いで満ちた夢を見る。 やわらかくて、しなっていて、すべすべで、顔をくっちけていると、それだけでもう、圧倒的な、ツナミな、幸福感が押し寄せてくる。 結婚っちゅうのは、人生最大の不思議であるよーです。 (モニさん、ちゅっ。)

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結婚生活

「奥さん」というのは不思議なものであって、いったん結婚したとなると、なんだか生まれてからいつも一緒にいたような気がする。 このひとと一緒でなくて自分はどうやって暮らしていたのだろうと考えて思い出そうとしてもどうしても思い出せないのです。 新しく箱から出して履いてみたハイヒールが足にあわなくて痛いとゆって裸足になって外苑前の銀杏並木を裸足で歩いてゆくモニ。 なんだか現実とは思えないくらいぐらい美人であるモニさんを見上げて(モニさん、180センチともうちょっとあるからな)道ゆくひとたちが、ぶっくらこいてます。 またゆっちったが、でも、だってモニさんは圧倒的に美人だからな。 そこがちょっとやりにくいかなあーと若い人間の浅薄さで考えたこともないとはゆえぬが杞憂であった。 どこの国のどんな街に行っても周りのひとが男も女もこっちをじいーと見ているというぐらいのことで慣れればたいしたことはない。(ほんとだもん) 居直って、もっと言い募ると、妹というひとは妹というひとで、わっしの国では「大変な美人」ということになっているので、わっしは、「皆がこっちを観ておる」という事態には慣れてもいるのだす。 もっともっと言い募ると、かーちゃんもかーちゃんシスターも美人だからのい。 そんなものがほんとうにあるかどうか知らんが、わっしの家系は「美人家系」なんだす、多分。 わっしの家族の世界の北の果てにある家の居間の巨大な暖炉の上にはひいひいひいひいひいバーちゃんのこれもまた巨大な肖像画が飾ってあるが、このひいひいひいひいひいバーちゃんも、はっきしゆって「修正したんじゃね?」とゆーくらい美人である。 寝室でストリッパーのまねをしてふざけるモニ。 わっしのギターにあわせて、エーゴの歌を高い声で歌うモニ。 (yesterday I cried….) 箱根のホテルの食堂で撮った写真は、誰が見ても女神のようである。 ベッドでふたりで並んでわっしがつくった朝食を食べる。 ベーコンとワッフルとポーチドエッグx2とコーヒーと連合王国式に薄く切ったトーストだぜ。 チベットのニュースを観て、涙を浮かべて、ガメ、行こう、一緒に行って、チベット人のために叫んで一緒につかまってジェイルに行こう、とゆっていたと思ったら泣きじゃくっているモニ。 マヤンのデザインのでっかい耳飾りを揺らせながらマティニを飲むパーティの席のモニ。 モニばかり見つめて暮らしているが、いくら見つめていても、一緒にベッドに行っていちゃいちゃもんもんしていても、いつまでも現実感のない結婚ともゆえるな。 結婚する前は、もしかするとわっしのほうが賢かったりするかなあー、と実はわしは思っておった。 だって、(諸君は信じてはくれぬであろうが)母国及び旧母国ではわっしは「とてもカシコイひと」とゆうことになっているからです。 しかし結婚してみたら、わっしの「知恵」などはモグラの叡知のようなものであるとわかった。 モニさんと較べると肝腎な「真剣さ」というところで全然ふかみが違うのです。 言い訳じみるが、どうもこの「真剣の深さの違い」というのは、男と女の違いから来るもののよーだ。 モニさんの「愛している」に較べるとわっしの「愛しておる」は、まことに迫力に欠ける、とゆわざるをえません。 女のひとは自分を投企するということにかけては天才であると思う。 全存在を賭けて迫ってくる。 初めはおもいつきで「愛してるかなあー」とかで関係に踏み出したわっしの哲学などは一挙に駆逐されてしまうのです。 結婚は、もともとは社会の要請による言わば「便宜」だったが、しかし、怪我の功名、というべきか、本然的には、道端でばったりあった豪勢に綺麗なねーちゃんと「ちょっとそこの路地で押し倒してもよいでしょうか?」という傾向がありげな、男どもを縛り上げることによって一種表現し難い哀切な世界をつくりあげた。 性的な対象をひとつに無理矢理しぼりあげることで、恋愛よりもすごい関係をつくりあげた。 「ケッコン」しちった、わっしは、したが、とっても幸せ、なんです。 モニのいるベッドは良い匂いがする。 寝ぼけてモニの脇の下に顔をくっつけると、ますます良い匂いがするので、わっしは良い匂いで満ちた夢を見る。 やわらかくて、しなっていて、すべすべで、顔をくっちけていると、それだけでもう、圧倒的な、ツナミな、幸福感が押し寄せてくる。 結婚っちゅうのは、人生最大の不思議であるよーです。 (モニさん、ちゅっ。)

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四式重爆「飛龍」

Mさんは工業専門学校(いまの工業大学)を出て、三菱で擬装担当技師として働いていた。昭和20年のことです。 新型の四式重爆の後部銃手の死亡率が高すぎるので電動式の自動に変えろ、という軍の要望だったそうである。 Mさんたちは、試作機をつくってみたものの制御性が悪く飛行隊員の評判が悪かった。 自分たちのつくった電動式機銃(陸軍の呼称では機関砲)が動かずに撃墜される四式爆撃機の姿を考えるといたたまれない気持ちになったMさんと同僚は空襲下浜松から宮崎まで実地検分に出かけたという。 ついたばかりの夜、沖縄から戦隊が帰還する、というのでMさんたちは飛行場で早速待機することにした。 何時間かを待つうちに爆音が低く聞こえ始めて爆撃機たちが帰投してくる。 「たち」とゆったが、ほんとうは戻ってきたのはたった一機です。エンジンから夜目にもわかる煙を曳きながら、しかし模範的な着陸姿勢で滑走路に着陸した四式に向かってMさんたちは全速力で駆けていった。 「機関砲はよう動きよりましたか。」 Mさんは叫びかけながら駆け上った。 「そこで私が見たものを私はその後一生忘れられなかった」とMさんは自費出版の本のなかで書いています。 息をのむMさんたちの目の前にあったのは、滅茶苦茶に破壊されたガラスのない風防の下で血まみれになって、しかももうとっくのむかしに冷たくなっている正副操縦士の遺体であった。 やがて救護の兵隊が胴体を捜索すると全員が合衆国軍機の機銃弾に撃ち抜かれて絶命していたという。 魂魄が操縦して戻ってきた四式の電気擬装を調べながらMさんと同僚は嗚咽がとまらなかったと言います。 四式重爆撃機飛龍は、わっしが最も好きな日本の軍用機である。 日本人たちは戦争を始めてみたものの、近代戦争のそのあまりの過酷さに震撼した。 第一次世界大戦に正面から参加しなかった日本人には兵器と人員のすさまじい消耗を空想すらすることが出来なかった。 防弾装備のない戦闘機や爆撃機は連合軍自らの侮りが生んだ日本の不意打ちに恐慌状態にあった開戦百日ですら情け容赦なく次々に失われていった。 四式重爆は、いわばやっと米国や英国あるいは独軍と同じ「近代戦」へに認識に立った日本人がつくった初めての爆撃機であったのでした。 主要諸元の数字だけを見ると凡庸な中型双発爆撃機にしかすぎない「飛龍」はしかし記録をよく読むと、実際には高速でタフ、しかも連合軍の戦闘機に追われながらでも基地に帰投しうる機動性をもった爆撃機であったのがわかります。 なにしろ有明海の上空で垂直旋回した飛龍まであったという。 (ちょっと、わっしには信じがたいが、飛龍の日本機らしからぬ機体強度を知ると信じてもいいような気がするときもあります) Mさんは、その後、合衆国の「飛行機製造禁止命令」を見て失望して技師をやめ三菱重工も退職してしまう。 思うところがあったのでしょう、二三年親元にいたあとで技術屋であることをやめて地元の企業に事務職として就職して戦後を生きる。 Mさんの「自分史」は正直に言えば読み進めてゆくのがやや辛いほど平板なものですが、 冒頭の基地での経験もそうですが、誰の、どんな人生もそうであるように、読む方が歯をくいしばって読まないと読めない箇所がところどころある。 1960年代のある日、Mさんは、故郷の町から子供と奥さんとを連れて東京に出かけます。奥さんが「君の名は」に夢中になった結果、何年ものあいだ「東京に行ってみたい」とせっつかれてやむをえず出かけたもののよーである(^^) 新大阪に出て、新幹線のホームに立ったMさんの記述をわっしは、どうしてもうまくいえないが、一瞬だけ時を旅して青春に立ち戻ったひとのものとして読んだ。 ニュースですでに見ていた新幹線がホームに入ってきたとき、しかし、Mさんはそのとき初めて「あっ、『飛龍』だ」と思うのです。 そのとき初めてMさんは自分がどれほど「飛龍」という飛行機を愛していたか、兵器と技術屋という関係を越えて、自分の人生のすべてを賭けていたか、理解したのだという。 「戦後の私は、ただの抜け殻であった、という現実を目の前にして、私は狼狽した」とMさんは言う。 でも、技術屋としては、もしかすると幸福だったのではないか、とMさんは書いています。 四式重爆撃機「飛龍」キ67 全幅: 22.5 m 全長: 18.7 m 主翼面積: 65.0 … Continue reading

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人柱世代

20代から30代前半の日本人の友達と話していると、胸をつかれるような気持ちになることがある。なんだかこの国がうまくいかないことを十分知っていて、なんとか静かにそれを受け止めよう、とするところがあるからです。 「いま、おれたちが払ってる年金って団塊のひとたちのためだから」とYさんはニコニコしながらゆいます。 「おれたちが、あのひとたちの年齢になったときに年金がもらえると思ってるやつなんていないんだけど。ほら、結局、父親たちに使ってもらうんだと思ってるんだよ」 だから年金制度があと20年くらいは保って欲しい、と言う。 わっしは日本のひとはなんて日本人なんだろう、と理屈にもならないことを考えて呆然としてしまいます。 カネかえせ、アホー、と叫んで石をぶんなげたりしねーんだな。 静かに静かに亡びてゆこうとしているよーだ。 ガメは今度はもうしばらく戻らないかも知れないから、という理由で、一緒に酒を飲みに行った晩に、わっしはショックを受けてしまった。 たまたまであるかもしれないが、そこに居合わせた6人のひとがみな小学校の同級生に自殺者がいる、ということがわかったからです。 司法試験に落ちて自殺したひと。 指導教官に裏切られた、と考えて死んだひと。 友達がいないことに耐えられない、と遺書を書いて残したひと。 理由を言わずに、もう耐えていけない、と留守番電話に吹き込んで、そのまま死んでしまったひと。 しかも、そこにいた全員が自分でも「死んでもいいな」と思ったことがある、というので、モニなどは真剣に恐怖を感じたようでした。 いやな言葉を使っていうと言わば「通りすがり」であるわっしが言うまでもなく、この国ほど「自殺」という現実から脱出するオプションが身近である国は他にない。これほど「死」がいつも寄り添うようにそばにいるひとたちの集団も、わっしは見たことがないっす。 どうも「生命を大切にしない文化」というような通り一遍の理屈だけでは割り切れないようです。 「絶望」というのは希望があんまりあったためしがない人間の歴史のなかで繰り返し使われてすりきれてカビが生えてしまった言葉だが、わっしはいま日本の30代以下のひとを捕らえている気持ちは、ほんとうの意味での「絶望」なのだと感じます。 日本の「オトナ」たちは本質を見ない、あるいは実相を見ない、という根深い習慣をもっていたと思う。 60年代から70年代の学生運動はいろいろに美化されているが、わっしにはそのやりきれない一種の「軽薄さ」が眼について、結局、運動全体が件の「本質を見ない、実相を見ない」で、ただ声のボリュームをあげて集団で興奮して騒ぎまくっただけのものにしか見えなかった。昨日までヘルメットをかぶり、今日は明日の就職のために理容店に行ける人間というのは本人がいかに言い募ったところで、やはりただの軽薄人であるというほかない。 この軽薄人たちは、企業のひととなったあとも同じ事を繰り返していたのであって、本質と決して向き合わず、実相からは顔を背けた。 そーゆー人間が必ずやることが責任放棄だが、そのとおり彼等は「先延ばし」というやりかたで責任を時間の向こうに押しのけてしまった。 その膨大なツケを支払うのは、無責任世代の息子や娘たちから下の世代で、彼等は、わっしから見ると、もう修繕のしようもなくなるまで放置されたいまにも崩れそうなボロ家を借金すべてを引き受けるかわりにあてがわれたようなものです。 しかも、彼等の社会の指針を決定する政府のトップは、皮肉なことに、いまでも他でもない「無責任世代」のひとたちである。 前にこのブログの記事でなぜ自殺するひとが多いか考えようとしたが、うまく考えられなかった。ひょっとすると、その理由は、この国で自殺するひとたちのことをシステムの面から考えようとしすぎたからかもしれません。 無茶苦茶なことをいうと、個々のひとの立場に立って事態を見ると、あるいは当然の選択に見えるのかもしれない、と考えました。 もっというと、たとえば両親がいる、という理由で「死ねない」ひともいるに違いない。 先週、スカイプのチャットにSさんが突然書き込みを始めた。 「電車に乗ってるんだ」「もうすぐ横浜」という。 わっしは、珍しくも仕事の資料に目を通していたので、 「Sさん、久しぶりだのい。いまちょっと仕事してるからあとで電話してけろ」と書いた。 ところが全然強引な性格でない、どころか、いつも温和しすぎる引っ込み思案のSさんが、わしの言うことにはお構いなしにチャットを送りつけてくる。 「いま、どこ?」 山の家だよん。 「おれはちょっと上野で飲んだ。ひとりで、飲んだんだ」 Sさん、よっぱらってんだろおー。仕事してるから後で、ってゆーてるやん。 ところが、そこからSさんはただ一方的にチャットを送りつけだした。 「いや、酔っ払ってない。ちょっと、だもん」 「Dって焼き肉屋に行ったんだ。脂身がうまかった」 「前に打ち合わせで行ったことがあるんだよ」 「ガールフレンドとも行ったことがあったな。別れちゃったけど」 … Continue reading

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Made in Japan

モニが起きてきたので、「プロミスすべ」とゆって、小指を出してみたら「ガメ、なにやってんだ?」とゆわれた。フランス人は、やらんよーだ。 ゆびきり、ないみたい。 なにをしているかというとkochasaengさんのコメントを読んですっかり気になりだしたんだす。 ゆびきりは国際化しているのか否か。 そうなると我慢が出来んので絶交中の妹に電話して訊いてみると、ぬわんと、かーちゃんシスターと義理叔父家経由でわしの家にはいっているだけで、他のひとはやらねーのだそーだ。だってデブPもやってたやん、とゆってみたが、Pさんがやるかどうかはわからないけど、やるとしたらアニメ経由でしょ、とゆわれた。 いつかノースランドで目撃したガキふたりもマンガかアニメなのか。 がーん。 じゃんけんはアメリカ人はやる。ニュージーランド人もやる。でも、思い出してみると「あいこ」がないのお。 ふーん。 フランス人は変態みたいなじゃんけんをやるが、どーゆー由来か、とかブログのためになんか訊いたりするとモニは怒るので、きかれません。 最近、わっしが日本語ブログを書くのがまた気に入らんよーだ。 日本や日本語に関わりすぎ、と思っているよーです。 こそこそやってフランスの話題を避けるにしくはなし。 閑話休題。 わっしはボオーっとして暮らしておるので他にも日本のひとがやることを知らずにやっているだろうか、と考えてみたが、よーわからん。 日本にいて普通にやることでニュージーランドでは全然やらないこともいくつもあるが、あらためて考えてみると、なかなか思い出せません。 自動販売機で飲み物を買う、っちゅうのは、日本ではやる(わっしは水をよく買うだ)がニュージーランドではやらないが、こうやって考えてみると、多分、ニュージーランドの自動販売機は少なくともむかしはよく金を吸い込んだまま知らん顔ですましておったからで、多分、そのせいです。お金、返してくんねーんだもん。 自然と自動販売機を募金箱とみなすようになったのだな。 うーんと、なにかないだろーか。 そーだ、これは日本のひとでも経験があるひとがたくさんいると思うが、日本にいた後に自分の国に戻るとタクシーを止めてドアが開くのを待っていてアホだと思われることがある。そんでもって日本にまたやってきたときには今度はドアを手で開けようとして、自動で開いたドアに不意をつかれてのけぞったりします。 マンハッタンでどうしても一方のドアからふたりとも出ようとするのも同じビョーキですのい。 東京でレストランで昼ご飯を食べてテーブルで払おうとする。 でも、これはどんどんそれでも良いことになってゆくようで、目に見える感じで変わってきてますの。合衆国人は、しかし、そーなると、どーしてもチップを払わないと落ち着かない、というひとがおるんだす。 テキサス人のWなどは、店のひとに「日本ではチップの習慣がないのはわかっているけど、申し訳ないけど払わせてくれ」とゆって店にわびをいれながらチップを払っておった(^^) ニュージーランドはもともと「安い料理屋」ではテーブルで払わん。 そ、東京はニュージーランドとたまたま同じスタイルになりつつあるのかもしれねーんだす。 コンビニは合衆国の出身だと思うが、オーストラリアやニュージーランドでは「日本からきたもの」です。オーストラリアは、セブンイレブン、あるしな。セブンイレブンのガソリンスタンドもあります。オーストラリアのほーが、勝ってるんだぞ。すごいでしょ。 すごくないか。あのセブンイレブン、日本のセブンイレブンだからな。 食べ物屋は、みなさんも知っているように露骨に「日本から来たんだぜ」な食べ物がいっぱいある。スシ。 鮨屋、すげー数だからな。 「松竹」とか「龍王」とかビミョーな名前や「吉野や」とかゆってんのは、たいてい韓国のひとや中国のひとの経営である。 特に日本の諸君の肩をもとうと思っているわけではないが、そーゆー店にはいると、すげーまずいっす。日本料理屋も同じ。 クライストチャーチでいっちゃん有名な高級日本料理屋はもともと日本人のだんちゃんとマレーシア人の奥さんがやっていたそーだが、だんちゃんはあえなく追い出された。 それからはマレーシアのおばちゃんがやっておるのだそーだ。 義理叔父のお友達は、ここでテイクアウェイのおにぎりを頼んだら、タイ米で握ってあったとゆって死んでました。やってみるとわかるが、なまなかな力ではタイ米をおにぎりにはできまへん。義理叔父友達が店に文句をゆいにいかなかったわけである。 シェフは万力男に決まってるからな。 バルセロナでは街でも高級な「アジアン・フュージョン・レストラン」で「マキズシ」を頼んだら、東京のスーパーで一本百円で売っているのとそっくりな焼き鳥が出てきた。 「これ、巻き寿司ですか?」と訊くと、蝶ネクタイと古式に則ったウエイターの制服で決めたおっちゃんが「そーです」とゆって重々しくうなづくのであった。 いろいろ誤解があるよーだ。 サンフランシスコ空港で新しく開いたそば屋に義理叔父とふたりで行った。 … Continue reading

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コメントへの、ご返信どす

コメント欄に返信すんべ、と思ってふと見ると、いっぱいたまってます。 これで個々にご返信を書くと全部ひとりでコメント欄を独占して「ひとりコメント」になって異様なので、記事欄のほうに書かせてください。すまん。 kochasaengさん、 >水素が勝手に燃えちゃうんだが、他の金属ではそうはいかない。 そーゆー言い方も出来ますが触媒自体はボケーとしてそこにあるだけでなんもしとらん、ともゆえますな(^^) >「ガメ・オベール氏というフランス人」 いやきっとそのひと、ちゃんと読んでくれてるんですよ。あの自分でも何か書いたんだか、いまではジャングルになって訳わからんブログを全部読むわけにはいかないので、部分的に読んでくれたのでしょうが、そうすっと、 「ガメ・オベール」が「gameover」なのと一緒にGamay Auberであって亀夫 大庭(おおば)でもあることを発見したんでしょう。でもってGamay Auberだとフランス人だすわな。おまえはブドーか、こら、とゆわれそうだが。 >で、過去のログ全部読みました うそ。そんな修験道の荒行みたいなことをすると思わず解脱してしまうんではないでしょうか。ブログ記事を読んで解脱しちゃったひとに来られてもお釈迦様は困るのではなかろーか。 >おれはインターネットを始めて12年かそこら っちゅうと、「あー、ネットスケープのダウンロードにかかんべかなあー」とゆって寝て、ぐっすり眠って起きて、朝コンピュータを覗いて、「おー、もう半分ダウンロードされとる」パチパチパチの頃だすな。なつかすい。 わっしの黄金のガキ時代だっちゃ。もうその頃はヒネガキっすけどね。冬のクソ寒い牧場の家の台所でパンプキン・スープを温めながら「ビーン、ビカーン、ピー」をしておったころだな。うーむ。郷愁がありますのい。 >俺には主張したいこと、ないです。 わしにもねーだす。 >俺の言うことはこのブログの本筋とはカンケーないわけです。 このブログの「本筋」って、ほんとうはPCゲームなんですけどね(^^;) ゲームブログなんだぞ、これ。 >そんなものを読まされるひとはたまったもんじゃないだろう うんにゃ、わしは、おもしれーだす。飽きるまででいいから書いてくだされ。 >ガメ・オベールさんは本当は小学生かもしれず、じつはウチの近所のソバ屋の主人かもしれない。 ほんとうはジョン・タイターそのひとだったりして。 まっ、仰るとおりですが、ずうっと読まれるとわかりますが、初めのほうででっちあげようとしたぶんは全部ばれて、いまはもうメンドクサイから、そのまんま書いてます。 現実生活でブログに書かれると差し障りのあるひとのことを書くときとかにビミョーに話を誤魔化してるくらいっすかね。 わっしの生活は他人から見るとリアリティがないらしいが、それが現実なんだから仕方がねーだろ、信じたくなければ信じないでね、とゆーふーに居直っておる。 いまは日本に滞在中ですが、もうすぐ本拠地に移動してまた「通常の生活」に戻るので、 ますます信じがたい生活になりますが、他人が信じやすい設定にするのはメンドクサイのがわかったのでやめちったんです。素のまんまでゆくべ。 >バーチャルなともだちってのが初めて さんきゅ、どす。 >それなのにリアルな友達に言わないようなことを話してる。 ますますサンキュどす。 >われわれは君子なんかじゃない。 わしは君子だもん。(キミコ、じゃないんだお) >遠く離れた場所から同じ一つの月を見て「ドルゴルスレン・ダグワドルジ」って呪文を唱えてもいいんだが、 あっ、いいなあ、それ。 ドルゴルスレン・ダグワドルジの友達。いいだすなあ。 月見る楽しみが増えるな。 >マジメかフマジメは他者がきめること … Continue reading

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Why do all good things come to an end?

わっしが七歳のとき、わっしのジーチャンはエディンバラの墓地にわしを散歩に連れ出して、「ガメ、よく、おぼえておきたまえ。人生とは死が無慈悲に終止符を打つ、くだらんものなのだ」とゆった(^^) 人間は不思議な生き物である。 いつもいつも「安定」を目指しているのに、最終的には死ぬに決まっているので「安定」なんというものはありえないのだす。 人間の、どうしても安心したい価値観によれば、人間の人生ほどやるに価しないものはない。 だって、絶対死ぬんだもん。 したがってわれわれが究極的に幸福になる可能性は、驚くべし、「ゼロ」なんです。 すごいよな。 人間は、この背反した事実にとまどって昔から悩み狂った。 あるひとびとは宗教に傾いた。 他のひとびとは、考えないことにした。 残った数が少ないひとは、やけくそで暮らした。 現代世界は、無闇矢鱈に忙しくなってゆくことによって、この問題と正面から向き合わない、という叡知を発揮した。 しかし、疑問に思おうが思うまいが、良いことも悪いことも必ず終わりがくる。 それがきみやわしが住んでいるこの世界の杜撰極まるルールなんです。 もう一回、言うと、 すごいよな。 だから、わっしが帰ってくる表現はひとつしかない。 これほど理不尽でくだらない世界にうまれあわせたのだから、せめても、 この同じ瞬間に生まれ合わせたことを喜び合って、カシコゲに振る舞いもせず、少しでも隣りに立っているひとを喜ばせて、知らないひとにもジョーダンをゆって、もういちど単純な考えにたちもどって、ひとを傷つけるのはよくない、ひとが倒れれば少しのあいだでも腕を貸して助けて、相手に嫌がられても「ダイジョーブですか?」とゆうのが、やはり良い。 人間はどーせたいしたものではないのだから、それが、やっぱり良い。 どーせ、どんな良いことにも終わりが来るのだから。

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Why do all good things come to an end?

わっしが七歳のとき、わっしのジーチャンはエディンバラの墓地にわしを散歩に連れ出して、「ガメ、よく、おぼえておきたまえ。人生とは死が無慈悲に終止符を打つ、くだらんものなのだ」とゆった(^^) 人間は不思議な生き物である。 いつもいつも「安定」を目指しているのに、最終的には死ぬに決まっているので「安定」なんというものはありえないのだす。 人間の、どうしても安心したい価値観によれば、人間の人生ほどやるに価しないものはない。 だって、絶対死ぬんだもん。 したがってわれわれが究極的に幸福になる可能性は、驚くべし、「ゼロ」なんです。 すごいよな。 人間は、この背反した事実にとまどって昔から悩み狂った。 あるひとびとは宗教に傾いた。 他のひとびとは、考えないことにした。 残った数が少ないひとは、やけくそで暮らした。 現代世界は、無闇矢鱈に忙しくなってゆくことによって、この問題と正面から向き合わない、という叡知を発揮した。 しかし、疑問に思おうが思うまいが、良いことも悪いことも必ず終わりがくる。 それがきみやわしが住んでいるこの世界の杜撰極まるルールなんです。 もう一回、言うと、 すごいよな。 だから、わっしが帰ってくる表現はひとつしかない。 これほど理不尽でくだらない世界にうまれあわせたのだから、せめても、 この同じ瞬間に生まれ合わせたことを喜び合って、カシコゲに振る舞いもせず、少しでも隣りに立っているひとを喜ばせて、知らないひとにもジョーダンをゆって、もういちど単純な考えにたちもどって、ひとを傷つけるのはよくない、ひとが倒れれば少しのあいだでも腕を貸して助けて、相手に嫌がられても「ダイジョーブですか?」とゆうのが、やはり良い。 人間はどーせたいしたものではないのだから、それが、やっぱり良い。 どーせ、どんな良いことにも終わりが来るのだから。

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エンジンがかかりだした世界

朝起きてみるとメールボクスもチャットメッセージもぐじゃぐじゃのいっぱいいっぱいになっておる。 ぶにゃあ。 なんだか世界が突然やる気を出したような感じの日があるのだな。 クレジットクランチパンチをくらってマットの上にのびていたビジネスマン諸君が、また起きだしてきたよーです。 カウントがまだテンじゃないのかどーか、わしには、わからん。 わかっているのは、やたらに電話がかかってくることコンピュータの起動同時設定になっていたスカイプの起動を変えないとこのブログを書いて遊べん、とかそーゆーことである。 この段階で景気がよくなる、っちゅうかビジネスが大きく動き始めるのははなはだしく論理的でないが、話くらいは聞いてあげないと後々相手にしてもらえなくなるので、ちょっとくらいは相手せんわけにはいかん。 しかし、起こっていることにもう少し眼を近づけてみると、ほんとうはマットに沈んでいたボクサーが起き上がってきたのではないようだ。 顔ぶれが違うよーだ。 Bという会社の代わりにBという会社の役員だった21歳のにーちゃんが電話をかけてくる。 Aという会社のCEOの代わりにAという会社の別部門の長だったひとから違う会社の名前でかかってきます。 そうして、かけてくるひとの国籍もだいぶん様がわりしているようだ。 連合王国人が退いてロシア人に変わっておる。合衆国人のかわりにインド人がかけてくる。 ぬわーるほど、こうやって世界というものは変わってゆくのだな、と思います。 敗退した友達は、どうしているだろう、とわっしは思うが、 思うだけでなくて電話をかけてみたりもするが、行方がわからなくなったひとも多い。 そーゆー「失敗したひとびと」を置き去りにして世界はまた動きだすもののよーだ。 なんだか、やるせないのお。 でも世界というものはいつでも冷酷なのである。 個人の都合や運命なんか知ったこっちゃねーんだす。 自分の会社からも、この頃はよく電話がかかる。 「トーシアンケン」なんちゃっておる。 世界というものは不変にそーゆールールなんだから、世界のほうの身勝手なルールにあわせて勝負してやるしかねーべな。 くだらん、と思うけどな。 ダンスのステップを踏むように、うまくやんべ。 リズムが大事だべ。 また退屈な毎日の始まりかのい。 まだ隙さえあれば(もちろん)ブログ書くけどな。 わっし、「ほんこ」の世界、あんまし興味ないし。 ふつーに、正直にゆって、ここで日本のお友達と話すのが楽しいだよ。

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ハピー

日本はますます静かになった。 街にいても「喧噪」というものがなくなってしまったようです。 もともとひとが多いのが嫌いなわっしにとってはよいことだが、日本人の友達はみなフケーキでたまらん、という。 どーして、だすか?とわしが訊くと 「日本人はお金を使わなくなってしまったのです」とゆわれた。 そーゆえば鎌倉のひとも同じことをゆっておった。 「観光客はいっぱい来るんだけどね。みんな、コンビニでお弁当買うんだよね。この頃は、鎌倉に落としてゆくのはお金ではなくてゴミだけです」という。 クルマが売れない、のだという。 家も売れない。 一億円、という価格がついている家も、実際にわっしのところに日本人のお友達からゆってくるときには、半分の値だったりします。 以前は人気があったレストランでも800円以上とるところは客がこなくなった。 百円均一の寿司、とかが人気があるのだそーだ。 吉野屋は?と訊くと、吉野屋も単価が高いからなあー、という。 食品で売り上げが飛躍的に伸びたのは「ふりかけ」だそーであった。 義理叔父のところにお使いに来ていた会計事務所のにーちゃんと話してみたら、 「たいへんですよ、いまは。ぼくも、シマダヤの流水麺とヤキソバで生き延びてるんですから」という。「いっぺん、本物のビールが飲みたい」 「?」 「なんだ、ガメさん、知らないんですか。この頃は豆、とかからつくったビールがあって、そっちのほうが安いんですよ」 わっしは日本ではビールを飲まないので知らなかった。 数字の上から見ると日本の不景気も、たとえばスペインの不景気も変わらないが、いちばん極端に異なるのは日本のほうは「個人がお金を使わない」ことです。 バルセロナ、とかでは、平日でもレストラン、相変わらず満員だからな。 それがクレジットカードの引き落とし日と月末になると、人通りがパタリと途絶えるが(^^;) バルセロナ人は「クレジットカードが引き落とせるあいだはレストランに行く」っちゅうからな。ある日、レジで、「お客さんのクレジットカード、拒否されて使えないんですが」とゆわれるまで着飾ってレストランへ行く。 ゆわれたら、次の日から裏通りのタパスバーに行きます。 天晴れである。 シドニーやメルボルン、オークランドも、隙さえあればレストランへ行く。 店にも結構支払いをするひとの行列があります。 それがどうも日本では異なるようだ。 80年代に東京を訪れた外国人たちの書いたものを見ると、日本人の「金遣いの荒っぽさ」に呆れてます。特に「ブランド商品」を狂ったように買いまくるひとの数におののいておる。 不動産にしてもむかしはゴールドコーストの建物はみな日本の会社の持ち物であった。 ロックフェラー・センターも三菱が持っていた。 その頃は、たとえばウエスティンも日本のA建設という中小企業が買い取ってしまってホテルの表示がみな日本語に変わって合衆国人を驚かせたりした。 ラスベガスでも日本のやくざが占領したようになって、合衆国人の客足が遠のいた。 わっしが子供の頃はまだ日本人のイメージは「お金をばらまいて無茶苦茶をする下品なひとたち」でした。お金のためなら卑屈な笑いを浮かべられるひとびとが日本人と進んで付き合って、そうでないひとは、週末の食事みたいなものまで日本人と鉢合わせしないですむような工夫をして過ごした。 たとえば、クルマでしか出かけられない郊外に看板のないレストランをつくると、決まってそこは繁盛したのをおぼえています。 人種差別、というようなことではないのです。 子供のわっしから見ても日本のひとの不作法は耐え難かった。(すまん) 大声でウエイターやウエイトレスを呼ぶわ、くちゃくちゃものすごい音を立てて食べ物を食べるわ、終いには立ち上がって仲間の他のテーブルに行ってフラッシュを焚いて写真を撮りだすわで、日本人がはいってくると、とても食事、というような雰囲気でなくなってしまう。 日本のひとが普通に人間らしく振る舞えるようになったのは、いま30代の前半くらいのひとからです。 そのくらいの年のひとから急によくなった。 … Continue reading

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貧乏人は死ね

池田勇人首相は死ぬまで「貧乏人は麦を食え」と自分が言った、と報道されたことを苦にしていた。 政敵の浅沼稲次郎がテロリストに暗殺されたとき、 沼は演説百姓よ よごれた服にボロカバン きょうは本所の公会堂 あすは京都の辻の寺 という浅沼社会党委員長の「同志」がつくった歌を引用して、国会で 「君は、日ごろ清貧に甘んじ、30年来、東京下町のアパートに質素な生活を続けられました」という有名な追悼演説を行って当時の国会議員の名うてのガハハおやじたちをすら泣き狂わせた池田勇人が、そんなことを言うわけがない。 日本人にはお馴染みの、現在に続く日本国名物、日本ジャーナリズムの戦前から一貫して変わらぬ輝かしい伝統である、新聞記者の捏造煽動記事だったのがいまではわかっています。 池田勇人が首相に就任した1960年という年は、まだ日本が貧困と格闘していた頃であって、なりふり構わず日本製品を売り込んで歩いた池田首相はモニの国の大統領に「わたしは一国の首相と会うのだと言われたのに、会ったのはトランジスタ・ラジオのセールスマンだった」と冷笑されたりした。 冷笑するほうが悪いよな。 なりふり構わず一生懸命なイナカモンはカッコワルイが、それを笑うのは悪趣味である。 ….同じ池田勇人首相は、これも新聞記者がでっちあげた「中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない」と言ったという朝刊の大見出しによって辞任に追い込まれる。 この新聞記者は、さぞかし嬉しかったでしょう。 「真実」や「事実」を尊重しない国では、声が大きい者が勝つ。 ゆわれていることが事実かどうかは、特にどうでもよいように見えます。 なんでもいいからコーフンして目を吊り上げられるようなことなら、なんでもええだ。 それはともかく。 日本人に改革の意志がないということがほぼ明らかになったので、わっしのようなプーにくるメールにも、「日本がどこまで落ちてゆくか」という話題が見えるようになった。 まっ、わっしが日本にいるからだのい。 わっしがよもや日本にいるとは思っていないひともたくさんいますが、そーゆーひとは日本や中国よりもいまはブエノスアイレスやムンバイの話に夢中なので、やはりわしが日本にいる、という理由でしょう。 わっしは日本のいまの衰退はバブル時代に富の再分配に失敗したことが真の原因だと思っています。世界中のひとが目を剝くくらいに儲かったが、では、自分の生活がどのくらい良くなったか、というと、全然よくならなかった。 仕事が増えて、睡眠時間が減った。 街に出ると、やーさんたちが綺麗なねーちゃんを従えて札束を切って歩いた。 どこに行っても訳のわからん奴がふんぞりかえっておって、「この世は金さ」とぬかしやがる。 前にも書いたが、あれだけ空前の繁栄を手にしながら高速道路すらタダにならなかった国、というのは、日本だけです。 その頃書かれた本を見ると、「富の再分配の失敗」どころか、そもそも繁栄時に富が再分配される必要すら理解していなかったようにも見えます。 たとえば大学の予算を見ると、なーんにも増えてない。 基礎研究に至っては、正当性なく削られているものもたくさんある。 銀行から簿外融資を受けたやくざがカジノでひと晩で使う金を5年計画の予算として受け取るために教授たちは文部省の科学のカの字もわからない木っ端役人に日参して米搗きバッタをしていた。 サラリーマンは目の下に隈をつくって働いて、カローシという新しい語彙を英語辞典につけくわえた。 死ぬほど働いて、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のゴールにたどり着いて、それでも生活なんかよくならないと判明したのに、それ以上仕事に燃えるやつなんていねーよ。 だから、日本人は、やる気がなくなった。 明治時代に日本にやってきたフランス人記者が、日本の経済は要するに糞便経済だ、とゆっている。人糞を撒いて育てた穀物を食べて排泄した糞便でまた翌年の作物をつくる。 他には資源がないよーだ。 東京で生まれて育った義理叔父に訊いても、昭和40年代でもちょっと田舎の世田谷、とかにゆくとまだ「肥だめ」があったそうなので、明治時代に日本を訪れたフランス人記者が「国中糞便だらけ」と感じたのも無理ではない感じもします。 その糞便経済国家から立ち上がった資源なんかなんにもない日本が列島を縦貫して高速爆撃機銀河に似た新幹線がびゅんびゅん走りまくるカッチョイイ国になったのは、そーゆー言い方をすると、ただ日本人に「やる気」があったからでしょう。 しかし、1980年代の政府や経済界のデタラメは、その「やる気」を根こそぎにさらっていってしまった。 「幸福」をつくれなかったからです。 日本型の「幸福」をつくれないまま日本は今度はおおあわてで表面だけ合衆国の自由競争をとりいれようとしている。どういうふうにとりいれようとしているかをジッと観察してきましたが、日本が受容しようとしているのは「成功のない合衆国社会」であるのは累進課税をそのままにしていることだけでも十分わかると思う。 … Continue reading

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もう寝る

旅行から帰ってきた。 帰ってきた、ってゆっても、山の家1号に帰ってきただけだけどね。 寒いが、冬の好きなわっしは、くそ寒い林のなかをTシャツで散歩してすっかり機嫌がよくなりました。 モニの頬がみるみるうちにピンク色になる。 吐く息が白い。 わっしはTシャツだが、モニはジャージイ(アメリカ語ならセーターですのい)。 くびにマフラーを巻いて、風に舞い上がる木の葉にみとれておる。 暖炉の前で、ふたりでワインを飲みながら、ずっと話しました。 我慢できなくなってモニの膝枕で寝っ転がると、モニの身体の、この世界のものでは絶対あり得ないような良い匂いがする。 うー。 幸せだぎゃ。 めざめよ、万国の真夜中の 白痴ども という。 連帯せんといかんだろ そーでなければ 世界がみんなをむしゃむしゃと食べてしまいそうである。 長野県は工事だらけである。 他に産業がないもののごとくだすな。 リニアモーターカーをつれてきたいわけだのい。 誇りのない世界。 矜持のないひとびと。 あんたのポケットにあるその金、くれ。 くれくれ。 くれくれくれ。 くれくれくれくれくれくれくれ。 くれくれくれくれくれくれくれ くれくれくれくれくれくれくれ くれくれくれくれくれ。 くれよお、頼むから。 頼むから 団結せよ 万国の真夜中の 白痴ども 2chで喧嘩している場合ではないであろう。 たいへんなんだぞ、きみの国。 火事なんだぜ。 11月17日に燃えちった浅野屋バイパス店よりも、すごい火事。 ***** もうすぐ日本語の重しがとれる。 夢みたいだのい。 英語で考えてもよくなる。 楽ちんな世界へようこそ。 日本語は池のようで英語は大海のようだ(ごめん) 同じ風でも大きな帆なので速くすすむだよ。 … Continue reading

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ご返信がまた遅れただ。11月19日以前の記事へのコメントへのご返事だす。

11月20日分からはコメント欄に書きよります。 Sieさん、 >私は英語を話せば話すほど、自分が何処の国の人間なのか、ということが良く分かるようになった、と感じています。 それは良いことだすな。 英語世界の英語教育を日本に移し替えて考えると、英語とフランス語から始まってどんどん古くなってホメロスやプラトンを「英語人がやってきた故郷」として覚え込ませられます。(こーゆー教科の先生はこえーんだす) 「言葉は、きみがどこからやってきたかということにかかっとるんだ、オベール君」なんちゃわれる。 言葉がわかる、ということは自分がどこから来たか、ということがわかる、ということなんだすな。だから漢文や古文をきちんと教えない日本の学校はばかげている、と思います。 わっしのように、その辺で遊んでばかりいるアホガイジンにも読めるような簡単な白文が読めないのでは、どもならん。 >ガメさんと違って、私は漠然とした危機感をもつに過ぎない 危機感、でなくて、「不思議感」ですけどね。 なぜ自分の国の地方が死にかけているのをみんなよそごとのような顔をしているのか、とーてい理解できねえっちゅうだけのことだす。 >2015年日本第三世界云々……を扱った洋書、読んでみたいです。 Sie さんにゆわれて、そーゆえば本の形にまとまったものがあるのかのい、と思って見てみましたが、日本語グーグルで見ると日本のひとが書いたものの他はない。 英語Googleで見ると、ヘンな本がひっかかりますが、これはあんまり当てにならない著者です。 考えてみると「2015年になにか劇的なことが起きて凋落くする」というのではなくて、ずるずるずると負けていって、2015年になると先進国から脱落しているだろう、という話なので本の中心テーマにはなりにくいんでしょう。 資料的には、今年出る(出ている)中長期予測は丁度2015年までのものが多いはずなので、こちらは英語世界では(閉ざされたサークルのあいだで閲覧されるものだけでなく、公開された)サイト上にもいくつか出て来ていると思う。 だいたいマトモなものなら内容は同じはずで、2011年のドルの5年周期の底を軸に、そこでの対ドル円高を前提にして、改革の遅れを論じて、2015年における顕在化、というふうに論がすすめてあるはずです。 dralongさん、 >亀夫さんが好みそうな寂れた町はたくさん案内できる いえ、「好み」というわけではないんですけどね(^^) >いわゆる限界集落というのもあります ええ、「限界集落」はいままでにもたくさん行きました。 わっしはこのブログを読む人が想像するよりも、多分よく日本の「田舎」に出かける。 田舎に断片として残っている美しい景色が好きなせいもありますが、歴史を理解するには「現場主義」がよいからでもあります。 >是非とも帰国前に来ていただきたいです。 昨日モニさんに訊いたら「行かない」っちゅうことでした。(すまん) 龍泉洞もいかんそーだ(^^;) 最近は自分の母国のあちこちに電話して予約したり約束を取り付けたりして、どーも、わっしのフランスへの偏見をたたき直すために一大攻勢に出る準備をしているもののよーである(^^) 心ここに非ず、というが、もう心は欧州に戻ってしまっておるようです。 子供みたいだのい。 >直接に行けなくなるのは残念です。 オークランドへもジャンボが飛ばなくなるのだったりして、とかーちゃんと電話で話しました。ジャンボでなくなると11時間の距離をベッドでなくて椅子で飛ばねばならなくなるので、もう日本へは来られねーだ。そろそろやめるべ、という神のお告げかしらん。 >鯨問題、いったいどうしたら良い解決に向ったのでしょうか? 調査捕鯨、というインチキがやばかった。 日本のひとが考えるのと違って、日本の政府はそんなにきちんと広報活動をやったとわっしには思えません。「わっしは正しいことをやっとんじゃ」とゆってえばっていただけで、なぜ正しいかもっとしつこく説明すべきであった、と思います。 ノルウェーよりも遙かに、というよりも桁外れに多い予算を使っていながらノルウェーのほうが遙かに説得力をもった説明を行い得ているのは、どーゆーことなのか、わっしも知りたいです。 >譲れない部分だとは思いますが・・・。 「譲らない」からうまくいかないのではない、ということに気付かないと、永遠に問題みっつともダメなんではないでしょうか。外から見ると、三問題とも日本のほうには「議論」なんかする気がないように見えます。おれは正しいんだ正しいんだ正しいんだ、とがなっていたかと思うと突然唐突にあやまってみたりして、なんだか、さっぱりわからん。 >チャーチルが「日本にこれほどの力があったのならもっと早くいってほしかった。日本人は外交を知らない」と … Continue reading

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因偽爲真

わっしが日本にいてみて最もぶっくらこいた「カルチャー・ショック」は「血液型性格診断」でした。古本屋で百円で買った血液型なんちゃらという能見先生が書いた本を笑い転げながら読んで、こんなもんマジで信じる奴がいるわけねーだろ、と思った。 日本人の友達にあったときに、むかしは、あんなものを信じたひともいたんだのい、とゆったら、「いまでも、信じてるでしょう」という。 ぬわに、それでは、もしやあなたも信じてるんすか、と訊いてみると いや、全然信じてないけど、なんかのときに読むと、結構あたってるなあーと思う、とビミョーなことをいう。 うーむ、と考えてしまいました。 血液型で性格が決まる、っちゅうようなことが事実かどうか、ということになると、これは論外で、そんなことあるわけがない。ましてABO式だけで性格を分類するなんて、そんな杜撰な。 実際、いろいろな研究者が補助金もでねーのに、あまりの迷信のはびこりかたに業を煮やして何回も血液型性格診断というものがいかにえーかげんでインチキか、何回も証明試験をしておる。 文化の特殊性を感じるのは、その後であって、どーも日本のひとは血液型性格診断がインチキだと知っているのに信じているよーだ。 「インチキだと知っているのに信じる」っちゅうのは、すごい。 すごいというか英語世界では文すらなさない。意味不明になってしまう、 これが全然インチキだとわからない民族なのだとするとただのバカだが、日本のひとがバカでないのは明かなので、やはり、「インチキだけど信じる」という不思議な知性のトランス状態みたいなものが日本のひとの頭のなかにはあるのでしょう。 真珠湾の奇襲、というのは、合衆国側に立ってこれを見ると、国防担当者や軍人がいかにもマヌケであって、日本のひとはそーゆーところを誤解するから直ぐ「ルーズベルトの陰謀だった」とかいうトンチンカンなことをいうひとがいっぱい出てくるが、自らのオオマヌケのせいで麾下の将兵がいっぱい死んだ高級将校たちは、 「どうしてそんなにマヌケだったのか」というような記者たちのインタビューにさらされてます。 戦争を検証したテレビ番組では定番、とゆってもよいくらいであった。 むかしは日本のひとには見る機会が皆無だったが最近はDVDのネタがつきて、相当むかしのテレビ番組までDVD化しているので、アマゾンやなんかでも買えるようです。 見てみると、結構、オモロイだ。 そーゆー番組を観ていると、 なんで日本が真珠湾とかにまで攻めてくるわけないと思い込んでいたか、という言い訳で結構多いのが「人間を神様だと思って崇めるような野蛮な人間たちに飛行機がちゃんと飛ばせると思わなかった」っちゅうのが、結構おおいんだす。 英語人の感覚からすると、「なるほどな」と思わせるところがある。 結構説得力があります。 では、日本人はほんとうに昭和天皇を「現人神」であると思っていたのだろうか? これを調べてみると、だね。 結論が出ねーんです。 たとえば学校が火事になる。 校長先生は教諭を指揮して必死に児童を救い出します。 むかしのひとは責任感が強いので児童を救うために猛火のなかに飛び込んで梁を両腕で支えようとして死んだ校長先生までいる。 ま、でも、たいていはそこまでの大事に至らないので、児童はみな無事に校庭に逃げのびる。 しまった、御真影が、と校長先生は気がつくな。 御真影が壁に掛かったままである。 この場合、校長先生は、躊躇なく炎のなかに引き返すであろう。 死ぬけどな。 あるいは最近の右翼のみなさんを見ていて、これはオモロイな、と思うのは、天皇に対する敬語が使えないことです。 天皇陛下を敬う心が足らんもんだから、ちゃんとした日本語が使えない。 ひどいやつになると真顔で「天皇様は」とぬかしやがる。 アホ、だのい。 天皇陛下に対して人間仕様の敬語を使うバカ右翼はザラです。 わしですらやる気になれば使えるのに、尊皇を掲げる人間が使えなくてどーすんだ、と思うが、それはともかく、 天皇陛下は畏くも(ここで、お辞儀)現人神であらせられるのでご竜顔を拝することも慎まねばならぬ。(はい、ここまでの文中の敬語に二箇所誤りがあります。指摘しなさい) そーゆー調子だが、いっぽうでは、「天皇がほんとうに神様だと思っていた人間なんかいない」と証言するひともいっぱいいます。 実際には、どうだったのか、わっしにはまだわからん。 … Continue reading

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「地方都市」という名の墓場

ここにコメントを付けに来てくれるdralongさんが、「青森に来い。来たら、わたしが案内してあげよう」とゆっている。 わっしの返信を見ると、「モニとわっしはわがままだからパス」と書いてあります。 しかし、この返信はほんとうでない。 モニとわっしが常軌を逸してすげえーわがままなのはほんとうだけどな(^^) ほんとうでないことを書くのは不誠実というものなので、ちょっとちゃんとお答えします。 わっしが日本海側へ行ってみんべ、というのは、具体的には日本海側の小さな町を見たい、ということなんです。前にちらと書いたことがあるが、わっしの日本滞在のいちばん大きな目的は「日本の歴史」を書くことである。 そーゆーと日本のひとは怒るだろうが、わっしは日本が亡びつつある、と感じています。 「ひとつの国が亡びる」というのは滅多に起こらないことである。 そーゆーことは現実には笑い話にしかすぎない。 通常は、現実の世界の変化に特に敏感な(多くの場合は、敏感すぎる)ひとびとが騒ぎ立てるだけのことであって、とりわけ日本のような大きな国が亡びる、というようなことはほぼ可能性がゼロに近い。 わっしは、もともとそういう考えですが、しかし、いまの日本の場合は半分くらいの確率で実際に滅亡する可能性がある。 滅亡、とゆっても沈没するわけではないので、それは1945年のような破滅かもしれないし、極端に縮んだ「地方政権化」なのかもしれません。 そんなことまでは、わしにはわからん。 日本のひとは、ときどきびっくりするくらい躍動的なエネルギーを獲得するので、2040年くらいから大躍進しちゃったりして、と思わなくもないくらい。 でも、いまの現実には破滅の兆候がいろいろ見えていて、そのことをひとつづつ書きとめて、なぜ日本ほどの大国が滅亡するに至ったかをちゃんと書いて残しておきたい、と思っています。 山の家からクルマで30分から1時間くらいも出かけると観光地でない普通の町がある。 そういう町の荒廃はすさまじくて、東京や名古屋や関西三都市にいるひとには到底想像もつかないような光景が広がっておる。 山の家がある軽井沢から遠くないKという町など、夜にはタイ人やフィリピン人の売春婦とやくざしかおらん、といいたくなるような風景を見る日もある。 UやMという町も同じで、大量解雇されたひとの群れや「自主退職」を強制されたひとたちがあふれている。 Iという古い商店街をクルマで通るとシャッターが下りているだけではなく、破れた障子が露出されたままの窓が続いていたりする。 このあたりの消費経済の中心は新幹線の駅と高速道路のインターチェンジが出来た佐久平でしょうが、そのクルマ型社会に適応したモールやレストランや郊外型大規模店も急速に人気を失っているように見えます。 駐車場にクルマが駐まっとらんもん。 ニュージーランドでは郵政がずいぶん前に民営化されているのは日本でもいろいろなひとが知っているよーです。 義理叔父が誰がつくったのか(というよりもどういうひとがつくったのかわかっているが)手回しよく「ニュージーランドでは民営化によっていかに混乱が生じたか。どれほど民営化によって国民が困っているか。また国営にもどすという意見が強いか」っちゅうようなことを書いたえらく手間と金のかかっていそうなサイトがあっというまに出来よった、とゆって笑うので、わっしもそのサイトを見てみましたが、 よくもまあただ権益を守りたい一心であんなものをつくったもんだ、と思いました。 それも電光石火である。 ニュージーランド人は民営化してよかった、と思ってます。 全然こまってもおらん。 わっしは、その妙に手回しよく出来たサイトを眺めながらなんのこっちゃ、と考えました。 ところで、ニュージーランド郵政の民営化で、もっとも政府が気を配ったのは「全速力で、それを行う」ということでした。決断に時間がかかるのが「改革」というものには最悪なのがわかりきっているからです。 時間がかかる、ということは、そのまま税金をムダに使いまくっている抵抗勢力に十分準備させて根回しの時間を与えて改革をそのまま骨抜きにさせる時間を与えることであるのはわかりきっている。 世界中が期待した「小泉改革」も結局、会議や検討会の海に沈んで、いまは巻き返しが完全に勝利して世論まで動かせるようになってしまった。日本がいまのようになったのは「小泉のせいだ」という。 静かなカメちゃんかイチロー・小沢を首相にしておけばよかったのに。 日本の経済の不調の根本的な原因が日本の経済改革と社会改革の不調への海外の仲間の国の失望が原因であることなど忘れてしまったかのようなことをゆっている。 遅い、と思う。 世界のIT革命というパラダイムシフトを軸にした社会と経済の改革を高速道路だとすると、120キロくらいでみなが走っている四車線道路のまんなかを人力車がよいこらしょと走っているような感じである。 しかも、この頃は、この車夫のおっちゃん、なにを思ったか、よいさのほい、で逆走をし始めた。 経済が回復するわけねっす。 いまでは世界中のアナリストが日本は世界経済が回復した瞬間におおきく取り残されてそのまま破滅するのではないか、と疑い始めた。 「世界経済の回復が破滅のはじまり」っちゅうのは皮肉だが、しかし、たいへん現実味を帯びてきてしまっている、とわしも思います。 … Continue reading

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Chchへの直行便がなくなるそーだ

交渉して決めた条件と違う料金だったのでニュージーランドの航空会社のおばちゃんに文句をゆわねばならないことになった。しばらく、ちゃんと調べろよな、いーえ、調べる必要なんてありません。そういう料金はありえない、とゆって言い争いをしなければならなかったが、そのうちにおばちゃんが折れてコンピュータを調べてみたら、わっしのゆったとおりであることがわかった。変更料金の400ドルなんすけどね(^^) ものごとは筋をとおさねばならんのだ。なんちて。 わしのいうことが正しいのがわかってカタがつくと、やおら世間話を始めるおばちゃん。 ペスカトーレというレストランに家族で行こうと思うがどうおもうか、という。 まじいっすよ、あそこ。 下のレストランのほうがうまいと思うが。 とゆって話をしておったら、おばちゃんが、実は来年から成田ークライストチャーチの直行便はなくなるのだという。 えっ?とゆって絶句するわっし。 経済的な結びつきが強いとは言えない日本とニュージーランドは経済的なつながりが観光ベースなので、ニュージーランド観光の中心であるクライストチャーチへ直行便がなくなる、というようなことは考えたことがなかったので驚きました。 驚いた、というよりも、呆気にとられた、とかボーゼンとした、とゆーほーが、近いか。 このブログを読んでくれるひとは知っているが、わっしは、チビガキのときからときどき日本に来ておった。なぜかというと、ブログにあまり出てこないかーちゃんシスター及びかーちゃんシスターの旦那さん、すなわち「義理叔父」が日本人であることもありますが、それよりなにより、これもいつもぼおおーーんやりとしか書いていないが、かーちゃんの頃から家が連合王国とニュージーランドの両方にあって、一年に最低一度は26時間の大移動をするからであった。 ロンドンから、ぶわあああ、と飛んでクライストチャーチまで行くのね。 いっぺんにゆけないので、中継地があります。 シンガポールでもよいが、成田にも寄れる。 これをストップオーバーと称して、ホテルやなんかもふつーより、ずうううーと安い。 だから日本に寄った。 連合王国人が日本を好きになる、というような場合、このロンドンークライストチャーチのストップオーバーがそもそものきっかけ、っちゅうのは以外と多いんだす。 連合王国からニュージーランドへの観光にはこのルートが一番安くて速い。 途中で東京に寄って、「結構、オモロイじゃん」になるんだす。 まっ、たいした数じゃないけどね。 しかし、わっしは、日本にますます寄りにくくなってしもうた。 があーん。 前にもちょっと書いたが、毎年毎年日本にやってくるのは難しくなる。 まず航空路線が不便である。 欧州からでも上海や北京にゆく線は増えるが、日本行きは減る一方のように見えます。 それに伴って航空券が高くなるので、ますます来づらい。 逆に欧州人から見ると、国策で航空路線の便宜を維持しているシンガポールは、ストップオーバーのプロモーション(たとえばチャンギから市内へのシャトル往復は全部タダ)のような工夫も含めて、行きやすい土地です。 日本だと、アキバのようなところに出かけても、ヘンな右翼がやってきて「バカヤロー、てめーの国へ帰れ!」とかゆわれるのもテレビでやっていて日本のひとが「ガイジン嫌い」なのが知れ渡りつつあるしな。 そこへゆくとシンガポール人はフレンドリなので、緊張せんですむ。 むかしと較べて著しく魅力を失ったシンガポールに、それでも「二三日ならいーか」と思ってシンガポール経由で南半球に出かける欧州人が多いのは、そのせいもあるであろう。 少なくともクライストチャーチ人にとっては、また日本が遠くなっちった。 かなしいのお。 外国から見ていると、日本は急速に縮んでいる。 プレゼンスが小さくなって、なんだか遠い国になってゆく。 カリフォルニア州やワシントン州、オーストラリア、まだ日本が国として話題になることが多いのは、場所で言うと、そのくらいです。 もともとそーじゃん、という意見も当然あるが、わっしは、やっぱり毎年日本というものがかすれていっているように感じます。 航空便が少なくなるとか、ぶわっか高くなる、とか世界のブロック化っちゅうのは、そーゆーふうにして具体的には起きてゆくのだとしみじみわかるのい。 もう誰の眼にも日本がマジメに経済改革や社会改革なんてやる気がないのはわかってしまったので、短期投資はともかく、長期投資なんかやれん。 だからわっしの知っているかぎり投資家はみな逃げちった。 政治的にも、いったい何をどうしたいのかさっぱりわからんので、もうめんどくさい、とアメリカ人までゆいだした。 … Continue reading

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出国記

Uさんと会った。 Uさん、日本人。29歳。14年間、日本の外にいた。 ニュージーランド、アメリカ、ロンドンとパリが長かった。 「国外追放にあってたんでしょう?」と冗談をゆっても、 「うふふふふ」と笑っているようなひとです。 なにを話していてもいっこうに埒があかないひとで、はなはだしく要領を得ない。 青山の街で待ち合わせをしていると、向こうからUさんのひょろひょろとした細長い姿が歩いてくる。やあ、と手をあげます。 やあ。 「お元気でしたか?」 Uさんは黙ったまま、ほほえみ返す、というわけでもなく、なあーんとなく焦点のあわない微笑を浮かべておる。 「忙しかった?」 「うふふふふ」 この「うふふふ」が、思い出し笑いみたいな「うふふふ」なので意味がよーわからん。 でも、Uさんは、義理叔父とその倅の「ブログに書いたら絶対殺す」と凶暴なことをゆってきかないのでブログに全然登場しないわしの従兄弟と同じくらい仲の良い、「日本語が母国語」の大事なお友達なのです。 Uさん、オモロイし。 一緒に歩いていると、弘田三枝子の歌をくちずさんでいたりする。 「人形の家」(^^;) Uさん、その歌、なに? と訊くと、えっ、ガメ、これ知らないの? 変わってるなあ、60年代にはユーメイな歌手だったんだぜ。 ヒロタミエコ。「子供ぢゃないの」、聴いたことない? 「夢みるシャンソン人形」なら知ってるだろ。 って、知らねーよ、そんなの。 知ってるわけねーだろ。 頭の中がどうなっているか、よくわからないところもあります。 日本滞在が終わったらどーすんだ、というので、実家に帰って、えーと自分のニュージーランドの家にいて、えーとえーと、それからカリフォルニアに行くな、という。 カリフォルニアはあったかくて、えーだからな、オタクもしやすい。 メシはまずいが、とゆっていると、しばらくふんふんと聴いていてから突然 「カリフォルニアって、州、どこだっけ?」という。 「州、どこって、カリフォルニア州でんがな」 「あの、ロサンジェルス、とかあるとこ?」 「そう」 あっ、じゃあ、おれ、一年くらいすんでたことあるな、とゆった(^^;) Uさんは勤め先で就労ビザを更新してもらえなかったので、パリから東京に戻ってきた。 いまは不景気なので、このパターンで日本に戻ることを余儀なくされるひとは多いのです。 パリに戻りたいですか?と聴くと、うーん、そうでもない、という。 東京のほうが楽しい? うーん、そーかなあー、とかゆってます。 Uさんとの会話は、まるで宇宙遊泳をしているよーだ。 会話に「進展」というものが皆無なので、Uさんとわっしはふたりで会っても、ひたすら歩いて、カフェに立ち寄って、酒を飲んで、また歩いて、酒をのむ。 わっしはソ連陸軍の救国英雄戦車T34よりも頑丈な体格なので、心配になって、 … Continue reading

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自殺社会2

「いのちの電話」というのがたしかあったよな、と思ってインターネットを見てみると、 「つながらない」「やる気がないのではないか」と書いてある記事に多くあたる。 へえええー、と思ってもう少し見てみると、実はすさまじい数の電話がかかってくるうえに、運営は十何万円かを持ち出しで払うボランティアたちで運営されているのがわかります。 当然、「いのちの電話」に何度かけてもつながらずに、ここですら自己を否定された気持ちになって死んでいったひともいるわけで、まさかマンガ的、と形容するわけにはいかないが、なんだか非現実的な光景だなあ、と思ってぼんやりしてしまいました。 傷ましい、というような表現では到底いいあらわせられないようなことが、日本ではまさに日常として起きている。 **** わっしは日本にいて、日本の社会のおおきな特徴は「敗者に冷たい」ということだと感じました。冷たい、どころか、「敗けた」人間には関心すらもたないひとが大半であった。 わっしが日本の私立大学の硬直した校風にふれてW大やK大のひとの選良意識は、どうも鼻持ちならないところがあるようだ、とゆったら、そこに居合わせた 穏やかで教養のあるひとびとの口からW大やK大と言っても、日本では敗北したひとの集まりだからね、「負けたものほど、よく吠える」というではないか、という言葉が、あっさり出たときには、ちょっとコワイ感じがしました。 自分たちが出た大学以外は大学だと思っていないようであった。 自分たちが出た大学以外は大学だと思っていなくても良いが、問題は、他の大学を出た人間は人間だともあんまり思っていないらしいことであって、こっちには真剣にびびりました。 「彼等は下士官ですから」という。 「下士官には下士官の世界があるが、それは、わたしにはわからないんですよ」と、極く穏やかなおっとりした調子でいう。 感じのよいひとたちだったが、ゆっていることはなかなか迫力があるくらい非人間で、ここには到底書きつらねられない。 そういう一連の会話からわっしが学んだのは日本の社会が「大量の敗北者を量産する」システムであって、0.1%にも満たない最終勝者以外は一生その恥辱とともに生きて、 「大きな顔をしない」約束になっている、というぶっくらこく、どころではない決まりになっていることでした。 勝負が速ければ中学入試の12歳ですでに一生続く恥辱を背負わねばならないもののようである。 その上、基本的に勝敗だけで出来ているスポーツの世界にすらある「敗者復活戦」すらこのシステムには備わっていない。 合衆国は日本よりも遙かに徹底的な学歴社会ですが、しかし、試験が不得意な、あるいは環境的にタイミングが悪かったひとがたくさんいるのはわかりきったことなので、敗者復活、というか、別リーグになっている社会的な成功への経路がたくさん用意されてます。 「人間の能力に上下がつけにくいシステムをつくる」というのは、社会や国家というものの重要な役割なので、どこの国でも年中工夫している。 日本はなんだか上下をつけるために工夫しているようなところがあって、暮らしにくそうだなあ、と思いました。 「敬語」のせいもあるのだろうか。 **** 中学入試、大学入試、閉じた会社での昇進競争、と敗北者を大量生産する日本の社会では、だから、50歳くらいのひとたちが、小学生のガキどもが中学の偏差値の話をするのとまったく変わらない口調で誰彼が勤める会社の業績の話をする。 同級生の偏差値と自分の偏差値を比較するときとまったく同様の修辞で他人の年収と自分の年収を比較する。 いつか日本の社会を「軍隊みてえ」と書いてportulacaさんに怒られたが、実際の軍隊のなかで暮らす軍人やヘータイでも、わっしの国の人間はそんなに「他人との比較」に夢中にならん。 この問題は、実は、わっしには理由が全然わからんので、これ以上書きすすめないのす。 どうして日本のひとは、ああまで「他人と自分との比較」に夢中になるのだろう? その一方で、あの異様なほどの「敗者への無関心」はどうそれとつながるのだろう? わっしには、さっぱりわからねーだ、と思う。 わかるのは、日本の社会のそういう部分がいまこの瞬間も確実に自分の社会の構成員を殺し続けていることです。 自殺したくなるのもあたりまえであって、自分を見詰めるのに他人の目しかつかえないのでは手元のネクタイひとつ結ぶにも困るであろう。足下も自分の目では見えないので倒れないで立っていることすら困難でありそうです。 日本の社会はそうやって緩慢な自爆を遂げつつある。 **** わっしには結局のところ日本人の自殺率の高さについては理由がよくわからねーだ、で終わりそうです。 西洋の国は簡単で、気候が悪いところほど自殺率が高い、という。 スコットランド人は「自殺する気にもなれんほどのクソ天気」だと自分の国の天気を呪ったりしますが、だいたいにおいて気候の要因が強いのす。 日本では個人というものが全体の部分として存在するので、やっぱりそこに無理があるかもなあー、「連帯保証人」なんちゅう制度は考えようによっては殺人制度だよな、あれは、とかと考えますがほんとうのところは日本のひとにしかわからない。 ここにコメントをくれたひとのなかでは「ぽんぴい」さんがちょっとそうだが、日本のひとはサムライ文化はそーゆー厳しさを含むのだ、とゆったりしますが、そこでゆわれている「武士道」はサムライの頽廃期につくられた。 本来の武士とはなんの関係もない言わば「空想的武士道」です。 … Continue reading

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自殺社会(続き)_コメントへのご返信が遅れました。すまん。

ご返信が遅れてしまいました。あまつさえ antonianさんにはご心配までいただいておるではないか。ダメじゃん。 実は仕事が途方もなく忙しくなったのでなかなかブログまで手がまわらなかったのです…..なんちて。 ウソだよん。 ずうっとずうっとずうううううっと、ぶっつづけで遊んでました。 モニさんとふたりで、いっぱい遊んでいっぱい眠っておった。 朝まで遊んで夕方になるとどばっと起きて遊ぶ、というのを繰り返していると、あっさり時間が経っちまうだ。 すまん。わしはオタクだで、どこにいてもiPhoneでもなんでも使ってご返信したり記事を書いたりできるんすけどね。朝からCava飲んできゃあきゃあゆっていてはそれも出来ねえだよ。すまん。返す返すすまん。 ちょっとだけ言い訳すると、もうすぐ日本滞在も終わりだで、いろいろ遊びてえことがあるんです。 さぼったご返信が増えてしまったので、「自殺社会」のものは、こっちの記事で答えさせてください。 このブログはむかしから「記事よりコメントのほうが面白い」とゆわれておる。 だから、ちょうどいいからコメントをつけてくれたひとの知恵を借りながら「自殺社会」の記事の続きを書いてゆこうと思います。 他の記事にコメントをつけてくれた はげはげさんや、AKさん、antonianさんへのご返信はコメント欄でご返信します。 Aladdin Saneさん、 >結論から言ってしまうと、日本人にとって「人間」とは、「自分と同じ共同体に属している人」なんだよ。そうでない人は人間外、文字通り外人なんだ。 たとえば連合王国でも、その通り、なんだと思いますが、どうも日本ではその「共同体」の大きさが小さいように見えます。たとえば中国のひとの共同体はたいへん小さくて 「血族と擬似血族」がそれにあたる。その外の世界は規則すら守らなくていい世界として意識されておるよーだ。日本のひとは、それよりもちょっと大きい共同体みたいっすな。 「近所と擬似的近所」っすかね。職場っちゅうのもおおきいようです。 だからいまみたいに「職場共同体」が壊れてしまうと、共同体という人間に必要な「情緒のプール」のようなものがなくなって、いきなり丸裸で無防備な個人として社会と向き合わなければならなくなる。 そーゆー場合には人間にとっては「社会」とゆっても敵対した鉄のかたまりみたいなものなので素手で生きてゆける訳がねーだろ、になって自殺してしまうんだすな、きっと。 わっしは日本のひとは、もっと「自殺していなくなってしまった仲間」を意識して悼んだほうがよい、と思う。自分と同じ日本の社会に生きたひとが、どうやって社会に殺されていったか、みなで自殺したひとのケースを集めて年鑑のようにまとめて一覧出来るようにすればよい、と思う。 そうすれば、ひとりひとり個別に異なる理由で死んだように見えたものが、実は、たったひとつの死に方しかなかったことがわかりそうに思います。 >「日本は競争が緩いくせに、社会的緊張度が高い」というところも、この共同体意識が原因としてあるんじゃないかな? こっちでAladdin Saneさんがゆっていることのほうは、今度は「共同体の性格」ということのほうだが、こっちも、わっしはAladdin Saneさんのゆうことはたいへん当たっている、と考えました。 「2ちゃんねる」や「ニコニコ動画」というようなものを考えると、わしから見ると途方もなく「日本的」なコミュニティで、慶安時代の「五人組」ちゅうような雰囲気がある。 みながスレッドや動画を囲んで、ヘコヘコヘコ、と囲炉裏のまわりに並んだべこ人形(あの胴体の空洞にくびが糸でぶらさがっていて、へこへこと肯くやつです)が交互に自動的に頷いているタイプのコミュニティです、 わっしは、あれが薄気味悪くてこわいんです(すまん) あれは個人として社会に向き合う人間を集団で抹殺するためには最適なコミュニティのありかたのように思えます。「夜這い」とか、そういう習慣を支えているのと同じ「集団的な情緒」のありかたで、基本的にはその集団が個人の顔とは無関係に同じ事を繰り返すことしかゆるさない。個人としての顔を持とうとする個人にはいっせいに牙を剝いて襲いかかろうとする。 だから自分たちが意識していないだけで基本的には個人主義を圧殺するための装置なんだと思ってます。 文化の力、というのはたいへんなもので日本の社会はインターネットですら、閉鎖的内向的な社会を強化するための装置に変えてしまった。出口をつくる、どころか、出口を封鎖するボルトにインターネットを変えてしまう。 これで自殺者が増えなかったら、そっちのほうが不思議、と考えました。 >だから議論にならずに口論になってしまい、最後には出刃包丁で刺しあったり、日本刀で切りあいになってしまう 議論にならず口論になる、っちゅうのは、ほんとうにそうだと思う。 不思議なくらいそうだ。 これはこれで別に考えたいと思っていますが、日本のひとはどうも「議論」と「口論」を混同している。 同じ英語世界でも合衆国人は連合王国人の会話の「怖さ」にびびります。 連合王国人は微笑しながら、とんでもないことを言うからな。 … Continue reading

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