四式重爆「飛龍」

Mさんは工業専門学校(いまの工業大学)を出て、三菱で擬装担当技師として働いていた。昭和20年のことです。

新型の四式重爆の後部銃手の死亡率が高すぎるので電動式の自動に変えろ、という軍の要望だったそうである。

Mさんたちは、試作機をつくってみたものの制御性が悪く飛行隊員の評判が悪かった。

自分たちのつくった電動式機銃(陸軍の呼称では機関砲)が動かずに撃墜される四式爆撃機の姿を考えるといたたまれない気持ちになったMさんと同僚は空襲下浜松から宮崎まで実地検分に出かけたという。

ついたばかりの夜、沖縄から戦隊が帰還する、というのでMさんたちは飛行場で早速待機することにした。

何時間かを待つうちに爆音が低く聞こえ始めて爆撃機たちが帰投してくる。

「たち」とゆったが、ほんとうは戻ってきたのはたった一機です。エンジンから夜目にもわかる煙を曳きながら、しかし模範的な着陸姿勢で滑走路に着陸した四式に向かってMさんたちは全速力で駆けていった。

「機関砲はよう動きよりましたか。」

Mさんは叫びかけながら駆け上った。

「そこで私が見たものを私はその後一生忘れられなかった」とMさんは自費出版の本のなかで書いています。

息をのむMさんたちの目の前にあったのは、滅茶苦茶に破壊されたガラスのない風防の下で血まみれになって、しかももうとっくのむかしに冷たくなっている正副操縦士の遺体であった。

やがて救護の兵隊が胴体を捜索すると全員が合衆国軍機の機銃弾に撃ち抜かれて絶命していたという。

魂魄が操縦して戻ってきた四式の電気擬装を調べながらMさんと同僚は嗚咽がとまらなかったと言います。

四式重爆撃機飛龍は、わっしが最も好きな日本の軍用機である。

日本人たちは戦争を始めてみたものの、近代戦争のそのあまりの過酷さに震撼した。

第一次世界大戦に正面から参加しなかった日本人には兵器と人員のすさまじい消耗を空想すらすることが出来なかった。

防弾装備のない戦闘機や爆撃機は連合軍自らの侮りが生んだ日本の不意打ちに恐慌状態にあった開戦百日ですら情け容赦なく次々に失われていった。

四式重爆は、いわばやっと米国や英国あるいは独軍と同じ「近代戦」へに認識に立った日本人がつくった初めての爆撃機であったのでした。

主要諸元の数字だけを見ると凡庸な中型双発爆撃機にしかすぎない「飛龍」はしかし記録をよく読むと、実際には高速でタフ、しかも連合軍の戦闘機に追われながらでも基地に帰投しうる機動性をもった爆撃機であったのがわかります。

なにしろ有明海の上空で垂直旋回した飛龍まであったという。

(ちょっと、わっしには信じがたいが、飛龍の日本機らしからぬ機体強度を知ると信じてもいいような気がするときもあります)

Mさんは、その後、合衆国の「飛行機製造禁止命令」を見て失望して技師をやめ三菱重工も退職してしまう。

思うところがあったのでしょう、二三年親元にいたあとで技術屋であることをやめて地元の企業に事務職として就職して戦後を生きる。

Mさんの「自分史」は正直に言えば読み進めてゆくのがやや辛いほど平板なものですが、

冒頭の基地での経験もそうですが、誰の、どんな人生もそうであるように、読む方が歯をくいしばって読まないと読めない箇所がところどころある。

1960年代のある日、Mさんは、故郷の町から子供と奥さんとを連れて東京に出かけます。奥さんが「君の名は」に夢中になった結果、何年ものあいだ「東京に行ってみたい」とせっつかれてやむをえず出かけたもののよーである(^^)

新大阪に出て、新幹線のホームに立ったMさんの記述をわっしは、どうしてもうまくいえないが、一瞬だけ時を旅して青春に立ち戻ったひとのものとして読んだ。

ニュースですでに見ていた新幹線がホームに入ってきたとき、しかし、Mさんはそのとき初めて「あっ、『飛龍』だ」と思うのです。

そのとき初めてMさんは自分がどれほど「飛龍」という飛行機を愛していたか、兵器と技術屋という関係を越えて、自分の人生のすべてを賭けていたか、理解したのだという。

「戦後の私は、ただの抜け殻であった、という現実を目の前にして、私は狼狽した」とMさんは言う。

でも、技術屋としては、もしかすると幸福だったのではないか、とMさんは書いています。

四式重爆撃機「飛龍」キ67

全幅: 22.5 m

全長: 18.7 m

主翼面積: 65.0 m²

翼面荷重:40.9 lbs/ft2 (199.8 kg/m2)

発動機: ハ104 空冷複列星型18気筒 2,000 hp (海面高度0)

全備重量: 13765 kg

最大速度: 537 km/h (高度6090m)

航続距離: 3800 km

上昇限度 : 9662m

武装: 20 mm機関砲 ×1・12.7 mm機銃 ×4

爆装: 50kg爆弾×15、250 kg爆弾×3、500 kg爆弾×1、800 kg爆弾×1、魚雷×1のいずれか

生産機数: 697 機

こーゆー気持ちは機械が好きでないひとにはわからないが、実戦の記録を読んだ後で、

この特に爆装限度とかを見ると、感動して涙が出る。

まるで丁度天安門で素手で戦車を止めた中国人の学生のような「名もない英雄」を感じるからです。

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