Monthly Archives: December 2009

おおつごもり

「キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝うなんて」というひとがいるが、そーゆーひとの「西洋」は空想の世界か日本でゆえば昭和初期くらいまでの時代の「西洋」なのでしょう。 そーゆー架空な「欧米」を信じていると曾野綾子になってしまうかも知れぬので注意しなくてはいかむ。 現代の「西洋」のクリスマスは日本でゆえばぴったり「お正月」です。 家族が一同に会して一年を振り返ってお互いの努力をねぎらい来る年の息災を願う。 そんでもって「新年」のほうが日本でのクリスマスに近いのね。 ヘンだのい。 日本のひとも60年代から80年代のような大騒ぎはしなくなったが、まだ名残がある。 若い男は一年貢ぎあげてクリスマスには乾坤一擲、媾合(まぐあい)の勝負に出る、という。 「婚活」という身も蓋もない索漠とした言葉や「東京いい店やれる店」というようなオソロシゲな名前の本がベストセラーになる日本人世界だけのことはあります。 今年も「おおつごもり」がやってきた。 男のひとびと。 きみには、どんな年でしたか。 クビにはならなかったか。 もう「ニコニコ動画」や「2ちゃんねる」のような奴隷世界の娯楽場に出入りしなくてすむようになりましたか。 奥さんの肩をちゃんと揉んであげましたか。 疲れているときでも家事を手伝ったか。 去年よりも少しでもきみのパートナーの社会的地位の向上に寄与しただろうか。 ベッドでも自分勝手なことをしないですんだかね。 女のひとびと。 男たちを傷つけないように別れの言葉を述べることが出来ましたか。 自分を繫いでいる鎖が何であるかしっかり考えたか。 旦那さんの肩を抱いて一緒に失敗を嘆いてあげられましたか。 カウチで並んで座って声を揃えて歌えましたか。 ちゃんと頬をあわせてスローダンスを踊った? ダンスを忘れてはいかんからな。 かけがえのない微笑も。 ガキンチョのひとびと。 宿題は全部やったかね。 跳び箱を一段でも多く跳べるようになった? 天使の絵を今年は上手に描けるようになっただろうか。 世界へ冒険に出る準備は着々とすすんだか。 神様、 今年は少しは人間どものことをおもいだすことがありましたか。 もうそろそろ救済に乗り出してもいいころだと思ってくれただろうか。 今年は秒単位で死んでゆくアフリカのビンボガキどもを見殺しにしたことへのうまい言い訳を思いつきましたか。 戦場で無惨に死んだ若い兵士は、きっと今年もあなたを信じて死んだでしょう。 あなたの知恵は人間を遙かに凌駕するが、しかしそれは「冷たい知恵」なのではないだろうか。 暖かくない叡知をも叡知と呼びうるのでしょうか。 わっしには、とうとう(今年も)あなたのことがわからなかった。 おおつごもりには、わっしは酔っ払ってテラスに出て通りのあちこちから上がる花火を見ている。 … Continue reading

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理解し合う、ということ

言葉によってわかりあえるかもしれない、というのは人間の最大の妄想である。 だって、言葉みたいなもんで理解しあえるわけないじゃん。 「わたしは悲しい」という。 きみが、どんなふうに悲しいのか、わしはわかろうとするが、判ろうと考えた途端にそれがどんなに難しいことか気が付いて呆然としてしまう。 「わたしは身を切られるほど悲しい」という。 「身を切られるほど」という安っぽくウソくさい表現がはいってしまうことによって、わしは今度は完全に閉ざされたドアの前においてけぼりにされる。 「3」というような言葉は良いよな。 これは間違いなく伝達される。 「みっつのリンゴ」は不完全な「3」だが、リンゴというものが「三つある」ということは完全に伝わるでしょう。 わしの先生は人間がふたり抱き合って寄り添っていても「不完全な『2』に見える」とゆって、わしらを笑わせたが、いま考えてみると先生はマジメだったのです。 ふざけていたのではないのだな。 言葉には「一般化」という機能もある。 「ニュージーランド人はアホである」という。 「連合王国人は皮肉屋である」という。 「合衆国人は英語がちゃんと話せない」という。 どれもほんとうだが、一方ではちゃんと、わしのようにカシコイ(ほんとよ)ニュージーランド人もいれば、かーちゃんのように「皮肉」というものを嫌う連合王国人もおる。 合衆国人でまともな英語を話す人間、というのは見たことがないが、大きな街に行って探してみればきっと、英語が話せるアメリカ人だってどこかにはいるに違いない。 最大公約数や最小公倍数を見積もりながら、一般性があんまり途方もない広がりをもたないように気を付けて話す。 うまく意味が伝わりだすと、そーゆーことは誰の人生でも滅多に起こらないことなので、われわれはすっかり嬉しくなってしまう。 旅先で見知らぬ人なのにメールアドレスや住所を交換してしまったりします。 人間は自分の感情や考えていることを他人に伝えるためにさまざまな方法を編み出した。 「詩」というものは、言語が本来成立したときから持っている「音」の組み合わせで伝えたい感情や思想を誤差のない精確さで他人の頭にたたきこむことが出来る点ですぐれている。 たとえばT.S. エリオットの詩を読んで「ひとりひとり違う感じ方がある」というようなマヌケなことを考える人はいないでしょう。 「荒地」のような詩は、初めから詩人、というよりは詩人が紙のうえに書いた言葉が他者によって誤解されることを拒絶している。 それがディラン・トマスのような詩人になると、実は感情や思考を生み出しているのは「言葉」のほうであって、詩人はそれが暴走しないように肉体器官としての大脳を「ある状態」に保っているだけです。 詩はだから読み手による幅のある解釈を拒絶して、詩人の頭に生じた言語の力をそのまま読者の頭に移植してしまう。いわば「翻訳」を許さない言語的方法なのだと思います。 詩には、しかし、よく知られた欠点がある。 詩的回路を書き手と読み手のあいだにつなぐのに、両方にたいへんな「訓練」が必要なことです。 わしらの国では多少でもカシコイとみなされたガキどもには、言葉の歴史を逆にたどっていって、最後はホメロスやなんかにまで連れ戻して、そもそも自分たちの「感情」がどこからやってきたか説明するためのクラスを受けさせられる。 これを「言語の主人になるためのクラス」だとかゆーな。 わしはサンスーにしか興味がないクソガキだったので、このクラスは眠くて眠くてたまらんクラスであったが、いま思うともうちょっとマジメにクソ教師のいうことを聞いておけばよかった。 そうすれば、もう少し「言語」というものに習熟できたかもしれません。 訓練は、そーゆー歴史的な知識から始まって、「観念の閾値を高める」ことに至る。 観念の絶壁をよじのぼっていって、その頂きに到達してやっと詩人たちが呼ぶ声が聞こえるのです。 たまらんよな。 めんどくさくて。 そんなことやってられるかよ。 わたしはいそがしーんです。 明日までに片付けないとならん書類があるし、 … Continue reading

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クリスマス・ホリデイ

中国人の若い女たちがクルマの窓を開けて痰を吐いている。 マオリの女たちが、それを睨んでいる。 中国人の女のひとりが顔をあげるとマオリの女の子が指を立てた。 クリスマスは一年中でいちばん喧嘩が多いシーズンです。 家庭内暴力も25日にピークになる。 招待する親戚を選んでプレゼントを選んで、という神経を使う選択の積み重ねがそうさせるのでしょう。 みな神経を苛立たせて、刺々しくなる。 昼ご飯を食べに寄ったカイクーラのレストランで日本人のカップルが昼食を摂っておる。 カイクーラは「鯨の町」です。 鯨を「自分たちの友人」と感じるニュージーランド人のなかでも、とりわけ、カイクーラ人たちは鯨をほとんど兄弟か親類のように感じておる。 モニとわっしはテーブルについてしばらくしてから、ずっと、この日本人カップルを睨みつけている若い男の4人組に気が付いておった。 「おい、あいつら日本人だぜ」とゆっておる。 「どうして鯨殺しのやつらが、この町にいるのかな」 どうやら日本人のカップルは英語がわからないらしい。 ハネムーンでもあるのでしょう。 どんどん険悪になってゆく隣のテーブルの4人に気が付きもせずに、談笑しています。 だんだん声を上げて日本人を罵っていたかと思ったら、とうとうひとりが立ち上がってカップルのテーブルを手のひらで叩いて罵りはじめてしもうた。 あたりまえだがふたりの日本人は恐怖に怯えた表情です。 あにゃあ、なんとかゆわんと仕方がない、とわっしが考えだしたところで、モニのよく通る声が「メリー・クリスマス」とゆった。 モニが、見つめられると誰でも逃げ出したくなる怒ったときの怖い眼で4人組を見据えながら、もう一回「メリー・クリスマス」という。 それはとてもよい考えだと気が付いたので、わっしも一緒になって4人組に「メリー・クリスマス」といいます。 反対側に座っていた中年夫婦の奥さんも大きい声で4人組に向かって「メリー・クリスマス」とゆった。 「でも鯨たちは…」となおもいいかけるひとりの腕をつかんで4人は連れだって出ていった。 オークランドに帰ってきました。 わっしは、この出来が悪くて汚ならしいマヌケな建物ばかりの街に6週間ほどいるであろう。 わっしは、いろいろな人種といろいろな文化集団が混ざり合って住んでいて、お互いに喧嘩ばかりしているこの街が好きだからです。 モニもわしも珍しく早く起きたのでタウポから大雨のなかをクルマを飛ばして帰ってきた。 ハイウェイワンを通らずにワイカトのオールドタウポロードを通って帰りました。 驟雨の中でも歴然と美しいワイカトの農場にモニが目を瞠っておる。 (ハミルトンでサブウエイサンドイッチの朝ご飯を食べた) (駐車場のクルマに戻ると酔ったマオリのおっさんがボンネットにもたれかかっていて、「おれに近寄るな」という。「でも、これわしのくるまなんだよ」と言うと、哲学者のように、うなずきながら立ち去って行った) 午後にならないうちにオークランド市内に着いた。 「高級」レストランやパブがなんの脈絡もなく立ち並んで「繁栄する廃墟」のような大通りをのぼって道を折れてモニとわしの家のある通りにはいると、突然静かになります。並木道の両側で静まりかえる城塞のような家々。 まるで世の中の醜さという醜さを頑なに拒絶しているかのようである。 顔見知りの近所のおっさんがヘッジを刈っていたので、わっしはクルマを寄せて挨拶する。 「やあ、ガメ。元気かね。 きみがいないあいだに月が直径16センチも大きくなったのをきみは知っておったか? 氷山たちがわれわれの国に向かってやってくるそうだ。 街には中国人が増えた。 日本人たちが今年も鯨を殺しにわれわれの海にやってきた。 … Continue reading

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Merry Christmas!

Hope you had a good year this year. Let’s wish that this coming year is a peaceful and happy one. Be kind to yourself in 2010. A very Merry Christmas to you all!

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女だてらに

妹は、美人である。 実の兄弟がそんなことゆーか、ふつー、ときみは言うであろう。 言うのよ。 だって、ほんとうに美人だからな。 もちろん英語やなんかでは妹が読めてしまうので、こんな恐ろしいことは書かないが、 妹は欧州語には堪能であって、わっしのスペイン語のハチオンとかを腹を抱えて笑う、というとんでもないやつだが、日本語は「どうも」と「こんにちわ」と「バカ」くらいしかしらん。最後の単語は、妹が失礼な目にあったときのために、わしが教えてしんぜた。 だから、ヘーキで書いちゃうのね。 妹は、とっても美人なんです。 具体的な描写は控えるが。 むかしから男ガキどもには吾が妹に恋い焦がれる、という無益で殺生な感情に身を焼く者が多かった。お手紙を書いたり、電話してみたり、言い寄ってみたり。 ベンキョーも出来なくなって、スポーツをしなくなって、そのうちにものもようゆわんようになって、食べ物も喉を通らず、長いすにデカイ身体を縮めて頭を抱えていたりする。 「恋の病」という奴であるな。 あれはたいへん生産性が下がるよーだ。 死屍累々であったな。気の毒に。 わしに助け舟を求める根性のない奴もいくらもおった。 どうすればいいか、教えてください、という。 わっしは、そーゆーとき、おもむろに、「汝の右手になぐさめを求めよ」とゆうのを常とした。 ときどきは左手さんと浮気をしても神様はきっと許してくださるであろう。 神の御心は深く広いからな。 ただし、お右手さんにお願いするおり(あるいは日陰者の左手さん相手の場合であっても)に妹を思い浮かべたら殺す、と重々しく付け加えるのを常としておった。 兄として、とーぜんです。 妹という奴は、変態なので、男よりもムシさん、とか、ドーブツ、とか、 カガク、みたいなものが好きなもののよーであった。 夏の午後、よく裏庭のハンモックに横になって図鑑にみいっていた妹をなつかしく思い出す。 わっしがいつか、そーゆーことでは正常ではないであろう、と思って、親切にコロンボ通りの古本屋で買ってきた「プレイガール」という、ぱっと開けると金髪の逞しいにーちゃんがチ○チンを水にぷかぷかさせている、っちゅうような見開きのある雑誌をあげたら平手打ちをくらいました。 わっしは18歳だったがの。 生まれて初めて女の子の平手打ち、という必殺兵器を経験したのであった。 いてーんだよ、あれ。 テレビとかで見て想像するより、ずっと痛いんです。 それからは、妹に干渉するのはやめました。 なにしろ、まる一日、ほっぺに手形がついておったからな。 なんの話をしようとしてたんだっけ? 中庭に昼飯のサンドイッチを食べに行っていたら忘れちった。 おおそうだ、女のひとびと、ということについて話をしようとしていたのであった。 世界でいちばん最悪の選択はニュージーランド人の女と結婚することである、という。 ジョーダンで言うんだけどね。 ニュージーランドは女のひとがつおいんでユーメイなんです。 マジで強い。 会社とかに行くでしょう? えらいひとは、たいてい女ですから。 … Continue reading

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女だてらに

妹は、美人である。 実の兄弟がそんなことゆーか、ふつー、ときみは言うであろう。 言うのよ。 だって、ほんとうに美人だからな。 もちろん英語やなんかでは妹が読めてしまうので、こんな恐ろしいことは書かないが、 妹は欧州語には堪能であって、わっしのスペイン語のハチオンとかを腹を抱えて笑う、というとんでもないやつだが、日本語は「どうも」と「こんにちわ」と「バカ」くらいしかしらん。最後の単語は、妹が失礼な目にあったときのために、わしが教えてしんぜた。 だから、ヘーキで書いちゃうのね。 妹は、とっても美人なんです。 具体的な描写は控えるが。 むかしから男ガキどもには吾が妹に恋い焦がれる、という無益で殺生な感情に身を焼く者が多かった。お手紙を書いたり、電話してみたり、言い寄ってみたり。 ベンキョーも出来なくなって、スポーツをしなくなって、そのうちにものもようゆわんようになって、食べ物も喉を通らず、長いすにデカイ身体を縮めて頭を抱えていたりする。 「恋の病」という奴であるな。 あれはたいへん生産性が下がるよーだ。 死屍累々であったな。気の毒に。 わしに助け舟を求める根性のない奴もいくらもおった。 どうすればいいか、教えてください、という。 わっしは、そーゆーとき、おもむろに、「汝の右手になぐさめを求めよ」とゆうのを常とした。 ときどきは左手さんと浮気をしても神様はきっと許してくださるであろう。 神の御心は深く広いからな。 ただし、お右手さんにお願いするおり(あるいは日陰者の左手さん相手の場合であっても)に妹を思い浮かべたら殺す、と重々しく付け加えるのを常としておった。 兄として、とーぜんです。 妹という奴は、変態なので、男よりもムシさん、とか、ドーブツ、とか、 カガク、みたいなものが好きなもののよーであった。 夏の午後、よく裏庭のハンモックに横になって図鑑にみいっていた妹をなつかしく思い出す。 わっしがいつか、そーゆーことでは正常ではないであろう、と思って、親切にコロンボ通りの古本屋で買ってきた「プレイガール」という、ぱっと開けると金髪の逞しいにーちゃんがチ○チンを水にぷかぷかさせている、っちゅうような見開きのある雑誌をあげたら平手打ちをくらいました。 わっしは18歳だったがの。 生まれて初めて女の子の平手打ち、という必殺兵器を経験したのであった。 いてーんだよ、あれ。 テレビとかで見て想像するより、ずっと痛いんです。 それからは、妹に干渉するのはやめました。 なにしろ、まる一日、ほっぺに手形がついておったからな。 なんの話をしようとしてたんだっけ? 中庭に昼飯のサンドイッチを食べに行っていたら忘れちった。 おおそうだ、女のひとびと、ということについて話をしようとしていたのであった。 世界でいちばん最悪の選択はニュージーランド人の女と結婚することである、という。 ジョーダンで言うんだけどね。 ニュージーランドは女のひとがつおいんでユーメイなんです。 マジで強い。 会社とかに行くでしょう? えらいひとは、たいてい女ですから。 … Continue reading

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ご返信なんだぞ

12月22日分どす。 jackorangutanさん、 >サイゼリヤではフォッカチオと呼ばれる。 あっ、わし「サイゼリヤ」、行ったことあるな。江ノ島の奴。 あそこはむかしむかしわしがガキンチョであった頃には「スエヒロ」だったのよね。 16年、も前のことになるのか、うーむ。 その年はいまはもうなくなったロンドン->成田->ホノルル->オークランドっちゅう訳のわかんねえ路線のエアニュージーランド便に乗っかって家族で移動したのでした。 なんちゅうアホな一家じゃ。 >fireが私にはファイエルに聞こえたので教科書にフリガナをつけたらファイアーだと訂正された ファヤファイエルファイヤー。うーん。どれもfireに聞こえねーだな。 わっしは英語をわざとスペイン語読みにしてみんなにとっても嫌がられます。 houseはオウゼ、cupはクプ、だからな。 英語の綴りがいかにヘンタイかわかりますのい。 しかし、なんかいもしつこく言うので、このあいだboseのスピーカーを「ボセ」とゆっておったな。布教の勝利、だと思いました。 kochasaengさん、 >「スクワッシ」 スクワッシって、なんかウルトラマンみたいだな。カタカナ、わかんねーだよ全然。 漢字はオモロイからおぼえて満足感、というものがあるがカタカナはねーしな。 サッカー、とか、論外であるとして、レモン・スカッシュ、っちゆわれても、レモンがどうなったか見当がつかねえだ。 カタカナ大嫌い。 メールの返事ちょびちょび書いてたら、また最後に「返事はいりません」っち書いてあった。一生懸命書いたんだから、「いらない」っちゆわれても出すから、覚悟してまっておれ。っちゅうか、待っててくらはい。 bublikiさん、 >この人のアフォリズムがバイブルなの。 筆は一本、箸は二本、衆寡敵せずと知るべし、 のひとだのい。樋口一葉との交情が泣かせます。 やさしい奴だったんだろうか。 緑雨、ヘンな奴だな。 じゅん爺、 >爺は天保老人ならぬ昭和老人となって、老残の日々を過ごすのじゃ 老残の日々、なんちてはいかんだろ。わしの大叔父は76歳(多分)だが、ますますケーハクになって、毎年とんでもねえーアブナイところへ旅行へ行きます。 「トシヨリにはこわいものはない」という。 あそこまでいってしまうのは問題だが、けっこう、楽しいみたいよ。 気の持ちよう、だろ、きっと。 じゅん爺がさびしいことをいうから暗い記事を書いてしまったではないか。 12月23日分は、ここからだす。 tarolyさん、 >理屈じゃなく生理的に嫌なものが残りました。 英語でも「生理的」に嫌、というひとが多いが、それはひょっとすると、中国だけが根本的に独自な文明をもっていることの証拠かもしれませんのい。 オモロイひとたちですじゃ。 わっしは、自分が登場するのに自分で拍手しながら、にこやかに笑ってクビを左右に振る、っちゅうのをマネして、よく友達にいやがられます。 … Continue reading

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日本人たちの戦い

朝5時に起きて冷たい台所の床の上に立って奥さんのためにコーヒーを淹れるじゅん爺は、まだ暗い外を見て考えている。 「また嵐がきそうだ。 このあいだ嵐が来たときは、おれはまだ若くて元気でなんとか女房を抱えてあの濁流を泳ぎきったが、今度は、そうはいかねーな。 おれは年をとって老けてきた。 桃をくってみようか。 後ろで髪を分けようか いくら健康に気をつけても、嵐のなかでテントを張る体力が、おれにはまだあるだろうか」 バンコクに戻る飛行機のなかでkochasaengさんは思い出している。 あの疲れた日本は、いつかは復活するかな。 蟻地獄のような国。 プライドの砂に足をとられて、もう胸まで砂に埋まってしまった。 今度は特に様子が違ったな。 なにかが決定的に変わってしまったような。 あれは、いったい何だろう? ….なんちて。 でも、日本人にもわかってきてしまった。 東へ行くか西へ行くかの決断は引き延ばせても、夕日が地平に消えて行く時刻を遅らせることは出来やしない。 船が沈めば、助かる方法は海に飛び込んで自分の手と足を動かして泳ぐ以外にはないのです。 水が胸にまでしかきていなかったときには、まだ、強がりも言えた。 なあに、ちょっと身体が冷えただけさ。この洪水もいつかは終わる。 でも、いま、水かさは少しづつ増して、きみは天井を必死ににらんで、あごをせいいっぱいにあげて水を飲み込むまいとする。 水がひっきりなしに喉をむせさせる口を無理にひらいて 「そんなバカな」とつぶやいてみる。 英語世界の雑誌は、とうのむかしに日本の不振の話をするのをやめてしまった。 信じがたいことに日本人には社会構造を変革する意志がないことがわかってきたからです。 いつになったら上がるのか、と待っていた幕は結局あがることがなかった。 いま経済の世界で英語人たちが模索しているのは「日本がいなくなった後の世界」の形でしょう。 これ以上、日本の不振に引きずられているわけにはいかない。 万全に見えたチャイメリカ・リーグですら怪しくなっているのに、この上、日本という地盤が崩れた山崩れの下に立っていては大変なことになる。 第一、日本はなんだかそわそわしていて挙動が不審ではないか。 あれは中国に色目を使っているのか? 案の定、日本はアメリカを窓口にした「西洋組合」からいま決定的に離れつつある。 「八紘一宇」という大アジア主義の矮小化から80年を経て、ついに日本は脱亜入欧の国策を捨てて「東アジア同盟」に吸収されつつある。 それが日本にとっていいことなのか悪いこなのかは、わっしにはわかりません。 わかるのは、いま第一ページがめくられた変化は、日本にとってはおおきな変化への一歩である、ということです。 「脱亜入欧」や「大アジア主義」は日本近代のはかない夢にしか過ぎないが、両手をいっぱいに広げて倒れかかる壁を必死に抑えていたかでもあるような、日本の大陸からの圧力に抵抗してきた歴史の放棄は実に大化の改新以来の大方向転換です。 前にここにやってきて、いかにも日本人らしい「カシコサ」全開の間抜けなコメントを残していったアルバトロスさんが聞けば、何を大げさな、何も本質的には変わっちゃいない、いまはほんのちょっと調子が悪いが日本は日本の道を粛々と行っているだけだ、 ジャパン・アス・ナンバー・ワン、知らないの? 日本人が自分で言っているんじゃないんだぜ。 ガイジンが書いた本です。 というだろうが、 … Continue reading

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外骨格社会

歴史を通して日本人には不思議な特徴がある。 自分たちの社会の問題を発見して、それが確かに存在する、と認めるまでのプロセスが異様に長い、のよね。 たとえば、ちょっとづつちょっとづつインチキな利権をみなでこそこそと積み立ててきた結果、そのオーバーヘッドが莫大なものになって一台あたり40万円の見えないコストになっちった自動車会社があるとする。 役員の給料は一見やすくて穏当を極めたものだが、しかし、仔細に見ると役員の社宅は豪壮な億ションが家賃6万円である。運転手付きのクルマで通っていて、地下の駐車場は都心であるにも関わらずタダで供されている。あまつさえ、ひでーやつになると、鎌倉の家から横須賀線のグリーン車で通勤するのに東京からクルマを来させて、始発の逗子まで運転させ逗子から東京までまたクルマで帰らせる。 自分は逗子からグリーン車に座って行ったほうが楽だからです。 銀座の高級バーに通い詰めて、そんなに美貌ではないか愛くるしい顔をして頭の回転がびっくりするほど速いママと最終ハメハメ波光線な夜に至るために毎日飲み代を使って栄光のベッドめざして毎晩十万二十万と散財する。 全部、会社のカネです。 下品な大望が成就したあとに、この役員おっさんは、「いやあー、あの女はしぶとかった。けっきょく、一発3000万円についたぜ、きみ」とゆって、がっはっは、と笑った、という。 監視する側のはずの組合も、組合の元締めがいつのまにか会社のカネで外洋の波をものともせずに渡れるヨットを手に入れていたりする。 株主が調べてみると、デタラメを極めていて、「社員健康施設」は実は役員用のテニスコートであるし、「新事業視察」は東南アジア某国への高級売春施設を借り切ったセックスツアーであった。 こうなってくると、いやさかに栄華を極めた大会社も傾いてきます。 人員を削減しようとしたら人員を削減するために人事部が肥大してしまった。 部署の数は減ったが、よく社員の数を数えてみると部署の数が多いときよりもどさくさまぎれにだいぶん増えていた。 大きな組織、というものはそーゆーものなので、改革を期待されて就任した社長も、 どーしてもダメならおれの手で会社をぶっつぶす、とかゆってみるものの、株主には大受けでも、ほんとーは、なにがどうなってんだか、よくわからないもののようであった。 こーゆーとき、社内の「改革会議」では、どーゆーことが話しあわれているかというと、 「トヨタに較べると、治具の発注が杜撰で査定があまい」と社外取締役が指摘すると、 我が社はトヨタのような下品な会社とは違う、我が社には我が社のやりかたがある、会社の伝統を壊さないやりかたで、我々も懸命にがんばっているのだ、という。 「あんたに現場の苦労がわかってたまるか!」 とカンドー的な演説をぶつ生産担当役員。 なにしろ昨日はついに一発3000万円だったので、元気百倍、声涙ともにくだる大演説です。 退職者の年金を減額するしかないのではないか、というと、額に汗水垂らして、全人生を当社に捧げた従業員の尊い生活を、あんたはいったいなんだと思っておるのか、と激昂してみせる。 ライバル会社に技術情報を漏洩して見返りをとっていた第三組合さえ、「みんなが悪い、というわけではない。なかには良いひともいるんです。追究はほどほどにしてください」という。 何度、どれだけ会議を繰り返しても問題が出てこないので、しまいには改革担当の役員と株主は根負けしてしまう。 問題は、はじめから存在しなかった。 糊塗し、誤魔化し、先送りしているうちにカネだけがどんどんどんどんなくなってゆく。 銀行から借りた金も再生産にまわるどころか借金の返済にまわされるだけである。 そして、ついに先送りできない日がやってきた。 ドアの脇に見慣れない秘書、誰だっけこいつ? ああ、IMFとかいう新しいファンドが送ってきた若い社員だったな。 で、なんの用なの? 「シャチョー、トーサンです あなたがわたしのおとーさん、なわけではありません トーサンだ トーサンはコーサンと、どーちがうか これは たいへん 興味ぶかい問題ですが いまは ダメです 考えているヒマはない 明日から みんなで中国語を勉強するよーに」 おもしろがって長々と書いてしまったが、だいたいこんなふーだべなあーと世界のひとびとが想像する日本の様子は上記の会社物語のようなものでしょう。 … Continue reading

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敬語と議論

お名残惜しゅうございますが、わたくしはこれで失礼いたします。 というのはむかしの山の手の言葉では普通の別れの挨拶です。 かーちゃんシスターの日本人夫(にほんにんぷ、でなくてにほんじんおっと、だす)、「わたしのシュージン」(かーちゃんシスターは日本語で「私の主人」というときには、そう発音する。実情が発音に反映されているもののよーだ)である義理叔父は山の手のひとなので、義理叔父の親戚、というようなひとは70代以上のひとはやはりそうゆって挨拶する。 前にブログ記事に書いたことがありますが、義理叔父はむかしひさしぶりに日本に戻ってきて横須賀線のなかで自分の子供の頃に耳慣れた、この挨拶を聞いた途端に我にも非ず泣いたそーだ。 「発音もな、全然、違うんだよ、いまの日本語とは」という。 義理叔父の母親、わしが「鎌倉ばーちゃん」と呼ぶひとも、たいへん美しい日本語を使う。ときどきわけのわかんねー語彙が出て来て、わっしは「へっ?」とかちて笑われるけどな。「およりになる」とか、そんなの意味わかんねーよ。 わしの日本語教科書には載ってねーぞ。 「歩く」っちゅう意味なんだよな、あれ。 天皇を「オカミ」というひとたちとか、義理叔父の周りの人間はやたらと難しい敬語を使う。 はげはげさんのコメントにも書いたが、英語はもともと敬語がたいへん発達した言語です。連合王国では「言い方そのもの」が状況によって固定されておる。 アジア人の子どもで東京で両方の親とも普通の日本人だが学校はインターナショナルスクールに通った、とか、中国人家族やなんかで初代の移民の子である、とかっちゅうと、 先生に向かって「よお、元気? 今日もバッチシ行こうぜ!なっ?」なんちて、ゆっておって、 朝から他のクラスメートをやたら愉快な気分にさせる、ということがよくあるが、ほんとーは、ああいうすさまじいもののゆいかたは学校ではしちゃいけないのね。 連合王国とかだと、初対面のひとに会えば、はじめの30秒くらいでシャカシャカと人間打算機を稼働させて自分がどのような挙動に出るかを素早く決定できないと生きてゆかれぬであろう。店、とかでも同じです。 店員、とゆってもある種の骨董品店、とかゆくとジョーリューカイキューのねーちゃん、とかがふつーに働いているので、ぞんざいな口を利く外国人観光客、とかが「あんた、ちょっと、これいくらだい?」っちゅうようなことをゆっておると、傍らで手にマイセンのフィギュアリンとかを手に取っているわっしは笑いをこらえるのに必死で一個400万円はかるくこえるフィギュアリンを取り落として床で割ってしまいそうになる、という危険なことになります。 最近、実際、これはロンドンにいるときの楽しみなのね。 そーゆー観光客、とかが去ったあとで、必死に平静をよそおってはいるがしかしまだ顔を紅潮させているジョーリューねーちゃんに「おい、ねーちゃん、このガラスん玉、いくらよ?」とかふざけてゆってやると、 「ガメ、もういっかい言ったら殺すぞ」とゆってプンプンしておる。 ははは、楽しいのい。 閑話休題。 敬語、というのは日本では形骸化しているよーだ。 「へりくだり語」が異様な形で肥大して、関係の微妙な機微を示すような精密な敬語の部分は使われなくなっている。 鼻濁音をはじめとした日本語の発音の粗野化と同時に、ここ50年くらいの日本語の大きな変化に数えられそうです。 日本に住んでいるときの観察では、日本のひと同士、ものすごく話しにくそーである。 特に年齢に由来する敬語は、どーも、あんまり機能していない、どころか、邪魔なだけ、に見えるな。 わっしは、日本の掲示板やブログが匿名ベースで発達を遂げたのは、要するに「敬語をつかわなくていいいから」という面があると思います。 インターネット上でのみ、日本人は「敬語」から解放された世界を生きることができる。 15歳の女の子と73歳のおっちゃんがフラットな言語で侃侃諤諤論議することが出来る。 逆に、品性が劣る人間のほうは実際の世界でやってみたくてしかたがない言語的に横柄な態度に出る、という現実では果たせなかった夢をネット上ではたそうとする。 バカ用バカのひとつおぼえ表現セットのひとつ「上から目線」というようなのは、そーゆーことなのでしょう。 ところで、ニュージーランドや合衆国のような英語世界の新興国では、15歳の女の子と73歳のじっちゃんは、ふつーに激論を交わすことができる。 「議論用敬語セット」はたとえば「儀典用敬語セット」より遙かに簡素に出来ていて、発語しやすいからです。 今度は角度を変えていうと、英語は敬語が発達した言語ではあるものの、なにかゆおうと思ったときに、それをそのまま言えばいいように出来ている。 「相手の言うことを聞く->相手を観察する-> 相手と自分との社会的関係を考える->相手が何を考えているか察する->相手の感情ないし情緒的要求に即しながら言葉を選んで話をする」という日本語の発語のプロセスに較べると、「相手の言うことを聞く->反応して自分が考えたことを言う」というプロセスだけであって、ものを言うのが楽、なのだな。 テーブルの少し離れたところにある塩をとってもらう、っちゅうようなときには、非常に叮嚀な言い方をすべきだが、議論するときには、そういう儀礼はどんどん省いてよいことになっている。 「思考の交換の部分には敬語システムがない」と言い換えてもいいかもしれません。 失礼なことをゆーなあー、と思うだろうが、わっしは日本にいて、日本人の議論の下手さ加減にカンドーしてしまった。 世界でいちばん議論がヘタなのではなかろーか。 自分とは違う意見にでくわすと、あっというまに感情的になって、極めていやらしい陰険な言い回しやねちねちとして他人をやりきれない気分にさせる類の相手をただ傷つけるためだけの言葉の使い方になる。どーも議論に使うエネルギーの何十倍も、そういうことに使うエネルギーが多いようだ。 … Continue reading

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移民ちから

とりちゃん> ただいも。 うぷっ、おかしーだ。 午後はずっとこれを練習してただよ。 わからないひとは「あんとに庵」に詣でてくるよーに。 っちゅうか、antonianさんというわしがずっと与論島の火葬場の職員のおっちゃんだと信じていたひとの ブログのコメント欄を見ていたら、この「とりちゃん」というひとが「お帰りなさい」(antonianさんはイタリアに火葬の研修に行っていたのです)というのに、 そう返事をしていたのがおかしかっただけなんですけどね。 ただいも、って口をすぼめてゆわないとダメだよな。 モニちゃん> ただいも。 かーちゃん、ただいも。 きゃははは。オモロイだな、これ。 あー、苦しい。 息ができん。 全然わけのわからんことをゆってひとりで喜んでいて失礼しました。 ガメです。 前回までのあらすじを述べると、 わっしはクライストチャーチという村が巨大化したような訳のわからん町におる。 なぜかというとここに実家があるからですのい。 前から読んでいる人は知っているが、実家とはいうものの実家が季節によって移動したりするのでなかなか複雑を極めておるがわしはクリスマスには必ずここに帰ってくるのね。 今年はあちこちの日本語サイトにクライストチャーチが「レイシストのスクツ」とか書いてあってびびったが、どーもほんとうではないよーだ。 アジアのひとはすげー増えたが、別に誰も困っておらん。 むかし「アジア人が増えて日本人の洪水になって国を乗っ取られる」とゆって大騒ぎしたウインストン・ピータースは失脚・引退して、いなくなった。 オーストラリアで人種の話そのものをタブーにしてしまったポーリン・ハンソンと同じ宿命をたどった。 ラッキーじゃん、と思います。 アジアのひとにとって、ではない。 ニュージーランド人にとってラッキーなのです。 人種差別はカッコワルイからな。 肌の色で人間を差別するのは、胸や尻のおおきさで女のひとを差別するのと同じくらいくだらん。わしは結婚するまで差別したことないぞ。 小さくても、大きくても、区別せずに…. …..ちょっと話がそれてしまったようだ。 景気は悪いがニュージーランド人の表情が明るいのは、わっしの見るところ移民社会が機能しだして「移民たちが生活をよりよくしようとする力」が社会全体に活気を与えているからのよーである。 たとえばわっしは昨日、タイ人のにーちゃんと話をしたが、このにーちゃんはすげー元気であった。疲れをしらぬひとです。 こーするためにはどーすればよいのか、ニュージーランドで、こういうことをやるためにはどんなステップが必要ですか、から始まって、町でいちばんおいしいタイ料理屋はタイ・スマイルだと思う。オーセンティックですよお。 タイはもちろん世界でいちばん良い国ですよ。 教育制度が嫌いなのでここへ来たが、いい国という点では世界一です。 ニュージーランドもいい国だと思うが、タイがなんとゆってもいちばんです。 きっと遊びに来るとえーだ。 ……そうやって、機関銃のように話してあっというまに二時間経ってしまう。 … Continue reading

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カンパニー

週末、みなで馬に乗りに行った「南部農場」でBに会った。 Bはタウロンガに住んでいる。わっしの家の「一家の友達」です。 ニュージーランドではウエリントンにほんとうの家があるが、最近はタウロンガのほうが気に入っているようだ。 かーちゃんや妹と馬に乗りに行く時には、自分のプロペラ鈍足ヒコーキをぷるぷるぷるぶーん、と飛ばして北からやってくる。 Bは、愉快なひとです。 短く刈った髪が女のわりに隆々とした筋肉がついている身体によく合っている。 モニやわしの一家が着いたときにはもうコテージの部屋の仕度まで調えていて、わしらを出迎えてくれました。 どっちが客だか全然わからん(^^) くるまよせにやってくると、「ハーイ!」という。 肩に手をまわして「日本はどうだった、ガメ?」と訊きます。 Bは自分でも日本の「サムライ文化」と「鍼灸」が好きだが、ひとり息子が日本の大ファンなのである。アニメのキャラクタや新幹線、シャープの両方から開くドア、みーんな好きで、 なにか日本のニュースがあると、 「日本人って、すげー頭がえーんでない?」とふざけたような 口調でいうのが癖である。 馬の遠乗りが終わってから、わしらは、母屋でラムやなんかのご馳走でワインを飲んだ。 Bが日本の話しを聞きたくてしようがないので、モニとわっしとでかわるがわる日本の印象を話しました。 モニは日本の「暗い色の森」や「美しい田んぼ」、「雪に蔽われた森の美しさ」が印象に残ったようだ。 相倉や菅原の合掌造り、富山の散歩道、長野の森のなかをつづく道、そーゆーものが素晴らしかったことを眼を輝かせて話しておった。 わっしのほうは、どーしてそーなったのかわからんが、ブログを通して出会った portulacaさんやantonianさん、kochasaengさん、じゅん爺やそーゆーいろいろなひとたちの話をした。 いつもは日本のことが話題に上るのはかーちゃんシスターと義理叔父がいるときだけなので、ちょっと新鮮な感じがしました。 Bも、かーちゃんやモニや妹と同じで「他の国のことは、よーわからん」というスタンスの点では同じだが、興味があるのでいろいろ質問します。 曾野綾子の話になったときには、みなぶっくらこいてしまいましたが、でもまあ、そーうーこともあるか、という感じでした。 ニュージーランドでは(わしはあたりまえだと思うが)売春婦が強姦被害にあっても、誰も売春婦の側に落ち度があったのではないか、というひとはいない。 ニュージーランドでは売春は非合法だが刑罰は撤廃されておる。 刑罰があると、売春婦がたとえばマフィアに強姦被害や暴行にあったときに泣き寝入りせざるを得ないからです。 売春婦が商売に使っていた部屋で強姦されたケースがあって、そのときに女性人権擁護団体の女の議員たちが売春の「非犯罪化」を法案として成立させた。 わっしは、それを後で知って、とてもよいことだと思った。 少しニュージーランドパスポートを誇らしく思いました。 クライストチャーチでもマンチェスター通りのようなところでは売春婦たちが屯しているが、その脇を警官たちが歩いてゆきます。 売春を取り締まりに来たのではない。売春婦を襲ったり食い物にする人間を警戒しているのです。 わっしは、こーゆーことの背景には、ニュージーランド人特有の強い「仲間意識」があると思う。 まずはじめにはもともとが連合王国人の見えない伝統である「男と女は仲間同士じゃん」という考えがある。違っているが仲間というか友人であって、互いに助けあわねばならん、と言う気持ちが強くある。大陸欧州人やアメリカ人の「レディファースト」などとは根本から違う思想があるのです。 ロシア人たちなどはそれを「イギリス人の男が弱い証拠」だとゆって笑ったりしますが、ま、ほんとーにそーなのかもしれないからしょうがない。 とにかく、わしらは、なんでもパートナーに相談する。 そこが連合王国人やニュージーランド人のバカっぽいところでしょうが、たとえば自分の秘書のねーちゃんを押し倒しちって秘書に「奥さんと別れないと仕事で支障があらうようにしてやる」とゆわれたとすると、まっさきにこの男が相談にゆくのは奥さんであると思われる。 奥さんだけが(結局離婚にしたいと思ったとしても)、たいていの場合、最も助けてくれる「仲間」としてそばにいてくれるであろうからです。 そーゆー文化的な下地があるところにもってきてニュージーランドはちっこい国なので、強烈なばかりの「仲間意識」が完成した。 売春婦も、やはり同じニュージーランド人であって、同族である、という意識がある。 わしにも(ブログ記事にも書いたが)売春を業とする友達がありますが、ふだん昼飯を一緒に食べていたりしても、わしがこの友人の客である、とか、一緒に商売をしているのではないか、とか考える友人はおらん。 … Continue reading

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新しい国の、夏の夜

いえーい。 昨日からマジな夏になったので、わっしはとっても機嫌がえーだ。 クライストチャーチの周りにいくつかある庭園やヴィンヤードをレストランにしたレストランでリブアイステーキ、なんちゃっておるだでや。 ラムランプもあるのい。 最も日本と異なるのはそのあとにデザートの巨塊がある。 フローズンチョコレートパフェとブラウニーとストロベリ。 Maury(赤ポルトだの)と一緒です。 いえーい。 昼はホーンビーのわしの大好きな店に行ってステーキパイを食べた。 腹が減るとときどきかーちゃんのパントリを開けてパンをぎってきてトーストに焼いてベジマイトを塗っつけて食べるだよ。 クリスマスケーキもあるしな。 マカロンもあるでよ。 いえーい。 日本のひとも同じだろーが、故郷はえーだ。 リブアイステーキやフローズンチョコレートパフェを食べた後に駐車場へ歩いて戻ると、でっかい夜空に星が瞬いておる。 酔っ払ったおばちゃんが「なあーんて素敵な星空でしょう。この何百万という数の輝く星!」とデカイ声でうっとりしておる。 ほんとうは夜空の星って全部あわせても5000くらいしか、ねーんだけどな。 もうすぐクリスマスである。 5000と「何百万」との些細な数の違いくらいでガタガタゆってはいかむ。 わしらは今日は「町の家」の近所のおじちゃんとおばちゃんと娘夫婦とでかけた。 かーちゃんや妹ももちろん一緒です。 おじちゃんとおばちゃんは有り体にゆって大金持ちだが、素朴なひとびとである。 娘夫婦はいまはロンドンに住んでいるが、来年クライストチャーチに戻ってくるので家を探しているところです。娘は目医者、旦那は事務弁護士だのい。 旦那は明るい灰色のカッチョイイ眼をしたにーちゃん(わしと多分年齢おんなじくらい)であって、わしとウマがあうよーだ。 ウシもあうのかも知れないが、こっちはわからん。 日本語の表現に存在しないからな。 メインが片付いてデザートを待っているあいだに近所おばちゃんが今年死んだ近所おじおばの友達の話をした。 どーしてそーゆー話題に行き着いたのか明灰色男とわしはふたりで話して遊んでいたのでわかりません。妹とモニもわからんようであった。 「Jは、とても親切なひとで、わたしは好きだった。 こうやって大人数ででかけても、どうしてもひとりひとり全部のひとと均等に話しをするので、いつまで経っても話題がすすまない。 娘がロンドンで困難に直面したときには、観光旅行のふりをしてわざわざ様子を見に行ってくれるほどでした」 近所おばちゃんは取り止めもなく話してゆくのであったが、近所おじの態度がややヘンである。 ありっ、おっちゃん顔を赤くなってきたのい、と思ったら、次の瞬間涙で顔がぐじゃぐじゃになります。 サルサヴェルデとかがひっついているナプキンで顔をぬぐうと、「たいへん、失礼」とゆって泣き止もうとするが、なかなか出来ません。 モニとわっしも、なにがなし、もらい泣きしてしまいました。 それだけ、なんだけどね。 空いっぱいの星や、夏の乾いた暖かい風や、フローズンチョコレートパフェ、ポルト、近くを流れている水の音、芝の匂い、テーブルの下を行列してすりぬけていったカモたち、 モニや妹が笑う声、死んだJさんをなつかしむ、近所おばちゃんの静かな話し声、 相槌をうちながら聴いているかーちゃんの柔らかな低い声、ときどき外のテーブルにいるわれわれの元にやってきては「ダイジョーブでしょうか。何も足りないものは、ないですか」と訊きに来る給仕頭、 そーゆー事共が、とてもとてもクライストチャーチであって、わっしは故郷にいるのだなあー、としみじみ考える。 … Continue reading

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転ばぬ先の杖を折る

毎晩毎晩友人たちと会って遅くまで遊んでいるのでわしはだんだんヘロヘロになってきた。モニさんは、結構へーきです。 日本では冬のやまねのように眠っておったのに、クライストチャーチでは俄然元気である。 のみならず、東京ではずっと、すこ-し透き通っているような青ざめた白い磁器のような皮膚の色であったのが、うすい薔薇色がさして別のひとのよーである。 肌の色は、わっしも赤くなったがの。 くびの後ろが赤くなって、妹に「おにーちゃん文字通りレッドネックよねー、だっさーい」とゆってバカにされた。 とっても、くやしいです。 町中が遊んでおる。 当たり前だが、レストランもいまごろは混んでおるの。 モニとわしがクルマで町を走っていると交差点でクルマが止まるたびに前を走っているくるまの後ろ座席のドアがピャッと開く。 高校生の女の子がふたり、ぱっと飛び出して、ひとりがボンネットに仰向けになり、もうひとりはそれに覆い被さって「正常位」で腰を動かします。 前の座席にはやはり高校生の男の子がふたり乗って笑いころげておる。 アホですのい。 鉄道の線路を越えてから、ずっとやっておった。 クルマが止まる。 ドアがぴゃっと開いてきゃあきゃあゆいながらふたりで走って出てくる。 ボンネットで正常位の体位の実演をする。 信号が緑に変わると出て来たときと左右逆のドアにきゃあきゃあゆいながら戻る。 ただこれだけのことを、延々と延々とやっておる。 モニは呆れてましたが、わっしは笑ってしまいました。 このアホっぷりには覚えがあるからな。 前にも書いたがなにしろ高校生の頃は男も女も「やりたいさかり」なので、たいへんであった。 ただもう闇雲に押し倒したり押し倒されたりしておった。 疾風怒濤のアホぶりです。 アホすぎて土曜日の朝ともなればチ○チンが耐用限度を越えて痛くてぶっちんだりしておった。凹側のみなさんも、さぞかし痛かったであろう、と思い出すとどーしてそこまでアホになって探求心の虜になれたのかいっそ不思議である。 あれら凹友達も、いまは下っ端弁護士になったり新米医者になったり奥さんになってガキを増産体制にはいっていたりで、すまして暮らしておるが、仲間であるとはいえ、やはりアホだったのい(^^) ほんまに、しみじみバカだったと思います。 大過なかったのは、ひたすら運が良かっただけである。 ずっと前に書いた記事の「全勝礼賛」 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20091202 のようなのを読み返してみると、 しかしアホばかりの国に育って、つくづくよかった、と思わないわけにはいかない。 ここにいると、日本にはたくさんいる「頭がよい人間」の恐ろしさ、いやらしさというものがなんだか悪夢のなかの怪物たちのように思い出されます。 日本のひとは頭がよすぎる。 よすぎる頭を持てあまして、どうやったら安全に世の中を渡っていけるかばかり考えているようなところがあると思う。 遊びに出かけた町のホテルのちっこい液晶テレビをつけると、子供がいっぱい並んでインタビューを受けている。 なんのこっちゃ、と思って見ていると、そのお子様軍団は中学入試の「戦士」なのだそーであった。 インタビュアの若いおばちゃんが「きみは、将来なんになるの?」と訊くと 「灘中へはいって東京大学の文科一類に行って在学中に司法試験に合格して財務省にはいるのがぼくの夢です」という。 もうひとりのガキは「ぼくは東京大学の理科一類にはいって、グーグルに就職するのが夢です」とゆっておったが、このガキの「夢」にスケジュールされているとしったら、 ラリー・ペイジは泣くであろう。 … Continue reading

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コメントへのご返信ですのい。

kochasaengさん、 >「タイ人と結婚してんだって? おれにもオンナ紹介してよ」 気分が悪くなるような話ですのい。他にはどうゆえばいいかわからん。 日本人を含めて「アジア人」というと「セクシュアリーアベーラブル」だと思うバカがわしの同族にもたくさんいる。 げんなりしますのい。 >「日本に居てニホンゴ喋れないのはシツレーだよな」と真顔で言う。 ははは。でも、そーゆーひとって日本語で話しかけると、わけのわかんねー英語で返事するんです。困ります。 >そのひとは日本大使館で「そういうひとは」って言われて激怒しちゃった。 いろいろな日本のひとから、いろいろなことを聞きますが、日本大使館って、あれ、なんのためにあるんでしょう。不思議な組織ですのい。 わっしは日本大使館のひとと話していて、日本人をバカにしきった態度なので、ぶっくらこいたことがあります。自分の国の国民がバカなのなら、それはそれで現実として仕方がないと思えなくもないが、それを外国人であるわっしにゆってどーすんじゃ、と思う。 まるで日本の評判を悪くするために設置されているような不思議な機関です。 >やっぱりタイ人と結婚すると親戚がワラワラ寄ってきて、カネくれって言うんだよね。 連合王国にいると、「わたし、日本人の男は嫌なので、イギリス人と結婚したいんです」という日本の女のひとがいっぱいいますが、同じことの裏返しですのい。 普通の人間は「kochasaengさん」なら「kochasaengさん」という個人と結婚するわけだが、なかには「イギリス人」や「タイ人」と結婚するひとがいる。 そーすっと、このひとの頭の中ではスティーブ君は「イギリス人ナンバー6」なのだな、と思って、きゃあ、と思うことがあります。 そーゆえば、「わたし、絶対、オージーと結婚するの」とゆっていた女の子が「オージー」の旦那さんと生まれたての出来たてほやほやの赤ちゃんと、 いつか広尾のスーパーで会ったことがあったが、あーなると殆どホラーストーリーである。 モニとふたりで、びびりました。 >たとえウチのヨメが夜の女性だったとしても、そういうことを言うアナタ、アナタのほうが、よっぽど品性下劣です。 そのとおーり、だすのい。 >「ウチはニホンジンではなく、チューザイなのです。のほほほ」 はっきりゆってしまうと、わっしがパーティとかで会ったことのある「チューザイ」は、ことごとくバカであった。物腰は叮嚀ですけどね。 旦那もバカだが、一家ことごとくバカだったな。 いまのところ例外はないよーだ。 だから、 >チューザイというのは国籍だったのか。 というが、ほんとうは精神病の名前なんではないでしょうか。 一種の隔離性のビョーキかもしれません。 >アンタと付き合うようになるまで、ニホンジンってヘンな奴ばっかりだと思ってました。 日本人と結婚してうまくいっているひとでも、自分の旦那以外の日本人は相変わらず大嫌い、っちゅう奥さんたちは多いだすな。 そーゆーわけで旦那が「会社員」とかだったりすると離婚に至る悲しい例がたくさんあるよーだ。 jackorangutanさん、 >私は嘘つきが嫌いだったのか…… 絶対、そーですのい。 不正直なのが落ち着かない、と思っていたのでしょう。 >ボンクラ省という言葉が通じたのにちょっと驚きました 「カメロイド文部省」でもわかるわしですもん、まかせなさい。 はげはげさん、 >動物園産まれのシマウマとサバンナのシマウマとでは、恐らく違う世界を見ているのではないかと思うのですが。 しばらく考えてみたが、わからんちんだすのい。 … Continue reading

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bubliki文明

ねむい。 昨日はワインを飲み過ぎたので眠りが浅かったのではなかろうか。 おまけに食べ過ぎです。 ベニスン(鹿肉)のパイとリブアイステーキとホタテのはいった豆のスープを食べた。 ついでにモニの皿のラムを半分たべちった。 6時間も飲み食いしてたよーだ。 アホだのい。 bublikiさんの「文明度とはなにか?」という面白い質問に答えなければならない。 あんまし、ほうっておくと忘れちゃうからな。 わっしが「タイ人は文明度が高いからなあー」とゆったら、bubliki さんが、 「文明度が高い」っちゅうのは、どーゆーことを言うんだ?という。 「日本人は文明度が他の民族とは違うやりかたで高いようだ」というのも、わからん。 どーゆー意味だ、と訊かれた。 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/comment?date=20091210#c110448558 見れば判りまんがな、と答えようかと思ったが、よく考えてみると見てもわからないので、自分でどーゆーときに「むはっ、このひとたちは文明度が高いのお」と思うか、考えてみることになった。 ちょっと長くなるかもしれないし、短くて「尻切れとんぼ」になるかもしれないし、あるいは、とりとめがなくなるかもしれません。 「文明」の正体はなにか、というと、それはその文明のなかで生きているひとの頭のなかにある「言葉」である、というのは容易にわかります。 ニュージーランドにも秋田犬がたくさんいるが、秋田の秋田犬と文明度がほぼ同じであるのを見ても、そーゆー事情は察せられる。 では「言葉」は大脳の中でなにをしているのかというと、世界を認識して、解釈している。 チェンマイのひとは5メートルくらい先を横切るのに、こちらに向かってお辞儀してゆく。ただの習慣です。 ニュージーランド人はたとえば2メートルより近いところを横切るのに、「わるいね、わりい、わりい」とゆいながら横切る。これも習慣だな。 日本のひとは、やや速度をあげて主観的にはエイトマンになってしゅたっと横切る。 中国の人は体当たりして、ぶつかってもなんもいわんな。 いずれも習慣である。 ニュージーランド人はATMで順番を待つときに1メートルは離れて待ちます。 日本のひとは、どうかすると、20センチくらいのところにたつひとがいる。 わっしは韓国人のおっさんに5センチくらいのところに立たれて、薄気味悪かったので先にATMを使ってもらったことがある。 こーゆーのは、しかし、文明の「違い」であって「文明度」を較べる材料にはなりもはん。中国の人がものを食べるときに骨やなんかをテーブルに「ぷっ」と吐き出すのを見て、ニュージーランド人のおばちゃんは、ひきつけを起こしそうにしているが、あれも「習慣の違い」であって、文明度の高低とはゆえんよな。 少なくとも、わっしはそう思って暮らしています。 いま挙げたようなことはすべて「ニュージーランドで起きた場合」を基準にしている。 つまり、他国に来ている場合でも、ほんとうはニュージーランドでは上の日本のひとや中国のひとは大失礼なのだが、ま、わかんねーんだから、しょーがねーよね、と思っている、ということです。 ドアを開けてあげても「ありがとう」もゆわない日本人の女のひとも相変わらずごちゃまんといるが、「日本人はお礼をゆわない民族である」というのは知れ渡っているので、特に腹も立たん。 しかし、自分の目撃例でいうとガソリンスタンドで支払いをするときにニュージーランド人のにーちゃんが「今日はよい天気であるな」とゆっているのに、まるでにーちゃんがいないかのような態度をとる日本人(多分留学生)がよくいるが、はっきりいうと、こーゆーときには、 「なんちゅう文明度が低いやつらじゃ」と思う人がいるであろう。 にーちゃんは、もう一回こんどは、「観光ですか?」というが、やっぱり、日本人にーちゃんふたりは、無視してます。 ニュージーランドにーちゃんがあきらめて、「26ドルです」というと無言で20ドル札を2枚渡す。もちろん「さんきゅ」なんてゆわねーよな。 ニュージーランド人にーちゃんは、しかし、くさらずに日本人にーちゃんの背中に向かって「さんきゅー」とゆった。 わっしは、自分の番が来たので、「すげーな」と日本人にーちゃんたちのほうを指していうと、「言葉が出来ないからだろ、きっと」とゆって、にーちゃんはニコニコしておる。 で、わっしはニコニコにーちゃんを見ながら、「文明」というものをやはり感じるのです。 … Continue reading

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やまない雨はない

コメント欄で「みりん」さんが「止まない雨はありません。きっと、良くなると思います」とゆっておる。 わっしは、「いいなあ」と思ってニコニコしながらそれを読む。 そのとおーり、なのさ、と思うからです。 連合王国はオオバカタレのサッチャーおばさんが登場するまでは、ほぼ国家として存在できなくなる、とゆわれておった。 サッチャーおばちゃんは大学から役人まで、あるいは組合、年金生活者まで、あまい夢にひたっていた阿片窟の住人どもをシバきまくって「おんどれら甘ったれとるとケツを蹴っ飛ばして北海の底に沈めちゃるぞ」とゆってどやしつけて歩きました。 それでやっと連合王国は正気に返った。 組織、というものを扱ったことがあるひとならみな判るが、組織を変える、というのはたいへんなことなんですのい。 百人の組織でも気が遠くなるくらいたいへんである。 カルロス・ゴーンは日産という巨大組織の体質を変えてしまったが、そーゆーことは滅多にうまくゆかない。 まして一億人をこえる組織を変える、っちゅうようなことがそうそうやれるわけがない。 成員ひとりひとりのほうが自分たちの意志で変わりたい、と熱望してやっと、変われるか変われないか、くらいでしょう。 日本がいちばん最近に大きく変化した、しかも質的に変化したのは1945年のことだった。 国のほうは空からやってきたアメリカ人たちが、あっというまに石器時代に戻しちったが、そのアメリカ人にいっぺんに十万人以上も日本人を効率よく殺すために特別に発明されたナパームで燃やされちったりしても、日本人は「そんなことを蒸し返して文句をゆってる場合ではない」と言い合って突然がむしゃらに働き出した。 「軍人」という考えがええかげんなナマケモノのくせに闇雲に威張りちらす役人集団が、 国土と一緒になくなってしまったからです。 日本人を屠殺した合衆国人への憎しみよりも、合衆国人がついでに殺してくれた軍部というバカ官僚組織がなくなったことのほうが百倍も嬉しかった。 軍隊というのは典型的な「官僚組織」なので自己を縮小するということができなかった。 バカみたいに拡大してゆくだけです。 国力に相応な軍隊の百倍くらいの姿になって、しかももっと拡大しようとした軍隊は結局日本を無意味でさもしい根性の戦争にたたきこんだ。 結果は、もともと無能な集団じゃもの、戦闘に勝つ、なんて全然無理で、ボロ負けに負けて、しかもサイパンを失ってさえ、へりくつにへりくつを積み重ねてムダな戦争を続けた。 1945年の日本人はだから、そーゆーわけで、みんなが一人残らず「変わりたい」と願っておったのだな。 だから、 「雨が止んだ」のでないのです。篠突く雨のなかを、日本人たちは、着の身着のままででかけていったのだ。 もういちど人間になりたかったからでしょう。 自分たちの国、をつくりたかったのに違いない。 当時の日本人は薄汚くやせこけていて、支配者としてやってきた合衆国人たちの雄大な体格とは較べようもなかった。いま数字を見てみると、当時の日本人の成人男子の体格は身長が150センチ内外で体重は40キロ台です。 ついでにゆっておくと、占領軍の側は、たとえばニュージーランド人たちでいうと175センチ内外で80キロ台である。 別に悪気があるわけではないが、たいしてものを考えるわけでもない合衆国や連合王国、オーストラリアやニュージーランド人たちは、当然のように日本の特にちっこくてばっちい男どもを「人間」とは感じなかった。 日本人の男が掃除で部屋をうろうろしていても、女の兵隊とかは、素っ裸で歩き回っていたといいます。 猫がいても恥ずかしがるのにな。 文字通り人間あつかいされなかった日本人たちは、しかし、近代になって初めて軍という「官僚組織」の軛から逃れるチャンスがめぐってきたのを知っていた。 だから、誰でも知っているように、日本はあっというまに変わった。 わっしが日本にいて「そーか、これが日本の『希望』なんだな」と感じたのは20代から30代前半のひとたちであった。 その上の世代とは全然違う人種に見えました。 もちろんアホいのもいるわけだろうが、わっしが会ったひとは、みな「農村五人組」あるいは「2ちゃんねる&ニコニコ動画」的な相互監視・おらが村さがいちばんじゃ、の世界から自由であった。 「自分」という「個人」としてふつーに地面に立っていられるひとたちであった。 みりんさん。 わっしは、いまの30代後半までの世代が去って、20代の人間が社会で力をもつようになったときに「雨がやむ」のだと思ってます。 いま新聞の話題にのぼる政治家たちは「全共闘世代」であって、政治をまかせるには最悪な文化をせおった世代です。 不正直で無責任なのが特徴の世代で、実をいえばどこの国の政府も、そのことをブリーフィングを通してよく知っている。 … Continue reading

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アジア化する日本

もともとアジアにある国を「アジア化しつつある」というのはヘンです。 スペインは欧州化しつつある、とゆったらスペイン人は怒るであろう。 でもな、わっしは日本のことを思い浮かべるとき、「日本はアジア化しつつある」と、どうしても考えてしまうのです。 わっしが日本についてもともとどう考えていたかというと、初めは「ちょっと西洋っぽいところがあるアジアのなかでは特殊な国」であった。 ほんとうは日本語の「アジア」という言葉はわしらの言葉では「東アジア」なので、「東の方のアジアのなかでは」と考えていたのだが、それは単純に翻訳の問題でせう。 子供の時はかーちゃんが「今年はシンガポール経由ではなくて東京経由で南に行きます」というと、わっしは「いえーい」であって、なぜ「いえーい」であったかというと、わっしのアタマのなかでは「日本」はそのまんま「ハイテク」の国だったからである。 やけくそみたいにちっこい携帯電話やTGVと違って五分に一回出ている新幹線、INS回線がくっついている公衆電話、むちゃんこ速いコンピュータ、そーゆーものがわっしの「日本」でした。 お台場の風景とかな。 でーすきだったんです。 「シンガポールのひとはマジメだが、すぐウソをつく」と子供のときはおもっておった。 台北のひとも同じだと感じていた。 シンガポールで住宅地のなかにあるレストラン、というような探しにくい場所へタクシーでゆくと、中国系の運転手は適当にちょろちょろっと近所をまわって、「あっ、この辺です。ここだと思う」とゆっておろしたがあるひとが多かった。 たまたまかもしれないがマレー系のひとが、あくまで目的地のレストランを探してくるまを駐めて近所のひとに訊いてくれたりしてがんばってくれるのに較べて、チューゴクのひとは、やることがえーかげんだなーと考えた。 むかしは西洋社会と他の世界のおおきな違いは「セキュリティ」の考えであって、かーちゃんはホテルをチェックアウトするとき必ず予約のときにインプリントしたクレジットカードの紙を目の前で破り捨てさせたが、アジアのホテルでは、これをしつこくゆわないとやってくれない。 そのうちアジアのホテルでも普通にやるようになって、いまではシュレッダーを初めからおいてあるホテルが多くなった。 ある年、場所は不便だがたまにはシャングリ・ラに泊まるかということになって、あの広大な敷地にあるホテルに泊まった。 チェックアウトのときに、かーちゃんがインプリントを破棄するようにいうと、 レセプションのにーちゃんがニコニコしながら「シンガポールでは法律で破棄しないことになっています。第一、世界中でそんなことをするホテルなんてありませんよ」というので、かーちゃんに叱責される、ということがあった。 かーちゃんはテキトーなことをゆって、その場を繕う人間、というのが大嫌いだからな。 そーゆーとき、かーちゃんはもちろんとげとげしいものの言い方をしたりはしないが、 かーちゃんの「無言の怒り」というのは、どんなひとでも呼吸ができなくなる体のものなので、にーちゃんは結局あわてて破り捨てることになったが、口にはださないものの、かーちゃんが「シンガポール人もダメになった」と考えているのは子供の妹とわしには手に取るようによくわかりました。 これも口に出しては言わないが、かーちゃんはマジメなひとが好きなので、日本のひとの「愚直さ」が好きであったようだ。 うまくゆえないが、なんでも、「心がこもった」感じのするやりかたをするひとを見ると、「おまえたちは、ああいう人間を見習わなくてはならぬ」と妹とわっしによく言い聞かせた。 わっしもかーちゃんの思想を受け継いで、日本人の「陰ひなたのないところ」や「骨惜しみしない」ところ、生真面目なところが好きであった。 わっしは今度日本に行ってみて「日本が急速にアジア化している」というような奇妙な感想をもちました。 ひとつづつ具体的な例を挙げるのはめんどくさいからやらないが、市町村の外国人の登録の手続きでもビザについての説明でも出入国管理局はさすがにしっかりしているものの、役場の説明は全部ウソであった。 具体的なことを書くと担当のひとが失職してしまうのは明かなので書かないが、ひとつはひどい間違いであって、出入国管理のひとが激怒してしまうしまつであった。 日本には外国人が寄りつかないはずである。 これもうまくゆえないが、なにをするにしても「集中力のない感じ」「どうしたいのかわからない感じ」というのが日本のひとの特性になってしまっている。 都合が悪くなるとテキトーな口実をつくってその場を繕って誤魔化そうとする。 2ちゃんねるのようなところをのぞいても、それはわしの知っている日本とは全然違う「アジア的な好い加減さ」の社交場であって、なんだか、ぬかるみでどろんこになって地面の泥濘と人間の姿が区別がつかなくなった人々のような、なんだか薄気味の悪い光景です。 オザワさんは「600人」という人数をひきつれて中国に行った、というが、これもわしはたいへん「アジア的」なやりかただと感じる。 西洋人の考えよりもゼロがふたつ、おおいよーだ。 「習」という中国政治家の顔を立てるために今上天皇を「道具」のように扱って、なんの敬意もないやりかたで外交の必殺技に「使う」ところも、かつて「君主」というものにそれに相応しい敬意を払ったことがない、「権威」として利用する対象であるだけのアジアの国の政治家のやりかたである。 政治家が天皇を平然と「玉(ぎょく)」と呼び捨てにしていたある時期の日本のことを考えた。 世界一腐敗した官僚機構といい、それを知っていながら黙々と税金を払って、もどってくるわけもない年金まで支払う日本のひとは、ほんとーに「アジア人」にもどっちったんだなー、と思います。 わっしは日本を出るときホテルにまた宿泊したが、チェックアウトのとき、いつもと同じことでインプリントを破棄していくれるようにゆったが、いわゆる「外資系」のそのホテルのレセプションのにーちゃんは、「そういうことは出来ません」という。 いや、いつも、そうしてもらっているから出来るはずですよ、というと、「日本の法律では、そういうことは出来ないことになっているんです」と言います。 英語で話すので、ちょっとヘンなことを考えるのだろーか、と考えて、今度は日本語で、 「どう処理すればいいか確信がもてないのならマネージャーかどなかに訊いてもらえませんか」というと、「いえ、法律ですから」と言います。 … Continue reading

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家に着いただ

いえーい。 クライストチャーチに着いただがや。 最近はクライストチャーチもひらけまくっているので建物の工事が広がって空港がまた狭くなっておる。 わっしはむかしのなあーんにもない空港が好きだったので、ちょっとつまらん。 国がどんどん発展してしまうので、わっしはちょっと寂しいだ。 わっしはみんなビンボで、あんまし頭もよくないニュージーランドが好きなんだけどなー、と思う。 連合王国みたいになったらつまらんやん。 妹が迎えに来たが、自分のBMWできちったので、モニの大荷物がはいらん。 おにーちゃんは走ってついてくれば、とゆっておったが、わっしが走って追従してもなおかつ荷物が入らないことが判明したので、 急遽かーちゃんにも出動してもらって、やっと荷物が運べました。 クライストチャーチに着くと、(日本に較べて)一挙にぶったるんだ感じになって楽しいのはなぜでしょう。単に自分の故郷だから、だろうか。 そーゆー可能性もないとはゆえないが、やっぱり何かが違うような感じがします。 顔見知りのアテンダントのおばちゃんと話していたら、もうひとりのもっと若いおばちゃんも加わって、あそこには何が出来ておる、とか新しいレストランはどこがおいしいとか教えてくれる。 いつものことだが、メールアカウントを交換して、また会おうね、をします。 パスポートコントロールでは、ねーちゃんが、わっしのヒゲについて冗談をぶちかます。 モニとわっしは「良いクリスマスを!」とゆってパスポートコントロールを後にします。 いまはクライストチャーチも麻薬やなんかの対策で出口でX線でスーツケースを調べるが、おっちゃんらも冗談をかましまくっておる。 このバカっぽくも気楽なところが、いーのかもしれません。 かーちゃんの家に着いてすぐにクリスマスケーキ(日本で言うとフルーツケーキにアイシングが載っているようなもんだの)とブラウニーでコーヒーを飲んだ。 曇っていた空が開けて太陽が出ると、いきなりニュージーランドの夏の鋭いキョーレツな光が庭の芝生を照らします。 うー、しあわせじゃ。 午寝したり、妹やかーちゃんとだべったりしながら、ときどき自分の部屋にもどってこの日本語ブログを書く、とか、そーゆー感じになるのではなかろうか。 しばらくツイッターみたいなブログになってしまうかもしれないがコメントのご返信もちょっとづつでもやってゆけそーである。 これからみなでハムやきゅうりやチーズトマトでサンドイッチをつくるところ。 夏の庭で、みなで食べるのは楽しいっす。 では、また、後で。

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十全外人最終報告

さよならばっかし何回もゆっておってサイナラおじさんの淀川長治みたいだが、ほんとうは11月初めには帰っておるはずだったのにいままでずるずる延ばしていたのだからやむをえない。 あんまり航空券の変更ばかりしているものだから、とうとう発券がかりのおばちゃんと仲良くなってしまっておばちゃんと旦那さんと娘夫婦と一緒に夕食をすることになってしまった。 でもいまは間違いなく日本を発つところだのい。 なぜならわしは空港のラウンジでこれを書いているところだからです。 よほど特別なことが起こらない限り、わっしは日本にはもう戻らないであろう(ストップオーバーの短期滞在は除く)が、モニの反対を押し切ってもういちどだけ日本に長期滞在をしてよかった。 自分が日本語を習得するためだけに始めたブログで会えたひとたちにも感謝しなくてはならん。就中、社会への適応能力を全然欠いているらしい点でモニとわっしにもっとも似ているらしいantonianに直截さよならをゆえないのは残念だが、もしかするといまごろはイタリアで野垂れ死にしているのかもしれないので、やむをえない。 わっしは生まれついてプーさんだが、不思議や生きながらえて、球体だとゆわれておる世界の表面をいつもぷらぷらしておる。 クリスマスはいつもクライストチャーチにいるが、他のときは、ろくでもないところでろくでもないことをしているに違いない。 でも友達を忘れることはない。 どの友達ともほとんど会えないけどな。 わっしはもともとがひとりでいるのがデフォルトなので、仕方がない、ともゆえる。 モニと結婚したのでいまはいつも「ふたり」だが、モニは思いもかけず出会ったわっしの魂の半分なので特別なのです。 わがままなわっしの日本語ブログは、まだしばらく続くでしょう。 なりゆきとはなんの関係もなく続いて、なりゆきとはなんの関係もなく突然終わるに違いない。 でも、友達を忘れることはない、のです。 わっしが尊敬する岩田宏は、 「おれたちは 初対面だが  もし会えなかったら どうしようかと そればかり考えていたよ」 と書いた。 そのうちにbublikiさんの「文明度とはなにか」という質問に答えなければならないが、 たとえば、こーゆーことを書き残せるひとがいることを「文明」とゆーのです。 えっ、もうゆかなくちゃなんねーの? (続きがあるのなら)続きは、今度。 ひゃあ、たいへん、いそがねーと。

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