敬語と議論

お名残惜しゅうございますが、わたくしはこれで失礼いたします。

というのはむかしの山の手の言葉では普通の別れの挨拶です。

かーちゃんシスターの日本人夫(にほんにんぷ、でなくてにほんじんおっと、だす)、「わたしのシュージン」(かーちゃんシスターは日本語で「私の主人」というときには、そう発音する。実情が発音に反映されているもののよーだ)である義理叔父は山の手のひとなので、義理叔父の親戚、というようなひとは70代以上のひとはやはりそうゆって挨拶する。

前にブログ記事に書いたことがありますが、義理叔父はむかしひさしぶりに日本に戻ってきて横須賀線のなかで自分の子供の頃に耳慣れた、この挨拶を聞いた途端に我にも非ず泣いたそーだ。

「発音もな、全然、違うんだよ、いまの日本語とは」という。

義理叔父の母親、わしが「鎌倉ばーちゃん」と呼ぶひとも、たいへん美しい日本語を使う。ときどきわけのわかんねー語彙が出て来て、わっしは「へっ?」とかちて笑われるけどな。「およりになる」とか、そんなの意味わかんねーよ。

わしの日本語教科書には載ってねーぞ。

「歩く」っちゅう意味なんだよな、あれ。

天皇を「オカミ」というひとたちとか、義理叔父の周りの人間はやたらと難しい敬語を使う。

はげはげさんのコメントにも書いたが、英語はもともと敬語がたいへん発達した言語です。連合王国では「言い方そのもの」が状況によって固定されておる。

アジア人の子どもで東京で両方の親とも普通の日本人だが学校はインターナショナルスクールに通った、とか、中国人家族やなんかで初代の移民の子である、とかっちゅうと、

先生に向かって「よお、元気? 今日もバッチシ行こうぜ!なっ?」なんちて、ゆっておって、

朝から他のクラスメートをやたら愉快な気分にさせる、ということがよくあるが、ほんとーは、ああいうすさまじいもののゆいかたは学校ではしちゃいけないのね。

連合王国とかだと、初対面のひとに会えば、はじめの30秒くらいでシャカシャカと人間打算機を稼働させて自分がどのような挙動に出るかを素早く決定できないと生きてゆかれぬであろう。店、とかでも同じです。

店員、とゆってもある種の骨董品店、とかゆくとジョーリューカイキューのねーちゃん、とかがふつーに働いているので、ぞんざいな口を利く外国人観光客、とかが「あんた、ちょっと、これいくらだい?」っちゅうようなことをゆっておると、傍らで手にマイセンのフィギュアリンとかを手に取っているわっしは笑いをこらえるのに必死で一個400万円はかるくこえるフィギュアリンを取り落として床で割ってしまいそうになる、という危険なことになります。

最近、実際、これはロンドンにいるときの楽しみなのね。

そーゆー観光客、とかが去ったあとで、必死に平静をよそおってはいるがしかしまだ顔を紅潮させているジョーリューねーちゃんに「おい、ねーちゃん、このガラスん玉、いくらよ?」とかふざけてゆってやると、

「ガメ、もういっかい言ったら殺すぞ」とゆってプンプンしておる。

ははは、楽しいのい。

閑話休題。

敬語、というのは日本では形骸化しているよーだ。

「へりくだり語」が異様な形で肥大して、関係の微妙な機微を示すような精密な敬語の部分は使われなくなっている。

鼻濁音をはじめとした日本語の発音の粗野化と同時に、ここ50年くらいの日本語の大きな変化に数えられそうです。

日本に住んでいるときの観察では、日本のひと同士、ものすごく話しにくそーである。

特に年齢に由来する敬語は、どーも、あんまり機能していない、どころか、邪魔なだけ、に見えるな。

わっしは、日本の掲示板やブログが匿名ベースで発達を遂げたのは、要するに「敬語をつかわなくていいいから」という面があると思います。

インターネット上でのみ、日本人は「敬語」から解放された世界を生きることができる。

15歳の女の子と73歳のおっちゃんがフラットな言語で侃侃諤諤論議することが出来る。

逆に、品性が劣る人間のほうは実際の世界でやってみたくてしかたがない言語的に横柄な態度に出る、という現実では果たせなかった夢をネット上ではたそうとする。

バカ用バカのひとつおぼえ表現セットのひとつ「上から目線」というようなのは、そーゆーことなのでしょう。

ところで、ニュージーランドや合衆国のような英語世界の新興国では、15歳の女の子と73歳のじっちゃんは、ふつーに激論を交わすことができる。

「議論用敬語セット」はたとえば「儀典用敬語セット」より遙かに簡素に出来ていて、発語しやすいからです。

今度は角度を変えていうと、英語は敬語が発達した言語ではあるものの、なにかゆおうと思ったときに、それをそのまま言えばいいように出来ている。

「相手の言うことを聞く->相手を観察する-> 相手と自分との社会的関係を考える->相手が何を考えているか察する->相手の感情ないし情緒的要求に即しながら言葉を選んで話をする」という日本語の発語のプロセスに較べると、「相手の言うことを聞く->反応して自分が考えたことを言う」というプロセスだけであって、ものを言うのが楽、なのだな。

テーブルの少し離れたところにある塩をとってもらう、っちゅうようなときには、非常に叮嚀な言い方をすべきだが、議論するときには、そういう儀礼はどんどん省いてよいことになっている。

「思考の交換の部分には敬語システムがない」と言い換えてもいいかもしれません。

失礼なことをゆーなあー、と思うだろうが、わっしは日本にいて、日本人の議論の下手さ加減にカンドーしてしまった。

世界でいちばん議論がヘタなのではなかろーか。

自分とは違う意見にでくわすと、あっというまに感情的になって、極めていやらしい陰険な言い回しやねちねちとして他人をやりきれない気分にさせる類の相手をただ傷つけるためだけの言葉の使い方になる。どーも議論に使うエネルギーの何十倍も、そういうことに使うエネルギーが多いようだ。

ひとつには、そーゆー人間を忌み嫌う気持ちが社会全体に薄くて、その手の卑劣さが容認されやすい社会なのでしょう。

社会として「悪い賢さ」や「邪な知恵」に寛容なのだと思います。

そういう議論下手なところは、よく観察していると普段の会話の欠如から来ている。

その会話の欠如は、敬語をはじめとしたお互いにもたれかかる部分が異様に肥大した社会の関係性を反映した言語の構造そのものにあるようです。

わしにはカリフォルニアで生まれて育った日系のねーちゃんの友達がありますが、このひとは両親が初代移民であって両親の方針で学校も週末の「日本人学校」へ行った。

カリフォルニアという州は日本人が日本語だけで暮らせる町があるところなので、日系ねーちゃんは英語と日本語の両方が母国語、というような状態である。

このひとと日本語では話したり英語で話したりして遊ぶとたいへんオモロイ。

なにがオモロイかというと、英語で話しているときと日本語で話しているときでは、まったく完全に乖離したふたつの別人格で、片方は「ヤマトナデシコ」片方は「オレンジカウンティガール」です。

「はーい、ガメ、元気ぃー? きみたちはいっつも・ソオオオー・クール!!」

なんちゃっておるかと思うと、日本語では「お元気でしたか? ガメールさんたちに、また会えるなんて夢みたい」なんちゃったりもしておる。

で、決して言語能力によるのではなくて英語のときのほうが自動的に百倍くらいよくしゃべるうえに、心理的距離が近いよーだ。

あるいは、年齢も社会的地位も性別も異なる8人くらいの日本人グループ(ま、団体旅行のグループとかを思い浮かべてもらうといいっす)っちゅうようなことになると、もう、発語のしようがない、というか、どおやって議論すんだ? というふうになるのは論理的帰結、ともゆえます。

言語的な正統性を保ちながら西洋的な意味における議論をする、とかということになると、やりようがねーよ。

なにしろ日本語というのは伝えたいことによって、おれにするかわたしにするかぼくにするか、選択しなければならなかったりするので、こういう集団合議ではのっけからいわば語彙の集合がせばめられてしまう。

それによって議論そのものが狭隘なものになるのはあたりまえである。

「おれは生理痛で学校を休みてえ」というのは論理的に矛盾しているわけだしな。

日本人は賢いので自分たちの社会に問題がだいぶんあるらしいことをようやく認めるようになってきた。

それはいったん社会の合意が出来ればすさまじい速度で改革を行う日本人社会の能力を考えれば、たいへんな朗報です。

でも改革のためには議論が必要だが、それにはどうも日本語の構造そのものが難しい出来になっているよーだ。

正面から考えてみるに価する問題かも知れません。

(げっ、出かける時間すぎてるやん。もしかして、わし、おいていかれたんちゃうか)

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