Monthly Archives: December 2009

日本人たちの戦い

朝5時に起きて冷たい台所の床の上に立って奥さんのためにコーヒーを淹れるじゅん爺は、まだ暗い外を見て考えている。 「また嵐がきそうだ。 このあいだ嵐が来たときは、おれはまだ若くて元気でなんとか女房を抱えてあの濁流を泳ぎきったが、今度は、そうはいかねーな。 おれは年をとって老けてきた。 桃をくってみようか。 後ろで髪を分けようか いくら健康に気をつけても、嵐のなかでテントを張る体力が、おれにはまだあるだろうか」 バンコクに戻る飛行機のなかでkochasaengさんは思い出している。 あの疲れた日本は、いつかは復活するかな。 蟻地獄のような国。 プライドの砂に足をとられて、もう胸まで砂に埋まってしまった。 今度は特に様子が違ったな。 なにかが決定的に変わってしまったような。 あれは、いったい何だろう? ….なんちて。 でも、日本人にもわかってきてしまった。 東へ行くか西へ行くかの決断は引き延ばせても、夕日が地平に消えて行く時刻を遅らせることは出来やしない。 船が沈めば、助かる方法は海に飛び込んで自分の手と足を動かして泳ぐ以外にはないのです。 水が胸にまでしかきていなかったときには、まだ、強がりも言えた。 なあに、ちょっと身体が冷えただけさ。この洪水もいつかは終わる。 でも、いま、水かさは少しづつ増して、きみは天井を必死ににらんで、あごをせいいっぱいにあげて水を飲み込むまいとする。 水がひっきりなしに喉をむせさせる口を無理にひらいて 「そんなバカな」とつぶやいてみる。 英語世界の雑誌は、とうのむかしに日本の不振の話をするのをやめてしまった。 信じがたいことに日本人には社会構造を変革する意志がないことがわかってきたからです。 いつになったら上がるのか、と待っていた幕は結局あがることがなかった。 いま経済の世界で英語人たちが模索しているのは「日本がいなくなった後の世界」の形でしょう。 これ以上、日本の不振に引きずられているわけにはいかない。 万全に見えたチャイメリカ・リーグですら怪しくなっているのに、この上、日本という地盤が崩れた山崩れの下に立っていては大変なことになる。 第一、日本はなんだかそわそわしていて挙動が不審ではないか。 あれは中国に色目を使っているのか? 案の定、日本はアメリカを窓口にした「西洋組合」からいま決定的に離れつつある。 「八紘一宇」という大アジア主義の矮小化から80年を経て、ついに日本は脱亜入欧の国策を捨てて「東アジア同盟」に吸収されつつある。 それが日本にとっていいことなのか悪いこなのかは、わっしにはわかりません。 わかるのは、いま第一ページがめくられた変化は、日本にとってはおおきな変化への一歩である、ということです。 「脱亜入欧」や「大アジア主義」は日本近代のはかない夢にしか過ぎないが、両手をいっぱいに広げて倒れかかる壁を必死に抑えていたかでもあるような、日本の大陸からの圧力に抵抗してきた歴史の放棄は実に大化の改新以来の大方向転換です。 前にここにやってきて、いかにも日本人らしい「カシコサ」全開の間抜けなコメントを残していったアルバトロスさんが聞けば、何を大げさな、何も本質的には変わっちゃいない、いまはほんのちょっと調子が悪いが日本は日本の道を粛々と行っているだけだ、 ジャパン・アス・ナンバー・ワン、知らないの? 日本人が自分で言っているんじゃないんだぜ。 ガイジンが書いた本です。 というだろうが、 … Continue reading

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外骨格社会

歴史を通して日本人には不思議な特徴がある。 自分たちの社会の問題を発見して、それが確かに存在する、と認めるまでのプロセスが異様に長い、のよね。 たとえば、ちょっとづつちょっとづつインチキな利権をみなでこそこそと積み立ててきた結果、そのオーバーヘッドが莫大なものになって一台あたり40万円の見えないコストになっちった自動車会社があるとする。 役員の給料は一見やすくて穏当を極めたものだが、しかし、仔細に見ると役員の社宅は豪壮な億ションが家賃6万円である。運転手付きのクルマで通っていて、地下の駐車場は都心であるにも関わらずタダで供されている。あまつさえ、ひでーやつになると、鎌倉の家から横須賀線のグリーン車で通勤するのに東京からクルマを来させて、始発の逗子まで運転させ逗子から東京までまたクルマで帰らせる。 自分は逗子からグリーン車に座って行ったほうが楽だからです。 銀座の高級バーに通い詰めて、そんなに美貌ではないか愛くるしい顔をして頭の回転がびっくりするほど速いママと最終ハメハメ波光線な夜に至るために毎日飲み代を使って栄光のベッドめざして毎晩十万二十万と散財する。 全部、会社のカネです。 下品な大望が成就したあとに、この役員おっさんは、「いやあー、あの女はしぶとかった。けっきょく、一発3000万円についたぜ、きみ」とゆって、がっはっは、と笑った、という。 監視する側のはずの組合も、組合の元締めがいつのまにか会社のカネで外洋の波をものともせずに渡れるヨットを手に入れていたりする。 株主が調べてみると、デタラメを極めていて、「社員健康施設」は実は役員用のテニスコートであるし、「新事業視察」は東南アジア某国への高級売春施設を借り切ったセックスツアーであった。 こうなってくると、いやさかに栄華を極めた大会社も傾いてきます。 人員を削減しようとしたら人員を削減するために人事部が肥大してしまった。 部署の数は減ったが、よく社員の数を数えてみると部署の数が多いときよりもどさくさまぎれにだいぶん増えていた。 大きな組織、というものはそーゆーものなので、改革を期待されて就任した社長も、 どーしてもダメならおれの手で会社をぶっつぶす、とかゆってみるものの、株主には大受けでも、ほんとーは、なにがどうなってんだか、よくわからないもののようであった。 こーゆーとき、社内の「改革会議」では、どーゆーことが話しあわれているかというと、 「トヨタに較べると、治具の発注が杜撰で査定があまい」と社外取締役が指摘すると、 我が社はトヨタのような下品な会社とは違う、我が社には我が社のやりかたがある、会社の伝統を壊さないやりかたで、我々も懸命にがんばっているのだ、という。 「あんたに現場の苦労がわかってたまるか!」 とカンドー的な演説をぶつ生産担当役員。 なにしろ昨日はついに一発3000万円だったので、元気百倍、声涙ともにくだる大演説です。 退職者の年金を減額するしかないのではないか、というと、額に汗水垂らして、全人生を当社に捧げた従業員の尊い生活を、あんたはいったいなんだと思っておるのか、と激昂してみせる。 ライバル会社に技術情報を漏洩して見返りをとっていた第三組合さえ、「みんなが悪い、というわけではない。なかには良いひともいるんです。追究はほどほどにしてください」という。 何度、どれだけ会議を繰り返しても問題が出てこないので、しまいには改革担当の役員と株主は根負けしてしまう。 問題は、はじめから存在しなかった。 糊塗し、誤魔化し、先送りしているうちにカネだけがどんどんどんどんなくなってゆく。 銀行から借りた金も再生産にまわるどころか借金の返済にまわされるだけである。 そして、ついに先送りできない日がやってきた。 ドアの脇に見慣れない秘書、誰だっけこいつ? ああ、IMFとかいう新しいファンドが送ってきた若い社員だったな。 で、なんの用なの? 「シャチョー、トーサンです あなたがわたしのおとーさん、なわけではありません トーサンだ トーサンはコーサンと、どーちがうか これは たいへん 興味ぶかい問題ですが いまは ダメです 考えているヒマはない 明日から みんなで中国語を勉強するよーに」 おもしろがって長々と書いてしまったが、だいたいこんなふーだべなあーと世界のひとびとが想像する日本の様子は上記の会社物語のようなものでしょう。 … Continue reading

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敬語と議論

お名残惜しゅうございますが、わたくしはこれで失礼いたします。 というのはむかしの山の手の言葉では普通の別れの挨拶です。 かーちゃんシスターの日本人夫(にほんにんぷ、でなくてにほんじんおっと、だす)、「わたしのシュージン」(かーちゃんシスターは日本語で「私の主人」というときには、そう発音する。実情が発音に反映されているもののよーだ)である義理叔父は山の手のひとなので、義理叔父の親戚、というようなひとは70代以上のひとはやはりそうゆって挨拶する。 前にブログ記事に書いたことがありますが、義理叔父はむかしひさしぶりに日本に戻ってきて横須賀線のなかで自分の子供の頃に耳慣れた、この挨拶を聞いた途端に我にも非ず泣いたそーだ。 「発音もな、全然、違うんだよ、いまの日本語とは」という。 義理叔父の母親、わしが「鎌倉ばーちゃん」と呼ぶひとも、たいへん美しい日本語を使う。ときどきわけのわかんねー語彙が出て来て、わっしは「へっ?」とかちて笑われるけどな。「およりになる」とか、そんなの意味わかんねーよ。 わしの日本語教科書には載ってねーぞ。 「歩く」っちゅう意味なんだよな、あれ。 天皇を「オカミ」というひとたちとか、義理叔父の周りの人間はやたらと難しい敬語を使う。 はげはげさんのコメントにも書いたが、英語はもともと敬語がたいへん発達した言語です。連合王国では「言い方そのもの」が状況によって固定されておる。 アジア人の子どもで東京で両方の親とも普通の日本人だが学校はインターナショナルスクールに通った、とか、中国人家族やなんかで初代の移民の子である、とかっちゅうと、 先生に向かって「よお、元気? 今日もバッチシ行こうぜ!なっ?」なんちて、ゆっておって、 朝から他のクラスメートをやたら愉快な気分にさせる、ということがよくあるが、ほんとーは、ああいうすさまじいもののゆいかたは学校ではしちゃいけないのね。 連合王国とかだと、初対面のひとに会えば、はじめの30秒くらいでシャカシャカと人間打算機を稼働させて自分がどのような挙動に出るかを素早く決定できないと生きてゆかれぬであろう。店、とかでも同じです。 店員、とゆってもある種の骨董品店、とかゆくとジョーリューカイキューのねーちゃん、とかがふつーに働いているので、ぞんざいな口を利く外国人観光客、とかが「あんた、ちょっと、これいくらだい?」っちゅうようなことをゆっておると、傍らで手にマイセンのフィギュアリンとかを手に取っているわっしは笑いをこらえるのに必死で一個400万円はかるくこえるフィギュアリンを取り落として床で割ってしまいそうになる、という危険なことになります。 最近、実際、これはロンドンにいるときの楽しみなのね。 そーゆー観光客、とかが去ったあとで、必死に平静をよそおってはいるがしかしまだ顔を紅潮させているジョーリューねーちゃんに「おい、ねーちゃん、このガラスん玉、いくらよ?」とかふざけてゆってやると、 「ガメ、もういっかい言ったら殺すぞ」とゆってプンプンしておる。 ははは、楽しいのい。 閑話休題。 敬語、というのは日本では形骸化しているよーだ。 「へりくだり語」が異様な形で肥大して、関係の微妙な機微を示すような精密な敬語の部分は使われなくなっている。 鼻濁音をはじめとした日本語の発音の粗野化と同時に、ここ50年くらいの日本語の大きな変化に数えられそうです。 日本に住んでいるときの観察では、日本のひと同士、ものすごく話しにくそーである。 特に年齢に由来する敬語は、どーも、あんまり機能していない、どころか、邪魔なだけ、に見えるな。 わっしは、日本の掲示板やブログが匿名ベースで発達を遂げたのは、要するに「敬語をつかわなくていいいから」という面があると思います。 インターネット上でのみ、日本人は「敬語」から解放された世界を生きることができる。 15歳の女の子と73歳のおっちゃんがフラットな言語で侃侃諤諤論議することが出来る。 逆に、品性が劣る人間のほうは実際の世界でやってみたくてしかたがない言語的に横柄な態度に出る、という現実では果たせなかった夢をネット上ではたそうとする。 バカ用バカのひとつおぼえ表現セットのひとつ「上から目線」というようなのは、そーゆーことなのでしょう。 ところで、ニュージーランドや合衆国のような英語世界の新興国では、15歳の女の子と73歳のじっちゃんは、ふつーに激論を交わすことができる。 「議論用敬語セット」はたとえば「儀典用敬語セット」より遙かに簡素に出来ていて、発語しやすいからです。 今度は角度を変えていうと、英語は敬語が発達した言語ではあるものの、なにかゆおうと思ったときに、それをそのまま言えばいいように出来ている。 「相手の言うことを聞く->相手を観察する-> 相手と自分との社会的関係を考える->相手が何を考えているか察する->相手の感情ないし情緒的要求に即しながら言葉を選んで話をする」という日本語の発語のプロセスに較べると、「相手の言うことを聞く->反応して自分が考えたことを言う」というプロセスだけであって、ものを言うのが楽、なのだな。 テーブルの少し離れたところにある塩をとってもらう、っちゅうようなときには、非常に叮嚀な言い方をすべきだが、議論するときには、そういう儀礼はどんどん省いてよいことになっている。 「思考の交換の部分には敬語システムがない」と言い換えてもいいかもしれません。 失礼なことをゆーなあー、と思うだろうが、わっしは日本にいて、日本人の議論の下手さ加減にカンドーしてしまった。 世界でいちばん議論がヘタなのではなかろーか。 自分とは違う意見にでくわすと、あっというまに感情的になって、極めていやらしい陰険な言い回しやねちねちとして他人をやりきれない気分にさせる類の相手をただ傷つけるためだけの言葉の使い方になる。どーも議論に使うエネルギーの何十倍も、そういうことに使うエネルギーが多いようだ。 … Continue reading

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移民ちから

とりちゃん> ただいも。 うぷっ、おかしーだ。 午後はずっとこれを練習してただよ。 わからないひとは「あんとに庵」に詣でてくるよーに。 っちゅうか、antonianさんというわしがずっと与論島の火葬場の職員のおっちゃんだと信じていたひとの ブログのコメント欄を見ていたら、この「とりちゃん」というひとが「お帰りなさい」(antonianさんはイタリアに火葬の研修に行っていたのです)というのに、 そう返事をしていたのがおかしかっただけなんですけどね。 ただいも、って口をすぼめてゆわないとダメだよな。 モニちゃん> ただいも。 かーちゃん、ただいも。 きゃははは。オモロイだな、これ。 あー、苦しい。 息ができん。 全然わけのわからんことをゆってひとりで喜んでいて失礼しました。 ガメです。 前回までのあらすじを述べると、 わっしはクライストチャーチという村が巨大化したような訳のわからん町におる。 なぜかというとここに実家があるからですのい。 前から読んでいる人は知っているが、実家とはいうものの実家が季節によって移動したりするのでなかなか複雑を極めておるがわしはクリスマスには必ずここに帰ってくるのね。 今年はあちこちの日本語サイトにクライストチャーチが「レイシストのスクツ」とか書いてあってびびったが、どーもほんとうではないよーだ。 アジアのひとはすげー増えたが、別に誰も困っておらん。 むかし「アジア人が増えて日本人の洪水になって国を乗っ取られる」とゆって大騒ぎしたウインストン・ピータースは失脚・引退して、いなくなった。 オーストラリアで人種の話そのものをタブーにしてしまったポーリン・ハンソンと同じ宿命をたどった。 ラッキーじゃん、と思います。 アジアのひとにとって、ではない。 ニュージーランド人にとってラッキーなのです。 人種差別はカッコワルイからな。 肌の色で人間を差別するのは、胸や尻のおおきさで女のひとを差別するのと同じくらいくだらん。わしは結婚するまで差別したことないぞ。 小さくても、大きくても、区別せずに…. …..ちょっと話がそれてしまったようだ。 景気は悪いがニュージーランド人の表情が明るいのは、わっしの見るところ移民社会が機能しだして「移民たちが生活をよりよくしようとする力」が社会全体に活気を与えているからのよーである。 たとえばわっしは昨日、タイ人のにーちゃんと話をしたが、このにーちゃんはすげー元気であった。疲れをしらぬひとです。 こーするためにはどーすればよいのか、ニュージーランドで、こういうことをやるためにはどんなステップが必要ですか、から始まって、町でいちばんおいしいタイ料理屋はタイ・スマイルだと思う。オーセンティックですよお。 タイはもちろん世界でいちばん良い国ですよ。 教育制度が嫌いなのでここへ来たが、いい国という点では世界一です。 ニュージーランドもいい国だと思うが、タイがなんとゆってもいちばんです。 きっと遊びに来るとえーだ。 ……そうやって、機関銃のように話してあっというまに二時間経ってしまう。 … Continue reading

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カンパニー

週末、みなで馬に乗りに行った「南部農場」でBに会った。 Bはタウロンガに住んでいる。わっしの家の「一家の友達」です。 ニュージーランドではウエリントンにほんとうの家があるが、最近はタウロンガのほうが気に入っているようだ。 かーちゃんや妹と馬に乗りに行く時には、自分のプロペラ鈍足ヒコーキをぷるぷるぷるぶーん、と飛ばして北からやってくる。 Bは、愉快なひとです。 短く刈った髪が女のわりに隆々とした筋肉がついている身体によく合っている。 モニやわしの一家が着いたときにはもうコテージの部屋の仕度まで調えていて、わしらを出迎えてくれました。 どっちが客だか全然わからん(^^) くるまよせにやってくると、「ハーイ!」という。 肩に手をまわして「日本はどうだった、ガメ?」と訊きます。 Bは自分でも日本の「サムライ文化」と「鍼灸」が好きだが、ひとり息子が日本の大ファンなのである。アニメのキャラクタや新幹線、シャープの両方から開くドア、みーんな好きで、 なにか日本のニュースがあると、 「日本人って、すげー頭がえーんでない?」とふざけたような 口調でいうのが癖である。 馬の遠乗りが終わってから、わしらは、母屋でラムやなんかのご馳走でワインを飲んだ。 Bが日本の話しを聞きたくてしようがないので、モニとわっしとでかわるがわる日本の印象を話しました。 モニは日本の「暗い色の森」や「美しい田んぼ」、「雪に蔽われた森の美しさ」が印象に残ったようだ。 相倉や菅原の合掌造り、富山の散歩道、長野の森のなかをつづく道、そーゆーものが素晴らしかったことを眼を輝かせて話しておった。 わっしのほうは、どーしてそーなったのかわからんが、ブログを通して出会った portulacaさんやantonianさん、kochasaengさん、じゅん爺やそーゆーいろいろなひとたちの話をした。 いつもは日本のことが話題に上るのはかーちゃんシスターと義理叔父がいるときだけなので、ちょっと新鮮な感じがしました。 Bも、かーちゃんやモニや妹と同じで「他の国のことは、よーわからん」というスタンスの点では同じだが、興味があるのでいろいろ質問します。 曾野綾子の話になったときには、みなぶっくらこいてしまいましたが、でもまあ、そーうーこともあるか、という感じでした。 ニュージーランドでは(わしはあたりまえだと思うが)売春婦が強姦被害にあっても、誰も売春婦の側に落ち度があったのではないか、というひとはいない。 ニュージーランドでは売春は非合法だが刑罰は撤廃されておる。 刑罰があると、売春婦がたとえばマフィアに強姦被害や暴行にあったときに泣き寝入りせざるを得ないからです。 売春婦が商売に使っていた部屋で強姦されたケースがあって、そのときに女性人権擁護団体の女の議員たちが売春の「非犯罪化」を法案として成立させた。 わっしは、それを後で知って、とてもよいことだと思った。 少しニュージーランドパスポートを誇らしく思いました。 クライストチャーチでもマンチェスター通りのようなところでは売春婦たちが屯しているが、その脇を警官たちが歩いてゆきます。 売春を取り締まりに来たのではない。売春婦を襲ったり食い物にする人間を警戒しているのです。 わっしは、こーゆーことの背景には、ニュージーランド人特有の強い「仲間意識」があると思う。 まずはじめにはもともとが連合王国人の見えない伝統である「男と女は仲間同士じゃん」という考えがある。違っているが仲間というか友人であって、互いに助けあわねばならん、と言う気持ちが強くある。大陸欧州人やアメリカ人の「レディファースト」などとは根本から違う思想があるのです。 ロシア人たちなどはそれを「イギリス人の男が弱い証拠」だとゆって笑ったりしますが、ま、ほんとーにそーなのかもしれないからしょうがない。 とにかく、わしらは、なんでもパートナーに相談する。 そこが連合王国人やニュージーランド人のバカっぽいところでしょうが、たとえば自分の秘書のねーちゃんを押し倒しちって秘書に「奥さんと別れないと仕事で支障があらうようにしてやる」とゆわれたとすると、まっさきにこの男が相談にゆくのは奥さんであると思われる。 奥さんだけが(結局離婚にしたいと思ったとしても)、たいていの場合、最も助けてくれる「仲間」としてそばにいてくれるであろうからです。 そーゆー文化的な下地があるところにもってきてニュージーランドはちっこい国なので、強烈なばかりの「仲間意識」が完成した。 売春婦も、やはり同じニュージーランド人であって、同族である、という意識がある。 わしにも(ブログ記事にも書いたが)売春を業とする友達がありますが、ふだん昼飯を一緒に食べていたりしても、わしがこの友人の客である、とか、一緒に商売をしているのではないか、とか考える友人はおらん。 … Continue reading

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新しい国の、夏の夜

いえーい。 昨日からマジな夏になったので、わっしはとっても機嫌がえーだ。 クライストチャーチの周りにいくつかある庭園やヴィンヤードをレストランにしたレストランでリブアイステーキ、なんちゃっておるだでや。 ラムランプもあるのい。 最も日本と異なるのはそのあとにデザートの巨塊がある。 フローズンチョコレートパフェとブラウニーとストロベリ。 Maury(赤ポルトだの)と一緒です。 いえーい。 昼はホーンビーのわしの大好きな店に行ってステーキパイを食べた。 腹が減るとときどきかーちゃんのパントリを開けてパンをぎってきてトーストに焼いてベジマイトを塗っつけて食べるだよ。 クリスマスケーキもあるしな。 マカロンもあるでよ。 いえーい。 日本のひとも同じだろーが、故郷はえーだ。 リブアイステーキやフローズンチョコレートパフェを食べた後に駐車場へ歩いて戻ると、でっかい夜空に星が瞬いておる。 酔っ払ったおばちゃんが「なあーんて素敵な星空でしょう。この何百万という数の輝く星!」とデカイ声でうっとりしておる。 ほんとうは夜空の星って全部あわせても5000くらいしか、ねーんだけどな。 もうすぐクリスマスである。 5000と「何百万」との些細な数の違いくらいでガタガタゆってはいかむ。 わしらは今日は「町の家」の近所のおじちゃんとおばちゃんと娘夫婦とでかけた。 かーちゃんや妹ももちろん一緒です。 おじちゃんとおばちゃんは有り体にゆって大金持ちだが、素朴なひとびとである。 娘夫婦はいまはロンドンに住んでいるが、来年クライストチャーチに戻ってくるので家を探しているところです。娘は目医者、旦那は事務弁護士だのい。 旦那は明るい灰色のカッチョイイ眼をしたにーちゃん(わしと多分年齢おんなじくらい)であって、わしとウマがあうよーだ。 ウシもあうのかも知れないが、こっちはわからん。 日本語の表現に存在しないからな。 メインが片付いてデザートを待っているあいだに近所おばちゃんが今年死んだ近所おじおばの友達の話をした。 どーしてそーゆー話題に行き着いたのか明灰色男とわしはふたりで話して遊んでいたのでわかりません。妹とモニもわからんようであった。 「Jは、とても親切なひとで、わたしは好きだった。 こうやって大人数ででかけても、どうしてもひとりひとり全部のひとと均等に話しをするので、いつまで経っても話題がすすまない。 娘がロンドンで困難に直面したときには、観光旅行のふりをしてわざわざ様子を見に行ってくれるほどでした」 近所おばちゃんは取り止めもなく話してゆくのであったが、近所おじの態度がややヘンである。 ありっ、おっちゃん顔を赤くなってきたのい、と思ったら、次の瞬間涙で顔がぐじゃぐじゃになります。 サルサヴェルデとかがひっついているナプキンで顔をぬぐうと、「たいへん、失礼」とゆって泣き止もうとするが、なかなか出来ません。 モニとわっしも、なにがなし、もらい泣きしてしまいました。 それだけ、なんだけどね。 空いっぱいの星や、夏の乾いた暖かい風や、フローズンチョコレートパフェ、ポルト、近くを流れている水の音、芝の匂い、テーブルの下を行列してすりぬけていったカモたち、 モニや妹が笑う声、死んだJさんをなつかしむ、近所おばちゃんの静かな話し声、 相槌をうちながら聴いているかーちゃんの柔らかな低い声、ときどき外のテーブルにいるわれわれの元にやってきては「ダイジョーブでしょうか。何も足りないものは、ないですか」と訊きに来る給仕頭、 そーゆー事共が、とてもとてもクライストチャーチであって、わっしは故郷にいるのだなあー、としみじみ考える。 … Continue reading

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転ばぬ先の杖を折る

毎晩毎晩友人たちと会って遅くまで遊んでいるのでわしはだんだんヘロヘロになってきた。モニさんは、結構へーきです。 日本では冬のやまねのように眠っておったのに、クライストチャーチでは俄然元気である。 のみならず、東京ではずっと、すこ-し透き通っているような青ざめた白い磁器のような皮膚の色であったのが、うすい薔薇色がさして別のひとのよーである。 肌の色は、わっしも赤くなったがの。 くびの後ろが赤くなって、妹に「おにーちゃん文字通りレッドネックよねー、だっさーい」とゆってバカにされた。 とっても、くやしいです。 町中が遊んでおる。 当たり前だが、レストランもいまごろは混んでおるの。 モニとわしがクルマで町を走っていると交差点でクルマが止まるたびに前を走っているくるまの後ろ座席のドアがピャッと開く。 高校生の女の子がふたり、ぱっと飛び出して、ひとりがボンネットに仰向けになり、もうひとりはそれに覆い被さって「正常位」で腰を動かします。 前の座席にはやはり高校生の男の子がふたり乗って笑いころげておる。 アホですのい。 鉄道の線路を越えてから、ずっとやっておった。 クルマが止まる。 ドアがぴゃっと開いてきゃあきゃあゆいながらふたりで走って出てくる。 ボンネットで正常位の体位の実演をする。 信号が緑に変わると出て来たときと左右逆のドアにきゃあきゃあゆいながら戻る。 ただこれだけのことを、延々と延々とやっておる。 モニは呆れてましたが、わっしは笑ってしまいました。 このアホっぷりには覚えがあるからな。 前にも書いたがなにしろ高校生の頃は男も女も「やりたいさかり」なので、たいへんであった。 ただもう闇雲に押し倒したり押し倒されたりしておった。 疾風怒濤のアホぶりです。 アホすぎて土曜日の朝ともなればチ○チンが耐用限度を越えて痛くてぶっちんだりしておった。凹側のみなさんも、さぞかし痛かったであろう、と思い出すとどーしてそこまでアホになって探求心の虜になれたのかいっそ不思議である。 あれら凹友達も、いまは下っ端弁護士になったり新米医者になったり奥さんになってガキを増産体制にはいっていたりで、すまして暮らしておるが、仲間であるとはいえ、やはりアホだったのい(^^) ほんまに、しみじみバカだったと思います。 大過なかったのは、ひたすら運が良かっただけである。 ずっと前に書いた記事の「全勝礼賛」 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20091202 のようなのを読み返してみると、 しかしアホばかりの国に育って、つくづくよかった、と思わないわけにはいかない。 ここにいると、日本にはたくさんいる「頭がよい人間」の恐ろしさ、いやらしさというものがなんだか悪夢のなかの怪物たちのように思い出されます。 日本のひとは頭がよすぎる。 よすぎる頭を持てあまして、どうやったら安全に世の中を渡っていけるかばかり考えているようなところがあると思う。 遊びに出かけた町のホテルのちっこい液晶テレビをつけると、子供がいっぱい並んでインタビューを受けている。 なんのこっちゃ、と思って見ていると、そのお子様軍団は中学入試の「戦士」なのだそーであった。 インタビュアの若いおばちゃんが「きみは、将来なんになるの?」と訊くと 「灘中へはいって東京大学の文科一類に行って在学中に司法試験に合格して財務省にはいるのがぼくの夢です」という。 もうひとりのガキは「ぼくは東京大学の理科一類にはいって、グーグルに就職するのが夢です」とゆっておったが、このガキの「夢」にスケジュールされているとしったら、 ラリー・ペイジは泣くであろう。 … Continue reading

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