Monthly Archives: January 2010

ヒラリー・クリントンの奇妙な提案

モニも妹もわしも「ハイチ、ハイチ、ハイチ」で一日が、あっというまに経ってしまう。 ハイチの政府は、どうやら国民を助けるのにあんまり熱心ではないよーだ。 効率が悪い作業にうんざりして「ボランティアなんてのは結局気休めだな」と、うんざりした様子で言うひとがいる。 ま、そーいーなよ。 ところでハイチに地震が起きてキャンセルされたヒラリー・クリントンのオーストラリア、ニュージーランド歴訪で奇妙なことがあったが、日本のマスメディアをじいいいいーと見ていてもいつまで経っても報道しないようなので、ここに書きとめておきます。   クリントンがニュージーランド政府に対して送った挨拶は、 「日本の捕鯨は到底世界が許容できない暴挙である。合衆国ニュージーランドオーストラリアの三国が国際世論のリーダーとなって捕鯨を撤廃に追い込むように努力するべきだ」というものでした。   これがどれほど「ヘン」なメッセージであるか外交のカンがあるひとには直ぐにわかる。 「捕鯨」の話しをいまのような経済環境のときに大きな話題としてもちだすのは、一億円の家を買う話しをしているときに3000円の違いをオオマジメに述べ立てるようなものです。   ニュージーランドには、「核をもちこませない」という国是がある。 おおむかし、その国是に反して明らかに核を搭載しているとしか思われない合衆国艦船が寄港しようとしたので政府が拒絶した。   合衆国は激怒してニュージーランドとの軍事同盟を破棄してしまった。 「日本人の不正直さを見習え」とゆわれてアッタマに来た当時のランギは、そーゆーくだらん強要をする不正直な国はどのみち同盟者としてふさわしくない、と大声で言い返して人口300万人(当時)の国は人口2億人の世界一の軍事大国と大喧嘩して袂を分かった。 この田舎者の芥子粒のような小国は「おらが国は独立国だぞ。なめんな」とゆった。 そーゆー経緯で、ニュージーランドと合衆国は軍事的にはまったく疎遠なのね。 ところがここに来て、アメリカのほうから「軍事同盟を復活しましょう」とウインクをしてよこしておる。   それはなぜか?   合衆国は、1949年に恐慌状態で策定した防衛線を最悪の場合に至った将来、南に下げる準備をしている。 1941年の防衛線に下げようとしている。 太平洋において、日本ー合衆国ーオーストラリア・ニュージーランドラインから、 合衆国ーオーストラリア・ニュージーランドという伝統的な防衛戦略に戻りつつある。   もっと重大なのは、その結束の象徴として「反捕鯨」を掲げていることです。 諸国民の南太平洋における団結の徴として「鯨を救え」を合い言葉にしよう、と呼びかけている。   ニュージーランドは小国なので新聞も他のメディアも外交に明るい。 「鯨を助けてくれればニュージーランドを救ってあげよう、とクリントンはいった」とかと報道して茶化していました。 合衆国の戦略をおかしがって冗談にしておる。 しかし、クリントンの提案そのものには比較的好意的な反応でした。 「反捕鯨」で団結しよう、というのは太平洋地域ではたいへんわかりやすい主張なのね。 反対の声、というものがまったく起きる余地がない。 2015年くらいから始まる、とゆわれている日本の本格的な凋落をにらんで、またひとつ手を打っている。この大きな戦略の変更はラッドが首相のときのほうがやりやすい、という考えも当然もっているわけです。   日本のひとは、この事態をどう展開するか注視したほうがよい。 … Continue reading

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夜が明けたら_浅川マキ

実はきのう早起きしたので、「浅川マキの死」という記事を書いたのだったが、 記事にする前に捨てちった。捨てちった、とゆーよりも、浅川マキをそもそも教えてくれた美術の友達への手紙に変更して、メールにして送りました。 このひとは、わっしより年上の友達だが1970年代もおしまいの生まれなので浅川マキの世代では全然ないひとなのに浅川マキのすげえファンです。 パリの裏町のレコード屋で浅川マキを初めて聞いたそうだ(^^) 義理叔父に訊いてみると、こともなげに「おれはCD、レコードとも全部もってるもんね」というので、なんだか浅川マキというのは浅川秘密結社の首領みたいなひとなのだろうか、という感じがしたのをおぼえてます。 みんなで知っていて隠しているのではなかろうか。 記事にはなりゃしねーな。わっしは、あんまりしらねーひとだし、と考えていたら、このブログで会って大事な友達になったkochasaengさんからコメントが届いていて、浅川マキのことが書いてあったのでした。 だからkochasaengさんのコメントにも、ここで答えてしまおう。 >浅川マキさんは高校生のころによく聴いた。 義理叔父は、kochasaengさんとほとんど変わらない年だが、中学生のときにいちばんよく聴いていたそーです。カルメン・マキ、浅川マキ、シモンサイ、ジャックス、岡林信康、ピンクフロイド、なのね。 それが、「コーコーセー」になるとシカゴ、クリーム、ローリングストーンズ、ジェフ・ベック、マウンテンになって、デイビッド・ボゥイ、とかのほうに行ったようだ。 どーゆー展開やねん、と思うが、本人には気の毒な答えが待っていそうなので訊いたことがないが多分ロック人になって(叔父はギターを弾く)生きてゆこうと考えていたのが挫折したのでしょう。 義理叔父が要するに「昭和世界」への手引き人であったので、わっしは義理叔父が好きであった岡林信康高田渡はっぴいえんどシモンサイ早川義夫というようなひとたちはみな聴きました。 そのなかで、いちばんクールだったのが浅川マキだったのだが、叔父は初めのうちは教えてくれなかったわけです。 なんで?と聴くと、なんだか大事だったから、と訳のわかんないことをゆいます。 年表を見ると、寺山修司の「天井桟敷」はまだ叔父が高校生だったころに叔父の高校の坂の下に越してきていたはずですが、どうも寺山修司には叔父は興味がなかったようだ。 わっしは短歌が好きだったが、叔父は現代詩も短歌も苦手なほうなので、もっぱら当時凝っていた競馬の予想家としてだけ知っていたようである(^^) 大橋巨泉がいちばん当たってさ、大川慶次郎と寺山がいちばんダメ、だったなあ、とゆいます。 わっしは寺山修司の対談を録音して集めていたひとからテープを買い取ったので寺山修司の対談をよく聴いた。すごい訛りの東北弁で、わかりにくいが、話のおもしろいひとです。 短歌はもっと好きだ。有名な、 マッチ擦るつかの間海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや という、野村秋介が好きだった短歌がもっとも素晴らしいと思うが、ほかにもすごい数の素晴らしい短歌がある。 ところが本人はどうしても「短歌の天才」なんかでは嫌だったようです。 短歌よりも(まるで才能がなかった)現代詩、それよりも「演劇」がよかったようです。 浅川マキは、寺山修司と、この「演劇」をとおして出会った。 「豊穣ななげやりさ」とでもゆいたくなるような浅川マキの声は、寺山修司が寺山修司的世界に常にもっていた「観念」という脆弱さをいつも補っていたでしょう。 ちょっと聴くと、「ブルースの声」であって、本人も観客もそう思ってきいていたかもしれませんが、わっしには「ブルースの声」というふうに聞こえない。 なんだか、もっと「短歌」的な声です。もしかするとブリジット・フォンテーヌが夢見た「短歌」に似ているかもしれない。 突拍子もないことを言うと、わしは浅川マキの曲を聴くと、ばななとーちゃん吉本隆明の現代詩を思い出す。 なんだか「霏霏として降る雪」が降ってくる雪空のような感情に満ちている、気がする。 誤解をおそれずにいうことにすると、「たいへんに日本的」な声だと感じます。 聞いているうちに寺山修司が自分の身体のなかの短歌に生涯求めていた「声」は要するにこういう声だったかなあ、と思い当たるような声である。 もうひとりの「マキ」であるカルメンマキは、寺山修司が「くさい」とゆって、早々と「あのすけべおやじ」とゆって袂をわかってしまったが、浅川マキは寺山修司の強すぎる臭いに辟易しながらも最後まで寺山修司の世界を体現していた。 「ちっちゃな時から」「前科物のクリスマス」「かもめ」はいずれも完全に寺山修司的な世界、横尾忠則がいて、三島由紀夫がいて、「丸山」明宏がいた、あの世界のものです。 わっしは三島由紀夫が監修して横尾忠則がイラストをいっぱい描いた「江戸川乱歩全集」をもっているが、この全集には浅川マキが夜毎歌っていて、西口では「ここは通路です。たちどまらないでください」とラウドスピーカで叫んでいたころの「新宿文化」がぎっしり詰まっている。この本が拠ってきた空気は、「話の特集」があって、平凡パンチがあった、自分たちでも持てあました爆発的なエネルギーをもっていた団塊世代の呼吸していた空気なのだと思う。 「団塊の世代」のひとたちはみな、自分たちが寺山修司や横尾忠則がいたこの時代の部分を支持したようなことをいうが、わっしが調べてみた限りでは話はまったく逆であって、この時代に爆発的に咲き誇ったこの不具な文化は、実際にはなによりも自分たちと同じ「団塊世代」に対する失望と反発から生まれてきたものでした。 要領が良く、周りにあうものは手当たり次第に利用する同世代に対する激しい反発から生まれた文化は、しかし、土壌がないせいですぐにしぼんでしまい、後には「あれはおれたちがつくった文化だったから」と平然とウソをつく団塊世代だけが残った。 浅川マキが最後まで団塊世代を好きに成れないでいたのも同じ理由でしょう。 コンサートでは「なつかしい曲をやってくれ」という団塊世代の客とよく喧嘩をしたという。 >黒テントや赤テントを観た最後の世代だねえ。 … Continue reading

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サイドバイサイド

このあいだ日本にいたときは結局ほとんど行かなかったが、わしはむかしはよく鎌倉に行った。家もまだ鎌倉にもっています。ほおっぽらかしのままだが、ときどき義理叔父が見にいって、「まだ焼けてないよーだ」とかっち、ゆってきます。 もうずっと前、3年前、だろうか、わしは二階堂のせまこしい道を歩いておった。 すると後ろから、子供の女の声が走ってきます。 「こらあー、ヨシオカ、おまえきったねえだろー。ノートかえせよな」 わしの脇をすりぬけてゆく「ヨシオカ」らしき、すばしこいオトコチビガキ。 その後から素晴らしいスプリントで「ヨシオカ」に追いつくチータのような….. ありっ? コーカシアンの子、だのい。一瞬、くるっと、振り返って「ごめんなさい」とゆったときの顔が、よく日本のひとはガイジンは誰でも彼でも「碧眼」「金髪」にしてしまうが、ほんとうに明るい抜けるような青い眼に眼がさめるような金髪の子供である。 英語の「ごめんなさい」がバッキバキのアメリカ発音なので、アメリカ人の子でしょう。 このアメリカガキチータは、見事に「ヨシオカ」を取り押さえると、ノートを取り返した。 ところがだのい、ノートを取り返すと、すぐ肩を並べてなにごとか話をしながら楽しそうにふたりで並んで歩いて行きました。 ガキチータのほうがだいぶん背が高いがの。 ちびっこのヨシオカと背の高いガキチータは、親友同士であるらしく、後ろから見ているだけでどれほど仲が良いか察しがつきます。 「多面体」さんや「kobeni」さんたちの苦闘を読みながら、わしはその「ヨシオカ」と「チータ」のことを思い出していた。 新聞を読みながら、人間は頭が悪いなあー、とモニがつぶやいている。 夏の太陽が照りつけているテラスで新聞を読んでいるのです。 サンブロック、ちゃんと塗った? 20、とかでは無理です。皮膚癌になります。 モニはニュージーランドの日射しの強さがなかなか実感できないよーだ。 広尾のアパートのタタミ3枚、くらいしかないちっこいテラスとちがって、ニュージーランドの家の広大な木のテラスはおおきいのでモニがなんだか小さくなったように見える。 コーヒーとクロワッサンを運んできたついでに「どれどれ」とわしが新聞をのぞきこむと、オーストラリア人の「カリー・バッシング」が深刻化している、と書いてある。 ついては中国人がついにイギリス人を抜いて移民の1位になったが、ファミリーリユニオンビザをなくさないと、あっというまに「仕事をしないで生活保護を受け取って暮らす中国人」が増えて、われわれの福祉を圧迫し、ひいては人種差別が起こるのではないか。 今回の「カリー・バッシング」は、多分世界中で人種差別が最も少ないメルボルンがあるヴィクトリア州で起きているので、わしらの誰彼に衝撃を与えました。 フランスでも長い棒をもって、「移民狩り」をして歩くバカガキどもがいるが、どうやらヴィクトリアで起きている「カリー・バッシング」も似たスタイルのようだ。 「われわれの職業を奪うな」という。 口実は、いつも同じである。 午後はポンソンビーのカフェに行った。 ポンソンビーというのはむかしはゲージツカが集まっていた街で、いまはモデル志望のねーちゃんとかがうろうろしている街だのい。 オントレーとメイン、それにワインが一杯ついて1800円。 ははは、安いのお。 わしはオントレーはペストを塗ったトーストの上にイカさんが載っておるのを食べた。 メインは、マルサラソースのビフテキ(リブアイ)である。 うめーだ。 隣のテーブルではにーちゃんとねーちゃんが頬を寄せ合って笑っておる。 不動産ニュースを手にしているところを見ると、家を買おうとしているところなのでしょう。 もちろんむかしからある風景だが、「むかし」と違うのはにーちゃんがアフリカ人でねーちゃんがコーカシアンであることです。 やっとここまできた。 わしらはやっとここにたどりついた。 マンハッタン。 あのときヴィレッジの交差点で、わしは知的な感じのアフリカンアメリカンと、やわらかなたたずまいのコーカシアンのカップルを眺めていた。 そ。前に記事に書いたことがある。 … Continue reading

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カオスを起こす

ブラウン運動、っちゅうものがあるのを知っていると思います。 視覚的に見られるランダムな運動の代表だすな。 ロバート・ブラウンというスコットランド人のおやじが、ぶち壊れた花粉からあふれてくるちっこい粒つぶを観察していて発見した。 西洋人の考える「個人」というのは社会的には、このブラウン運動をする粒子、みたいなもんです。 基本的には一定の方向をもっておらぬ。 さまざまな条件によって運動が偏向されるが非常に大きなマクロの考えに立って「人間の社会」というようなものを考えるときには潜在的にはブラウン運動的な「個人」が頭に浮かんでいると思う。 長いあいだ具体的な市場で実効性をもたなかった経済理論が、ウィーナー過程のようなものをとばぐちにして実効性をもちつつあるのも、一見そうは考えられない「個々人」といいうものの性向が実は非常に遠い距離からはランダム的なものであるからである、と考えることも出来ます。 誰にでもわかりやすいことだと思いますが、カオス、というものにはダイナミズムがある。 ちょとしたバランスの崩壊から、いっせいに予想もつかなかった方向へ社会全体がダイナミックに動くきっかけになる。 日本のひと、というものをこのブラウン運動の粒子にたとえると、おおきく運動するかわりに定位置にいて微振動を行っている風変わりな粒子、というふうに見えることがある。 一見、まわりの影響も受けず、ロバート・ブラウンが自身が発見した運動を誤解したような「生命の根源である力」も感じられません。 しかし、わっしがこのバカブログをずううううっと書いていて、最近のコメントやブックマークのコメントを読んでいて思うのは、この細かい振動はなんだろう?と思うような、考えの日本人らしくないゆらぎ、ため息ではない荒い呼吸、怒りの叫びには至らないが、もう我慢するわけにはいかない、と思い定めたひとの声調がある。 政権担当能力なんかあるわけない、と知りながら民主党に投票したのも、同じ「微振動」のあらわれなのでしょう。 こういうことは前にもあった。 近くは幕末や1945年がそうであった。 微振動を繰り返しながら辟易していた日本人の集団のなかに根源的にはテロを理由とするカオスが生まれ、そのカオスが固定的な振動をダイナミズムのある集団運動にそっくりエネルギーを吸い上げて日本人たちは社会をあっと驚くほどの速度で様変わりわせたのでした。 この幕末のほうを先に例に挙げたので、こっちで説明しようとすると、しかし、この頃の日本には「長州」や「薩摩」という「外国」があって、この「外圧」によって変化を起こさせる、という勝海舟のようなひとの目論見があった。 そしてその目論見は相当程度、うまく行ったように見えます。 いまは鹿児島県が突然攻めてきたりは出来なくて、鹿児島とゆえど日本の一地方と化している。 「外国」の役割を演じるだけの十分な「異質性」がないからです。 では時間に期待して世代的にはどうか、というと、日本の体制的な文化というのは基本的に全共闘運動に懲りて日本から「世代間対立」というものを取り除くに腐心してきた。 その上、日本人の大好きな 「どの世代のひとにもいいひとはいる」「やくざは悪い、といっても暴力団の存在によって助かっている面もある」「役人が非効率だといってもがんばっているひとたちだってたくさんいます」「粗暴な一般化はさけるべきだ」という意見は常に正しいが、しかし、こういう論法は被支配者側の反論を骨抜きにするために支配者側が道徳としてもちだす論法の典型でもある。 これに、「あなたは一生懸命がんばっているひとたちに、そんなことをゆって恥ずかしくないのですか」というのが加われば完璧に「日本名物バネ壊し」の術、になる。 日本はむかし「百万の英霊に申し訳ないとおもわぬのか」というバカ論法で満州に思考停止したまましがみついて国ごと更地にされて、石器時代に戻された。 1946年には都会の日本人はマジで竪穴式住居に住んでいたのです。 あらっぽい一般化を慎む、というふうになると、だから「世代間の衝突によるダイナミズム」というのは期待できないのね。 そーすると、産業、だよな、とわっしは考えました。 もう全然むりかもしれないが、やっぱりIT革命を起こしてみるしかないのかも知れません。 もう、かるく3周は遅れているのかもしれないが。 やらん、っちゅうわけにはやっぱりいかんかもしれん。 でも、そんなん、いままでだって、やろーやろーとゆっても出来なかったんやん、どーすればいいか、わからんやん、というひとのために、もうすぐ出かけなければならんが大急ぎで付け加えると、 それがわからんのは「大きな絵柄」ばっかり見すぎるからどこから手をつけねければいけないのかわからなくなってしまうのだと思います。 こーゆーことから見てゆけばよい。 細かいことを見なければならん。 たとえば日本できみが会社を興すというと、まず役員報酬のようなものは従業員報酬と税制上異なる、っちゅうことに直面します。メンドクサイから説明を省くが、 いやあ今月は儲かったから給料300万円にしちまうべ、とか先月は全然あかんかったから60万円しか給料とれなくてさ、はっはっは、という日本の外ではふつーの会話が、日本のベンチャー役員からは絶対に聞かれない。 なぜか。 日本ではジョーダンみたいなことに、役員給与を毎月変えたり出来ないのね。 馬券を買うおっさんみたいに赤鉛筆を耳にはさんで「ニッケイ」をにらみながら、 … Continue reading

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カオスを起こす

ブラウン運動、っちゅうものがあるのを知っていると思います。 視覚的に見られるランダムな運動の代表だすな。 ロバート・ブラウンというスコットランド人のおやじが、ぶち壊れた花粉からあふれてくるちっこい粒つぶを観察していて発見した。 西洋人の考える「個人」というのは社会的には、このブラウン運動をする粒子、みたいなもんです。 基本的には一定の方向をもっておらぬ。 さまざまな条件によって運動が偏向されるが非常に大きなマクロの考えに立って「人間の社会」というようなものを考えるときには潜在的にはブラウン運動的な「個人」が頭に浮かんでいると思う。 長いあいだ具体的な市場で実効性をもたなかった経済理論が、ウィーナー過程のようなものをとばぐちにして実効性をもちつつあるのも、一見そうは考えられない「個々人」といいうものの性向が実は非常に遠い距離からはランダム的なものであるからである、と考えることも出来ます。 誰にでもわかりやすいことだと思いますが、カオス、というものにはダイナミズムがある。 ちょとしたバランスの崩壊から、いっせいに予想もつかなかった方向へ社会全体がダイナミックに動くきっかけになる。 日本のひと、というものをこのブラウン運動の粒子にたとえると、おおきく運動するかわりに定位置にいて微振動を行っている風変わりな粒子、というふうに見えることがある。 一見、まわりの影響も受けず、ロバート・ブラウンが自身が発見した運動を誤解したような「生命の根源である力」も感じられません。 しかし、わっしがこのバカブログをずううううっと書いていて、最近のコメントやブックマークのコメントを読んでいて思うのは、この細かい振動はなんだろう?と思うような、考えの日本人らしくないゆらぎ、ため息ではない荒い呼吸、怒りの叫びには至らないが、もう我慢するわけにはいかない、と思い定めたひとの声調がある。 政権担当能力なんかあるわけない、と知りながら民主党に投票したのも、同じ「微振動」のあらわれなのでしょう。 こういうことは前にもあった。 近くは幕末や1945年がそうであった。 微振動を繰り返しながら辟易していた日本人の集団のなかに根源的にはテロを理由とするカオスが生まれ、そのカオスが固定的な振動をダイナミズムのある集団運動にそっくりエネルギーを吸い上げて日本人たちは社会をあっと驚くほどの速度で様変わりわせたのでした。 この幕末のほうを先に例に挙げたので、こっちで説明しようとすると、しかし、この頃の日本には「長州」や「薩摩」という「外国」があって、この「外圧」によって変化を起こさせる、という勝海舟のようなひとの目論見があった。 そしてその目論見は相当程度、うまく行ったように見えます。 いまは鹿児島県が突然攻めてきたりは出来なくて、鹿児島とゆえど日本の一地方と化している。 「外国」の役割を演じるだけの十分な「異質性」がないからです。 では時間に期待して世代的にはどうか、というと、日本の体制的な文化というのは基本的に全共闘運動に懲りて日本から「世代間対立」というものを取り除くに腐心してきた。 その上、日本人の大好きな 「どの世代のひとにもいいひとはいる」「やくざは悪い、といっても暴力団の存在によって助かっている面もある」「役人が非効率だといってもがんばっているひとたちだってたくさんいます」「粗暴な一般化はさけるべきだ」という意見は常に正しいが、しかし、こういう論法は被支配者側の反論を骨抜きにするために支配者側が道徳としてもちだす論法の典型でもある。 これに、「あなたは一生懸命がんばっているひとたちに、そんなことをゆって恥ずかしくないのですか」というのが加われば完璧に「日本名物バネ壊し」の術、になる。 日本はむかし「百万の英霊に申し訳ないとおもわぬのか」というバカ論法で満州に思考停止したまましがみついて国ごと更地にされて、石器時代に戻された。 1946年には都会の日本人はマジで竪穴式住居に住んでいたのです。 あらっぽい一般化を慎む、というふうになると、だから「世代間の衝突によるダイナミズム」というのは期待できないのね。 そーすると、産業、だよな、とわっしは考えました。 もう全然むりかもしれないが、やっぱりIT革命を起こしてみるしかないのかも知れません。 もう、かるく3周は遅れているのかもしれないが。 やらん、っちゅうわけにはやっぱりいかんかもしれん。 でも、そんなん、いままでだって、やろーやろーとゆっても出来なかったんやん、どーすればいいか、わからんやん、というひとのために、もうすぐ出かけなければならんが大急ぎで付け加えると、 それがわからんのは「大きな絵柄」ばっかり見すぎるからどこから手をつけねければいけないのかわからなくなってしまうのだと思います。 こーゆーことから見てゆけばよい。 細かいことを見なければならん。 たとえば日本できみが会社を興すというと、まず役員報酬のようなものは従業員報酬と税制上異なる、っちゅうことに直面します。メンドクサイから説明を省くが、 いやあ今月は儲かったから給料300万円にしちまうべ、とか先月は全然あかんかったから60万円しか給料とれなくてさ、はっはっは、という日本の外ではふつーの会話が、日本のベンチャー役員からは絶対に聞かれない。 なぜか。 日本ではジョーダンみたいなことに、役員給与を毎月変えたり出来ないのね。 馬券を買うおっさんみたいに赤鉛筆を耳にはさんで「ニッケイ」をにらみながら、 … Continue reading

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日航の墜落

義理叔父がまだ30代で腹がたるんでなかったときの話だそーだ。 仕事の用事でサンフランシスコに向かう叔父がひと寝入りしてもうそろそろ朝食だべ、というので窓をちょっとだけ開けてのびをしていると客室乗務員(注)のおばちゃんがやってきて、 「ちょっと窓をおおきく開けて、外をご覧になってください」という。 何事によらず素直というかバ○というか、ゆわれると取りあえずゆわれたとおりやってみる癖のある義理叔父が窓のシャッターを開けて外を見ると、青空があります。 「地上は雨だけど、外は青空なんて不思議ですねえええ? 実はわたしたちは雲の上を飛んでいるので雲があるときでも晴れているんですよねー。 勉強になる、と思われませんか?」 と、客室乗務員(注)おばちゃんは満面に笑みをたたえてゆったそーである(^^) この話は、いかにJALが客はバカであるとおもっているか、ということを説明するのによく義理叔父が使う出来事です。 JALの客室乗務員(注)のサービスは「保母さん」みたいだ、というのでユーメイであった。 わっしはズボンのまたまたさんのところにオレンジジュースをこぼした客のところにやってきて、おしぼりでていねいにふきとってやっている日本人客室乗務員(注)のねーちゃんを見てぎょっとしたことがあります。一瞬、風俗営業法違反なサービスをしているのかと思いました。 わしはマジメな顔をしてまたまたちゃんを拭ってもらっているおっちゃんの顔を見ながら、自分でふけ自分で、と真剣に腹が立った。 なんだ。なんだかんだゆって、JAL、乗ってんじゃん、ときみはゆーかもしれぬ。 JALはむかしからニュージーランドでは大韓航空と並んで切符がいちばん安いのね。 (なぜか日本人が買うときだけは、航空会社のなかでいっちゃん高かったそーだが) 英語圏ではずっとむかしから、どこの国でも同じだろー、と思います。 だから発明でいっぱつあてるまでは、よく乗ったっちゃ。 コードシェア、とゆってだね。ニュージーランドから、ぐおおおんぐおおおおんと連合王国に向かうとすると、エアニュージーランドでわしは行くが成田まではNZ9とJAL98なんちゃって、エアニュージーランドで切符を買ってもJALで買っても乗る飛行機は同じなのだ。 むかしは席がブロックでわかれておって、「JAL席」と「エアニュージーランド席」にわかれておったと思う。 ストップオーバーで成田に泊まるときでも、日航ホテルは一泊2800円、とかだったので、金がねええええー、のときは、よく泊まりました。 でも、このJALのホテル、すげえホテルで、わしから見ると捕虜収容所、みたい感じであった。 空いている時期だから、レートチェックインにしてもらうべ、と思ってレセプションに電話すると、2時間のご延長だと8000円追加になります、とかゆわれる。 あんたはラブホテルか。 (カプセルホテルとラブホテルは英語世界では年がら年中番組で紹介されておる。 行ったことはない。ビョーキがうつりそうな気がするので行ったことはねーだよ。念のためにつけくわえておくが) 一時が万事マニュアル主義で、JALの「慇懃無礼」サービスは世界中に名がとどろいておったので、(削除してなければ)このブログの3年前くらいの記事にもときどき出てくると思いますが、そのうち、つぶれるだびな、これは、とわっしは思っておった。 むかしの航空雑誌、みたいなものを読んでいると、JALという会社の最良の部分は「整備技術の高さ」であると書いてある。 ふむふむ、と読むわっし。 これは義理叔父におせーて、愛国心を刺激して、明日は高い料理をおごらせるにしくはなし。「らん月」でスキヤキ、なんてどうかしら。 普段日本の悪口ばっかしゆっておる癖に、たまにわしが日本のことを賞めると手もなく機嫌がよくなって気前がよくなるからな。 バカなオジンじゃ。 ところが義理叔父は、JALは研究ずみなんだね、とかで、整備は世界一だけど、あそこの整備は、JALの飛行機は整備してないんだよね。 「へっ?」 整備部門の腕が高く売れるっちゅうんで、他の航空機会社に時間売りしているうちに全部他の会社の飛行機の整備になった。 JALの飛行機は○○会社の整備に外注しているのだよ。 それで年間50億円だかなんだか儲かったそうだが、なんちゅう無茶苦茶しよるねん、と驚きました。 わっしはヒコーキオタクでもあるので、それから件の昔週刊誌の蒐集のおりなどに気を付けて見ていると、副操縦士と操縦士が相部屋で眠ることになっていて副操縦士のいびきで眠れなくて困った操縦士が無理矢理眠ろうと酒をあおったら、それでも眠れなくて、結局 「一睡もしない半分泥酔状態」で飛ぶことになった話、ときどきすさまじい異音がするので乗務員が乗りたがらないジャンボの話(どーも、このジャンボ機は御巣鷹山に墜ちたのと同じ飛行機のような機がする)、ジャンボのエンジンが一基不調なので報告したら「3発でちゃんと飛べるんだから出発しろ、きみは会社の利益をどう考えているんだ」と怒鳴られた機長、すげー話がいっぱいあるのでびびりました。 こうやって書いていて気が付くのはJALという会社は「縮小版の日本」であることです。 縁故採用による社員のひどい質の低下は、日本社会の世襲や閨閥で固定化された階層に対応している。 … Continue reading

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ご返信でごわす

コメントが雪崩れておる。 コメントの返信書くの好きだから、いいんすけどね。 いっぱいもらったので、ちょっとびびりました。 コメントがひとーつ、コメントがふたーつ、 (がらがらと崩れるコメントの返信) ああ、また崩れてしまった。 また初めから書き直さなくちゃ、 コメント画ひとーつ、コメントがふたーつ、 (がらがらがら) アホなことゆってないで、ご返信を書かねば。 コメントの返信だけでなくてブックマークにもちょっとだけ答えてーだな。 でも文句があるひとはなるべくコメント欄にしてくれ。 削除するから。(ジョーダンです) ここからコンピュータにもどってくるたんびに書き継いでアップしていきますよってに、全部書き終わるのは、夜であろうか。 順番にご返信します。 ふんでは、まあ、気長に待ってくださりますように。 kochasaeng(1/16)さん、 >おれは、これですぐに治る。 砂浜をジョギングしてワインをどばっと飲んで寝たら直っただよ。 ちょっと咳は出るが、でーじょぶ。 水は、わっしは炭酸水をいっぱい飲みます。 2リットルくらい飲むのではないでしょーか。 あと赤ワインを炭酸水で割ってのみますのい。 これは、おいしいのでアル中になりそうでこわい。 したがって週末だけ、にしてます。 Sieさん、 >私は身の周りの人とさえも、本当は理解しあえないのではないか あっ、無理無理、そんなん、ぜんぜん無理っすよ、とかっち明るく答えてはいかんのか。 いかんよな。 名前を忘れちまったが、T・S・エリオットがエズラパウンドと訣別した事情を書いたエリオットの伝記がありました。 エズラパウンドというのは、すんげえ才能のある詩人だったが、言語のコミュニケーション能力を疑っていた。 それ読むといいかもしれませんのい。 >内的世界はとても言語化できないような複雑な世界なので、物理的にはきわめて近い位置に存在していても、結局のところ、同じ言語によってさえも、コミュニケーションは不可能です。 ぴんぽーん、なんでないかい。 >ちょっと話をしてみると、同じ絶望を抱えている人が、周りにいないのです。 いや、いるいる。絶対、おる。 会ってないとしたら、立っているところが悪いのよね。 >精神的に孤独であっても生きていられる、と考えていたこともありましたが、最近は自信がなくなってきました。 kochasaeng的、サバイバル、という方法もあると思う。 Oblomovさん、 … Continue reading

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仕事始め

「前から言おうと思ってたんだけどさ、ガメ。こおゆうのって、マーカー使うんじゃないの? クレヨン、とか使うか、ふつう」 Bが見づらい、とゆって笑っておる。 マーカー、嫌いだからな、わっし。 クレヨンでも見えるからいいやん。 去年のレポートをプリントアウトしてもらって、わっしがぶちぶち文句をゆっているところです。ダメじゃん、こんなの。この国のGカウンシルのほうは、ほれ、50年リースで貸して、50年たったら所有権移転することになってるんだからさあ、こんなもん「不動産」の項目にいれたやつはビジネスモデル、全然、わかってへんやん。 「ビジネスモデルにそって分けてね」っちゆっただろ、とWにゆっといてくれ。 それから、こっちのKのほうはよ、ヘッジ利かせすぎでなにやってるかわかんねーだろ。 こーゆーものに為替の変動を織り込もうとするのはセンスがなさすぎではなかろーか。 為替の変動は、資金調達のほうに分離しておりこむよーに。 そーだそーだ商業施設のほうも、そろそろとりかかろう。 もうみいいいーんな逃げ出しちったからな。 わっしは、もうやってもいいとおもうだよ。 損しても、たいしたことはなかるべし。 わっしの「事務所」はふつーの事務所に較べるとヘンタイみたいである。 わっしが出張ってくるところには、そもそも「仕事机」ないしな。 「仕事机」みたいなもんに向かうと人間は頭がブロイラーになってコケコッコしかゆわんくなる、というわしのチョー怪しげな理論にしたがって、 どのひとの部屋にも「仕事机」というようなものはない。 マンハッタンの事務所にはピンボール、とかはあるがの(^^) トランポリンもあります。 Pはいいとしこいてトランポリンが好きだからな。 トランポリンでリズムが決まると良い考えがわき出る、のだそーだ。 ヘンな奴。 でっかいスリーシーターのカウチがあって、でかい立ち机があって、これもでっかい一対のファブリックの椅子がある。 石で出来たオトナ3人でも持ち上がらんコーヒーテーブルがある。 壁は天井までの本棚が取り巻いておる。 でもって一応もうしわけみたいなちっこいライティングデスクはあります。 観葉植物がわさわさと置いてある。 こーゆーのを英語では「ライブリ」とゆう。 ちょっと変則だけどね。 前に日本語の訳語を調べたことがあったが、これに該当する日本語はないようだ。 会社の持ち主のフマジメさを反映して隣の部屋にはバーもあります。 ちゃんといつ行っても新鮮なココナツのピナコラーダが作れるようになっておる。 えらいだろ。 kobeniさんたちの話ではないが、Pはちょうど奥さんが2人目の子供を産んだところなので、「旦那産休」の最中です。一年、やすんでおる。 しかし情報だけは共有しておかないと拙いので、情報と進行している事業への評価だけはPのほうから聞きにくる。 そろそろ仕事をしたくてたまらんよーな顔をしてます。 いそがないほうは、PからBへも話してもらってよさそうなので、事務所に来てもらった。 PはPで自分のライブリをもっておる。 同じブロックのなかだが、違う建物です。 ははは、ヘンでしょう。 … Continue reading

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ソウルフード

わっしが大好きなミラ・ネアの「The Namesake」は、ニューヨークに越してきた若いインド人の妻が、生まれて初めて出会う寒さにかじかみながら、コーンフレークとミルクの朝食を食べるところから始まります。しばらく考えてから若妻はスーパーから買ってきてあったチリパウダーをコーンフレークにかける。 わっしはもちろん他の観客と一緒に笑いますが、一方では(コンジョナシなので)、もう涙でスクリーンがにじんでしまう。 今度、移民のおっちゃんやおばちゃんに会ったときは、もっとやさしくすんべな、と自分に言い聞かせる。 気が強い半分イタリア人な嫁のportulacaさんがイタリア杏で梅干しをつくっておる。 http://d.hatena.ne.jp/portulaca198/20090711 やっぱり、わっしはこーゆーの見ると、頼まれもせんのに涙ぐむのだよね。 アホですのい。 20代の後半にして涙腺機能がこわけたようだ。 パースナップを使ってきんぴらごぼうをつくる日本人の女助教授や、スパゲッティを使って饂飩をつくるショーシャマンは、まるで全身で母親の乳房に吸い付く赤ん坊のようである(例がなまなましくてすまん) 人間は遠い土地に移動して、そこに住むと、生まれた土地の食べ物を飢えたひとのように求めるもののよーだ。 わっしが日本にいたとき、よく一緒に遊んだ、世田谷ののベッドルームが7つある社宅に住んで、「こんな狭い家に押し込められて」とゆっていつも怒っていたJ夫人はアイルランド系の合衆国人で合衆国の大きな会社の役員夫人であった 。たいへんプライドが高いひとです。 ところが、このひとがわっしが合衆国に行くときには、ガメ頼むから「あれ」買ってきて、といつも頼むのでした。 「あれ」というのはリコリシュやねん(^^) リコリシュは、ひとによって、好きなのと嫌いなのがはっきりしていて、それが手にはいるかどうかが死活問題のひとびともいるのね。 だから「ガイジン」同士でよく助け合ったものであった。 ロンドンは言うまでもないが、オークランドでもたとえば「ドサプラザ」というようなところにゆくと、是も非もなく故郷の匂いを満喫したくなった南インド人たちが群がっておる。 わしはゆかんからわからんが、オークランドのくそまずい(義理叔父証言)日本料理屋 は、いつも日本人であふれているそーです。 うまくゆえないが、わしは、そーゆー話を聞くと、なんだか泣くのい。 なぜだろうか? 前にも記事に書いたが、バターンの死の行進の監視の役割についていて、なけなしのきんぴらごぼうを捕虜に勧めたせいで(捕虜虐待の罪状で)処刑された日本の若い兵隊や、 黒パンを焼いた「マツヤマさん」たちのことを考える。 わっしにとっては、日本にいたときは「ローストフード」だろうか。 それよりも、なんちゅうか、「ほんとうの西洋料理」に飢えていたような気もします。 パンもスープも、肉ですら味が違うので、わっしはなんとなく「なにからなにまでインチキな世界」にでもいるような錯覚に陥ることがあった。 いやいや、ウソだな、それは、ラムとリコリシュとパン。 このみっつが、ときどき夢に見るくらい欲しくなった。 みっつとも日本にもあるじゃん、というひとは、まことに何も判らんひとである。 全然うまくゆえないが移民のひとびとは、もともとが「勇気」のひとびとであって、明るさもあれば、どんなことが起こったって楽天的に考えて解決してゆこうとする特質があると思うが、それでも食べ物だけはなかなか移民しきれないようです。 わっしはサンドリンガムの街にあるインド・スーパーマーケットに出かけて、ブルカの女のひとたちが、スパイスの棚の前に立って、何十分も過ごしているのを正視できないもののよーです。 笑いたければ笑えばよい。 どうか、がんばって、と思って、それだけで胸がいっぱいになる。 インド人たちはドケチなのでセキュリティを雇わないが、もしセキュリティを雇っていたら、ブルカの女のひとたちをみつめて涙ぐんでいるわしなどは、いきなり警察に通報されそうです。 シークの家族を空港で止めて侮辱した、というニュージーランドのパスポートコントロールなら、もう戻らんでいいから、とわしに言うかもしれん。 魂、をいっぱい買いこんで、うんと、この国で幸せになってくれればよいが、と思います。

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自分のブログの考察

気が付いたひともいるだろうが、わっしはこのブログを二週間くらい前にやめるはずであった。 なんだか「正しい」ことばかり言いたがる人間になったようで、くだらねー、と思ったからです。 昨日は「kobeni さんへのご返信どす」という長あーい記事を書いた、あまつさえブックマークすらもらった(felis_azuriさん、すまん)が消しちった。 それはなぜかというと、わっしには結局日本の事情、日本の女のおかれている立場、日本の会社、どれもぜんぜんわかってへんからで、わかってないものを書いてもしょーがねーだろ、と思って削除したのでした。 わっしは女の友達どもとよく、「女の権利」というような話をするが、英語世界では実は 「女の主張に反駁する」ほうの立場であることのほうが多い。 わっしの国では女びととゆえど「仲間」なので、「なにを抜かす」とゆっていても、それで噛み合った議論が出来る。 日本語でそれが出来ないのは日本の女のひとびとの立場が低すぎて、議論にもならないからです。 ひとは自由人に向かっては「きみは権利というものをはき違えておる」と(ジョーダンで)ゆえるが、奴隷に向かっては言うことを許されていない。 日本の働く女のひとびとのように、雇用者につけこまれ、アホな緊張を強いられている奴隷労働者に「奴隷の権利をありがたがれ」というのは、サディズムとゆって悪ければ、ひどいわるふざけ、でしょう。 山本七平、であるとか、ポール・ボネであるとか、むかしから外国人のふりをして文明批評を行ってきた日本人の批評家と比較して「ガメ・オベールも日本人だ」とゆってもらえるのは光栄だが、現実というものはどうにもならないものであって、ガイジンはガイジンなんです。 わっしは難しいことになると、相変わらず英語で考えてしまっているようだ。 ブックマークをつけてくれるひとたちに引きずられて自分の過去記事を読んで苦笑いしてしまいました。 話がややこしくなると英語の翻訳文に変わってしまっておる。 現代のインド人たちは、家庭のなかでも英語で話す。 ある程度以上の教育を受けたひとたちのあいだでは、流行であったものが定着して、ほとんど例外がない、というくらいにまでそうなった。 こーゆーことは、おおげさに言うと歴史に例がないことで、インドのひとびと、おおざっぱに分けて16語族のひとびとがこぞって「インド人」という文明をつくりだすがわのひとびとであることを感じさせます。 「前例がないことをやる」というのは、前例を模倣することしか知らないひとたちが考えるよりも遙かにたいへんです。 自分たちの知性が大地に立っていなければ出来ない。 活字から生まれた知性にはマネができない。 そういうインド人たちですら、「ガメね、おれたちはほんとうは考えるときは、地方語で考えているんだよ。タミル人はタミル語、おれはヒンディ」 このひとは自分はヒンディ奥さんがタミル語でもともと言葉が通じないので、結婚してからずっと英語で話しておる。 奥さんは、すっげえええええ、おしゃべりなひとで、ぶっとびます。 英語であれなんだから、地方語でまわっている頭のなかはどのくらいおしゃべりなのであるか、と考えて慄然とする、わっし。 「英語で考えればいいじゃん」 「いや、そうしようと思っても出来ないよ」 わっしは、実は自分が日本語、とか言語をいくつか習得したこと、ついては、たとえば日本語のような新しく習得した言語であっても、その言語で考えるところまで到達したと信じておること、を話してみました。 「そんなことはありえないよ、ガメ」とゆわれた。 そーかなー、ジョゼフ・コンラッドは英語で「闇の奥」を書いたぞ。 彼は天才だから。 ガメとは違うだろ。 ふーむ。 男は要約されることを好むが、女は自分を要約されることを拒絶する、という。 ガメはハンサムだ。ガメは金持ちだ。 ガメは偉いひとだ。 そーゆってやると、ガメは、ぬわはははは、そーですか、いやどーもほんとうのことを聞くと辛いですなあーとゆって喜ぶであろう。 女のひとに同じことをゆってみたまえ、きみは、あの「あんたにわたしがわかるもんですか」な微笑を浴びてあえなく現実の厳しさに敗北するに違いない。 男の宇宙は外側にあるのに女の宇宙は内側にあるからですのい。 なんだか、もれなく細部を集めてこないと「女」のほうは姿をなさないのね。 … Continue reading

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ドアを開ける

ぐるじい。 がぜひいただよ。 ぱおおおおーん、ぱおおおおーん、と象さんみたいな音を立ててハナをかみます。 鼻が赤くてトナカイさんみたいである。 ほんとのトナカイさんの鼻が赤いかどうかはしらんが。 (日本のひと、みんな「トナカイの鼻は赤い」っちゅうやん。なんでだ? 北海道にはアカハナトナカイがいるのだろうか) 日本男児の諸君、わるかった。ゆるしてくれたまえ。 きょうも日本語を練習しなくっちゃ、と思って机に向かったものの、あの日は書くことをなあああんにもおもいつかなかったのね。 だから、おもわずほんとうのことを書いてしまいました。 いかんよな。 ほんとうのことをゆっては。 このひとはアホかなあ、と思った相手にアホなんですか?とゆってはならむ。 たいへんなことになります。 反日ガイジンだとあちこちに書かれる。 北朝鮮のスパイだ、とマジメにゆわれます。 ハゲにハゲとゆってはいかん。 小沢一郎に小沢一郎なのか?と訊いてはいけないのです。 恥部というものはたとえあからさまに露出されていても見て見ぬふりをしなくてはいけないもののよーだ。 そーゆえば、わっしはここ数日「Franchesco3」というひとのブログ http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091203/1259872505 を読んでおるがの。 日本の女のひとはやさしいのお。 我慢しすぎなんでない? ストレスがたまると健康に悪い、とストレス学説はゆっておる。 「またもう一つ驚きましたのは、「性犯罪が起こるのは性犯罪者がいるからで す」という部分です。私は性犯罪に限らず犯罪者とそうでない人との垣根はそう高くないものだと考えております。もちろん犯罪は許されざることですが、誰も が理性や勇気を守りきれず犯罪に走ってしまう可能性があるものかと。」 っちゅうような、こうやってコピー&ペーストさせられるマウスさんがいやいやをしそうなくらいひどいコメントを読んでやるだけでもすごい忍耐力なのに、この、わたしが強姦して歩かないのはインポテンツだからです、他に理由ないもんね、な、しかもバカを白痴絵具で描いたようなドヘタで薄気味悪いクソ敬語の日本語でしか話せないやつを相手にマジメにこたえておる。 すげー。 第一、これらの人間もどきって、「女が性的魅力を強調した服を着るのはいかん」っちゅうんだぜ。 オークランドにはショーツから、すひょおおお、とのびた足をびよおおおーんと出して日に焼けた肌を大々的に露出して歩いておるかっちょいいねーちゃんがいっぱいおるけどな。 わっしは、カフェに座っていて、こーゆーゴージャスねーちゃんが通ると、ふにゃはらぴいー(心の声)と思いながらカクテルをテーブルにおいて真面目な顔のまま垂れかけた涎をあわててぬぐうのが結婚するまでの最大の愉しみであった。 パブロフの犬、ですね。 なにしろわしは世界二分法によれば、女の敵ですからのい。 美人のねーちゃんがそばを通ると、頭のなかではパドヴァの教会の鐘のように「ねーちゃんが、ねーちゃんが、ねーちゃんが」の大反響になって、 他の音はなんも聞こえん。 おもわず立ち上がって、我知らずねーちゃんに歩み寄る二本の我がバカ足。 止まるかよ、そんなもん。 バカ口も自動でセンテンスをこさえて「ねーちゃん、一緒に遊びましょう」をして、バカ、とゆわれたりしておった。 … Continue reading

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kobeniさん、

そもそも返信が期待されていないブックマークのコメントに返事をするのはヘンだが、 どうしても書いておきたかったので書いておきます。 kobeniさんが「日本男児の考察」のブックマークに添えたコメントを読んですっかりショックを受けてしまった。 >育児などのハンデを抱えていると、会社からは「優秀だというメリットがあるやつなら残してやってもいい」と言われているに等しいので、男性より優秀である、しかもう突破口がないんだなと気づいた。 というのは、よくない。 たいへんよくない、と思います。 追いつめられた気持ちで働いている女のひとたちに気楽に「よくない」なんてゆーのは決してよいことではないが、でも、良くないものは良くなくて、そんなほうに突っ走っていってしまうとkobeniさんは自爆して「社会の礎」のようなバカなものになりかねないので、詳細は後で記事で書くとして、とりあえず、そんな決心は良くないとバカブログ記事を書いた人間は大慌てで言った、ということだけおぼえていてください。 必ずちゃんと説明しにもどってきますから。 女のひとが出産したり育児の中心にならざるをえなかったりするのは「社会全体のハンディ」で、「働く女のハンディ」なんかでは全然ないのはあたりまえです。 それがわからない人間は社会から出ていってもらうしかない。 女のひとが産休を十分とることで出世競争に不利になったり、まして、会社のなかでの地位が低下する、というようなことになると、社会全体の生産性が下がってしまう。 女のひとの地位を正常なものにすることは、女のひとたちのためでなくて「社会」そのもののためなんです。(こんなことはkobeniさんは知っていることだと思うが) だからそこで「男性より優秀である」ことを目指すのは、社会にとってはマイナスだと思う。「女にだけハンディキャップをおっかぶせている」、反社会的な男社員を社会から放逐して、そういう「社風」を放置している会社がつぶれるようにもってゆくほうが生産的です。 kobeni さんたち、日本の仕事をしている女のひとたちは、わっしのようなオオタワケにゆわれなくても知り抜いていることだとは思いますが、 (たとえば男の社員にも奥さんが出産したときの産休を奥さんと同程度に認める、というような制度を含めて)女の地位を具体的に男と同じまで引きあげて、女のひとが「二級市民」でないことをシステム的に保証することは、もちろん「女たちのため」とか「女権の伸張」というようなことではまったくない。 「社会全体のため」であって、しかもそうすれば社会全体の生産性は上昇する、ことがはっきりしているからです。 身も蓋もないことをいうと日本なら日本という経済集団が、毎年毎年厳しくなる世界市場の経済競争に打ち勝つために絶対に必要な制度改革、なのだと思う。 わっしは、もうちょっとすると出かけないとならないので、ちゃんと書けないのがもどかしいが、「男性よりも優秀であろう」とするのは「二級市民」として自分を定義することになってしまう。第一、それでは自分というものを大事にして労ることになりません。 自分を幸福に出来ず労ることが出来ない人間には絶対に絶対に社会の建設などは出来ないし、また、させてはいけない、という。 がんばるのなら、これからおおきな深呼吸を一回して、 よおおおーし、こんな会社つぶしちゃるど、と固く決心するのがよいと思います。 この「大和男児の考察」というのは、えらそーな日本人を見てうんざりしたので、いままでにあったことを思い出して書きましたが、日本の女のひとの話のほうは、バカ男デブPの、いつもどおりの突拍子もない思いつきをふざけて書いただけ、ともゆえます。 現実であると信じていますが、現実の一面でしかない。 デブPは、気の良い奴ですが、ものごとをちゃんと考えられない、という点では驚異的なくらいパーなやつなんです。 このまま放っておくと、デブの意見とわっしの意見が混同されてしまうので、そのうち 「大和撫子の考察」でも書きます。 もう、いかなくちゃ。 では、また。

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日本男児の考察

シシュアン(四川)料理を食べに行った。 ブランチですのい。 ブランチ、とゆっても、もう午後2時だが(^^) ノースショアからマウントエデンに行くときに道の右側にシシュアンの看板を出している小さな店があることにわっしはずっと気付いておった。 わっしがクルマで通りかかったとき、ちょうどシェフのおっちゃんが店の外で煙草を気持ちよさそーにふかしているところでした。 奥からおばちゃんが出てきて、「さぼってんじゃねーよ。あん?  店、客でいっぱいだろ。 なに考えて生きてんだ、このボケ」とゆっているのが聞こえそうな仕草でシェフを店の厨房に追い立てておる。 わっしはむかしこの日本語ブログで会った友達が「四川料理はうまい」、とゆっていたのをおぼえていたので、いっぺん、ここに来てみるべ、と考えました。 安い中国料理の店、というのは店の雰囲気が失礼であるほどうまい、という法則があるよーだ。 店の前の交差点を、ぶおいん、と曲がってクルマを駐める。P120(二時間駐車)だのい、この通りは。 モニとふたりで、今日は夕立がきそーだ、とゆいながらでっっかい積雲が流れている青空を見上げました。 店にはいると、 午後二時、なのに、どばあああ、とチューゴクのひとがあふれておる。 テーブルがいっぱいで座れん。 モニとわっしはカウンタの脇で立ってメニューを眺めておった。 英語のメニューがあんねんな。 中国語のメニューと値段、おなじやん。 リョーシン的ではないか、と考えながらメニューに眺めいるわっし。壁のメニューのほうを見ると「怪味面」とかっち書いてあります。 面、は麺だろーが、「怪味」っちなんやねん、と考えるわっし。 Dan Dan Noodle(担々麺)を頼んだら、むちゃくちゃおいしいのでぶっくらこきました。モニも、「うまいな、これ」とゆって不思議そーな顔をしておった。 モニさん、中華料理、嫌いだからのん。 しかし、わっしはLを頼んでモニはSを頼んだのにサイズ同じやん。 注文わかってへんのちゃうか、あのねーちゃん、というわっしに、黙って、すっと丼をわしの丼のほうに滑らせるモニ。 サイドバイサイドにすれば一目瞭然、ははは、大きさ違うやん。 わしってダメなひとね。 帰りに、あん?のおばちゃんに「すげー、うめーな、ここは」というと、「あっ? あん?」とゆいながら耳をこっちに突き出すおばちゃん。 わっしはデッカイ声で「ベリー・ナーイス!」とゆいます。 おばちゃん、ニッカリ笑うと、 「ここの食べ物、ぜーんぶ、チューゴクの食べ物!ナイス!」という(^^) 愛国心、とゆーものだな。 いいな。 がんばれチューゴクおばちゃん。 マウントエデンやマウントアルバート、っちゅうようなところにはアジア人がいっぱい住んでおる。日本のひとはマウントエデンが多いよーだ。 聞くところによると、日本人のひとが家を売るところから、めんどー見ているのね。 そーゆー業者にお願いするとなんでもすげー割高だそーだが、ま、コンサルタント料と通訳料をかねている、っちゅうことなのであろう。 日本のひとは日本のひとだけで団子になって住んでます。 わっしが暮らしていて日本人と出会う、っちゅうようなことは、ないにひとしい。 インド人の友達や中国人の友達は「日本人はやたら威張るから嫌いだ」と言う。 … Continue reading

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坂の上の雲_「明治時代」は存在したか?

前にも記事に書いたが司馬遼太郎というひとは外国人から見ると不思議な小説家で、不思議、というか「存在しない」小説家です。 だって、売ってないからな。 英語版は、ということだが。 マンハッタンのロックフェラーセンターにある紀伊國屋書店とかに行くともしかして「空海の風景」くらいが見つかるかも知れないが、他にはないであろう、と思う。 ともかくどこにも売っていない小説家である。 理由はわかりません。 わっしは日本語を身に付けるにあたって「大量に日本語の本を読む」ことを方針にした。 ま、他のこともいろいろやったけどね。 わっしの外国語に対する考えはいつでも同じで「読めれば書けるさ」です。 同様に話せるし聴けるはずである。 「えっ、おれは読めるけど話せねーぞ」ときみは言うであろう。 日本のひとはみな、「わたしは英語は読むのはだいじょうぶなんですが、話すほうはちょっと….」と言うからな。 でも、ウソですよ、そんなの。 読めれば話せるに決まっているではないか。 読めるのに話せない、というのは、ほんとうは「読めていない」のね。 英語をずらずらずらずらと読んで、頭の中で慌てて、片端から和訳しているだけです。 それは「読んだ」とはゆわん。 翻訳代をけちっただけです。 第一、きみの机の上にある辞書、英和辞典なんじゃない? わっしはある日、ソニーの社長夫人になった娘が至るところでウエイターは怒鳴りつけるわ、いったいあなたはわたしを誰だと思っているの店長に来させない、と叫びたてるわ、 お伴を連れて欧州に出かけて剣突をくらわせて欧州人をボーゼンとさせるわ、という偉業を成し遂げた三省堂本店で、「坂の上の雲」というカッチョイイ題名の本を見つけた。 すげえーむかし、4年か5年前のことです。 一日、という当時の自己新記録というべきスピードで読みました。 読んだあとでひどい頭痛がしたがな。 この本が母国語なみのスピードで読んだ記念すべき第1号の本になった。 いろいろ理由があるであろう。 わっしはその頃正岡子規の本を立て続けに読んでおった。 芬蘭の歴史を調べたついでに興味をもって日本海海戦について調べていました。 幕末の歴史が面白かったので薩摩人の故郷に行ってみんべ、と思ってヘコーキで鹿児島にも行った。 そーゆー当時のうらわかき、独身で、いまよりも2キロ痩せていて(最近ステーキのくいすぎだべ)、ありとあらゆる種類のねーちゃんにモテモテであった頃のわっしにアピールしたのだな。 次の日いちにちお休みしてから、わっしはまたまた三省堂に出張って、今度は司馬遼太郎の本で棚にあるのを全部買った。 送ってもらいました。 わっしは吉田戦車先生のたいへんためになる本を読みながら待っていたが、着いた瞬間から、ずううううっと、ずううううううううううっと司馬遼太郎を読んでおった。 しまいには義理叔父に「ぼくは、やね」とゆって笑われました。 面白かった順に並べて 「坂の上の雲」「尻喰啖え孫市」「竜馬がゆく」「関ヶ原」「峠」っちゅうような感じでしょうか。 このひとは公団アパートのてっぺんのようなところから地上を見てはんねんな、とわっしは考えた。高みだが、(嫌な言葉だが)「庶民的」な高みなのね。 ものすごく非人間的な感じがする「観念のひと」であるのに、そういう自分が嫌いだったようだ。肉体、とかがあんまりないひとです。 友達になると嬉しいが家族、とか、ましてこんなんが父親だったらたまらんな、と思った。 兄貴、でも嫌だのい。 … Continue reading

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またまたご返信がたまりました。

なんだか書いたり消したりしているうちに、順序も頭もぐじゃぐじゃになって、なにをどう答えているのか、ほぼ不明になってしまった(^^) しかし、コメントに答えるようなオモロイことをやめるわけにはゆかないので、ぐじゃぐじゃのまま進行してくれるわ。 コメントを付けてくれたみなさんは各自、自分のコメントがどこにあるか努力して見つけるよーに(すまん) あと、コメントのご返信を書きながら今日一日この記事はヒマを見つけては補足されるであろう。 (ご返信がふえてゆくのね) 「えっ、おれのコメント答えてねーじゃん」と思うひとびとは、寝る前にもう一回見てから寝てね。 (なんというデタラメ。twitterみてえ、ともゆえるな。ははは) picoline_1 さん、 >UK、というか倫敦はとても楽しいです。大好きな場所になりました。 よかった。 >もともと関西人で言葉扱いに慣れているうえ、相方がSatire好きでずいぶんと鍛えられました。 「相方」さんに訊くとわかりますが「サーカズム(sarcasm)」とわっしらは言うのね。 (英語が間違っている、という意味ではありません。言うまでもないが) >倫敦ではバブル崩壊以降、お店がどっと潰れて悲しんでいたところ すごかった。でも、ほら200ポンドくらいのワインが60ポンドくらいで売ってたりして、ケーザイテキでよかった、という面もありました。 わっしはケチなので、ここを先途とあれらロシア人経営の高級ワイン屋からいっぱいワインを買った。たいそうなストックが出来てしまいました。 コノリーでもなんでも安くて非常によかった。 やっぱり、ときどきは不景気がこないとつまらんもんだ、とひどいことを考えました。 >「この街は昔から新陳代謝がえらく激しいから、心配することないよ」と慰められました。 その通りなんです。古書店、骨董屋や美術店の専門的な店が郊外に分散してしまったり、通りの「共益費」がまともな店では払えないものにされてしまったりしたのは痛いが、それもまた落ち着くところに落ち着いてゆくでしょう。 ロンドンっちゅうのは、「打たれ強い」街ですからのい。 AKさん、 >日本国内のつもりで「ベルギーワッフル」などとうっかり言わないように 日本語では、そーゆーんだったっけ? おぼえてねえー。 >サンフランシスコ店も同時期に閉鎖したので、経営方針みたいですね。 ベストバイとかにボロ負けこいちった、っちゅうのもあるかもしれまへんな。 >リアル店舗が存在するのは地球上で「AKIHABARA」だけになったりして。 ダイジョーブ、オバカショップFry’s があるではないか。(ニューヨークにはないが) >ガメさんの業界関連(?)の話題として わっし仕事してへんて。ギョーカイも、おまへん。 記事でぼちぼち書いていくか書かないうちにいきなり終わるかわからしまへんが、無職だけど会社はもってますのい。 そのうちには「ギョーカイ」のもある。 ものすごおおく儲からなさそうなことをやっている会社ですが、遊びに行くとオモロイからいいことにしてあります。 >London Stock Exchangeの基幹システムが、たった3年前に導入したばかりのWindows.NetからLinuxにリプレースされる 初めにWindows.Netを導入した奴がぶわっかたれの知ったかぶりのインボーカだっただけで….と怒ろうとおもったら、下に書いてあったのね。 >Windows2003が原因であり、新製品Windows2008ならば素晴らしく良くなるはず」とか仰っている … Continue reading

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またまたご返信がたまりました。

なんだか書いたり消したりしているうちに、順序も頭もぐじゃぐじゃになって、なにをどう答えているのか、ほぼ不明になってしまった(^^) しかし、コメントに答えるようなオモロイことをやめるわけにはゆかないので、ぐじゃぐじゃのまま進行してくれるわ。 コメントを付けてくれたみなさんは各自、自分のコメントがどこにあるか努力して見つけるよーに(すまん) あと、コメントのご返信を書きながら今日一日この記事はヒマを見つけては補足されるであろう。 (ご返信がふえてゆくのね) 「えっ、おれのコメント答えてねーじゃん」と思うひとびとは、寝る前にもう一回見てから寝てね。 (なんというデタラメ。twitterみてえ、ともゆえるな。ははは) picoline_1 さん、 >UK、というか倫敦はとても楽しいです。大好きな場所になりました。 よかった。 >もともと関西人で言葉扱いに慣れているうえ、相方がSatire好きでずいぶんと鍛えられました。 「相方」さんに訊くとわかりますが「サーカズム(sarcasm)」とわっしらは言うのね。 (英語が間違っている、という意味ではありません。言うまでもないが) >倫敦ではバブル崩壊以降、お店がどっと潰れて悲しんでいたところ すごかった。でも、ほら200ポンドくらいのワインが60ポンドくらいで売ってたりして、ケーザイテキでよかった、という面もありました。 わっしはケチなので、ここを先途とあれらロシア人経営の高級ワイン屋からいっぱいワインを買った。たいそうなストックが出来てしまいました。 コノリーでもなんでも安くて非常によかった。 やっぱり、ときどきは不景気がこないとつまらんもんだ、とひどいことを考えました。 >「この街は昔から新陳代謝がえらく激しいから、心配することないよ」と慰められました。 その通りなんです。古書店、骨董屋や美術店の専門的な店が郊外に分散してしまったり、通りの「共益費」がまともな店では払えないものにされてしまったりしたのは痛いが、それもまた落ち着くところに落ち着いてゆくでしょう。 ロンドンっちゅうのは、「打たれ強い」街ですからのい。 AKさん、 >日本国内のつもりで「ベルギーワッフル」などとうっかり言わないように 日本語では、そーゆーんだったっけ? おぼえてねえー。 >サンフランシスコ店も同時期に閉鎖したので、経営方針みたいですね。 ベストバイとかにボロ負けこいちった、っちゅうのもあるかもしれまへんな。 >リアル店舗が存在するのは地球上で「AKIHABARA」だけになったりして。 ダイジョーブ、オバカショップFry’s があるではないか。(ニューヨークにはないが) >ガメさんの業界関連(?)の話題として わっし仕事してへんて。ギョーカイも、おまへん。 記事でぼちぼち書いていくか書かないうちにいきなり終わるかわからしまへんが、無職だけど会社はもってますのい。 そのうちには「ギョーカイ」のもある。 ものすごおおく儲からなさそうなことをやっている会社ですが、遊びに行くとオモロイからいいことにしてあります。 >London Stock Exchangeの基幹システムが、たった3年前に導入したばかりのWindows.NetからLinuxにリプレースされる 初めにWindows.Netを導入した奴がぶわっかたれの知ったかぶりのインボーカだっただけで….と怒ろうとおもったら、下に書いてあったのね。 >Windows2003が原因であり、新製品Windows2008ならば素晴らしく良くなるはず」とか仰っている … Continue reading

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夕暮れの交差点で

リミュエラのインド料理屋に行った。 ブリヤニがうまい店なのね。 モニとふたりでワインを飲みながら、ぼんやり料理が出来るのを待ちました。 交差点に70代くらいの老夫婦が立っている。 わっしは、そのふたりの姿を見て、自分が故国に帰ってきているのだなあーと思った。 丁度おなじくらいの背丈のその夫婦は、ただ信号を待っていただけですが、固く手を握りあっているのです。 照れくさいのだろうか、日本のひとは、こーゆーことはせんものな。 なんだか、かわゆいようでもある。 でももっと(圧倒的に)切ない感じがします。 手に手をとりあって、というが、このふたりは文字通り手に手をとりあって、この残酷な世界を生きぬいてきたのに違いない。 いま、年をとって、もう少しだけ、この世界を一緒に愉しもうとしているのでしょう。 信号が変わって、緑になった。 ニュージーランドの信号は歩行者には短かすぎるので、老夫婦は無理な調子の早足で道路を渡ります。渡り終えて息をはずませながら、ダンちゃんジジのほうがなんだか冗談をゆっておる。バーチャンは空をみあげるようにして呵々と大笑しておったが、急にダンちゃんジジの頬を両手で押さえてキスをした。 たったそれだけのことだったが、 わっしはすっかり「人の一生」というものの何事かに打ちのめされてしまった。 モニの「ガメ、一緒にいような」という声がする。 振り返るとモニも老夫婦に気が付いたもののよーでした。 うん、とゆおうと思ったが言うと泣き出しそうなので、夕陽がいちめんに広がって赤く染める夕方の交差点に目をあわててもどしました。 老夫婦の姿は、もちろん、もうそこにはありません。 えっ、たたそれだけかね? ときみは言うかもしれぬ。 そう、ただ、それだけのことなんだけどね。 それにこんなこと、書いてもしかたがない。 仕方がないのはわかっているが、 なんだか書いておかなければいけないような気がしてきたので、書いておきます。

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コメントへのご返信がたまってしもうた

1月8日分 Sieさん、 >その根源が自分自身である っちゅうタイプのひとを議論するひとに変えてゆく(というと、なんとなく嫌なひとになるみたいだが他に表現を思いつかん)というのが「議論をする社会の習慣の力」なのかも知れないだすな。わっしの裏祖国のひとも表祖国のひとも「ひきこもり」のひとが多い。でも議論は、すんねん。 あれが本人の努力である、とはどーしても思えません。 >dralongさんのまぁ気にしないことが肝要だと思います。 という言葉について考えてみました。 dralongさんは、日本のひととしては、というか日本の習慣のなかでは極めてふつーのひとですが、わしらから見ると(というのは「わしが属している文化の基準からみると、ということだが)、「相手に自分の言葉が起こす効果」だけを考えて話をする。 もう少し簡単な言い方をすると、相手に「あわせて」話をする。 しかしこれは、わしらの基準では「不正直」「不誠実」な人間としか映らないのです。 こーゆーひとは曾野綾子さんふうに言うと「欧米では」きわめて卑劣な人間とみなされる。「欧」にも「米」にも、特に後者にはこういうひとがオカネの場では数は少ないがいます。 相手がどんな「御説」をもっているかじいいーと観察していて、「御説ごもっとも」と言い始める。都合の悪い意見になると感情的に爆発して「論」のほうはシャットダウンされる。社会的な上下関係からして無視してもよい、と判断した場合は単純に無視することすらある。 なんという傲慢な人間だろう、という結論になります。 こうやって書いていて思うのは、日本人が「傲慢で不誠実で嘘つきである」というイメージで考えられる傾向があるのは、他人との関係における日本的習慣のせいなのかもしれません。 >「気にしない」とか、過去を水に流す、という習慣 というのは、不思議、というか、気にしないですませたり、水に流せる程度のことをじゃあなんできみはブリングアップ(っち、ゆわないよね。カタカナ語なさそう。うーんとね、問題提起、とかさ、もちだす、とかかな? まあ、だいたいそんな意味っす)したのかね、とゆわれるであろう。じゃ、我慢すればよかったでしょうとゆわれる。 >人間関係を円満にする上で培われた知恵 歴史的には「被支配人」を円滑に支配するための知恵、でしょう。 妙なことを言うと、たかだか1946年にGHQの命令で始めたいまの捕鯨を「日本固有の文化」というふうにもっていって外国人に対する日本人の憤激を煽るのと手口としてはたいへん似ている。 人間支配としてはたいへんすぐれた非常に深淵な知恵です。良い知恵だとは言えないと思うが。 >相手の優しさとか弱さにもたれかかって 砂利でもクソでもなんでも飲み込んどきなさい、というのは「もたれかかられるほう」の役割も終始もとめられることを考えると、「そーゆーのって、人間には無理」と、わっしなどは思ってしまいます。 そーゆー非人間的な努力をわしに強いるなよな、と呟いて、他の社会に行ってしまうでしょうね。 らくちんが好きだからのい。 1月6日分、 AKさん、 わっし、いまいる場所の特殊な状況により、AKさんの一つ前のコメントをアップしていないのを発見してしまった。で、メールを出したが、あれ空アカウントなのね。(メールアカウントとかURL書かなくても投稿出来ます) カーネギーホールのほうにいるのだったら、ジューブン観光客目当てのところでもあるし、ぶわっか高いとは思うが「ブルックリンダイナー」っちゅうところがあるだでよ。 そこへ行くと純正アメリカ朝飯が食べられます。うまいっす。 あとね、カーネギーホールの斜め前にあるカフェヨオロパはチェーンの他のところよりうめーだよ。公園のはす向かいのモールの地下も良いが知っていると思うので省く。 >へこたれる日本ではありませんぜ! よおおおおーし! 頼むからへこたれんでくれ。 わっしやっぱりシンガポールもええがストップオーバーとして日本に未練があるでよ。 >http://www.youtube.com/watch?v=H7zhpMbRoUs わっし、今日いるところって、さっき実行速度測ったら70kくらいだったねん(^^;) これ「ブロードバンド」なんやて。信じられん。 そーゆーわけでパーネルの家に戻らんとyoutube見られまへん。後で見るね。 ぽんぴいさん、 >ぶははは! … Continue reading

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隣の性犯罪者2

(前回までの粗筋) 曾野綾子というひとの記事について 「全勝礼賛」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/12/02/bk/ 「転ばぬ先の杖を折る」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/12/18/fools/ 「女だてらに」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/12/24/女だてらに/ 「隣の性犯罪者」 http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20100101/1262332826 とよっつ書いてきたら、koisuru_otoutoというひとが、 「お偉い様のブログ主様, 善意のタコ殴り, やさしい蹴り飛ばし, あたたかい絞首刑 読んで気分が悪くなった。”傷ましいことに、その社会からの多分に性的な要求に応えて見せようとする十代の女ガキ”の部分とかさ、それ”女ガキ”じゃなくて他に選択肢が無い方が問題だし、憐憫されてやる筋合いもないし」 とブックマークのコメントをつけてきた。 ヘンな奴、と思っていたら、今度はまたわっしの記事「隣の性犯罪者」に見当違いな「同意」をした上で、「同意は出来るが、ものすごく嫌な文章だな」とブックマークのコメントをつける。 しつこいので、「うるせー、バカ。無礼ものめ」という記事、 日本語ブログ(koisuru_otoutoさんに) http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20100108/1262812647 を書きました。 わし、失礼なやつ嫌いやねん。 そしたら、antonianとか他からも叱責のコメントが来た。 このkoisuru_otoutoというひとは「強姦被害者支援グループ」の「仲間内」であったよーだ。(コメントのひと談) わしにはわからんが。 ファンが多いひとなのね。 すごい、いっぱい思いっきりわっしの日本語がいかに間違いだらけで「嫌な」日本語であるかメールやコメントが来ました。 「koisuru_otoutoさんは、まともにわたしたちのことを考えてくれているひとのなのに、なんちゅうことを言うんだ」とか「女の敵」とか「反省するよーに」というコメントがいっぱいきた。 「喧嘩売るのにあちこちコピペしてんじゃねーよ」と言うが、どこにもしてないぞわしは、そんなもの。 コメントを記事にもしておく、とは書いたがな。 アタマがおかしいのではないか。 なんじゃこれは、と思って考えてみると、「味方の敵は敵」、ということのよーだ。 つまりkoisuru_otoutoさんは強姦被害者の味方なのに、それをくさすあなたはサイテーな人間だ、ということなのね。 ついでに、「やっぱりわたしもあなたの日本語は嫌いです。下手だと思う。日本の女のことはガイジンにはわからないのだからほっておいてほしい」というのも来たな(^^;) 「あなたは失礼だと思う」 なはは。すごい。 まとめてゴミ箱に行ってもらいました。 だってさ、ゴミ箱っちゅうのは「ゴミとそれに類するもの」を始末するところだからな。 強姦被害者の味方でも敵でも、知るかよ、そんなこと。 … Continue reading

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日本語ブログ(koisuru_otoutoさんに)

日本語のブログではないが、自分のブログに来た人と「ブログ」の話をした。 「ひとが集まるブログっちどんなんだ」とか、ブログの話、とゆーてもウエブギョーカイのひとなのでマーケティングみたいな下品な話です。 わっしは、あんまり気乗りしない話題だのお、と思いながら「ひとつの話題にしぼる」とかいろいろ返事を書いていたのだが、書いてから考えてみると、自分の「日本語ブログ」では、全然、「他人にブログを読んでもらうための定石」が守られておらん(^^) 理由は簡単で、ひとつの問題に収束していられるほど日本語がまだ上手じゃないのね。 とりあえず日本語で書けるほうに、歩いていってしまう。 わっしのこのブログに付き合うのっててーへんだろーなあー、と思いました。 だってさ、さっきまでお金の話、とかしてたから、そーかオカネか、と思ってると、今度はユーレイの話とかしてるんだぜ。 たまらねーよな。 日本語、むちゃくちゃだし。 それでも、ひーこら言いながらたった5行くらいの記事をネルソンとかコリンズとかの辞書をへっくりかえしてまる一日かけて書いていた3年前に較べると、わっしの日本語は格段に進歩した、と思ってます。 誰もゆってくれないから、ここに自分で書いておく。 日本のひとというのは、全然外国人が日本語を勉強することに対することへの「あたたかい励まし」とゆーよーなものはなくて、ただただ足をひっぱるだけです。 (すまん。でも、ほんとうなのよ) これは日本語学習者のあいだでは、ユーメイな「日本語をベンキョーするときのマイナス」です。 わっしは「学習者」ではなくて、なああーんとなく日本語に馴染んでいるだけだが、それでもほめてもらったほうが嬉しい。 ほめれば犬でも「お手」くらいはする。ガイジンでも日本語を話すようになるかもしれぬではないか。 でも、日本語を勉強しても絶対に良いことがないんです。 第一日本語で話しかけても、全然意味のわからん英語で返事されることも多いでよ。 箸を使うとおげげさに目をまるくして、「ひゃああーハシが使えるんですねえ」 「こんにちわ」というと、「うわああああ、日本語がお上手なんですねえ」とゆってまるで犬が火星語を話したように驚くが、いざ日本語で多少とも何かを書くと、どうも嫌がられるようだ。 このブログが始まって以来(最近はメンドクサイから載せないが)終始一貫、 「おまえの日本語は下手で見込みがないからさっさとやめろ」とか「日本語が間違いだらけで読むに耐えないから書くな」とか、じゃあー読むなよ、ボケ、なひとがコメントを送ってくる。 最近は手が込んできて、ブックマークのコメント、っちゅうような手もあるようだ。 自分の記事につけられたブックマークのコメントを見ていると、 たとえば、こんなのがあります。 koisuru_otoutoというひとが http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20091224/1261621819 にブックマークを付けてコメントを書いておる 「お偉い様のブログ主様, 善意のタコ殴り, やさしい蹴り飛ばし, あたたかい絞首刑 読んで気分が悪くなった。”傷ましいことに、その社会からの多分に性的な要求に応えて見せようとする十代の女ガキ”の部分とかさ、それ”女ガキ”じゃなくて他に選択肢が無い方が問題だし、憐憫されてやる筋合いもないし」 と書いてあります。 このひとは「強姦被害者のみなさんと共にあります。よろしくお願いします」っちゅうひとなよーだ。 だいたい、この「自衛論」とかっちゅうヘンな議論にまっとうな女のひとびとと同じ側に立ってじっと様子をうかがってから最大公約数の意見をゆってみてうけをねらう、という線をねらっているらしい。 しかし、だね。 自分は「 お偉い様のブログ主様, 善意のタコ殴り, … Continue reading

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