オーバニー

モニとわっしは一日中いっしょです。

ずうううーとずううううーと一緒であって何処にでもふたりでゆきます。

同じものを見て同じものを聞く。

家の中ではモニは絵を描いているか刺繍をしているか本を読んでいるか。

ときどきテレビを観ているよーだが、番組で好きな物があるというより、むかしから英語のベンキョーにテレビを見るシューカンがあるので、その続き、という面もあるよーだ。

フランス語、とかもでそーだが、自分がよくわかっているはずの(外国の)言葉でも、ひとによって、ぜーんぜんわからんことがある。

「ぶらぶらぶらぶらぶらー」

「へっ? なんでしって?」

「ぶらぶらぶらぶらぶらー」

「?」

「だから、ぶらぶらぶら、ぶらぶら、ぶらあー」

うー、と思う。

ひとっこともわからんちん。

それがあるひとつの単語を手掛かりに忽然とすべて聞こえてきたりします。

どーもFM局にチューナーをあわせるときとか、そーゆーもののよーだ。

その周波数帯の幅を広げるのには、たしかにテレビを観るのはよい方法なのかもしれません。

そーゆえば、ピクトンではスコットランドから来た母親と娘のふたり組が、ベーカリーでスーパーマーケットのなかの肉屋で豚の肩肉の切り方を変えられるか、と聞いているのに「ピクトン語」しか判らん肉屋はとんちんかんな受け答えをしている。

違う、違う、とゆって母親のほうがもう一回説明すると肉屋は、なにゆってるかわからん、と宣言してぶーたれる始末。

わっしがツーヤクすると、肉屋はようやっと理解して仕事にかかったりしておった。

英語同士でもこれだからな。

こーゆーことはニュージーランドの田舎、とか合衆国の田舎、とか、そこに住んでいるひとが「いろいろな英語」に馴染みがない場合に起こるよーです。

わっしが観察した範囲ではロスアンジェルスのひとやなんかがいちばん「いろいろな英語」がわかるよーだ。

わっしがいちばん苦手な「中国訛り」もなんなく理解するひとがおおいな。かっこいい。

アジア人の英語のなかでは、わっしはインド人の訛りと日本人の訛りは他人よりもわかるよーです。

他のひとよりもインド人や日本のひとの知り合いが多いせいでしょう。

フランス人は自分の国の言葉のアクセントや発音にやったらキビシイので学習しているひとはうんざりする。「自然」でないフランス語に耳を全開にして聞いてくれるのはへたっぴいなときだけであって、ちょっとでも上手になると、逆にちょっとでもヘンなアクセントがはいると露骨に顔を顰める。

むかしのニュージーランド人と同じです。

スペイン人はおおらかであって、全然文句をゆわん。

どーも「言語」というもののコンセプトがやや違うんでない?という感じであって、「意味が通じればそれでいーのだ」というところがあるようです。

もともと世界帝国だからでしょう。

隣の部屋でテレビを観ていたモニがドアを開けてはいってきて

ガメ、「skiting」ってなんだ? と訊く。

テレビを観ていたら、女のキャスタが男のキャスタに、「お、ユーアージャストスカイティング!」とゆって笑った、という。

わっしはおもむろにHPSゲームを研究していた顔を上げて

「えらそーにじまんする、ちゅう意味」と答えます。

「アメリカでは言わないんじゃない?」

「ゆいません」

「イギリスでは言うのか?」

「うーんと、えーと」(長考20秒)

ゆいません(きっぱり)。

ふーん、とゆってモニは隣室に消えてゆきます。

モニはこの日本語ブログではわっしにさんざん「英語が下手である」とゆわれているが、たとえば合衆国人よりは上手である。

英語を母国語にしている人間とややちがうのは「言葉が上品」で、汚い言葉を知らないことであろーか。

罵倒語の権威とゆわれているわっしとしては、そこがちょっともの足らん。

閑話休題。

モニとふたりでオーバニーのモールを見にいった。

このへんのひとびとは「アルバニー」と発音するようだが、そこまでは付き合えん。

めんどくさい。

離れたところにパックンセーブとニューワールドのふたつのスーパーマーケットが建っていて、あいだにアップルコンピュータの店とかベンドン(女のひと用の下着屋さんですのい)とか、まんなかには一瞬日本のソフトバンクの孫正義がもっていたことがあるKマートがあったりする、標準的なモールです。

太陽のあたる北側にはオープンカフェが並んでいて、モールの端っこには映画館があります。

道の反対側にはホームセンターやウエアハウスという「メイドインチャイナ」屋さんっちゅうようなチェーンの大規模専門店が並んでおる。

スタジアムもある。

ラグビーとかクリケットをやるんだすな。

あいているところは緑で埋めてあって、ははは、シムシティみてえ。

アメリカ人が始めたこーゆーやりかたは、オーストラリア人が完成させて世界中にふきゅうさせた。

ニュージーランドやなんかにもいっぱい出来た。

ついでにこのひとたちはボンダイジャンクションでモールを「都市型」にする方法を発見してロンドンにも進出した。

これを顧客の収入の面から見るとビンボ人型と金持ち型の両方のマーケットを編み出したことになります。

日本の開発会社ははやくからアウトレットのほうはコピって輸入したが、モールのほうは多分考えかたそのものが日本人の経営者たちをあわないのでしょう。

あんまりうまくいってないようだ。

わっしが子供のころのオーバニーは何にもないところで、ただの農場だった。

この先のトーベイというところにかーちゃんの友達の別荘農場があったので、わっしは何回か来たことがあります。

牧草地がうねりながらなだらかにくだってゆくその先に海が見えて、たいそう綺麗な農場であった。

オークランドは陸地が入り組んでくびれたところにあるので、周辺の至る所にやたらと海岸っちゅうか砂浜がある。

住宅地からちょっと歩くと海岸で散歩が出来ます。

それでひらけた、とゆってもよい。

オーバニーは考えてみるとオークランド近郊で初めての「インランド型」の開発である。

コンセプト自体がわかりやすかったらしくて、中国系人投資家が大挙して参加したそーだ。

こうして出かけてみると、なるほど空間そのものが巨大なので、なにごともゆろちがあってよいようだ。

モールの天井も他のモールよりも高くて、通路もとっても広いっす。

スーパーマーケットのトローリーを押しながらでも他の店をひやかしてあるけるものな。

わっしは「モール」というものそのものが嫌いなので、

「一緒に開発やんない」っちゆわれても、うんとゆったことはないが、こうやって眺めていると、こーゆーものは世界中にもっと増えてゆくだろうと思います。

安っぽいだけで、便利このうえない。

モールみたいなものを敢然と拒否しさる可能性があるのは大陸欧州人くらいのものでしょう。

あれらはガンコなので、「便利なかわりにおれらが先祖代々なじんだ地元の店はみんなつぶれてしまうでねーか。

不便でケッコー、あんなちんけなもん、いらんわい」とゆーであろう。

しかし、そーゆーツッパリもいつまでもつだろうか。

メキシコのクエルナバカでは地元のひとは石ばかりか火炎瓶を投げてまでモールの建設に反対したのにアメリカ人たちに押し切られてしまったからな。

結局、「コスコ(Costco)」を中心としたそのモールは地元の経済を一瞬で粉砕して地元経済というもの自体を「払拭」してしまった。

フードモールのまんなかに仁王立ちになって「こういう開発は人類のためにならんではないか」とぶちぶちひとりごとをゆっている、わっしのほうへ、映画館の入り口でインフォメーションスクリーンを操作していたモニが戻ってきます。

「ガメ、アバター、やってるぞ、見るか?」という。

あっ、わっし、見たい。

3Dのやつあるやん。

シャッター式なんだぜ、あれ、とゆって狂喜しているわっしに、

「3Dなんて、あんな子供だましを見ちゃいけません」とモニは冷たく言い放つのでした。

だからモールは嫌いじゃ。

(関係ないか)

 

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One Response to オーバニー

  1. bubliki says:

    ニュージーランドにもダーチャがあるんですか。知らなかった。

コメントをここに書いてね書いてね

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