自分のブログの考察

気が付いたひともいるだろうが、わっしはこのブログを二週間くらい前にやめるはずであった。

なんだか「正しい」ことばかり言いたがる人間になったようで、くだらねー、と思ったからです。

昨日は「kobeni さんへのご返信どす」という長あーい記事を書いた、あまつさえブックマークすらもらった(felis_azuriさん、すまん)が消しちった。

それはなぜかというと、わっしには結局日本の事情、日本の女のおかれている立場、日本の会社、どれもぜんぜんわかってへんからで、わかってないものを書いてもしょーがねーだろ、と思って削除したのでした。

わっしは女の友達どもとよく、「女の権利」というような話をするが、英語世界では実は

「女の主張に反駁する」ほうの立場であることのほうが多い。

わっしの国では女びととゆえど「仲間」なので、「なにを抜かす」とゆっていても、それで噛み合った議論が出来る。

日本語でそれが出来ないのは日本の女のひとびとの立場が低すぎて、議論にもならないからです。

ひとは自由人に向かっては「きみは権利というものをはき違えておる」と(ジョーダンで)ゆえるが、奴隷に向かっては言うことを許されていない。

日本の働く女のひとびとのように、雇用者につけこまれ、アホな緊張を強いられている奴隷労働者に「奴隷の権利をありがたがれ」というのは、サディズムとゆって悪ければ、ひどいわるふざけ、でしょう。

山本七平、であるとか、ポール・ボネであるとか、むかしから外国人のふりをして文明批評を行ってきた日本人の批評家と比較して「ガメ・オベールも日本人だ」とゆってもらえるのは光栄だが、現実というものはどうにもならないものであって、ガイジンはガイジンなんです。

わっしは難しいことになると、相変わらず英語で考えてしまっているようだ。

ブックマークをつけてくれるひとたちに引きずられて自分の過去記事を読んで苦笑いしてしまいました。

話がややこしくなると英語の翻訳文に変わってしまっておる。

現代のインド人たちは、家庭のなかでも英語で話す。

ある程度以上の教育を受けたひとたちのあいだでは、流行であったものが定着して、ほとんど例外がない、というくらいにまでそうなった。

こーゆーことは、おおげさに言うと歴史に例がないことで、インドのひとびと、おおざっぱに分けて16語族のひとびとがこぞって「インド人」という文明をつくりだすがわのひとびとであることを感じさせます。

「前例がないことをやる」というのは、前例を模倣することしか知らないひとたちが考えるよりも遙かにたいへんです。

自分たちの知性が大地に立っていなければ出来ない。

活字から生まれた知性にはマネができない。

そういうインド人たちですら、「ガメね、おれたちはほんとうは考えるときは、地方語で考えているんだよ。タミル人はタミル語、おれはヒンディ」

このひとは自分はヒンディ奥さんがタミル語でもともと言葉が通じないので、結婚してからずっと英語で話しておる。

奥さんは、すっげえええええ、おしゃべりなひとで、ぶっとびます。

英語であれなんだから、地方語でまわっている頭のなかはどのくらいおしゃべりなのであるか、と考えて慄然とする、わっし。

「英語で考えればいいじゃん」

「いや、そうしようと思っても出来ないよ」

わっしは、実は自分が日本語、とか言語をいくつか習得したこと、ついては、たとえば日本語のような新しく習得した言語であっても、その言語で考えるところまで到達したと信じておること、を話してみました。

「そんなことはありえないよ、ガメ」とゆわれた。

そーかなー、ジョゼフ・コンラッドは英語で「闇の奥」を書いたぞ。

彼は天才だから。

ガメとは違うだろ。

ふーむ。

男は要約されることを好むが、女は自分を要約されることを拒絶する、という。

ガメはハンサムだ。ガメは金持ちだ。 ガメは偉いひとだ。

そーゆってやると、ガメは、ぬわはははは、そーですか、いやどーもほんとうのことを聞くと辛いですなあーとゆって喜ぶであろう。

女のひとに同じことをゆってみたまえ、きみは、あの「あんたにわたしがわかるもんですか」な微笑を浴びてあえなく現実の厳しさに敗北するに違いない。

男の宇宙は外側にあるのに女の宇宙は内側にあるからですのい。

なんだか、もれなく細部を集めてこないと「女」のほうは姿をなさないのね。

そーゆー形のなしかた、というものは、わっしの知っておる世界には存在しないものです。

だから女ひとというものは、わしにはモニ以外は全然理解できない。

理解できていないものを、わかろうと思って日本語ブログで記事にしてみたのは日本の女のひとの地位がぶっくらこくくらい低いので、興味をもった、からでしょう。

ちょっと、きみ、「興味」はひどいんじゃない、ときみはゆーであろー。

ひどいよな。

でも、この自分が持っている気持ちはなんであろーと思って見つめてみると、これはキョーミとしか言いようがないものであって、そもそも自国の女びとのことを考えているときとは違うものであるよーだ。

だから、もう日本のひとのゆいかたでいう「ジェンダー」カテゴリのようなものは、やめたほうがよさそうです。

いろいろ考えてみたが、日本のようなカシコゲな人間が集って住んでいる社会で、どーしてここまで社会の生産性をすら損なうような女のひとびとの処遇をしているのか、わっしにはわからん。

そーゆーと怒るひとがいるに決まっているが、日本の女のひとびとの地位は奴隷そのものであって、他のものでは全然ない。

強姦被害の件数が少ないのも、そもそも奴隷が主人を挑発したのが悪い、という理屈なのでしょう。

報告されていないだけ、なのだと考えます。

そもそも自分が妻を強姦した、とわかってさえいない夫すらいそうなくらい女にとってはひどい社会である、と思う。

わしが日本の女に生まれたら、万策をつくして他の国に逃げる。

逃亡奴隷とゆわばゆえ、奴隷として鎖につながれたままよりマシです。

閑話休題。

わっしには、「ものを書くのがはやい」という特技がある。

英語ならばジョーダンでなくて話すよりも書く方がはやいかもしれません。

わっしはいっつも誤魔化してテキトーなことをゆっているけど、欧州語がふたつと、あと日本語が出来るのね。

日本語がいちばんたいへんでした。

無茶苦茶なことをゆーなー、ときみは思うであろうが、多分、この言語はまだ出来上がっていない、のではなかろーか、というのがわしの感想です。

難しさの源泉はどうもそこにあるよーだ。

文法もないしな。(日本語文法は思想的にすでにあやまっておる)

カタカナ語で小手先の柔軟性を持たせようとしたのが徒になって、言語としての意味性もだいぶん失われてしまっておるよーだ。

言語として崩壊しないですんでいるのは、カタカナ語をはじめとする「くさりやすい」言葉が動詞としては使えないようになっているからでしょう。

逆に言うと、英語のような言語が不定形な規則によって出来ているのに言語として成熟出来たのは、動詞に異物がはいりこめる構造のせいで、それを峻拒してきたからだと思います。

ちょっと言い方が抽象的すぎるか。

うーんとね、ほら、assistっちゅう言葉があるでしょう?

あれは外来語なんですけどね。

英語ではhelpという。

きみが川で溺れたとして、ぎょえええー、たしけてくれええ、とパニクったときに

「Help! Help me!」とはゆえるが、「Assist! Assist me!」とは天地が逆さまになってもゆえん。

なぜか?

考えてみると、いろいろ面白いことがわかると思います。

わっしのブログはもともとは純粋にわしが日本語を練習するためにある。

最近むかしと較べてジョーズになってきたので、いろいろヒトらしいことを言うようになったが、むかしは、もっともっとずっとひどかった。

表現がわかんないと話題そのものを変えちゃうのね。

その頃のブログもいっぱいのこっているので自分で読んでいるとふきだします。

マジメな顔をしてデタラメをこいておる。

考えの正しさよりも明らかに「日本語が日本語っぽく見えること」を優先しておるのだな。

この「日本語っぽく見える日本語を書く」というのが、このブログ記事を書く、わっしの最大の目標で、最近「もう上達しちったからえーわ」というのでさぼっている他の諸言語のブログ、とかも同じ目的で書かれている。

具体的にはどうやっているかというと、現代詩に詳しいひとならすぐわかる。

日本の現代詩をまる暗記していて、その声調を借りているのです。

自分でえばって言うと、わっしの頭のなかにはたくさんの日本の現代詩、岩田宏や岡田輶彦、田村隆一、鮎川信夫というようなひとのたくさんの「定型をつかんだ声」がはいっている。

その「いれもの」に盛って書いているのね。

これは実は初めての外国語であるフランス語を教わったときに先生がゆっていたのを、そのまんま実行しているだけなんです。

わしは人間が単純なので、ゆわれたことをそのままやってみる、っちゅうの得意だもん。

他にはやっぱり同じハゲに「本をいっぱい読め」とゆわれたので、本屋にゆくと、まわりのひとにヒソヒソされるくらい本をいっぱい買います。

外国語、ほかの努力、あんまりしてない。

どんなひとでも同じやりかたで、一年あれば絶対わっしくらい程度には言語を習得できると思います。

あー、ちかれた。

「正しいことばかり言うひとは声がかれる」という。

自分のブログをちょっと振り返ってみると、

いままで書いた記事のなかで自分でもっとも好きなのは、

「彗星_ある艦爆パイロットの戦い」

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20090610/1244710964

であるよーだ。

いちばん最後の何行かが気に入らないが、わっしが日本語を書き出したときの念願は、

こういう記事を書けるようになれればよいが、ということだった。

だから、もう、目的ははたした、ともゆえるわけです。

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One Response to 自分のブログの考察

  1. kobeni_08 says:

    >ガメさんこんばんは。私宛に返事を書いて下さってたこと、存じあげませんでした。読みたかったなあ!というのが正直なところです。ガメさんから見ると、日本の女性の状況は不可解極まりないかもしれません。でも、上でpottenさんが書かれていることが事実です。>男性は女性の処遇について、全く作為なく『そういうものである』としか思って>いないのだから、最初から疑っても無駄だったのです。裏なんてなかったのです>から。角田光代の小説に、なぜ結婚し子供をもうけるのかと聞かれたサラリーマン夫が「そんなこと、考えたことなかった」と言うセリフがあります。日本の男性の多くは、自分達が女性を虐げているとは思っていません。「男は金を稼ぐものだ。戦争に行けと言われたら行くもんだ。そういうもんだ。」と思っている。例えば、女性は結婚したら仕事なんかサッサと辞めたいものだと思っている。子供を育てる事が女性の幸せだと思っている。そんな女性を男は守るもんだと思っていて、差別しているとは思ってないんです。そしてまた、多くの女性も、男性に虐げられているとは思っていません。守られていると思っている。この勘違いが、日本の女性の地位がなかなか上がらない大きな理由だと思います。勘違いだと気がつくのは、「そういうもんだ」から外れたり、外れたいと願った人だけですから。たぶんガメさんは、こんな日本の現状に対して、正論を言うことの虚しさに気づかれたのかなと思います。私も前回のエントリ(「働くママは権利ばかり主張して、義務を果たさない?」)を書いた後、同じ気持ちになりました。正しいことを言うだけではどうにもならない位、根が深いんです。ただし、現実を知り、是々非々の中で妥協点を見つけ、少しずつ前へ進むというようなことは、私たちのような、現場にいる人間がやればいいことです。灯台のように、行くべき道を照らす人や、理想や信念を思い出させてくれる人がいなければ、「そうはいっても現実は」の「現実」に、私たちは簡単に屈してしまいます。なんかおかしい、と思っても、とっとと諦めた方がラクだからです。歴史的観点や、国際的観点は、「なにが正しいのか」を考える際に、非常に大切ですよね。とにかく、日本は遅れている。先進国とは思えないくらい。そのことを、私たちに教えてほしい。それに私は、ここ最近のガメさんのエントリを読んで、非常に励まされてるんです。正直、子供を産んでから、「もうこの国やだ…」と思うことが格段に増えました。これ以上、男性に失望したくはないし、(自分が間違ってるのか?)という気持ちにもなりたくないです。そういう風に、ガメさんの、ジェンダー関連のエントリを待っている人はたくさんいると思いますよ。これからも楽しみにしています。ちなみに私が、海外へ出ないのは、日本語が好きだからです。それに日本人って、一人ひとりと話してみると、みんな誠実で優しいですよ。>pottenさんあなたが書いた増田は、非常によく覚えています。あなたはきっと若いのに、書かれていることは現状をとても適確に捉えていたから、下の世代がそんな風に思ってるなんて…と、けっこうショックでした。あなたはきっと今、なにか自分が思うようにいかないことがあると、「これは、自分が女だからかな」と、度々思ってしまっているのではないか。その気持ちはすごくよく分かります。しかも、事実そうであることも混じっているかもしれない。でも正直、私は、子供を産むまで、そんな気持ちになったことはほとんど無かったです。それだけ、フェアな会社で働いていました。「私が女だからいけないんだ」という気持ちは、自分ではどうすることもできないこと(=女であること) を原因にすることになり、非常に辛いと思います。なので、あまりそう考えない方がいいです。明らかに女性差別だと思われることがあったら、そこから逃げることです。女性をフェアに扱う会社は、探せばあります。そこは、驚くほど風通しがいいはずですから。そして、一生、自分の力で稼ぐということもまた、できない世の中ではありません。そこは男女関係なく、プロを目指してほしいと思います。結婚・出産をしてから、本当の戦いが始まったという女性は多いはずです。子供はホントに素晴らしいです。オンナに、ものすごい力を与えてくれます。だからね、あまり大きなものを、一人で抱え込みすぎないで。「こんな世の中だから、子供なんか産んでも…」みたいな、漠然とした荷物を背負わないでほしい。現実の中でちょっとずつ、ちょっとずつ前に進むような努力を「まずは自分のために」やっていこう、お互い。私はブログ(kobeniの日記)の方で、そんなことをレポートしていけたらと思います。よかったら、遊びにきてください。twitterもやってるし。増田見たときから、気になっていたんだよね。ガメさん…人ん家のブログに長々と、すいませんでした。これからもエントリ楽しみにしてます。kobeni

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