Daily Archives: January 21, 2010

夜が明けたら_浅川マキ

実はきのう早起きしたので、「浅川マキの死」という記事を書いたのだったが、 記事にする前に捨てちった。捨てちった、とゆーよりも、浅川マキをそもそも教えてくれた美術の友達への手紙に変更して、メールにして送りました。 このひとは、わっしより年上の友達だが1970年代もおしまいの生まれなので浅川マキの世代では全然ないひとなのに浅川マキのすげえファンです。 パリの裏町のレコード屋で浅川マキを初めて聞いたそうだ(^^) 義理叔父に訊いてみると、こともなげに「おれはCD、レコードとも全部もってるもんね」というので、なんだか浅川マキというのは浅川秘密結社の首領みたいなひとなのだろうか、という感じがしたのをおぼえてます。 みんなで知っていて隠しているのではなかろうか。 記事にはなりゃしねーな。わっしは、あんまりしらねーひとだし、と考えていたら、このブログで会って大事な友達になったkochasaengさんからコメントが届いていて、浅川マキのことが書いてあったのでした。 だからkochasaengさんのコメントにも、ここで答えてしまおう。 >浅川マキさんは高校生のころによく聴いた。 義理叔父は、kochasaengさんとほとんど変わらない年だが、中学生のときにいちばんよく聴いていたそーです。カルメン・マキ、浅川マキ、シモンサイ、ジャックス、岡林信康、ピンクフロイド、なのね。 それが、「コーコーセー」になるとシカゴ、クリーム、ローリングストーンズ、ジェフ・ベック、マウンテンになって、デイビッド・ボゥイ、とかのほうに行ったようだ。 どーゆー展開やねん、と思うが、本人には気の毒な答えが待っていそうなので訊いたことがないが多分ロック人になって(叔父はギターを弾く)生きてゆこうと考えていたのが挫折したのでしょう。 義理叔父が要するに「昭和世界」への手引き人であったので、わっしは義理叔父が好きであった岡林信康高田渡はっぴいえんどシモンサイ早川義夫というようなひとたちはみな聴きました。 そのなかで、いちばんクールだったのが浅川マキだったのだが、叔父は初めのうちは教えてくれなかったわけです。 なんで?と聴くと、なんだか大事だったから、と訳のわかんないことをゆいます。 年表を見ると、寺山修司の「天井桟敷」はまだ叔父が高校生だったころに叔父の高校の坂の下に越してきていたはずですが、どうも寺山修司には叔父は興味がなかったようだ。 わっしは短歌が好きだったが、叔父は現代詩も短歌も苦手なほうなので、もっぱら当時凝っていた競馬の予想家としてだけ知っていたようである(^^) 大橋巨泉がいちばん当たってさ、大川慶次郎と寺山がいちばんダメ、だったなあ、とゆいます。 わっしは寺山修司の対談を録音して集めていたひとからテープを買い取ったので寺山修司の対談をよく聴いた。すごい訛りの東北弁で、わかりにくいが、話のおもしろいひとです。 短歌はもっと好きだ。有名な、 マッチ擦るつかの間海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや という、野村秋介が好きだった短歌がもっとも素晴らしいと思うが、ほかにもすごい数の素晴らしい短歌がある。 ところが本人はどうしても「短歌の天才」なんかでは嫌だったようです。 短歌よりも(まるで才能がなかった)現代詩、それよりも「演劇」がよかったようです。 浅川マキは、寺山修司と、この「演劇」をとおして出会った。 「豊穣ななげやりさ」とでもゆいたくなるような浅川マキの声は、寺山修司が寺山修司的世界に常にもっていた「観念」という脆弱さをいつも補っていたでしょう。 ちょっと聴くと、「ブルースの声」であって、本人も観客もそう思ってきいていたかもしれませんが、わっしには「ブルースの声」というふうに聞こえない。 なんだか、もっと「短歌」的な声です。もしかするとブリジット・フォンテーヌが夢見た「短歌」に似ているかもしれない。 突拍子もないことを言うと、わしは浅川マキの曲を聴くと、ばななとーちゃん吉本隆明の現代詩を思い出す。 なんだか「霏霏として降る雪」が降ってくる雪空のような感情に満ちている、気がする。 誤解をおそれずにいうことにすると、「たいへんに日本的」な声だと感じます。 聞いているうちに寺山修司が自分の身体のなかの短歌に生涯求めていた「声」は要するにこういう声だったかなあ、と思い当たるような声である。 もうひとりの「マキ」であるカルメンマキは、寺山修司が「くさい」とゆって、早々と「あのすけべおやじ」とゆって袂をわかってしまったが、浅川マキは寺山修司の強すぎる臭いに辟易しながらも最後まで寺山修司の世界を体現していた。 「ちっちゃな時から」「前科物のクリスマス」「かもめ」はいずれも完全に寺山修司的な世界、横尾忠則がいて、三島由紀夫がいて、「丸山」明宏がいた、あの世界のものです。 わっしは三島由紀夫が監修して横尾忠則がイラストをいっぱい描いた「江戸川乱歩全集」をもっているが、この全集には浅川マキが夜毎歌っていて、西口では「ここは通路です。たちどまらないでください」とラウドスピーカで叫んでいたころの「新宿文化」がぎっしり詰まっている。この本が拠ってきた空気は、「話の特集」があって、平凡パンチがあった、自分たちでも持てあました爆発的なエネルギーをもっていた団塊世代の呼吸していた空気なのだと思う。 「団塊の世代」のひとたちはみな、自分たちが寺山修司や横尾忠則がいたこの時代の部分を支持したようなことをいうが、わっしが調べてみた限りでは話はまったく逆であって、この時代に爆発的に咲き誇ったこの不具な文化は、実際にはなによりも自分たちと同じ「団塊世代」に対する失望と反発から生まれてきたものでした。 要領が良く、周りにあうものは手当たり次第に利用する同世代に対する激しい反発から生まれた文化は、しかし、土壌がないせいですぐにしぼんでしまい、後には「あれはおれたちがつくった文化だったから」と平然とウソをつく団塊世代だけが残った。 浅川マキが最後まで団塊世代を好きに成れないでいたのも同じ理由でしょう。 コンサートでは「なつかしい曲をやってくれ」という団塊世代の客とよく喧嘩をしたという。 >黒テントや赤テントを観た最後の世代だねえ。 … Continue reading

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サイドバイサイド

このあいだ日本にいたときは結局ほとんど行かなかったが、わしはむかしはよく鎌倉に行った。家もまだ鎌倉にもっています。ほおっぽらかしのままだが、ときどき義理叔父が見にいって、「まだ焼けてないよーだ」とかっち、ゆってきます。 もうずっと前、3年前、だろうか、わしは二階堂のせまこしい道を歩いておった。 すると後ろから、子供の女の声が走ってきます。 「こらあー、ヨシオカ、おまえきったねえだろー。ノートかえせよな」 わしの脇をすりぬけてゆく「ヨシオカ」らしき、すばしこいオトコチビガキ。 その後から素晴らしいスプリントで「ヨシオカ」に追いつくチータのような….. ありっ? コーカシアンの子、だのい。一瞬、くるっと、振り返って「ごめんなさい」とゆったときの顔が、よく日本のひとはガイジンは誰でも彼でも「碧眼」「金髪」にしてしまうが、ほんとうに明るい抜けるような青い眼に眼がさめるような金髪の子供である。 英語の「ごめんなさい」がバッキバキのアメリカ発音なので、アメリカ人の子でしょう。 このアメリカガキチータは、見事に「ヨシオカ」を取り押さえると、ノートを取り返した。 ところがだのい、ノートを取り返すと、すぐ肩を並べてなにごとか話をしながら楽しそうにふたりで並んで歩いて行きました。 ガキチータのほうがだいぶん背が高いがの。 ちびっこのヨシオカと背の高いガキチータは、親友同士であるらしく、後ろから見ているだけでどれほど仲が良いか察しがつきます。 「多面体」さんや「kobeni」さんたちの苦闘を読みながら、わしはその「ヨシオカ」と「チータ」のことを思い出していた。 新聞を読みながら、人間は頭が悪いなあー、とモニがつぶやいている。 夏の太陽が照りつけているテラスで新聞を読んでいるのです。 サンブロック、ちゃんと塗った? 20、とかでは無理です。皮膚癌になります。 モニはニュージーランドの日射しの強さがなかなか実感できないよーだ。 広尾のアパートのタタミ3枚、くらいしかないちっこいテラスとちがって、ニュージーランドの家の広大な木のテラスはおおきいのでモニがなんだか小さくなったように見える。 コーヒーとクロワッサンを運んできたついでに「どれどれ」とわしが新聞をのぞきこむと、オーストラリア人の「カリー・バッシング」が深刻化している、と書いてある。 ついては中国人がついにイギリス人を抜いて移民の1位になったが、ファミリーリユニオンビザをなくさないと、あっというまに「仕事をしないで生活保護を受け取って暮らす中国人」が増えて、われわれの福祉を圧迫し、ひいては人種差別が起こるのではないか。 今回の「カリー・バッシング」は、多分世界中で人種差別が最も少ないメルボルンがあるヴィクトリア州で起きているので、わしらの誰彼に衝撃を与えました。 フランスでも長い棒をもって、「移民狩り」をして歩くバカガキどもがいるが、どうやらヴィクトリアで起きている「カリー・バッシング」も似たスタイルのようだ。 「われわれの職業を奪うな」という。 口実は、いつも同じである。 午後はポンソンビーのカフェに行った。 ポンソンビーというのはむかしはゲージツカが集まっていた街で、いまはモデル志望のねーちゃんとかがうろうろしている街だのい。 オントレーとメイン、それにワインが一杯ついて1800円。 ははは、安いのお。 わしはオントレーはペストを塗ったトーストの上にイカさんが載っておるのを食べた。 メインは、マルサラソースのビフテキ(リブアイ)である。 うめーだ。 隣のテーブルではにーちゃんとねーちゃんが頬を寄せ合って笑っておる。 不動産ニュースを手にしているところを見ると、家を買おうとしているところなのでしょう。 もちろんむかしからある風景だが、「むかし」と違うのはにーちゃんがアフリカ人でねーちゃんがコーカシアンであることです。 やっとここまできた。 わしらはやっとここにたどりついた。 マンハッタン。 あのときヴィレッジの交差点で、わしは知的な感じのアフリカンアメリカンと、やわらかなたたずまいのコーカシアンのカップルを眺めていた。 そ。前に記事に書いたことがある。 … Continue reading

Posted in 異文化異人種, 十全外人文庫, 日本と日本人, 日本の社会 | 1 Comment