Monthly Archives: April 2010

広い、新しい海にでてゆく

モニとふたりでアリズリーレースコースを散歩した。今日は初夏の天気です。 ニュージーランドの夏の巨大な積雲の群れが透明な青空を飾っておる。 わしとモニはこの競馬場にときどき散歩にくる。 このブログはニュージーランドに住んでいるひとも見ているわけだが、今日の午後, 緑色のBMW523iから出てきてアリズリー競馬場で散歩している女のほうがぎょっとするほど美人のふたり連れを見かけたひとがいれば、それはわしとモニである。 ふだん馬が疾走するトラックを人間がのんびり歩くのはアイデアとしてはなんだかヘンだが、実際に歩いてみると広々として気持ちがよい。 世界でいちばん散歩をするのに気持ちがよい公園のハグリーパークほどではないが、それでも馬もこういう場所だからたかが人間の賭け事のために息を切らせて走ってもよいと思うのだ、と納得できます。 モニに言ってみよーかなー、と思っていることがあって、スタンドの屋根がもう古いのお、とかわしがあのゴルフ場のグリーンからアイアンを使うと力が余ってトラックにボールが届いてしまうので馬が転んだりしないかしら、とゆいながら、どうしようかなあーと思っている。 うまく言えないに決まってるからな。 モニが急に、ガメ、やめようか、と言います。 なにを? わたしのパスポートのためにオークランドいるのやめよう。 わしは立ち止まってしまう。 むやみに大きなニュージーランドの空を見上げてしまう。 どうしてモニはわしの考えることがいつも、なにもかもわかってしまうのだろう。 まだ先でいいよ。 わたしたち、もうちょっと、この世界で「よそもの」でいよう。 このブログを読んでいるニュージーランドに住んでいる人が、今日の午後、緑色のBMWから出てきたふたり連れを目撃していたら、そのふたりがトラックのまんなかに立って長い長いあいだキスしていたのを見ておもわず赤面しただろうが、しかし、だからそーゆー事態には、そーゆー事情があったのである。我慢したまえ。 オークランドはわしにとっては世界中の街のなかでクライストチャーチの次に快適な街です。そこに住んでいる人間にはアメリカ人たちのように狂気じみたところがないし、イギリス人たちのように(外国人には決して見えないことだが)階級的な緊張もない。 大陸欧州人の浅薄な利己主義もなければ日本のように巨大な兵営、という趣もない。 ポンソンビーのレストランに行けば、テレビのスターとでも誰とでも隣り合わせたテーブルのひとと気楽に無駄話が出来るし、知らない人間と口を利くのが億劫ならクラブに行って、カウチに深々と腰掛けて仏頂面をしていればいい。 わしは普段は一年の大半は裸足でTシャツとショーツでどこにでも出かけるが、タックスを着て出かけたければオペラでも演劇でもどこにでも行くところがあります。 広い芝生の庭に椅子を出してモニとふたりでキャノンの「手ぶれ防止機能付き双眼鏡」で銀色に輝く満月を眺める。 夕暮れのノースショアの浜辺で、いあわせた高校生どもが持ってきておるステレオにあわせて踊って遊ぶ。 リズム感がない高校生たちが涎を流しそうな間抜けなかわゆい顔でモニとわしを見ておる。 でもわしは「よそもの」でいることのほうが好きなようだ。 アジア人はひとしなみに「古い歴史がある国」が好きだが、わしは、歴史なんかくだらん、と思う。古い歴史のある国というのは死者の悪い空気がかかっていて、どーもこーもならんのが、国としての歴史は長いように見えても19世紀に歴史が切断されていてほんとうは新興国にしか過ぎないアジアのひとたちにはわからないのだ。 古い歴史のある国なんかマジでくだらん。 モニとわしの眼から見ると、世界にとっての希望などは「新しい国」である合衆国やオーストラリアやニュージーランドにしかないのは当たり前だが、そーゆー国にいてすら、一年中いると頭にもやがかかってしまうようだ。 会社を普段とりしきっているPに電話したら、「そうか」という。 本部の機能をやっとオークランドに移しおえてみたら肝腎の会社の持ち主が、また世界中うろうろしたいと言い出したのでは、いかに我慢強いPでも言いたいことがたくさんあるに違いないが、子供の時からわしのわがままにつきあい続けてきたPは、わしらだけに通じる言葉で、わしが何を考えているかわかるもののようである。 ガメは、ガメなんだな、やっぱり、とゆいます。 了解。 心配しなくていいよ。 ノーウォーリーズ。 わしは家にまっすぐ帰るなりえらい勢いで航空券屋やホテルの手配を頼む秘書のねーちゃんに電話してモニに思い切り笑われました。 モニまでPそっくりに「ガメはガメなんだな」というので文句があるのだろーか、と思ったら「ガメ、大好き」とゆわれた。 いえーい。

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零細投資家の午後

もう何年も前から住んでいる気がするほど新しい家になじんだ。モニも「新しいベッドがやっと好きになった」という。 ふたりで庭に出て、テーブルにチーズや鴨のパテやワインやパンを並べて昼食を摂る。 Tui(ニュージーランドのネイティブバード)がやってきて不思議そうな顔をして見ている。芝の上においた素足が気持ちがいい。 クライストチャーチとメルボルンから必要な機能を移し終えたので仕事も円滑になった。 夕方になると正面ゲートのリモートコントロールキーを持っているPがやってくる。 セキュリティカメラの画面でそれを眺めながら、モニとわしは、「おーかっこええー」という。こういうものもこの5年で随分進歩したのだ。 かーちゃんの家のコントロールは煙草の箱の大きさくらいもある。 いまは2ドル硬貨の大きさくらいしかない。 それに4つのボタンが付いていて、たとえばわしのこの家でゆえば、1番はセキュリティの「アーム/ディスアーム」で2番はハーフゾーン、3番が正面のゲートで4番がガレージの自動シャッターです。 1番と2番を同時に押すとパニックボタンで警備会社と警察がすっとんできます。 セキュリティカメラの分割画面もtubeから液晶のSVGA画面になった。 白黒だったのが、いまはカラー。 侵入者の靴下の色が判るようになったとゆわれている。 Pは資料の分厚い紙の束と共にあらわれるが、これはわしの趣味である。 コンピュータのファイルとお行儀が悪くてカウチに寝転がってしか仕事ができないわしにははなはだしく都合が悪いので紙に印刷してきてもらう。 どんな書類かって? すごおおおく面白い書類ですがな。 たとえばそれがプロパティなら、建物のゾーニングとCVから始まってビルのタイトルや収益表や通りの建物の過去の売買価格、地域と通りの歴史、通りと地域の昼間と夜のひとびとの年齢層や推定平均年収まで書いてあります。 もちろんディプリーシエーションとかも書いてある。 そういう電力消費量にまで及ぶ細かい数字を眺めていると、いろいろな事がわかって面白い。カウチでごろごろしながら、「あー、このひとは見栄っ張りだったんだな」とか「こんな甘い考えの人間もなかにはいるわけだ」と考えながら、どんなひとびとだったのか想像します。 資料を読んで遊ぶのに飽きると、モニとふたりで庭を散歩する。 近所のコーヒー屋まで遠征することもあります。 ページを交換しながら新聞を読む。 ふたりでペンキ塗りをする。 芝を刈る。 カウチに膝をついてアッパーラウンジの出窓にふたりで並んで肘をついて外を眺める。 今年買ったばかりのでっかいカウチでふたりで猫と変わらんじゃれかたをする。 モニのいい匂いがする。 パーネルの家では部屋の使い途がないので撞球台やピンボールをおいて遊んだりしたがこのラミュエラの家は使いやすい。 27年も生きてしまうと人間の時間は途方もなく静かになる。 決して良いことではないだろうが他人の生活や世界のことに興味がなくなる。 どーでもいいや、と思うようになってしまうのね。 わしが組んできた投資はそういうのもばかばかしいほど「コンサーバティブ」なので、なおさらそうです。 「アグレッシブ」な投資をいまの一割くらいからせめて3割に増やせば人生そのものも変わるのは判っているが、わしは巨大なデプリシエーションがある世界が好きなんです。 (別に居直ってるわけではないが) いまさら、お金の神様とのつきあい方を変えようとは思わん。 それとも地球が買えるほどのお金が欲しいと思うときがわしにも来るだろうか?

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josicoのためのバルセロナガイド_1

だいだいだい好きなjosicoのためのガイドなので、はりきって書こうとおもったがなにしろバルセロナは地上の楽園なのでどこから始めて何をどう書くのが適切かわからん。 バルセロナ人のためのレストランガイドとかも、みんな広尾の家にあるので手元になんの資料もないし、わしの前世の記憶か今生の記憶かもはっきりしないぼやけた記憶で書くのだから、いざその場まで行ったらtwitterかなんかで訊いてくれないとちゃんとおもいだせないかもしれません。 自分がおぼえていることを列記してjosicoが興味もったところだけ拾っていってくればいーや、と考えました。ランブラとかはWHSmithでもなんでもその辺の本屋に行けばいくらでも売っているガイドブック(わしは緑ミシュランがいいと思うが)に見所みたいなもんはいくらでも書いてあるし第一josicoは何度かバルセロナに行ったことがあるのだから、きっとわしよりもよく知っておるに違いない。 わし自身はランブラとかは掏摸が多いので有名なメルカトくらいしかいかないし。 でもひとつだけ付け加えておくと、あの「傘と龍」のサインがある脇道をはいって少しいった右側にあるピンチョスバーのピンチョスは結構うまいだよ。手前においてあるのより奥にあるやつのほうが新鮮でおいしいです。 もっと言うとピンチョスバーは日本でゆえば要するにくるくる寿司なので、おいしいのが食べたければ注文するのがいちばんええだ。 わしはコロッケとかは注文する。 ワインをなめながらのんびり待ちます。 そこからずっと奥に行った広場があるところのもう一軒のピンチョスバーも悪くない。 手前の所よりも並んでるピンチョスが多い。 初めのバーに較べてなんか欠点があったが、忘れてしもうた。 josicoが行ってみてなんかひどいことがあったら教えてください。 それがあまりにひどかったら、次からはわしもいかん。 どうせランブラの話を始めたのだから、そのまま海へ行くべ、アメリカ大陸の方角を間違って指しておる間抜けなコロンブスの像があるラウンドアバウトを左に曲がると、ながいながいながーいプロムナードがあるやん。エビさんのゲートとかも出来ているのね。 そこをずっとずっとずっと歩いて行くと右へ曲がりつつ名前を忘れたレストラン街があって賑わっておるが、あそこはどこもみな高くて不味い。みな幸せそうに微笑んでいるのは新婚旅行で来ているからやむをえず幸福をよそおっているか舌バカかのどちらかであるから見た目にだまされてはいけません。 断固無視してバルセロネタまで行くのがよい。 お腹が空いたらバルセロネタの海辺に面したタパスバーが3軒あるうちのいちばんショボイ一軒に寄るのがよい。どれもしょぼいやん、と思う場合は、落ち着いてじっと観察すれば一軒だけが広大なエリアに外テーブルをもっておって、その店だけがやたらと客が多いので、あっ、ここなのね、とわかります。 この店は安いんだよ。 店のひとびとはいっけん愛想が悪いが実はとても親切なひとびとである。 本格的に昼飯を食べたければ必死でポートオリンピックまで歩く。あそこは、ほら、レストランがこれでもかこれでもかこれでもかと並んでるやん。共働き夫婦の一日の会話はすべてあそこで行われる、というくらい1時から3時まで夫婦生活のすべてをかけて食事する場所です。あれがなくなると離婚がたいへん増えるだろうとゆわれておる。 例によって例のごとく名前は全然覚えていないが水族館だかなんだかに降りてゆくリフトの乗り場が舗道に露出しておって、その近くのレストランの看板が立っている階段を下りてゆくとグラシアにもあるレストランの出店があります。 モニとわしがよく行くレストランで、フランス人がいっぱいおる。 そこがいちばんうめーです。 昼間はバルセロネタの海岸で散歩していても良いが夜はグラシアだろう。 Casa Fusterというやたらかっこよいホテルがパッサージュドグラシアを登り切ったところに立っている。もともとくそ高いホテルだがスペインはやけくそみたいな大不況なので、日によっては120ユーロとかで泊まれるよーだ。外見もかっこいいが中はもっとかっこいいので泊まるのもいいかもしれん。 泊まったことがあるよーな書き方に見えるかもしれんが、わしはバルセロナではアパートにしかいないのでホテルをわざわざ借りたりせん。 質実剛健質素倹約がモットーだからな。ニュージーランドの吉宗だとゆわれておる。 あんなに化粧が濃くはないが。 前回行ったときはボナビスタ通り(Carrer de Bonavista)にいた。6週間いたが退屈せなんだ。 パッサージュドグラシアからボナビスタに曲がってしばらく(5分)くらい歩いたところ、なんだか訳のわからん中国の土産物屋みたいな店があってその隣くらいのところに小さなワイン屋があります。(パッサージュドグラシアを背にして右側) ここのおやじは英語が上手なので連合王国人とかアメリカ人のたまり場のようになっておる。おやじ(とゆっても30代だが)はとても親切なので、なんでも教えてくれます。 是非行ってみるとよい。 バルセロナ人はわしのように記憶が正鵠を極めておって言うことややることがいちいち正確な人間と違っておそるべきテキトーなことをマジメな顔をして教えるが、このおいちゃんは情報が正確です。おおむね信じてよろしい。 いちばんおいしいベーカリーをおせーろということであったが、名前がわかりひん。 Carrer de Bonavista−>Carrer … Continue reading

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壁にかけた絵のある風景

ニュージーランドは絵を買う人が多い国である。欧州の国と較べてもふつーのひとが絵を買う回数は遙かに多いとゆわねばならない。 ゲージツ的なのか、というとそんなことはなくて、単に「家好き」だからです。 ニュージーランド人は一生のあいだに平均11回家を買う、という。 11軒買う、のではない。それではガメ・オベールになってしまう。 買い換える、のね。 伝統的にはニュージーランドの典型的なカップルは大学で知り合った相手と卒業と同時くらいに結婚する。ポリテクなら卒業して見習いが終わる頃でしょう。 結婚に前後してふたりで初めてやる共同大事業が「家を買うこと」です。 わしが子供の頃、とゆーのは1994年、とかだと思うが、仲の良かった近所のねーちゃんが結婚することになった。旦那はウエリントンからカンタベリ大学にやってきためったやたらに背が高いにーちゃんで会計のひと。本人はエンジニアリングを専攻したひと。 ふたりが家を見に行くのに、わしもときどきついていった。 掘り出し物だ、とかいう家を見に行ってみるとしょぼいペンキがはがれかけたような家です。 きったねえーちっこい家だなあ、こんなの買う奴いるのかな、とわしが言うと、ねーちゃんに 「金持ちのあまったれガキめ、何をぬかす。こーゆーのを綺麗にするのが、いいんだぞ」と怒られたりしておった。 結局、ねーちゃんたちはこのウエザーボードのペンキが剥げかけた、電灯の半分が切れかけている「きったねーちっこい」家を買った。 わしは誠実で率直で飾るということの出来ない性格がもろにでた前記の発言のせいで、ねーちゃんに「ガメは、新しい家にこなくていいからな」とゆわれたが、ペンキ塗りを手伝う、という条件で遊びにいってもよいことになった。 ねーちゃんはメレンゲを作るのが超じょーずだったので、他人の幸福な生活などはどーでもよいが、あのメレンゲをそうむざむざあと諦めるわけにはいかなかった。 この家はベッドルームが3つ(マスターベッドルームがひとつに小さな寝室が2つ) 吹き抜けのラウンジがひとつ、こしらえ付けられた机がある「スタディ」がひとつあった。ニュージーランドの家ならばたいていそうなっている自動開閉式のシャッターがついた家を直截つながった車庫(クルマ2台分)のある、クライストチャーチでは若い夫婦が住むのにごく平均的なつくりの家だったが、12万ドル(700万円)だとゆっていたのをおぼえている。 いま温和で成熟したオトナになったわしが振り返ってみると、パパヌイというあの地域ではこの15年で家の値段はだいだい倍になっているはずであって、あのくらいの家はいま35万ドルを超すのだから、と考えて逆算すると、多分、敷地がクロスリースであったに違いない。家自体がドライブウエイの奥にあったのも、多分、そのせいに違いない。 ニュージーランドのカップルは、そうやってなるべく安く手に入れた家を10年ローンを組んでおいて、どんどんホームローンを返して一刻もはやく完済をしようとする。 実際ねーちゃんたちも5年くらいで返したはずである。 一方でふたりとも休みの日には、家中のペンキを塗り直したり、壁紙を貼り替えたり、ふるくさいトイレをぴっかぴかのスーパーモダニズムに換えたりして家をかっこよく見え映えのよいものにしてゆく。 わしもでっかいハンマーをぶんまわして壁をぶち抜いたり、壁紙を「ぎゃわあー」と叫びながらはがしたりするのが楽しくて日曜日やなんかによく遊びにでかけて手伝った。 3年も経つと、はげかけたペンキに包まれて、なあーんとなく寂しそうだった家は、ウエザーボードまで貼り替えたぴっかぴかの無茶苦茶クールな台所のある家に生まれ変わった。 ねーちゃんたちは、(内緒)な金額で売り飛ばすと、今度は大きさも倍くらいあるもうちょっと良い名前の通りに面した家に移った。 その頃には、いまときどき家にやってきてエラソーな口を利くTがすでにマヌケなおしめをつけて幼児用のベッドですやすや眠っていたので、良い学校の学区のなかに移ったのもゆうまでもない。 大きい家に移ると、ねーちゃんたちは、かーちゃんたちに「絵」について訊くことが多くなった。なにしろ壁がいっぱいあるので、あちこち絵を掛けないとカッコがつかん。 だから絵を買う。 かーちゃんは、自分の友達の父親である画家を夕食に呼ぶからそのとき一緒にくればよい、という。 ニュージーランドでは、というよりもイギリス式だが、こーゆーときは、画家のおっちゃんにひさしぶりだから会いましょう、と言っていろいろ話しているうちにひと言だけ、ねーちゃんたちのことに触れます。 文明人というものは便利なものであって、そのひとことで事情はすべてわかることになっておる。 おっちゃんはクルマに山と積み込んだニュージーランド画家の絵が載っている本を食後のテーブルに積み上げて、いろいろ説明していました。 若い夫婦は、そうやってがんばりまくって家を買い換えたり、ペンキを塗ったり、どんな絵があうかなあー、と考えたり話し合ったりしているうちに、だんだん美術というものに馴染んでゆく。うまくゆえないがふつーのニュージーランド人にとっては家を買ったり子供を育てたり殖財をしたりするのと美術とが地続きになっているのね。 ふつーのひとがふつーにすることなんです。 11回家を買い換えるうちにおもいがけず(金銭的に)成功してしまった夫婦は、広大な敷地に彫刻も買い求めるであろう。そうやって買い求めた彫刻をつくった彫刻家が、急にひょっこり訊ねてきて庭に溶け込んだような自分の彫刻を目を細めて眺めながら一緒に午後のワインとサンドイッチを愉しんだりするのは。突然やってこられたほうも全然いやではない。今度は逆に彫刻家の家を訪ねていって、またいろいろなひとに会ったりするのも楽しいことであると思います。 目下のニュージーランドの悩みのひとつは国の経済が成長するにつれて家がどんどん高くなっていることで、それに較べると、収入の成長は十分はやいとはゆえない。 そうすると結婚生活のスタートに家を買えないカップルが増えるので、家をあきらめたお金で新車を買ったりする。(そーゆえば、上記のねーちゃんは、「世の中には『 新車』を買うような贅沢をする人間がいるなんて信じられない!、とゆっていたことがあった) ひどくなると借家に住んでいてポルシェを買うようなひとが出てきます。 新しい家を買ったり建てたりすることが基本的には、それこそ高級車を買うのと同じで(金銭的には)お金をドブに捨てるのと同じ制度になっている日本とは違って、ニュージーランドでは家は買えば価値が上昇するに決まっているので、要するに家賃のぶんだけ生涯収入に差がついてしまう。 貧富の差の拡大に直截結びついてしまうのと、それよりもなによりも「国民性」(ニュージーランド人は自分達が「質素で堅実である」ということに大変な誇りをもっている)が変わってしまう、というので、なんとかするべ、といまみなで知恵をしぼっているところ。このあいだは、じゃあ、固定資産税、とかっちて所有不動産の0.1%を徴税すべ、ということになりかけたが、考えてみると、そうすると大家がみんな家賃を値上げして家賃が高くなるだけじゃねーか、という「家を借りているほう」という意外な方角から激しい反対が巻き起こったりして、いきなり廃案になりました。 … Continue reading

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日本人たち_1

叔父の鎌倉の家にいると叔父が高校生のときの友達であるUさんがやってきた。 叔父が玄関に出て行かないので、わしが代わりに出てみると、それが癖で頭を少し横に傾けたUさんが満面の笑みで立っている。 手にはなんだかでっかい風呂敷包み(!)を抱えています。 なんだガメちゃん、日本にいたの? M(叔父の名)はいる? 医学研究者のUさんは合衆国への留学が長かったので英語は上手だが、いつも日本語で話してくれる。いつか銀座で酔っぱらって「Uさんはわしに英語で話さないのね」というと、あたりまえだろう、という顔で「だってガメちゃんの日本語のほうが上手だもん。英語では失礼だろう」という。 そーゆー覚悟が決まったような思いやりがUさんには、いつもあります。 強い人なのだ。 叔父より先に声を聞きつけてかーちゃんシスターが出てきた。 Uさん、ひさしぶりですね、まで日本語でゆって、後は英語で挨拶する。 お元気でしたか。今日は、どうなさいました。 いや天気が良かったもんだから鎌倉に来てみようと思って、ついでにMの顔でも見ていこうか、と思ってきただけです。 そのうち叔父がおっとり刀でやってくると、ふたりで高校生に戻ったような乱暴な口を利いておる。 おっ、いっけねえー、医学部教授を玄関に立たしたままにしておくと怖いな。 ま、あがれよ。 風呂敷包みの中身は「麻丘めぐみのレコード」であって、かーちゃんシスターが呆れておる。 かーちゃんシスターの好みでしつらえた「縁側」に出してある籐の椅子に腰掛けて庭をながめてUさんと叔父は愉快そうに話しておる。 中学と高校のときの話ばっかりです。 横で聞いていてもなんだかちっともわかりひん。 きっと、このふたりは、こーゆー話をいままで何百回も繰り返してきたんだろーなーと考えました。 でも、いーとしこいたおっちゃんふたりが、売春婦と家出した級友をふたりで捜しに行った話や、寒い冬に機動隊のカップヌードル(その頃、見たことも聞いたこともない新製品だったそうだ)をうらましがった話を聞くのも、そう悪くはない。 二ヶ月前、叔父はUさんの「愛人」を見舞いに築地へ行った。 Uさんが行けばいいじゃないのか、そんなの、とわしが不服を唱えると、ガメくん、この天と地のあいだには君の哲学では説明出来ない文化がいくらもあるのさ、とふざけてゆってから、「ガメ、K(かーちゃんシスター)にばらしたら、おまえが持ってるおれの会社のカード止めるぞ」という。 あの夜、帰りの運転手役を仰せつかっていたわしが松屋裏の飲み屋のHOに迎えにゆくと、叔父は盛大に酔っぱらっておった。 Uさんの「愛人」はNさんという。Nさんも女医さんです。 ガメ、Nさん、もう保つの3ヶ月だって。 あのひと弱虫だから、ゆわないでください、てさ。 あのひと、というのは無論Uさんのことでしょう。 なんだか長い間セックスのためだけに利用されただけのような気もするけど、でも、やはりUさんに会えて良かった。 叔父が理由を問うと、 「自分にしか受け止めてあげられない人間がいるってわかるというのは女にとっては幸せなことなんです」とゆったそーだ。 その晩、鎌倉でなくてUさんが住む港区某所にクルマをまわしてくれというので、わしはそうした。 あのバカ、ぶんなぐってやるとゆった叔父の顔をまだちゃんと思い出せます。 聞くところに依ると、次の日、Uさんはでっかい青あざを眼の周りにつくって大学に出勤したそうだ。 そーゆーいっさいのことは、かーちゃんシスターが忌み嫌う世界のことなので、わしはもちろん一言もゆわなかった。もし具体的なご下問があれば当然にばらすが、質問もなかったので、わしはしらばっくれてました。 Nさんが死んだときUさんは葬式にもお通夜にもでかけなかったそうだ。 叔父は、のこのこと出かけて遺族のひとに妙な顔をされたとゆった。 Uさんが風呂敷包みを抱えて鎌倉の叔父の家に突然やってきたのは、要するに、その葬式の二ヶ月後です。 別にNさんのことを避けようとしているわけでもなく軽んじてるわけでもなく、「Nさんの死」ということについて自然な黙約があるような叔父とUさんの仕儀を見ていて、わしにはまだまだ日本の文化について知らないことがあるのだ、とわっしは、その日の午後中考えました。 麻丘めぐみやキャンディーズやキングクリムゾンやクリームについて熱狂的に話をしているふうのUさんと叔父は実は終始一貫Nさんの思い出話にふけっていただけなのかもしれません。しかし、そこまでの機微はわしには判らない。 … Continue reading

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絶対

政治の話をする画家は株の話をする詩人と同じくらいくだらないと思う。 当の画家や詩人が聞いたら「おーきなお世話だ」とゆーであろう。 第一ひどい偏見ではないか。 でも、わしは、そう思ってしまう。 わっしは単純人間なんです。 難しい説明を頭から受け付けないもののよーだ。 (自称)英語が母国語よりも堪能な一群の日本人たちによってわしは偽ガイジンということになった。モニにその話をしたら、大笑いされてしまいました。 ガメは、やさしすぎるのだ、と謎のようなことをゆわれた。 もう日本語はきっぱりやめたら。 午後はひとりで海岸を歩いた。 モニさんは買い物。ひとりで店のひとたちと話してみたかったのでしょう。 判らないことではない。 ほそっこい女のひとどもが屯しているブティックのなかに「ぬぼおっ」っと立っている巨大なわしの身体に女のひとたちは遠慮するよーだ。 あれこれ気を遣ってくれるので、きっと疲れるだろうと思う。 いえ。コーヒーはいりません。ここに来る前に家で十分飲みましたから。 だからわしはひとりで今日は海岸を歩いた。 ミッションベイからセントヘリオスまで歩いたのだった。 秋の強い日射しに輝く海。 刃のような波頭。 途中でバクラバのおばちゃんが店から顔を出して「バクラバ、出来たばっかりだで。食べてゆかんか」とゆーので出来たてのバクラバを食べたりした。 カモメと遊んだり、あのでかいほーは、日本語ではなんだっけ「ウミネコ」だったっけ、と考えたりした。 政治の話をする画家は株の話をする詩人と同じくらいくだらないと思う。 なぜこんなことを言うかというと、今日が政治の話ばかりしていた画家の友達が死んでしまった日なのを思い出したからです。 病気ですらなくてトライアンフのモーターバイクに乗っていて死んだ。 思い出したからとゆって、特に悲しくはないが、なんだかやる気がしねーな、と思います。 世の中なんかくだらん、と思わないわけにはゆかん。 死んだ友達のことを考えるたびに「神様なんかいるわけがない」と思うのは宗教上どういう扱いになっているのだろう。まつろわぬもの、ということになっているか。 「普遍」も「永遠」もくだらん。 そんなものは一種のブランド主義だと、わっしは思います。 わしは偏在も極まった「個人としての人間」なので、自分の理性に忠実であろうと思えば神なんか認めるわけにゆかない。 カソリックなんかただの「普遍クラブ」だと思ってしまう。 「普遍愛好会」 同好会なんだったら、わしの商売に顔を出したりするのはやめてもらえないものか。 わしは自分の部屋の壁にはピカソの(わしの好きな)絵を掲げることにしたが、客用の寝室のひとつに死んだ友達の絵を掲げることにした。 その絵は、まともな人間なら絶対つかわないようなピンクが基調で、そこに様々な赤色系統の花が叩きつけるように描かれている、頭がいかれたひとの絵です。 でもわしは、その気がふれちまった絵を壁にかけた瞬間に涙が出てとまらなかった。 あの画家の「愚かな人間の美しさ」を称える気持ちが額を支える腕をとおして確かに伝わってきたからです。 神を失った人間の悲しみは神様にはわからない。 悲哀などというものは偏在する知性の特権だからです。 神よ。

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秋になった

秋の風が吹いて木々の色が変わるようになってきた。 モニやわしが起きてくる正午の頃の気温は暖かくても朝早くやなんかの気温は低いのでしょう。 twitterの友達はみな知っていることだが、わしは運動ばかりして暮らしています。 その結果初めはシャツの腕が今度は胸がはいらなくなった。 モニはこのあいだからどういう弾みかPCゲームをやっていてときどき「Diablo II」で遊んでいるよーだが、「バーバリアンになって遊んでいたらガメの人生観が少しわかった気がする」とゆっておった(^^;) ジムから帰って、サンドバッグをなぐりつけたり、蹴り板を力が入りすぎて蹴り割ったりするのに飽きると、本を読みます。 日本語の本は殆ど読まなくなってしまったが、いまは三島由紀夫を読んでおる。 全集の初めから少しずつ再読しているところです。 この家には三島由紀夫と夏目漱石の全集と古典体系があるからですが、「豊穣の海」を読んでいると自己顕示欲が強い見栄っ張りの小役人の倅だった三島の文学的的誠実さが胸に迫ってきて涙が出て来ます。三島由紀夫が人生の最後に辿り着いたのは日本人という民族の卑しさへの絶望と悲劇というものの本質への畏怖だった。 三島由紀夫には漱石のような「江戸文化」という逃げ道がなかったので、物事を肩をすくめてやり過ごすというわけにゆかなかった。 正面から自分が滑稽に見えることを自覚しながら「日本」という卑劣と戦って死ぬしかなかった。 その秘密を最も深いところで知っていたのは、三島がノーベル賞の運動のつもりで出かけたニューヨークで誰にも相手にされずに真っ暗な部屋で窓際に腰掛けて泣いていた姿を目撃したドナルド・キーンだけだったでしょう。 「相手が悪いが、あなたにも悪いところがある」 「あれはひどいひとだがマジメなところもあるひとなのに、ちゃんと答えてあげなければだめではないか」 「喧嘩は両成敗という」 こーゆーものは、すべてドビャクショウの理屈だ、と公言し、「武士の情け」とか「武士は食わねど高楊枝」と言うやつは、みな決まって根性の腐った百姓の息子ばかりなのはどういうわけだ、とバーで呵々大笑した、という三島由紀夫にとっては、日本社会の「自由」も「平等」も唾棄すべきものと映ったのは当然とゆえば当然である。 本を読むのも飽きると、あとはもちろんモニと遊ぶ。 ラウンジでChris Brownの「Crawl」をマネして踊るとモニがたいへん喜ぶ、とゆわれておる。 夜が更けてくれば家のバーで飲むこともあれば近所のバーに出かけてカクテルを飲むこともあります。 いったい、わしの家の家系をずっとたどってみると、父方も母方もあんまり仕事をしていたらしいひとはいないよーだ。 そ。プーばっかし。 400年くらい遡ってみても、毎日お勤めしていたようなマジメなひとはおらないよーだ。 それ以上さかのぼっても無駄であるに決まっておる。 ときどきなんだかえらそーな役職に就いているよーですが、あんまり長続きしていないところを見ると遺伝子ごと怠け者なのでしょう。 わしも個人の努力ではいかんともしがたい遺伝子の不可抗力のせいで遊ぶこと以外は考えたことがない。必死に努力しようと願っても出来ないのね。 秋の風が吹いて木々の色が変わるようになってきた。 寒くなると困るので、モニとふたりで、暖かいところへ行く相談をします。 前にも書いたが、今年と来年はモニがニュージーランドのパスポートを取る都合で、こっちの冬のあいだはずっとニューヨークにいる、という訳にはゆかない。 二ヶ月くらいしか旅行に出かけられない。 日本のひとたちは「古い歴史がある国」が好きだがモニとわしは、古い国があんまり好きでないので、たいした用もないのにロンドンやパリに帰る気はしない。 ほら、初めの予定ではスウェーデンに行くはずだったでしょう? あのKというストックホルムから200キロくらい西にある街には、わしの仕事上の友達がいて、会いたがっている。それがダメならアイスランドは、どうだろう。 わしには、あの国へ行って学びたいことがたくさんある。 モニは、(ローワー)ラウンジの入り口の階段の上に立って、(緑色のローブを着て)立ち机に手をついて、わしの話を(やさしい顔で)聞いておる。なんだかそうやっていると女神のようです。きみは笑うだろうが、ほんとうに女神みたいに見えるのだから仕方がないではないか。 「ガメ、東京に『スシ』を食べに行こう」という。 「へっ」とモニの頭のなかで起きていることが把握できないでいつものごとくマヌケな返事をしてしまう、わっし。 わしのほうに歩いてくると、顔を覗き込むようにして、「わたしは東京に行って本物のスシが食べたいと言っているのだよ、ガメくん」という。 中継地としてもちょうどいいから東京に2週間くらいいるのはどうだろうと思う、という。 妙にマジメな顔をつくろっているところがモニだのい。 … Continue reading

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英語をめぐる冒険 その1

オークランドは英語国民と英語が母国語でない国民の比率がだいたい1対1だという。 だからいろいろな訛りの英語がある。 バーベキューに持ってゆくワインは何がいいかを訊ねて「ソービニヨンブランク(sauvignon blanc)」がいいですね、とゆわれたフランス人の夫婦が「seven young blondes」を連れてこいとゆわれたのかと思って眼をまるくしたりするのは年中なのね。 わしもいくつか経験がある。 ニュージーランドには多い南アフリカから移民してきた女のひとと話しているというと、 何かのはずみに「That’s shame.」という。 えー、わしはなんかまずいことをゆっただろーか、と悩むわし。 これがアフリカーンズの言葉で、「うーんと」みたいな言葉(多分、Laat my sien) だと気が付いたのは最近のことです。 日本のひとの「あっ、そう」が「asshole」とまったく発音が同じなのは、たくさんのマンガのような事態を引き起こしてきたが、クライストチャーチではいまだに問題でもオークランドのひとのあいだはだいぶん知識として広まって 知識として定着したようだ。 自分が一生懸命日本語を話している外国人と向き合っているところを想像してもらえればわかりやすいと思うが、英語国民のほうは外国人が話す英語が正しくなくても、そんなに気にしているわけではない。 「わかればいーじゃん」と思っていると思います。 ときどき、自分が「英語が母国語なみにうまい」と思っている外国人がいないことはなくて、そーゆーひとに会うとややうんざりするが、でもそれもちょっとやだな、と思うだけのことです。 英語国民同士は、初対面の相手と話をすると、初めの1分間で莫大な量の情報を集めます。 アクセントでいろいろなことがわかる。 「あっ、これはアイルランドのひとだな」とかは、日本のひとでもちょっと英語が上手になればわかると思います。スコットランド人とアイルランド人の区別は、スコットランド人とリバプール人よりもつきやすい、とか考えるようになると思う。 ニコル・キッドマンというようなひとは、リラックスしているときには、びっくりするほどオーストラリアのアクセントが強いので、なんだか嬉しくなる。 アメリカ人の響きすぎる「R」は他の全英語国民の冗談の対象になる。 逆にニュージーランド人は、合衆国ではイギリス訛りよりも遙かにうけがよくて、あちこちで「なあーんて、うっとりするようなアクセントだろう」なんち言われて、レストランでコーヒーがただになったりする。 一般に日本のひとは上手な英語を話そうとしすぎるように思います。 その上に他人の英語をうんぬんするのが好きだという悪趣味もあるように見える。 その割に語彙が少なすぎるようだ。 だいたい少し堅めの新聞を読むくらいのところに語彙がひどく偏っていて、そこから外れると、ちょっとびっくりするような言葉を知らないことがよくある。 それが、日本文化のどんな面を反映しているのかは、わしにはわかりません。

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塔をめざす

ラミュエラ図書館の木洩れ陽のなかを歩いて街へ出た。通りを家の側に渡ると遠くに海が見える。不思議な形をした雲や海に向かってなだらかに広がる扇状の住宅地が見える。 「わっし」はもうやめた。 もうこれ以上の日本語の上達は望めないし望んでもいないような気がしてきたからです。 むかしは持っていた日本への特別な期待はもうなくなった。2chやはてなのひとびとのせいかもしれないし、そうでないかも知れないけど、もうそれもどうでもいいことになった。 日本語の能力を保持することは「死せる日本人」と話をする能力を保存することで、わしには、そっちのほうが大事なようです。わしは透谷と対話するのが好きである。 「日本人の形」を尖鋭にもっていた透谷は自分の人生の当然の帰結であるかのように自殺してしまったが、透谷が視ていた「日本」を読むと「三四郎」の広田先生よりももっと本質的に日本の行く末を見抜いていた。 「革命に非ず移動なり」に抗弁できる日本人はいないだろう。 もっと透谷の言うことに耳をすまさねばならない。 そこで何が起こったかを視られるようになるべきである。 27歳ともなれば若いとは言われない。 あの高い塔にのぼって遠くを見る日を急ぐ。

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新しい生活

夕方の塀の上に頬杖をついてモニとふたりでならんで今日着くはずのステレオを待っている。 太陽がかげって向こう側の丘陵から海のほうまで真っ赤です。 「全然、こないじゃない」とモニがわしのほうを向いて言う。 「全然こない、って、ちょっとだけ来るってことがないんだから、そーゆー言い方は出来ないでしょう」というと、モニがくっくっと笑っておる。 そうやって笑うと5歳くらいの子供みたい。 「あっ、あんなところにお月さまが出てるぞ、ガメ」 「うさぎ、見える?」 「見えない。月のうさぎって、どういうふうにしたら見えるのかな?ガメは日本の専門家だろ? 教えてよ」 「専門家、じゃないよ。わし、偽外人だもん」 2月の話をするとモニが塀から落ちそうになりながら笑ってます。 ガメって、ほんとうにヘンだな、という。 そんなことないさ、わしは、毎日こうしようと思っていることを一所懸命やってるだけだよ、というと、 (意外や) モニは嬉しそうな顔をして、でもなんだか真剣に大きく頷く。 気が遠くなりそうに深い暖かい緑色の眼で、わしをじっと見ておる。 ガメ、大好き、という。 わしはなんだか、もう、それでいいや、という気持ちになって自殺した九龍人も猿も「はてな」の日本のひとたちのびっくりするような反応も、どうでもいいことになってしまった。 ちょっと風がそよいだので、モニの良い匂いがする。 「馥郁」という日本語を思い出します。 半ばに近く薔薇色に染まった青空。 丘の下の道に眼を戻すとステレオ屋のロゴをつけたトラックがのろのろと坂を上ってきます。 あのステレオを売ったセールスマンのにーちゃんは、「このステレオは人間の幸福な声がよく響くのだ」と言ったのだった。 モニとわしはふきだしてしまったが、その台詞が気に入って買うことに決めたのでした。 そのステレオがやってくる。 幸福だけが増幅されるステレオの前でモニとわしは腕をとりあって踊るでしょう。 モニとわしの新しい生活が始まったのだ。

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M4_シャーマン

アメリカ人がただ「良い戦争」と言えば、それは第二次世界大戦のことと決まっている。 「良い戦争」という言葉自体はベトナム戦争という「悪い戦争」との対比でよく使われるようになった。 援護射撃を命じて突撃するとき、第二次世界大戦のときはどんな苛酷な状況でも部下全員が遮蔽物からクビを出して援護射撃をした。 朝鮮戦争になると、危なそうなときは援護射撃をさぼる兵士が出てきた。 ベトナム戦争になると、援護射撃のふりをして突撃を率いる下士官を後ろから撃つ兵士が出てきた、という。 第二次世界大戦はアメリカ人にとって判りやすい戦争であった。 なんだかエラソーに気取っている「ナチ」という鼻持ちならないやつらが、人種的優越とかぬかして大陸欧州を制覇しているのが、そもそも気に入らなかった。 あとで戦争が終わってから蓋を開けてみると、それどころではなくてユダヤ人を効率的に屠殺して人種ごと抹殺しようとしていたので事の深刻さにびっくりしてしまったが、戦争を始めた頃は、そこまではわからない。 アーリア人だかなんだか知らないが、「選ばれた民族」とかくだらねえことをぬかしやがって、と憤慨していただけです。 大西洋横断に成功して国民的英雄であったリンドバーグのようなひとまでナチを称賛しだしたので、アメリカ人は早くちゃんと戦争を始めた方がいいのではないか。「中立」なんて言っていると苛苛する、と考えだしていた。 そこにナチの尻馬に乗ったお調子者のアジア人の帝国「大日本帝国」がはるばる真珠湾にまでやってきて爆撃をして帰る、というそれまでのアメリカ人の常識では起こりえないことが起きたので、なんだかよくわからないが興奮して、「そこまでされたら立ち上がらなくっちゃ」というので一挙に一致団結したのでした。 ナチと「The Japanese」(このtheはいまでも日本人の頭にくっついているが、日本人はその意味を考えたことがあるだろうか)というふたつの「悪いやつら」に立ち向かう「良いアメリカ人」の英雄的戦い、というのは5歳の子供でもわかる図式であって、このアメリカ人にも判る「良い戦争」という図式が大不況から社会的沈滞から、それまで倦怠期みたいな空気が澱んでいたアメリカの諸問題をあっさり解決してしまいました。 ナポレオンの軍隊と同じで第二次世界大戦におけるアメリカ軍は「理念」の軍隊だったので、アメリカ的理念を明確にあらわしたものがいろいろ他国民の軍隊を驚かせた。 英国人や自由欧州人たちとともにアイゼンハワーというドイツ人の将軍に率いられて大陸欧州にスターリンが熱望した第二戦線を開くべくノルマンディに現れたアメリカ人たちの先頭に立っていた奇妙なシルエットの背の高い戦車もそのひとつである。 この戦車を初めて見たドイツ兵は、「なんじゃ、あれは」と思ったのに違いない。 もしかすると対戦車壕の戦車砲の脇からその戦車を望見してふきだした対戦車兵もいたかもしれません。 そもそもその形状が戦車としてはマンガ的である。 この頃にはもう東部戦線では、弾頭に硬い特殊合金を被せた砲弾が開発されたせいで高射砲と初速がほとんど変わらない大砲で遠距離から高初速低弾道で戦車を吹き飛ばす射撃術が一般化しつつあったので戦車の車高は低くなければどうしようもない、と理解されていた。低い車体に斜めに傾いた装甲版、が戦車のスタイルになりつつあった頃です。 アヒルみてえな戦車だな、とドイツの擲弾兵たちはつぶやいたに違いない。 しかし、この「アヒル」は1台姿をあらわすと、次から次にわらわらとあらわれて、あるものは陽動して、あるものはフランキングにかかり、で当時無敵を誇った88ミリまで置き去りにせざるをえなくなった。 戦争が終わってから、ドイツ人たちは、あの妙に背の高い車体が実はWright R-975 Whirlwindというたった400馬力弱しか出ないが生産工程が簡単なせいでやたら数だけは生産出来た航空機用星形エンジンを流用したからだ、ということを発見して驚いてしまう。 戦車1台で戦闘機4機が出来る、というくらい戦車は高価な兵器である、という常識をアメリカ人は覆してしまった。若いポルシェに率いられたドイツ技術者のチームがハイブリッドエンジンの「スーパー戦車」を作りつつあったドイツ技術とは真っ向から対立する思想です。 一騎当千、というがドイツ人たちは自分たちは世界のなかの選良民族なのだから数倍の敵に打ち勝って当然、数百倍の敵に遭遇すれば敵を壊滅させて自分も滅びるだけだ、という英雄叙事詩的なあるいは中世悲劇的な感情で戦争を戦おうとした。 もっとも当のドイツ人たちが戦後になってつくった戦争映画を観ると、それは士官級以上がそうだっただけであって、兵士達は英雄かぶれの上官どもにうんざりしきっていたのが判りますが、ともかく、こういう「選ばれた」「高貴」な戦車士官たちが戦ってボロ負けしたのは肉屋のおやじや配管工のおっちゃんが戦車長のM4の集団でした。 戦場にあらわれたタイガー戦車を見ては、「なんで、あんなにデッカイんだ、あの戦車は、あんなデカイ戦車もってくるなんてドイツ人の野郎、汚ねえだろ」とゆってみたり、 パンサーを見て、あまりのカッコヨサに写真を撮ったりしていたアメリカ人たちの戦車軍団は、しかし、どの対戦車戦闘でも負けているような奇妙な印象を残しながら圧勝していった。 アメリカ軍という史上初めて英雄を戦意昂揚の目的以外では必要としない軍隊が歴史の表面に登場した初めです。1918年には「Tシャツ」を残していっただけだったが、それから四半世紀後に大陸欧州に帰ってきた軍隊はすでに世界最強になっていた。 しかもそれはアメリカ人たちが自分達自身で自嘲して言ったように『世界最弱の兵士による世界最強の軍隊」だったのでした。 戦車個体の性能という点では、凡庸のやや下、というしかないM4をわしが好きなのは、 要するにそれが「アメリカ的価値」の頂点にある技術だからであって、他には理由がないようです。前にブログに書いたF4Fと並んで、M4には「普通の人間」の自由への執着と勇気と魂の健全がこもっている。 アメリカ式民主主義というものが、かつてはどのようなものであって、どういう光輝に包まれていたか、ということを兵器の形で体現している、と思うのです。

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プールの小景

カンクーンやマウイ、あるいはタイのプーケのようなところのよさは街全体がぶったるんでいることにある。へへへへでれでれでれという雰囲気であって「気合い」というようなものが微塵も感じられないところがよい。 カンクーンに至っては「オールインクルーシブディール」がふつーであって色の付いたプラスチックの腕輪を見せればなんでもかんでもタダです。カクテル、ただ。ステーキハウス、ただ。メキシコ料理屋もタダ。ホットドッグスタンドもタダ。したがってお金の勘定ということが存在しないので、へへへへでれでれでれがでへへへへどでれどでれどでれぐだあー、くらいまで拡張されただらしなさになることが可能である。 こーゆー徹底的にゆるゆるゆるな町のホテルのココナツオイルの匂いがするプールサイドで、オバカ雑誌を読みながら、肌がじりじりやけるのを楽しむのは、やはりよいことであるとゆわねばならぬ。 あっ、おにーさん、ピナコラーダ、もう一杯。 こういうホテルのプールにはメインプールのまんなかに「島バー」があるであろう。 まんなかのほうまで泳いでいって水の中にわずかに沈んでいるストゥールに腰掛けてカクテルを飲むようになっているのね。 酔っぱらってきて体が火照ってくると、また水に戻って泳ぐ。 みなこういうバーでは口が軽くなって知らない同士でチャンチキおけさを踊ったりします…というのはウソで「ちゃんちきおけさ」という言葉を知っているのをひけらかしたかっただけだが、それはともかく、知らない国のひとと打ち解けて話しがしやすい。 ルーマニアの田園地帯の美しさやアイスランドの冬の素晴らしさ、エジプトのコバルト色の海、というような知識はみなこういう場所で情報収集されたのであって、次にはどこへ行くべ、というようなことの大人相談室になっている。 島バー、がない小さなプールでは深いプールがよい。 ハリケーンで町ごとぶちこわれたので、いまはもうないかもしれないが、(とここまで書いてサイトを探してみたら、まだありました。よかった。また、行こう)メキシコのプラヤデルカルメンにMosquito Blue http://www.mosquitoblue.com/ というホテルがあって、ここのプールはちっこいが無茶苦茶深くて水が冷たくて気持ちがよかったのをおぼえている。普通のプールは水平方向に泳ぐがここのプールは上下に泳いで遊べたのでメキシコの海辺のようなくそ暑いところでは非常な快感です。 タイのプーケではテラスからそのままプールに飛び込めるホテルが好きであった。 一ヶ月滞在したが、あっというまにすぎてしまった。 テラスでごろごろしていて、暑くなると、そのままザンブと水に飛び込んで、ほとんどホテルの全周囲を網羅しているプールを泳いでホテルのあちこちに行ける。 夕方になるとコウモリが飛んで、熱帯はいいのおー、としみじみ思います。 タイという国は中国のひとがすげえー多い国なので、当然中国のひとたちもいますが、 プールサイドでピクニックをしたあとにプールで食器を洗っておった(^^;) 泳ぎながらたばこを吸う東欧人たち、白いハイヒールをはいたままアジア人たちがじろじろ眺める視線のなかでへーぜんとトップレスで日光浴をするフランス人のレズビアンのカップル。ネクタイを締めるための襟がついたシャツにジーンズ、黒い革靴、というかっこうでサンデッキに横になる中年のスコットランドのおじちゃん、プールサイドで小さな娘におしっこをさせている日本人の若いおかあさん、 タイのリゾートホテルのプールというのは、ちょっと不思議な場所で、わしはいつでも「飽きる」ということがない。 チェンマイのラチャマンカホテル http://www.rachamankha.com/Chiangmai_Hotel/the-hotel.html の小さいけれど気が遠くなるほど美しいプールやバンドの音が夜中まで木霊しているマウイのプール、どこに行ってもプールというものには土地土地の表情があって、たのしい、と思います。 ジムにもプールがある。 自分のマシンを使いながらぼんやり眺めていると(ベタだが)人間は面白いなあ、といつも思う。 わしはプーなので午前10時、とかにジムに行くことが多いが、この時間はそういう時間帯なのでしょう。お腹の大きなお母さんたちが何人もプールサイドを歩いている。 びっくりするほど美しい銀髪の背の高いばーちゃんが、いつも泳いでいるが、あれはわしと同じ通りに住んでいる大金持ちの夫婦の奥さんである。先週、家を売りに出していたので、「引っ越しちゃうのか?」と訊いて話していたら、9億円くらいで売れれば越すわ、とゆっていた。ニュージーランド人は金の話をはっきりしない国民性なので、ちょっとびっくりしました。 ともかく、このばーちゃんはいつも向こう側から二番目のレーンで泳いでいる。 いつも観察していて不思議なのは東アジア人は平泳ぎが好きなように見えることで、なぜだろう?と考える。うーんと、えーと、と頑張って思い出してみるとたしか日本のホテルのプール、とかでは日本人はみな自由形で泳いでいたはずであって、してみるとあのひとたちは中国人だろうか、と考えてみたりします。 いまだになぜだかわからん。 このおっちゃんたちが中国人なのは、いまでは明らかで、というのはプールの着替え室で中国のひとはまったく前を隠さないのでそれとしれる。日本のひとをみかけたことがあるが、みなビミョーにチン○ンが見えないような角度をとって着替えをしておる。インドのひととかも隠すのね。 中国のひとは、堂々たるもんです。別にサイズ上の自己を過大評価しているわけではないよーだ。ちびちんでも気にしておらん。 へえ、と思います。 してみると中国では平泳ぎが奨励されているのだろうか? わっしは何でもまねっこが好きなので中国人たちのまねをして平泳ぎをしたら腰を痛めた。もう二度とやらん、と考えました。 中国のひとで思い出したが、中国のひとにはTシャツを着て泳ぐ人がある。 白いTシャツ。 初めて見たときは白いTシャツを着てうつぶせになって、ぷかぷかしているので土左衛門かと思いました。隣のやはりTシャツの下に水着を着る、という複雑なかっこうをした若い女がなにか話しかけたら立ち上がったので死んでいるのではないとわかって安心したが、あれはなぜTシャツを着て泳ぐのだろう? … Continue reading

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ごろごろイースター

イースターだからとゆって特になにかするわけではない。 モニとふたりで家のあちこちでごろごろするだけです。 朝、庭のすみっこのほうまで散歩したら隣家のガキどもが「イースターエッグハンティング」をしている叫び声が聞こえた。日本でもやるのかどうかわからないが、家のあちこちに隠してあるイースターエッグ(マシュマロをチョコでくるんだ菓子)をガキが探して歩くのね。わしもやったはずだが、あんまり記憶に残っておらん。 隣家の両親はマジメに子供を育てる気持ちが強い親であって、子供のときにやっておいて後で思い出して自分の人生を慈しめそうなことはみな子供のために準備したり主催したりしてやろうという固い決意があるようだ。 モニはなにをしているだろうとおもってホールをぶらぶら歩いてモニがいそうなところにいってみると、空き部屋の隅に座り込んでなんだか一生懸命に描いておる。 なにやってるのかなあーと思ってのぞき込むと部屋にいろいろな家具を配置しているところを描いているのです。 まだこの家は越してきたばかりなので家具がなにもない部屋がいくつかある。 カーペットとカーテンはあるが、家具というものがまるでなくて寂しい部屋です。 パーネルの家をすからかんにするわけにもいかないのでクライストチャーチから移動してきた荷物と新しく買った家具でモニとわしは新しい生活を始めた。 最低限の家具は買ったが、あわてて買うとヘンなものを買ってしまいそうなのと、最低限とゆってもたちまちのうちに安めの家一軒分くらいの大出費になって立ち眩みがするようになったので健康に悪いので家具の購買を中止した。 この頃は家具が高い。 部屋の隅におくフレンチチェアを買いに行くと、古い椅子を直して売っているもので 4000ドルとかです。28万円。 フレンチチェアはベッドルームの隅において使うとか、そーゆー使い途だが、ホールの脇にちっこいテーブルをはさんで対で置くとカッチョイイが、そうすると56万円。 ちっこいこたつが面積半減して背伸びしたようなテーブルが2000ドル。14万円。 この辺に壁から伸びた腕の形かなんかのライティングがあるとグーであるな、と思って近所の照明屋に行ってみると腕の形ではないがなかなかカッチョイイ照明があったがこれも4000ドル。場所からゆって4つつけないと収まりが悪いので4つ買うと16000ドルで100万円を越えて勘定するのがスリルな金額になってしまう。 その照明の隣にまったく同じデザインの照明が600ドルでおいてあって照明屋のおばちゃんに、これはなんだ?と訊いたら中国製のものでひとまわり小さいだけであとはまったく同じデザインです。 しかし、まさか自分が住む家にパチモンを買ってすますわけにもいかないので、泣く泣く本物を買うことになる。 カウチとオットマンを買ったり、半分以上はクライストチャーチから運んでもらった家具ですませたものの、商人たちに金をむしりとられたのでけちなわしは心底から疲れてしまった。 だから、お休みです。 ごろごろしている。 自分の部屋のカウチに寝転がってお腹の上にクッションを載せて、そのまた上にコンピュータを載せてごろごろしていたりする。ときどき起き上がって、モニを探していちゃいちゃする。部屋に戻って、本を読む。 起き上がってデスクトップに向かってゲームをする。 うわあー、ぎゃあー。きったねえー。ひきょーもん。 とひとしきり絶叫したあとに虚ろな眼になって再びカウチに倒れ込む。 くっそおー、もうずえったいオンラインゲームなんかやらねー、とつぶやきながら他人の書いたブログを読んで、そこに出ているギリシャ料理店を見て、ムサカが食べたい、と考えます。 しかし、いちばん近いギリシャ料理屋は6キロくらい先なので行くのめんどくさい。 したが、はらへったのい。 モニの部屋に出張っていって、モニさん、わしジャンクフード食べたいんすけど、なにがいい?と訊くと「ピザ」という。 オーセンティックなやつっすか、それとも、ジャンキーなのとどっち? 「イタリアのがいい」 うーむ、わしはドミノピザがいいんだけど。 ほんまもんイタリアピザの店も近くによい店があるが、3キロくらい先にやはりイタリア人の家族がやっているむちゃくちゃうまいピザ屋がある。こっちのほうが、ずっと、うまいねん。 しかし前者は神速の配達を誇るが後者は配達してもらえん。 前者も何回も賞をとっているくらいで当然うまいが人間の心理というのは深遠なものなので、いったんより旨いほうを思い出すと食指が動かない。 ドミノピザはピザと名前はついていてもアメリカ風の別物なので、いっそそっちがいいなあ。ヘルピザやピザハットは論外だが、しかしドミノスなら食べたい。エクストララージピザ一枚6.99ドル(490円)のスペシャルプロモーションやってるし。 じっくり対モニ説得方針を頭の中で作成して、想定問答集をつくってモニさんの部屋に行ってみると、モニがいません。 ありい、と思うとワードローブのなかにいるのであった。 モニの特技の素早い身繕いでもう出かける体制になっているよーだ。 モニは便利なひとで口紅をひいただけで、完全メイクアップで武装した美神のようです。 … Continue reading

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企業国家と組合国家

むかし優秀な「国民」を引き止めるために英語国の政府がサービス向上に努めていることをブログに書いたことがある。 https://gamayauber1001.wordpress.com/1970/01/01/%E3%80%8C%E8%BB%A2%E5%9B%BD%E3%80%8D%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%9F%E3%81%A1/ このときは英語国民同士のことしか念頭になかったが、落ち着いて考えてみれば、この頃頭にあったほどは言語の壁は高くなくて、中国人などは言語が出来なくてもどんどん生活条件のよい国のほうに引っ越していたわけである。 「あたりまえでしょーが」とゆわれるだろうが、わしは、これほど単純なことにもオークランドにもどってきて香港人の友達に指摘されるまで気がついていなかった。 日本のひとが言語と食べ物を理由にして他国に定着しないことを考えすぎていたからだと思います。 こういう国家間の人材獲得競争はますます激しくなり方法が巧緻にもなっている。 中国などは海外で高等教育を受けた人材をなんとかして自国に帰ってこさせようとして必死になりつつあるよーだ。 移民が増えて、国家間の人間の移動が大規模になるにつれて国家というものが企業化しつつあるように見えることがあります。 合衆国、というような例をもちだすとバラク・オバマは社内の衆望を担って大抜擢されたCEOであって、ヒラリー・クリントンは役員会の実力者のひとり、ということになるでしょう。院内総務とか下院議長とか役員なのだと考えるとわかりやすい。 目下は前CEOのジョージ・ブッシュJrの放漫経営で傾きがひどくなった会社をなんとか建て直そうとしている。 では株主が国民かというと、そんなことはない。少なくとも国家を経営する人間は、国民が国に対する所有権を分割してもっているというような意識をもっているわけではなくて、株主というのは合衆国に対して株主の利益に相応した議決権を持っている人々であって、つまり、合衆国と利害関係があるひとびとが株主であると考えるほうが論理的です。 日本や中国の政府は合衆国に対して巨大な債権を持っているので実は合衆国が政策を決定するに当たって大きな影響力をもっている。 あたりまえですね。 大株主が株を売り払ったら、えらいこっちゃ。 経営者なんというものは、自分の経営理念を発揮できるなんちゅうのは、よほど恵まれた機会に遭遇したときであって、普段は株主のご意向にはそうそう逆らえない。 だから株主を喜ばせるような政策をとらざるを得ない。 80年代の日本のように会社乗っ取りに動き出す株主が出てきた場合は経営陣といえども牙をむいて全力で戦わなければなりませんが、そうでないときは株主ハッピーな経営方針でゆくにしくはない。 こういう国では国民はなにであるかというと、その大半はただの「オーバーヘッド」、無駄、であって、養いたくなくても養わなければならない巨大扶養家族のようなものである。 そんなバカな、おれは働いているぞ、というひとがいるに決まっているが、現代経済では国民の労働なんというものは経済の決定的要因にならないのは(多分)常識であるといってもいいと思います。 経営陣からみると国民はわがままで怠け者でえらそうなことばかりゆっておる割には全然国家の競争力に寄与しない、という点ではただのお荷物である。 しかし、これを全部ぶち捨ててしまうとたとえば「戦争」というようなときに傭兵に頼らねばならない、とか、消費マーケットが形成されない、とか国民個々の生産性とは別のところで困ったことが出てきてしまう。 全然いなくなると困るけれど生産性があるのは全体の一割程度、というところも巨大企業の社員集団そのもので、なんとなく笑ってしまいます。 税金にしたってトップの5%くらいが他の10倍は軽く払っている。 「その他おおぜい」の国民のほうは医療費ほかの社会保障費コストを考えると、いっそいないほうが黒字である、と経営陣としては思っている。 ここまで書くと気がつくひともいるに違いありませんが現代の国家経営の難しさは、本来利害をもっている株主の総会ではなしに、被扶養グループが経営陣を選べることになっているところに根源的に存在しているともいえる。 バラク・オバマは一歩間違うと合衆国の国家精神の終焉となるかもしれないヘルスケア法案を豪腕で通してしまいましたが、ひとが悪いことをいうと諸政策のプライオリティから言って、ここでこれを通した瞬間から歴史的には彼は「ポピュリスト」という汚名を着て歴史に記されることになるかもしれません。 合衆国が「企業」として機能する道を長く選択してきたことを考えると経営戦略的には全株主の期待をおおきく裏切る決定をくだしたことになります。 中国人は、みな、「やばいな」と思った。 これじゃGMじゃん、と中国政府内の若い政策決定者たちが苦笑している様子が目に見えるようである。 合衆国の企業としての生産性がこの後法案の効力が続く限りにおいて低下するのは見えているからです。 合衆国の株主の構成は早晩変わらざるをえない、とわしは思っています。 それはすなわちチャイメリカの終わりを意味している。 言うまでもなく、たいへんな変化が待っていることになります。中国が消費市場の「内陸ゲート」を開いたのはそのあらわれである。 一方で、日本、というような国を例にとると、この国は労働組合委員長が社長に就任した製造業者に似ている。この国では「労働者」というものの旧来の価値を信じているので会社の収益をどれだけおこぼれとしてもらえるか、ということに社会全体の関心がある。 なぜ、そんな考え方が定着しているかというと自分たちの製造した製品の品質の高さから来る競争力に絶対の自信があるからです。そーゆー会社には経営なんて、いらん。 つくれば売れる製品からあがる利益を誰がどれだけ手にするか、ということだけが国民の関心になっている。 具体的な会社でいうとむかしの「日産」とかに国ごとひどく類似してしまっているようです。 日産の「天皇」とゆわれた組合委員長が給料はたいしたことないはずなのに巨大なヨットに高級クラブのホステスたちをはべらせて豪遊していたように、こういう組織体にはどこから来て誰の懐にはいったか不明な訳のわからん巨額な金と意志の決定が誰によってなされているか皆目見当がつかない不透明さとがいつも付いてまわる。 だいたい組合員のポケットにはいる金の倍くらいの金が当の組合幹部のポケットと組合維持機能に消えているだろうと思います。 こういう体制の国の製品はその組合という不見識で硬直化した官僚組織が決定をくだすことによって製品自体の競争力が必然的に失われる、という逃れられない欠点がある。 … Continue reading

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Cold Blooded

常岡浩介というひとのニュースを追いかけていたら何だか気が滅入ってしまった。 日本人に生まれるということは大変なことなのだな、と考えた。 「自己責任だ、死ね」「判っててやってるんだから助ける必要なし、放っておけ」 というような意見が並んでる。 ニュージーランドのギズボーンで生まれて育った報道カメラマンMargaret Moth http://www.cnn.com/2010/LIVING/03/21/margaret.moth.obit/index.html が死んだのは二週間足らず前のことだったが、そのときは「Fearless」という名前で呼ばれたこのカメラマン…漆黒の髪に黒い皮のジャンパーに黒い皮のパンツ、黒いアイラインを強くひいたメイクアップにコンバットブーツで戦闘の修羅場を飛び回ったこの女のカメラマン…の訃報にニュージーランド人は彼女が好きだったひとも嫌いだったひとも共に泣いた。田舎者の集まりだと笑わば笑え、どんなに嫌いでも「仲間」は「仲間」だからです。 シーシェパードの沈没した抗議船Ady Gilの船長Pete Bethuneはニュージーランドでは、あんまり人気があるとは言われない人物です。ただの目立ちたがりとして毛嫌いするひとのほうが多い。だから日本の海上保安庁に逮捕されたときにも「ほんまにアホやな」あいつという反応が多かった。新聞は「逮捕拘留されているあいだは世界中にニュースが流れ続けて日本の『法のループホール』を狙った調査捕鯨の卑劣さに世界の人間の注目をひきつづけるためのスタントだろう」という観測記事ばかりだった。 でも「彼を憎悪するひとも支持するひとも」というデカイ記事には、拘留中にPete Bethuneの娘が誕生日を迎えたこと、娘の誕生日に異国の留置所で過ごすことになった夫を持って「あたまにくるけど、もうあきらめている。必ず戻ってきて、にやりと笑う夫を信じている」という奥さんのことが書いてあった。 娘の「ああいう父親なんだから、しかたないわよ」(^^)という談話も載ってます。 そこにはやっていることには賛成できないが仲間としては言葉も通じない国の自分たちの国の警察とはまったく異なる強圧的な警察でひとり留置所で娘の誕生日を過ごさなければならない「仲間」の父親へのいたわりがある。 国、なんちゅうもんは、たいしたもんでなかろう、とわしは思います。 少なくとも「良い国」というのは個人にとってはたいした制約をもたない。 ただ自分が属している最大の組織としてパスポートをもらって税金を払っているだけのことです。 ただそれだけのものなのに、自分の国を遠く離れたニュージーランド人はアトランタのパブで、ふと耳についた「ニュージーランド訛り」を耳にして、そちらを振り向いて微笑む。マンハッタンの酒場で誰かと大喧嘩するアイルランド英語を聴いたアイルランド人は自分の信じていることでも信じていないことであってもとりあえずアイルランド人のほうに加勢して大声で相手を罵るでしょう。 そーゆーことはひととして正しいことではないがアイルランド人としては正しいんだがね、とわしのアイアリッシュの友達はゆったことがあります。 人間としてとアイルランド人としての選択があるときに「人間としての選択」を選ぶアイルランド人がいるとはおれは思わんね。 加藤和彦が自殺したときに「自殺されたホテルの迷惑を考えろ」という意見がたくさんあった。大まじめに、いつも泊まるホテルでないホテルで自殺したのは、あのひとの最後の親切心だったのだろう、とわしにゆったひともいました。 うまくゆえないが、わしは、こーゆーことの「日本的な考え」の全体の嫌らしさがたまらない。(すまん) 日本語という言葉のなかに明然と流れる冷たい血流、氷のように非人間的な知性、 人類全体の努力に真っ向から対決する価値に触れて凝然とした気持ちになります。 「できの悪い日本人」や「あぶない日本人」、「頭が悪い日本人」「他の国に対して恥ずかしい日本人」を平然と切り捨てられる集団には何かが決定的に欠けている、と思うのです。

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日常茶飯

今年は冬に2ヶ月旅行に出るだけなので、ほんまに「里帰り」モードだなす。 モニがニュージーランドの永住ビザだけでなくパスポートが欲しいというので、今年と来年はあんまりあちこち住んで歩くわけにはいかない。 仕事も今年のぶんは2月で終わってしまったので、家でのんびりころころしておる。 なんだか、どこにもいかないで、ずううううっとここにいたような気になる。 朝起きると朝ご飯をつくって食べる。 卵を二個目玉焼きかポーチドエッグにする。「目玉焼き」は日本式作り方。 フライドエッグっちゅうのは、ほんとうはたっぷり油をフライパンにいれて卵をいれる。 黄身は油を黄身の上にかけて料理する。半熟にしたり簡単に調整できるのは、油をかけて調理するからです。ところが日本式はちゃうねん。 油はちょっとだけひいて、蓋をして蒸す。ちょっと水をいれる、というシェフのひともおった。このやりかただと黄身の加減が難しいが小さいフライパンを使えば間違いなく綺麗に出来るのがわかったので、わしもいまは「日本式」。 卵の他はベーコンとソーセージ、ハッシュドブラウン、トマトときのこの焼いたやつ。 ベーコンはショルダーでもミドルベーコンでも、どっちでも好きなのでその日によって違う。合衆国人のようにカリカリにしません。 ニュージーランドはベーコンがおいしい。世界一、だと思う。だからあんまり焼かない。オーバークック専門家のニュージーランド人が、あんまり料理しないで食べるものの代表です。トマトときのこはフライパンで焼く。 で、あとは地元のベーカリーで買ったトーストを付けて出来上がり。 トーストに塗るのはベリー・ジャムかマーマレード、ベジマイト、バター。 ビーフソーセージかポリッシュソーセージをつけることもあります。 あとフライド・バナナがつくこともあるな。 朝食を食べ終わるとだいたい10時半か11時で日本の友達とtwitterで遊んだり、新聞を読んだりしているとモニさんが起きてくる。 モニさんの朝食はたいてい、わしの朝食に較べると極端にちょっとなので、つくるのは簡単です。日によって全然違うものを食べるがブリオシュとかペストリ、チョコレートサンドイッチでとかにカフェオレとかが多いようだ。 テレビも日本にいるときはまったく観なかったがニュージーランドではよく観ます。 火曜日水曜日木曜日の午後7時半から10時半はテレビにはりついているよーだ。 Cold Case, The Good Wife,CSI.NCIS.SVU,Criminal Minds…ははは、テレビっ子ですのい。 オークランドはロンドンやなんかに較べると土地が安いので都心に近くても家が大きい。 わしの住んでいる辺りは、オークランドのいちばん大きな繁華街まで2キロくらいですが、土地の大きさは「フルセクション」(もともとの分譲地の大きさ)が1500平方メートル。いまはハーフセクションの家も増えましたが、それでも半数以上はいまだにフルセクションで、そこに床面積が300平方メートルくらいの日本の数え方で言う5LDKをつくってあるのが普通です。プールやテニスコートをつくるのが好きな人はつくる。 そんなに「ゼータク」というのではなくて、ふつーのことです。 モニとわしの家はフルセクションの家よりも、もうちょっと大きい。 日本でモニとわしがいた広尾のアパートは200平方メートルというちっこいアパートだったので、それだけで鬱病になりそうであった。 広いところで、のおんびり出来るのがニュージーランドに戻ってきていちばんよかったことかもしれません。 夜中に猫が横切ってセキュリティライトが点灯したり、Tui(ニュージーランドのかっちょいい鳥)が生け垣の上で鳴いたり、芝の匂いがしたり、そーゆー細部がいちいちなつかしくて気持ちがどんどん落ち着いてゆくのが判ります。 ヘーキなつもりでも習慣や言語が著しく異なる国では案外くたびれていたのかなあーと思うこともある。 一日、なにをしているのかというと、モニさんと遊んでいる時間がいちばん長いが、そうでないときはサンスーのリハビリをしたりゲームをやったり外国語の読み書きをして遊んだり。家の周りのセキュリティカメラを動かして外の様子をみながらぼけえーとしたり、たいへん非生産的です。 天気がよいとモニとふたりで散歩に行く。twitterの友達はわかると思いますが嫌がるモニをひきずってジムへ行ったあとです。近くの繁華街かポンソンビーというモニとわしが好きな街へいって夕食を食べる。ステーキハウスでステーキとワイン、っちゅう感じのことが多い。モニもわしもエスニック料理が嫌いではないが夕飯は人間の保守性が顔をだすようだ。 壁に棚をつけたり、ドアにノッカーを取り付けたり、壁を塗り替えたり、そーゆーことをしていると、あー帰ってきたなあ、と感じる。 のんびりはいいなあ。故郷は楽しいなあ、となんだか嬉しくなります。

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