M4_シャーマン

アメリカ人がただ「良い戦争」と言えば、それは第二次世界大戦のことと決まっている。
「良い戦争」という言葉自体はベトナム戦争という「悪い戦争」との対比でよく使われるようになった。
援護射撃を命じて突撃するとき、第二次世界大戦のときはどんな苛酷な状況でも部下全員が遮蔽物からクビを出して援護射撃をした。
朝鮮戦争になると、危なそうなときは援護射撃をさぼる兵士が出てきた。
ベトナム戦争になると、援護射撃のふりをして突撃を率いる下士官を後ろから撃つ兵士が出てきた、という。

第二次世界大戦はアメリカ人にとって判りやすい戦争であった。
なんだかエラソーに気取っている「ナチ」という鼻持ちならないやつらが、人種的優越とかぬかして大陸欧州を制覇しているのが、そもそも気に入らなかった。
あとで戦争が終わってから蓋を開けてみると、それどころではなくてユダヤ人を効率的に屠殺して人種ごと抹殺しようとしていたので事の深刻さにびっくりしてしまったが、戦争を始めた頃は、そこまではわからない。
アーリア人だかなんだか知らないが、「選ばれた民族」とかくだらねえことをぬかしやがって、と憤慨していただけです。

大西洋横断に成功して国民的英雄であったリンドバーグのようなひとまでナチを称賛しだしたので、アメリカ人は早くちゃんと戦争を始めた方がいいのではないか。「中立」なんて言っていると苛苛する、と考えだしていた。

そこにナチの尻馬に乗ったお調子者のアジア人の帝国「大日本帝国」がはるばる真珠湾にまでやってきて爆撃をして帰る、というそれまでのアメリカ人の常識では起こりえないことが起きたので、なんだかよくわからないが興奮して、「そこまでされたら立ち上がらなくっちゃ」というので一挙に一致団結したのでした。

ナチと「The Japanese」(このtheはいまでも日本人の頭にくっついているが、日本人はその意味を考えたことがあるだろうか)というふたつの「悪いやつら」に立ち向かう「良いアメリカ人」の英雄的戦い、というのは5歳の子供でもわかる図式であって、このアメリカ人にも判る「良い戦争」という図式が大不況から社会的沈滞から、それまで倦怠期みたいな空気が澱んでいたアメリカの諸問題をあっさり解決してしまいました。

ナポレオンの軍隊と同じで第二次世界大戦におけるアメリカ軍は「理念」の軍隊だったので、アメリカ的理念を明確にあらわしたものがいろいろ他国民の軍隊を驚かせた。
英国人や自由欧州人たちとともにアイゼンハワーというドイツ人の将軍に率いられて大陸欧州にスターリンが熱望した第二戦線を開くべくノルマンディに現れたアメリカ人たちの先頭に立っていた奇妙なシルエットの背の高い戦車もそのひとつである。
この戦車を初めて見たドイツ兵は、「なんじゃ、あれは」と思ったのに違いない。
もしかすると対戦車壕の戦車砲の脇からその戦車を望見してふきだした対戦車兵もいたかもしれません。

そもそもその形状が戦車としてはマンガ的である。
この頃にはもう東部戦線では、弾頭に硬い特殊合金を被せた砲弾が開発されたせいで高射砲と初速がほとんど変わらない大砲で遠距離から高初速低弾道で戦車を吹き飛ばす射撃術が一般化しつつあったので戦車の車高は低くなければどうしようもない、と理解されていた。低い車体に斜めに傾いた装甲版、が戦車のスタイルになりつつあった頃です。
アヒルみてえな戦車だな、とドイツの擲弾兵たちはつぶやいたに違いない。

しかし、この「アヒル」は1台姿をあらわすと、次から次にわらわらとあらわれて、あるものは陽動して、あるものはフランキングにかかり、で当時無敵を誇った88ミリまで置き去りにせざるをえなくなった。

戦争が終わってから、ドイツ人たちは、あの妙に背の高い車体が実はWright R-975 Whirlwindというたった400馬力弱しか出ないが生産工程が簡単なせいでやたら数だけは生産出来た航空機用星形エンジンを流用したからだ、ということを発見して驚いてしまう。

戦車1台で戦闘機4機が出来る、というくらい戦車は高価な兵器である、という常識をアメリカ人は覆してしまった。若いポルシェに率いられたドイツ技術者のチームがハイブリッドエンジンの「スーパー戦車」を作りつつあったドイツ技術とは真っ向から対立する思想です。

一騎当千、というがドイツ人たちは自分たちは世界のなかの選良民族なのだから数倍の敵に打ち勝って当然、数百倍の敵に遭遇すれば敵を壊滅させて自分も滅びるだけだ、という英雄叙事詩的なあるいは中世悲劇的な感情で戦争を戦おうとした。
もっとも当のドイツ人たちが戦後になってつくった戦争映画を観ると、それは士官級以上がそうだっただけであって、兵士達は英雄かぶれの上官どもにうんざりしきっていたのが判りますが、ともかく、こういう「選ばれた」「高貴」な戦車士官たちが戦ってボロ負けしたのは肉屋のおやじや配管工のおっちゃんが戦車長のM4の集団でした。
戦場にあらわれたタイガー戦車を見ては、「なんで、あんなにデッカイんだ、あの戦車は、あんなデカイ戦車もってくるなんてドイツ人の野郎、汚ねえだろ」とゆってみたり、
パンサーを見て、あまりのカッコヨサに写真を撮ったりしていたアメリカ人たちの戦車軍団は、しかし、どの対戦車戦闘でも負けているような奇妙な印象を残しながら圧勝していった。

アメリカ軍という史上初めて英雄を戦意昂揚の目的以外では必要としない軍隊が歴史の表面に登場した初めです。1918年には「Tシャツ」を残していっただけだったが、それから四半世紀後に大陸欧州に帰ってきた軍隊はすでに世界最強になっていた。
しかもそれはアメリカ人たちが自分達自身で自嘲して言ったように『世界最弱の兵士による世界最強の軍隊」だったのでした。

戦車個体の性能という点では、凡庸のやや下、というしかないM4をわしが好きなのは、
要するにそれが「アメリカ的価値」の頂点にある技術だからであって、他には理由がないようです。前にブログに書いたF4Fと並んで、M4には「普通の人間」の自由への執着と勇気と魂の健全がこもっている。
アメリカ式民主主義というものが、かつてはどのようなものであって、どういう光輝に包まれていたか、ということを兵器の形で体現している、と思うのです。

This entry was posted in 兵器と戦争. Bookmark the permalink.

2 Responses to M4_シャーマン

  1. M4 Sherman は大昔の戦車だが、確かにかっこいい。かっこいいアヒルだ。しかも低コスト。私は戦車に詳しくないが、近所のノーボおじさんは(もう死んじゃったけど)戦車が欲しいとよく言っていた。何のためかって言ったら、赤のデモ隊に戦車で突っ込んでやる、と危ないことを言う変な人だった。

    M4といえば、私の好きなものはM4カービン銃です。ほんとはライフルのほうがいいが、連射ができるものではこれがいい。今でも使われてるし。どちらもM4でどちらも低コストというの面白い。普通のものの半値以下で、1000ドルくらいで1丁できるらしい。高いピストル2丁より安い。だから、命にかかわる場合なら平気で捨ててもかまわない。

    ドイツの下級兵隊もかわいそうなら、日本の兵隊はもっとかわいそうだった。役にも立たない重い銃を持たされて、しかも天皇が貸した銃だからそまつにはできない。三八式歩兵銃の話だけど、あんな口径の小さい銃は空気銃のようなもの。ピストルよりチビだもん。

    だんだん何を言ってるんだかわからなくなってきたが、武器や戦車にも民主主義かどうかは現れるもんだよな。その通りだと思う。

  2. Mark Waterman さん、

    アメリカって「戦車砲」とかっち売ってるのよね。ぶくらこきました。

    >M4といえば、私の好きなものはM4カービン銃です。

    わしも好きですのい。兵器について見ると「民主主義」が反映されているのは実はアメリカだけです。アメリカのひとはそれをもっと誇りに思って良いと思う。

    >三八式歩兵銃の話だけど、あんな口径の小さい銃は空気銃のようなもの。

    日本語wikiには、「敵兵を殺さないことにより、敵の看護人員を不足させることが出来た点で殺傷能力があるよりも優秀だった」っちゆようなことが書いてあるな。ヒロシの母国はすごい、と思いました。

    今度の翻訳もすごいやん。

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s