塔をめざす

ラミュエラ図書館の木洩れ陽のなかを歩いて街へ出た。通りを家の側に渡ると遠くに海が見える。不思議な形をした雲や海に向かってなだらかに広がる扇状の住宅地が見える。
「わっし」はもうやめた。
もうこれ以上の日本語の上達は望めないし望んでもいないような気がしてきたからです。

むかしは持っていた日本への特別な期待はもうなくなった。2chやはてなのひとびとのせいかもしれないし、そうでないかも知れないけど、もうそれもどうでもいいことになった。

日本語の能力を保持することは「死せる日本人」と話をする能力を保存することで、わしには、そっちのほうが大事なようです。わしは透谷と対話するのが好きである。
「日本人の形」を尖鋭にもっていた透谷は自分の人生の当然の帰結であるかのように自殺してしまったが、透谷が視ていた「日本」を読むと「三四郎」の広田先生よりももっと本質的に日本の行く末を見抜いていた。
「革命に非ず移動なり」に抗弁できる日本人はいないだろう。
もっと透谷の言うことに耳をすまさねばならない。

そこで何が起こったかを視られるようになるべきである。
27歳ともなれば若いとは言われない。
あの高い塔にのぼって遠くを見る日を急ぐ。

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4 Responses to 塔をめざす

  1. portulaca says:

    「『わっし』はもうやめた」というのは、「日本(と日本人)が変わることに希望を持って意見を述べるのをもうやめる」ということでしょうか。

    今からはまとめの段階に入る、ということ?

  2. portulaca さん、

    主語の「わっし」をやめる、っちゅう意味だすけどな。
    癖になってるのでやめられひん。
    これから「まとめ」にはいる。っちゅうのは、その通りだす。
    そんな鋭い意味ではないが、やっぱり日本語だんだん飽きてきた。
    (ふだん使わないから、だな、きっと)

  3. じゅん爺 says:

    道祖神になるのもよかんべさ。チ○コの型したのもあるぜよ。
    きまじめなとこあるので、以前から心配してたんだ。

  4. じゅん爺、さんきゅ。
    でもダイジョブよ。もう27歳っすから。

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