日本人たち_1

叔父の鎌倉の家にいると叔父が高校生のときの友達であるUさんがやってきた。
叔父が玄関に出て行かないので、わしが代わりに出てみると、それが癖で頭を少し横に傾けたUさんが満面の笑みで立っている。
手にはなんだかでっかい風呂敷包み(!)を抱えています。

なんだガメちゃん、日本にいたの?
M(叔父の名)はいる?
医学研究者のUさんは合衆国への留学が長かったので英語は上手だが、いつも日本語で話してくれる。いつか銀座で酔っぱらって「Uさんはわしに英語で話さないのね」というと、あたりまえだろう、という顔で「だってガメちゃんの日本語のほうが上手だもん。英語では失礼だろう」という。
そーゆー覚悟が決まったような思いやりがUさんには、いつもあります。
強い人なのだ。

叔父より先に声を聞きつけてかーちゃんシスターが出てきた。
Uさん、ひさしぶりですね、まで日本語でゆって、後は英語で挨拶する。
お元気でしたか。今日は、どうなさいました。
いや天気が良かったもんだから鎌倉に来てみようと思って、ついでにMの顔でも見ていこうか、と思ってきただけです。

そのうち叔父がおっとり刀でやってくると、ふたりで高校生に戻ったような乱暴な口を利いておる。

おっ、いっけねえー、医学部教授を玄関に立たしたままにしておくと怖いな。
ま、あがれよ。

風呂敷包みの中身は「麻丘めぐみのレコード」であって、かーちゃんシスターが呆れておる。
かーちゃんシスターの好みでしつらえた「縁側」に出してある籐の椅子に腰掛けて庭をながめてUさんと叔父は愉快そうに話しておる。
中学と高校のときの話ばっかりです。
横で聞いていてもなんだかちっともわかりひん。
きっと、このふたりは、こーゆー話をいままで何百回も繰り返してきたんだろーなーと考えました。
でも、いーとしこいたおっちゃんふたりが、売春婦と家出した級友をふたりで捜しに行った話や、寒い冬に機動隊のカップヌードル(その頃、見たことも聞いたこともない新製品だったそうだ)をうらましがった話を聞くのも、そう悪くはない。

二ヶ月前、叔父はUさんの「愛人」を見舞いに築地へ行った。
Uさんが行けばいいじゃないのか、そんなの、とわしが不服を唱えると、ガメくん、この天と地のあいだには君の哲学では説明出来ない文化がいくらもあるのさ、とふざけてゆってから、「ガメ、K(かーちゃんシスター)にばらしたら、おまえが持ってるおれの会社のカード止めるぞ」という。

あの夜、帰りの運転手役を仰せつかっていたわしが松屋裏の飲み屋のHOに迎えにゆくと、叔父は盛大に酔っぱらっておった。

Uさんの「愛人」はNさんという。Nさんも女医さんです。
ガメ、Nさん、もう保つの3ヶ月だって。
あのひと弱虫だから、ゆわないでください、てさ。
あのひと、というのは無論Uさんのことでしょう。

なんだか長い間セックスのためだけに利用されただけのような気もするけど、でも、やはりUさんに会えて良かった。
叔父が理由を問うと、
「自分にしか受け止めてあげられない人間がいるってわかるというのは女にとっては幸せなことなんです」とゆったそーだ。

その晩、鎌倉でなくてUさんが住む港区某所にクルマをまわしてくれというので、わしはそうした。
あのバカ、ぶんなぐってやるとゆった叔父の顔をまだちゃんと思い出せます。

聞くところに依ると、次の日、Uさんはでっかい青あざを眼の周りにつくって大学に出勤したそうだ。

そーゆーいっさいのことは、かーちゃんシスターが忌み嫌う世界のことなので、わしはもちろん一言もゆわなかった。もし具体的なご下問があれば当然にばらすが、質問もなかったので、わしはしらばっくれてました。

Nさんが死んだときUさんは葬式にもお通夜にもでかけなかったそうだ。
叔父は、のこのこと出かけて遺族のひとに妙な顔をされたとゆった。

Uさんが風呂敷包みを抱えて鎌倉の叔父の家に突然やってきたのは、要するに、その葬式の二ヶ月後です。

別にNさんのことを避けようとしているわけでもなく軽んじてるわけでもなく、「Nさんの死」ということについて自然な黙約があるような叔父とUさんの仕儀を見ていて、わしにはまだまだ日本の文化について知らないことがあるのだ、とわっしは、その日の午後中考えました。
麻丘めぐみやキャンディーズやキングクリムゾンやクリームについて熱狂的に話をしているふうのUさんと叔父は実は終始一貫Nさんの思い出話にふけっていただけなのかもしれません。しかし、そこまでの機微はわしには判らない。

だから、なんだ、とゆわれても困るのでもあります。

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3 Responses to 日本人たち_1

  1. じゅん爺 says:

    築地の病院・松屋裏の飲み屋・機動隊とカップヌードル・「年下の男の子」と「私の彼は左利き」・・・並べるだけで浮かび上がってくる情景がある。「自分」という者の中身はきっと死ぬまで変わらんのだろうな。

    • じゅん爺さま、

      >築地の病院・松屋裏の飲み屋・機動隊とカップヌードル・「年下の男の子」と「私の彼は左利き」・・・並べるだけで浮かび上がってくる情景がある。

      そーか、叔父たちは都会ガキらしく背伸びして暮らしてたから、あのひとらの話していたことは実はじゅん爺たちの世代のものなのだな、ひとつには。「ボーイズライフ」って雑誌あるでしょう? あーゆーの叔父似見せられると、なあーんとなく叔父達(というのはつまりじゅん爺たち)の時代の不可思議な豊穣さが少し判るような気がします。そして、それがわしにとってはもっとも興味がある「戦後文化」なのね。
      どうもいまの日本文化よりも魅力があるよーだ。
      野卑と矜持が同居しているとゆーか。
      じゅん爺はラッキーだのい。

  2. kochasaeng says:

    「宝くじを当てて、結婚するんだ」
     そんな最低なセリフを50歳過ぎの、いいオヤジから聞いたことがある。

     Yさんには、本妻とべつに恋人がいて。
     ただ、本妻とは折り合いが悪く、数年まえに別居してからの恋人だったので、日本語でいう「愛人」というのとは、少しちがうかもしれない。
     Yさんは、おれの友達の、そのまた友達で、なん度かバンコクにも恋人と遊びに来ていたので、面識はあった。ひとまわり上の歳。団塊さんだった。
     そんなYさんは大きな家電メーカーのブチョーさんで、おれたちはスペインで落ち合った。
     家電のプロモーション・ヴィデオみたいなもののロケハンでスペインに行ったんです。
     ほら、あったでしょ。家電量販店のAV(オーディオ・ヴィジュアルのほうね)機器の売場で「高画質」ってかんじでフラメンコのダンサーが赤いパレオとか翻してるやつ。
     ああいう、誰も真剣に見ないイメージ・ヴィデオみたいなものを作ったわけです。Yさんは差詰めクライアントってところだね。

     マドリードの宿に行くと、Yさんと恋人のCちゃんが先にいて、なんだかふたりともおれの顔をみて安心してるみたいだった。
    「ちょっと聞いてくださいよ」Cちゃんが乱暴に煙草をもみ消した。「このひとの奥さん、意地になっちゃって別れないって言うんです」
     はあ…。なんだ、その挨拶は。レディー・ガガの外見と同じくらい斬新な挨拶だよ。
    「女房がね」困り果てた顔でYさんが溜息をついた。「まえから別れましょう、って言ってたし、入院したって聞いたから、見舞いも兼ねて行ってきたんだよ。で、離婚しよう、って言ったらさあ」
     ああ。ね…。
    「そうなんだよ。言われちゃったの。ははーん、オンナができたでしょ。ふざけんじゃないわよ、って」
    「ねえ。このひとハナシの持って行き方がヘタなのよ」とCちゃんがムクれてる。
    「そんでさあ。ひでえんだよ。3億円持ってこい、だって。そしたら別れてあげる、だって」
     ふたりは説明を終えると憑き物が落ちたみたいに、ふわっと笑って、「だからメシ食いに行こう」と言った。
     おれのコメントは、「その、だから、の使い方は間違ってるから」だけだった。

     ほんとうの話は、少しちがってた。
     Yさんの奥さんは、Yさんに新しい恋人ができたことを娘から聞いて知っていたし、「わたしとは上手くいかなかったけど、そのひととは上手くやってね」と言っていたんだそうだ。
     でも、奥さんに病気が見つかって、余命が半年かそこら、とわかったので、奥さんはYさんに言った。「わたし、そんなに長くないの。それまで、あんたの奥さんでいても良いかな?」
     そんな話を断れるやつが、いるもんか。
    「あのね」奥さんは重ねて言った。「あの娘が、結婚しよう、って言い出したら、わたしが意地になってるって答えて。3億よこせって言ってるって。ね。ちょっとの間だけ。ね。でも、ほんとに3億くれるんだったら、今別れてあげてもいいわよ。ふふふ」

     だからYさんは「宝くじを当てて、結婚するんだ」と言って、ぽろ、と涙をこぼし、おれも「そうなんだ…」と答えて、下を向いていた。
     Cちゃんだけが真相を知らされておらず、目の前で涙ぐんでるオヤジふたりを怪訝そうに見ていた。
     宝くじ頼みの結婚なんて、冗談じゃない。ふつうなら、そう言って怒りそうなもんだが、Cちゃんは「困ったよね」と溜息をついたり笑ったりしていた。
     ロケハンのタブラオでヒターナのおばさんに話しかけられて、なんかそれは世間話だったんだけれど、Cちゃんが「何て言ってたの?」と訊くので、「このひとは、よく当たる占い師で、あなたたちは間違いなく結婚する、と言っているよ」と、テキトーなことを答えると、ふたりは嬉しそうな顔をしていたな。
     そして、ふたりは仕事があるので、数日で日本に帰って行った。

     ふたりが結婚したのは、それから1年後くらいだった。
    「結婚式は挙げないから」そう連絡が来たけれど、挙式しても行くつもりはなかったから、かまわない、と答えておいた。
     Yさんは会社を早期退職で去り、退職金をせしめた。奥さんの死亡保険金も入ったんで、ちょっと小綺麗な居酒屋を開きました。
    「日本に来たら、寄ってください」かんたんな葉書がバンコクまで届きました。

     それから5年くらいかな。ともだちから、電話があって「Yさん、亡くなりました。自殺です。お店の経営がダメで、借金がかさんじゃったみたいで」
     うそ。
    「まあ、借金は保険金で軽く返せるんです。Cちゃんの手元にも、少しくらいは残るんだそうです。で、お葬式は密葬ということで」
     うん。わかった。どうせ行かないもん。そう答えて、おれは電話を切った。通話は切れた。通話はかんたん。スイッチ切れば、それで終わりだもんな。

     たんなる事実です。教訓なんか、ない。そんなものは、あってはいけない。
     Cちゃんは実家に帰ったあと、どうなったのか誰も知りません。

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