Monthly Archives: May 2010

大阪

成田に着いた次の日は広尾でそのまた次の朝はクルマで東名高速を西へ行った。 スーパーお手伝いさんのYさんがいれておいてくれたRodrigo y Gabrielaをずっと聴いておった。日本でのコンサートの録音だ。ずっとずっと前にブログに書いた https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/09/26/%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%8C%E6%AE%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AF/ が、わしはこのふたりのギターが大好きなので東名みたいなクソ高速を運転していても音楽のせいで疲れない。途中でガブリエラが異例なくらい長い日本語での挨拶をするところがあってモニがそれを聴いて涙ぐんでおる。 理由ですか? 理由は日本のひとにはわからないのさ。 日本にいたことがある外国人以外には、きっとわからない。 名古屋で一泊してモニとふたりで日本酒を飲んで遊んだ。帰りにワインを買って部屋でも遊びました。ホテルのひとが泊まった部屋は防音になっているのでダイジョーブだ、というので、B&Wのラグビーボールが間延びしてとんがったような形のステレオでGinやToni Braxtonやなんかをかけて踊りまくって遊びました。夜中の人気のない栄を散歩して遊んだ。 午前2時のテレビ塔が見える通りを半分踊るようなステップで歩いている巨大なガイジンのにーちゃんと傍らで笑い転げている妙に背が高いすんげえ美人のねーちゃんを目撃したきみ、それはモニとわしである。 名阪道路というパチモンの高速みたいな訳の分からん道を一路奈良にくだった。 上半身が美人のPL教団タワーがかっこよかったのでクルマをとめて写真を撮った。 道路際の八百屋でイチゴとニンジンを買って、両方洗ってもらってモニはイチゴ、わしはニンジンをかじりながら高野山の奥の院までまっすぐ走りました。 途中で幸村が押し込められていた九度山を通ったので、ちょっとカンドーした。 奥の院はかっちょいい杉に囲まれた墓地であって、黒田家の墓や其角や徳川よりもいちだん高いところにある豊臣家の墓がある。そういう歴史的ユーメイ人のものものしい墓に混じって陸軍上等兵勲八等前田豊作之墓もひっそり建っていて、モニとわしは、この若い兵士の墓にだけお祈りしました。 後ろから見ると禿頭がきらきら太陽に輝いていてかわいい、尼さんの集団が読経しておるのにでくわした。引率しているエラソーな尼さんふたりは黄色い僧衣で他は白い僧衣。 大黒さんに祈っているように聞こえたが、日本語の修行が不足しているせいでちゃんと聞き取れなかったのでよーわからん。 (写真家組合の墓は死んだフォトグラファたちの写真付きでギリシャ人たちの墓のようだ) 帰りには九度山の川でモニと水をぶっかけあって遊びました。途中でモニが本気で怒り出して2リットルぶん全部わしの頭からぶちまけたのでわしはマジでびしょ濡れになった。 大阪帝国ホテルと帝国ホテル大阪は違うホテルだと知らなかったので、初めは目的地を誤解したGPSに大阪帝国ホテルにつれてゆかれた。 ずいぶん小さな帝国ホテルだなあー、と感心した。 しばらくしてロビーに屯っていた欧州人たちと話していて、全然違うホテルだと気が付きました。 ホテルの近所は大阪帝国ホテル(道頓堀)のほうが帝国ホテル(造幣局近く)よりも面白そうであった。 お上りさんそのままに道頓堀へゆくと、そこはディズニーランドよりもずっとオモロイ遊園地でモニとわっしはすっかりコーフンしてしまった。 モニもわしも人混みが嫌いだが、日本での人混みは気にならん。 日本のひとはかわゆくてちっこいので、わしの肩くらい。モニ(6フット)もハイヒールはいているので、やはりあんまり気にならないようです。 (途中でわしとモニのあいだをすりぬけようとしたおっちゃんの顔がモニの胸にあたったとゆって怒っていたが) うわあああーと輝く訳が分からないのを通り越して現実が爆発して粉々になったよう極彩色のネオンの文字通りの洪水に、甲高い声で絶叫するひとたち。鳥族の群れが祝祭を行っているような不思議な光景。 法善寺横丁のかっこよさにふたりとも痺れた。 友達が待っている料亭にタクシーをつかまえて行ったが、その用事がなければずっといたい感じがしました。 大阪はすごい。 とても破壊的でとても魅力がある。 鉛の臭いがする汚い空気、よく見るとなんだか白い糸みたいなものが漂っている濁った水道水、こわれたファッションのひとびとにしかつくられない「美」があって、とても日本だ、と思いました。 化粧の仕方や歩き方やレストランへの行列の仕方まで、ありとあらゆるものが異様であって常軌をいっしていてウソと偽りに満ちていて現実の要請を遙かに下回って極限まで通俗で安っぽくて19世紀のパリのようだ。 こんなに素晴らしい街だと知っていたら、もっと前に来ていたのに、と考えました。 大阪には東京にはいない「大都市のデーモン」が住んでいるよーだ、とわしは思います。 うぬぼれ鏡にうつったパチモン西洋みたいな田舎じみた日本でない、もっとストレートな文明存在としての日本がある。 料亭を出た後、バーのホステスと客のカップルだとばっかり思っていたら主婦のおばちゃんと旦那だと判明した酔っ払って顔がまっかの女のひととオールバックのえぐいおっちゃんのふたり連れとバーで話した。 … Continue reading

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ギリオージ

ものを考える、ということがメンドクサくて嫌いなので、セキュリティ上、とか仕事上、とかその他の理由でほんとうは書いちゃダメなんじゃない?ということもこのブログにはいろいろ書いてある。たとえばまだこのブログの始まりのころに「わしの妹は4カ国語を流暢に話す」と書いたら「ウソをつくな」「そんな人間がいるわけがない」「おまえはウソツキだ」と大量にメールとコメントが来てはてなのキーワードに書き込んだひとまでいたが、これも典型であって、実はこれは完全にはほんとうではない、というか真実の一部にしか過ぎない。妹は「4カ国語」を流暢に話すだけで、兄として妹の優秀さを認めるのは不愉快だから書きたくはないが、もう3カ国語は出来る。でも7カ国語、と書くと日本のひとは絶対信じないので、まあ4、にしとくか、ということで部分のみを書いた。 つまり真実の一部のみを書く、という古典的偽りの方法を採用したりはします。 でもな。日本のひとにはぜってえーに信じられないことのようだからゆっても虚しいが欧州では…とゆっても、このあいだ『英国人はもちろん自分達でも英国が欧州にはいるとは思っていない』というオオバカナル(バカ、とゆって罵っているのではない。わしは温厚で成熟したオトナだから、そーゆー カリフォルニア州の聖書学者が使うような下品な言葉はつかいません。調べればわかるがオオバカナルはAUX BACCHANALESと書く。日本語でゆえば「おおさわぎ」っちゅうような意味です。バッカスという大酒飲みで乱痴気騒ぎが好きなカラオケの神様がアメリカ大使館の近くにひらいたいっぱい飲み屋の名前でもある)日本の作家が書いた文を読んだが…4カ国語くらいはアホ(しつこいようだが、これもNZの冷菜凍死家が頻用するような下品な言葉のほうではない。スペイン語でニンニクという意味である。ajoと書きます)でも話す。 こーゆーと、また、いまでもつきまとうwebストーカーのひとが「ニンニクが4カ国語を話すなんて偽りを広めるなんて許せない。本当だというなら根拠になっている本を言ってみろ」とか言い出すに決まっているが、話すのだから仕方がない。 根拠なんか示さなくても行けばわかるし、欧州の都会に住んでいれば日本人としか付き合わない日本人でもなければそれこそニンニクなアホでもわかる。 ブラッセルの八百屋に行けば、ちゃんとイギリスから来たニンニクとスペインから来たニンニクがフランス語で話していたりするのを目撃できます。 むかしブログを書き出した頃はガメにブログを書かせると何を書くかわからんので、おれとおれのおとーさまやおかーさまの話を書いたら殺すとゆっていた従兄弟も、わしがあまりに温和で成熟したオトナになったので最近はちょっとくらい書いてもいい、というようになった。だがしかし従兄弟のほうは、わしのブログ(英語)で従兄弟がboozingで暴れたのをばらしたせいでガールフレンドにぶち捨てられたという、たったそれだけの些細な理由で逆恨みするような危険な人間なのでまだ保留しています。 義理叔父は、もとが出たがりのひとなので、いつかはネタにしてくれるわ、と考えておった。 ブログで「義理叔父」というが、英語には「義理叔父」という概念がない。義理息子や義理母はいるが義理叔父はないのね。だから本来「叔父」と呼ぶべきだが、本人がわしに輪をかけてケーハクなので、なにしろ危ないひとです。だから多分わしの心のなかで「義理」という言葉を叔父にかぶせて心理的に防御しようという気持ちが働いているのに違いない。 このひとはわしの広尾山のアパートからあんまり遠くないところの学校(この学校の歴史を調べたら元は「東洋英和女子学校男子部」(^^;)というこの後の行く末を暗示するような豪快なくらい軟弱な名前だったので叔父に告げたら、「そーだよ、出来たばかりのときは場所も同じ鳥居坂でさ。同級生同士で子供が出来ちゃったりして風紀上問題がある、っちゅうんで丘ひとつ向こうに移したんだからな」という由緒正しい学校の来歴を教えてくれた)を出て、トーダイへ行った。トーダイ、知ってますか? 日本のマンモス大学であって、英語ではThe University of Tokyoという。 もっとも叔父かーちゃんを含めて叔父親戚は全員、叔父が裏口入学で入学した、ということを暗に認めていて誰も口にだしてゆわないだけのもののよーである。 いっぺんだけ叔父かーちゃんが、あれは裏口だった、とばらしたので、ガキンチョの頃の従兄弟とわしが「鎌倉ばーちゃんが裏口だとゆっておったぞ」とゆったら、「ばあーかもん、トーダイには裏口はないんじゃ」とゆっておったが、これはわしの偉大な探検によってウソだと確認されておる。 だって、わしはわざわざ本郷まで出かけてトーダイにも裏口があるのを確認してきたからな。表のほうにあるボロイ門には脇に小さな門もあったので、もしかしたら「脇口からはいった」のかも知れないが、どっちにしろ、まともな入り方はしていないよーだ。 ところで一応まともな大学だということになっている東京大学を出たわりに叔父は学力という点で著しくダメなひとだが、ひとつだけ犬のお手よりは複雑な芸があって英語を話します。 なにしろかーちゃんシスターと会ったばかりのときは「This room commands a fine view!」などというオソロシイ英語を使ってかーちゃんシスターに大笑いされて受けまくっていたそうだが、最近は、そこまでオソロシイ英語を使うことはなくなったよーだ。 少し真面目に書くと、義理叔父はわしが知っている日本人のなかではもっとも美しい英語を使う人です。 とここまで書いていて思いだしたが、前にブログで書いたように叔父はブログがはてなにあった頃はブログの管理権を握っていた。あのブログにはところどころに暗号があって、その解答が(誰も興味すらもってくれなかったので、もう書いてしまうが)、あのうちの5つの記事が義理叔父がわしの口調をまねて書いている、ということでした。東から半分が猿な野蛮人たちがやってきたときにわしの英語がにせもんである、というとんでもない言いがかりをつけて大騒ぎしたときに、その5つのうちのひとつが英語であったのを思い出してわしはひやりとした。 ところが、とおおおおーころーが。 いま思い出しても腹立たしいが、あとで「少なくともこれだけは母国語としての英語だと誰にでもわかる」と書いてもらった、その「ただひとつ」が叔父の書いたもので、わしは死亡しました。 あのね、日本人の諸君、きみたちの理解力はどーなっておるのかね。 こーゆーことを言うと日本のひとは怒ると思うが、なああああんとなく気がとがめてきたのでばらしておくと、twitterもお友達に直截返信してないものには叔父がいたずらで書いたものがあります。もっとばらしてしまうと、初期の頃のブログにはよく見ると28時間起きてないと書けないはずの時間にアップロードされたものがあった。 twitterのほうは管理権をもっていたわけではないが、わしのパスワードが超シンプルでわしの親戚とかだとアホでもわかるものなので悪戯されてしまった。 でもお友達と応答することだけは大半(ふたつだけあった)は遠慮してあったようで、義理叔父のいいとしこいて信じられないくらいのケーハクさと気持ちのやさしさが両方よく出ています。 叔父は無茶苦茶な悪戯をする、という悪い癖があって、わしは子供のときからよく被害にあった。 シンガポールのアパートで、斜めに突き出した棒(実は物干し竿)がなんのためにあるのか、と訊いたら、 「飛びついてみればわかる」という。 あとで訊いたら、まさか25階のテラスでほんとうに飛びつくとはおもわなかった、のだそーだが、わしが飛びついてみると、それはしなって折れそうであって、しかも足の下はコンクリートの道路で、テラスに戻るという訳にもいかなかったわしは、もう絶対死ぬ、と思った。叔父に言ったら、おれもそう思った、というのできっと本人もパニクっていたのかも知れません。 英語のことでいうと義理叔父の英語の最も良い点は「発音が自然」であることだと思う。 よく訊くと日本語にカタカナがある言葉、たとえば、グラウンド、というようなところで微かに日本人訛りがはいっている。でも電話ごしとかだと、何年もオーストラリアに住んでいるオランダ人、とかそーゆー感じで聞かれるよーである。 … Continue reading

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普天間基地移転

沖縄には一回しか行った事がない。 それも普通の旅行では1ヶ月はいるが沖縄には10日くらいしかいなかった。 那覇にずっといてクルマを借りていったりきたりしていただけです。 魚市場に原色いろとりどりな魚が並んでいたり、鮨屋さんの職人の包丁の使い方が日本本土と違っていたり、電柱が鉄柱で頑丈なつくりであったり、そーゆーことが面白かった。 いちばんぶっくらこいたのは「セーファーウタキ」で日本にもこんなに宗教的な感じのするところがあるのか、と思いました。それは正真正銘の「聖域」であって、三角にしきられた岩の向こう側にゆくと手をさしのばすとそこに実際に精霊がいるような気がするのです。 最も似ているところをあげろとゆわれれば、メキシコのチェチェンイツアの洞窟のなかの奥へずっとはいってゆくと細い細い一条の太陽光があらわれる「聖なる場所」であると思う。なんだか日本人の大学教授のような顔をした案内人のおっちゃんがつれていってくれるのです。 真の暗黒の中に糸のように細い太陽の光が射している。 (現実には神がそんな面倒なことをわざわざ人間のためにするとは思えないが)神が実際に自らの実在を人間に示そうと思ったとしたら、こういう類のやりかたにたよるだろうと思えるような神秘な感じのする部屋であった。 セーファーウタキはとてもそれに似ていて、人間ごときには有無をゆわせないところがある。一木一草にまで沖縄の神なる精霊がしみこんでいて、人間の理性の反発くらいでは揺らぎもしないところがあります。 那覇には日本人の医師の招きで行った。 そのひとの知り合いが大勢あつまって宴会をひらいてくれました。 あとで聴くとずいぶん偉いひとたちも混じっていたそうでしたが、若い人やおじいさんもみな立ち混じって、誰かが歌い出せばその歌をみなが歌い、誰が楽器を奏でだせばみなが踊り出す沖縄のひとたちの酔っぱらい方は素晴らしかった。 理屈などは必要がなくて、沖縄人は日本人とはまったく違う民族なのだとふつーにわかるようだった。 おもしろいな、と思ったのは、なんども沖縄のひとたちと同じような宴会を開いているはずの医師日本人友達が「今夜みたいなあのひとたちは初めて見た」とゆっていたことで、 「きっとガメがガイジンだからだなあー。なんだか外国人の前でのほうが日本人の前でよりも振る舞いが自然だなんてフクザツだな」とゆっておった。 その夜、わしは久米仙を飲み過ぎた。 瓶からひしゃくですくって飲んでいるうちに、あとで、場所の主に訊くと2升くらい飲んだそうです。 ずっとあとでそのとき持っていたカメラのjpeg ファイルをAppleのiPhotoにうつしたら、なんだか随分えらいひとだそーなじーちゃんふたりとわしが交互に延々とうつっておった。 どうやら3人で写真をながいあいだ撮りっこしていたらしい。 医師日本人は酔いつぶれて寝ていたよーである。 その夜、初めはみな「われわれ沖縄県民は」とゆっていたのに、半ばからはみな「沖縄人は」に変わっていて、「本土のひとたち」がいつのまにか「日本人」に変わっていた。 日本のひとはぼんやりしていると聞き逃すが、英語では、沖縄人をオキナワンという。 それもThe Japaneseとは異なって、The Okinawanとは言いません。 ただOkinawanと呼ぶ。 簡単にいうと言語自体として沖縄人により親近感をもっているのです。 画家のひとが奄美に住んでいて、奄美は日本人が勝手にひいた県境とは関係なくどちらとゆえば沖縄人の島なので、わしは少しだけ沖縄のことをまた思い出していた。 「普天間」や「名護」で沸き返っているような日本の(主に政治と軍事になると異様に興奮するひとたちの)サイトを覘いてあるきました。 正直にゆって、自分の偏見と隔たりがあるのでヘンな、とゆってもわかりにくければ「腑に落ちない」感じがしました。戦前の「満州を守れ」という主張と同じ匂いがした。 そーゆーときみは怒るだろうが、なんとなく「チベットを守れ」と叫んでいるハン族のひとびとのよーでもある。 チベットのフォーラムを覘くと中国のひとたちがいてチベットの国防上の地政学的な重要性や貧困に悩むチベットを助けるべきこと、しかし、そのためにはチベット人も「もっとものわかりがよくなければならない」ことを彼らが懸命に学習した蘊蓄を傾けて、なかなかな誠意をもって語り合っています。 普天間についての日本のひとびとの議論はそれにとてもよく似ていると思った。 あの中国人たちは、チベット問題熱が去ったところで、また次の「最重要課題」に集団ごと移動していった。フランスの侮りへの対処、万博の屈辱、こざかしい小日本の挑戦。 いやいや、そーゆーふーに考えではいかんだろう、と思っても、つい「似てるなあー」と思ってしまいます。 沖縄人に決めてもらえばよい、と思いました。 沖縄県に特別に外交の権利を委譲して沖縄人に決めてもらえばよかった。 沖縄には比率でゆえばすごい本土人が住んでいるが、わしの知っている沖縄人たちは「本土人の参政権は認めない」というタイプのひとたちではないので、きっと沖縄の住民である限りにおいて一緒に考えることを嫌がるひとはいないでしょう。 中国人は香港型統治、ということが出来る民族なので、なぜ沖縄人は中国の統治を仰がないのだろう、という友達がいたので、わしはいまの沖縄人は日本の標準語で暮らしているのだ、と話すと納得していた。 … Continue reading

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