Monthly Archives: July 2010

トンチンカンなトンテンカン

いまの世界で(響きの悪い言葉だが) 「IT革命」 に完全に失敗した先進国がふたつある。ドイツと日本です。 表面的に似ているようでその実まったく正反対の文化・国民性をもつふたつの国だが、面白い組み合わせで19世紀後半からの歴史においてはまるでパラレルワールドの国同士であるかのように同じ波に乗り、同じ岩礁に乗り上げてしまう。 多分この不思議な成り行きには「市場におけるタイミング/ポジショニング」ということが密接に関係しているでしょうが、傍で見ているとなあーんとなくニンマリとしてしまうような(生物学用語における)相似国家である。 ドイツがIT革命に失敗した理由については別の所で脳が腐るほど話したのでここでは日本の事を考えたい。 だって日本語で書いているわけですからのい。 ときどき、たとえばアメリカにとって日本が(中国などより)いかに大切な友人であるか日本語で延々と書いている人があるが、あれは何をしたいのであるか? わしの所に「将来も『日本語圏』で日本語を書く場合には安全を保証しない」と書いてきたひとがいたが、もしかするとロスアンジェルスと近郊には日本人が常時50万人だかが屯していて電話帳も日本語の電話帳があるくらいなのでカリフォルニアとかは「日本語圏」だと思っているのかもしれません。 きっと、そうだな。 スターバックスとかで英語を話している合衆国人を見ると、「ここは日本語圏だぞ。日本語で話せ、ばかもん」 と考えているに違いない。 カリフォルニアなんか半分日本みたいなもんです、という当のカリフォルニア人が聞いたら腰を抜かしてヒップリプレースメントが必要になるか、逆上して日本人排斥法案を作りそうなことをわしにゆったひともいたので、日本語で綿綿と英語人に対する恨み辛みを述べている人は、やはり心のどこかで「日本」のようなメジャーな存在に属している自分の言う事を英語人といえど誰かが聞いてくれるに違いないと信じているのでしょう。 哀れである、と言えなくもない。 選挙だかの頃、「日本ではまだまだものづくりではいちばんです」 と街頭でマヌケな襷を肩にかけて述べているひとがいた。こーゆーうるせーだけのものはさっさと廃止して選挙の主張とかはwebだけでやらんかい、webも見ないような奴には選挙の存在自体判らんほうが日本のためだし、と思いながらわしは聞いていたが、そのときにふと思ったのは、日本人はほんとうに相変わらず「ものづくり」 でいまのやるせない経済を立て直そうとしているのだろーか、という事でした。 そう思ってあたりを見渡してみると、驚くべし、どうもそう思っている人もたくさんいるよーだ。 「ものづくりだあー、ものづくりだあー」と叫んで20年やってみて効果がまったく現れないのだから発想なり前提なりが間違っているのではないだろうか、と思うのがふつーだが、日本の人はそう思わないのであるらしい。 なんだか狐につままれたような話だが、それは日本という国で起こった厳とした歴史的事実で、実はいまでもそのトンチンカンぶりを発揮して工場でトンカンチンしているのです。 クライスラーという会社は、性能はたいしたことはないが優美な曲線で包まれたほぼ芸術的なボディをつくるのでもともとは有名でした。 実際60年代初頭の頃のクルマを並べてみるとブガッティ、サーブ、の次くらいに美しい、繊細を極めるボディである。 このボディラインがなぜ後年の不細工でチャチで目もあてられないようなボディになったかというと、以前には木槌であのラインを叩きだしていた腕の良い職人を会社がクビにしちったからです。 なぜクビにしちったかというと、クルマが安くなったので、腕も給料も良い職人なんかにマジにクルマをつくらせていたら割が合わなくなったからである。 その結果最終的にどうなったかというとヤケクソみたいな値段の日本車の攻勢にあってあえなく沈没した。 アメリカの西側では相当むかしでもなんだかちっこくてヘロヘロした「シビック」みたいな日本車を見るのになれていた筈だが、いまのようにマンハッタンでも欧州でも日本車の大洪水を見るようになったのは最近の事です。 感覚的に言うと、ぽつぽつと日本車が現れ始めて、「おーすげえー、欧州にも日本車が走るようになったのだな」とわしが考え出したのは11歳か12歳かの頃だったので、要するに1995年前後、でしょう。 連合王国で言うとそれまで「プジョー」や「ローバー」「欧州フォード」「バクソール」なんかがもっていたマーケットを掠っていったのだと思います。 マイクラ、という名前の日産の小型車(多分、マーチ)が特に多かったのをおぼえてます。評判も良かったようだ。 話の後先を考えると、多分、主マーケットであった合衆国で頭打ちになってきたのでいろいろメンドクサイのでおっぽりだしてあった欧州市場でももっと売らなきゃ、という事だったのだと推測しますが、ほんとのところはようわからん。 大昔のトップギアを読むと、なんだってこう日本人ってやつは欧州車のへったくそなマネばかりしやがるんだろう、とあちこちに書いてあります。 安けりゃいいてもんじゃねーんだぞ、おら、というような趣ですのい。 実際90年代の終わりになっても日産は前から見るとリンカーンで後ろからみるとメルセデス、横からみると、これがなあーんとBMWなんですねえ、というようなアホなクルマをつくっていた。 トヨタも2000年にはまだ運転席に座るとエンジンの音はおろか計器類のアンバーに至るまでBMWとまったく同じ、というクルマをつくって売ってました。 こうやって書くと判ると思いますが、日本の外から見た昔の日本はいまの「中国」ととてもよく似ているのです。 中国人の方がやることが大胆で「ちょっと急な坂だと登れないハイラックス」とかオモロイものをいっぱいつくりますが、本質的には変わらない。 ものづくりというものには「大量に安くつくるものが勝つ」 という法則があるからです。 自分が経営者になったつもりで考えてみると判りますが、「マネをする」という事には初期投資を小さくしてしかも「売れないリスク」 を極小化する、という効用がある。まして大量につくって原価を下げ、それをまた低利率で売る、という事になると、「誰も見たことがない」画期的な商品などおっかなくて手が出せない。 … Continue reading

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ヒーローシンドローム

自分がなにものかでなければならない、自分という存在は密やかであるにしても特別な存在で、その自分であるということの価値を誇りに思わなければならない、というのは、もともとは西洋的価値観であって特にアングロサクソンの家に生まれたものは繰り返し社会や親に言い聞かさせるこの考えに悩まされてあげくのはてに自殺してしまったりする。 きみの一生におけるachievementはなんであったか、と死んでから天国へはいる門の前で、誰かに訊かれそうな気がするからである。 自分が特別な存在であるのが神様相手であるときは、なにしろ別に他人に対して特別でなくても神様のほうは「あんたは特別にういやつであるから」と判っていてくれるので大過なかったが、最近は神様の評価、という事はどうでもよくなって、どのくらい他人にうけるか、という事が基準になったので「自分というものに他人とは異なる独自の価値がある」という人生における要請を実現するのは容易なことではなくなった。 ハリウッドのえーかげんなプロデューサーのおっさんたちが皺がなるべく少ないfuckabilityの高い女優を選んでこさえた映画のなかで、母親が娘を抱きしめて「I’m proud of you.」涙ぐんで言うのを観ながらきみは、「私の母親は自分を誇りに思ってくれているだろうか」と考えてすっかりユーウツになる。 あるいは母親が十分自分を誇りに思ってくれているのを理解した後ですら、ふと「journal」を書く手を休めて「自分は何か自分でしか出来ない価値をこの世にもたらしうるだろうか」と考える。 万有引力を発見して人間の意識に映る世界の現象がどういう仕組みで起こるかをほぼひとりで最初から最後まで説明してしまったアイザック・ニュートンは、しかし「世界がまるごと記述されている」そのとんでもない書物のばらばらな草稿を引き出しのなかに放り込んだままほうっぽらかしにしていた。 信じがたいことにこのヘンテコなおっさんは、人類が初めて手にした神の言葉で書かれたよりも遙かに明晰な世界への説明の体系を自分の頭のなかだけにしまっていて、「まあ、それでいいか」にしていたのです。ハレー彗星が周期彗星であることを発見したエドモンド・ハレーがケプラーというドマジメな占星学研究者が気付いた太陽と惑星のあいだに働く不可思議な力の正体について議論しようとニュートンに会いに来て話しているうちに、どうもニュートンが疑問への答えをすでに知っているようだ、と気が付くまで、ニュートンが世界を説明しおわっていることに気が付いた人間はひとりもいなかった。 前にも書いたが、ニュートンという人はおよそ人間とは考えられないほどの事績を残したひとで、科学科学というがニュートン以前には「科学」というものが自覚的には存在すらしていなかった。 そもそも物の運動を説明する道具すらなかったからで、ニュートン以前の人間は自然現象に相対しても手も足も出なかった。 ニュートンはまず「微分」という道具を自分1人で作り上げ、それから、その道具を使って世界を記述しはじめた。 で、驚いてはいかんが、最後まで世界を書いてしまったのです。 ゾシマの長老もびっくりだな。 そうやって世界をまるごと説明してしまったニュートンは、ついでに光学も創始して、84歳で泥から金を生成する方法の研究に熱中しながら死ぬまで、「特別な人間」 どころではない業績を残しまくった。 おもいつくままに挙げて、このニュートン、アルキメデス、 ガウス、 アウグスティヌス、シェークスピア、 パブロ・ピカソ、セザンヌ、ラフマニノフ、モーツアルト、プッチーニ、…こーゆー人々は「特別」というのもアホらしいくらい特別なひとびとであった。 しかし、こういう「特別」な人々と、そのへんに転がってコロコロしている役にも立たない、世界の方から言えば謂わば「お荷物」にしか過ぎない大多数の人間とどのくらい違いがあるかというと、そこには殆ど差違というほどのものはないであろう。 あんまり変わらないのよ、ニュートンもきみも。 能力的に、ということではない。 能力的にはニュートンときみとでは雷神とネズミほども違う。 だからきみが「ニュートンてアインシュタインに否定された説を唱えたひとでしょう」 というような知ったかぶりの笑止なコメントを洩らすと科学の精霊たちはおろか地虫フナムシに至るまでどよめいて腹を抱えて笑うであろう。 フナムシには腹はないが。 現代世界には「特別な存在にならなければ」と思う余り現実の能力をバイパスして気分だけ特別になってしまうパーな人間がくさるほどいるが、競争にさらされたことがないものほど自分の能力を過大に見積もる。 そーではなくて、価値の地平線の遙かな遠くから見れば、ニュートンもひきこもってPCゲームに命をかけておるタコな青年もあんま変わらん、とゆっているのです。 「自分の人生なんてクソだ」というもの狂おしい思いに悩まされながら、なんとかしなければ、なんとかしなければ、というただそれだけの言葉が頭のなかを堂々めぐりする夜に、きみは唇をかみしめて、なぜ自分には「自分だからやれること」が見つからないのか、と考えて焦慮する。 何事かを達成する、どころか来年くえるかどうかを心配しなければならないのだ。 しかしだね、それはものの見方の方角が間違っているのであって実は「来年もくえればいい」というただそれだけのことなのです。 あとの「自分なんかその他おおぜいにすぎない」という思いは余計である。 だって人間はひとり残らずガウスもニュートンも「その他おおぜい」だからな。 ある日めざめた平凡な青年がチャンスをつかんで「ヒーロー」になる、という物語はものの発想がそもそもアホらしすぎて相手にするのも億劫だが、社会というものは情報が迅速広汎に行き渡るようになると最大公約数の低きにつくという特徴を有する。 真にうけはしないまでも、そーゆーバカ物語に考えが影響をうけてしまって、単純労働なんかは人間のやることではない、というような事まで思い詰める。 もう長くなりすぎたので理由はまた別のときにするが、人間など人間が思い込んでいるほどの差違をお互いに持たないのは、犬に興味がない人間にとっては柴犬は全部同じ顔をしているとしか思えないことに思いを致せば簡単にわかります。 自分の人生に意味を求めて人生をすることくらい世の中にあほらしいことはないとゆわれている。 くえればいーんです。 … Continue reading

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この世界へようこそ

およそ27年間生きてきた「人生」 の印象は「どうでもいいや」であったことは前にも書いた。  人間の一生というものはそれほどたいしたものでなくて、なにしろ一回しかないものだから大切なものだということになっているだけのような気がします。では人生が二回、いや三回あればどうかというと、どうせ殆どまったく同じ人生を二回三回と繰り返すに決まっとるわ、そんなもん、と考える。 人間が人生を相渉る能力などというものがそれほど創造的であるわけはない。殆どが遺伝子というピアノの鍵盤の発現に左右されていて音色が同じ、ひょっとするとコード進行も同じではないかとわしは疑っておる。 稀には人間が生まれてくるということの意味について悩む人もいるが、そーゆー問題に対して人間が取り得る立場というのは多分ふたつで、1)考えない 2)霊魂を前提する しかないように思えます。 1)は健全を極めた態度なので説明をまたないであろう。悩む必要のないことは考えない 前進あるのみ。違う言い方をするとバカとも言えるが、 生産性の高い人生を送るためにはこの手の一種のバカであるほうが都合がよいのは12年くらい人生を経過したところですでに誰にでも感得されることである。 2の方は、なんで?という人がいるだろうが今日は全部は説明しない。 もうすぐ午後零時であってモニさんを午食に連れ出さねばならない時間が迫っているからです。 なにもしていないように見えるがなかなか忙しいのだわしはこれで。 昼ご飯を食べたり夜ご飯を食べたりせねばならぬ。 ハンモックやデッキチェアに寝転がって本を読む。 合間には庭でカバやサングリアを飲むし、散歩もするからね。 そうこうしているうちにあっというまに午前3時、とかになってしまう。 霊魂はなにしろ霊魂なので肉体というものがない。 ものに触れようにも触れられず、見ようにも見られず、聴こうにも聴かれない。 地上に降りてみてもただ肉体の奥に押し込められた霊魂が生じる音が集まって「うおーん」というような籠もった音がしているだけです。 同じように肉体の分厚い筋肉の向こうがわにある霊魂の気配だけが感じられて姿はちゃんと見えはしない。 水を飲む喜びもなければ、暑い日にそよぐ風にほおを向ける心地良さ、松の枝を通り抜ける風の音を聴く楽しみもない。 だから霊魂はときど肉体を獲得して地上に舞い戻っては、何日も水浴びが出来なかったひとのように、肉体を通じてよみがえる感覚のシャワーをつかのま楽しむために帰ってくる。 というわけで、わしにとっては肉体以外に自分の人生に対する関心があまりないよーだ。 このあいだ生まれて初めて度量衡計算をマジメにやってみたら、それまで信じていたよりも7センチ長い193.04センチであった(なんていいかげんなんでしょう) 身長と90キロと94キロのあいだをいったりきたりしている自分の肉体をわしはとりわけて愛玩してはいないが嫌いでもない。 この機会を逃さずに自慢するとわしはバク転が出来るし、ふつーの人間が理解できないほど身が軽い。 叔父などはときどき感に堪えたように「おまえは役行者の生まれ変わりに違いない」言います(ウソ) 食べる。ラムのローストにミントやグレイビイをかけてむしゃむしゃ食べる。鴨のテリーヌを塗ったくるみパンを食べオリーブオイルで焼いたイノシシを食べウサギのサンドイッチを食べる。 ニュージーランドやオーストラリアにいれば牛肉を食べる。 スコッチフィレに ベヨネーズソースをかけて手を抜かないでちゃんとつぶしてあるマッシュドポテトと一緒に食べる。 パースナップやビートのソースの海におとなしく座っている鴨の高温と低温で二度焼いたのを食べる。 テニスのボールを追って自分の筋肉が自分の思い通り正確に動くのを楽しみ、馬の背に乗って、あのえも言われない匂いと揺られる心地の良さと馬の肌触りを満喫する。 気持ちの良い朝や、涼しい風が吹いてくる午後には、もちろんモニといちゃいちゃもんもんするであろう。 いちゃいちゃもんもんの意味がわからないひとは手近なオトナに訊いてみましょう。 そういう事以外には人間が生きる事には本質的な意味はないよーだ。 21歳くらいのときに、わしは金がないことにあまりに悩まされた(っちゅうか、金銭が欠乏してそのたびに妹を騙して金をせびる口実がつきた) ので、やむをえず、この問題に正面から向き合って解決することにした。 世の中には向き合いたくはない下品な問題がいろいろと存在して、金銭はその筆頭だが、この金銭というものはあってもたいして助けにならない割に無いと妹がかーちゃんにいいつけたりしてまことに難儀なのを発見したからです。 オトナどものなかには「金を稼ぐのはたいへんな事だ」 … Continue reading

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山の暮らし

まだ山の家にいる。 昼間は通りに出れば上で28度くらいだが庭は26度 、夕方になれば22度くらいです。この町は浅間山から流れてくる伏流水のせいで湿気がすさまじいので家にはほぼ建物の4隅の壁に4台の除湿機が稼働している。 空調は見栄を張って付けてません。 昼間はたいてい屈託なく広がった青空に積乱雲がもこもことわいてくるのが望見される。 28度くらいの気温があると見ているうちにもこもこもこと雲が大きくなるのが判ります。 はやい。 浅間山側に積乱雲が出来る日はたいてい短い夕立、それも沓掛の離山からこっちだけに降る夕立で終わるが、アルプスの向こうからやってくる積乱雲は、大雷鳴と洪水を引き起こしかねないすさまじい雨を連れてくる。 今日は上田に向かってクルマを走らせていたらアルプスの向こうに巨大な積乱雲が林立しているので「うーむ」と思っていたら、案の定、夕方はすさまじい雨と雹だった。 雷も盛大に落ちました。 この辺の雷は性格が悪くて、ピシャッガッシャアーンの至近弾が続いたあと、ドオオオーンゴオオオーンと遠くなって、雨もやみ、はっはっはもう終わりじゃん、勝った、と思っていると、しばらくしていきなり一発だけピッシャアアアーングワッシャアアアンと狙撃兵のような落雷がある。 油断できません。 うちにときどきお掃除に来てくれる若い女のひとは雷がすぎたので最新型横ドラムの洗濯機にありったけの下着とTシャツやショーツをいれて洗濯を始めたら狙撃落雷が近所に落ちて停電になった。 横ドラムの洗濯機は停電になるとドアが開かないのでニッカーズとブラだけで洗濯機の前に立ってボーゼンとしたそーである。 山の家にいるときは、無論自分たちで買い物に行くときもあるがだいたいお手伝いのひとがいろいろなものを買ってきてくれます。 たとえばパンは必需品だが、あんまり食べ物にうるさくないモニさんもパンだけは不味いのが嫌である。 町には「フランスベーカリー」や「浅野屋」 というようなベーカリーがいくつかありますが、どーもあんまりおいしくないよーだ。 フランスベーカリーはジョン・レノンが毎夏自分でパンを買いに来た、というが、やっぱしあのひとも昔の田舎連合王国人の味覚だったのかのお、とひどいことを考えます。 いや、おいしいけどね。 なんとなくそうそうジョン・レノン、ジョン・レノンと連呼されてホテルに行って「ジョン・レノンが好きだったアップルティー」 とか書いてあると、なんとなく目の前のサンドイッチも寅さんせんべいみたいに思えてきてげんなりする。 だからネガティブな思いがもこもこもちこ(mrballheadの奥さんの名前です)と心にわき起こってしまう。 お手伝いさんは賢いひとなので、あちこちまわってトーストブレッドはここ、クロワッサンはあそこ、といろいろな店から買ってきてくれます。 最近ではわしはマツヤというスーパーマーケットで売っている「もっちり山パン」が好きである。 小海町のベーカリーがつくっているこのパンはうめーです。 お手伝いのひとが「今日は売り切れでした」と言うと思い切り落胆するくらい わしはこのパンが好きである。 すげー、おいしいんだよ、このパン。 どうもラミュエラのベーカーズデライトのトーストブレッドより美味いようだ。 オークランドに支店をつくればいいのに。 山の家にいるときは外食、ということはあんまりしません。 義理叔父の知り合いのレストランが特別に店を開けてくれると、かーちゃんシスター及び義理叔父、モニ、ついでにわし、という陣容で夕食に臨むことはあります。 あとこれも義理叔父が家にシェフのHさんとかに来てもらって庭で夕飯を食べるときにはたいてい呼んでもらえる。 義理叔父の「夏の家」はわしの「第一山の家」から歩いていけるところにあるので、へべれけになるまで酔っ払うのが大好きなダメなわしとしては、モニが多少めんどくさがっても誘いがあるとヘラヘラしながらワインを二本ぶらさげてでかけてゆく。 やっぱりへべれけになるのが大好きな叔父とふたりで呂律が回らなくなって英語で話しても火星語で話してもたいして違いがないようになるのでかーちゃんシスターとモニにたいへんケーベツされます。 ケーベツされても、いいのさ。楽しいんだもん。 まれにはこれに従兄弟がくわわることもあるが、わがマブダチ従兄弟は最近はやや多忙である。 あんまし遊んでもらえません。 この町は60年代初頭くらいまでは高級避暑地だったそうだが、いまは見る影もない。日本のどこにでもある観光地と同じで、訳のわからん不細工な建物が林立していて、団塊世代を中心としたひとびとがあてどもなくゾロゾロと歩いている。 … Continue reading

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翻訳された世界

「荒地」という戦後の同人誌がある。 わしが尊敬する鮎川信夫やナンパジジイで気味が悪いほど日本語とうまくつるんでいた田村隆一、北村太郎、ついでに吉本ばななのとーちゃん 、というような同人がいた同人誌である。 この「荒地」という誌名は、話し方と物腰がいかにも妻を寝取られそうな人であって実際に寝取られてしまったT・S・エリオットのThe Waste Land に由来しています。 そ。 I think we are in rats’ alley Where the dead men lost their bones. ちゅうような科白に満ちている、あれです。 「生硬な」 という日本語があるが、この荒地同人に共通して見られるのはその「生硬」さであると思われる。ど演歌っぽい吉本隆明の詩は硬くてもやや和歌ふうであって色合いが違うが、それは全体を緊張する言語的才能よりも吉本の場合情緒が強烈だったからでしょう。 基本的ながっちんがっちんぶりはバナナとーちゃんも変わらない。 ところでT・S・エリオットの詩は憶えやすいので有名です。 わしのようなアホでも「アルフレードプルーフロックの恋歌」 や「荒地」は諳誦(そら)でゆえる。 たとえばディラン・トマスの詩はもっとおぼえやすいが、こっちは「これを言うためにはこの単語しかなかるべし」 という表現に際しての言語の選択が唯一無二の選択でばっちし決まっているからであってやや理由が異なる。 T・S・エリオットのほうは、流線型で音楽的だから、記憶しやすい。 この「音楽性」のせいで「上級」クラスの国語の落第を免れたバカ生徒は何百人いるか判りません。 「荒地」同人が書いた詩にはある共通した「トーン」があるが、それはT・S・エリオットが書いたもののトーンでは全然ない。 扱われている題材や一種の「文明批評的態度」は明らかにT・S・エリオットのものなのに、精神的基調、というか姿勢は全然違うのです。 口吻はゆうにおよばず。 それはなぜだろう? というのがわしのしばらくのあいだの疑問だったが、ある日、疑問は氷解した。 古本屋で手に取った「上田保」というひとの翻訳が「荒地」の基調低音のように聞こえたからです。 あっ、そーか、これだったのか、と考えました。 … Continue reading

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義理叔父の冒険 (その前段)

義理叔父が「日本なんてどーでもいいや」 と思い始めたのはバブルの頃であるという。その頃おっちゃんは通りを隔てて呪いを競う「お岩稲荷」 や「田宮神社」 からほど近いクソアパートに住んでいたが、近所にはもっとぼろいアパートがあってトーダイを出ているに一生うだつも梁もあがらん人生が保証された人生を送っていたギリオージの「自分 よりうまくいってないひとを見てわずかに心を和ませる」という小人らしい習慣の題材になっていたもののよーである。 ある日ギリオージが丸正という、置いてある品物の鮮度が妙に悪くてホステスのおばちゃんたちが大人数でフロアを跋扈している恐ろしげなスーパーマーケットを出て家路を辿っておると、その義理叔父敗北感慰安装置 であったぼろアパートに人だかりがしているのであった。 義理叔父がクビをのばして見てみるとそのボロ木造長屋はブルドーザに突撃されて無残に大崩壊を遂げているのです。 「地上げ」 ちゅうやつだな、とわし。 日本はオーストラリアでも 日本の暴力団を使って同じことをやってたからわし知ってるし。カローシ、ジアゲ、ケーレツ。みな日本を代表する単語だなもし。 とつぶやくわしをほぼ無視してギリオージの話は続く。 そのブルドーザに突っ込まれた古びた建物の死骸を見た瞬間、義理叔父は「おれはもうこの国は嫌だ」と考えたそーです。 それまではギリオージは日本という国がなかなか好きであった。 「日本が好き」 というそのギリオージの気持ちの内容はよく聞いてみると、どうやら義理叔父のうまれて育った渋谷区の丘陵地帯の、子供の頃は遠くまで見えた眺めや、ところどころにある樹齢が500年を数えるような巨大で荘厳な欅の枝振りや、夏の葉山の氷屋や四谷の宇治ミルキンや、要するにそういう小さな事どもの堆積であったようだが。 しかし「日本という国が大好き」 であった義理叔父が大事に小鳥を飼うようにして心の中で暖めてきた「日本」 はバブル景気という再分配という機能のない、主に暴力団と、利権を暴力団と共有するさまざまな集団とを富ませるだけで終わった畸形の好景気にふきとばされてしまった。 ふて腐れた、という表現がぴったりの顔でギリオージはその朝、四谷の駅に向かっていた。公共機関というものに適応性を欠いていた叔父はどこへでもてくてく歩いて出かけたそーだが、その日は嫌で嫌でたまらない予備校バイトの日であって叔父は「入試合格には精神修養が大事だ」 とか抜かすマヌケたちが威張っている「パチモンの学校」 (義理叔父談)に出勤しなければならなかったので駅へ向かっていたのです。 むかしは今に較べると大層ぼろかった四谷の駅舎の手前で義理叔父は大柄な白人青年が地図を見ながら周りを見渡しているのを発見した。 ふだんは外国人が道に迷っていようが堀にはまって溺れていようが「わしと関係ないし」 をする傾向にあった当時の叔父であったが、この青年にはどことなく他人をして助けたいと思わしむるところがあったのでしょう、叔父は気が付くと「どこへ行かれますか」 と自分でもぶっくらこいたことには青年に訊いているのです。 青年の話はなんだか全然要領を得ない話であって、四谷の緑の奥深い所にたくさんの植木鉢が並べられた路地がいく筋もあって、そのなかのひとつの家を探しているのだ、というような事だったそーである。 話のなかのやや不分明な住所と「豆腐屋」 を手がかりに叔父は 、この気のよさそうな白人にーちゃんをそれとおぼしき 場所までつれていってやることにした。 道々、昨日の夜箱崎についたばかりの青年が義理叔父に、こうなんでしょう?とゆって話してきかせる「東京」 は、いったいどんな空想的なガイドブックを読んだものか、いまは町を縦横にはしる運河こそないものの、いまでも緑が濃くて、巨大な都市がすっかり森のなかにあって、ひとびとはみなタイディで、長屋といっても全然スラムなんかではない清潔な路地という路地には朝顔の鉢があってそこに住む住人は気が遠くなるほど親切な街なのであった。 答えに困りながら、叔父はとにもかくにも、ここだな、と思しきところに到着した。青年がそこの道筋には「忍者のボスがいた寺がある」 と言ったからです。 しかし着いてみると、そこは「緑に包まれた街の一角」 どころか薄汚くて貧相な小さな小さな「マンション」が並ぶ、世にも醜悪な通りであったという。青年は悲しげに辺りを見渡していたが、そのうちに諦めたひとの寂しい口調で「案内してくれて、ありがとう。きっとここですね」という。 義理叔父が、思い切って「どうしてここに来てみたかったのか」と訊くと、 今度はびっくりするほど明瞭で正確なアクセントの日本語で「ぼくのおかあさん、日本人」 … Continue reading

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一人称単数

ひとりでいるのが好きな人、というのは割とふつーにいるものです。 数が多い。 「孤独が好き」なのではない。 孤独、という漢語にはくだらない情緒がいっぱいつまっていて、その言葉を聞くと歌舞伎でいう「みえ」を切っているように響く。 ひとりでいることに落ち着きを感じるひとは、孤独、というようなものではなくて、ただ「ひとりでいること」 が好きなのだと思います。 子供は社会性を獲得するために自然に集団をなす。家の近くのガキどもと放っておいても徒党を組む。 わしの家は裏庭をずっと歩いてくだって行くと小川があって舟着き場がある仕組みになっていたが、この流れに面している家にはどこも同じ船着き場があって、しかも似たような年頃のガキがいっぱいいたのでよく徒党をなして遊びました。 いまでも同じだが、どこの家にも「樹上の家」 というガキが出来損ないの冒険心を満足させるために親につくってもらったボロイ家が木の枝のうえにつくってある。ガキどもはあるときは流れに棹さしてボートを出してきゃあきゃあゆい、またあるときはどのガキかの樹上の家に集団でよじ登って突然降り出した驟雨の音にきゃあきゃあ言う、というふうでした。 徒党というものはガキの心にも楽しいものであった。 ところが、(妹も同じらしかったが) 集団で徒党を組む楽しさは、ときどき、ポロッという感じで心から抜け落ちてしまって、ひとりであることの安らかさのほうに「ほんとう」 を感じる、ということがよくあった。 子供の時からずっとそうだった。 クライストチャーチという町は夏は天国で冬は地獄だという。 夏には渇いてさらさらした風が吹き渡る芝生の上にここだけ特別製であるかのようなきらきらした陽光が反射して、町中ですらまばゆいばかりの光景です。 冬は、すごい。 毎日クソ風とクソ雨で冷たくて湿った空気のなかを歩いていると、雨が風にまきあげられて地面から降ってくる。 ところがわしは、そのクライストチャーチのクソ冬に北半球からわざわざひとりで帰ってくることがよくあった。 別に用事はありませんでした。 あのクソ天気が好きだったから、だと思います。 家のガレージでバッテリーを外してあったクルマを動くようにして、ひとりで街に出かける。 むかし大学であった建物、いまは「アートセンター」という、にクルマを駐めて人気のないコートヤードを横切って構内の小さな珈琲屋に行く。 かじかんだ指でカボチャのスープを飲みながら、灰色単色の景色を眺めるのが好きであった。 あるいは、ゴドリーヘッドという有名な小さな岬に出かけて、白い細い径をたどって、遙かな遠くまで続く暗い色の冬の海を見に行く。 そうすると、すうっと心が落ち着くのね。 わしはときどき考えるが、人間の魂は自分の周りに自分だけの広大なスペースがあることを前提としているような気がします。 われわれはみな「人間は社会的動物である」と学習するが、動物としてはそうでも、人間としては一人称単数の存在であるようだ。 誰にも何をすることも強制されず、自分の頭の中だけで組み立てた言葉で毎日を生きることに人間は特化されている。 集団に拠って生きてきた人間という「動物」が集団を離れて一人称単数である自分を獲得したときに初めて人間の真の文明が生まれたのではあるまいか。 もっと言うと、現代世界の人間が等しく信奉している「人間的価値」は結局人間が環境に対して「絶対的に少数」であることを前提にしているのだと思います。 たとえば、「自由」。 欧州人は1918年に自分たちの地方文明が完膚ないまでに破壊されるのを目撃していまの渾沌のなかに投げ出されたが、21世紀にはいってからは、また違う破壊にさらされることになった。 その第二の危機は、つまるところ、人間の数が多すぎて人間が集団の部分としての属性を再び多くもたされつつあることから来ているのかもしれません。 言うまでもなく、日本の問題の大きな部分も、信じられないくらい多いその人口から来ている。 空間の不足は魂を破壊する、という法則と戦っているのだと思う。 二十何年か暮らしてきて、もうだいぶんボロクなってきたわしの結論は、「人間はひとりの生き物だな」ということです。 人間の社会の役割は、個々の成員が「ひとりでほうっておいてもらえる」 状態を作り出すことにあるよーだ。 … Continue reading

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言葉のない世界  その1 都市について

1 「文明」という言葉の定義はいろいろあるだろうが、最も基本的な「文明」のイメージは「都市がある世界」だと思う。 こういうところで語源を持ち出すのは衒学好きのバカのすることと決まっているが、わしのように十全外人とも称されるカシコイ人間になるとときどき堂々とバカと同じことをしてもよいことになっているので、語源を述べるとわしがここで「文明」 とゆって考えているのは英語のcivilizationなので語源はcivitas です。 civitas とゆえばラテン語が目も当てられぬ劣等生だったわしでも知っておるくらい「都市」 という意味ですのい。 人間は生産性の高い土地に集まって住み着くようになったが、そのうち交易したりする場所があっというまに高い人口密度をもつようになって「都市」 になった。 学者は本ばかり読んでいて実生活が稀薄な人間が多い。 いきおい餅と絵に描いた餅の区別が付かない人間の集まりと化すし、実人生の機微に疎い。 人間の機微に疎い人は物事の成立を必要に従って出来たのだと解釈するのが常であって、だから都市も交易、防御、うんぬんかんぬんの必要性からできたと教科書には出てくるが、(仔細あって中国文明をのぞくと)世界で最も古い文明を形成したメソポタミア地方のひとびとと話してごらんなさい、ほんとうは違う理由だとすぐに判るから。 彼らの口は沈黙するということがないのです。 人間の世界に「都市」すなわち「文明」が成立したのは人間がおしゃべりだったから、というのが最大の理由だとわしはマジで思ってます。 そ、そんなケーハクな理由で文明が成立してたまるものか、ときみは言うであろう。 しかし、世の中には厳めしい事実のみを真実と思いたがって学問を誤る、ということはいくらでもある。 我が言を疑うことなかれ、とガメ・オベールもゆうておる。 それでも疑り深いひとびとは、疑うのが趣味なので疑うであろうが、疑惑を去れなければシドニーでもよろしい、ロスアンジェルスでも構わない、なんならロンドンでもよい、そういう中近東からの移民が多い街でメソポタミアからやってきたひとびとと話してみるが良い。 それはそれはそれは、すごおおおおおおい、おしゃべりであって、ほっとくとストップボタンがこわけたレコーダのように話してるから。 聴いてると楽しいけどね。 コーフンするといまだにブッシュの悪口になるのはどうかと思う。 あのひとびとは歴史の民であるから、まだ千年くらいはブッシュ息子の悪口を言い続けるだろうか。 人間のいちばん大事に至りやすい病気は「退屈」です。 人間は退屈するとたいてい破滅に向かって着実に歩き出す。 ニュージーランドの南島に行くと、この世の風景とは思われないような美しい牧草地帯が広がっている。 えーごではmeadowというな。 日本のひとは「さよなら」が最も美しい日本語だというが英語ではmeadowが最も美しい英語であると思う。 英語というのはmeadowとい言葉が支えているイメージが価値の源泉であるようなところがあるもの。 で、北島の「ワイカト」もそうだが、南島、ニュージーランド南島英語でゆえば「メインランド」に行けば、このmeadowが延々と延々とどこまでも広がっている。 ゆるやかな丘陵にまばゆい緑の牧草地が透き徹っていて白く濁ったところが少しもない青い空と合わさって消えるところまで続いている。 そーゆーところで育って15歳くらいになると人間はものすごく退屈します。だから牧場地帯のガキは16歳になってクルマの免許をとりくさると、制限時速100キロのオープンロードを200キロくらいで疾走して、下手がスピードをだすものだから当然、やや道路が狭くなっている橋梁とかに激突して死にます。 夜中にやるのね。 夜中に闇の中でぞろぞろ集まって、レースをやる。ニュージーランドをクルマで旅行すると変形Rのコーナーや橋のたもとに小さい十字架がいっぱい立っているのは、彼らが死んだ地点を表しておる。 あるいはゆいいつの大きな街であるクライストチャーチに集結して街のどまんなかで派手にスピンをぶっこいたりしてにーちゃんやねーちゃんからなる群衆の有卦をねらう。 フラメンコとか闘牛の原始的で下品な段階だともゆえるな。 「オーレッ!」とかゆーかな。 南欧人は少ないから言わないか。 あれはもともとは「アラー!」だそうだが。 こうしたガキどもは「ボーイレーサー」と言ってニュージーランドでは社会問題になっておる。 … Continue reading

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東アジアブラザース

「日本人はさ、ほら、自転車が好きじゃない」 と、義理叔父が憧れていた赤毛の女の子が言うのであった。 1980年代のワシントンD.C. 義理叔父にとっては初めての合衆国であって、週末のある日、義理叔父はバーベキューに招かれたのであった。 「うん。好きっていうか、割と多い」 公共機関が発達していて網の目のように地下鉄があるからなんだよ、と言おうとすると、隣から赤毛の女の子のお母さんが、割り込んできた 「なんだってあなたがた日本人は毎朝大通りいっぱいに広がって自転車で通勤するの?トヨタもホンダも輸出するばっかりじゃなくて自分の国で乗らなくては! それに、みんなが制服を着ているってのもファッションとして退屈だとわたしは思います」 いえ、制服は高校生までだし、トヨタもホンダも結構はしってますよ、と話しているうちに、あこがれの赤毛のねーちゃんの母親が話しているのは北京のことだと気が付いて愕然としたそうである。 それ、日本ちゃうやん。チューゴクやん。 と言うと、赤毛かーちゃんは、ちょっとクビをかしげて考えてから、だって東京って中国でしょう?と不思議そうに訊くのだった。 言われて、義理叔父は一瞬頭のなかが、くらっ、としたそうです。 若いときから高血圧だったから、危なかったんちゃうか。 カンタベリー特有の「宇宙線なのかこれは」、の無茶苦茶強い陽射しを窓の外に眺めながら、わしは年長の友人、校長先生のJJとパブでCD、すなわち「カンタベリー・ドラフト」をちびちびとすすりながら話しておった。 日本ではビールは、「ごっくんごっくん、ぷはあー」 な飲み物だが、わしの祖国および裏祖国においては、ちびちびビンボたらしくすするものです。 タップから注ぐときも泡を立てないのね。泡を立てて出すと、ニュージーランド人は、一瞬顔をしかめてから、「金かやせ。泡のぶん」 と言うであろう。 パイントグラスにすりきりいっぱい入ったビールをそおおおおおーと口に持っていって、おっとっと、と思いながら初めのひとくちを飲むのがビールの醍醐味なので、泡があってはビールを飲むという行為の最良の部分が失われるとゆわれている。 ちっこい円形のテーブルをはさんで立ったJJとわしは、クライストチャーチのまばゆいほど美々しい夕方を見やりながら、よもやま話に興じておる。 「最近はまた日本人が多いのお」とJJ。 「あれ、中国のひとだと思うよ」 あっ、そうかね。おれはまた日本人だとばっかり思っていた。 「経済が悪いというから、それで逃げてきやがるんだと思ってたよ。でもジャポンヘッドにはたくさんいるようだが」 ジャポンヘッド、というのはエイボンヘッドという空港に近い住宅地でむかしから日本人が多いという事実を嘲って「ジャポンヘッド」という。 もともとは嘲りだがJJの世代のひと(50代)は、あんまり悪意もなくふつーに「ジャポンヘッド」とゆったりします。 「ジャポンヘッドってのは、蔑称だから教育者のあんたが使ってはならんだろう。それにエイボンヘッドのアジア人たちは、いまでは中国の人が多いと思うが」 ふむ、とJJはまだ疑わしそうにしてます。 気を取り直したように、そう言えば、ガメの叔母さんは日本人と結婚したんだったな、という。 なんだかそれで全部わしの言うことが説明がつく、とでも言いたげである。 話題を変えようとしてでしょう。 「日本人はアジア人のなかでは、いちばんマトモなほうだからな」 と言った。 誤解してはいかむ。 JJは温厚で公平な人間であって、みんなが大好きなおっさんです。 仕立ての良い三つ揃いを堂々たる体格で着こなして、鼻ひげを生やかしてえばっておるが、同情心の厚い、良い奴である。 年齢はわしより25歳くらい上だが、だからJJとわしはよくパブで一緒に酒を飲んで遊ぶ。 東アジアは遠い。 西洋から見ると、むかしから遠い遠い国々です。 ええええー、でも日本って東隣はもう合衆国じゃん、地図みなよおお、ときみは言うかもしれん。でも「西洋」という「意識」は、もともとの中心が大陸欧州にあるので、そこからの距離でしか物事を認識できないのね。 だからむかしは日本でゲームをデザインしていていまはブライトンで暮らしているjosicoは、よく聴いてみると連合王国人の使う「アジア」という言葉には中国や日本が含まれていないことに気づくであろう。 … Continue reading

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アメリカの影から踏み出す日本

古本屋の「200円ワゴン」で山崎正和 というひとの「このアメリカ」という本を買ったことがあった。「なぜ」という理由はない。テキトーに買います。翻訳本は買わない。ラテン語とかギリシャ語とかは限りなくゼロに近い成績であったので良い訳なのだか悪い訳なのだか判らないが、なんとなく英語への訳のほうが日本語の訳よりいいんじゃないかなあー、と思うので英語のをこそこそ買うので日本語は買わない、というだけです。 一方では性格がデタラメに近いくらいえーかげんなので、日本にいるときには取り寄せるのがめんどくささに英語の本を日本語で読んですませようと思う事があります。日本のひとびとにはピンと来ないかもしれないし、自分でゆってていいのか、な感じがしなくもないが、こんな無茶苦茶なことをする英語人はわしは他には知りません。 でも、結構、おもしろいんだけど。英語の本、日本語で読むの。 上田保訳のT.S.Eliotなんちゅうのはたいへん味わい深いものであって、芭蕉が詩を書いているような趣があってなかなかよいものです。 「このアメリカ」という本は多分60年代終わりくらいのベストセラーらしいが、(違うかな)たいへん異様な本であった。 いまは手元になくてカンではメルボルンかクライストチャーチのどちらかの家にあるがどっちに送ったか、もしかしたら他のところにあるのか、オークランドの家にないこと以外は不分明です。思いつきであちこちに送るの、いまやどんな本がどこにあるかさっぱり判らん。 酒場で酔ったアフリカンアメリカンが酔ったあげくテーブルを壊し椅子を壊し、ただ壊しただけでは飽き足らないで椅子の脚もテーブルの板も細かいかけらになるまで破壊するのを見て驚嘆したり、休みの始めになると女の大学生を乗せたグレイハウンドバスが男大学生が待つ大学に着いて、バスからスーツケースを下げた女大学生が延々と長蛇の列をなして男大学生と番(つが)うために出てくるところに「アメリカ」を感じたりするところを憶えているが、異様なのは、この山崎正和というひとの視点の持ち方がアメリカ人の視点のもちかたと瓜二つであることで、読みながら、このひとアメリカ人みたい、と何度も考えました。 日本のひとは自分たちが西洋人の、特に連合王国人と似ている、とよく言うが、わしは似ていないと思います。全然似ていない。 どちらかと言えば180度正反対だと思う。 もしかするとあまりに異なるので似てるように見える、というような人間の感覚の不思議があるのかも知れません。 のみならず、わしは日本人は西洋人とはどの西洋人とも、あんまり似ていなくて中国人や韓国人とのほうが遙かに似ている (わしなどには当たり前と思えるが)と思いますが、そういうとどうも日本のひとは機嫌がやや悪くなるようだ。 あんまり機嫌が悪くなられても今夜の酒をおごってもらえなくなって困るが、どうにも似ていないものは仕方がない。 どうしても強いて似ている西洋人のグループを挙げよ、ということになればそれはアメリカ人であるとわしは思います。 「西洋」という集合は巨大過ぎて一般化するのがたいへんだが、それでも全然一般化できないということはなくて、たとえば「自分を大切にする」 ということにおいては西洋人はひとしなみにそうである。 自分というものを大事にして、それが納得して出来うるならば満足して死ねるように生きているあいだじゅう一生懸命工夫する。 それ以外のことは会社も国も家も二の次です。 有能な連合王国人がある日突然立ち上がってボスの部屋につかつかと歩みいり、「わたしは自分にやさしくしてやりたいと思うに至ったので会社はやめます」と言えばボスは否とはゆわぬでしょう。 わたしも、そうしたいな、わたしがこの忙しいボスボスした仕事をやめて朝台所に立って子供や旦那のためにゆっくりおいしいバナナパンケーキと目玉焼きとベーコンにたっぷりシロップをかけた朝ご飯をつくってあげられたら、「わたし」は、どれほど自分に満足してやさしい気持ちになれるだろう、と考えるに違いない。 「わかりました」と言うだろうね。 「あなたのような有能なひとがいなくなると困るのだけど」 あるいは午後4時の会議中にすっくと立ち上がって「諸君、誠に申し訳ないが私はこれから次男を学校に迎えに行かねばならん。40分待ってね」 という会社の役員も珍しいとは言えぬ。 アメリカ人ならぶーたれるやつがいそうだが、連合王国人は、ぷー、もゆわぬはずである。 みんなが「自分」 というものと「自分の幸福」というものに真剣でなければならない、という大前提があるからです。 アメリカ人は競争が激しすぎて西洋人のなかでも極めて特殊なひとたちだが、それでも前提というか人生上の公理というかが「西洋人」 なので、基本的に同じである。 山崎正和という人の「このアメリカ」という本がわしの頭のなかで「異様」 だったのは、そういう西洋的枠から外れたひとがしかし視点の持ち方異民族への観察の仕方だけは「とてもアメリカ的」に思えたからで、なにがアメリカ的かというと「自分と違う人間はモノみたいなものだ」 というところがアメリカ的と感じられたのではないかと思います。 うまくゆえてないが。 日本が真珠湾を突然空襲したときには陸軍力だったか兵員の数だかでは世界37位だかなんだかな、とぼけた軍事力しかもっていなかった合衆国は、すさまじい勢いで軍隊を拡張して、日本海海戦に勝利した参謀である秋山真之がつくった年代物の対米作戦である「三割漸減のち艦隊決戦」という寝言みたいなプランを歯牙にもかけず怒濤のように、というか太平洋を渡る津波のように日本へやってきます。 アメリカ軍というのは自他共に認める無茶苦茶弱い軍隊ですが、結構あっさり勝ってしまった。 銀座の和光ビルと三越デパートメントストアがある交差点を「タイムズスクエア」と名付けたり、檜造りの邸宅を白ペンキで塗っちゃったりしながらアメリカ軍がやっていたことは要するに「日本の属州化」です。 いまでも、機会があれば行ってみるとよい、横須賀の米軍基地に行けば、「雨」 「霧」という大日本帝国海軍のマンホールがある道に「ニミッツ通り」「ハルゼー通り」という名前が付いていて、背後に日本の救国の戦艦であって戦後は日本人「実業家」の手で艦橋とかも取っ払って米兵相手の安キャバレーであったのを「アメリカ人有志」が実業家の手から取り戻して復元した「三笠」 が見えるベンチにひと晩泊まりの日本人の女たちが水兵たちとじゃれあっておる。 … Continue reading

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日本特殊新聞

ひとりです。 義理叔父はトーダイの学生であって、両親の家はトーダイに通える距離にあったが義理叔父のことである、きっと若い女の子についてよからぬ妄想を巡らしてひとり住まいをしていたに違いない。 もっとも後年義理叔父のアパートを訪問したかーちゃんシスターによると、床一面が本であって、ベッドの下も本、おそるべきことには冷蔵庫のなかにまで本が突っ込んであったというから、妄想が現実になることはついになかったであろうと思われる。 ともあれ、義理叔父はベンキョーしておった。 義理叔父が大好きなユーミンというあの脳みそが腐りそうな甘ったるい音楽を聴きながら机に向かっておったに違いない。 わしも、「いつだって I love you more than you. You love me 少しだけ」うんちゃらかんちゃら、という曲だけは好きだけどな。あれはマルチカルチュラルな感じでなかなかおかしくてよろしい。 義理叔父の中学の近くにあった喫茶店では、この曲がかかるたびにインタースクールのガキンチョどもが合唱するのを常としたそうだが、むべなるかな。 義理叔父が日本語の歌に厭きて「フラッシュダンスのテーマ」にかかった頃、 どんどんどん、と玄関のドアをノックするものがあったという。 もともと後ろ暗いところがいっぱいあってトーダイも裏口であると一般に信ぜられておった叔父は、「おまわりではなかろーな」 と考えながら玄関に向かったに違いない。 向かった、とゆっても義理叔父の描写によると一歩半で着いたというから「向かった」というより「向か」くらいだのい。 ドアを開けると、そこには人相のええかげんなおっさんが立っておる。 「おにーさん。新聞とってるの?」 ちゅうんだそーです。 「いえ」 「おにーさん、学生?」 「そーですが」 「じゃ、新聞とらなきゃダメじゃない」 Y新聞の「勧誘」 なのであった。 へっ? とブッシュミルズの炭酸割りを飲みながら、いつものごとく「義理叔父昔語り」 に耳を傾けていた、わしの手が止まります。 「カンユーって、なに?」 その質問に答えた義理叔父の物語は、わしにとってはぶっくらこくのを通り越して、なんじゃそれは、なお話であった。 洗剤に Y新聞資本の野球球団のチケットに6ヶ月ただ、って、なんなんなんだ旦那だんなんだ? 結局、義理叔父が断り倒すと、このえーかげんな顔をした「勧誘おやじ」は、 「また来るぜ。今度は朝の3時ごろ来てやるから、よく憶えとけこのクソガキ。東京はぶっそうなところだから、一人暮らしは気をつけた方がええぞ!」 というありがたいご忠告を残して立ち去ったそうである。 … Continue reading

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チーズとバターと利権デフレ

日本にいる外国人には外国人なりの「素朴な疑問」 というものがある。 なんで日本のスポーツ番組は北朝鮮のニュース番組に限りなく似ているのかとか、日本の猫はなぜ尻尾が短いのか、とだいたいそーゆーことです。 ニュージーランド人は難しいことを考える習慣をもたないし、テキトーなので、あんまりそれ以上たちいったことは考えぬ。 そーいうとテキトーなのはきみだけだろう、というひとがいそうだが、それをゆってはいけません。物事には一般化することによって話を曖昧にする、ということがある。 とはいうものの、わしはアホを装っているが実はカシコイので(ほんとよ) 、猫を騙して膝の上に載せて尻尾が短い悲しい猫に生まれついた気持ちをインタビューするよりも複雑なことを考えることもあります。 鼻の頭に青いプーさんのバンドエイドを貼ってコンピュータスクリーンに向かっている姿からわしの知能を推し量ってはいかんのだ。 なにをゆっているか判らないひとはツイッタを参照するよーに。 もう何年も世界中のメディアが日本のデフレについて合唱しているが、あれはほんとうに教科書的なデフレとゆえるだろうか、とわしは今日の午後考えました。ほら、カシコゲでしょう。アホはこういうことは考えぬ。 アホというのは愛国心がどうのこうのとかガイジンが増えたらどうのこうのというようなことしか考えないので、もうここでわしがアホとは一線を画したカシコイ青年であるのがわかりますね。 しつこいからこのくらいでやめるが。 だってさあああ。商品っちゅうのは価格があって、価格があるということはその商品を欲しいひとがお金を払うから売れるんだかんね。 最近は、ほら、留学とかするやん。 そうすっと、一年とか住むからスーパーマーケットとか行くやん。 いまちょっと見るとニュージーランドでは特に高いほうでも安い方でもない 「New World」の価格を見ると Click to access NW2806web.pdf 最近無茶苦茶物価が高くなったとは言え、 牛肉のスコッチフィレ(価格が高い部位なんどす)が 1kgで16.99ドル (1000円) トーストブレッドが2斤で 120円 コカコーラの355ml缶が18本パックで12.99ドル  (780円、一本43円)、 くそ旨い グラニースミス・リンゴ が1kg1.99ドル(120円)とかです。 こういう価格は全部ニュージーランドの消費税15%を含んでおる。 西友スーパーの特売チラシ http://ipqwww.shufoo.net/c/2010/06/30/c/933784663050/index.html?sid=asp/common&shopId=16841&chirashiId=933784663050 を眺めると、 牛肉バラカルビ用(ステーキ用の肉よりはだいぶん安いであろう)が 1キロで6980円 トースト用のヤマザキパンが2斤では280円 とかであって、だいたい牛肉みたいなものはニュージーランドの10倍以上、工場大量生産パンで 2倍以上、チーズは20倍以上、というわしのニュージーランドと日本の物価比較の感覚に合致してます。 … Continue reading

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