Monthly Archives: July 2010

トンチンカンなトンテンカン

いまの世界で(響きの悪い言葉だが) 「IT革命」 に完全に失敗した先進国がふたつある。ドイツと日本です。 表面的に似ているようでその実まったく正反対の文化・国民性をもつふたつの国だが、面白い組み合わせで19世紀後半からの歴史においてはまるでパラレルワールドの国同士であるかのように同じ波に乗り、同じ岩礁に乗り上げてしまう。 多分この不思議な成り行きには「市場におけるタイミング/ポジショニング」ということが密接に関係しているでしょうが、傍で見ているとなあーんとなくニンマリとしてしまうような(生物学用語における)相似国家である。 ドイツがIT革命に失敗した理由については別の所で脳が腐るほど話したのでここでは日本の事を考えたい。 だって日本語で書いているわけですからのい。 ときどき、たとえばアメリカにとって日本が(中国などより)いかに大切な友人であるか日本語で延々と書いている人があるが、あれは何をしたいのであるか? わしの所に「将来も『日本語圏』で日本語を書く場合には安全を保証しない」と書いてきたひとがいたが、もしかするとロスアンジェルスと近郊には日本人が常時50万人だかが屯していて電話帳も日本語の電話帳があるくらいなのでカリフォルニアとかは「日本語圏」だと思っているのかもしれません。 きっと、そうだな。 スターバックスとかで英語を話している合衆国人を見ると、「ここは日本語圏だぞ。日本語で話せ、ばかもん」 と考えているに違いない。 カリフォルニアなんか半分日本みたいなもんです、という当のカリフォルニア人が聞いたら腰を抜かしてヒップリプレースメントが必要になるか、逆上して日本人排斥法案を作りそうなことをわしにゆったひともいたので、日本語で綿綿と英語人に対する恨み辛みを述べている人は、やはり心のどこかで「日本」のようなメジャーな存在に属している自分の言う事を英語人といえど誰かが聞いてくれるに違いないと信じているのでしょう。 哀れである、と言えなくもない。 選挙だかの頃、「日本ではまだまだものづくりではいちばんです」 と街頭でマヌケな襷を肩にかけて述べているひとがいた。こーゆーうるせーだけのものはさっさと廃止して選挙の主張とかはwebだけでやらんかい、webも見ないような奴には選挙の存在自体判らんほうが日本のためだし、と思いながらわしは聞いていたが、そのときにふと思ったのは、日本人はほんとうに相変わらず「ものづくり」 でいまのやるせない経済を立て直そうとしているのだろーか、という事でした。 そう思ってあたりを見渡してみると、驚くべし、どうもそう思っている人もたくさんいるよーだ。 「ものづくりだあー、ものづくりだあー」と叫んで20年やってみて効果がまったく現れないのだから発想なり前提なりが間違っているのではないだろうか、と思うのがふつーだが、日本の人はそう思わないのであるらしい。 なんだか狐につままれたような話だが、それは日本という国で起こった厳とした歴史的事実で、実はいまでもそのトンチンカンぶりを発揮して工場でトンカンチンしているのです。 クライスラーという会社は、性能はたいしたことはないが優美な曲線で包まれたほぼ芸術的なボディをつくるのでもともとは有名でした。 実際60年代初頭の頃のクルマを並べてみるとブガッティ、サーブ、の次くらいに美しい、繊細を極めるボディである。 このボディラインがなぜ後年の不細工でチャチで目もあてられないようなボディになったかというと、以前には木槌であのラインを叩きだしていた腕の良い職人を会社がクビにしちったからです。 なぜクビにしちったかというと、クルマが安くなったので、腕も給料も良い職人なんかにマジにクルマをつくらせていたら割が合わなくなったからである。 その結果最終的にどうなったかというとヤケクソみたいな値段の日本車の攻勢にあってあえなく沈没した。 アメリカの西側では相当むかしでもなんだかちっこくてヘロヘロした「シビック」みたいな日本車を見るのになれていた筈だが、いまのようにマンハッタンでも欧州でも日本車の大洪水を見るようになったのは最近の事です。 感覚的に言うと、ぽつぽつと日本車が現れ始めて、「おーすげえー、欧州にも日本車が走るようになったのだな」とわしが考え出したのは11歳か12歳かの頃だったので、要するに1995年前後、でしょう。 連合王国で言うとそれまで「プジョー」や「ローバー」「欧州フォード」「バクソール」なんかがもっていたマーケットを掠っていったのだと思います。 マイクラ、という名前の日産の小型車(多分、マーチ)が特に多かったのをおぼえてます。評判も良かったようだ。 話の後先を考えると、多分、主マーケットであった合衆国で頭打ちになってきたのでいろいろメンドクサイのでおっぽりだしてあった欧州市場でももっと売らなきゃ、という事だったのだと推測しますが、ほんとのところはようわからん。 大昔のトップギアを読むと、なんだってこう日本人ってやつは欧州車のへったくそなマネばかりしやがるんだろう、とあちこちに書いてあります。 安けりゃいいてもんじゃねーんだぞ、おら、というような趣ですのい。 実際90年代の終わりになっても日産は前から見るとリンカーンで後ろからみるとメルセデス、横からみると、これがなあーんとBMWなんですねえ、というようなアホなクルマをつくっていた。 トヨタも2000年にはまだ運転席に座るとエンジンの音はおろか計器類のアンバーに至るまでBMWとまったく同じ、というクルマをつくって売ってました。 こうやって書くと判ると思いますが、日本の外から見た昔の日本はいまの「中国」ととてもよく似ているのです。 中国人の方がやることが大胆で「ちょっと急な坂だと登れないハイラックス」とかオモロイものをいっぱいつくりますが、本質的には変わらない。 ものづくりというものには「大量に安くつくるものが勝つ」 という法則があるからです。 自分が経営者になったつもりで考えてみると判りますが、「マネをする」という事には初期投資を小さくしてしかも「売れないリスク」 を極小化する、という効用がある。まして大量につくって原価を下げ、それをまた低利率で売る、という事になると、「誰も見たことがない」画期的な商品などおっかなくて手が出せない。 … Continue reading

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ヒーローシンドローム

自分がなにものかでなければならない、自分という存在は密やかであるにしても特別な存在で、その自分であるということの価値を誇りに思わなければならない、というのは、もともとは西洋的価値観であって特にアングロサクソンの家に生まれたものは繰り返し社会や親に言い聞かさせるこの考えに悩まされてあげくのはてに自殺してしまったりする。 きみの一生におけるachievementはなんであったか、と死んでから天国へはいる門の前で、誰かに訊かれそうな気がするからである。 自分が特別な存在であるのが神様相手であるときは、なにしろ別に他人に対して特別でなくても神様のほうは「あんたは特別にういやつであるから」と判っていてくれるので大過なかったが、最近は神様の評価、という事はどうでもよくなって、どのくらい他人にうけるか、という事が基準になったので「自分というものに他人とは異なる独自の価値がある」という人生における要請を実現するのは容易なことではなくなった。 ハリウッドのえーかげんなプロデューサーのおっさんたちが皺がなるべく少ないfuckabilityの高い女優を選んでこさえた映画のなかで、母親が娘を抱きしめて「I’m proud of you.」涙ぐんで言うのを観ながらきみは、「私の母親は自分を誇りに思ってくれているだろうか」と考えてすっかりユーウツになる。 あるいは母親が十分自分を誇りに思ってくれているのを理解した後ですら、ふと「journal」を書く手を休めて「自分は何か自分でしか出来ない価値をこの世にもたらしうるだろうか」と考える。 万有引力を発見して人間の意識に映る世界の現象がどういう仕組みで起こるかをほぼひとりで最初から最後まで説明してしまったアイザック・ニュートンは、しかし「世界がまるごと記述されている」そのとんでもない書物のばらばらな草稿を引き出しのなかに放り込んだままほうっぽらかしにしていた。 信じがたいことにこのヘンテコなおっさんは、人類が初めて手にした神の言葉で書かれたよりも遙かに明晰な世界への説明の体系を自分の頭のなかだけにしまっていて、「まあ、それでいいか」にしていたのです。ハレー彗星が周期彗星であることを発見したエドモンド・ハレーがケプラーというドマジメな占星学研究者が気付いた太陽と惑星のあいだに働く不可思議な力の正体について議論しようとニュートンに会いに来て話しているうちに、どうもニュートンが疑問への答えをすでに知っているようだ、と気が付くまで、ニュートンが世界を説明しおわっていることに気が付いた人間はひとりもいなかった。 前にも書いたが、ニュートンという人はおよそ人間とは考えられないほどの事績を残したひとで、科学科学というがニュートン以前には「科学」というものが自覚的には存在すらしていなかった。 そもそも物の運動を説明する道具すらなかったからで、ニュートン以前の人間は自然現象に相対しても手も足も出なかった。 ニュートンはまず「微分」という道具を自分1人で作り上げ、それから、その道具を使って世界を記述しはじめた。 で、驚いてはいかんが、最後まで世界を書いてしまったのです。 ゾシマの長老もびっくりだな。 そうやって世界をまるごと説明してしまったニュートンは、ついでに光学も創始して、84歳で泥から金を生成する方法の研究に熱中しながら死ぬまで、「特別な人間」 どころではない業績を残しまくった。 おもいつくままに挙げて、このニュートン、アルキメデス、 ガウス、 アウグスティヌス、シェークスピア、 パブロ・ピカソ、セザンヌ、ラフマニノフ、モーツアルト、プッチーニ、…こーゆー人々は「特別」というのもアホらしいくらい特別なひとびとであった。 しかし、こういう「特別」な人々と、そのへんに転がってコロコロしている役にも立たない、世界の方から言えば謂わば「お荷物」にしか過ぎない大多数の人間とどのくらい違いがあるかというと、そこには殆ど差違というほどのものはないであろう。 あんまり変わらないのよ、ニュートンもきみも。 能力的に、ということではない。 能力的にはニュートンときみとでは雷神とネズミほども違う。 だからきみが「ニュートンてアインシュタインに否定された説を唱えたひとでしょう」 というような知ったかぶりの笑止なコメントを洩らすと科学の精霊たちはおろか地虫フナムシに至るまでどよめいて腹を抱えて笑うであろう。 フナムシには腹はないが。 現代世界には「特別な存在にならなければ」と思う余り現実の能力をバイパスして気分だけ特別になってしまうパーな人間がくさるほどいるが、競争にさらされたことがないものほど自分の能力を過大に見積もる。 そーではなくて、価値の地平線の遙かな遠くから見れば、ニュートンもひきこもってPCゲームに命をかけておるタコな青年もあんま変わらん、とゆっているのです。 「自分の人生なんてクソだ」というもの狂おしい思いに悩まされながら、なんとかしなければ、なんとかしなければ、というただそれだけの言葉が頭のなかを堂々めぐりする夜に、きみは唇をかみしめて、なぜ自分には「自分だからやれること」が見つからないのか、と考えて焦慮する。 何事かを達成する、どころか来年くえるかどうかを心配しなければならないのだ。 しかしだね、それはものの見方の方角が間違っているのであって実は「来年もくえればいい」というただそれだけのことなのです。 あとの「自分なんかその他おおぜいにすぎない」という思いは余計である。 だって人間はひとり残らずガウスもニュートンも「その他おおぜい」だからな。 ある日めざめた平凡な青年がチャンスをつかんで「ヒーロー」になる、という物語はものの発想がそもそもアホらしすぎて相手にするのも億劫だが、社会というものは情報が迅速広汎に行き渡るようになると最大公約数の低きにつくという特徴を有する。 真にうけはしないまでも、そーゆーバカ物語に考えが影響をうけてしまって、単純労働なんかは人間のやることではない、というような事まで思い詰める。 もう長くなりすぎたので理由はまた別のときにするが、人間など人間が思い込んでいるほどの差違をお互いに持たないのは、犬に興味がない人間にとっては柴犬は全部同じ顔をしているとしか思えないことに思いを致せば簡単にわかります。 自分の人生に意味を求めて人生をすることくらい世の中にあほらしいことはないとゆわれている。 くえればいーんです。 … Continue reading

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この世界へようこそ

およそ27年間生きてきた「人生」 の印象は「どうでもいいや」であったことは前にも書いた。  人間の一生というものはそれほどたいしたものでなくて、なにしろ一回しかないものだから大切なものだということになっているだけのような気がします。では人生が二回、いや三回あればどうかというと、どうせ殆どまったく同じ人生を二回三回と繰り返すに決まっとるわ、そんなもん、と考える。 人間が人生を相渉る能力などというものがそれほど創造的であるわけはない。殆どが遺伝子というピアノの鍵盤の発現に左右されていて音色が同じ、ひょっとするとコード進行も同じではないかとわしは疑っておる。 稀には人間が生まれてくるということの意味について悩む人もいるが、そーゆー問題に対して人間が取り得る立場というのは多分ふたつで、1)考えない 2)霊魂を前提する しかないように思えます。 1)は健全を極めた態度なので説明をまたないであろう。悩む必要のないことは考えない 前進あるのみ。違う言い方をするとバカとも言えるが、 生産性の高い人生を送るためにはこの手の一種のバカであるほうが都合がよいのは12年くらい人生を経過したところですでに誰にでも感得されることである。 2の方は、なんで?という人がいるだろうが今日は全部は説明しない。 もうすぐ午後零時であってモニさんを午食に連れ出さねばならない時間が迫っているからです。 なにもしていないように見えるがなかなか忙しいのだわしはこれで。 昼ご飯を食べたり夜ご飯を食べたりせねばならぬ。 ハンモックやデッキチェアに寝転がって本を読む。 合間には庭でカバやサングリアを飲むし、散歩もするからね。 そうこうしているうちにあっというまに午前3時、とかになってしまう。 霊魂はなにしろ霊魂なので肉体というものがない。 ものに触れようにも触れられず、見ようにも見られず、聴こうにも聴かれない。 地上に降りてみてもただ肉体の奥に押し込められた霊魂が生じる音が集まって「うおーん」というような籠もった音がしているだけです。 同じように肉体の分厚い筋肉の向こうがわにある霊魂の気配だけが感じられて姿はちゃんと見えはしない。 水を飲む喜びもなければ、暑い日にそよぐ風にほおを向ける心地良さ、松の枝を通り抜ける風の音を聴く楽しみもない。 だから霊魂はときど肉体を獲得して地上に舞い戻っては、何日も水浴びが出来なかったひとのように、肉体を通じてよみがえる感覚のシャワーをつかのま楽しむために帰ってくる。 というわけで、わしにとっては肉体以外に自分の人生に対する関心があまりないよーだ。 このあいだ生まれて初めて度量衡計算をマジメにやってみたら、それまで信じていたよりも7センチ長い193.04センチであった(なんていいかげんなんでしょう) 身長と90キロと94キロのあいだをいったりきたりしている自分の肉体をわしはとりわけて愛玩してはいないが嫌いでもない。 この機会を逃さずに自慢するとわしはバク転が出来るし、ふつーの人間が理解できないほど身が軽い。 叔父などはときどき感に堪えたように「おまえは役行者の生まれ変わりに違いない」言います(ウソ) 食べる。ラムのローストにミントやグレイビイをかけてむしゃむしゃ食べる。鴨のテリーヌを塗ったくるみパンを食べオリーブオイルで焼いたイノシシを食べウサギのサンドイッチを食べる。 ニュージーランドやオーストラリアにいれば牛肉を食べる。 スコッチフィレに ベヨネーズソースをかけて手を抜かないでちゃんとつぶしてあるマッシュドポテトと一緒に食べる。 パースナップやビートのソースの海におとなしく座っている鴨の高温と低温で二度焼いたのを食べる。 テニスのボールを追って自分の筋肉が自分の思い通り正確に動くのを楽しみ、馬の背に乗って、あのえも言われない匂いと揺られる心地の良さと馬の肌触りを満喫する。 気持ちの良い朝や、涼しい風が吹いてくる午後には、もちろんモニといちゃいちゃもんもんするであろう。 いちゃいちゃもんもんの意味がわからないひとは手近なオトナに訊いてみましょう。 そういう事以外には人間が生きる事には本質的な意味はないよーだ。 21歳くらいのときに、わしは金がないことにあまりに悩まされた(っちゅうか、金銭が欠乏してそのたびに妹を騙して金をせびる口実がつきた) ので、やむをえず、この問題に正面から向き合って解決することにした。 世の中には向き合いたくはない下品な問題がいろいろと存在して、金銭はその筆頭だが、この金銭というものはあってもたいして助けにならない割に無いと妹がかーちゃんにいいつけたりしてまことに難儀なのを発見したからです。 オトナどものなかには「金を稼ぐのはたいへんな事だ」 … Continue reading

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山の暮らし

まだ山の家にいる。 昼間は通りに出れば上で28度くらいだが庭は26度 、夕方になれば22度くらいです。この町は浅間山から流れてくる伏流水のせいで湿気がすさまじいので家にはほぼ建物の4隅の壁に4台の除湿機が稼働している。 空調は見栄を張って付けてません。 昼間はたいてい屈託なく広がった青空に積乱雲がもこもことわいてくるのが望見される。 28度くらいの気温があると見ているうちにもこもこもこと雲が大きくなるのが判ります。 はやい。 浅間山側に積乱雲が出来る日はたいてい短い夕立、それも沓掛の離山からこっちだけに降る夕立で終わるが、アルプスの向こうからやってくる積乱雲は、大雷鳴と洪水を引き起こしかねないすさまじい雨を連れてくる。 今日は上田に向かってクルマを走らせていたらアルプスの向こうに巨大な積乱雲が林立しているので「うーむ」と思っていたら、案の定、夕方はすさまじい雨と雹だった。 雷も盛大に落ちました。 この辺の雷は性格が悪くて、ピシャッガッシャアーンの至近弾が続いたあと、ドオオオーンゴオオオーンと遠くなって、雨もやみ、はっはっはもう終わりじゃん、勝った、と思っていると、しばらくしていきなり一発だけピッシャアアアーングワッシャアアアンと狙撃兵のような落雷がある。 油断できません。 うちにときどきお掃除に来てくれる若い女のひとは雷がすぎたので最新型横ドラムの洗濯機にありったけの下着とTシャツやショーツをいれて洗濯を始めたら狙撃落雷が近所に落ちて停電になった。 横ドラムの洗濯機は停電になるとドアが開かないのでニッカーズとブラだけで洗濯機の前に立ってボーゼンとしたそーである。 山の家にいるときは、無論自分たちで買い物に行くときもあるがだいたいお手伝いのひとがいろいろなものを買ってきてくれます。 たとえばパンは必需品だが、あんまり食べ物にうるさくないモニさんもパンだけは不味いのが嫌である。 町には「フランスベーカリー」や「浅野屋」 というようなベーカリーがいくつかありますが、どーもあんまりおいしくないよーだ。 フランスベーカリーはジョン・レノンが毎夏自分でパンを買いに来た、というが、やっぱしあのひとも昔の田舎連合王国人の味覚だったのかのお、とひどいことを考えます。 いや、おいしいけどね。 なんとなくそうそうジョン・レノン、ジョン・レノンと連呼されてホテルに行って「ジョン・レノンが好きだったアップルティー」 とか書いてあると、なんとなく目の前のサンドイッチも寅さんせんべいみたいに思えてきてげんなりする。 だからネガティブな思いがもこもこもちこ(mrballheadの奥さんの名前です)と心にわき起こってしまう。 お手伝いさんは賢いひとなので、あちこちまわってトーストブレッドはここ、クロワッサンはあそこ、といろいろな店から買ってきてくれます。 最近ではわしはマツヤというスーパーマーケットで売っている「もっちり山パン」が好きである。 小海町のベーカリーがつくっているこのパンはうめーです。 お手伝いのひとが「今日は売り切れでした」と言うと思い切り落胆するくらい わしはこのパンが好きである。 すげー、おいしいんだよ、このパン。 どうもラミュエラのベーカーズデライトのトーストブレッドより美味いようだ。 オークランドに支店をつくればいいのに。 山の家にいるときは外食、ということはあんまりしません。 義理叔父の知り合いのレストランが特別に店を開けてくれると、かーちゃんシスター及び義理叔父、モニ、ついでにわし、という陣容で夕食に臨むことはあります。 あとこれも義理叔父が家にシェフのHさんとかに来てもらって庭で夕飯を食べるときにはたいてい呼んでもらえる。 義理叔父の「夏の家」はわしの「第一山の家」から歩いていけるところにあるので、へべれけになるまで酔っ払うのが大好きなダメなわしとしては、モニが多少めんどくさがっても誘いがあるとヘラヘラしながらワインを二本ぶらさげてでかけてゆく。 やっぱりへべれけになるのが大好きな叔父とふたりで呂律が回らなくなって英語で話しても火星語で話してもたいして違いがないようになるのでかーちゃんシスターとモニにたいへんケーベツされます。 ケーベツされても、いいのさ。楽しいんだもん。 まれにはこれに従兄弟がくわわることもあるが、わがマブダチ従兄弟は最近はやや多忙である。 あんまし遊んでもらえません。 この町は60年代初頭くらいまでは高級避暑地だったそうだが、いまは見る影もない。日本のどこにでもある観光地と同じで、訳のわからん不細工な建物が林立していて、団塊世代を中心としたひとびとがあてどもなくゾロゾロと歩いている。 … Continue reading

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翻訳された世界

「荒地」という戦後の同人誌がある。 わしが尊敬する鮎川信夫やナンパジジイで気味が悪いほど日本語とうまくつるんでいた田村隆一、北村太郎、ついでに吉本ばななのとーちゃん 、というような同人がいた同人誌である。 この「荒地」という誌名は、話し方と物腰がいかにも妻を寝取られそうな人であって実際に寝取られてしまったT・S・エリオットのThe Waste Land に由来しています。 そ。 I think we are in rats’ alley Where the dead men lost their bones. ちゅうような科白に満ちている、あれです。 「生硬な」 という日本語があるが、この荒地同人に共通して見られるのはその「生硬」さであると思われる。ど演歌っぽい吉本隆明の詩は硬くてもやや和歌ふうであって色合いが違うが、それは全体を緊張する言語的才能よりも吉本の場合情緒が強烈だったからでしょう。 基本的ながっちんがっちんぶりはバナナとーちゃんも変わらない。 ところでT・S・エリオットの詩は憶えやすいので有名です。 わしのようなアホでも「アルフレードプルーフロックの恋歌」 や「荒地」は諳誦(そら)でゆえる。 たとえばディラン・トマスの詩はもっとおぼえやすいが、こっちは「これを言うためにはこの単語しかなかるべし」 という表現に際しての言語の選択が唯一無二の選択でばっちし決まっているからであってやや理由が異なる。 T・S・エリオットのほうは、流線型で音楽的だから、記憶しやすい。 この「音楽性」のせいで「上級」クラスの国語の落第を免れたバカ生徒は何百人いるか判りません。 「荒地」同人が書いた詩にはある共通した「トーン」があるが、それはT・S・エリオットが書いたもののトーンでは全然ない。 扱われている題材や一種の「文明批評的態度」は明らかにT・S・エリオットのものなのに、精神的基調、というか姿勢は全然違うのです。 口吻はゆうにおよばず。 それはなぜだろう? というのがわしのしばらくのあいだの疑問だったが、ある日、疑問は氷解した。 古本屋で手に取った「上田保」というひとの翻訳が「荒地」の基調低音のように聞こえたからです。 あっ、そーか、これだったのか、と考えました。 … Continue reading

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義理叔父の冒険 (その前段)

義理叔父が「日本なんてどーでもいいや」 と思い始めたのはバブルの頃であるという。その頃おっちゃんは通りを隔てて呪いを競う「お岩稲荷」 や「田宮神社」 からほど近いクソアパートに住んでいたが、近所にはもっとぼろいアパートがあってトーダイを出ているに一生うだつも梁もあがらん人生が保証された人生を送っていたギリオージの「自分 よりうまくいってないひとを見てわずかに心を和ませる」という小人らしい習慣の題材になっていたもののよーである。 ある日ギリオージが丸正という、置いてある品物の鮮度が妙に悪くてホステスのおばちゃんたちが大人数でフロアを跋扈している恐ろしげなスーパーマーケットを出て家路を辿っておると、その義理叔父敗北感慰安装置 であったぼろアパートに人だかりがしているのであった。 義理叔父がクビをのばして見てみるとそのボロ木造長屋はブルドーザに突撃されて無残に大崩壊を遂げているのです。 「地上げ」 ちゅうやつだな、とわし。 日本はオーストラリアでも 日本の暴力団を使って同じことをやってたからわし知ってるし。カローシ、ジアゲ、ケーレツ。みな日本を代表する単語だなもし。 とつぶやくわしをほぼ無視してギリオージの話は続く。 そのブルドーザに突っ込まれた古びた建物の死骸を見た瞬間、義理叔父は「おれはもうこの国は嫌だ」と考えたそーです。 それまではギリオージは日本という国がなかなか好きであった。 「日本が好き」 というそのギリオージの気持ちの内容はよく聞いてみると、どうやら義理叔父のうまれて育った渋谷区の丘陵地帯の、子供の頃は遠くまで見えた眺めや、ところどころにある樹齢が500年を数えるような巨大で荘厳な欅の枝振りや、夏の葉山の氷屋や四谷の宇治ミルキンや、要するにそういう小さな事どもの堆積であったようだが。 しかし「日本という国が大好き」 であった義理叔父が大事に小鳥を飼うようにして心の中で暖めてきた「日本」 はバブル景気という再分配という機能のない、主に暴力団と、利権を暴力団と共有するさまざまな集団とを富ませるだけで終わった畸形の好景気にふきとばされてしまった。 ふて腐れた、という表現がぴったりの顔でギリオージはその朝、四谷の駅に向かっていた。公共機関というものに適応性を欠いていた叔父はどこへでもてくてく歩いて出かけたそーだが、その日は嫌で嫌でたまらない予備校バイトの日であって叔父は「入試合格には精神修養が大事だ」 とか抜かすマヌケたちが威張っている「パチモンの学校」 (義理叔父談)に出勤しなければならなかったので駅へ向かっていたのです。 むかしは今に較べると大層ぼろかった四谷の駅舎の手前で義理叔父は大柄な白人青年が地図を見ながら周りを見渡しているのを発見した。 ふだんは外国人が道に迷っていようが堀にはまって溺れていようが「わしと関係ないし」 をする傾向にあった当時の叔父であったが、この青年にはどことなく他人をして助けたいと思わしむるところがあったのでしょう、叔父は気が付くと「どこへ行かれますか」 と自分でもぶっくらこいたことには青年に訊いているのです。 青年の話はなんだか全然要領を得ない話であって、四谷の緑の奥深い所にたくさんの植木鉢が並べられた路地がいく筋もあって、そのなかのひとつの家を探しているのだ、というような事だったそーである。 話のなかのやや不分明な住所と「豆腐屋」 を手がかりに叔父は 、この気のよさそうな白人にーちゃんをそれとおぼしき 場所までつれていってやることにした。 道々、昨日の夜箱崎についたばかりの青年が義理叔父に、こうなんでしょう?とゆって話してきかせる「東京」 は、いったいどんな空想的なガイドブックを読んだものか、いまは町を縦横にはしる運河こそないものの、いまでも緑が濃くて、巨大な都市がすっかり森のなかにあって、ひとびとはみなタイディで、長屋といっても全然スラムなんかではない清潔な路地という路地には朝顔の鉢があってそこに住む住人は気が遠くなるほど親切な街なのであった。 答えに困りながら、叔父はとにもかくにも、ここだな、と思しきところに到着した。青年がそこの道筋には「忍者のボスがいた寺がある」 と言ったからです。 しかし着いてみると、そこは「緑に包まれた街の一角」 どころか薄汚くて貧相な小さな小さな「マンション」が並ぶ、世にも醜悪な通りであったという。青年は悲しげに辺りを見渡していたが、そのうちに諦めたひとの寂しい口調で「案内してくれて、ありがとう。きっとここですね」という。 義理叔父が、思い切って「どうしてここに来てみたかったのか」と訊くと、 今度はびっくりするほど明瞭で正確なアクセントの日本語で「ぼくのおかあさん、日本人」 … Continue reading

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一人称単数

ひとりでいるのが好きな人、というのは割とふつーにいるものです。 数が多い。 「孤独が好き」なのではない。 孤独、という漢語にはくだらない情緒がいっぱいつまっていて、その言葉を聞くと歌舞伎でいう「みえ」を切っているように響く。 ひとりでいることに落ち着きを感じるひとは、孤独、というようなものではなくて、ただ「ひとりでいること」 が好きなのだと思います。 子供は社会性を獲得するために自然に集団をなす。家の近くのガキどもと放っておいても徒党を組む。 わしの家は裏庭をずっと歩いてくだって行くと小川があって舟着き場がある仕組みになっていたが、この流れに面している家にはどこも同じ船着き場があって、しかも似たような年頃のガキがいっぱいいたのでよく徒党をなして遊びました。 いまでも同じだが、どこの家にも「樹上の家」 というガキが出来損ないの冒険心を満足させるために親につくってもらったボロイ家が木の枝のうえにつくってある。ガキどもはあるときは流れに棹さしてボートを出してきゃあきゃあゆい、またあるときはどのガキかの樹上の家に集団でよじ登って突然降り出した驟雨の音にきゃあきゃあ言う、というふうでした。 徒党というものはガキの心にも楽しいものであった。 ところが、(妹も同じらしかったが) 集団で徒党を組む楽しさは、ときどき、ポロッという感じで心から抜け落ちてしまって、ひとりであることの安らかさのほうに「ほんとう」 を感じる、ということがよくあった。 子供の時からずっとそうだった。 クライストチャーチという町は夏は天国で冬は地獄だという。 夏には渇いてさらさらした風が吹き渡る芝生の上にここだけ特別製であるかのようなきらきらした陽光が反射して、町中ですらまばゆいばかりの光景です。 冬は、すごい。 毎日クソ風とクソ雨で冷たくて湿った空気のなかを歩いていると、雨が風にまきあげられて地面から降ってくる。 ところがわしは、そのクライストチャーチのクソ冬に北半球からわざわざひとりで帰ってくることがよくあった。 別に用事はありませんでした。 あのクソ天気が好きだったから、だと思います。 家のガレージでバッテリーを外してあったクルマを動くようにして、ひとりで街に出かける。 むかし大学であった建物、いまは「アートセンター」という、にクルマを駐めて人気のないコートヤードを横切って構内の小さな珈琲屋に行く。 かじかんだ指でカボチャのスープを飲みながら、灰色単色の景色を眺めるのが好きであった。 あるいは、ゴドリーヘッドという有名な小さな岬に出かけて、白い細い径をたどって、遙かな遠くまで続く暗い色の冬の海を見に行く。 そうすると、すうっと心が落ち着くのね。 わしはときどき考えるが、人間の魂は自分の周りに自分だけの広大なスペースがあることを前提としているような気がします。 われわれはみな「人間は社会的動物である」と学習するが、動物としてはそうでも、人間としては一人称単数の存在であるようだ。 誰にも何をすることも強制されず、自分の頭の中だけで組み立てた言葉で毎日を生きることに人間は特化されている。 集団に拠って生きてきた人間という「動物」が集団を離れて一人称単数である自分を獲得したときに初めて人間の真の文明が生まれたのではあるまいか。 もっと言うと、現代世界の人間が等しく信奉している「人間的価値」は結局人間が環境に対して「絶対的に少数」であることを前提にしているのだと思います。 たとえば、「自由」。 欧州人は1918年に自分たちの地方文明が完膚ないまでに破壊されるのを目撃していまの渾沌のなかに投げ出されたが、21世紀にはいってからは、また違う破壊にさらされることになった。 その第二の危機は、つまるところ、人間の数が多すぎて人間が集団の部分としての属性を再び多くもたされつつあることから来ているのかもしれません。 言うまでもなく、日本の問題の大きな部分も、信じられないくらい多いその人口から来ている。 空間の不足は魂を破壊する、という法則と戦っているのだと思う。 二十何年か暮らしてきて、もうだいぶんボロクなってきたわしの結論は、「人間はひとりの生き物だな」ということです。 人間の社会の役割は、個々の成員が「ひとりでほうっておいてもらえる」 状態を作り出すことにあるよーだ。 … Continue reading

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