義理叔父の冒険 (その前段)


義理叔父が「日本なんてどーでもいいや」 と思い始めたのはバブルの頃であるという。その頃おっちゃんは通りを隔てて呪いを競う「お岩稲荷」 や「田宮神社」 からほど近いクソアパートに住んでいたが、近所にはもっとぼろいアパートがあってトーダイを出ているに一生うだつも梁もあがらん人生が保証された人生を送っていたギリオージの「自分 よりうまくいってないひとを見てわずかに心を和ませる」という小人らしい習慣の題材になっていたもののよーである。

ある日ギリオージが丸正という、置いてある品物の鮮度が妙に悪くてホステスのおばちゃんたちが大人数でフロアを跋扈している恐ろしげなスーパーマーケットを出て家路を辿っておると、その義理叔父敗北感慰安装置 であったぼろアパートに人だかりがしているのであった。
義理叔父がクビをのばして見てみるとそのボロ木造長屋はブルドーザに突撃されて無残に大崩壊を遂げているのです。

「地上げ」 ちゅうやつだな、とわし。
日本はオーストラリアでも 日本の暴力団を使って同じことをやってたからわし知ってるし。カローシ、ジアゲ、ケーレツ。みな日本を代表する単語だなもし。
とつぶやくわしをほぼ無視してギリオージの話は続く。

そのブルドーザに突っ込まれた古びた建物の死骸を見た瞬間、義理叔父は「おれはもうこの国は嫌だ」と考えたそーです。
それまではギリオージは日本という国がなかなか好きであった。
「日本が好き」 というそのギリオージの気持ちの内容はよく聞いてみると、どうやら義理叔父のうまれて育った渋谷区の丘陵地帯の、子供の頃は遠くまで見えた眺めや、ところどころにある樹齢が500年を数えるような巨大で荘厳な欅の枝振りや、夏の葉山の氷屋や四谷の宇治ミルキンや、要するにそういう小さな事どもの堆積であったようだが。
しかし「日本という国が大好き」 であった義理叔父が大事に小鳥を飼うようにして心の中で暖めてきた「日本」 はバブル景気という再分配という機能のない、主に暴力団と、利権を暴力団と共有するさまざまな集団とを富ませるだけで終わった畸形の好景気にふきとばされてしまった。

ふて腐れた、という表現がぴったりの顔でギリオージはその朝、四谷の駅に向かっていた。公共機関というものに適応性を欠いていた叔父はどこへでもてくてく歩いて出かけたそーだが、その日は嫌で嫌でたまらない予備校バイトの日であって叔父は「入試合格には精神修養が大事だ」 とか抜かすマヌケたちが威張っている「パチモンの学校」 (義理叔父談)に出勤しなければならなかったので駅へ向かっていたのです。

むかしは今に較べると大層ぼろかった四谷の駅舎の手前で義理叔父は大柄な白人青年が地図を見ながら周りを見渡しているのを発見した。
ふだんは外国人が道に迷っていようが堀にはまって溺れていようが「わしと関係ないし」 をする傾向にあった当時の叔父であったが、この青年にはどことなく他人をして助けたいと思わしむるところがあったのでしょう、叔父は気が付くと「どこへ行かれますか」 と自分でもぶっくらこいたことには青年に訊いているのです。

青年の話はなんだか全然要領を得ない話であって、四谷の緑の奥深い所にたくさんの植木鉢が並べられた路地がいく筋もあって、そのなかのひとつの家を探しているのだ、というような事だったそーである。
話のなかのやや不分明な住所と「豆腐屋」 を手がかりに叔父は 、この気のよさそうな白人にーちゃんをそれとおぼしき 場所までつれていってやることにした。

道々、昨日の夜箱崎についたばかりの青年が義理叔父に、こうなんでしょう?とゆって話してきかせる「東京」 は、いったいどんな空想的なガイドブックを読んだものか、いまは町を縦横にはしる運河こそないものの、いまでも緑が濃くて、巨大な都市がすっかり森のなかにあって、ひとびとはみなタイディで、長屋といっても全然スラムなんかではない清潔な路地という路地には朝顔の鉢があってそこに住む住人は気が遠くなるほど親切な街なのであった。
答えに困りながら、叔父はとにもかくにも、ここだな、と思しきところに到着した。青年がそこの道筋には「忍者のボスがいた寺がある」 と言ったからです。

しかし着いてみると、そこは「緑に包まれた街の一角」 どころか薄汚くて貧相な小さな小さな「マンション」が並ぶ、世にも醜悪な通りであったという。青年は悲しげに辺りを見渡していたが、そのうちに諦めたひとの寂しい口調で「案内してくれて、ありがとう。きっとここですね」という。
義理叔父が、思い切って「どうしてここに来てみたかったのか」と訊くと、
今度はびっくりするほど明瞭で正確なアクセントの日本語で「ぼくのおかあさん、日本人」 とゆったのだった。

青年は、母親が生まれ育った街、母親が何回もパラダイスのようにして折に触れては息子に言い聞かせてきた日本という国の四谷の街角に立ってみたくて東京にやってきたのでした。
固より、そんなパラダイスはないが、母親の胸のなかで日本の醜い部分はとれて美しい部分や習慣は大きく育っていたのだと思われる。

あのひとはさ、絶対、とゆって最近老耄が迫ってすっかり感傷的になった中年男の義理叔父はつぶやくのです。
あの「ぼくのおかあさん、日本人」を何回も何回も練習してたんだよ。「ありがとう」 ですら外人訛なのに、それだけは日本人とかわらない発音だったもの。飛行機のなかとかでさ、日本で誰かに訊かれたらそう答えようと心に決めて…
そこまでゆっただけで叔父の声は掠れてもううまくゆえないようであった。

義理叔父は、このときから日本のことを考えるたびに「歯をくいしばって」考えるようになったという。
それはきっと、くやしさ、とか、無念さ、とか、決意、とか叔父自身、自分でもよく判らないものの混合した感情でしょう。
どうやら白人風混血にーちゃんのかーちゃんの望郷の念がギリオージのたださえ不安定な精神に複雑玄妙な反応を呼び起こしたものであるらしい。

その日、堂々と予備校の授業を「予告なし休講」した叔父は、しかし、自分でも気付かないうちに自分の人生を変える方角へ大きく一歩を踏み出したようにわしには見える。
ちょうど曇天が続いたあとで太陽の光が差し込んでくるときのように、このあと叔父の目に映る世界はそれまでも違ったものになったっように話を聞いていたわしには思えるからです。

それまで「なんじゃ、このクソ社会は。こうなったら絶対におれは雄々しく野たれ死にしてやる」とヘンな決心を固めていた義理叔父は、この日からなかなか奇妙な、しかし大胆極まる冒険に乗り出してゆきますが、続きは、また今度のほうが良いよーだ。

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4 Responses to 義理叔父の冒険 (その前段)

  1. Chiro(yo) says:

    お岩稲荷 丸正、20代という昔々ですが、四谷3丁目に2年弱住んだことがあるアタシは、冒頭から何が始まる?と引きこまれました。

    ガメさんのあの付近の描写から、遠いとおい日々と共に、すっかり忘れていた出来事まで思い出しました。
    (義理叔父さまを語る内容とは外れちゃってるけど…)

    とにかく、義理叔父さまの冒険履歴、続きが早く読みたいです。

  2. Chiro殿、
    >お岩稲荷 丸正、20代という昔々ですが、四谷3丁目に2年弱住んだことがあるアタシ

    ギリオジは四谷駅に近い所に住んでおったよーだが、買い物は3丁目なんだって。セイフー、とか丸正だったようだ。角には「丸正の本屋」というのもあったという。
    「随園別館」とかお粥と焼きそばが出る二階にある台湾料理屋とかはわしも連れて行ってもらった。

    >ガメさんのあの付近の描写から、遠いとおい日々と共に、すっかり忘れていた出来事まで思い出しました。

    じゃ、もっとちゃんと書けばよかった。わしこの頃朝まで遊んでるから眠いねん。

    >とにかく、義理叔父さまの冒険履歴、続きが早く読みたいです。

    ギリオージの話を書くのは難しい。ふつーに書くとギリオージが誰であるかばればれにばれてしまう。ばれると怒る(多分)からな。 でもわしはいちばんよく知っている日本人として観察記録を書いておきてーだ。

  3. じゅん爺 says:

    爺は、三十年ほど前に四谷三丁目の航空神社に近い
    >薄汚くて貧相な小さな小さな「マンション」<
    で、エージェント会社を営んでおった。
    丸正・青楓(葛飾の青戸に本店があった。青戸の楓屋?)にはよく行きました。
    爺の三十代は、このとき背負った借金の返済に追われて、過ぎてしまったな。
    なんだかオイラ、借金の返済にばかり「歯をくいしばって」いた気がして、情けないね(笑)
    義理叔父さんとはどこかですれ違ったことあるかもな。

    • じゅん爺さま、

      最近すがたが見えないので心配したやん。元気なのか?

      >丸正・青楓(葛飾の青戸に本店があった。青戸の楓屋?)にはよく行きました。

      義理叔父はセイフーのほうが好みだったよーだ。3丁目っていろいろなやつが縁故があるのだな。このブログとツイッタだけで3人目やん(^^)

      >なんだかオイラ、借金の返済にばかり「歯をくいしばって」いた気がして、情けないね(笑)

      何の冒険にも乗り出さなかったひとの千倍もマシやん。借金なんかは失敗が先にくれば必ず出来るのだからものの後先にしかすぎん、とかと思います。

      >義理叔父さんとはどこかですれ違ったことあるかもな。

      絶対あってるな。
      いま当時の叔父の写真を見ると、ほとんどテロリストみたいな顔でカメラをにらみつけておる。
      つくづく危ないにーちゃんやったんやな、このひとは、と思います。

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