この世界へようこそ


およそ27年間生きてきた「人生」 の印象は「どうでもいいや」であったことは前にも書いた。 
人間の一生というものはそれほどたいしたものでなくて、なにしろ一回しかないものだから大切なものだということになっているだけのような気がします。では人生が二回、いや三回あればどうかというと、どうせ殆どまったく同じ人生を二回三回と繰り返すに決まっとるわ、そんなもん、と考える。
人間が人生を相渉る能力などというものがそれほど創造的であるわけはない。殆どが遺伝子というピアノの鍵盤の発現に左右されていて音色が同じ、ひょっとするとコード進行も同じではないかとわしは疑っておる。

稀には人間が生まれてくるということの意味について悩む人もいるが、そーゆー問題に対して人間が取り得る立場というのは多分ふたつで、1)考えない
2)霊魂を前提する
しかないように思えます。
1)は健全を極めた態度なので説明をまたないであろう。悩む必要のないことは考えない 前進あるのみ。違う言い方をするとバカとも言えるが、 生産性の高い人生を送るためにはこの手の一種のバカであるほうが都合がよいのは12年くらい人生を経過したところですでに誰にでも感得されることである。

2の方は、なんで?という人がいるだろうが今日は全部は説明しない。
もうすぐ午後零時であってモニさんを午食に連れ出さねばならない時間が迫っているからです。
なにもしていないように見えるがなかなか忙しいのだわしはこれで。
昼ご飯を食べたり夜ご飯を食べたりせねばならぬ。
ハンモックやデッキチェアに寝転がって本を読む。
合間には庭でカバやサングリアを飲むし、散歩もするからね。
そうこうしているうちにあっというまに午前3時、とかになってしまう。

霊魂はなにしろ霊魂なので肉体というものがない。
ものに触れようにも触れられず、見ようにも見られず、聴こうにも聴かれない。
地上に降りてみてもただ肉体の奥に押し込められた霊魂が生じる音が集まって「うおーん」というような籠もった音がしているだけです。
同じように肉体の分厚い筋肉の向こうがわにある霊魂の気配だけが感じられて姿はちゃんと見えはしない。
水を飲む喜びもなければ、暑い日にそよぐ風にほおを向ける心地良さ、松の枝を通り抜ける風の音を聴く楽しみもない。

だから霊魂はときど肉体を獲得して地上に舞い戻っては、何日も水浴びが出来なかったひとのように、肉体を通じてよみがえる感覚のシャワーをつかのま楽しむために帰ってくる。

というわけで、わしにとっては肉体以外に自分の人生に対する関心があまりないよーだ。 このあいだ生まれて初めて度量衡計算をマジメにやってみたら、それまで信じていたよりも7センチ長い193.04センチであった(なんていいかげんなんでしょう) 身長と90キロと94キロのあいだをいったりきたりしている自分の肉体をわしはとりわけて愛玩してはいないが嫌いでもない。
この機会を逃さずに自慢するとわしはバク転が出来るし、ふつーの人間が理解できないほど身が軽い。
叔父などはときどき感に堪えたように「おまえは役行者の生まれ変わりに違いない」言います(ウソ)

食べる。ラムのローストにミントやグレイビイをかけてむしゃむしゃ食べる。鴨のテリーヌを塗ったくるみパンを食べオリーブオイルで焼いたイノシシを食べウサギのサンドイッチを食べる。
ニュージーランドやオーストラリアにいれば牛肉を食べる。
スコッチフィレに ベヨネーズソースをかけて手を抜かないでちゃんとつぶしてあるマッシュドポテトと一緒に食べる。
パースナップやビートのソースの海におとなしく座っている鴨の高温と低温で二度焼いたのを食べる。

テニスのボールを追って自分の筋肉が自分の思い通り正確に動くのを楽しみ、馬の背に乗って、あのえも言われない匂いと揺られる心地の良さと馬の肌触りを満喫する。

気持ちの良い朝や、涼しい風が吹いてくる午後には、もちろんモニといちゃいちゃもんもんするであろう。
いちゃいちゃもんもんの意味がわからないひとは手近なオトナに訊いてみましょう。

そういう事以外には人間が生きる事には本質的な意味はないよーだ。
21歳くらいのときに、わしは金がないことにあまりに悩まされた(っちゅうか、金銭が欠乏してそのたびに妹を騙して金をせびる口実がつきた) ので、やむをえず、この問題に正面から向き合って解決することにした。
世の中には向き合いたくはない下品な問題がいろいろと存在して、金銭はその筆頭だが、この金銭というものはあってもたいして助けにならない割に無いと妹がかーちゃんにいいつけたりしてまことに難儀なのを発見したからです。
オトナどものなかには「金を稼ぐのはたいへんな事だ」 という奴がいるが、あれはウソである。
金銭というものの世界を落ち着いて考えてみないで闇雲に金を手にしようとしてジタバタした結果、そーゆードアホな事を言いふらして歩いているだけなのでまともな青少年は、そーゆー「金銭アホおとな」 の言う事を信じてはいけません。

もういままでも何回も書いたので具体的な経過は省略するが、金銭に関してはマジメに解決したので、わしは働かなくてもよいことになった。
会社はあるけどね。
ここをこうやってみたらこーゆーことが出来るのではないか、という考えを実現するためのものです。
必ずしもわしの手に大金をもたらすことを目的としていないので数の少ない我が零細会社の社員のみなさんはたいへんな高給です。
その辺の会社の社長の役員報酬の何倍かは楽にとっておる。
わしの金かやせ、あっ、いや、
良いことであると思う。多分。

労働時間というものが極小であって知性的な事に本質的な関心がもてないというと世上のセオリーに従えば退屈なはずであるが、それが全然退屈ちゃいまんねん。
毎日、やることはいっぱいある。
クラブ、劇場、ブルース、オペラ、映画、パーティ。
日本にいれば第一ヘンなものがいっぱいあって見るだけで飽きないし、鮨もとんかつも割烹もあるだろう。
家にいれば高速インターネットとくだらねーものまでちゃんと在庫を持っている日本の店の特性を利してヲタクもやれます。
デカ目の幼児的表情とかは死ぬほど嫌いなのでPCヲタクに限るが。

木に触りながらゆわねばならないが、わしの肉体はそーゆーわけでいまのところ充足しているようだ。
どうも肉体というものは霊魂が「ちょっと里帰り」と言って地上に戻ってきたときの感覚受容スーツだという気がする。
だから脳を使うのでも手や足や他の器官が連結したものとして使われるのでなければならないように思います。
手や足が関連しない観念だけの言葉はダメなのよ。

暑い日に、庭に腰掛けてこうしてコンピュータに向かっているとモニがcavaでつくった美しい色のサングリアをもってきてくれます。
脇の椅子に腰掛けて、「暑いけど、太陽の光が木の葉に反射して綺麗だな」という。
「楽しんでる?」 と言って、そっと手のひらをわしの手の甲の上に重ねてくれる。
かすかにモニの「良い匂い」がする。
わしは、なんだか泣きたくなってしまう。
そういうとき人間は自分がいまいる世界のはかなさに思いがけず触れてしまうからだと思います。

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