ヒーローシンドローム


自分がなにものかでなければならない、自分という存在は密やかであるにしても特別な存在で、その自分であるということの価値を誇りに思わなければならない、というのは、もともとは西洋的価値観であって特にアングロサクソンの家に生まれたものは繰り返し社会や親に言い聞かさせるこの考えに悩まされてあげくのはてに自殺してしまったりする。
きみの一生におけるachievementはなんであったか、と死んでから天国へはいる門の前で、誰かに訊かれそうな気がするからである。

自分が特別な存在であるのが神様相手であるときは、なにしろ別に他人に対して特別でなくても神様のほうは「あんたは特別にういやつであるから」と判っていてくれるので大過なかったが、最近は神様の評価、という事はどうでもよくなって、どのくらい他人にうけるか、という事が基準になったので「自分というものに他人とは異なる独自の価値がある」という人生における要請を実現するのは容易なことではなくなった。

ハリウッドのえーかげんなプロデューサーのおっさんたちが皺がなるべく少ないfuckabilityの高い女優を選んでこさえた映画のなかで、母親が娘を抱きしめて「I’m proud of you.」涙ぐんで言うのを観ながらきみは、「私の母親は自分を誇りに思ってくれているだろうか」と考えてすっかりユーウツになる。
あるいは母親が十分自分を誇りに思ってくれているのを理解した後ですら、ふと「journal」を書く手を休めて「自分は何か自分でしか出来ない価値をこの世にもたらしうるだろうか」と考える。

万有引力を発見して人間の意識に映る世界の現象がどういう仕組みで起こるかをほぼひとりで最初から最後まで説明してしまったアイザック・ニュートンは、しかし「世界がまるごと記述されている」そのとんでもない書物のばらばらな草稿を引き出しのなかに放り込んだままほうっぽらかしにしていた。
信じがたいことにこのヘンテコなおっさんは、人類が初めて手にした神の言葉で書かれたよりも遙かに明晰な世界への説明の体系を自分の頭のなかだけにしまっていて、「まあ、それでいいか」にしていたのです。ハレー彗星が周期彗星であることを発見したエドモンド・ハレーがケプラーというドマジメな占星学研究者が気付いた太陽と惑星のあいだに働く不可思議な力の正体について議論しようとニュートンに会いに来て話しているうちに、どうもニュートンが疑問への答えをすでに知っているようだ、と気が付くまで、ニュートンが世界を説明しおわっていることに気が付いた人間はひとりもいなかった。

前にも書いたが、ニュートンという人はおよそ人間とは考えられないほどの事績を残したひとで、科学科学というがニュートン以前には「科学」というものが自覚的には存在すらしていなかった。
そもそも物の運動を説明する道具すらなかったからで、ニュートン以前の人間は自然現象に相対しても手も足も出なかった。
ニュートンはまず「微分」という道具を自分1人で作り上げ、それから、その道具を使って世界を記述しはじめた。
で、驚いてはいかんが、最後まで世界を書いてしまったのです。
ゾシマの長老もびっくりだな。
そうやって世界をまるごと説明してしまったニュートンは、ついでに光学も創始して、84歳で泥から金を生成する方法の研究に熱中しながら死ぬまで、「特別な人間」 どころではない業績を残しまくった。

おもいつくままに挙げて、このニュートン、アルキメデス、 ガウス、 アウグスティヌス、シェークスピア、 パブロ・ピカソ、セザンヌ、ラフマニノフ、モーツアルト、プッチーニ、…こーゆー人々は「特別」というのもアホらしいくらい特別なひとびとであった。
しかし、こういう「特別」な人々と、そのへんに転がってコロコロしている役にも立たない、世界の方から言えば謂わば「お荷物」にしか過ぎない大多数の人間とどのくらい違いがあるかというと、そこには殆ど差違というほどのものはないであろう。
あんまり変わらないのよ、ニュートンもきみも。

能力的に、ということではない。
能力的にはニュートンときみとでは雷神とネズミほども違う。
だからきみが「ニュートンてアインシュタインに否定された説を唱えたひとでしょう」 というような知ったかぶりの笑止なコメントを洩らすと科学の精霊たちはおろか地虫フナムシに至るまでどよめいて腹を抱えて笑うであろう。
フナムシには腹はないが。
現代世界には「特別な存在にならなければ」と思う余り現実の能力をバイパスして気分だけ特別になってしまうパーな人間がくさるほどいるが、競争にさらされたことがないものほど自分の能力を過大に見積もる。
そーではなくて、価値の地平線の遙かな遠くから見れば、ニュートンもひきこもってPCゲームに命をかけておるタコな青年もあんま変わらん、とゆっているのです。

「自分の人生なんてクソだ」というもの狂おしい思いに悩まされながら、なんとかしなければ、なんとかしなければ、というただそれだけの言葉が頭のなかを堂々めぐりする夜に、きみは唇をかみしめて、なぜ自分には「自分だからやれること」が見つからないのか、と考えて焦慮する。
何事かを達成する、どころか来年くえるかどうかを心配しなければならないのだ。

しかしだね、それはものの見方の方角が間違っているのであって実は「来年もくえればいい」というただそれだけのことなのです。
あとの「自分なんかその他おおぜいにすぎない」という思いは余計である。
だって人間はひとり残らずガウスもニュートンも「その他おおぜい」だからな。

ある日めざめた平凡な青年がチャンスをつかんで「ヒーロー」になる、という物語はものの発想がそもそもアホらしすぎて相手にするのも億劫だが、社会というものは情報が迅速広汎に行き渡るようになると最大公約数の低きにつくという特徴を有する。
真にうけはしないまでも、そーゆーバカ物語に考えが影響をうけてしまって、単純労働なんかは人間のやることではない、というような事まで思い詰める。

もう長くなりすぎたので理由はまた別のときにするが、人間など人間が思い込んでいるほどの差違をお互いに持たないのは、犬に興味がない人間にとっては柴犬は全部同じ顔をしているとしか思えないことに思いを致せば簡単にわかります。

自分の人生に意味を求めて人生をすることくらい世の中にあほらしいことはないとゆわれている。
くえればいーんです。
それだけのことだ。
第一、ひとつ秘密を教えてあげると、昨日のブログで書いたように人間はほんとうは肉体という感覚受容器を獲得しにこの世界に生まれてくる。
いっぽう、きみが「特別な価値」と思うモーツアルトやガウスが没頭したような事というのは主な機能でいうと霊魂の作業だからな。
ガウスとかはきっと、死んで霊魂に戻ってから「いっけねえー、肉体があるあいだに霊魂でやりゃあいいことばっかしやっちった。人生を損してしまったでねーけ」
と思っているに違いない。
だから特別な存在を目指すというのは時間の浪費なのよ。
内緒だけどね。

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6 Responses to ヒーローシンドローム

  1. salubri says:

    こんにちは、ガメさん。
    前のブログに「g」という名前で少し書き込んだことがありますが、「じーさん」はどうだろうと思って、salubriという名前を考えました。

    この記事を読んでいてなんだか、ガメさんの優しさを感じたのです。
    でも優しさって、自分に余裕がある時だけの贅沢品になってしまわないだろうか。優しさを弱さのように思って罵倒すらする人が増えてきているんじゃないだろうか。私は弱っている人を見たら、胸が痛んで助けたくなってしまうけれど、自分が凄く大変な時に同じことを思っていられるだろうか…
    そんなことを考えてしまって、悲しい気分になりました。
    「何事かを成し遂げなければ」「特別な人間にならなければ」
    私の言葉や行動は、そう思い詰めている人たちの重荷を、少しでも軽くできるだろうか?
    ガメさんの記事を読んで、悩んでいる人たちが顔を上げ、感覚的な楽しみのことを思い出すだろうか?

    思い詰めてばかりいてもしょうがないので、まずは今日これから食べるおやつと夕食のことを考えることにしました。気温と相談しながらだけど、少し寄り道してできるだけ緑が多い所を通るかもしれません。
    今のところまだ、肉体スーツが脱げてませんからね。

    • salubriさま、

      >前のブログに「g」という名前で少し書き込んだことがあります

      「じーさん」おぼえてますのい。でも、じゃあGストリングは爺ストリングになって気味悪くて身につけられん(下品でごめん)なので、わしの冗談が悪いのです。

      >「何事かを成し遂げなければ」「特別な人間にならなければ」
      私の言葉や行動は、そう思い詰めている人たちの重荷を、少しでも軽くできるだろうか?

      わし自身は自分で考えても気が遠くなるくらいえーかげんなやつですが、お友達はドマジメなひとが多いです。
      みな「ガメはいいよなあ」というので「じゃ、わしみたいにテキトーでいけば」というと謎の微笑を浮かべたりする。
      言いたいことがあればはっきりゆわんかい、と思います。
      いや…考えてみると言う事が想像がつくのでやっぱり黙っていてもらわねば難儀だの。

  2. Suzuki Hitoshi says:

    いい話だな、と思いました。
    身につまされる話というのは、深酒のように染みる。二、三日じゃ抜けそうもないが。
    日本のような、正常な人間とは組織に属している人間であり、立派な人間とは立派な組織の人間であるという前提の社会でも、身近な世間を相手に悪戦苦闘すれば、「お前なんか大した奴じゃないくせに」という悪口は必ず聞かされるもので、そんなやり取りを続けているうちに、すっかりそんな気持ちになってしまう。
    なんか、救われましたよ。本当にありがとうございます。
    ちょうど先日、昔飼っていた柴犬に良く似た犬の写真を眺めつつ、「よく見るとコイツの方がハンサムだ」と気がついたばかりなので、一つ一つの例えまで嫌というくらいよく分かります。
    ついでに言うと、ゾシマ長老も好きだし、スウェデンボルグも三度の飯より大好きだ。(※別に人食い人種ではない)
    ひょっとして、自動書記で書いてるんじゃないかと思うくらい、気味の悪い正確さですよ。

    あと、日本はCDSが少なくて助かった、というニュースを以前読んだことがあります。
    でも、リーマンショックの時にソフトバンクのCDSがヤバくて某掲示板で盛り上がっていた記憶あり。
    だから、一応あるんじゃないかと。REITは一時期ブームでしたけど、国民性ですかね。

    • >スウェデンボルグも三度の飯より大好きだ。(※別に人食い人種ではない)

      前にもブログに書いたが書いてる途中でゲーム始めちったので、今度またマジメに書くんだもんね。わしはスウェデンボルグというおっさんはオモロイから好きです。ロンドンのスウェデンボルグ協会で買った全集をときどき読む。
      へっ、へっ、へーんなやつ、と思うが、いろいろなことを考えるきっかけになります。
      スウェーデンをおんだされるきっかけになった地獄の話がオモロイですのお。

      >日本はCDSが少なくて助かった、というニュースを以前読んだことがあります。

      列車事故があったからといって鉄道をひかずに馬車を使っているほうがよいとはいえない、と思います。ほんとうは金融システムについて書こうと思ったが眠いのでやめちった。

      >だから、一応あるんじゃないかと。

      へい。もうちょっとベンキョーしたら、ちょびっとはやってるのを発見しました。
      でも「ガラパゴス化」というが、もっともガラパゴス化してるのは金融ですのい。
      なあーんか、あんたらはこれから「歳入代理店手終料」とかだけで生きていくつもりなのか、と訊いてみたくなります。
      それに日本の銀行とかって、「カウンタの高さ」まで政府が決めるのね。
      驚いた。

      • Suzuki Hitoshi says:

        白状すると、スウェデンボルグは伝記を読んだだけですけど、好き嫌いに関してはそれでも良かろうと思って書きました。
        Amazoneで全集買えるのかしらん。(と思って検索したら、結構出てたんですね)

        >スウェーデンをおんだされるきっかけになった地獄の話がオモロイですのお。

        で、あの地獄の話ですけど、似た者同士が集まった挙げ句、それ相応の結果になるというのは、筋道が通り過ぎていて面白いですよね。
        物理的制約のない世界に人間が存在したら、こうなるしかないんじゃないかと思う、理屈っぽいあの世の話は大好きです。
        しかも、本人はそれを「見た」というんですから、何だろうこの人は?と思わずにはいられません。
        伝記を読むと、とても現実主義者で、機械設計とかもできる人だったようですし、つくづく不思議な人です。

        CDSのことは、私は早めにリタイアしたくて株を触る程度の素人なので、詳しくはないんですよ。
        ただ、中小零細個人相手には、もっとえげつないリスクヘッジができそうなのも、あまり流行らない理由じゃないかと思います。素人考えですけど。

        >それに日本の銀行とかって、「カウンタの高さ」まで政府が決めるのね。

        スカートの長さが決まっている国なら、カウンタの高さも決まっているのが相応というもんです。(笑)

  3. 敬愛するSuzuki Hitoshi殿、

    >白状すると、スウェデンボルグは伝記を読んだだけですけど、好き嫌いに関してはそれでも良かろうと思って書きました。

    いいに決まっておる。

    >で、あの地獄の話ですけど、似た者同士が集まった挙げ句、それ相応の結果になるというのは、筋道が通り過ぎていて面白いですよね。

    そう。地獄の存在に愚か者を脅かす以外の必然性があるとすれば殆どあれしかない、と思えるくらいです。わしが彼の全集を買うに至ったのは要するにあの「地獄」のせいです。オモロイと思う。

    >スカートの長さが決まっている国なら、カウンタの高さも決まっているのが相応というもんです。(笑)

    わしはこのコメントを読んでSuzuki Hitoshi さんが好きになりました。
    賢い人だな。

    なるほど。

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