Daily Archives: August 4, 2010

「先延ばし」の終わり

予定通りむちゃくちゃ早く起きた。 いまは丁度夜明けの前なので18℃くらいだが、なにしろ暑くてやってられないので東京に戻った方がよさそうです。 移動には新幹線が速いが東京駅のホームがうるさいのと人間が多いのが嫌なのでわしはクルマで移動します。 長野高速−>関越道−>首都高速と通って帰る。 ときどき「サービスエリア」に寄って行きます。 今年は「横川」のサービスエリアがカッチョヨクなったので、ここか、上里にちょっと寄って飲み物を買って行く。 「バス」と呼称している山の家と東京間の移動に使っているクルマのなかでは、だいたいスペイン語系統の音楽かアフリカン・ジャズが流れておる。 「バス」のなかにほうっぽりぱなしのiPodには一曲だけ日本の曲も入っていて水原弘の「黒い花びら」。 たいていは自分で運転します。 モニが「今日は天気が良いからわたしが運転してあげよう」ということもあるが、モニの運転で助手席(助手席っち、オモロイ言葉だな。英語ではスーイサイドシートという(^^;) 違う言い方ではパッセンジャーシートという退屈な呼び方もあるが) に座ると運転するより身体が強張って疲れるとゆわれているので、だいたいにおいてはさり気なく運転席につくことにしている。 だって、モニさんの運転て、のおんびり走るようにつくられている「バス」ですらびゅんびゅん他のクルマぬくからな。 こえっす。 この5年間で日本は大きく変わりました。 合衆国が「グーグル」や「フェースブック」のような新しい産業の顔を育てて、採算がとれるわけがなくなった「ものを作る」産業から必死の脱出を試みているあいだ、日本は「先延ばし」に終始する不思議な経済政策を取り続けた。 いまでは誰でも知っている通り、この「先延ばし」政策は結局は日本の社会に対して「鎖国政策」としてはたらいた。 最もおおきな「鎖国」の現れは金融で、どーゆーことについても「ぬわあにダイジョブだんべ」なわしでも、いまの日本の金融が他の世界のレベル、たとえば連合王国のレベルに追いつくということはちょっと考えられない。 わしの観察では多分、日本で金融に携わる人びとの数学的能力の欠如がこの古色蒼然というのもバカバカしいような骨董金融を生み出したのだと思います。 たとえば日本人が殆ど道徳的な拠り所としているかにすら見える「もの作り」において、新しい技術投資の規模が奇妙なくらい小さいのも、技術投資をしようにもリスクを手続き的に示せる金融技術をもっていないので江戸時代的な資金調達しか出来ない。 2009年をかなり明瞭な境として日本メーカーの家電が合衆国や欧州やオーストラリアの家電店の店頭から姿を消した事には、そういう金融に原因する背景があります。 日本が長いあいだ得意であった液晶テレビで言うと、店頭の正面にあるのは「サムソン」の50インチであってソニーの「ブラビア」ではなくなった。 サムソンのテレビはソニーよりも価格は高いが機能的にすぐれているのと壊れないのとでソニーよりも遙かに人気がある。 細かい事を言うとUSBメモリ内の.flvファイルを再生する機能やLANにフックする機能のようなものでもソニーはサムソンに較べて半年から一年遅れてしまう。 当然、テレビを買おうと思うひとはソニーはサムソンのマネをしている会社である、という印象を受けます。 第一、ソニーの液晶パネルはサムソンが作ってますしね、とわしがテレビを買いに行った店のインド人のやたらテレビに詳しいおっちゃん店員はいう。 「日本は技術的にもうダメと思う。品質も悪いから買わないほうがいい」 「でもさ。日本人って、品質が高いものを作るのは得意だっちゆーじゃん」とわしが言うと、はっはっは、と笑って、それは大昔の話だよ。トヨタのクルマはまだいいけどね。 ぼくもカムリだし、と言うのでした。 日本について「失われた二十年」というが、5年前はまだ「失われた十年」と言っていた。 このブログでも前に「失われた十年」という言葉を使った記憶があります。 この二十年、日本が何をやってきたかというとマクロ経済の理屈にしたがって、ひたすら「ものを作る」会社に金を注ぎ込んできた。 終いにはやることが露骨というかやけくそじみて来て生産された製品を国民に買わせるべくゲンナマをばらまく、という凄まじい方策に出て世界中のひとの息をのませる、という局面までありました。 あれは、わしも、ほんまに驚いた。 20年間、ただもうひたすら建設や家電やその他の「ものを作る」会社に金を注ぎ込んできた、このものすごい政策の裏には「物作り」という言葉が大好きな国民性があった。 「ものを作ることを支援してます」とさえ言えば機嫌よく税金を払ってくれる「ものを作る」=「産業的正義」という国民的な合意があったから、これほどバカげた政策をとってこられたのだとわしは観察しています。 日本の金融システムの俄には信じがたいほどの遅れを外国人は「日本人の能力の欠如」と軽く片付けてきたが、ここにいて観察していると、どちらかというと「金融が嫌い」という(ヘンだが)「好き嫌い」の問題なのではないかと思えてきます。 合衆国人はもともと「物作り」がたいへん上手な国民でした。 しかも産業製品の基幹部分も工芸的部分も両方ともにすぐれていた。 戦争中はたとえば中国戦線でも日本陸軍の高級将校はみなフォードに乗りたがった。 … Continue reading

Posted in 十全外人文庫, 日本の社会 | 13 Comments