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シンガプーラ

義理叔父が初めて出かけた外国はシンガポールであったはずである。 30年くらい前、というからまだ大学生でしょう。 このブログでだんだん義理叔父の過去をばらして無料で生まれる明るい明日の糧にしようとわしは考えているがイジメというのは一寸刻みでなければいけないとゆわれている。 ゆっくりやります。 ほんとうのことをいっぱい書いてかーちゃんシスターに翻訳してさしあげようと思っているが、わしに貸与している法人カードの限度額を上げる、とか、そーゆー申し出があればいろいろと考慮しなくもないが、でもともかくシンガポールに義理叔父はでかけた。 なんだか医進予備校でひと夏教えたら80万円だかになったとかいう超えーかげんな理由だったと思います。お医者さんのはしにもぼーにもかからないドアホなクソガキどもとホテルに泊まりこんで食事は近所のトンカツ屋が山ほどつみあげてゆくとんかつ弁当をただで食べる。冷房が利いた部屋に泊まって、たし算くらいなら出来るかなあーという秀才な諸君を教えて80万円まるもうけした。 つくづく世の中の矛盾につけこんで稼ぐのがうまいひとです。 80万円手にした叔父は、シンガポールに行こうと思った。 ラッフルズホテルが見たかったから、とかゆっておったが、ぬわに、ほんとうはトロピカルなねーちゃんが見たい、誤解と不純がないまぜになった動機に決まっておる。 義理叔父というひとは本来は「家の10キロ四方から出ないで暮らしていた」(義理叔父おかーさま談)な人間であったようなので、この半径10キロ引きこもり青年にしてはかなり異様な行動と受け取られた模様である。 実際、仲の良いお友達には、「とうとう…」とゆわれたそーだ。 叔父が初めて出かけた頃のシンガポールは国をあげてぐわんぐわんに働いて無茶苦茶な勢いで生活が向上している頃であった。 ひとりあたりGDPで軽く日本を抜き去ったいまとは街の様子もだいぶん違ったようです。 「冷房が、ないのよね」という。 「ラッフルズホテルとかでも冷房がないのだよ。それなのにティールーム行くにはジャケットが必ずいるのだ。ハイティーの時間になると、ガメの国の奴がいっぱい来ておってだな。クソ暑いテーブルに座って、ひきつった顔で微笑しながら、熱い紅茶を飲んでるのだ。アホな光景だったな、あれは」 そーですか。 「オーチャードロードとかに立ってるとね。タクシーが来るんだけどさ。フロントガラスに『20% OFF』とか『30% OFF』とか書いてあってだね。乗車料金のディスカウントなんだよね」 「で、ぼくは40%OFFのタクシーを止めてみたら」 「向こう側のドアがなかった」 「えっ? ガメ、なんで知ってるんだ、おまえ」 「だって、3回目だもん。その話、聞くの」 ぼけたんちゃうか、あんた。 という具合だったようだ。 わしの知識と照らし合わせると義理叔父は日本から来た観光客らしくまったくのお上りさんでホーカーズも事もあろうにニュートンサークルに行っておる。 あとはオーチャードロードを行ったり来たりして終わったようです。 残りはプールサイドで英語版の「シンガポール攻略戦」を読んでおった。 日本軍が華僑を大量虐殺したせいでシンガポールでは反日感情が強かったのを知らなかったのだな。 さぞかしプールボーイのサービスが悪かっただろうと思います。 義理叔父はシンガポール人のひたむきさが好きだったようだ。 いまのように冷房が利き狂った地下道もないクソ暑いシンガポールで、みなものすごい勢いで働いている。 眼が違う、という。 きらきら輝いているのだよ。 当時のバブル日本人とはエライ違いだったのさ。 まだマーライオンが元の場所にあって高島屋がいまとは違って小さなビルだった頃のシンガポールで義理叔父は「10キロ四方主義」を捨てたもののようでした。 後年、まさか、文化の違う国からやってきたかーちゃんシスターと結婚するとは思っていなかっただろうが、外見は頭が悪そうだが中身は外見よりは賢くなくもない叔父は、一瞬で「内なる鎖国」を捨てたもののようであった。 (閑話休題) いまのシンガポール人は日本人とメンタリティがたいへん似ている。 わしにはシンガポール人ビジネスマン友達H(25歳)がいるが、顔が日本人に似ているせいもあるが話しているとなんだか日本人と話しているような気になることがあります。 シドニーのレストランで会うと、ふとした弾みに無口になって集中力がなくなる。 どうしたの、と聞くと、あっ、いや、ごめんなさい、と言いながら窓の外を見ていた眼をこちらに向け直します。 … Continue reading

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