狂気の終わりに


当時の日本人の気持ちを想像してみれば当たり前すぎるほど当たり前の事だが、1905年、ロシアに勝利した日本人は殆ど全国民が狂気したかのような喜びに舞い踊った。
ロシアの国情から考えて日本との戦争を最後までうまく運営できるわけがない、と冷静に計算して日本の勝利に大金を預けていたロンドンの金融家たち以外にとっては欧州人にとっても驚天動地という言葉そのものの日本の勝利だった。
いまで言えば、ちょうどパキスタンが合衆国と会戦して大勝利をするようなものでしょう。
発狂したひとのように歓喜しなければウソである。

ロシアが極東アジアにもっていた利権は当然すべてじぶんたちのものになる、と信じ込んだ日本人たちが講和条約の結果を見て激昂し日比谷公園に集まって暴動を起こし、警察の派出所、内務大臣官邸、新聞社などを焼き打ちにして暴れ狂い、ついに戒厳令が出されるに至ったのは有名な事なので、ここではふれません。
いまに至る日本政府の国民を仲間とみなさず、調教が必要な、丁度サーカスの動物とでも見なしているかのような態度が、直截にはこの事件の結果であることを知ればここでは十分と思います。

歴史を振り返ると、この「1905年の奇跡」から日本はずっとヘンだった。
鎌倉ばーちゃん(義理叔父のかーちゃん)は、義理叔父が自分をも含めた大方の予想を裏切ってトーダイに合格したあと、およそ3ヶ月くらい、なんだか大学者のような事をゆったり、妙に秀才ふうな口の利き方をしたりして、マンガのようであったといまだに笑いますが、日本という国も、そんな感じだったのかもしれません。
「一流」ということが好きになった。
「列強」『強国」、強い、という言葉がやたら現れるようになって、しまいには興奮の余り日本という国名の上に「大」を付けた「大日本帝国」というすさまじい名前で自分達の国を呼ぶようになります。
大英帝国に倣った、というひとがいるが、連合王国人は日本人の想像など遙かにこえてひとが悪いのでグレートブリテンだが「英帝国」です。
ほんとうは「リトルエンパイア」と呼びたかったが、それではいくらなんでもあまりに嫌味なのでリトルを付けるのだけは思いとどまった、ともゆえる。

なぜそうまで一流であることにこだわったのか、わしには正直言って、よく判りません。
他国民の国家に対する尊敬というのは、当時もいまも、その国の国民がどんな物腰であるか、とか、どれほど弱い者、うまくいっていない者に対して同情心と助けようと思う心をもっているか、とか、どちらかというとそういう事で決まる。
ひとことで言えば、「うらやましい、あんなふうな人間になりたい」という人間がどのくらいたくさんいるかで決まる。
強い者は疎まれるに決まってもいれば、まして強さを誇ろうとするものは失笑を買い、軽蔑されるだけであるのは考えるまでもなく当然のことです。
ひとつだけ考えられる理由があるとすれば、アジア人の不正直さや、狡猾、卑しい心根に手を焼いた欧州人たちは、「恫喝すれば意外なくらいおとなしく言うことを聞く」ことを発見して、特に極東にあってはアジア人と見れば鞭をふるうのがもっとも簡単であることを発見した。
その欧州人の対アジア人対処法を鞭をふるわれる側から見て、日本人は、一流になるということは鞭を手にすることだと誤解したのかもしれません。

関係のないことを書いておくと、東京を初めて訪れた「ガイジン」たちが見ているのは、「良いもの」では目の見えないひとのために延々と付けられた黄色のブロックであり、舗道という舗道が車椅子のためにそうしたと思われるなだらかな傾斜の切り端をもっていることであり、どう見てもそんなヒマがありそうもないのに汗まみれになってクルマ椅子の老人をホームに案内している駅員です。
モニもそうだった。
「日本」に対して少し考えを変えたのは、日本人の歴史的イメージとはまるで異なった、「弱い者に差し出された文明的な手」をあちこちに発見したからです。
運転している人間をマヌケな成金に見せやすいので有名なメルセデスの新車の数や鞄というより剥き出しの値札を持ち歩いているようにしか見えないルイヴィトンをもった女のひとの数のせいではない。

日本は1905年以来、ずっと気が違っていた。
漱石の「三四郎」という小説には「広田先生」が主人公に日本の将来を尋ねられて「滅びるね」と漱石風に言えば単簡明瞭に答えて主人公をびっくりさせるところがありますが、ロシアに勝った日本は、その通り、おごりたかぶって、それから40年しないうちに実際に滅びてしまった。
それもカルタゴ以来、と言いたくなるような盛大な滅び方で、1945年の東京の写真を見ると1985年の不動産屋が大喜びしそうな見事な更地です。
見渡す限りのまったいらな地面であって、その表面に黒こげになった無数の日本人の身体がごろごろ転がっていた。
そこから心機一転、方角を変えて、一心に頑張って「戦後民主主義日本」をつくったことになっているが、しかし、それは本当だったろうか。
基調底音、というべきか、それとも共通の物理法則というべきなのか、戦前から戦後まで、小学校から大学まで、全共闘運動からパナソニックの工場まで、日立の本社から霞ヶ関の庁舎まで、日本のあらゆる組織体には「軍隊」というキーワードが隠れている。
学校では「前にいいいー、ならえ!」といい、背を伸ばして「注目」することが求められ、塾という名のおよそ非知性的な訓練所があり、要するに、精確に効率的に与えられた命令を遂行できるというだけの徹底的なバカになる訓練をする。
わしは日本の学校や会社は合衆国の海兵隊のブートキャンプ、特に1960年代のブートキャンプによく似ていると思う。
あれはひとりの人間の人間性を徹底的に否定し個人の価値と尊厳を破壊しどんな非人間的な目的にも逡巡なく最大の効率で任務を遂行する人間、あるいは「非・人間」をつくることに特化されている。
たとえばスタンリーキューブリックの「フルメタルジャケット」でも見れば容易に納得できると思いますが、あの非人間性を身に付けることによってのみ現れる生産性の追究は日本社会と不気味なくらいよく似ている。

ドイツが日本とは異なって戦争の徹底的な反省によって生まれた、というのは日本人がでっちあげた神話で、ドイツ人自身は、そんなことは全然ないのはよく知っている。
戦争中に活躍したナチスのメンバーが戦後も復興の中心だったからです。
だが中世騎士物語の悲劇性に酔いやすいドイツ人というナチスの病根はドイツ人たちによってよく理解されている。
良い悪い、というよりも眼前に投げ出されたもののように、それそのままとして理解されている、という意味です。

しかし日本人は自分達がこの100年という時間を1905年のあの日から一貫して脇目もふらずに突っ走ってきたのを理解しているだろうか。
その狂気がついに世界の市場の成熟によってあるいはもっと重要なことには自分達自身の成熟によって崩壊するほかなくなったのがいまの日本の経済や政治や社会の姿だと気がついているだろうか。

八月になると、わしは、いつもこの事を考えるが、まだよく結論が出せないでいるのです。

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6 Responses to 狂気の終わりに

  1. ぽんぴい says:

    歴史というのは見ても見えん。大部分が隠れておる。
    環境と言うに、それは内的な環境と外的な環境が在る。自己も、自己にとっての外界も、同じく「環境」であることに変わりは無い。
    焼夷弾が降って来て脚を焼かれて朽ち果てた股関節から先の脚を切り落とす場合、それが十五歳の少女である場合、そうでない人間がその人に代わってそのことを体験することは出来ない。
    人々は我を生きるばかりである。
    そう言ってしまっては元も子も亡いので、人は思い遣りという動作を強調する。「思いをやる」「想いをやる」「憶いをやる」「念いをやる」
    たまたま今日、この日にいかなる患い事も感ずることなく生きた自己を神(無限なる全体)へ感謝せよ。そもそも自己が在るのは自己でない無数の物事が作用(歴史)した結果である。
    と言い切ると、一見においては有り難い様な気になるだろうが、これでは何事も言い得ていない。
    両足をもがれ、さらに両腕も捥がれてしまったとしても、自然に(自己の意志に因らずに)死ぬまでは生きる、という覚悟が出来るのはいつのことであるか。
    それはまさしく、そうなった刻だ。
    おめでとう!

    • ぽんぴい 様、

      ぽおおおーーーんぴいいいいー。
      頼むからわしにも判る日本語で書いてくれえ。
      四回読んで、
      >人々は我を生きるばかりである

      しか判りひんやん。
      でも、なつかしいなああああー、このぽんぴいの訳判らん日本語。なあーんか日本刀ふりかざして、追っかけてくる愛国ジジイみてえな文章だな。

      • ぽんぴい says:

        ぽんぴいによるぽんぴいコメントの和訳

        過去を振り返ってみても、その多くはすでに土の中に埋まっていて、ぼくたちの意識が捉えることができるのは、その中の、ほんのわずかな部分でしかありません。
        環境という言葉を媒介として考えてみれば、内界(心のことです)と、外界(心を囲んでいる時空のことです)という二つの環境が在りますわいな。
        内界(心)も、外界(あなたの心ではないもの全て)も、環境(あなたが刻々と生じている場面)であることに変わりはありません。
        十五歳で破裂する焼夷弾に脚を焼かれて、両足を切り落とすしかなかった少女の痛みと苦しみと気持ちを、その少女ではない人が一生懸命に思い浮かべてみても、誰がどうやっても、その少女になることはできないのです。
        人は自分を生きることしか出来ない。
        だけど、そんなふうに言ってしまっては、この世界に生きる人の魂が、孤独の闇に包まれてしまうじゃないですか。だから人は、自分の中に生じた感情を、他の人に投げ掛けることを、強く志しています。

        相手に向かって気持ちを投げ付ける、相手に向かって思いをなすりつける、相手に向かって思いを授ける、相手に向かって思いを託す、相手に向かって思いを照らす、相手に向かって思いを強制する、相手に向かって思いを隠す。
        そんなふうにして、ぼくたちは生きていますよね。
        それで、たまたま今日、この日に、自分が酷く苦しむことが無かったなら、そんな環境を与えている環境に、感謝するべきではないでしょうか。
        今、ここに自己が生じているのは、自己ではない無数の物事が、複雑に結束して作用した結果ですよね。
        そんなふうに言うと、ちょっと有り難い様な気にもなりますけど、それじゃあまりに平凡で、何も言わなかったのと同じです。

        手も脚も、熱い焼夷弾に燃やされて焼け落ちて、目も焼けて見えなくなって、耳も焼けて聞こえなくなったとしても、ただそれに耐えていられる様な精神を持つことができるのは、いったいいつのことでしょうか。
        それはそうなったときだけですよね
        それでは、おめでとうございます!

        ps.孤独というのは、内界と外界が無数の手を取り合って正しく入り組んでいることで、それを言い換えれば、今(自己という限界が、自己ではない物事に触れることで生じる感覚)が在る ということになるわな
        再び言っておくが、これ↑ は事実だよん

        日本語って難しいか?

      • ぽんぴい殿、

        >再び言っておくが、これ↑ は事実だよん 日本語って難しいか?

        「ぽんぴいの日本語」は難しい。このあいだからなんべんも読んでるがなにが言いたいのかちっともわからんわい。
        判ったら教えてつかわす。
        頭痛がしてきた。

  2. salubri says:

    ガメさん、こんばんは。
    記事を見て、「自虐史観」という物言いが登場した頃のことを思い出しました。
    歴史の見方や理解の仕方について、「自分たちの気分が良くなるか良くならないか」「自分たちのことを悪く言っているか否か」という軸が登場すること自体、私には理解不能だったのです。でも、マスコミや周りの人たちは、特に不思議に思わず受け入れているようで、いっそう混乱しました。
    自分たち以外を「親日」「反日」に必死で分類しているのと同じですね。本当に恥ずかしくてしょうがないけれど、疑問を挟むと吊るし上げにあいそうで恐いです。
    最近は、ナチスへの評価について「勝てば官軍」のようなことを言ってる人を複数回見ました。
    ものの見方が根本的におかしい気がしてなりません。

    一度は靖国に行って、亡くなった人々を悼みたいけれど、この時期は何かともめていそうです。もっと絶望して帰ってくることになりそうで、気が重くなります。

    「嫁」という言葉は、限りなく「家具」に似ていると思います。
    日本のような世界観では、人間は役割や機能にしか過ぎないので、個人の痛みや悩みや苦しみは根本的にどうでもいいのかもしれません。ひょっとしたら幸せすら、お仕着せの定型があるだけで、全員でがんばって信じようとしている幻でしかないのかも。
    せめて自分から、何が幸せでこの先どうなりたいのか、胸に問う習慣をつけていくつもりです。

  3. salubri 殿、

    >記事を見て、「自虐史観」という物言いが登場した頃のことを思い出しました。

    最近日本のネット上の「歴史論議」のばかばかしさについての話が英語の世界でも散見されるようになりましたのい。
    チョーシコイテやってると、そのうちまた原爆が空から降ってくるのとちゃうか、と思う事があります。
    得意になりすぎ、なんでねーでしょうかね。

    >「自分たちのことを悪く言っているか否か」という軸

    味方か敵か。
    で、話はわかったから、そのひと、敵なの? 味方なの? ちゅうことでしょーか。

    >ものの見方が根本的におかしい気がしてなりません。

    わしはいままで凝っと実験と観察をしていましが、国ごと狂っていると思います。
    極めて危険な国ですね。

    >一度は靖国に行って、亡くなった人々を悼みたいけれど、この時期は何かともめていそうです。もっと絶望して帰ってくることになりそうで、気が重くなります。

    誰もここの死者の事なんて考えてなくて「歴史」や「政治」にしか興味をもってやしない。
    靖国の英霊の呪いで国が滅びなければ、そっちのほうが不思議と思います。

    >せめて自分から、何が幸せでこの先どうなりたいのか、胸に問う習慣をつけていくつもりです。

    なんという良い考えだろう。

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