日本語の終わりに(0)—まずは序なんだぞ


一昨日の夜は12℃でたいへん快適であったのに今日はまた22℃という気温に戻ってしまったので、16℃くらいから22℃くらいまでのところにTシャツ一枚でいられる適温があるモニの機嫌はよくても、わしにはちょっと暑い。
いったいいつまでこのクソ夏は続くのだとぶつぶつ言いながら、屋根のあくクルマに乗ってここよりは少しは涼しい菅平に遊びに行きました。
ひとりで行った。
あっ、とーとーモニさんに捨てられたんだ、いえーい、とかと考えて欣喜雀躍してはいかむ。モニは母国を同じくするお友達がやってきたのでお友達と家では「バス」と呼ばれているドデカイクルマで出かけただけです。

モニが一緒に乗っているときは超安全運転だがひとりだと本性が出て坂をえらい加速で上がりながらときどきドリフトさせて遊んだりする。
ぎりぎりのラインを狙ってガードレールのない崖の向こうに落っこちそうになりながら際どいところで立て直して、うまくいったじゃん、けっけっけ、と喜びます。

道祖神のある森の入り口にクルマを駐めて散歩をした。
太陽の母上は相変わらず傲然と輝いているが、ここまで登ってくると空気は乾いていて風が冷たくて気持ちいい。
そんなことをゆっては日本人に失礼だが、いったいわしはこんなところで何をしているのだろう、と考えながら、クリーパーのある小川のほとりに仰向けに寝転んで青空を見上げます。

ロクでもない外国語を中途半端にいくつか憶えたので、頭の中が同時通訳たちがストライキにはいった国連委員会のようである。
日本語とロシア語はなかでも人間の感情を悲劇に導きやすい言葉だと思う。
そのことと両方の国民とも戦争ともなれば兵団がそのまま強姦者の集団となることとなんらかの関係があるだろーかと考えてみたり、やはり両国とも若い芸術家が剥き出しのセックス、しかも禁忌のセックスに傾きやすいことには関連があるかと考えたり、そんなわけはないと自分で自分のおもいつきを軽蔑したり、なんという心地の良い風だろうとあらためて思ったり、人間の心は野放しのままだと、なんて散らばっていて手が付けられないほどアナーキーなのだろうと考えました。

最近は、外国語に興味がなくなってきた。
いくら上手に書こうと思っても限界があるし、「紙やすりの目の立ち方」とでもいうべきものがうまく判らなくて、なんだか使い古したやすりの目みたいに語彙がのっぺらぼうである。たとえば「The Kindly ones」は英語国民がフランス語で書いた小説でしかも試みに成功しているが、乱暴なことをいうとフランス語と英語は似てるし。

まして日本語にはもうひとつ大きな問題があって、この4年間で日本語世界は猛烈にローカル化して田舎になってしまった。
ジェット機しかない時代になっているのに最も有効なプロペラのピッチの可変率を口角に泡を飛ばして論議するヒコーキ技師たちのよーだ、というべきか、錠型か皮革型かどちらの貞操帯がより有効か夢中になって研究している道徳家たちのようであるというべきか、どうゆえばよいか判らないが、どちらにしても浮世離れしてます。

こーゆーと怒るだろうが、もういまの時点で日本語を習得することには何に意味も無い。
スワヒリ語を学習することの十分の一、中国語を学習することの一万分の一も意味がないであろう。
日本人はかつて偉大な「近代文学」を持っていたが、(おもいきっていうが)もう日本語で書かれたものには「文学」と呼びうるほどのものはなくなった。
現代詩は吉増剛造の「オシリス、石の神」が最後の「白鳥の歌」だった。
小説も、これを言うと、すごおおおおく嫌な顔をされそうだが、天人の五衰と共に衰弱して寿命を終えたのである。

しかもわしは岡崎京子や他のいくつかの数の少ない例外を除いて「マンガ」はそれほどすぐれた表現を獲得したとは言えないと思う。
たぶん、あんまり表現の問題を考えた事がない編集者の影響力が強すぎたせいなのではないかと思うが、物語も月並みだし、何よりも表現に痙攣的な「ハッとさせるところ」がない。
アニメも、Spirited Away (また日本語題わすれた) や「トトロ」のジブリを例外として、ダサイにーちゃんやねーちゃんがクラスのなかで目立つ道具にする以上のインパクトをもっていたわけではないと思う。
むかし流行った文化で言うと本質的には欧州におけるアフリカ文化ほどのインパクトをもっているわけではない感じがする。
多分、その理由は、日本の「マンガ」や「アニメ」が常に緊張よりは弛緩を目指しすぎていて、芸術本来の痙攣的な興奮と緊張を与えてくれないからだと思います。
村上隆のように一見マンガアニメカルチャに属しているように見えながら、その実、それを梃子の支点にして世界に回し蹴りをくわえようという試みをする人が現れるのは、マンガやアニメがそれ自体ではのびきったゴムのような精神状態に陥った人間たちに受け入れやすい表現の形式である何よりの証左であると思われる。

漱石はすごいが、いまだに19世紀末から20世紀初頭に全盛期を迎えた作家が「すごい」のはたいへんな問題という見地もある。
実際いまの時点から見返ると荷風よりも漱石のほうが最近のひとであるように見えるし、たとえば大江のような作家は翻訳調を誇張して日本語の完成を拒絶してみせることによってかろうじて表現としての普遍性を獲得したりしなかったりするというまるで植民地文学のような手法をとっている。

日本語の地方語化が急速に進んでしまったとか、日本語の体系から再生産性があっというまに失われてしまったということはいろいろな人があちこちで述べていて自分でもブログやツイッタで何回も何回も述べたことなので飽きちまってやめることにして突然まったく違うケイレツのことを述べると、システムを評価するためにはメタシステムが必要なのである。
つまりひとつのシステムを評価するためにはその外側に場所を見つけてそこに腰掛けてほおづえをついて当該システムをじっと眺めてみるためのベンチが必要なのであって、日本語が衰弱した理由の大きなものは、そのメタシステムを日本人が失ってしまったことにある。
日本語文化は架空な西洋を長い間仮想的なメタシステムとして使用してきたが翻訳文化が単純に誤訳文化、しかもたいへんに恣意的な誤訳に基づいた誤訳文化だということがあまねく知れ渡るようになって以来、日本語世界からはメタシステムが失われてしまった。

いまでも「欧米では」というミソもクソも欧州も合衆国も一緒くたな杜撰な表現は生き残ってはいるようだが、いくら日本でも、いまになってマジメに欧州と合衆国が肩寄せ合っているような摩訶奇怪な世界観をもっているひとはいないだろう。

日本語は正に瀕死だが、メタシステムを意識にのぼらせる努力があればもしかするとまだ生き返る余地があるかもしれない。
もちろんそのためには翻訳というようなものやカタカナは抛擲されねばならないが、閾値を越えれば陰極に向かっていっせいに移動するゾウリムシのような際だった集団変化を示す日本人のことである。
案外と、必要が実感されれば一瞬でやりとげるのとちがうか、と考えます。

This entry was posted in 日本と日本人. Bookmark the permalink.

2 Responses to 日本語の終わりに(0)—まずは序なんだぞ

  1. ぽんぴい says:

    メタという概念を日本語で書き現そうとすれば、「メタ」とカタカナで書くしかないけんども、メタという概念は、「自己を失うところで自己を見る」という文章に直すことができます
    自己を完全に失うところまで自己が消え去らないと、自己が見え始めないわけです
    自己を失いながら、ゆえに失われていく自己を味わうことになります
    その、「消え行く自己を味わっている自己」のことをメタと言わないでしょうか?

    メタ(自分の中に発生し得る、自分とは関わりのない意識)ということが実現されるとき、人は死を体験せざるを得ない
    実際に死んじゃうという意味じゃないですけど、生きながらに、死を体験する という意味です
    そうなると、目の前にいる人がすべて自己のメタに見える
    マザーテレサが、「神はあらゆる形質を持って私の前に立つ」と言った言葉が、メタを巧く現してると思う(なあ)

    間主観対話の話↓

    ガメが独りで本を読んでいる。そこにモニが現われる。
    一体何が起きたか、、、、、

    ガメはモニの出現によって、孤独なガメではなくなり、「モニと一緒にいるガメ」に変容する。
    モニは孤独でいる時のモニではなくなって、ガメと一緒にいる時のモニに変身する。
    モニと一緒にいる時のガメが、ガメと一緒にいる時のモニと出会う。
    孤独な時のモニとガメは、一生出会うこと無く孤独なままだ。

    ここまでの説明、わかった?
    (返事はいりませぬ)

    • 親愛なるぽんぴい様、

      >ガメが独りで本を読んでいる。そこにモニが現われる。一体何が起きたか、、、、、

      そんなん起きることは決まってるやん。
      しばらく後の情景は本はカウチの下に落ちていて、モニとわしはたいへん幸せになっておる。

      さっきから5回くらい読んでるが、他のところは相変わらずさっぱり何ゆってるかわからんわい。
      過去のコメントをひっくり返してぽんぴい語を学んでくれるわ。

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s