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ごはんをめぐる冒険ーロンドン篇ー
たとえばきみがタイのプーケのようなところでプールサイドに寝転がっていて、偶々いあわせた、きみが何とはなしに合衆国人だと思い込んでいた見知らぬ英国人のにーちゃんに、「ぼくはロンドンにいたことがあるんだけど、それはそれは飯が不味かった」とゆったとする。 そうすると、英国人にーちゃんは、がばと身を起こして、嬉しげに、揉み手せんばかりの勢いでイギリスの飯がいかに不味いか、そもそも野菜の煮かたひとつとっても途方もないやりかたであって繊維など残らないほどぐつぐつぐつぐつぐつぐつぐつ永遠に煮込んで、それが供されるときにはくったりして野菜の死骸のようなものになっていることなどを熱情を込めて説明してくれるに違いない。 連合王国人は、一般に自分の国の悪口が好きです。 相手が好もしい人間であって知性があると判断した場合には、ごくごく嬉しそうに自国の悪口を言う。 相手がバカモノあるいは退屈な人間であると判断したときには、やんないけど。 バカというものは、こういう話を楽しめないで真に受けてしまうからな。 連合王国の飯が不味いことは連合王国人自身が認めている、とかマジメに言うことになる。 そういうひとは、たとえば日本人であれば「日本の食べ物は世界一おいしいと知っていますか?」と真顔で言う人と同一人であろうと思われる。 化外のひと、というのは、いっそ言葉を使わないでくれれば、どれだけ世の中の改善に資するだろう、と思います。 これを平たくゆえばアホは疲れる、ともゆえるな。 アホちゃいまんねん、パーでんねん。 ではイギリスの飯が美味いかというと、そんなことはねーよ。 不味いです。 それがどういう理由によるかはロンドンのマクドナルドに行ってフィレオフィッシュを頼んでみるとよく判る。 マクドナルドというものは便利なものであって通貨の実勢を見るのにも使えるし、食べ物の思想傾向を比較するにも最適です。 同じメニューでも国によって味が全然違うねん。 フィレオ・フィッシュ。 もともと美味いものとはいいかねるが、こんなに不味い食べ物だったとは知らなかった、ときみは噛みしめる一口ごとにしみじみ考えるであろう。 油はテレピン油のごとき油であって、しかもタラということになっているはずの白身魚は、なんとなく煮くたした石鹸のごとき状態である。 おまけにバンが乾いておる。 料理の腕、というようなものでなくて、思想が誤ってるのよね。 煮る、となると親のカタキのように煮ます。 連合王国人は鶏肉のまな板を別にする家が多いが、これは衛生上の理由によっている。 鶏肉=怖ろしげな黴菌の巣窟、なんでごわす。 だから中が微妙にピンク色であるくらいに調理された鶏肉の焼き物なんて、そんなおぞましいものくえねーよ、と思っている。 鶏肉は火事になるくらい焼いて表面のおこげを楽しむ。 インドネシアの人と考えが同じですね。 バナナの葉でくるんで焼く、向こうの調理のほうがずっとうまいが。 コシノ・ジュンコというデザイナーの女びとが生卵かけご飯を推奨していて、「家にやってくる英国人たちにもたいへん喜ばれました」と書いていたが、彼の女びとをデザイナーとして尊敬している連合王国人たちのひきつりまくった「喜んだ顔」が目に浮かぶようである。 日本の人でゆえば、そーですのー、豚の生の挽肉をご飯にかけて食べる感じ、ですかいの。 卵はバイキン大王ですもん。 そんなもん、生で食べるやつなんかおらん。 留学生とかチューザイさんとかでロンドンに何年か住んだ、という程度のひとびとがロンドンの料理屋でおいしい所に行き当たる、という事はまずないであろうと思われる。 えばって言うことではないが階級社会ですけん。 「階層」というような海草のごときへなへなとした本人の努力次第で上昇してゆけるものと違って「階級」というものは生まれてくるときにいきなりくっついてきて死んだ後でもまだついてまわる、という人間性というものをバカにしくさった要塞のごとき制度です。 連合王国は、で、いまだに「階級社会」なんだよ。 すごい。 いまどき「階級社会」をやってるのは連合王国とインドくらいのもんである。 インドではこそこそやっているが連合王国は大大的、おおっぴらにやっておる。 「上流階級」ちゅうようなもんは死滅しかけているが、まだあります。 … Continue reading
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大庭亀夫の具体的生活2
「あのおー、仕事の用事が出来たのでシンガポール行きたいんですけど」 「ダメです」 「2日くらいあればダイジョーブなんですけど」 「暑いから嫌です」 モニは日本で散々暑いめに遭ったので、もう空高く照りつける太陽は見たくないと思っているのだな。 「かっこいいプール付いてるとこでもダメ?」 「ダメ」 ここで交渉を終了してしまうとわしが折角思いついたむふふなプロジェクトもお終いになってしまうので、そーですか、とゆーわけにはいかむ。 「じゃ、5日間行くことにして3日間は全部一緒に遊ぶ約束で『豪華スイート!』なんちゃって執事サービス付きでリムジン貸し切りでも、ダメ?」 ニッとモニさんが笑っておる。 しめしめ、仕事できるやん。 ラッキー。 とゆーわけでシンガポールに行くことになった。 11月の初めでだいぶん先ですけどね。 10月の後半と11月の終わりに用事が出来てしまったのでいったんは早く帰る事にした十全計画日本遠征を、元の長さに戻すことにした。 でも考えてみると、用事と用事のあいだはどこにでも行けるわけだよ、と考えてウラジオストークに行くとかはどうだろうと思ったりしたが、結局、金を稼ぐ誘惑に負けてしまった。 下品です。 でも、くだらないこと思いついてお金稼ぐのが好きなんだもん。 これを趣味と呼ぶも可なり。 悪趣味だが。 シンガポールは、いまより一段上の繁栄の中心になりつつある。 先週の今四半期の発表ではGDPの成長率が32.4%だかなんだかで、きゃあ、だったが、そういう短期的な、きゃあ、を別にしても対岸のインドネシアが伸びてきたので、仲は悪くてもきってもきれない関係にあるシンガポールも自然それに伴う明るい経済手的展望をもっている。シンガポールの凍死家たちもだいぶん豪州からインドネシアに投資を移動させてきているようだ。北のマレーシアは、(そーゆーとマレーシア人は怒るに決まっているが)市場的にはもともとシンガポールの外郭のようなものなので、このマレーシアの経済成長もシンガポールの経済を後押ししていたが、インドネシアはなにしろデカイ国なので、伸びてきたときの迫力が違う。 シンガポール人たちはインドにも心理的に近いので、インドの事情にも明るい、というメリットがある。 現にわしがシンガポールに行こうと考えたのはインド事業のせいです。 えっ? どんな事業かって? 象の皿回しのフランチャイズでんがな。 メンドクサイので家は売らないことにして、義理叔父の友達の会社に管理してもらうことにしましたが、引っ越しをして移動させなければいけないものがいろいろある。 モニとふたりで部屋を点検して歩きます。 折角買ったので、わしはヘッドランプ http://www.pegasusassociates.com/led-head-worklight.html を頭に装着して完全装備で室内をチェックして歩く。 モニは、かっこいいオレンジ色の現場監督用のヘルメットをかぶってます。 そうやって家具を移動するべきかどうか、どのDVDや本を持ってゆくか、スクリーンはどうするのか、一日中家を探索して歩きました。 台所から始めて居間、寝室、玄関の靴、帽子(長い間どっかいっていたステットスンがここにあった)、クロゼットでは間違ってドアを閉めたら思わず条件反射が起こっていちゃいちゃしてしまったりして、なかなか楽しい午後でごわした。 モニがあんまりお腹が空いていないというので、夕飯はチーズがいっぱいはいったマカロニグラタンとオニオンスープをつくった。 昨日は朝まで遊んでいたので眠い。 寝椅子に寝転がって洲之内徹の本を読んでいたら、新潟の森の中の小さな小さな家の畳に寝転がって押し入れから出してきた絵を無言で眺めている「傷ついたひと」の鮮明な映像がふいに頭に浮かんできて涙が止まらなくなって困りました。 もうすぐこの国ともお別れなのだ。
Posted in 日本と日本人, 日本の社会
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大庭亀夫の具体的生活 1
朝、目がさめると、そおおおおーとベッドの、すやすやと眠っているモニと反対側にずりずりと移動して、シーツから抜け出て、しゅたっと床に降り立ちます。 そおおおーと、引き出しを開けて下着をつまみだして素早く音もなく履く。 このとき、間違って裏返しに穿くのがわしの数少ない特技のひとつだとゆわれているが、ここでは関係がない。 クロゼットに音もなく飛び込んでTシャツを着ます。 5枚10ドルで買った「I♡ NY」のこともあるが、プーケ島で買った「変人命」と漢字で大書されたTシャツのこともある。 「I’m Too Sexy To Be A Right Handed」と胸にでっかくプリントされたかっちょいい薔薇色のTシャツはわしの気に入りである。 膝までのパンツをはけば今日の亀夫の出来上がり。 ホールを斜めに移動して自分のヲタク部屋に入って完全防音の分厚いクソドアを閉めると両方とも30インチスクリーンにつながっている自分でつくったCoi7PCとMacBookProのスウィッチをいれる。 初めにアップルのかっこいい「ぽおおーん」という音がして、ちょっと遅れて、PCの「ぴっ」ちゅう間抜けな音がします。 このあいだまで使っていた15インチのMacBookProは、交換した三台目サムソンのクソ500G7200回転HDDが熱を出しすぎるのと、キーボード一面にぶっかけた赤ワインのせいで光センサーがぶち壊れたのを皮切りに、マイクロフォン、タッチパッド、おっことしたのでDVDドライブ、というふうにだんだんぐしゃぐしゃになってきたのでCoi7/17インチMacBookProに移行中だが、まだときどき15インチを使う。 iTunesの音楽を部屋の後ろにあるステレオに(AirPort Express Baseを使って)とばします。 ブログにも何度も書くように、中東と近東、アフリカやスペイン語圏の音楽が多いが、いまちょうどそうであるようにクラブミュージックが大音響でかかっていることもあります。 ツイッタの友達のシブイパフォーマー「切り取った耳」が聞いたら床にばったり倒れ伏して動かなくなりそうなKeishaやt.A.T.uも聴く。(観念のレベルをどんどん高めてゆきつつあるカッチョイイ「切り取った耳」への嫌がらせみたいことを言うと、HungoverとかNe Zhaleyとか結構オモロイねんで) 能楽の「井筒」が壁を揺らせる音でかかっていることもあれば、わしが最大に尊敬するマリア・カラスの高音が窓をカーテンを震わせていることもある。 壁には年中変わっている絵がいくつも掛かっている。 ロンドンやニューヨーク、サンフランシスコの知り合いの画廊主が集めてくれたものもあれば、モニが描いたアフリカ人風の絵もある。 叔父が会社が倒産して首をくくった社長が使っていたのを譲り受けてきた両袖机の上には、W.H.Audenのしわしわの顔がこっちを向いてまじめくさった顔をつくっている。 この頃はまた日本語をやっていることが多くなった。 午前中はたいてい日本語の本を読んだり資料を整理したりして過ごします。 もっともPCのほうには日本語でないフォーラムの窓が開いているし、ひどいときにはスカイプでガキンチョのときからのバカ友達と話しながら日本語ブログを書いている。 12時くらいになるとモニが目を覚ますので、台所に行って朝食をつくる。 広尾山には週に二回手伝いのひとがくるが、来ていても朝ご飯はわしがつくります。 モニは(ブログではなーんとなく曖昧にしていたが)英語圏での生活が長いので欧州式の朝食というわけにはいかない。 珈琲とフレンチトーストかトーストにポーチドエッグか目玉焼き。ベーコンにトマトかきのこの炒めたのをつける。 出来上がると、ベッドにもっていきます。 むかし、結婚する前に、朝ご飯をつくったら受けたのでそのまま習慣になった。 モニが朝食を食べているあいだベッドの横の椅子に腰掛けて話をすることもあれば、ひとりで本を読みたそうにしているときはさっさと引き揚げることもある。(モニは、わしと一緒にいると自分が笑い死にするのではないかとときどき真剣に心配になるよーだ) 午後はたいていモニとふたりで出かけます。 通りに出てタクシーをとめて、銀座や浅草、たいてい東京の東側に行く。 そーゆーところが、わしの異文化理解における甚だしくダメなところだが、食事や飲み物をとるのは、普通の店に行けばよいのに、外国人ばかりのクラブのようなところのほうが多いようだ。 普通の店は、鮨や日本料理にでかけても同じ決まった店ばかりでわれながら退嬰的だと思います。 … Continue reading
Posted in gamayauber
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汽笛一声
電車や地下鉄には殆ど乗らない。 生まれたのは都会だが前世は田舎のひとであったに違いない。 たくさんひとがいると、それだけでもう嫌である。 だからたとえば東京の地下鉄のように他人の身体が自分の身体に触れたりするのはとてもとても嫌です。 ところが今度はひとが少ない電車に乗ると索漠とした寂しい感じがする。 どっちみち気に入らないので電車や地下鉄には殆ど乗らない。 誰かと会ってその誰かが「地下鉄で行きましょう」というときだけしか地下鉄のようなものには乗ったことがないようだ。 ロンドンでもマンハッタンでも事情はぜんぜん変わりません。 地下で徘徊するひとびとの事を思うと足裏がもぞもぞするようであるが、しかし、だからとゆって他人に地底を百鬼夜行するのはやめなさいとはゆえないので、やむをえず我慢する。 ときどき地下鉄のときならぬ轟音が聞こえたりすると内心癇癪を起こすが、わしは礼儀正しい人間なので特に口に出したりはしません。 寛容な温容を浮かべて静かに交差点に立っている。 あたかも地底にはひとなきがごとくである。 そもそも日本の電車は嫌がらせのような車両の小ささなので特にデコにおいて危険極まる。ちょっと油断すると激しく頭を出口やなんかにぶつけることになる。 雨が降っているときにはものすごい臭いがする。 一度義理叔父と広尾から午前中の日比谷線に乗って、乗り込んだ途端に魚の臭いで即死しそうになったこともあります。 恵比寿までだからまだ良かったが、もうひと駅乗ったらあぶなかった。 オウム真理教のひとびとは、この魚ガス攻撃からヒントを得たのではないかとマジメに考えました。 第三回日本遠征の頃は鎌倉の家にいることも多かったので、ときどき横須賀線に乗った。 家をだいたい12時くらいに出て、改札口から鉄砲水のように押し出してくる雲霞のごとき観光客のおじちゃんやおばちゃんの頭突きを胸の辺りにくらいながら逆行してプラットホームに立ちます。 二階建ての航空機のエコノミーシートより小さなクソ椅子に座って足を縮めながら55分立つと東京駅に着く。 目の前にこれもヒコーキのエコノミーシートと同じトレイが折角あるので、水筒の紅茶とビスケットをトレイに並べて本を読みながらゴトトンゴトトンと揺られていると自動的に目的地に着く、というのはそうそう悪くなかった。 検札に来るねーちゃんたちも親切であって、気持ちの良いひとたちでした。 あとであの礼儀正しいハニカミ屋の車掌のひとびとが何人も車内で強姦の被害にあったと聞いてたいへん惨めな気持ちになった。 日本は女びとにとっては治安などないに等しい国であるとしみじみ考えました。 そうやって自分では電車をあまり愛好しているとは言えないが、日本の鉄道文化は素晴らしいと思う。 この世界には鉄道を運行するのが好きな国民、というものがあって、不思議の国のアリスのウサギみたいな時計狂人集団のスイス人を筆頭にインド人や日本人は、どういうものか、鉄道が好きなようだ。 こう言うと「連合王国人もそうではないか」と言うひとがいそうだが、そんなことはないねん。 テニスを発明したのにコートではアフリカンアメリカンの爆発的なサーブがコートの隅に決まるのを不動の体勢で見守り、ゴルフを創始したのであるのに懶惰な浮気のついでにゴルフ場にあらわれた虎林さんに軽くひねられるのとほぼ同様のなりゆきによって、鉄道を初めに敷設したのは連合王国人だが、あとはあんましマジメにやっているとはゆわれない。乗ってみればわかります。 あるいは合衆国ではアップステートの友達の家からマンハッタンに戻るのにアムトラックで帰ったことがある。 ただの地べたと変わらん駅のホームに立って時刻表を見ると「上り 午後3時23分着」と書いてあります。 おー、アメリカ人もパンクチュアルの美徳に目覚めたのだな、と納得して「23分」というその数字の精細さに痺れながらわくわくして待っていると、実際に列車が到着したのは午後3時40分であった。 乗り込んでから隣り合わせたおっちゃんに、23分て書いてあるのに遅れよった、とゆったら、おっちゃんは腹を抱えて笑いながら、あれはただの目安だがや、と言う。 目安で、見栄をはるなよな、とぶーたれました。 そこへゆくと日本の鉄道運行は神業のようで、山手線などは朝のラッシュアワーの時刻表というものが存在しない。 「1〜2分の間隔で来ます」と怖ろしいことが書いてあります。 アイルランドから東京にやってきたかーちゃんシスターの友達のFさんは、その日就職した日本の電機会社への出勤初日だった。 80年代の沸きかえるような東京のエネルギーにFさんは、すっかりコーフンして、日本風にシブク決めたスーツ姿もかっちょよく、大崎の駅のホームに立った。 駅のスピーカーががなりたてる訳の分からん騒音のなかを緑の山手線が文字通り滑るようにはいってきます。 ところが、乗ろうとして電車を見ると、直前に事故か何かがあったらしく電車はすし詰め満員である。 まだ十分時間があったのでFさんは次の電車を待つことにした。 … Continue reading
日本語の終わりに 2
コメント欄に「Kuichi」さんが、むかしの小説家について書いている。 「昔の作家は『書きたいものを書く』という点が徹底していて、それが売れようが売れまいが『わからない人にはわからなくて構わない』という姿勢を貫いているような気がします。」 というのです。 「昔の作家」がほんとうにみな書きたい物を書いていたかどうかは判らないが、むかしの「もの書き」は並の人間には想像もつかない大インテリがなるやくざだった。その伝統には欠陥があったが、いまのような健全な職業人としての作家になってから作品の質は低下したと思います。偶然の暗合か必然か判らないが、そう見える。 世の中に「正しいこと」や「正義」の側に立って何事かを話す「作家」ほど興醒めなものはないが、過去の悪びれてけれんたっぷりの「作家」たち-たとえば太宰治や坂口安吾-が散々つくりもののポーズを売りつけた反動で、日本では、だいたい大江健三郎くらいからいまのようなスタイルになった。 大江健三郎が「価値紊乱者」を自称した石原慎太郎のようなモデルチェンジしてデザインだけが変更された旧式な無頼漢路線の小説家と抱き合わせで登場したことは偶然ではないと思えます。 その背景にはもともと「食えない職業」の代表であった「作家」が60年代から「当たれば食える」職業に変化して70年代を通じては三島由紀夫のようにたいへんな高収入をあげる「純文学作家」が登場するようになったからでしょう。 その経済的地位の変化は戦前の「円本」刊行による第一次の作家の経済的立場の改善より遙かに大きかった。 北杜夫や遠藤周作のような地味な物語作家たちも、副業のようにしてエッセイを書くことによってすさまじい高収入をあげていた。 同世代のサラリーマンの年収の何十倍、という稼ぎかただったようです。 内田百閒や、比較的最近のひとでは山本夏彦は、「作家がまじめに仕事をしていれば、自分の作品を理解している読者の数は300人くらいである」と言っている。 日本にいるあいだに、「300人」という言葉を思い出しながら出版された本と反応を観察していましたが、いまは多分「200人」というくらいではないかとわしは感じます。 ある作家が何かを書いて、それがストレートに伝達される人間が300人もいた、というのは日本文学が幸福な環境にあった証拠で、そもそも、どうしてこんな特殊な言語で世界から隔離されたような言語世界なのに「近代文学」が成立したか、というヒントになる。 抜きんでて才能のある小説家がいたとして、その小説家が書くことをそっくり読み手の精神が理解できる、という幸福なケースが300もあれば、本は10000部売れるでしょう。同じように、経験則は、そうやって読み手に観念の高みが必要とされる本が1万部売れる社会では100万部のベストセラー(たいていは本の中身はゴミに近い内容だとしても)が売れる社会であると教えている。 日本というかつての「本の国」がどうやって出来たか、ヒントになる数だと思います。 批評など書くつもりは全然ないので、日本語とつきあい始めてからオモロイと考えた明治以降の作家をだらだらと並べて見ると、 北村透谷 二葉亭四迷 与謝野晶子 夏目漱石 山村暮鳥 内田百閒 萩原朔太郎 三好達治 谷崎潤一郎 三島由紀夫 西脇順三郎 瀧口修造 鮎川信夫 田村隆一 岩田宏 岡田隆彦 吉増剛造 ちゅうようなところでしょうか。 ひとによっては「詩人が多いなあ」と思うでしょうが、わしは日本の近代文学は詩のほうが散文よりも遙かにすぐれていると思っている。 国民性というような事よりも江戸時代には詩よりも遙かに散文のほうが優勢であったことを考えると、日本の近代が「現代日本語」をつくるのに失敗したことが原因として最大でないかと考えます。 今の世界で普遍的な「文学」と呼べるほどのものをもっている言語のなかで日本語は最も発語しにくい言葉だと思う。 ひとつには煩雑な「敬語」のせいがあるでしょう。 英語という言語はなにしろいまでもバリバリの階級社会をやっている社会で生まれて育った言語なので極度に敬語が発達した言葉です。 大陸欧州語のように人工的な敬語の体系でなくて歴史のなかで形成された厄介極まる敬語表現がたくさんある。 … Continue reading
Posted in 言語と習慣, 日本と日本人, 日本の社会
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日本語の終わりに 1
ストランドにずっと行ってないからマンハッタンにはどうしても寄らねばならない。第一チェルシーのアパートにもう2年戻っていないわけで、このあいだ貸した人がどのくらいちゃんと使ってくれたか判らない。 パリにも暫くいたいでしょう? ガメが行きたければ行ってもいいが、わたしはあんまり興味がない。 興味がない、って、モニさん、突っ張ってるだけで本当は少しは自分の国に帰りたいんちゃう? わたしは自分の国にはたいした興味がない。 この頃はモニとわしは来年の話ばかりしている。 日本遠征が終了したので、モニとわしは前にもまして時間の余裕がある。 どこにでもいけます。 アマゾンの奥地へ出かけたり、オーストラリアの西の海で沈没船を探検してもよいが来年はまだノーマッドはノーマッドなりに「自分の家」があるところを巡りたい。 ラミュエラの新しい家は真剣に居心地がいいので、まっさきにそこに帰るのでなければならない。 三ヶ月くらいは、そこでごろごろして暮らすでしょう。 それからモニとわしは旅に出る。裏祖国にも用事がたまったので欧州にも3ヶ月くらいはいなくてはならないが、それでも半年余るので、そこは全部ふらふらして過ごします。 ふたりで額を寄せて、というかサイドバイサイドに座っているのでホッペを寄せて、旅行の計画を練ります。 世界一周航空券は年年値上がりして3年前はひとり60万円ちょっとだったのが90万円を越えるようになってしまった。 でも行きたい所を一筆書きにしないで航空券を二枚に分けて買うと、140万円になってしまうので、やっぱし世界一周航空券のほうがいいのお、と考えます。 モニもビンボな冷菜凍死家との結婚生活に馴染んだのでビジネスクラスでもダイジョブなよーだ。 わしはドドドドケチなのでたいへん喜ばしいことだと思ってます。 あと5年くらいも我慢してくれると嬉しい。 えっ、エコノミーで行けエコノミーで、というひともいるだろうが (実際、わしの年長の友人の合衆国人大富豪は長年エコノミーしか乗らなかった)、あれは、わしは入らないんです。 デカイんだよ、わしは。 デブちゃいまんねん。 縦に長い。 横にも張り出しておる。 世界地図を広げてふたりで、あーでもないこーでもないと話して、モニと一緒に寝室にでかけて、いちゃいちゃもんもんしたりして、寝かしつけてしまうと、わしはひとりで自分の部屋に戻ってくる。 ベンキョーをしていることもあれば、ツイッタをすることもある。 PCゲームに狂い出すこともあるし、カウチに寝転がって本を読んでいるときもあります。 ふつーのひとと同じですのい。 ふつーのひとと違うのは、ツイッタを日本語でもやるところで、そうやって日本語遊びに耽っていると、わしは日本語が好きなんだな、としみじみ思うことがある。 ふつーに認めちゃえば、と思う。 日本語、好きなんじゃん。 わしが好きな日本語はいまの日本語ではない。 それは北村透谷の日本語であり、夏目漱石の日本語であって、せいぜい近くても鮎川信夫や岡田隆彦、西脇先生や田村隆一の日本語です。 事実はどうだか判らないが、わしの頭のなかでは日本語はそこで行き止まりになっていて、そこから先には道がないことになっている。 わしはもともと「本を読むのが人生なのよ」みたいなものなので、本はいっぱい読んでいる。日本語の本もこの5年で、ホラだと思うに違いないが3000冊は読んでいるでしょう。英語を二冊読めば必ず一冊は日本語を読む、というふうにしていたので必ずそのくらいは読んでいるはずである。 ここから先はうまくゆえないに決まっていることを言おうとしているだけなので、文章になるかどうかも判らないが、わしが日本語でもっとも興味があったのは「何だかさびしいような言葉」であったことでした。 「木霊」なら木霊という言葉ひとつとっても、日本語は、シンボルのなかでも寂しい。 しかも明晰を故意に排しているようなところがあって、ひとつひとつの語彙の意味のなかで、いままでに死んだたくさんのひとびとの呟きや囁きや悲嘆が昇華されないまま積もってしまっているようなところがあります。 このあいだ日本語で神の話をする必要があったので、日本語で考えてみたら「信仰」とfedeは全然ちゃうやん、と思った。 そう考えながら、ふとツイッタを見ると、十年間イタリアのど田舎に住んでイタリア語だけで暮らしているうちに頭がイタリア語になっているすべりひゆがまったく「fede」と言っていたので、ああやっぱし判るねんな、と考えました。 西欧語は言語そのものに神様の都合がすみずみまで行き渡っているが、日本語は違うようだ。 … Continue reading
Posted in 言語と習慣
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