汽笛一声


電車や地下鉄には殆ど乗らない。
生まれたのは都会だが前世は田舎のひとであったに違いない。
たくさんひとがいると、それだけでもう嫌である。
だからたとえば東京の地下鉄のように他人の身体が自分の身体に触れたりするのはとてもとても嫌です。
ところが今度はひとが少ない電車に乗ると索漠とした寂しい感じがする。
どっちみち気に入らないので電車や地下鉄には殆ど乗らない。
誰かと会ってその誰かが「地下鉄で行きましょう」というときだけしか地下鉄のようなものには乗ったことがないようだ。
ロンドンでもマンハッタンでも事情はぜんぜん変わりません。
地下で徘徊するひとびとの事を思うと足裏がもぞもぞするようであるが、しかし、だからとゆって他人に地底を百鬼夜行するのはやめなさいとはゆえないので、やむをえず我慢する。
ときどき地下鉄のときならぬ轟音が聞こえたりすると内心癇癪を起こすが、わしは礼儀正しい人間なので特に口に出したりはしません。
寛容な温容を浮かべて静かに交差点に立っている。
あたかも地底にはひとなきがごとくである。

そもそも日本の電車は嫌がらせのような車両の小ささなので特にデコにおいて危険極まる。ちょっと油断すると激しく頭を出口やなんかにぶつけることになる。
雨が降っているときにはものすごい臭いがする。
一度義理叔父と広尾から午前中の日比谷線に乗って、乗り込んだ途端に魚の臭いで即死しそうになったこともあります。
恵比寿までだからまだ良かったが、もうひと駅乗ったらあぶなかった。
オウム真理教のひとびとは、この魚ガス攻撃からヒントを得たのではないかとマジメに考えました。

第三回日本遠征の頃は鎌倉の家にいることも多かったので、ときどき横須賀線に乗った。
家をだいたい12時くらいに出て、改札口から鉄砲水のように押し出してくる雲霞のごとき観光客のおじちゃんやおばちゃんの頭突きを胸の辺りにくらいながら逆行してプラットホームに立ちます。
二階建ての航空機のエコノミーシートより小さなクソ椅子に座って足を縮めながら55分立つと東京駅に着く。
目の前にこれもヒコーキのエコノミーシートと同じトレイが折角あるので、水筒の紅茶とビスケットをトレイに並べて本を読みながらゴトトンゴトトンと揺られていると自動的に目的地に着く、というのはそうそう悪くなかった。
検札に来るねーちゃんたちも親切であって、気持ちの良いひとたちでした。

あとであの礼儀正しいハニカミ屋の車掌のひとびとが何人も車内で強姦の被害にあったと聞いてたいへん惨めな気持ちになった。
日本は女びとにとっては治安などないに等しい国であるとしみじみ考えました。

そうやって自分では電車をあまり愛好しているとは言えないが、日本の鉄道文化は素晴らしいと思う。
この世界には鉄道を運行するのが好きな国民、というものがあって、不思議の国のアリスのウサギみたいな時計狂人集団のスイス人を筆頭にインド人や日本人は、どういうものか、鉄道が好きなようだ。
こう言うと「連合王国人もそうではないか」と言うひとがいそうだが、そんなことはないねん。

テニスを発明したのにコートではアフリカンアメリカンの爆発的なサーブがコートの隅に決まるのを不動の体勢で見守り、ゴルフを創始したのであるのに懶惰な浮気のついでにゴルフ場にあらわれた虎林さんに軽くひねられるのとほぼ同様のなりゆきによって、鉄道を初めに敷設したのは連合王国人だが、あとはあんましマジメにやっているとはゆわれない。乗ってみればわかります。

あるいは合衆国ではアップステートの友達の家からマンハッタンに戻るのにアムトラックで帰ったことがある。
ただの地べたと変わらん駅のホームに立って時刻表を見ると「上り 午後3時23分着」と書いてあります。
おー、アメリカ人もパンクチュアルの美徳に目覚めたのだな、と納得して「23分」というその数字の精細さに痺れながらわくわくして待っていると、実際に列車が到着したのは午後3時40分であった。
乗り込んでから隣り合わせたおっちゃんに、23分て書いてあるのに遅れよった、とゆったら、おっちゃんは腹を抱えて笑いながら、あれはただの目安だがや、と言う。
目安で、見栄をはるなよな、とぶーたれました。

そこへゆくと日本の鉄道運行は神業のようで、山手線などは朝のラッシュアワーの時刻表というものが存在しない。
「1〜2分の間隔で来ます」と怖ろしいことが書いてあります。
アイルランドから東京にやってきたかーちゃんシスターの友達のFさんは、その日就職した日本の電機会社への出勤初日だった。
80年代の沸きかえるような東京のエネルギーにFさんは、すっかりコーフンして、日本風にシブク決めたスーツ姿もかっちょよく、大崎の駅のホームに立った。
駅のスピーカーががなりたてる訳の分からん騒音のなかを緑の山手線が文字通り滑るようにはいってきます。
ところが、乗ろうとして電車を見ると、直前に事故か何かがあったらしく電車はすし詰め満員である。
まだ十分時間があったのでFさんは次の電車を待つことにした。
ところが、次の電車も超超満員であって髪を振り乱した女の会社員がドアのガラスに顔をぴったり押し付けてほっぺが鮨屋の水槽のアワビの足のようである。
Fさんは怖じ気をふるってもう一台待つことにした。
日本人であるきみは判るであろう。
別に事故のせいじゃないのよね。
いつものふつーの朝の満員電車なのだったが事前調査が不足していたFさんは、そうと気付かなかったのです。
Fさんは待った。
次の電車も、そのまた次の電車も、次もその次も…結局Fさんは30分ほどホームに立ち尽くしたあと、今日が初日の新品パリパリの定期券をとりだして、さっき通った改札を通って家に帰るとお昼まで泣いていたそーである。

自分の一生で、あんなに怖かったことはなかった、とFさんはひとつ話にして笑いますが、それを怖がっていては生きていけない社会、というものは、やはりFさんが感じたとおり、あるいは感じたのとは違うところで、真に恐怖すべきところがあるのかも知れません。

電車に毎朝乗る暮らしでないと「真の日本の姿」などわかるわけはない、と自分でも思いますが、やなものはやだもんなあー、と考えているうちにもう日本を発つときが迫ってしまったわしは、せめて「鉄道唱歌」でも記憶して罪滅ぼしにしようか、と考えているところです。

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One Response to 汽笛一声

  1. ヒロシ先生、

    >日本がガイジン用に使わせてくれる JR Pass はありがたい。

    ジャパンレールウェイパスはすべての「ガイジン」の希望の光だからな。むかしは日本にやってくる観光客に救済の光をなげかけてくれるものはジャパンレールウェイパスと自動販売機の缶コーヒーとカップヌードルだけであった。

    でも、あれて、かーちゃんシスターみたいに、「長期ビザをもっている外国人」は買えないのよね。義理叔父は買える。
    ひどい、とゆって怒ってました。

    わしも駅自体は好きですのい。アップステートから戻ってくるペンステーションの周りもオモロイが、構内を見渡す席で珈琲を飲むにはグランドセントラルのほうが楽しい。
    連合王国の駅はぼやぼやしていると爆弾で死ぬので、のんびり珈琲のむきにはなれん。

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