Monthly Archives: November 2010

ラナウェイズ

このブログを書き始めてからの5年間11回の日本遠征期間中に日本は大きく変わった。 半年くらい日本をあけてやってくると、その度にびっくりするほど静かになっている、という繰り返しだったのは同じだが、「変わった」のは日本で知り合いになったひとびとの方である。 もっとも大きな変化は、「日本から出て行くひと」が多くなったことで、これは初めの頃の頑迷なほどの「日本にいることへのこだわり」から考えると同じひとたちとは思えないくらい違う。 5年前は、ふつうの、たとえばニュージーランド人なら、ここまで政府や国家が怠慢ならばさっさとオーストラリアやカナダ、合衆国、というような他の英語国に引っ越してしまうのに何故日本人はそうしないのだろうか? と訊くと、「英語の壁が高いのさ」とか「なんだかんだいっても日本は日本人にとってはいちばん居心地がいいんだよ、ガメには判らん」とゆっていたのが、きっと懸命に考えた結果なのでしょう。 みなが示し合わせたように日本をでてゆく。 国の金で外国に留学に行くと、国に戻ってきて国家のために働く、という約束をしなければならないが、そういう約束で出かけても、たとえば合衆国の大学が「違約金」に当たるものを本人に代わって支払うことによって日本に戻ってこない、というのはよくある。 大学院を卒業して日本の会社と合衆国の会社の両方からオファーがあると、一も二もなく合衆国のほうを選ぶ。 こういう友人達は「日本では自分がやろうと思っていることをやらせて貰えないから」というのが理由です。 言葉を変えると、「年寄りが権力を握っていて、その年寄りがバカだから」と翻訳される。 話していて、例として多かったのはT芝ならT芝に呼ばれてゆくと「きみたちのような特別に優秀な人間は会社のほうでも考慮して4、5年で責任ある部署で自分の宰領で事業を取り仕切られるようにしますから」とゆわれる。 一方で、タダファーストクラス航空券が送られてきて「うちの会社を見においでよ」よゆわれて出かけたシリコンバレーの会社では「はいったら直ぐ、○○の事業をXX予算でやってね」とゆわれるので、T芝の担当者は気が付かなくても、聴いているほうは比較の問題として「T芝に行ってもしょーがないよね」と思う。 あとはシリコンバレーに行くと九段下の行きつけのラーメン屋に行けなくなる、とか、合衆国に行ってしまうとガメから直々に教わったチンポコ潜水艦が温泉でやれなくなってしまうではないか、とかいろいろ考えて煩悶するが、結局は仕事上のやりたいことがやれるということを優先してシリコンバレーに行ってしまうもののよーである。 あるいは青山のカフェのねーちゃんが突然テーブルの客の世話をぶちすててモニとわしのほうに走り寄ってくる、何事ならむ、とおもっていると、満面に笑みを浮かべて、「ガメさん、モニさん、来年はねええええー、ニュージーランドであえるよおおお」という。 まず手始めにワーキングホリデービザでニュージーランドに行って2年に延長して英語をおぼえながら就職先を探すのだ。 このあいだまで、ええええーニュージーランドって、歩いている人がみいいいんな英語はなしてるんでしょう? そんな怖ろしいとこ、よういかんわ、とかゆっていたではないか、というと、「だって、ここの会社の社長も店ごとオーストラリアに移す、ってゆーんだもん」と言います。 「先行きが、ないんだよ、日本は。ガメみたいに気楽にしていると日本じゃワカモノは食えないのだ」 ..そーですか。 鮨屋のにーちゃんはシンガポールに移住し、髪結いのUちゃんはロスアンジェルスに引っ越してしまった。 なんだか、みな機会さえあれば外国へ移り住んでしまう。 むかし「日本には競争がない」と書いたら、「日本人が競争社会で必死で戦っているのに、何という事を言うのだ」と書いてきたおっちゃんがいたが、では具体的に日本社会のどこに競争があるかというと何も具体的には書いてこないのでした。 実際の戦争が銃や他の現代兵器によって戦われているのにカラテの型の完璧を競って「競争」と銘打っているのが日本の競争である、と書いたのに、「大学受験は効率の良い人間の選別方法である」と書いてくる。 椅子の上でずるっこけてしまう。 細かい事を省いて日本型の大学入試はセンター試験が導入されて二次試験と組み合わされる前には一応の意味があった。 入学試験が延々と延々と筆記して設問に答える体裁の頃には、受験者と採点者のあいだで一種の「知的能力を試す面接」が行われる、という機能があったからです。 わしは日本の大学の入試問題を解いてみたことがある http://bit.ly/hRb60c が、問題が大時代で笑ってしまうところがないとはゆえないが高校生の知的能力を試すには比較的に良い問題であったのをおぼえている。 問題は、ああいうタイプの問題がセンター試験のように選抜思想がまったく異なる試験と組み合わされていることで、センター試験のような試験は問題の程度を見ると「これが出来ないようでは大学にはいってから教育によって向上する見込みがないから諦めなさい」という試験であって、あれで高校生を選別するなら合衆国の大学のようにシゴキに近い新兵教育がなされるのでないと、どうにもならない。 社会に出てからは、まず性別が女であると、ドアが全部閉まっていて、あちこちうろうろしてみてドアをがちゃがちゃやってみても、開いているのは「結婚」と名前が書いてあるドアだけです。 その他のドアについては、「日本の社会のドアっちゅうのはチン○ンが鍵になっているから、あれがないとどこにも行けない」というドアを開けるところを思い浮かべるとすごく痛そうな比喩を使う日本人友達がいたが、ま、見ているとその通りで、産まれてこの方鍵をもたされていないほうも良く事情を知っているから、医学部を出て勤務医をやっていても寿退職をしたりする。 甘木医科大学では一学年120人の卒業生のうち30人が専業主婦、というジョーダンみたいな学年があるそーです。 離婚になったら眼科か皮膚科だし、というので、わしは日本では眼科と皮膚科にかかるのは熟慮を要するであろう、と考えました。 「競争がない」というのに現実に語弊を感じるのであれば、「競争の基準がヘンである」と言い直しても良い。 会社への忠誠が社内での滞在時間で決まったり、「人柄」で出世されるのでは、「競争」という言葉が泣くであろう。 そうやってなんだかヘンテコな競争を繰り返しているうちに日本の社会からは「生産性」というものが失われてしまった。 わしが知る限りでいまの日本に最も類似する歴史上の社会は崩壊寸前のソビエト連邦です。ニューヨークのクラブで、わしは元KGBでいまは国連広報で働いているおばちゃんから、モスクワ大学を卒業、というソ連ではトーダイ卒の千倍くらい馬力があるステータスをもちながら結局は合衆国に亡命するに至る物語をわくわくしながら聴いたが、その背景をなすソビエト連邦の国民の不満に答えるための社会保障にこだわりすぎて社会の生産性がみるみるうちに損なわれ、最後になると価値が100の材料から80くらいの価値の物品が生産される、という笑えないマンガのような社会を体現するに至った共産主義というものの痛ましさの強い印象をいまでもよくおぼえている。 ソビエト人も最後の瞬間までまったく危機意識をもたなかった。 財政的には当時「世界の金の半分をもっている」とゆわれていた金を市場で投げ売りして常に危ない所を逃れていたからです。 しかし、ある日突然「ガソリン」というものが街から姿を消してしまう。 このころ東欧で突然民主化運動が爆発的に表面化したのにソ連が戦車を派遣して弾圧しなかった事が世界中を訝らせたが、その理由が「戦車を走らせる軽油を買う金がなかった」からなのは、いまでは有名です。 … Continue reading

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Hurdy Gurdy Man

人形町に行った。 わしの趣味であるよりはモニの趣味です。 むかしの江戸風な趣が残る裏路地や店構えが好きなよーだ。 脇路地にはいりこんでは写真を撮っておる。 モニが忙しく写真を撮っているあいだ、わしは、ぼけえええーとしてコーヒーを飲みながら立っておる。 子供の時に、ここにもかーちゃんと一緒に寄ったよなああー、とか、あの「雲井」という店で生まれて初めて「どら焼き」を食べたら不味かった、とか、いつもと同じ、そーゆーくだらないことを考えながら待っている。 「ガメ、終わったぞ」という声がすると、次の路地に移動します。 日本語を勉強するひとたちのなかには、ずいぶん日本に惚れ込んで日本狂いみたいになるひともいるが、わしは、そーゆータイプではないよーだ。 醤油が好きになれない、とか、ラーメンてどこがおいしーいんじゃ、とかそーゆーこともあるが、アニメもマンガもほんとうには好きになれないで終わってしまった。 アニメはジブリが好きであって、「となりのトトロ」や何回調べても日本語の題名が頭にはいらない「Spirited Away」を何回も観た。 「火垂るの墓」の冒頭のナレーションを映画の歴史に残る素晴らしい独白と感じます。 マンガでは、なんとゆっても岡崎京子が偉大であると思いました。 カウチでごろごろして、Tim Tam  http://en.wikipedia.org/wiki/Tim_Tam   を食べながら、「パタリロ」や「伊賀の影丸」を読むのは楽しかった。 でも、そーゆーことも、要するに「よそごと」であって、なんとなくほんとうに身に付いたものにならない。 たとえば、Keshaが「Where’s my coat?」「Where?」と酔っ払ってつぶやくと、その馴染み深い可笑しさのほうにすぐ引き寄せられてしまう。その瞬間、(うまくゆえないが)するっと、自分が生まれて育った世界にもどってしまいます。 夢からさめたひとのように、と言えばいいだろうか。 「ガメちゃん、畳の部屋に住まないとダメだよ」とゆわれながら、一歩ドアを開けて入れば、友達に、「いまどき西洋国でも靴くらいぬぐやん、ひでーな」とゆわれる、まったく自分の国と変わらないアパートに住んで、スペイン式のコーヒーテーブルや、世界でいちばん座り心地の良い連合王国製のカウチ、モニの国の台所用品、日本のかけらもない生活であった。 わしは「頑張る」「無理をする」というようなことが、なによりも嫌いなので、特に日本に馴染もうとおもったこともなかった。 一応、日本遠征でやろうと思ったことをやりながら、まったく自分の国と同じやりかたで暮らしてきたのでした。 (ははは。ゆってしまった) 嫌なこともあった。 なにより嫌だったのは「立ち小便」で、ゴルフクラブを脇に立てかけて軽井沢の小径で用を足すひと、高速道路の脇にクルマを駐めて(!)、コンクリートにおしっこをひっかけて満足げなひと、秋葉原の駅の真ん前で舗道の灌木に向かってやっているひともいた。 犬さんよりもひどい。 わしは、これが日本にいていちばん嫌なことだった。 あとは、食べ物を食べるときにひとびとが発する異様な音であって、くちゃくちゃ、というか、べちゃべちゃ、というか、あの凄まじくも嘔吐感満点の音のせいで。モニとわしは外食をする場所がクラブ他、少数の場所に限られてしまった。 舌鼓、に至っては、嫌がらせのダメ押しでやってんのか、こら、と立ち上がって怒りたくなるほど気味が悪かった。 そーゆーことに較べると、(あたりまえだが)、立派な高速道路の制限時速が60キロであったり、やたら「見えない税金」がいろいろなものにかかっていたり、若いひとたちの給料がびっくりするほど安くて40代以上にばかり手厚い給料の体系や、議論もくそもない粗雑な頭の「言論人」も、ほんとうは、「腹がたつ」というようなことはなかった。 なんだか、気の毒な感じがしただけである。 考えてみると、かーちゃんシスターがギリオージ  http://bit.ly/di17TZ   と結婚しなければ、わしと日本のあいだにここまでの縁は出来なかった。 かーちゃんシスターとギリオージのあいだに出来たガキは、わしのマブダチであって、ふたりガキは、あるいはニュージーランドの野原を意味も無く走り回り、トンブリッジウエルの細い径を「月おやじ」の視線の追究を避けて潜行し、ロンドンのクソ公園を肩を並べて馬に乗ったものであった。 だから日本に興味をもった。 … Continue reading

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コメントへの返信11月19日

b_caramelどん、 Kuichiどん、 Nenagaraどん、YesNoBuTさん、 b_caramelどん、 また会えたのだな。わしはワガママで折角探してくれているときでも、へーきで蹴っとばしてしまうので驚いたであろう。徒党が嫌いな人間というのはいるのだ、ちゅうことで、許してくれ給え。 >アメリカ、というカテゴリーの記事を読んでいたら、 wordpressのカテゴリてちゃんと出来てないので、まだぐじゃぐじゃなままなのでカテゴリは「十全外人文庫」で古いのは読んでけろ。そのうち新しいほうも整理します。 >「I miss you」 I miss youっち、英語英語した表現ですのい。当然、ここにあるはずのものがなくて寂しい、という意味。わしの好きな言葉のひとつであると思う。 日本語には表現そのものがないのではないだろうか。 ブログはいつまで開けておくかわかんねーが、メールを出しておくだで、ブログがしまったらそっちで連絡しておくんなまし。 Kuichiどん、 >考えてみると、ガメさんに何か起こっている時に限ってネットの世界から離れてるような気がします。いつも、終わった後に気付くのでどうもタイミングがずれてますね。 横で見ていたひとびとによると佐藤亜紀さんが、「サル」(当然はてな市民のA○○manのことだすな)についてのわしの囀りを誤解した結果だそーだが、なんのこっちゃ。 友達達がなりゆきをすっかり面白がっておるよーだ。 >人種差別だ、と叫んでいる人は、結局“過去”を見ているだけです。“今目の前に居る外国の人”が何を話そうが、聞いてないのだと思います。何を言っても「けどあなたは外国人ですよね」で終わってしまって、そもそも話し合いとか議論をする気がないのでしょう。 彼等自身が人種差別主義者と同じ構造の頭脳をもっているのだとしか言いようがない。 >それはさておき、ガメさんが居なくなる度に毎度捜すのはそれなりに面倒なので、気が向いたらメールとかで連絡くれると嬉しいです^^; いま出しておきます。 Nenagaraどん、 >勝手解釈かもしれませんが、「本質的な愚かさがなく、知性が暖かい光のように働く」って読んで真っ先に浮かんだのがこのことでした。 だいさんきゅ。 >ところで、今日本を取り仕切っている優秀な人達も20代の頃はおそらく「本質的な愚かさ」ってのは持ってなかったはず いや、彼等は少し違うみたい。 丁度佐藤亜紀さんたちのことで見てきたように、上の世代がクビまで使っている自分達では意識できない日本的な「泥臭くて容赦がない他者排斥」のようなものから、自由、というか、相対化して見られるだけの思想的な育ちの良さが見られるように思える。 上の世代が「甘い」と笑うようなことをちゃんと信じて生きていけるひとたちなのね。 だから、わしは期待してます。 連絡もとりあっていこうと思っている。 >「その前に優秀でない上に愚かなお前から変わっていかなあかんやろ。ちょっとは何とかせんかい。」と言われそうなので、どっとはらい。 Nenagaraどんらしいのい。 ところでNenagaraはオトナだから、わしが(嫌だという理由ではもちろんないのだけど)撥ね付けても、ちゃんとなだめながら付き合ってくれようとする。 たしか、わしよりちょっと上くらいの年齢なのに すごい、と思います。 ここでお礼をゆっておく。 Nenagara、 だいさんきゅ。 … Continue reading

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日本誌

今朝、起きてみると窓の外の木が紅葉しておる。 「そういう季節だから当たり前でしょう?」ときみはいうかもしれないが、そうじゃないねん。 この木は常緑樹なんです。 しかし、紅葉でモニとわしの眼を楽しませておる。 種明かしをすると、この木の上に紅葉が枝を延ばしているのであって、そこから落葉した目が覚めるような色の葉が、下の常緑樹全体を覆っているのです。 まるで仮装して大人を脅かせるのが好きなイタズラガキのような木である。 もうひとつ用事がある、というか、もうひとりパリから戻ってくるひとを待たなければならなくなったので、あと3週間を日本で過ごさなければならないが、しかし、もうモニとわしが日本の話をすることはなくなった。 ラミュエラの家の改築の話、ニューヨークのアパートをひとつにまとめるかどうかの話、ヨーロッパに里帰りするのなんて詰まらないから、どっか、かっちょいいリゾート!なんちゃって、カリブの島で3ヶ月ごろごろしているのはどーだろー、とかエジプトの紅海リゾートに行ったことがないから行ってみたい、とか、もう日本を発ったあとの話だけです。 きみたち、ゼータクなんちゃう?と眉をひそめるひとがいそーだが、東京にいるより安いんどす。 紅海リゾートなんか5つ星で向こうの言い値が一泊5000円、ええええー、2ヶ月いるんだから安くしてけろおおお、とゆって交渉すると3000円です。 カプセルホテルより安いわい。 それで大ゴージャスな部屋から直截巨大プールに泳ぎにはいれる毎日が手に入る。 夏いくと日中の最高気温が50℃だそーだが。 振り返ってみると、日本は楽しくもヘンな国であった。 もう遠征は終わりだから、ここでアホなブログを書いたり、なんだかヘンなひとびとがいっぱいせめてきたのでメンドクサイというので閉めてしまったツイッタ(他の言語では笑いさざめく音しか聞こえないツイッタでまで、「レーシスト!」「なんとかかんとかは、タイヘンなことだ!」と集団で喚きながら他者を攻撃する道具にする文化とは、たいへんなものだ。中国では深刻な「自由を手にするための武器なので、140文字で伝えられる情報の量に依るのだろうか)で遊んだりしているのでないときは、主に何をしていたかというと、この国の20代や30代のすげー優秀なひとびとと会って話していた。 そんな偶然があるとは思われぬが、万が一該当しているひとびとが、この記事を読んだときには「ハァーイ!」とかゆって話しかけないよーに。 このブログ、ヘンなひともいっぱい読んでるからね。 わしに親愛の情を示しただけで「あれは人種差別主義者の日本側協力者だ」とか小説読みの同僚にゆわれかねないのです。 なんで「小説読み」なのかは、ここでは説明を憚る。 不可思議はメールで訊いてね。もう少し言うと、 声をかけるなら、せめて過去記事を読んでからにしてくれたまえ。 とゆっても自分でも半分くらいしか読み返したことないので一週間も遡ればよいであろう。 ブログ全体のトーンは、「十全外人文庫」 http://d.hatena.ne.jp/gamayauber2/  で、わかるとゆわれている。 20代のひとびとと話しての、わしの印象は、結局はこの国はダイジョーブだろーということでした。彼等が社会を取り仕切り出す20年後くらいには、日本は底なしに見える転落の底をついて、そこから長く苦しい回復の行程にはいるに違いない。 彼等のよいところは、優秀な頭脳をもつ人間にありがちな本質的な愚かさがないことで、 知性が暖かい光のように働くひとびとである。 会ったどのひとも、すぐに仲の良い友達になったが、このひとたちはみな例外なく海外に赴くところなので、モニとわしが出かける先のあちこちでも会えるようだ。 素晴らしい、と考えました。 インターネットであったひとは、ヘンなひとが多かったが、あれは叔父の説では実生活では別人格なんちゃうか、ということであった。 なんだか、よく判らないが、実生活がつまらんので誰彼の尻馬に乗って憂さ晴らしをしている、ということなのかもしれません。 わしには、よーわからん。 それでも5年間11回に渉る遠征で少なくとも8人は絶対に信頼できるインターネット上の友達が出来た。 このひとたちは、わしの側の特殊を極める事情で、まだ顔を合わしたことがないが、わしの大好きな友達です。 ひとつだけ日本が立ち上がれなくなるシナリオは、日本のひとびとが長い低迷に我慢しきれなくなって、集団行動で破壊に向かう筋書きであって、これもいくらでも考えられる。 たとえば、中国の内陸部で中国政府が抑えきれない暴動が起きたとして、在留日本人を100人くらいでも暴徒が惨殺したとする。 現代版通州事件ですのい。 その場合、日本人が冷静を保てるかというと、五分五分とまではいかないだろう。 国民の支持のもとでの軍隊の増強、正義をふりかざしての中国への侵攻、それに対する世界世論の猛烈な反発、孤立、狂気の戦い、っちゅうふうになるのかもしれません。 … Continue reading

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佐藤亜紀さんとのやりとりの終わりに

(初めコメント欄へのご返信として書いたが、よく見ると長いので、これも記事のほうに引っ越しさせておきます) Nym Phaeaさん、p_mume1980さん、YesNoBuTさん、 Nym Phaeaさん、 >画像にある言葉の左から2番目の単語です。 今朝、義理叔父と従兄弟の両方から(別個に)「日本語ブログを読んだぞ」というメールが来てました。 両方ともほぼ同じ感想で 「あの単語は右から2番目ともゆえるな」ということであった。 親子そろって何を考えとるんじゃ。 p_mume1980さん、 >大蟻喰先生の(ファンのはしくれなのでこう呼びます)怒りの執拗さはとても独自な感じがするので、怒られて正面から相手をしたらしんどいことと思います。 わしの妹のほうが千倍くらい怖いです。 >木が何種類か混じって生えているように、国のかたちも文明もいろいろあって、それはいいも悪いもなくそれだけだ、と思ってしまう。ミズナラは、ミズナラだし、1mは1mだし、水は水だと 「科学の子」ですのおー。まるで自分と話しているよーだ。そのうえに科学屋さんには皆ひとしなみに「人間の世の中なんて、こんなもんでえーわい」という種族としての「気分」があって、それが科学に縁のないひとたちから見ると腹が立ってかなわん、というところもあるかもしれません。 「あるがままにものがある」というのは、それでなくても腹立たしいことだし。 >たとえ大蟻喰先生が口を極めて罵ろうと、歴史や一人一人の人が抱えているだろう苦しみや悲しみを保留として思考してみるのは意義があります。 「意義がある」でなくて、たとえ大蟻食先生が自分の弟子を大動員して襲撃してきても、わしらは考えるのをやめるわけにはいかない。 もう時間がないんです。 われわれにはまったく、もう時間がない。 破滅がもうドアを叩いている。 >ツイッタとかウェブ上のことで、あんまり遠慮したり配慮したりして言ってはつまらない。遠慮せず言っても礼儀があるってのが一つの理想と思ってます。 日本では無理でした。 >僕もびっくりした。そして、たぶんああやって激怒する人のほうがもしかしたら多いのかもしれない。 わしがいままで実験してみた結果ではごくごく少数の例外を除いては「全員」だと思う。 >僕にとってはそれは「夜になったら寝なきゃいけないんです。困りましたわ」って言ってるように聞こえてぞっとしました。大蟻喰先生の怒りはそんな矮小なもんじゃないのかもしれないけど、どこかしら近いものを感じるのです。 うん。そのとおりだと思う。 >「ミズナラはミズナラです」としか言えない奴をぶん殴る力を持っていると思います。 潜在的に、その力があるひとですが、いまはその力は全然ないと思う。 なぜ彼は議論しないのだろう?(わしと、という意味ではありません。わし、信頼関係のある人間としか議論しないので、「おまえなんか信頼しねー」とゆわれれば、そーですか、としか言いようがないし) 弾劾演説と仲間内の茶飲み話しかしないのはなぜだろう? 議論というものの力を信じていないのだろうか。 「言葉のひとびと」は、みな議論を通してぐんぐん成長するものなのに。 ああいうタイプの言葉の体系をもっているひとは誰が見たってこれからの十年間が「勝負」(って言葉がヘンだけど)と思うけど、もったいない感じがしますのい。 >ただ、そのためにずいぶんあの人はつらい思いをしてるだろう ほんとうに、そうですのい。 YesNoBuTさん、 >特に性差別に関して氏の許容範囲を超えた言動をする人に対して、罵倒の嵐を投げつけます おおおおー、そうなんですか? それはやったほうがいいな。たとえ、わしが標的の栄誉を担ってもやったほうがよい。この日本という社会では、それは緊急に必要なことだ。佐藤亜紀て、えらいんだな。 >具体的に差別が明らかな発言がまだない、それらの人々が無自覚・無意識で差別傾向を微かにでも表した段階です。 … Continue reading

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佐藤亜紀(@tamanoirorg)さんへの返信の続き

佐藤亜紀さんからの罵声に答えなければならないが、その前にずいぶん長いコメントをもらっているのを発見したので、これにここで答えてしまおう。 コメント欄では答えるのが無理なよーだ。 昨日は朝までツイッタで遊んでしまったので眠い(アホだのい)が、午寝めざして労働しよう。もしかするとコメントへのご返信だけで終わってしまうかもしれません。 まず初めにことわっておかなければならないのは、わしはシンガポールに行く前くらいから@tamanoirorgさんのタイムラインを読んでいないのです。 わしは@tamanoirorgさんのフォロワーではありません。 仲間内だけですすんでいる楽しそうな宴を邪魔しては悪いのでフォローはずっと以前少しのあいだだけしていて、その後はやめていましたが(オモロイので読んでいると、つい口をはさみたくなったものであった)、タイムラインをたどるのをすっかりやめてしまった理由はまた少し異なります。 揶揄にならないように注意しながら言うと、理由は@tamanoirorgさんの言葉の大袈裟なジェスチャーが何だか大時代な、たとえて言えばエズラ・パウンドが調子が悪いときの朗読みたいな感じに見えだしてしまって、それはそれで悪くはないが、どんどん変わっていってしまう自分の感覚に合わなくなってしまったから、と言えばいいでしょうか。 ひどい聞こえ方になるかもしれないがなんだか滑稽な感じがして興味がなくなっていた。 だから、こうやって書いている時点でも、わしに@であててある発言と@Marukusu_hakaseやなんかが引用していたぶんしか@tamanoirorgさんの発言を、わしは読んでいません。 コメントを読むとみなが「自分に関係があることは、何が起こっているか、必ず読んでいるはずだ、と思っているようですが、わしは関心がなくなったことはほうっぽらかしで、どうでもいいや、と思う方です。 何が起こっているか知らなくては、という考え方をしたことがない。 友達に聞くと、いままで2chやはてなのひとびとがそれぞれの口実で同じように集団で攻めてきたときも、絶対自分達のことを見ているはずだ、と思ったそうですが、なぜそう思うのか、そのときもちょっと不思議に考えたものでした。 そういうところで、ちょっとどのコメントも、ところどころ、読んでいて意味がどうしてもとれないところがありました。 YesNoButさん、 >お二人に的外れなコメントを入れるだけで精一杯でした。 初めのコメントは読みました。ふたつ目のコメントがちょっとだけ目に入るくらいのところで、なんだかこういうことをやっている事自体がくだらない、と考えて駐車場のクルマのなかでアカウント全体を削除してしまった。 自分の囀りがあんまり好きでないのでときどき読み返す度に「身振りがおおきくてくだらん」と思う事がおおくなっていたせいもあります。 とゆっても飽きるとアカウント全体を削除して、違うアカウントでそれまでと違うひとたちと異なる話題でまた話を始めるのは何事によらず極端に飽きやすいわしの悪い習慣で日本語ツイッタだけで3回目なので、それもあまり特別なことではありません。 >佐藤氏のコメント法は防衛ラインを広めにとって踏み越えたら徹底攻撃後排除 どういう意味なのか、よく判りません。 >特に「人種」差別者としてガメ氏を決めつけた点に佐藤氏の判断根拠にずれがあるのではないか わしも、びっくりしました。 >このブログのコメント欄に書き込んでいる人は佐藤氏の小説を読んだことはなさそうですが、ガメ氏は読んでおられますよね。佐藤氏の小説が私に与える愉悦は他の日本語小説ではなかなか得られないものです。 なかにひとつ、もちろん日本語でもオモロイが、フランス語に書き直してみて読んでみると、すごく面白い物語があるよね。 わしは、それでひと夏遊んだ。これはとてもとても楽しい経験だった。 夏目漱石などは英語で書き直すと、ものすごくつまらない小説になってしまうので、これは(少なくともわしにとっては)たいへん興味深い面白い出来事でした。 >佐藤氏への日本の文壇、ネットでの評価がいかに偏見と誹謗、誤読に満ちたものか、も調べられていると思います。 いや、知らねっす。 でも「フォローはしていないがよく覗きにいく」ちゅうような時期に、なんだか編集者が「もっと濡れ場をいれろと言った」とか言ったとかいう途方もないツイートがあって、明治時代当時、基督教かぶれの「女学雑誌」の書き手ではないかと文壇から謂われのない侮りをうけ、偏見と揚げ足取りに満ちた誹謗、そもそも彼の抱いていた感情すらが彼の時代環境からすると殆ど何光年も先の宇宙に魂があったのだとしか思われないほどの彼方にあったために、誰にも理解出来なかった彼の日本語を「誤読」されるままにさらされていた北村透谷とまったく同じであるな、と考えて、その透谷という孤独な魂が自殺死を思いながら将来の世界にはいるはずの、決して見ることのない友人にあてて(文字通り)必死の思いで書きつづった、「漫罵」を自動的に思い出したので、その 「汝詩人となれるものよ、汝詩人とならんとするものよ、この国民が強 ひて汝を探偵の作家とせんとするを怒る勿れ、この国民が汝によりて艶語を聞き、情話を聴かんとするを怪しむ勿れ、この国民が汝を雑誌店上の雑貨となさんとするを恨む勿れ、噫、詩人よ、詩人たらんとするものよ、汝等は不幸にして今の時代に生れたり、汝の雄大なる舌は、陋小なる箱庭の中にありて鳴らさゞるべからず。汝の運命はこの箱庭の中にありて能く講じ、能く歌ひ、能く罵り、能く笑ふに過ぎざるのみ。汝は須らく十七文字を以て甘んずべし、能く軽口を言ひ、能く頓智を出すを以て満足すべし。汝は須らく三十一文字を以て甘んずべし、雪月花をくりかへすを以て満足す べし、にえきらぬ恋歌を歌ふを以て満足すべし。汝がドラマを歌ふは贅沢なり、汝が詩論をなすは愚癡なり、汝はある記者が言へる如く偽りの詩人なり、怪しき詩論家なり、汝を罵るもの斯く言へり、汝も亦た自から罵りて斯く言ふべし。  汝を囲める現実は、汝を駆りて幽遠に迷はしむ。然れども汝は幽遠の事を語るべからず、汝の幽遠を語るは、寧ろ湯屋の番頭が裸躰を論ずるに如かざればなり。汝の耳には兵隊の跫音を以て最上の音楽として満足すべし、汝の眼には芳年流の美人絵を以て最上の美術と認むべし、汝の口にはアンコロを以て最上の珍味とすべし、吁、汝、詩論をなすものよ、汝、詩歌に労するものよ、帰れ、帰りて汝が店頭に出でよ」 といういままでの日本語の歴史のなかでも最も傷ましい文章の最後を引用して佐藤亜紀さんに送ったのを憶えています。 YesNoBuTの言う通りの事が起こっているのだとすれば、そして@tamanoirorgの魂が、YesNoBuTの言うように「詩人」のものならば、透谷を死においやった卑劣と世間というもののやりきれないほど巧緻な低劣さが@tamanoirorgを透谷と同じ場所においつめてしまう可能性はあるのかもしれません。 >佐藤氏には、「知識人」というよびかけは揶揄としか受け取り得ない なんだかわしが「知識人」という言葉を使ったというので「それだけでお笑い草だ」というような言葉が、わしには「たけし軍団」を思わせる(すまん)「大蟻食軍団」のひとからわし宛てにやってきたのと@Marukusu_hakaseが引用した佐藤亜紀さん自身のツイートに矢張りわしが「知識人」という言葉を使ったのを揶揄する内容のものがあったので、拙いのかね、他に単語おもいつかなかったんだから、しょーがねーだろ、と思いながらあらためて調べてみましたが、いまでは「知識人」のままでええんちゃうか、と思ってます。 知識人は、まわりに田んぼから這い出た上目遣いのお百姓たちが集まってきて、「けっ、知識人だって、知識人かよ、おめーがチシキジンなら、わっしはムラのオヒメサマだぜ」とゆってせせら笑っても、自分はきみが笑おうが笑うまいが知識人であって、自分には自分のはたす役割があるのだ、「おれときみは同じ人間、だけども使う言葉がちがう。使う言葉は同じだけれど、きみらとおれはだからちがう人間なのだ」と平然と言うひとびとの事でなければならない。 わし自身は冷菜凍死家であって僅かな知識も「科学」という「知識」のなかでも最も下品なものに限定されている、「知識人」とはもっともほど遠い存在だが、それでも、 「知識人」という言葉を揶揄するような体質の人間は、どう言えばいいか、「照れ」というような漠然とした感情の陰に隠れて悪んでいるだけだと感じます。 … Continue reading

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佐藤亜紀(@tamanoirorg)さんへの返信

急に話しかけられたと思って振り返ったら、相手に怒鳴りつけられたのでぶっくらこいてしまった。相手が見知らぬ人ならば我が巨大な肉体からはとーてい想像できないわしの100m十秒八の大俊足を駆って逃げるところですが、よくよく顔を見れば知っているひとなので、やむをえずご質問にお答えすることにします。 順々に答える。 わたしが140文字毎に区切りをつけてきみを怒鳴りつけておるのに怒鳴られたほーのきみが勝手に字数の制約がない悲鳴をあげていいのか、というお叱りはあるでしょうが、@tamanoirorgは職業作家であって、冷菜凍死家のわしとは条件が異なるのでそのくらいのハンディキャップは認めてくれなければ困ります。 まず文章の話からしましょう。 わしはいつもはわしだが、これから相手を攻撃するかもしれないという文章において自称が「わし」ではいかにも失礼なので、今回は「私」と呼ぶ事にしたい。 わしが「私」とかというと、むかしからわしを知っているじゅん爺とかは抱腹絶倒してしまうだろうが、やむをえない。 声を殺して嗚咽に似た哄笑でしばし苦しい思いをしてもらうしかありません。 @tamanoirorg の事はどう呼べばいいのだろう? 佐藤さん、というのが最もよさそうですが、具合が悪い事にわしには「佐藤さん」というとても仲が良い年長の女の友達がいるので、呼びかけるたびにそのひとの顔が思い浮かんでしまう。 このひとは昔ブログに書いた、私の一世一代にして生まれて初めての日本語冗談「あそこにあるのなんですか?」「塀です」「へええええー」の、あのひとそのひと、歴史的当事者なので、これから罵倒するかもしれない相手に呼びかける名前としてははなはだ不都合なのです。 亜紀さん、もヘンだし。 やっぱり @tamanoirorg という呼びかたが良いようです。 さっきツイッタで「遊びに行く」とゆってモニと出かけてアイスクリームを買って帰って食べたら「がっかり」は収まりましたが、少しリラックスしたいのでワインを飲みます。 私はワインを飲むと早ければ2本半、遅くても3本半のむとなんだか勝手に愉快になって訳の分からない冗談を言い出しますが、ダイジョーブ、一本飲まないうちに返信を書き終えてしまえるでしょう。 「まず、第二次世界大戦の敗戦以来、日本などという国は外交上の単位として存在していない。精々米国の「堤防」であり、補給基地であり、出撃基地であり、RT @1001_revo_emag: クリントンの巧みな外交で日本は同盟国に衝撃を与えることなく静かに太平洋から退場する事になった。この後5年間に起きる事はだから暫くの円高とその後の急激な円安だと考えられる。トヨタが必ずしも「日本の会社」と呼べなくなる日ももうすぐそこに来ている。そのとき日本はどうするのだろう?」 と @tamanoirorgが突然話しかけて来たのでしたが、そこからもう同意出来ないのです。 1945年から1953年までアメリカ合衆国は「将来に亘って日本を外交単位として機能させない」と固く決心して占領に臨みましたが、結局アメリカは占領意図に完全に失敗してしまった。 まず第一に金融技術的には必要な正常値を遙かに超える、というよりもほぼ非現実的なくらいの過剰投資を日本に対して行ったので、それをうまく戦中に構想した「国家社会主義経済」の器にいれて使った国家社会主義者たちに孤立した経済と放置しておくわけにはいかない巨大な経済をあっというまに作られてしまった。 この辺りの事情は十年に一回は共産主義的全体主義から来るリセットがあるとタカをくくって投資したらあっというまに経済的な成長を中国に遂げられてしまったマヌケないまの欧州と合衆国の姿に通じるところがあり、また日本の共産主義者たちが演じた意思とは正反対の結果を生んだ道化的な物語もありますが、いまは端折ります。 経済というものは @tamanoirorg が感じているような孤立的なものではない。 一国で完結できないものなのです。 日本の指導者たちが明らかに意図して狙ったのもそこでした。 合衆国が@tamanoirorgと同じように「 第二次世界大戦の敗戦以来、日本などという国は外交上の単位として存在していない。精々米国の「堤防」であり、補給基地であり、出撃基地であり」と言い募ってみようとしても、もう日本の経済の巨大な鈎の手はそこいらじゅうの国の肉体に食い込んでしまっていて合衆国の思い通りにはならなくなっていた。 そこから勝手に独り決めの「太平洋戦略」を思い描いていた合衆国のいまの苦悶が始まったのだと思います。 この頃の歴史を見ると日本の指導者たちの殆ど「悪魔的」と言いたくなるような外交の巧さに舌をまきます。 あなたの国の新聞がずっと「いいなり外交」「合衆国の妾」「アメリカの堤防」「アメリカの補給基地」と言い募っていたあいだじゅう合衆国の譲歩を引き出すために (自分達が経済的に破滅した時の主に共産主義の脅威と絡めた影響を楯にとって)恫喝に恫喝を繰り返していたのですから、その知恵と度胸たるやたいへんなものです。 「そこに住んでいる土民どもが反乱をおこさないように経済的繁栄を与えられただけ。今更退場もへったくれもない。そもそも国家としての主権さえ形ばかりなので、国家としての体を為していないのは当然。RT @1001_revo_emag: クリントンの巧みな外交で日本は同盟国に衝撃を与える//」 とあなたは言うが、こんなに酷い空虚なウソに満ちた文章を私は見た事がない。 あなたが大嫌いな「欧州の人種差別主義者の豚ども」でも、最近はもうちょっと現実風なウソをつく。 まず、ほんの欠片でも「経済」というものへの理解力をもっていれば経済的な繁栄が「「そこに住んでいる土民どもが反乱をおこさないように」(たとえアメリカが南ベトナムに与えたいと願った些細な繁栄であっても)「与えられる」ものかどうかわかる。 南ベトナムにあれほどカネを注ぎ込んでも経済が育つことはなかった。経済をそんなふうに投げ与えることが出来るかどうかというと、答えは簡単、 「そんなことは絶対に出来ない」のです。 正直に言って少なくともアジアでは貴方のような「人種人種人種」「あいつは白人だ!だから、あいつは人種差別主義者の豚だ、あいつはアジア人共通の敵だ」と叫びたがる日本人たちに(鬱陶しいだけなので)早くいなくなってほしいと思っている人間がたくさんいますが、落ち目になったのを良い事に「じゃ、もう消えてもらおう」という訳にいかないのは、日本の巨大な経済はいかにも社会のあちこちに浸透していて、いますぐ突然経済的に破滅されてしまうと、世界中がまったく誇張でもなくアルゼンチンのときどころではない大混乱に陥ってしまうので、やむをえず、なるべく延命してもらいたいと傍から(あなたの言い方で言えば)「お気楽な」意見を次から次に述べているのだと思う。 それでも、日本には、あなたのように、社会的責任をまったく自覚しない、その辺のガキ並の社会意識しかない無責任な知識人がいる事は少しでも日本に興味がある人間なら皆知識として知っている。 … Continue reading

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