佐藤亜紀(@tamanoirorg)さんへの返信の続き


佐藤亜紀さんからの罵声に答えなければならないが、その前にずいぶん長いコメントをもらっているのを発見したので、これにここで答えてしまおう。
コメント欄では答えるのが無理なよーだ。
昨日は朝までツイッタで遊んでしまったので眠い(アホだのい)が、午寝めざして労働しよう。もしかするとコメントへのご返信だけで終わってしまうかもしれません。

まず初めにことわっておかなければならないのは、わしはシンガポールに行く前くらいから@tamanoirorgさんのタイムラインを読んでいないのです。
わしは@tamanoirorgさんのフォロワーではありません。
仲間内だけですすんでいる楽しそうな宴を邪魔しては悪いのでフォローはずっと以前少しのあいだだけしていて、その後はやめていましたが(オモロイので読んでいると、つい口をはさみたくなったものであった)、タイムラインをたどるのをすっかりやめてしまった理由はまた少し異なります。

揶揄にならないように注意しながら言うと、理由は@tamanoirorgさんの言葉の大袈裟なジェスチャーが何だか大時代な、たとえて言えばエズラ・パウンドが調子が悪いときの朗読みたいな感じに見えだしてしまって、それはそれで悪くはないが、どんどん変わっていってしまう自分の感覚に合わなくなってしまったから、と言えばいいでしょうか。
ひどい聞こえ方になるかもしれないがなんだか滑稽な感じがして興味がなくなっていた。
だから、こうやって書いている時点でも、わしに@であててある発言と@Marukusu_hakaseやなんかが引用していたぶんしか@tamanoirorgさんの発言を、わしは読んでいません。

コメントを読むとみなが「自分に関係があることは、何が起こっているか、必ず読んでいるはずだ、と思っているようですが、わしは関心がなくなったことはほうっぽらかしで、どうでもいいや、と思う方です。
何が起こっているか知らなくては、という考え方をしたことがない。
友達に聞くと、いままで2chやはてなのひとびとがそれぞれの口実で同じように集団で攻めてきたときも、絶対自分達のことを見ているはずだ、と思ったそうですが、なぜそう思うのか、そのときもちょっと不思議に考えたものでした。

そういうところで、ちょっとどのコメントも、ところどころ、読んでいて意味がどうしてもとれないところがありました。

YesNoButさん、

>お二人に的外れなコメントを入れるだけで精一杯でした。

初めのコメントは読みました。ふたつ目のコメントがちょっとだけ目に入るくらいのところで、なんだかこういうことをやっている事自体がくだらない、と考えて駐車場のクルマのなかでアカウント全体を削除してしまった。
自分の囀りがあんまり好きでないのでときどき読み返す度に「身振りがおおきくてくだらん」と思う事がおおくなっていたせいもあります。

とゆっても飽きるとアカウント全体を削除して、違うアカウントでそれまでと違うひとたちと異なる話題でまた話を始めるのは何事によらず極端に飽きやすいわしの悪い習慣で日本語ツイッタだけで3回目なので、それもあまり特別なことではありません。

>佐藤氏のコメント法は防衛ラインを広めにとって踏み越えたら徹底攻撃後排除

どういう意味なのか、よく判りません。

>特に「人種」差別者としてガメ氏を決めつけた点に佐藤氏の判断根拠にずれがあるのではないか

わしも、びっくりしました。

>このブログのコメント欄に書き込んでいる人は佐藤氏の小説を読んだことはなさそうですが、ガメ氏は読んでおられますよね。佐藤氏の小説が私に与える愉悦は他の日本語小説ではなかなか得られないものです。

なかにひとつ、もちろん日本語でもオモロイが、フランス語に書き直してみて読んでみると、すごく面白い物語があるよね。
わしは、それでひと夏遊んだ。これはとてもとても楽しい経験だった。
夏目漱石などは英語で書き直すと、ものすごくつまらない小説になってしまうので、これは(少なくともわしにとっては)たいへん興味深い面白い出来事でした。

>佐藤氏への日本の文壇、ネットでの評価がいかに偏見と誹謗、誤読に満ちたものか、も調べられていると思います。

いや、知らねっす。
でも「フォローはしていないがよく覗きにいく」ちゅうような時期に、なんだか編集者が「もっと濡れ場をいれろと言った」とか言ったとかいう途方もないツイートがあって、明治時代当時、基督教かぶれの「女学雑誌」の書き手ではないかと文壇から謂われのない侮りをうけ、偏見と揚げ足取りに満ちた誹謗、そもそも彼の抱いていた感情すらが彼の時代環境からすると殆ど何光年も先の宇宙に魂があったのだとしか思われないほどの彼方にあったために、誰にも理解出来なかった彼の日本語を「誤読」されるままにさらされていた北村透谷とまったく同じであるな、と考えて、その透谷という孤独な魂が自殺死を思いながら将来の世界にはいるはずの、決して見ることのない友人にあてて(文字通り)必死の思いで書きつづった、「漫罵」を自動的に思い出したので、その

「汝詩人となれるものよ、汝詩人とならんとするものよ、この国民が強
ひて汝を探偵の作家とせんとするを怒る勿れ、この国民が汝によりて艶語を聞き、情話を聴かんとするを怪しむ勿れ、この国民が汝を雑誌店上の雑貨となさんとするを恨む勿れ、噫、詩人よ、詩人たらんとするものよ、汝等は不幸にして今の時代に生れたり、汝の雄大なる舌は、陋小なる箱庭の中にありて鳴らさゞるべからず。汝の運命はこの箱庭の中にありて能く講じ、能く歌ひ、能く罵り、能く笑ふに過ぎざるのみ。汝は須らく十七文字を以て甘んずべし、能く軽口を言ひ、能く頓智を出すを以て満足すべし。汝は須らく三十一文字を以て甘んずべし、雪月花をくりかへすを以て満足す べし、にえきらぬ恋歌を歌ふを以て満足すべし。汝がドラマを歌ふは贅沢なり、汝が詩論をなすは愚癡なり、汝はある記者が言へる如く偽りの詩人なり、怪しき詩論家なり、汝を罵るもの斯く言へり、汝も亦た自から罵りて斯く言ふべし。
 汝を囲める現実は、汝を駆りて幽遠に迷はしむ。然れども汝は幽遠の事を語るべからず、汝の幽遠を語るは、寧ろ湯屋の番頭が裸躰を論ずるに如かざればなり。汝の耳には兵隊の跫音を以て最上の音楽として満足すべし、汝の眼には芳年流の美人絵を以て最上の美術と認むべし、汝の口にはアンコロを以て最上の珍味とすべし、吁、汝、詩論をなすものよ、汝、詩歌に労するものよ、帰れ、帰りて汝が店頭に出でよ」

といういままでの日本語の歴史のなかでも最も傷ましい文章の最後を引用して佐藤亜紀さんに送ったのを憶えています。

YesNoBuTの言う通りの事が起こっているのだとすれば、そして@tamanoirorgの魂が、YesNoBuTの言うように「詩人」のものならば、透谷を死においやった卑劣と世間というもののやりきれないほど巧緻な低劣さが@tamanoirorgを透谷と同じ場所においつめてしまう可能性はあるのかもしれません。

>佐藤氏には、「知識人」というよびかけは揶揄としか受け取り得ない

なんだかわしが「知識人」という言葉を使ったというので「それだけでお笑い草だ」というような言葉が、わしには「たけし軍団」を思わせる(すまん)「大蟻食軍団」のひとからわし宛てにやってきたのと@Marukusu_hakaseが引用した佐藤亜紀さん自身のツイートに矢張りわしが「知識人」という言葉を使ったのを揶揄する内容のものがあったので、拙いのかね、他に単語おもいつかなかったんだから、しょーがねーだろ、と思いながらあらためて調べてみましたが、いまでは「知識人」のままでええんちゃうか、と思ってます。
知識人は、まわりに田んぼから這い出た上目遣いのお百姓たちが集まってきて、「けっ、知識人だって、知識人かよ、おめーがチシキジンなら、わっしはムラのオヒメサマだぜ」とゆってせせら笑っても、自分はきみが笑おうが笑うまいが知識人であって、自分には自分のはたす役割があるのだ、「おれときみは同じ人間、だけども使う言葉がちがう。使う言葉は同じだけれど、きみらとおれはだからちがう人間なのだ」と平然と言うひとびとの事でなければならない。
わし自身は冷菜凍死家であって僅かな知識も「科学」という「知識」のなかでも最も下品なものに限定されている、「知識人」とはもっともほど遠い存在だが、それでも、
「知識人」という言葉を揶揄するような体質の人間は、どう言えばいいか、「照れ」というような漠然とした感情の陰に隠れて悪んでいるだけだと感じます。
そんな場所からは何も生まれない。

YesNoBuTさん、
(シンガポールのほうね)
>西欧文明は階級的な役割分担によってそれを実現している

「階級」という言葉を誤用していると思う。

>SGの独裁において、「生産性が低い層」は所得は押さえられているが低い生活費で満足させ閉じ込め、そこには自律に通じる道筋はない。

わしは日本語で日本の事を書いているときはほぼ「日本人の目からみた日本」を考えるように努力している。だから「日本の立場」ならこうだろう、と何かを言う事がありますが、それは「日本の立場」に同意しているわけではない。
シンガポールについても若いシンガポール人たちと話し合って、シンガポール人の立場から見るとシンガポールや世界はこんなふうに見えているのだ、と書いたつもりです。
いまのアジア世界は真の意味での勃興期で中国も台湾もインドも韓国もシンガポールもロシアもそれぞれ別個な西洋人とはまったく違う世界観に立ってどの国も歴史上なかったような実験を行っている。しかも(わしは歴史的な必然と思っていますが)彼等の独創は多くの場合、欧州世界の伝統的価値とはさまざまな、しかもごく基礎的な点で真っ向から対立するものです。
わしは「西欧」の模倣から出発して成功した日本を振り出しに、そもそもの初めから欧州的な価値に真っ向から対立する「まったく新しい価値」を携えて現れた中国まで、これからひとつづつこれらの新しい文明実験がどんな結果になってゆくか見ていこうと思っていますが、そのどのひとつをとっても欧州世界と相容れうるものはない。わしも友人どもも(いままでもそうしてきたように)世界中の至る所で彼等と具体的に衝突し抗争し、あの強大なパワーに自分達の世界が呑み込まれないように努力を続けるでしょう。念のためにいうと(通りに出て拳をふりあげることはあるが)「国家間の戦争」のような話をしているのではありません。
文明間のボーダーの近くに行けば政治家をやっていても役人でもビジネスマンであってすら、どちらのルールで支配される文化の領域が増えるか減るか、(当たり前だが)この世界では文字通りの不断の争いが続けられている。
もっとも1918年以来、「欧州」という中身のほうが空洞なので、何を守るのかもだんだん判らなくなってきているのは最近の欧州人のmyopic(日本語でなんというかわかんねーので、突然英語でかっこわるいが)ぶりを見てもあきらかですが。
欧州はなにしろ、ご存知のとおり、もうボロイので、すでにあんまり勝ち目はない。
最後は絶体絶命の物理的な戦争になって、われわれは結局、(価値観をわけもちやすい文明の建設者であるインドはやや別として)中国やロシアのような価値観が異なる国と戦う事になるのかもしれない。戦う相手が日本である可能性も、日本にいてわしが観察した結果によると、じゅうぶんすぎるほどあると思います。
こんなふうに言うと日本の人は笑うに決まっているが、前にツイッタで書いたように「軍靴の音はつねに聞こえているよりもずっと近い」のだと思う。日本などは、ほんとうにすぐそばまで来ている。

>自由を与えられていないSGの実験を「面白い」と評することには違和感があり、説明不足の感が否めない。

博打に負けたと言って何十人かで通りに出てクルマをひっくり返して火を付けるひとびとの異様な眼の輝きを見た事がないひとにシンガポール人たちが緊張して見つめている「シンガポールがおかれている世界」をうまく説明できるかどうか判りませんが、やってみるかもしれません。

>敏速で柔軟な構造は企業的ではあるが、それだけに変化の先で振り落しが起きれば、それは功利的な判断に基づくものとなり自発的な参加者だけに対象は限られないのではないか。

だんだんぶちくたびれてきたので、この質問にこたえるにはまた別の機会が必要になるでしょうが、いまのシンガポールは、あんまりお金がないひとでも国を「離脱」する機会は豊富にあります。自由意思で参加している国民の数は日本の比ではないと思う、くらいは言っておきたい気がします。たとえばシンガポールで運転手をしているひとはインドネシアに一年の半分住んでいる人が多い、パートタイム国民である、というふうに言えば少しは判りやすいでしょうか。

>小説の感想メールは出して欲しい。
いくらなんでも、ここに至って、そんなことは起こらねえーっす(^^;)

ああ、そうだ、それから何かでわしが「金融市場の研究のために」日本にいる、と書いてられたそーですが、それはちゃいます。
もう少し他の理由なんです。
ブンガク、とはもちろん関係ないが。

buruu_burakkuさん、

>まず相手の主張をよく理解するという、議論の基本的姿勢が欠けていたので驚きました。

前に話したときは、そーでもなかった。(いや、そーゆえば一回前にもあったか…)タイミングが悪かった、とか言い出す順番を間違えた、とか、怒りの感情が先に立って理解したくなかった、とか、なんだかそんなふうな理由があるのでしょう。せっかちなのかも知れません。議論、というのは信頼を感じる人間とするものなので、別にそれはそれで、そーゆーこともあるだろう、と思います。

>「あなたにとってアジア人は魂がない。本当の人間じゃない。」

ありゃま、そんなのもあったんですか。わしのところには届いてなかったな。@つけるのがめんどくさかったのだろーか。わしは自分自身について「魂なんてなくて機械だったら、どんなにか楽しいだろう」と思うことがありますけど。アジアの人は魂ばっかりで身体がないほうがたいへんなよーな…余計なことをいわないほうがいいな。

>本筋と関係ないところでの非難もいつもどおり

いや、「怒り」というのは正当な感情だから、それでいいんですよ。非難の内容が泥臭くて野暮ったいのは願いさげだが。
(せっかくわしをなぐさめるべく書いてくれたのに、なんだか言い返すばっかりになっちゃってわるいみたいだけど)

(すまん)

salubriさん、

>人種的偏見や差別や憎悪なんて、日本人が頑固に信じ込んでいるほどにはあふれていない。

10年前の世界といまの世界ではまったく違う世界と思う。NYCでもロンドンでもオークランドでも、どんな肌の色のひとも自分の皮膚の色を考えなくてよくなった。
日本のひとの言う事に耳を傾けると、どうやらまだバカは残っているもののよーだが、絶滅種族と思います。
現に、わしは毎年「人種的理由で嫌な思いをする」国の1位に挙げられ続けている日本に半年いたわけだが、今回は、一度も嫌な経験なかったし。インターネットは「本音の世界」だとかで、こちらはすげーがっかりだったが、実際の生活で(アタマのなかで何を考えているにしろ)口や態度に出していわないだけでもマシになったと思う。

>日本人同士のやりとりでさえ、一皮むくと憎悪と強烈な被害者意識が顔を出して、いがみ合う方向に行ってしまうのをよく見る気がする

社会に普段「思ったことをそのまま言う習慣」がないと、いざ「思った事をいう」ときには、なんだか感情が自分でも予想もしなかった怪物のようなものになっていて制御できないみたい。

>ひょっとしたら日本人同士ですら、手を取り合うのがとても難しいのかもしれません。

そりゃ、国も文化も人種も関係なくて、おんなじですのい。
だから、われわれは、なるべく慎重を期して膨大な量の言葉をつみあげて話しをする。
たいてい、通じないけど(^^;)

portulacaどん、

>はぁー、よかった。 こっちはちゃんと開いていた。
くだらねーから、ブログ・アカウントも削除して遊びにいっちまうべ、と考えなかったとはゆわないが、このあいだブログアカウントを削除したときの「無責任でしょう」というポルチュラカどんの怖いお叱りと、ヒロシの「亀がおらんとつまらん」という5歳児くらいのガキンチョのような寂しげなつぶやき(^^)を思い出して、おもいとどまりもーした。
でも斑気と木村屋のあんパンはなおらないのだとゆわれている。
あんパン、食べてみたことねーけど。

>「人間の尊厳(DIGNITA’ UMANA)」と「人権(DIRITTO UMANO)」という言葉について考えていました。

DIGNITA’ UMANAは DIRITTO UMANOに較べて、より根源的だからな。ところが英語では逆ですのい。やっぱり英語人はケーハクなのだろうか。

>英国におったときは貧乏学生でケチケチ生活だったので、ガメさんが言うような高級なごはんなど口にしたことはないけれど

わしは、もうばれてるから居直ると生まれてこのかた、幼きときは金持ちのバカガキ、長じてはバカな金持ち(ゆってしまった)、結婚した嫁さんは更に数倍するド金持ちのひとり娘で、オモロイブログ記事を書こうと思っても、余りの実生活の可愛げのなさに書きひんのや。
憎まれっ子世にはばかる、というが、あれは考えてみるとはばかれない憎まれっ子はとうの昔に世に踏みつぶされて去んでしまっているからではないだろうか。
おそろしいことですのい。

>お米とチキンラーメン(としか思えなかった)のピラフ

わしが生まれて初めて食べたお米の料理は「米のバターと砂糖の煮込み」であったな。うまかったが、同じものを食べた義理叔父は将来の花嫁の初対面の両親との食卓にヘドをぶちまけた情景の恐怖に戦慄しながら食べたそーだ。
(この話を聞いちったせいで、「ばーちゃんに話すぞ」とゆって、もう十年くらいおっさんをカツアゲしてヲタクなものを賄っておる。あのおっさんは実業家な癖にほんまに人間が甘いのお)

>反対に食パンはあかん。 劇マズやった(ごめん)。

トーキョーで「イギリスパン」とか書いてあると、わしもモニも不味いのがうつるのが怖いので、2メートルはパンの籠から離れて歩くようにしておる。
もっとも言葉が怖いだけで、あのヘンな形のパンの何がイギリスなのかわからずじまいだったが。

どひゃあああー、ちかれたび。
こうまで長くなると、

「キッシンジャーにはナチ経験に由来する固有のパラノイアがあるからね。冷戦時代、日本はいつでも頭越しの決定で戦場たり得たよ。RT @1001_revo_emag: キッシンジャーが「瓶の蓋」論を持ち出した頃までは外交単位として日本を考えていたと思います。合衆国が日本を「衝立」と//

兎も角、あなた方は、御先祖がまるっきりの馬鹿揃いでない分、幸せだった。私としてはその幸福を寿いで、後のことは放っておいてくれと言いたいね。RT @1001_revo_emag: キッシンジャーが「瓶の蓋」論を持ち出した頃までは外交単位として日本を考えていたと思います。合衆国が//

正直、ここのところのあなたtweetに呆れてるのよ。結局、自分達にとって都合のいい「可愛い有色人種」以外認める気がないってことね、と。RT @1001_revo_emag: こんな

そんな問題で生産的な言葉なんてあろう筈もない。RT @1001_revo_emag: いけね @tamanoirorg  付けるの忘れた。でもあなたに向かってゆってる。何かというと国籍や人種を持ち出すのはわしには良いも悪いも「古くさくてたまらん」という感じしかしない。そんな考//」

を眺めてみても、直接のご返事をもうあんまり書く気がしなくなってしまった。
(ごめん)
ひとつだけ最後の「 そんな問題で生産的な言葉なんてあろう筈もない 」というツイートにだけは答えておくと、あると思う。

ただ、その言葉は、わしがこれのことです、というと、「知識人」どころではない、今度こそ跳び上がって喜んで「やっぱりバカだ!こいつはバカだ!」とゆって大喜びで騒ぐだろうが、ほんとうにバカなのだから、それもやむをえないであろう。

しかし、わしはほんとうにそう信じているので、その言葉の画像があるブログのリンクをここに貼っておく。
画像にある言葉の左から2番目の単語です。

 http://bit.ly/deX46K 

と、ここまで書いてアップロードしてから、「view all」で見たら、まだ、じゅん爺と@taronodとSDどんのコメントに答えていないのであった(^^;)

すまん。

じゅん爺、

>呵呵大笑。主語を選ぶのはむづかしい。ほとんどスタイルを決めてしまうからな。

日本語でいちばん難しいのはカタカナだが、それを乗り越えると最後は「主語」という魔王のような、やけくそみたいな課題がまっている。
むかしの外国語が苦手の宣教師に「悪魔の国なんではないか」とマジメに疑われたわけです。

@taronodさん、

>「外の人間って言うな、とか叫ぶ前に想像していただきたいもんだ。あなたが国籍を有している国が日本と同じような状況に置かれたとして、そこに私が顔を出して、いやあ風前の灯火wwwwと言うところを。@1001_revo_emag」

ありっ? わしこれ読んでないな。ちゃんと@1001_revo_emagついてるのにね。
ヘンなの。

1980年代には日本のひとびとがわしが国にも裏祖国にもやってきて、「たいへんですねえ。あなたがたもわたしらを見習ってやってみたらどうですか。でも、あんたらは根っから怠け者だから無理か」とかっちゆって歩いたそうだが、いまちょっと光景を想像してみたが、ピンと来ないのお。実際
「The World’s Fastest Indian」には、「そこに私が顔を出して、いやあ風前の灯火wwww」と言われた主人公が、まったく表情を変えずに「Right」とだけ答えるところが出てくる。

わしは、そういうつもりで言っているのでは全然ないわけだが、そーゆーふーに思うんですのい。

>「ここをお読みのネイティヴな日本人にもよく聞いておいて欲しい。一度やったことは消えない。植民地支配も、虐殺も。許して貰えたとしても、忘れて貰うこ とは不可能だ。それが未来へと進むための条件だとしたら、我々は永遠に留まるしかない。かくて未来へと進むことは完全に没義道となる。」

今回も、ヘンなひとが何人か来たけど、Apemanのときとは違って佐藤亜紀さんのほうはこれらを指揮しているわけではなさそーだ。
でも日本で「座」や「集団」の真ん中や上に座るときの、(外側から見たときの)惨めさを知らないのだな。自覚的にやっているとしたら、それにはyesnobut さんが述べていたことにヒントがありそうだが、小説家としてはよいかもしれなくれも何百年という時間を渉って、あるいは予想もしない文化圏から突然理解者があらわれることがある「言葉の世界の住人」としては金庫に鍵をかけて裏庭に埋め込むことになる。

..でも、自分で「自分の日本語なんて誰にも理解されないで、残りもしないから意味がない」とゆっていたことがあったから、それでもいいのか。
小説を書く人って、そんものなんですかいの。

>「馬脚を表した」「じゃあね。」のあたりは笑ってしまいました。すさまじい言い逃げ!それはあなたでしょう、と。

うん。まあ、わしは、あんまり喧嘩みたいなことをしに来た人について言い募るのは好きじゃない(感情的になっているに決まっているからね)から、もごもご言うことになってしまって、すまんことだが、
わしは佐藤亜紀さんは、こんな野暮ったい言葉を使うのかあ、と考えてちょっとがっかりしました。

話全体が、せせこましい偏見とつんのめったような誤解で充満していて、それが、もっさりしたような、なんとも冴えない田舎じみたものでくるまれていて、やりきれないなあ、たまりひん、と考えた。

>「ブログ見て書いて放り込んだので、当然、会話にはなっていない。@81Q」

なんだかいろいろなこと言ってたんですのい。
そーだったのか。

SDどん、

>自由というものが何なのか分からなくなってきます。
自由は自由さ。
中華系の文化には、昔から(SDどんは英語のひとだから英語の単語を混ぜさせてもらうと)「人間の自由をunleashさせてしまう事は天道に反する」という強い考えがある。
中国人たちは、あのとおり、歴史を通じてすさまじい「文明を創造する力」に恵まれているので「欧州文化など地方文化のひとつにすぎない」「個人の自由も権利も西洋人のアタマから生まれたアイデアに過ぎないではないか」という考えが強いと思う。
彼等にとっては、そういうものは相対的な価値にしか過ぎないのね。

いまの「西洋的価値」が誰かの考えによって補強できないとすると、遠からず「基本的人権」なんてのはむかし話になりかねない。

わしは日本にもそれを(「自由」を初めとする西洋的な考えを補強するアイデアを)探しに日本にもやってきたが、これまで一緒に見てきたとおり、この社会は主に「集団主義」が強すぎて、それが無理だった。

>あ、以前、ガメさんは「昔の(戦後からの)日本人は各々希望を持っていたと思うが、今の20代には客観的にいって希望がない」と仰られていましたが、なんとなくその意味が分かってきました。

ひどいことをいうようだが、わしがSDならひとまず逃げるね。世界中どこに行っても若い世代の日本人は尊敬を受けている。(もちろん本人がパーではダメだが)
日本の外でじっくり必要な「生産的能力」を身に付けて、祖国の再建に参加する、という方法がいつでも残っているとおもいます。

古代ギリシャからいままでの故国が危機に陥ったときの西洋人の常套手段だのい(^^)

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

3 Responses to 佐藤亜紀(@tamanoirorg)さんへの返信の続き

  1. Nym Phaea says:

    画像にある言葉の左から2番目の単語です。

    人間はそれなしには生きていけないと思います。少なくとも幸福には生きられないと。私もバカなのでガメさんに同意します。(ガメさんより格段にバカですが)

  2. p_mume1980 says:

    こんばんは。こっちが残っていて良かった(^^

    >なんだかこういうことをやっている事自体がくだらない、と考え
    >て駐車場のクルマのなかでアカウント全体を削除してしまった。
    すぐさま、夫婦喧嘩が面倒なことになると、車に乗って出かけてしまううちの父を思い出しました(^^)大蟻喰先生の(ファンのはしくれなのでこう呼びます)怒りの執拗さはとても独自な感じがするので、怒られて正面から相手をしたらしんどいことと思います。

    SGのはなし、僕にとってはごくすんなり理解できる話でした。それはガメさんと同じように僕が「科学の人」だからだろうという気がしています。木が何種類か混じって生えているように、国のかたちも文明もいろいろあって、それはいいも悪いもなくそれだけだ、と思ってしまう。ミズナラは、ミズナラだし、1mは1mだし、水は水だと。だから、SGの実験はとても興味深い。たとえ大蟻喰先生が口を極めて罵ろうと、歴史や一人一人の人が抱えているだろう苦しみや悲しみを保留として思考してみるのは意義があります。

    一方で、大蟻喰先生が激したそのこと自体、「ミズナラはミズナラだろ」と言い続けることを選んでしまった身としてはとても丁寧に考えた方がいいと思っています。ツイッタ上よりは、現実に相手をするあらゆる他の人に対してです。

    ガメさんがいつだか言ったように、ツイッタとかウェブ上のことで、あんまり遠慮したり配慮したりして言ってはつまらない。遠慮せず言っても礼儀があるってのが一つの理想と思ってます。ま、僕はなにぶん固いのだけど。

    丁寧に考えるというのは、「ミズナラはミズナラなんだよ」っていう常識の方がどうして通じないのかな?というのを考えてみるとだと思っています。ガメさんがびっくりしたように、僕もびっくりした。そして、たぶんああやって激怒する人のほうがもしかしたら多いのかもしれない。

    だからこそ、大蟻喰先生のように激怒する人に対して歴史を保留した話をどんな風に話しかけたらいいだろうというのがとてもいま興味があるところです。

    こないだ、棒杭みたいに切られた街路樹の問題について話し合う場に行ったら、一生懸命「枯れた枝が落ちてくるんですよ」という支障について僕に語りかけてきたおばさんがいました。

    僕にとってはそれは「夜になったら寝なきゃいけないんです。困りましたわ」って言ってるように聞こえてぞっとしました。大蟻喰先生の怒りはそんな矮小なもんじゃないのかもしれないけど、どこかしら近いものを感じるのです。

    植物屋の目から見ると、大蟻喰先生は全身全霊でその「枯れ枝が落ちる」みたいなことに逆らってるように見えます。しかし、だからこそ彼女の小説は優れた離脱した感じを味あわせてくれるんではないかと。「ミズナラはミズナラです」としか言えない奴をぶん殴る力を持っていると思います。

    なんというかな、「魂」にとりつかれてるというべきかな。僕もどっちかと言うと魂なんてなくて機械だったらどんなにいいかのうと、思うほうなので。持ってもいない「魂」について彼女の小説は持ってるような気にさせてくれるというか。

    ただ、そのためにずいぶんあの人はつらい思いをしてるだろうと思うと、どれほど理不尽なことを言っていようと敬意を表さずにはいられないのです。なんで太陽が東から昇るのよ、と言われても。あるいは、「魂」なるものは過酷な道を歩む人に生まれる「ペンダコ」なのかもしれないとかなんとか。いろいろ考える。

    でも、誰に対してもその敬意を忘れちゃいけない、と、この度の二人のやりとりを見てつくづく考えることができやしたよ。ありがとう。なんだか抽象的な話でごめんなさい。また気が向いたら樹の話しましょう。ではまた

  3. YesNoBuT says:

    ガメさん、返事ありがとう。
    佐藤氏の考え方や態度を私が解釈するのはそろそろ限界ですが、
    >>佐藤氏のコメント法は防衛ラインを広めにとって踏み越えたら徹底攻撃後排除
    >どういう意味なのか、よく判りません。

    佐藤氏はtwitterにおいて、特に性差別に関して氏の許容範囲を超えた言動をする人に対して、罵倒の嵐を投げつけます。その発動のタイミングは、それらの人々とその同類から過去2chなどで受けた誹謗中傷発言の傾向から、具体的に差別が明らかな発言がまだない、それらの人々が無自覚・無意識で差別傾向を微かにでも表した段階です。このような意味で佐藤氏の防衛線が広いと表現しました。
    ここまで佐藤氏をフォローしている間に、本人が無自覚・無意識で発言した内容で、「差別豚」呼ばわりされて困惑する人を多く見ていますが、それらの人々のTLを遡って確認すると、佐藤氏の判断を否定しなければならない例はありませんでした。このような「人権」に関わる判断で佐藤氏とガメ氏の方向性がずれることを全く想定していなかったので、ガメ氏が標的になった時、私は混乱し、自分を立て直すためにもお二人へのコメントは必要でした。私自身の思考を再構築するための独自な表現が混ざっていると思います。

    「階級」に関しては、自らの所属する集団の負う社会的責任の自覚がガメ氏のこれまでの文章から感じる、私を含む「文を明める」ことを仕事とする日本人の責任感と一番異なる点です。その点を表現するに当たって「階級」という言葉を使いましたが、確かに私自身でも消化不良なところがあります。日本では職業でしかこの集団は組織されておらず、従って所属組織間の対立と組織内上昇のみが目標となる日本的な弊害により、(ガメ氏の)文明を継続する責を担うことができていないと私は考えています。

    >ああ、そうだ、それから何かでわしが「金融市場の研究のために」日本にいる、と書いてられたそーですが、それはちゃいます。

    私はガメ氏が「投資家階級(誤用失礼)」として「日本に投資価値があるか判断しにきている」と表現しました。日本の金融市場の研究なんてわざわざくる必要はないことは私にも判ります。お金持ち一族が、近い将来色々な面で値頃感が出そうな日本について、目先の経済動向を越えて投資を行う「価値」があるのか、暇そうな若いのを送り込んだ、というのが私のイメージです。

    myopicは「近視眼的」という訳語がよく使われますが、時間的にも距離的にも「目先にとらわれた」という否定的な印象です。欧州は現在の主流文明における歴史に物言わせて悠々としていて欲しいところです。”myopic”が目に飛び込んできたときちょうどBGMとして流していたYeats詩集の”a terrible beauty is born”が耳に残りました。

    色々コメントつけていただいている点は他にもありますが、最後に、
    >>小説の感想メールは出して欲しい。
    >いくらなんでも、ここに至って、そんなことは起こらねえーっす(^^;)

    まぁ当然でしょうね。これも説明不足でしたが、最近の佐藤氏の呟きに新作の脱稿があったので、出版後、気が向いたら読んでみてください。佐藤氏の小説は、この新作の内容は未だ全くわかりませんが、従来通り小説の愉悦を最大限与えてくれると期待しています。
    なお、佐藤氏のサイト及びブログ(日記)はTwitter以降更新がまれになり、ガメ氏が言うところの大仰な表現に満ちています。が、サイトは出版社との闘争の経緯や夫君の佐藤哲也氏の映画評とあわせて読み応えがあります。
    http://home.att.ne.jp/iota/aloysius/tamanoir/

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s