佐藤亜紀さんとのやりとりの終わりに


(初めコメント欄へのご返信として書いたが、よく見ると長いので、これも記事のほうに引っ越しさせておきます)

Nym Phaeaさん、p_mume1980さん、YesNoBuTさん、

Nym Phaeaさん、

>画像にある言葉の左から2番目の単語です。

今朝、義理叔父と従兄弟の両方から(別個に)「日本語ブログを読んだぞ」というメールが来てました。
両方ともほぼ同じ感想で
「あの単語は右から2番目ともゆえるな」ということであった。
親子そろって何を考えとるんじゃ。

p_mume1980さん、

>大蟻喰先生の(ファンのはしくれなのでこう呼びます)怒りの執拗さはとても独自な感じがするので、怒られて正面から相手をしたらしんどいことと思います。

わしの妹のほうが千倍くらい怖いです。

>木が何種類か混じって生えているように、国のかたちも文明もいろいろあって、それはいいも悪いもなくそれだけだ、と思ってしまう。ミズナラは、ミズナラだし、1mは1mだし、水は水だと

「科学の子」ですのおー。まるで自分と話しているよーだ。そのうえに科学屋さんには皆ひとしなみに「人間の世の中なんて、こんなもんでえーわい」という種族としての「気分」があって、それが科学に縁のないひとたちから見ると腹が立ってかなわん、というところもあるかもしれません。
「あるがままにものがある」というのは、それでなくても腹立たしいことだし。

>たとえ大蟻喰先生が口を極めて罵ろうと、歴史や一人一人の人が抱えているだろう苦しみや悲しみを保留として思考してみるのは意義があります。

「意義がある」でなくて、たとえ大蟻食先生が自分の弟子を大動員して襲撃してきても、わしらは考えるのをやめるわけにはいかない。
もう時間がないんです。
われわれにはまったく、もう時間がない。
破滅がもうドアを叩いている。

>ツイッタとかウェブ上のことで、あんまり遠慮したり配慮したりして言ってはつまらない。遠慮せず言っても礼儀があるってのが一つの理想と思ってます。

日本では無理でした。

>僕もびっくりした。そして、たぶんああやって激怒する人のほうがもしかしたら多いのかもしれない。

わしがいままで実験してみた結果ではごくごく少数の例外を除いては「全員」だと思う。

>僕にとってはそれは「夜になったら寝なきゃいけないんです。困りましたわ」って言ってるように聞こえてぞっとしました。大蟻喰先生の怒りはそんな矮小なもんじゃないのかもしれないけど、どこかしら近いものを感じるのです。

うん。そのとおりだと思う。

>「ミズナラはミズナラです」としか言えない奴をぶん殴る力を持っていると思います。

潜在的に、その力があるひとですが、いまはその力は全然ないと思う。
なぜ彼は議論しないのだろう?(わしと、という意味ではありません。わし、信頼関係のある人間としか議論しないので、「おまえなんか信頼しねー」とゆわれれば、そーですか、としか言いようがないし)
弾劾演説と仲間内の茶飲み話しかしないのはなぜだろう?
議論というものの力を信じていないのだろうか。
「言葉のひとびと」は、みな議論を通してぐんぐん成長するものなのに。
ああいうタイプの言葉の体系をもっているひとは誰が見たってこれからの十年間が「勝負」(って言葉がヘンだけど)と思うけど、もったいない感じがしますのい。

>ただ、そのためにずいぶんあの人はつらい思いをしてるだろう

ほんとうに、そうですのい。

YesNoBuTさん、

>特に性差別に関して氏の許容範囲を超えた言動をする人に対して、罵倒の嵐を投げつけます

おおおおー、そうなんですか? それはやったほうがいいな。たとえ、わしが標的の栄誉を担ってもやったほうがよい。この日本という社会では、それは緊急に必要なことだ。佐藤亜紀て、えらいんだな。

>具体的に差別が明らかな発言がまだない、それらの人々が無自覚・無意識で差別傾向を微かにでも表した段階です。

イスラエルの空爆みたいなひとですのい。

>「人権」に関わる判断で佐藤氏とガメ氏の方向性がずれることを全く想定していなかった

でも、こうやって見ると、わしと佐藤亜紀さんの「人権」に対する考えは実際異なる。
亜紀さんにとっては、それは「守られるべきもの」だが、わしにとっては、人権はわしをわしたらしめているもの、そのものです。
そこに佐藤亜紀さんの苦労があるのだろう。(こーゆーことをゆーと、また大襲撃が来るかもしれんが、やむをえない。襲撃をおそれて、ものを言うわけにはいかむ。わしKYだし)

>目先の経済動向を越えて投資を行う「価値」があるのか、暇そうな若いのを送り込んだ、というのが私のイメージです。

そーじゃねえんすけど。
なんか、そーゆわれてみると、ほんとーはそれが目的なんじゃねーだろーな(冗談です)

>myopicは「近視眼的」という訳語がよく使われます

myopicは「近視眼的」とはちがう。もっと下を向いているんです。
日本語には該当する表現ないと思う。

>BGMとして流していたYeats詩集の”a terrible beauty is born”が耳に残りました。

おおおおお、いいですのい。わしがときどき、「井筒」とかを大音量で流しながら書き物をするのと同じだな。こーゆーおもいがけない一致は人間を近くする。

..いま聴いているのKeishaだけど(^^;)

>出版後、気が向いたら読んでみてください。

ご存知のことと思いますが、わしらの世界では「あなたは人種差別主義者だ」と言うことは、「ここからあとは、あなたと言葉を使った関係はいっさいもたない」という最終宣言です。
だから日本人が我々に対して「人種差別主義者」と言い募った1940年代に、日本は西洋世界と問答無用の戦争になったのではないですか。
自分のほうから「このあとは問答無用の世界だ」と宣言しに来た人の「小説」なんか読むバカがおりますかいな。

関心なんかもてるわけなし。 
言葉というものはもっと重大なものです。

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One Response to 佐藤亜紀さんとのやりとりの終わりに

  1. YesNoBuT says:

    佐藤氏に関するコメント了解しました。私もすっきりしました。彼女に関してはもう言及しません。

    >そーじゃねえんすけど。
    私自身の「文明」に関する理解に問題がありそうです。欧州文明に対する「支点」を必要とする発想自体、漠然としたものでしか受け止められていません。私は経済学(それも古い)の人なので、「評価」と言えば現在価値で投資になってしまいます。

    ガメさんが詩をよく引用する影響で、最近、ヒアリングの再訓練をかねて詩の朗読をよく聴いています。YeatsはPBとCDを合わせた価格がAmazoneで安かったという身も蓋もない理由ですが、耳に残る詩句が出てきました。Dylan Thomasはボックスを買ったのですが、LPを編集して集めてあるので、誰のどの詩なのか原典をのんびり探しています。

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