トザイケーザイ


世界中のメディアで最も経済についての報道が少ないのは日本のメディアであると思う。
まるで破滅へのカウントダウンにはいっているような財政と産業構造の改革に失敗して蟻地獄のような縮小過程を繰り返している経済を抱えている国が経済について考えるのをやめてしまったように見えることに興味があった。

義理叔父に訊いてみると、もう考えたくない、ということなのだろうな、ということだったが、たとえば膠質の癌は発見されても痛くもなければたいした症状はなくても、ほうっておけばある日には必ず死をもたらす。
死ぬくらいのことはたいしたことではない、という立場も当然あるのだろうが、それはしかし謂わば利己的に自分を納得させ救済するためにとられる立場であって、まともなオトナが他人に向かっていうことではない。
死ぬくらいのことはたいしたことではない、というのは、まだ健全なひとびとに向かって自分がひとりが死んでゆくときのみ正当性がある発言なのだと思います。

日本という国は、まさに死にかけている。
かつての繁栄でつみあげた富は右肩上がりの経済を前提した年功序列制度と、皮肉なことには、日本人があらゆる人間の能力的平等という不思議な思想に基づいて築きあげた社会保障制度によって柔軟な再分配を阻まれたまま、どんどん食いつぶされて、いまでは底をつきつつある。
これまで日本人が自分達の社会を考える時に当然の前提であると考えてきて、いまでも根拠はなくなったが漠然と状況が変わっていないように思いなしている「社会が活動すれば自動的にうまれてくる富」が、すでに存在しなくなっているのに、まだそのことが実感されないまま予算を組み、あれが欲しい、これが欲しい、とあちこちから手を出して、すでに借金してきた結果としてのみそこにある金を誰も彼もが当座の用だ、と言っては攫っていってしまう。

いますぐにでも解決に手をつけなければならない問題はいくらもある。

たとえば、いま一兆円なら一兆円という社会の「富」がここにあるとして、社会を一瞥すれば誰にでもわかる日本の大きな問題は、この一兆円の多くが60歳以上の手に握られていることです。
国は死にかけていても、60歳以上の人間達は世界で最も豊かな層である。
数字的な平均であるより、社会のなかの印象をつくっている、こうしたひとびとの典型的は、すでに住宅ローンの支払いを終えた住居をもち、月に30万円を越える企業年金を受け、時間と金と長年の個人間競争を支えてきていまでも有り余る活動力をもてあましている。

わしの日本人の知り合いは、今年から会社を日本からニュージーランドに移動させることにして、ようやっとビジネス・ビザを取得したが、さまざまな準備を終えて、いざニュージーランドに行こうとすると本人を運ぶ航空券が全然買えなかった。
1月も2月もいっぱいで、キャセイ航空も日本航空もシンガポール航空もニュージーランド航空もカンタスも大韓航空も全部、満席。
このひとが調べてみると、所謂「団塊世代」にニュージーランドは人気があって、このひとびとが退職するにつれてニュージーランドに大挙して観光に押し寄せることになったからのもののようでした。
「去年まで、こんなこと、なかったのに」という。
いったい、あのひとたちは、どこまでおれの人生に祟るんだろう、というので笑ってしまった。

あるいは、日本にいた頃モニとわしが銀座の少しは気の利いたレストランにでかけると、そこで見るものは見渡す限りの60歳代以上のひとたちで、他の国ならば30歳代のカップルが最もたくさんいそうなそのレストランに、やや異様な雰囲気をつくっていたりした。
当時のわしの観察によれば、ひとりあたりの支払いが二万円を超えるレストランになると、六本木や青山、という街の柄を問わず、60歳以上の客が多くなるようでした。

モニとわしが「山の家」と呼んでときどき出かけていた長野県の軽井沢という小さな町にある夏の別荘地も、若い人はほとんどが日帰りでアウトレットにやってくるひとびとでホテルや「別荘」に夜をこえて過ごすのは、やはりここでも60歳以上のひとたちしかいなかった。
軽井沢という町のもともとの性格を考えると、多分、他の国ならば30歳代と40歳代がもっとも目に付くはずのところだと思います。

社会全体が仕事をする人間に対して支払いを遅らせる傾向があるので、人間の活動が最も盛んなときに使えるお金がないのだ、というのがわしの、30歳代の日本人友達たちの説明であった。
「ほんなら、若いひとにもっと給料払えばええんちゃうの?」と、わしが言うと、
「そう簡単にいかないんだよ」という。

この「原因は分かっているけど解決するわけにはいかないんだよ」という不思議な反応は、日本のほぼあらゆる問題について見られた反応で、わしはいまだによく理由が分かりません。
わしは「判っているなら変えればええんちゃう?」と単純に思うが、そうはゆかない、なんだか「呪い」のようなものが社会全体にかかっているものであるらしい。

わしは28歳になるが、仮にわしが日本人であるとして、しかも何らかの奇跡によって「仕事」とかをやる気が起きたとして、どこかの会社でばりばりばりと働くべか、と思ったとすると、たとえばコンピュータ関連の研究職だとして、年収は800万円です、とかゆわれるとキレると思います。
きみはわしをなめとるのか。
どうしても、なめるにしても、そんなヘンなところなめないでね、と思うだろう。
28歳などという年齢は現代の仕事世界にあっては活動力と能力のピークであって、であるから当然、収入もピークでなければヘンじゃん、と考える。
もしかしたら40歳過ぎても同じ能力を発揮するかもしれないし、そういうひともいるのはいるが、だいたいは40歳くらいになれば技術的にやってみたかったことはやってしまっているので関心は家族や「人生」みたいなものに移行してしまっていて、会社で過ごす時間は短くしたい、あるいは、やめちまってもいいよね、と思っている年齢であるほうが普通である。
それに比して28歳はまだ疾風怒濤でやりたいことがたくさんあって、会社から家に帰りたくねーよ、というほうが正常であるくらい人生なんかよりも仕事のほうが楽しいのが普通の年齢です。
えっ?おまえ仕事してへんやん、って?
わしは根っから出来が悪いので遊ぶほうが仕事よりも楽しいのじゃ、ほっといてくれ。

40歳くらいまで頑張れば、50歳すぎてからいっぱい給料あげるから、というのは、理屈として完全に根拠不明である。
わけわからんやん、そんなん。
日本の軍隊は戦死しないと絶対に褒めてももらえず勲章も出ないので有名な軍隊だったが、なんかそーゆー文化的なことがあるのかしら。
どことなく、いまは日陰者としてお妾さんでいてもらうしかないが、十年、床で尽くしてくれれば正妻にも出来るから、ちゅうふうにゆわれているみたいでもあって、淫靡で因業な感じがする。
不健全である。
インチキっぽい響きがある。

ニュージーランドや豪州、シンガポールというような国ではお金を持っているのが若い層なので、クリスマス前というような時になると、景気がよくても悪くてもバンバン使います。クレジットカードが底をついて悲鳴をあげて、きゃあああ、もうやめて、お願い、やめて、もうこれ以上使われたら磁気テープがこすれて、すりきれてもたんわい、というところまで使う。
この頃になると国民の平均預金が一瞬マイナス400ドル、とかになるとゆわれておるからな。

だから不景気だあ、クレジットクランチランチだあ、と言いながらカフェは常に満員、モールは押し合いへし合いで、浮かれておらんでまっすぐ歩かんかい、ボケ、という事態が現出される。

若い層に金が渡る、というのは社会で流通している金が若い、ということなのです。
ところが日本ではもう人生の終盤に向かうひとびとの手に富が偏在しているので、オカネそのものの活動が老化して使われ方が凡庸である。
社会が変化してゆくような方向にオカネが使われていかないようだ、と思いました。
レストランひとつとっても、たとえば中華料理屋なら高級店ですら麻婆豆腐に炒飯ちゅうような古めかしい退屈なメニューにしがみついておる。
逆に工夫で頭をいっぱいにして横浜中華街にやってきたシェフは、どんなに工夫してメニューをつくっても客が麻婆豆腐と炒飯しか頼んでくれなくて、たまにお褒めに与りにテーブルに呼ばれていってみると「あなたは炒飯をいためる技術がすごいねえ。このチャーハンってのはさ、中華料理の技術が全部でるくらい難しいんだよねえ」とかゆわれてくさりまくる。
まさか、チャーハンの米粒がぱらぱらで中が微妙にしんなりなんてのは、中華料理人の基礎の基礎なんだぜマヌケ、とかと客に向かっていうわけにはいかないので、黙ってシドニー方面やバンクーバー方面に去ってゆくのです。
社会としてもメルセデスのCクラスが売れるより、どうせ外国製品でもアンドロイド携帯やiPhoneや大容量SSDのPCがばしばし売れてくれたほうが嬉しいし、なんでシュガーシンクやドロップボクスみたいに使い勝手の良いサービスが日本にはないねん、とぶーたれる客がいたほうがよいが、しかるべくコンピュータ産業の歳入になるべきであった金は、メルセデスディーラーや健康食品店、ひどければ銀座のまだるこしい疑似売春産業のおばちゃんたちの着物の合わせ目に消えてゆくのである。

またたとえば他の焦眉の急の問題は、いちど金融システムに預託されたオカネが…と書き進めようと思ったが、長くなってきた(いつものこっちゃ)し、外の天気が余りに良い(今日は典型的なクライストチャーチの夏の天気で、乾いてさらさらした空気を、透明な太陽の光が照らしている。町中が緑色に輝いておる)ので出かけたくてたまらないしで、続きは今度にしてっす。

サッポロビールで有名になったスティールパートナーズが、大速力で「脱兎のごとく」といいたくなる勢いで日本から撤退しつつある(あの「天龍製鋸」株の投げ売りの勢いはなんだ)というような他の国なら当然ニューズだべ、というようなことも経済欄にすら取り上げられないのを見ると、えええー、もう日本のひとって「経済」とかやめちったのかなあ、と考えるが、あるいは違う言い方をすると、「経済」ほうっぽらかしといて「国防」とか「領土」とかゆってて何の意味があると思ってるねん。
現代の下品な国家保障は、これを翻訳すると「この世はカネさ」なのを知らんのか、と思うが、まあ、よろしい。

遊びに行こう。
懸案のギャラクシーSも、やっぱし買うべ。
有機ELカッチョイイし。

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3 Responses to トザイケーザイ

  1. ponpoko says:

    どうも!楽しく読ませていただきました。去年の今頃にも何回か書き込みさせてもらってたんですが、ブログをやめられたものと思っていたので、先日たまたま復活したのを見つけて嬉しかったです!!

    ちょっと、前の名前はなんって名前で書き込んでたかわからないんです、すみません。青森がどーとかいう話をして、白神山地に来ませんか?というお誘いをした者です。

    今回の記事ですが、
    「28歳などという年齢は現代の仕事世界にあっては活動力と能力のピークであって、であるから当然、収入もピークでなければヘンじゃん(中略)40歳くらいになれば技術的にやってみたかったことはやってしまっているので関心は家族や「人生」みたいなものに移行してしまっていて、(中略)あるいは、やめちまってもいいよね、と思っている年齢であるほうが普通である」

    という部分は私の実感とは合わないですね。多分それは日本以外の国では普通なんでしょうけど。良い悪いは別にして、日本では60歳の定年までバリバリ働くのが良しとされてた時代があって、今の40代ぐらいもそれを引きずってきてる感じがします。

  2. ponpoko殿、

    >今の40代ぐらいもそれを引きずってきてる感じがします。

    わしは「人生12歳定年制」を採用したので、もう人生おわってるし。

    • ponpoko says:

      いやー12歳で定年になれたらある意味で人生楽しそうですねぇ。うらやましいです(>_<)

      そういう事が不可能な私なんぞは頑張って70歳ぐらいまで働く予定です!

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