トザイケーザイ_2


日本にいるあいだ「日本の国内市場での『円』て効率が悪い通貨なんちゃうか」とヘンなことを考えた事があります。
鞘をへつられ ぴんを削がれ というが、どうも50円のことをするのに100円はかかるような気がする。
物価が高いんだから、あたりまでしょう、という人が当然いるだろうが、ちょっとまっておくんなまし、そーゆーことではないのです。
オカネがスカな感じ、というか、そういう話をしたいのだ。

ついでに書いておくと、あの有名な「都市別物価高ワースト10」ちゅうのは、どういうインデクスの取り方をしているかというとたとえば某イギリス版は「連合王国のビジネスマンが一日の生活でオカネを使うことを各都市にあてはめて比較」してつくる。
朝食は、ポーチドエッグとベーコンとトーストとフレッシュジュースにコーヒーどすな。
卵料理のところはオムレツやめん玉焼きのこともあるだろうが、小異はあれども大同は動かぬ。
マンハッタンなら安ければ5ドルでこの朝食は食べられる。
5ドルの奴だどベーコンがほんとうは段ボール紙なのではないかという味ではあるが、北京の肉まんと違って一応豚肉です。
ではこれを東京で食べるとどうなるかというと、どうなるかもなにも食べるとこないやん。
高級ホテルなら、あります。
安くて2500円、普通3000円、高ければ4000円ですのい。
極端にいうと、だから日本での「朝食コスト」は3000円、ということになる。
夜も調査対象メニューがビーフステーキとかなので、これも東京では200グラムくらいでも、嫌がらせでやっとるのか、というような値段である。
コーヒーに至っては、もともとは殺意を抱きたくなるような価格であった。
だから「東京の物価」というのは、すげー高い、ということになっているが、日本のひとはわかると思うが真実をぜんぜん反映してないよね、あれ。
現実の東京人は、朝食を「小諸そば」で食べたりする。
300円、とかだな。食べたことがないからほんとうはよくわからんが。
わしが大好きな、ゆで卵と不思議な味のコーヒーと、あのオモロイ謎の分厚いトーストのクラシック「モーニングサービス」もあるしな。
あの「モーニングサービス」はカッコイイ。
わしは大好きです。
シブイ、と思う。
夕飯だって、とんかつなら1000円でしょう。
「とんかつ」が調査項目対象になっていないだけのことです。
だから東京の物価などはリストでゆわれる物価の半分も実勢がないと思われる。
家賃、とかが、ぶわか高いので「ほんとうは調査よりも物価が安い」と言い切れないところもあるが、こっちはこの記事の本題に関係があります。

オカネにも若いオカネと年取ったオカネがある、と「トザイケーザイ」でちょっと書いた。
若いオカネはたとえばシンガポールのオーチャードロードに行けば大量に消費物資と交換されているオカネであって、あの国ではオカネをもっているのが若年層なのでオカネは使うためにある。
わしのシンガポールの友人たち(20代後半)も見ていて気持ちよいくらい使います。
A某は、迎えに来るクルマが4年前はカローラだったが先月会ったときはメルセデスのSクラスだった。
「オダイジンでねーか」とゆって冷やかすと日本のひとそっくりの照れ笑いを浮かべながら「ARF(登録料)が100%に下がったからね」という。
シンガポールではクルマは日本のだいたい5倍くらいの値段だったが、最近は3倍くらいになった。だから、たくさん売れている。
モールに行けば、買い物袋をいっぱいぶらさげた若いカップルが買い物にくたびれはててカフェでコーヒーを飲んでいる。
午後3時という中途半端な時間なのに、去年できたカッチョイイ流行最先端レストラン街にある「大戸屋」(^^)も満員です。

「若いオカネ」は社会を豊かにする。
理屈は簡単で、若い人間たちが購入するものは社会の生産性獲得に結びつきやすいものが多いからであるに決まってる。
いちいち例を挙げる必要はないと思うが、それに較べて「年取ったオカネ」は社会を後ろ向きに引っ張ってゆく。
いまのつくられた「昭和ブーム」がその典型だが、年寄りのノスタルジアは自己満足で完結するだけなので、どちらかというと社会の足をひっぱる方向にしか使われない。

わしは、日本にいるあいだ、統計から眼を離して、インデクスも見るのもやめて、若いひとびとと話してみると日本の衰退は社会全体で常識だと信じ込んでいる「あと払い方式」にあると強く感じました。
年金も、そういう見方をすれば20歳になった人間に「45年経てばよいことがあるからね」とゆわれているだけであって、しかも、言ってしまえば、いまの日本の財務状況と産業構造という「大きな絵」や、政府の失敗に失敗を重ねてカネをすりまくっている年金積み立て金の運用を見てもなおかつ、ほんとうに45年たって積み立てたカネが(年金としての利得はもちろん)元金として戻ってくる、と信じるひとはいないでしょう。
せいぜいインフレが1000%で、千円が一円の価値しかない社会になって月に10万円だかの年金を渡されて「ほおおおら、ちゃんと約束通りの額の年金を払ったでしょう?」とゆわれるくらいがオチである。その「10万円」で明治製菓の板チョコが一枚買えれば、もって瞑すべし。

「年取ったオカネ」には、もうひとつ面白いことがあって、お札に「くれくれ君」たちの指紋が、いっぱい、べたべた付いている。
電子書籍の話題が登場したときに出版社が「作家の取り分は15%にする」と大急ぎで宣言して、わしを愉しませたが、ああいうことが「日本経済」というもののひとつの典型だと思います。
よく考えてみなくても電子書籍でもっとも減少するのは出版社側の「青焼きモード」に入った編集者の仕事に代表される仕事の工程であって、そうした職人的な仕事の大部分電子書籍になれば消滅する。制作部分に至ってはどんな仕事が残るのか想像するのが難しい。単純な意味における校正やなんかが自分で出来るというと実は作家が自分で書いたものを自分で流通させてしまえます。
であるのに85%出版社に上納金を払え、という宣言の根拠は、
「そうしないと、ぼくの給料が払えないんだもん」という日本特有の豪快な理屈によっている。
作家、という「ものをつくる」側の視点がのっけから無視されているのだから、そーゆー社会でものをつくる人間たちが嫌気がさして、もうヤンピにならなければ、そっちのほうが不思議であると思う。

前に、iTunes+iPodがもともとは日本の会社の発想でありながらアップルにもっていかれてしまった事情を書いたが、あの著作権協会のやりかたも「正義」で武装したくれくれ君そのものでしかない。

わしの「山の家」があった長野県というところは面白いところで、鄙ひなした田舎の細い、最近一ヶ月はクルマが通ってないな、これは、という感じの道を四輪駆動のクルマで運転してゆくと忽然と巨大な橋が架かっている。
なんじゃ、これは、と思って地元のひとに訊くと、要するに長野県の主要産業は「公共事業」であって、はっきりゆっていりもせんものをバンバン国の税金でつくらせて、そのおこぼれにくれくれ攻勢をかけるのがゆいいつの「産業」なのだ、ということでした。
その頃の知事はムライというひとだったが、あの知事さんの仕事、それだけだし、とゆってその会社社長のおばちゃんは「ニッ」と笑った。

ふつーに考えれば東京から大阪までまっすぐに近づけるべきリニアモーターカーの路線を、ぎゅううういんん、と北に曲げて見せた、あのブラックホールの重力が光をへし曲げてしまうがごとき「長野案」の強烈なパワーは実は「くれくれ君」たちの念力だったのである。

某県の30代のインテリア会社社長は、サイトを開いて全国相手に商売をすることを思いついて首尾良く成功した。
しかも「日本の田舎はみんなそーゆーものなんだけどね」と彼がいうには、サイトを開く、と決めたら、さんざん「どうせうまくゆくわけがないのに」とか「若造の浅い考えでくだらないことをやって」とゆわれたそーである。
ところが、ある朝玄関の呼び鈴がなったので出てみると、
「40人くらい連れだって地元の社長たちが並んでんだよ」と、わしがコーフンするくらいオモロイことをいう。
おれたちにも分け前を寄越せ、っていうんだよ。
ひとりで成功していいとおもっとるのか。
そのなかにね、と、彼はハムレットのような悲しみに満ちた顔でつけくわえるのだった。
自分の父親まで混じってたんだから、やってられないのさ。

日本におけるオカネの「使いでのなさ」は、どうも、オカネの価値が、こーゆー、くれくれ君たちの取り分によって希釈されているせいであるように思われる。
1000円の価値の商品なりサービスなりが市場を流通してゆく過程で、3000円くらいは「くれくれ君オーバーヘッド」がくっついてくるもののよーです。

解決は、もうブログでもツイッタでも何度も何度も何度も繰り返したが、「若いひとにオカネを払う」しかねーんです。
絶対に、他にはない。
「初任給」というような言葉が死語にならないうちは日本の経済が復興するなんてありえない。
オカネというものはそういうものであって、潤沢にあっても人間を幸福にしないが大幅に不足すれば確実に不幸にはする。
日本の若い人は「日本語」という巨大な壁のなかに閉じ込められた懲役囚のような存在であって、年期をつくせば出所も出来て、めでたい出所の日には十分なカネも渡してあげるから心配するな、と言われて半信半疑で暮らしているが、わしはナマケモノなので経済に明るいねん。
わしが保証してあげよう。
そんな「将来に報酬されるべきオカネ」なんて全然でないから。
わしは日本にいたとき全然テレビを観ないので知らなかったが、なんだか政府が「年金を払えないなんて誰が言った!」という広告があったそうだが、誰て、数字が保証してまんがな。
第一、これも前に書いたが年金制度なんちゅうもんは、もともと人間が65歳まで生きていない前提で思いついた制度で、受給開始年齢が平均寿命と同じかそれより後でないと運営できひんのはほんとうは当たり前なんです。
それを社会保障に組み込んでしまったので、マイケルジャクソンの歌の著作権に投資してみたり、森林に長期投資したり、ヘッジったりリバレジったりしながら、懸命にごまかしておる。
まして日本の場合はジジババという箪笥に富がしまわれてしまったので、見た目の「富」なんかは加齢臭がついたままゴムがゆるんで黄ばんだ下着の下にうもれてしまっておる。
実質的に流通して消費にインパクトをもてるような富は統計にあらわれるより遙かに小さいとゆわれている。

義理叔父の友人の高級レストラン経営のおっちゃんがオモロイことをゆっておった。
団塊以上のひとは確かにオカネが有り余っていて、いいお客さんなのだが、いったん病気をするとピタっと来なくなる。
病気をするまでは、ただ漠然と国民保険やなんかの保険でほとんどの部分はカバーされるから、と思っていたのが、いざマジで病気になってみると、築地の病院などはいちばん安い部屋で一泊12万円だとゆわれてぶっとんでしまう。
こわくなって、次に病気になったときに備えてまったくオカネを使わなくなるそーです。
人間の心理の自然、というべきである。

「年とったオカネ」の消費には、そうやって「脆い」という属性もあるのだな。

相変わらずヘンなひとが来るので念のためにゆっておくと、わしはいつもいつもいつも念をおすように「年寄りにオカネがあるよりも若いひとにオカネがあるほうが『よい』ことだ」とゆっているのではないのです。
年寄りがお金持ちでカネの心配をしないですむことは、誰が考えたって「良い」ことであるに決まっておる。若いもんに年齢不相応な大金をもたせるとどういう醜悪な人格になるかは太平洋でひとりぼっちでなかったほうの堀江(元)青年をみれば明らかである。
しかし、しかあああし。

現代市場においては年寄りにカネが偏在してしまうと、年寄りのじーちゃんやばーちゃんがそれに備えて冨を備蓄している、その「冨」そのものが社会から消滅してしまう。
ついでに社会も消滅してしまうでしょう。
嫌なことをいうと地政学的にもお互いの「あるものと足りないもの」を考えると「乱雑さの法則」によっても、少なくとも日本は実質的に中国の一部と化すに違いない。
いまでも中国のひとは目立たないように(中国のひとは日本人の自分達に対する偏見を熟知しているからです)なるべく小さくて独自技術をもっている会社から、どんどん買収しようとしている。
まだ日本社会の反応をはかりかねて、おっかなびっくりやっているが、日本の社会も背に腹はかえられぬ、やっぱりこの世はカネさ、という反応とわかれば一挙に買収攻勢をかけると決まっている。
それが悪いことであるとは、わしは実は思いませんが、日本という社会の独自性は消えて、経済から始まって文化に及ぶまで「中国圏」になってゆくのはまず間違いのないことに思えます。
その頃にはインターネット上で、あるいは活字の上で勇ましい愛国的言辞を弄して「反中国」を唱えているひとたちは、まっさきに中国のひとびとのお先棒を担いで「チューゴク様のお通りだぞ」をするであろう。
歴史が予言している。

現代の世界では一国の安全保障はすべて経済の安定した繁栄にかかっている。
ミサイルもイージス艦も沖縄の基地も経済という保障に較べれば気休めもいいところで、あんまり役割があるとは申せない。
経済が枯れてしまえば、そんなもん、あってもなくても同じなんです。
そのことをよく考えてみれば、そういう面からも、このオカネの実効的価値が低い国で若い人間を時間給1200円とかいうアンポンタンな奴隷給でこきつかっておいて、しかも一週間の半分は来ていただいた方がいいかどうか判らないので自宅で待機していてくださいね、決して待機は強制ではありませんが、必要なときに連絡がとれないときは次回に影響することもありえます、なんちゅう反社会的を通り越してマンガのような会社は日本の国という観点から見れば国を滅ぼしにかかっているようなもんです。
企業として社会に貢献したいと思えば、つぶれてくれるのがいちばんである。

…また金融機能に話がすすまないうちに長くなりすぎてしまった。
まあ、いいべ。もう疲れたからやめるべし。
第一、我が親愛なるロスアンジェルスの猫男 http://d.hatena.ne.jp/DrMarks/  などは、ツイッタを見ておってもオカネのことは根っからアホなので、この記事を読んでくれてもいまごろは退屈してスクリーンの壁紙のなかに頭を突っ込んで壁紙を食い破りながら眠りこけておるに違いなし。

またにします。
でわ。

This entry was posted in 日本と日本人, 日本の社会. Bookmark the permalink.

3 Responses to トザイケーザイ_2

  1. ぽんぴい says:

    あのね、日本では
    金持ちのじい様が、娘や息子に財産を分けてやるときには
    じい様が腰砕けになって
    もうじき死ぬときですわな
    これ、日本の伝統です
    だから若者が土地や金を手にするのは
    老夫婦が死ぬ間際まで待たねばなりません
    これはこれで良いと思うよ
    世界経済なんて お国に水が無くなっただけで
    様相が変わるじゃないですか
    ガメが、経済経済経済
    と思うとき
    どこまでも貨幣経済が念頭にあるんじゃないですかね
    どおでしょうか

  2. マルクスヒロシどの、

    >政府が老後を保障してくれなければ自分で自分の身を守らなければならないからな。悪循環じゃ。

    ほんまですのい。日本の場合は老後保障に失敗した(政府はまだ認めていないが誰がみても、もう無理)理由は金融技術の立ち後れとか、そういう深刻な理由もあるみたい。株への投資で自前で決めたのとかは全部「天井づかみ」だし。
    役人は金儲けなんて出来ひんのやから、プロにまかせればよかったのに、それをしなかった。この点ではアラブのデッタラメな王様たちのほうが賢かったようです。
    いまは失敗したのに失敗を認めない、という黄金パターンにはいってしまったので、いま40代前半から下のひとは下手すると老後は飢え死にするかもしれませんの。長野自動車道の「姥捨」を通る度に考えたものでした。

    ぽんぴいどん、

    >世界経済なんて お国に水が無くなっただけで
様相が変わるじゃないですか

    訳わからんことをゆってないで、ぽんぴいも銀行のオカネ全部下ろして「お国のため」に町にでてパアアーと使わんかい。

    >ガメが、経済経済経済
と思うとき
どこまでも貨幣経済が念頭にあるんじゃないですかね
どおでしょうか

    ここでは「消費経済」のことに眼をつけておるのじゃ。
    誰もゆわないから、わしがゆってみんべ、と思って書いたの。
    経済はものを見る角度、俯瞰する範囲によって当然対象の性格すら異なります。
    あたりまえやん。

    ぽんぴい、元気どしたか?
    ひさしぶりに会えて楽しいわい
    風邪をひかぬよう、あるいはこれ以上アタマが無茶苦茶な「ぽんぴいアタマ」にならぬよう、気をつけて暮らしてね。

    • ぽんぴい says:

      ガメ、うまいこと言うなあ
      お主、天才かもよ
      来年もこの調子で、日本を語って下さい
      読んでると、すごく楽しいぜよ

      お主の日本語に対する愛情に感謝を混めて(あ、込めてか)
      この先も、俺たち夫婦を楽しませてくれなされ

      お主が元気に、日本を語ってる文章は、まことに楽しい
      褒めて遣わす

      どっちかというと、批判的なことを言ってくれた場合に
      俺は君の豊かさを感じております

      よい落としを
      (あ、、、、、お年だ)

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s