壊れた時間


日本の工業製品の品質が高いものになったのはたかだか1950年代以降のことにすぎない、というのは前にも書いた。古い英語の辞書にはmade-in-japanという単語が載っていて、その意味は「安いが品質が悪いもののこと」であることもそのときに一緒に書いたと思う。なぜこの単語のことを書いたのを憶えているかというと、実はわしが戦前の日本の工業製品の品質がひどいものであったことを知ったのは、この単語の意味を不思議に思って歴史を遡ってみた結果であって、それまではわしも当然のように「昔から日本の工業製品の質は高かった」と誤解していたからです。
笑う人もいるかもしれないが、漠然とそう思っていたのには「零式艦上戦闘機」の影響がおおきい。戦艦のようなものと違って(とゆってもドイツのように4万トン級の戦艦を軽快に運動させるディーゼル機関をつくれたような国は別だが)航空機というのは、材料工学から始まってベアリング、精度の高いQCというような先進的な工業力が必要だからです。
ところが零戦のような航空機も技術者がそれまでの経験から日本の当時の劣悪な工作技術でも飛べるようなデザインにしたから飛んでいたのであって、たとえば三式戦飛燕のような液冷エンジンをつくるとデザインは工作が簡便なので有名なメルセデスのコピーであったにも関わらずもう工作技術が追いつかなくてまともに飛ばなかった。
それからこれへと調べてゆくとスペック的にはカッチョイイ伊号潜水艦も潜航すれば必ず水が漏って慌ててタオルを詰めねばならず、始めに挙げた零戦も編隊が離陸すればたいてい一機は増槽と機体の継ぎ手の部分から燃料の白い糸をひいていた、というような具合だった。
観念的な技術は「西洋」に追いついていても手はついていけていなかったのでした。

それが1950年代を境に見違えるしかない品質になったのは、アメリカ人達のせいだったという。
朝鮮戦争が始まって巨大な兵器工廠が必要になった合衆国は日本にそれを求めた。
増槽タンクのようなものから始めてだんだん精密なものも日本でつくってしまえばよい、ということになった。
だって、あいつら、ついこのあいだまで似たようなもんつくってたわけだしな。
7.7mm以下の銃は弾道性もよかったってゆーやん。

ところがいざ納品になってみると、凄まじい不良品率で頭を抱えてしまった。
こんな部品で戦争させられたら、うっとこのヘータイはみんな事故死してまうがな、というすごさだった。
やることが粗っぽくて、投げやりなのです。

このときに合衆国人たちに雇われた連合王国人たちが工場を視察して発見したのは日本人の作業のスピードがベラボーに早いことで、連合王国の工員がジーコジーコウイーンウイーントントンとゆって作る部品をジコジコホイチョイジコジコホイチョイという調子でつくってしまう。連合王国人が5つつくるあいだに8こつくる。
でも連合王国人の5個が全部動くのに日本のひとがつくったのは3つ壊れている。
「それではダメだ」というのが合衆国人たちと連合王国人たちの教育の内容で、具体的には「もっとゆっくりつくらないとダメだよ」ということでした。
日本のひとは「やりかた」はもう知っていたが、そのやりかたでものをつくるのに、どのくらいの時間をかけるのが適当か、ということを知らなかった。

成田エクスプレスに東京駅から乗るとき、目の前で新宿から来た車両と池袋から来た車両が連結されるところでした。
見ているとおもしろい。
ぷおおおお、とタイの象さんが仲間に警告するときの鳴き声をもうちょっと硬くして大きくしたような警笛をひびかせて、まず、ぐっと近づきます。
そこで止まる。しばらく、じっとしてます。
そこから、ゆうううううくりゆうううううくりセンチ刻みで相手との距離をつめていってガチンと連結する。
そのゆっくりさが人間の普通の感覚よりももう少しゆっくりなせいで作業をしている人達が大きな集中力を獲得できているのが見ていてわかる。
運転士は息をつめて運転しているかもしれません。
わしは、笑ってはいかむ、その作業と作業のあいまの異常なくらい長い「間合い」に文明を感じました。
しかもそれは紛うかたない「技術文明」の産物である。
日本が140年の猛勉強のはてに獲得した技術文明がすんなり稼働するための「時間」を獲得したのだと大げさなことを考えました。

ものをつくるには、あるいは技術的な作業を行うのには作業の内容に依存した「最適な時間の流れ」というものがあって、それは案外ひとによって違ったりしないものだ、というのは実は比較的よく知られていることなのかもしれません。
文明の悪の象徴のように言われる大量生産の流れ作業のコンベアの速度などについてさまざまな論考を遊び半分で眺めていると、わしなどは逆に、個人差というものの意外なくらいの小ささに打たれてしまう。
作業の持続時間にはおおきな個人差があっても作業に最適な時間に関しては大半のひとがもともと似た時間になっている。

自分が子供の頃からものをつくったりするときのことを考えても、プラモデルの組み立てにしろ、塗装にしろ、あるいは犬小屋の建築にしろ、物置小屋のペンキ塗りにしろ、まるで誂えたように「最適時間」というものがあって、その時間の定型にうまく「乗る」と作業が不思議なくらいうまくいくもののように思い出される。

そりゃ、きみがいいたい時間と作業の時間の関係はいいかげんもう判ったけど、いったい何がいいたいの?
と、きみはいうであろう。
うふふ。
言いたいことは、ここからヘンなほうに行ってしまうんだけどね。
まあ、聞いてくれたまえ。

わしは他人のツイッタを眺めているのが好きなので、よく全然関係のないひとのツイッタを眺めます。
ねむいー、とかはらへったー、とか。
英語のツイッタは殆ど大勢でやってきたパブで言い交わす冗談を文にしてオモロイ冗談をゆって笑かしてやろう、ちゅうようなのが参加するひとも増えていちばん盛り上がるパターンである。

日本語のは、もっとマジメなのが多くて、いちばん盛り上がるのは唱道者がいてそれに人がぞろぞろ付いて歩くようなのが人気があるよーだ。
大本教のお筆さき、とかはいまなら絶対ツイッタでやってるよね、という感じがある。
出口直などは、いまなら偉大なツイッタの女王だのい。
あれだけの強烈で実質的な思想性があれば実際ツイッタを通じて強力な教団をつくれただろう。
それはともかく、
たまに賢い人がふたりで向き合って議論しているものもあります。
運が良いと、そういう組み合わせがみつかる。
こういうのは、たとえは悪いが天気の良い日にウインブルドンのベンチに腰掛けて白いコスチュームのテニスプレーヤーが延々と見事なラリーを繰り返しているのを見ているようなものでたいへん気持ちがよい。
見ていて、人間って、やっぱりサルよか賢いやん、キイイィイーとかゆわないし、と思う。

で、そーゆー知的なラリーが続くときにやはり話柄ごとに適切な「時間」があるように見えるのです。
反応速度が速すぎるひとは、やはりちょっと見はカシコゲでよくてもダメなのはすぐに判って話すことが自分で頭のなかに貯蔵しておいてあったものを述べているだけである。
相手がちょっと自分が予定した知識や思考の範囲から外れてくると、見当違いの反応を示しだすか、誤解におちいって自爆するか、はなはだしきに至っては怒り出すひとまでいる。

わしは考えに、というか考えの在庫の放出に加速がついて喚きだしたりしているひとを眺めながら、古代ギリシャ人や古代ローマ人が議論を寝そべってやったりしたのには理由があるよな、と再確認する。

わしの裏祖国の友達でひとり、「ドイツ人が議論が非生産的なのは、あのひとびとがビールをぐびぐび飲んでしまうことと深い関係があると思う」というひとがいた。
テムズの脇の、夕日があたるパブで、のんびり、裏祖国式にドラフトをちびちびすすりながら話しているときのことです。
「ああいう『時間』からはなにもうまれてこないのではないか」

あるいは忙しいひとには恋と議論をする資格はない、っちゅう詩人がおったな。
グレイ、だっけ。

日本にいるあいだ、わしがたびたび考えたのは、社会全体に「なにかをするときの適切な時間のかけかた」っちゅう考えが、ひょっとすると、この社会には欠けているのではないだろーか、ということでした。
もっというと無闇矢鱈に忙しくすることが生産性をあげることだと誤解しているよーな気がする。

えーと、どんな例がいいかな。
ほら、数学の先生とかに、問題を読んだらまず天井をながめて考えなさい、とか言われなかっただろうか?
すぐに鉛筆を握りしめて計算を始めるようなバカなことをしてはいけません。

あれは、適切で、しかもガキの側からしたらもっと深刻に受け止めるべきアドバイスだということは数学のひとならすぐにわかる。
天井を見て考えているのは解法だけではない。
その問題がテンポを伴って要求する問題と対話するための適度な「時間」もそのときにつかみとれとゆっているのです。

いまはまだ全然うまく言えないが、日本にいるあいだじゅう、なんだかいつも追い立てられている、というか急かされている、というか、音楽がない感じ、というか社会全体の「リズム」や「時間」というものが壊れていて、それがものすごい量のストレスと非生産性を生んでいるように観察したものでした。
あの壊れた時間のなかで人間が生きてゆけるのが不思議な気がした。

いつものこと、あんまり長くなったので、そろそろやめるが、幕末の連合王国人が書いたものを読んでいて「へっ?」と思うのは、連合王国人たちやフランス人たちが「日本人の遅刻癖」にうんざりさせられている様子で、会見をセットしても、どうも昔の日本人は30分や40分遅れるのはあたりまえだと思っていたよーだ。

西洋人たちは、いつまでたっても現れない日本人たちにイライラしながら「これだから非文明人は困る」と思ったようだが、わしは、それは実は逆ではなかったか、と思っています。

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4 Responses to 壊れた時間

  1. p_mume1980 says:

    こういうのは、たとえは悪いが天気の良い日にウインブルドンのベンチに腰掛けて白いコスチュームのテニスプレーヤーが延々と見事なラリーを繰り返しているのを見ているようなものでたいへん気持ちがよい。

    あるある。そういうこと。
    (たまにそれでリズムを外して失敗するしね)
    息が合うというか、2人(とは限らないけど)の話が
    とんとんと進んでいって、なんだかものができる。
    ちょうど、腕のいい職人さんがちょいちょいと
    正月飾りを作ってるのを思い出しました。
    帝国ホテルとかのどでかいやつ!
    企画なんかでも3人くらいでああでないこうでないと
    好きなこと言って、2人がぶっ飛んだこと言い、
    一人が、あほかそんなんできるかぼけ、みたいな
    ブレーキをするととんとんとんと話が運んで気持ちがいいっす。
    (仕事なんてほとんどそれが楽しくてやってるような…)

    日本にいるあいだ、わしがたびたび考えたのは、社会全体に「なにかをするときの適切な時間のかけかた」っちゅう考えが、ひょっとすると、この社会には欠けているのではないだろーか、ということでした。

    その話を成田エキスプレスを引き合いに出してするのが面白い(^^)
    時間感覚を失ってるというのは、もう日本の問題の諸悪の根源だと思う。
    僕はサラリーマンやめてからよーやく、実家で庭と空と樹を
    毎日眺めて暮らして、とくにこの1年はよーやく
    時間の勉強をしているところです。
    だから、毎日楽しい。あたしゃ小中高大16年もガッコ行って
    何をアホなことをしてたんだろうかーと愕然としている。
    日本の学校では時間をどうやって消し去るかの勉強をしてる。
    (そうでないのもあるけど)

    植木屋さんの動きを見ても似たことを感じる。それほど速くないけどあっという間に
    終わってる気がする。お十時とおやつにあんなにだらだらしてるのに(笑)

    最近マイブームの俳句も、風景を見てから、詠むまでかかる時間もいろいろあって面白い。10秒で出てくることもあるし、
    3日かかることもあるし。10年前のことを詠むこともあるし。

    夜気凍り たなびける息 友還る

    長くなり失敬。よいお年を~ CiaoCiao!!!

  2. ponpoko says:

    今日も面白いお話でした!ありがとうございます。

    全ての記事にコメントを付けたいのに、なかなかそこまでの余裕を作れずに残念に思っいた自分にとっては、ちょうど考えさせられるものがありました。

    「考えの在庫の放出」って面白いなー、と思いました。ツイッターとかじゃなく普通に会話してても、まくしたてるように話す人って、このたぐいだなと。喚かないで、そっからお互いにじっくりと考えながら話す濃密な時間にできれば良いんでしょうけど、私自身もユックリ進むのが苦手な、粘りの無いタイプでして・・・。

    そこで
    「古代ギリシャ人や古代ローマ人が議論を寝そべってやったりしたのには理由があるよな」
    ときたので、私としては再確認するってより、そうきたかー!って感じで感激しました。

    日本の社会全体に「なにかをするときの適切な時間のかけかた」が欠けているのではないか、というのは、もしかしたらガメさんとは感じ方が違うかもしれませんが、私はマスコミ報道とかの刹那的なあり方に感じたりしてます。

    「無闇矢鱈に忙しくすることが生産性をあげることだと誤解している」ってのは、残業を強いられて、忙しいというのが偉いことだ、という感じの日本企業の体質に感じたり。

    数学の例えは、私もガキの頃に言われましたが、全く深刻に受け止めなかったです。テンポとか未だにわからんです。

    「日本にいるあいだじゅう、なんだかいつも追い立てられている、というか急かされている、というか、音楽がない感じ、というか」
    ってのは、日本人として生まれて、ずーっと社会の歯車として生きてくんだろう私には深刻な問題ですねー・・・。

    「社会全体の「リズム」や「時間」というものが壊れていて、それがものすごい量のストレスと非生産性を生んでいるように観察した」
    ってのも非常に考えさせられました。改めて、面白い記事、ありがとうございました!!

  3. nammy says:

    内容とは関係ないのですが、
    “ジコジコホイチョイジコジコホイチョイ”よりも”ジコジコホイチョイジコジコホイ”のほうが語呂がいいのでは?

  4. nammyさん、

    いま口ずさんで見たが、わしの音感の勝ちじゃ

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