Monthly Archives: February 2011

最後の特例公債法案

今度の国会の常会では外国人たちも注視している法案がひとつある。 来期予算を組むための「特例公債法案」がそれで、日本という国全体がカミカゼ予算に踏み込むかどうか、という瀬戸際である、と認識されている。 貧すれば鈍す、という。 恒産なくして恒心なし、ちゅう言葉もあるな。 眺めていると、日本の経済政策を決定するひとびとは正気を失いつつあるように見えます。 この選択は、傍からみていると、結局、「長期的に最悪の選択」か「短期的に最悪の選択」かどちらかを選ばなければいけない、という選択になっている。 今度はもうあんまりだから特例公債法案を通さない、という決心を日本がすれば、次には相当高い確率で経済の大崩壊が待っている。 ツイッタで書いた吉野屋の牛丼が24000円、という世界も夢ではない。 円は紙屑、現金資産は「チャラ」で、年金生活、などというものは戯れ物語の一種になりはてるだろう。 政府がテレビキャンペーンまでして固く約束した年金が定額通り支払われて、老人たちは、その10万円でマルボロを二箱買って一日に3本づつ喫って暮らす、というふうになる可能性が高い。 あんなにたくさんの「有識者」が笑って否定したデフォルトがなぜ起きたか、について議論することにもなるやもしれません。 デフォルトなんか起きるわけない、とさんざん屁理屈をこねた彼らに怒ってはいけない。「専門家」というものは人間はどんなに悲惨な事件でも現実に起きてしまえば意外に「馴れ」て、平気になってしまう、という事実に拠って生きている。 焼け跡の掘っ立て小屋でもひとは「豊かな生活」を送りえたのです。 ツイッタでも書いたが、国債の投げ売りが始まった場合、日本は要するに「巨大姥捨山」になるだろう。若い人間はもともと殆どのひとが経済的には「自分の身ひとつの生産性」によって生活を作っているのでたいした影響はないはずである。 給料とスーパーマーケットの棚の商品の両方ともにゼロがふたつつくだけのことです。 社会がリセットされて団塊世代中心に偏在していた富の偏りがなくなり、戦後と同じで、激しい変化の勢いでふっとばされてしまう旧社会のさまざまな抑圧が消滅することを考えると、返って良い事態、とさえ言えるかもしれません。 年寄りは、そうはいかない。 わしが最後に日本に滞在していたときには60代以上の人間に富が偏在していて、20代の人間が貧困に喘いでいるのが話題になっていたが、経済破滅が起これば、話はまったく逆になる。 経済的にももちろん破滅だが、それ以上に、日本が生産性を回復する過程で生じる「競争優先」の「勝者と敗者がくっきりと存在する」世界と、それに伴って常に発生する、競争に適応できない十代の人間の暴力化や社会全体の刺々しい雰囲気に「外に出るにも足が竦む」ような気持ちになるに違いない。 わしは、いままでの日本の歴史のところどころに見られたような老人たちに対する 労りや救済の試みは今度は起こらないと思っています。 姥捨山は自ら進んで自分を山に捨てることを命じた老母の話だったが、今度やってくる姥捨山は、若い世代が老人の苦悶を見て見ぬふりをする「姥捨山」になると思われる。 社会全体が老人の貧困の問題など存在しないかのように振る舞って終わりでしょう。 一方では、「特例公債法案」が可決されれば、それは日本の経済破滅を、よりゆっくり、しかしより深刻な再建不能なものにすることになる。 特例、という年次更新の暫定法を毎年更新することは日本では慣例化しているからです。 すでに機能しなくなっている社会構造や産業構造を、屋上に屋を架し弥縫に弥縫を重ねて2年しかもたないものを10年にのばし、歴史に絶対に残るに違いない無意味に膨張した借金を抱えて、最大2020年頃まで必死に破滅の瞬間をのばすことになる。 その場合は、日本という巨大な船がゆっくりゆっくり傾いて、バランスを失って横転した瞬間に世界中の国が少しでも自国の利益になりそうなものを分け取りにするであろう。 多分、日本には国家としての経済的再生の余地は残されないだろうと思います。 これは考えてみるとすごいことで、日本という国を「消滅してもよい」と経済家たちが考えたのは20世紀にはいってからは一度もない。 規模の小さな、先進国を夢見る田舎国家であった明治時代でも、1945年に焦土と化したときでも、「日本という国がなくなってもよい」という前提で世界経済が考えられたことはなかった。 まして、明治日本などとはまるで異なる、世界経済と密接に結びついたいまの巨大な日本経済を世界から切り離す、というのは夢物語のような作業です。 しかし、世界は明らかに、日本のビジネス主体の海外移転と、いまはまだ小規模だが日本が弱体化するにつれて大規模になるであろう生産性のある日本企業の買収によって、日本の経済破滅の影響を軽減しようと努めているように見えます。 去年オーストラリア人のおっちゃんと話したときには、おっちゃんはすでに、「70年代日本の『豪州姥捨て山化計画』再現を阻止しないとわしらが国の社会保障プランが崩壊する」といって警戒していた。 むかし、日本の政府が音頭をとって、日本の老人たちを大量にオーストラリアに移住させようとしたことがある。 そのときのオーストラリア国会の大騒ぎは、いまでもあの年齢のひとたちにとっては記憶に残っている。 日本人にとっては可決否決どちらでも厄災というしかないが、よその国からみると、否決のほうが影響が大きいので、「それだけは勘弁してくれ」とみなが考えている。 日本がたとえばデフォルトに陥ってしまえば、リーマン危機どころではない丁度大隕石が経済市場に衝突したようなパニックになってしまう。 中国の地方やアフリカをはじめとする途上国では餓死者が大量に発生して、世界経済が20年ほども停滞する可能性がある。 日本のひとは自国の経済のことになると奇妙に過小評価したがる不思議な癖があるが、日本の経済はこれを地球上の陸地のおおきさに翻訳すると南北アメリカ大陸をあわせたくらいの大きさがある。 それが突然崩落してマグマのなかに消えてしまえば、ツナミくらいですむわけはない。 … Continue reading

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盛夏

1 夏は庭で食事をすることが多い。 モニは小さい方のダイニングルーム(ニュージーランドでは少し大きな家であれば、ふだん使うダイニングルームと「正式な」晩餐に使うダイニングルームがふたつあるのがふつーです)のすぐ外にある、ブーゲンビリアの花の棚の下で食事をするのが好きである。 煉瓦を敷いた上に、去年買ったチークの8人掛けのテーブルと椅子が置いてあります。 知っている人は「あたりまえじゃん」というであろうが、チークは戸外のテーブルには最も良い。風雨に晒されても長い間もつ上に途中の色の変化が美しいので、何も塗装しない素のままのチーク材で出来たテーブルと椅子はよく庭用の家具に使われる。 8つの椅子のうち普段は2脚だけが外に出ていて、6脚はガレージのなかにある。 怠惰なわしは「肘掛けのない椅子」というものが嫌いなので、家具屋に言って椅子を作るときにもともとのデザインにはない肘掛けをつけてもらった。 長いテーブルの両端にモニとふたりで腰掛けて、のんびり朝飯と昼飯がひっついた限りなく午飯に近い朝食を食べる。 ベーコンとポーチドエッグとトーストが2枚と焼いたトマトと焼いたキノコ、それにときどきは芋とアスパラガスが付く。 お腹が空いているときには、それにポークソーセージが二本つく。 結婚したばかりのときはコーヒーだったが、もともとの趣味がじじむさいわしのせいで、また紅茶に戻ってしまった。 ちゃんとコージーがかかったポットで、マジメに淹れた紅茶です。 いまの季節はセミが鳴いている。 日本ではしたり顔のひとびとが(おそるべきことには、わしにまで)「ガイジンにはセミはうるさいだけだ」と言っていたが、わしはそんなことはねーよ。 アブラゼミのような騒音は嫌であるが、オークランドのセミの、日本の絶叫型のセミに較べると格段に音量の小さい、やさしい鳴き声はわしは嫌いではない。 (もっとも、日本の文化を学習した影響もあることは認めるが) ニュージーランド人はパンの食べ残しとかは芝生の上にぶん投げておくが、それはそうすると鳥が庭に集まってくるからである。 テュイやツグミ、キングフィッシャー、その他もろもろの鳥が三々五々集まってくる。 カラスがいないのは当たり前としても、オークランドにはマグパイもおらん。 鳥さんたちのなかでも友好的な諸君しかいないので、人間と鳥さんとの関係も頗る円滑です。 晴れている日には、朝食のときにシャンパンを開けることもあるが、そういうときにはたいてい庭の芝生を歩いて下りて行って、真ん中の広々したところに寝転がって、モニとふたりでたくさん話をする。 ガメ、やってやって、あれ、やって、とせがまれてバク転や前転をしたりする。 モニがきゃあきゃあゆって喜びます。 どうも、妹がにらんだとおり、モニはわしに角兵衛獅子をさせるために結婚したもののようである。 2 ラミュエラの坂を下りて、クルマで5分くらい行くと、砂浜、たとえばコヒマラマの浜辺がある。人気(ひとけ)のない平日には、遠くに見えるランギトトを眺めながら、のんびり泳げます。コヒマラマ ttp://www.flickr.com/photos/starbuck/4135795014/ や隣のミッションベイ  http://www.missionbay.co.nz/default.asp?s1=Home  は泳ぐひと専用だが、そのまた隣のオカフベイに行けばカヤックもボート遊びもやれる。 わしはカヤックが好きである。 気楽でのんびりした乗り物なところがいいと思う。 海の上の自転車、とゆえばいいか。 のーんびりパドリングしながら波が寄せてくる方向にむかうと、あっというまに意外な遠くまで行ってしまう。 むかし、モニと初めてカヤックででかけたときに、わざと横転して遭難したふりをして夜まで口を利いてもらえなかったのを思い出す(^^) カヤックで遠出ができないニュージーランド人なんて、多分いないと思う。 夏のネルソンで、あの深い美しい入り江をカヤックで巡りながら、そこここの岩にへばりついているミュール貝をナイフではがして食べる。 うめーです。 ハッチに冷やした白ワインをいれてゆくと良いと思う。 イルカたちに出会うと、ちゃんとカヤックが揺れないように距離をとって一緒に遊んでくれます。帰るときには、礼儀正しく別れを告げてから帰ってゆく。 … Continue reading

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コメントへの返信 10/Feb/2011  

***なんだかヘンなひとがいっぱい来ているのでリンクもとのニフティへ見に行ったら、また佐藤亜紀さんなんだな。ブロックしてもまだつきまとうなんてストーカーみたいなひとだ。「悪質な出鱈目」を書きまくってきたのがどっちかは、ずっと見ていた人は皆知っているからいちいち繰り返さないが、自分が突然わしを中傷しにやってきたときに、わしが「集団でせめてくるなよ、みっともないから」と言ったら、ツイッタで「自分の子供達がやることに責任はもてないし」と書いていたのを忘れているのでしょう、田舎者の喧嘩の仕方は、言い換えとすり替えに終始するのは仕方がないが、一応作家なのだから矜恃くらいもちなよ。なさけない。 わしがいっぺんは議論が出来る相手として期待したひとだと思うと、がっかりだのう。 やり方がどんどん泥臭くなってくるところが、ますますがっかりである。 ツイッタとかやってねえで物語をたくさん書けばいいのになあ。 ほんとに、くだらん。 まだなんだか変なひとがいっぱい来るので、顛末が判るリンクをここに貼っておきます。 周りで見ていた人のコメントも読めば、どんな事が起きたか判るであろう。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/09/佐藤亜紀(tamanoirorg)さんへの返信/ ttp://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/12/1593/ https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/14/佐藤亜紀さんとのやりとりの終わり/ https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/19/コメントへの返信11月19日/ モニとふたりで散歩の途中で午飯を食べに寄ったスペイン料理屋で不味いサングリアを飲んだら眠くなってきて大規模な午寝をぶちこいてしまった。 窓の外から覗き込んでいるような大枝がつくる緑色の光のなかで眠ったら緑色の思想の夢をみました、というのはウソだが、気持ちよかった。 わしはお昼寝、大好き。 気持ちの良い夏の午後、窓を開けて、そよ風がはいってくる部屋のカウチに寝転がって、ふにゃあ気持ちいいと思いながら猫眠りに眠るのが大好きです。 あー、気持ちよかった。 ぽんぴい殿(December 29, 2010 at 12:15 am e) ぽんぴいの使う言葉は、わしにはさっぱり通じないのがいつもオモロイが、 >ガメ、うまいこと言うなあ
お主、天才かもよ とゆってほめてくれるときでも、何をほめてくれているのか判らないところがおもしろい。 ぽんぴいは、とてもとても興味深い人物で、無茶苦茶なようでちゃんと言いたいことがある。 言いたいことがあるようでいて、なんだか無茶苦茶です。 まるで自分が描いた絵、自分が撮った写真と話しているようだ。 >お主の日本語に対する愛情に感謝を混めて(あ、込めてか)
この先も、俺たち夫婦を楽しませてくれなされ ぽんぴいの奥さんて、たいへんそーですのい。 >どっちかというと、批判的なことを言ってくれた場合に
俺は君の豊かさを感じております だって、わしは「批判的なことを言った」り、「好意的なこと」を言ったりしているわけじゃないんだよ。 考えたことをそのまま言ってるだけです。 今日も、ぽんぴいはついぞ見かけたことのないツイッタで、「発言はきびしいが」というひとがいたが、へえ、と思いました。 そーゆーふーに聞こえるのか。 わしは日本というマイクロ文明が「他と違う」から好きなんです。 生き延びて欲しいと思う。 しかし英語世界の文化的力は強いので、日本は「風前の灯火」と思う。 だから、こーすればえーんちゃうか、あんなんやってたらダメなんちゃうか、とよく考える。 … Continue reading

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日本語の本を閉じたあとで

ホブソンの丘に登るとラミュエラの向こう側に遙か彼方まで続く海が見える。 わしの好きなランギトト島の優美な稜線も見えます。 ベンチに腰掛けていろいろな事を考える。 人間の頭のなかは散らかった部屋に似ている。 いろいろなものが、たいした脈絡もなくあちこちに分散しておかれている。 空に昼間の月が出ているのを見れば古典物理学の軽い復習をしようとするし、波も同じ。 地球が太陽のまわりをまわるイメージや、モニと自分の事、 昨日、カウチ席でモニとふたりでシャンパンを飲みながら見た「ブラックスワン」は面白かったなあ、ナタリーポートマンが、あんなにちっこいひとだとは知らなかった、 まるで上手なパティシェがつくったお菓子の上の、薄く削られたチョコレートのようだ。 初夏から夏にかけてパリから地中海にくだって、スペインへいって、そこから北欧の友達の家までクルマででかけようと思うが、どういうルートがよいだろうか、 途中で寄りたい田舎の骨董屋がいくつかあるが、まるで一筆書き問題のようである。 …そうやって際限なく考えている。 すべりひゆ(註1)やヒロシ(註2)のマネをして他の言語にギアを変えて考えてみると、同じ事を考えていても全然違うひとになったみたいなのが面白い。 「みたい」でなくて、実際、全然ちがう人です。 日本語は結論にいきつきにくいところが楽しい。堂々めぐりの言葉で、なんだかあてもなく散歩しているような言葉である。 言い切られるのを嫌がる言葉。 なんだか言葉の体系ぜんたいで、「そんなふうに決めちゃわないでよ。このまま曖昧でいたいんだから」と言っているようなところがあります。 壊れてしまいそうに繊細で、滑らかで、柔らかくて、暖かい日の海のようで、女のひとの肉体のような言語である。 この頃は頭のなかで日本語を使わなくなってしまった。 ブログも書かず、メールの返信もほうったらかしで、ツイッタも勉めて書かないと日本語のアカウントに触りさえしなくなってしまった。 わしは習得した技量に関してケチなので、そういう意味で日本語を忘れているの発見すると嫌な気がするが、しかし、人間というのは生きていれば、次から次にいろいろな事を習得してしまうので、さまざまな技量を維持するだけで随分時間をとられてしまう。 その上に、わしは運動キチガイで、最低でもジムで4時間くらいおこもりさんをするか、ランニング20キロ+水泳5キロくらいはやらないと自分の身体が自分のものでないマヌケなものに変わったような気がする。 頭がマヌケなのは許容しても良いが肉体がマヌケになるのは耐え難いので、肉体のほうは常に研鑽されていなければ困るのです。 これはやってみると判るが、ものすごく時間がかかる。 一方では怠け者なので、もうとっくのむかしに使わなくなった「日本語」は、優先順位が下のほうなのでなかなかたどりつかない。 しばらく使わない−>従兄弟と義理叔父に日本語を試される−>おもいきりバカにされる−>頭のなかのアフターバーナーに点火して日本語の古い表現の用法を思い切り研究する−>電話の開口一番、「おれがガメだあああー。文句あるか。ガチョオオオーン」と叫んで、義理叔父が恐れ入って平伏する。 というような肉親との骨肉の死闘を何度繰り返したことだろう。 最近は「日本」というものを考える機会はほぼ経済の事に限られている。 日本語のブログでもツイッタでも何年も前から何度も述べた、日本の経済的な破滅が(信じられないなりゆきだが)避けられない所まできてしまって、時間の問題になってしまったことをよく考える。 日本人自身が、「日本の国債は国内債務だから他の国のように破綻することはない」という驚くべき無責任かつ恥知らずなウソを編み出してまで危機に目をつぶってしまったことで、他の国は、「どうやら日本は本格的に危ないようだ」と考えるに至ったのだが、しかし「他の国」も十分マヌケであって、なぜなら日本の経済の破滅は、先に十分に引き延ばされずに、いま予測されている時期に起きてしまえば、リーマン危機が危機のオモチャに見えるくらい深刻な破滅を世界経済にもたらすはずである。 具体的になぜこういう事態に至ったかというと、たとえば、東京にはもう優秀な特派員は残っていない。 みな北京と上海に行ってしまった。 「日本はもう鎖国した沈みゆく国だから」というので、みなが中国へ名声と昇進を求めて移動してしまた結果、英語世界からみて日本は月の裏側のような場所になってしまっている。 マンガやアニメを中心とした文化、そのなかでも西洋の人間からみると異様で性的な性犯罪すれすれの挑発に満ちた異形の文化側面を報道すれば掲載の機会が増えるので、そういうニュースばかりをおいかける二流三流の記者しか東京の街をめぐることはなくなった。 経済に明るい記者たちが上海で、中国経済の加熱が暴走にかわってゆく様子を活写して本国に送り続けているあいだに、当初は2025年と予想されていた日本経済の破滅は、国民まるごとの殆ど意味をなさないような「危機の否定」(いままでに、これほどヘンな危機への反応を示した国民があっただろうか?)によって立ちすくんでいるあいだに、あっというまに目の前にやってきて、もう、仮に赤字国債法が通らなければ、夏には破滅が始まる、というところまで来てしまった。 世界の人間が見えていないところで、中国経済の暴走どころではない、もっと巨大な危機が現実のものになりつつあるのを英語世界は見過ごしてしまった。 日本への関心そのものがないために、日本への対処が遅れた事情は、要するに1930年代と同じ事です。 それはまた気が向いたときに別のブログで書くだろうが赤字国債法は日本にとっては歴史的な汚点になるはずの法律です。 この、日本を経済的な再起からうんと遠ざけてしまう法律は「世紀の悪法」どころではない、日本にとどめをさすための死刑宣告のような悪法であると思う。 しかし、この悪法が通らなければ、かなり高い確率で、法律の否決を起点として日本の経済的な大崩壊が連続的に、よくて「石が坂を転がり落ちるように」悪ければ地滑りのように一瞬で「デフォルト」に向かうだろう。 … Continue reading

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夏の散歩

わしはニュージーランドにいる。 そんなこと、しっとるわい、というなかれ。 心の中で「わしは、ニュージーランドにいる」と、そっと呟いて、うひゃっ、楽しい、と考えてへらへらしているんだからね。 5年間11回におよぶ日本への大遠征は雄々しくもかっちょいいものであったが、ちょっと、ちかれたび。 オークランドの家にたどり着いて、太陽の母上が、なにもかもを陽光で輝かせて美しくする真夏がやってきて、宝石のように煌めく芝生にでてシャンパンを飲んだり、テニスに興じたり、たまにはクラブまで出かけてモニとふたりで乗馬をやって遊んだり、うーんとのんびりして、やっと人間ぽくなってきたところなのである。 夏、とゆってもたとえば昨日は24度どした。 30度を軽く超えるかわりにパッリンパリンに乾いた空気のクライストチャーチの夏と違ってオークランドの夏の空気はときどき湿気がある。 わしは湿気が大の苦手なので、朝、庭に出て湿気を感じると、むにゃあ、と思うが、湿気があるときは気温は23度とか25度くらいまでにしか上がらないので、なんとかしのげるのです。下は18度、とかだのい。 日本の、夏はクソ暑く冬はむちゃ寒い過酷な気候と違ってオークランドは温暖なので、なにしろ楽ちんです。 わしは楽ちんが大好きなので、オークランドにいると一日中へらへらしておる。 日本でもへらへらしていたような気がするが、オークランドではへらへらが温暖なのだと思い給へ。 天気がいいなあ、と思うと、ラミュエラのなだらかな坂を歩いて散歩に行きます。 出かけるときは、わしはたいてい裸足だが、いっぱい歩くのが判っているときは、やや正式の装いでゴム草履をはいておる。 ショーツにTシャツです。 昨日はストランド書店のTシャツであった。 バットマンの事もあります。 だいたいモニと一緒だが、ひとりの事もある。 ひとりのときは、ずうーとずうーと遠くまで歩いていくので、帰ってからモニにどこまで歩いて行ったか話すと呆れかえって笑っておる。 ほんの20キロくらいしか歩かないのにね。 足がほこりだらけで、子供みたいだな、と失礼な事をゆって笑う。 顔がまっかだぞ、ガメ。 鼻の皮がむけてる。 でも、そーいいながら鼻の先にキスしてくれるので、許してやることにしておる。 オークランドは移民の街なので、中東人が多いところには中東の食べ物がおいしい店、四川人が多い所には四川料理のおいしい店、というふうに必ずその地域にたくさんいる移民の出身地のおいしい店がある。 そーゆー町は、わしが住んでいるところから遠いが、モニはあんまり変わった料理は食べないので、ひとりのときは、チャーンス!、と考えて、すたすたすたすた、とそこまで歩いて行く。 ポケットのなかには、たいていiPhoneとギターのピックがふたつ入ったままの財布(くちゃくちゃの十ドル札とEFPOSカードいり)、鍵、小さいカメラ、がはいっておる。 そういうかっこうで、本人の主観では、すたすたと、義理叔父の表現によると、ノッシノッシと歩いていく。 歩くと、いろいろなものが見えて面白い。 速度、というものが大事なのは、人間の一生と同じで、スピードが出てしまう人は何も見ていないので、いかに気の毒であるかわかります。 のんびり歩くと、ありゃ、こんなところにフェネルが自生しておる、とか、全然気がつかなかった骨董店、とか、裏通りからのびていって、入り口は狭いのになかは広大なフランス人たちのクレープ屋があったり、いろいろな新しいものを発見することになる。 人間の「街」という概念、というかデザインが、もともと人間が歩いていることを前提にしているのもよくわかります。 新しい街、たとえばニュージーランドでいえばワナカのような町は、だから細部がないかなあーと考えたりする。 初めからクルマ社会として出来てしまっているので、つまらん感じがします。 台湾人たちのディムサム屋で台湾素麺を食べたらうまかった。 稲庭うどんが平たくなったような麺にゴマとチリでつくったソースが絡めてある。 蓮の葉でくるんだ糯米に鶏肉や豚肉がはいったのや、コリアンダーとエビの蒸し餃子、詰め物がはいった揚げ豆腐、ピーマンに魚のすり身が詰めてある食べ物、小籠包、ついでにスペアリブと牡蠣のフライも食べた。 うめー、と呟きながら、すたすたすたと歩いてインド映画専門のDVD屋で一個だけおもろそうなのを買います。 「英語の字幕ないけど、いいの?」 「ダイジョブ、ダイジョブ」 「タミル語がわかるのかね?」 … Continue reading

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