夏の散歩

わしはニュージーランドにいる。
そんなこと、しっとるわい、というなかれ。
心の中で「わしは、ニュージーランドにいる」と、そっと呟いて、うひゃっ、楽しい、と考えてへらへらしているんだからね。
5年間11回におよぶ日本への大遠征は雄々しくもかっちょいいものであったが、ちょっと、ちかれたび。
オークランドの家にたどり着いて、太陽の母上が、なにもかもを陽光で輝かせて美しくする真夏がやってきて、宝石のように煌めく芝生にでてシャンパンを飲んだり、テニスに興じたり、たまにはクラブまで出かけてモニとふたりで乗馬をやって遊んだり、うーんとのんびりして、やっと人間ぽくなってきたところなのである。

夏、とゆってもたとえば昨日は24度どした。
30度を軽く超えるかわりにパッリンパリンに乾いた空気のクライストチャーチの夏と違ってオークランドの夏の空気はときどき湿気がある。
わしは湿気が大の苦手なので、朝、庭に出て湿気を感じると、むにゃあ、と思うが、湿気があるときは気温は23度とか25度くらいまでにしか上がらないので、なんとかしのげるのです。下は18度、とかだのい。
日本の、夏はクソ暑く冬はむちゃ寒い過酷な気候と違ってオークランドは温暖なので、なにしろ楽ちんです。
わしは楽ちんが大好きなので、オークランドにいると一日中へらへらしておる。
日本でもへらへらしていたような気がするが、オークランドではへらへらが温暖なのだと思い給へ。

天気がいいなあ、と思うと、ラミュエラのなだらかな坂を歩いて散歩に行きます。
出かけるときは、わしはたいてい裸足だが、いっぱい歩くのが判っているときは、やや正式の装いでゴム草履をはいておる。
ショーツにTシャツです。
昨日はストランド書店のTシャツであった。
バットマンの事もあります。
だいたいモニと一緒だが、ひとりの事もある。
ひとりのときは、ずうーとずうーと遠くまで歩いていくので、帰ってからモニにどこまで歩いて行ったか話すと呆れかえって笑っておる。
ほんの20キロくらいしか歩かないのにね。
足がほこりだらけで、子供みたいだな、と失礼な事をゆって笑う。
顔がまっかだぞ、ガメ。
鼻の皮がむけてる。
でも、そーいいながら鼻の先にキスしてくれるので、許してやることにしておる。

オークランドは移民の街なので、中東人が多いところには中東の食べ物がおいしい店、四川人が多い所には四川料理のおいしい店、というふうに必ずその地域にたくさんいる移民の出身地のおいしい店がある。
そーゆー町は、わしが住んでいるところから遠いが、モニはあんまり変わった料理は食べないので、ひとりのときは、チャーンス!、と考えて、すたすたすたすた、とそこまで歩いて行く。

ポケットのなかには、たいていiPhoneとギターのピックがふたつ入ったままの財布(くちゃくちゃの十ドル札とEFPOSカードいり)、鍵、小さいカメラ、がはいっておる。
そういうかっこうで、本人の主観では、すたすたと、義理叔父の表現によると、ノッシノッシと歩いていく。

歩くと、いろいろなものが見えて面白い。
速度、というものが大事なのは、人間の一生と同じで、スピードが出てしまう人は何も見ていないので、いかに気の毒であるかわかります。
のんびり歩くと、ありゃ、こんなところにフェネルが自生しておる、とか、全然気がつかなかった骨董店、とか、裏通りからのびていって、入り口は狭いのになかは広大なフランス人たちのクレープ屋があったり、いろいろな新しいものを発見することになる。
人間の「街」という概念、というかデザインが、もともと人間が歩いていることを前提にしているのもよくわかります。
新しい街、たとえばニュージーランドでいえばワナカのような町は、だから細部がないかなあーと考えたりする。
初めからクルマ社会として出来てしまっているので、つまらん感じがします。

台湾人たちのディムサム屋で台湾素麺を食べたらうまかった。
稲庭うどんが平たくなったような麺にゴマとチリでつくったソースが絡めてある。
蓮の葉でくるんだ糯米に鶏肉や豚肉がはいったのや、コリアンダーとエビの蒸し餃子、詰め物がはいった揚げ豆腐、ピーマンに魚のすり身が詰めてある食べ物、小籠包、ついでにスペアリブと牡蠣のフライも食べた。

うめー、と呟きながら、すたすたすたと歩いてインド映画専門のDVD屋で一個だけおもろそうなのを買います。
「英語の字幕ないけど、いいの?」
「ダイジョブ、ダイジョブ」
「タミル語がわかるのかね?」
「ぜんぜん、わかりまへん」

わるそー、な顔した若い香港人たちが屯する町をぬけて、アフリカ人の子供がサッカーをして遊んでいる通りをこえて、加速をつけて、どんどん歩いて自分の町に近い繁華街に戻ってくる。

モニさんに電話して、一緒に芝生が綺麗な中庭のあるカフェでワインを飲むべ、と誘います。
芝生の真ん中にあるガゼボの椅子に腰掛けて、シャブリを飲みながら牡蠣の天ぷらを食べていると、モニのほっそりした、足がながあああーい、いつみてもなんだか抱きしめたくなってしまう姿が駐車場を出て通りを渡って歩いてくる。
手前から渡っていった背広姿のおっちゃんがふたり、サングラスをデコの上にあげたモニの美しさにぶっくらこいて道のまんなかで振り返ってたちすくんでおる。
クラクションならされとるやん。
ははは。美人とは危険なものじゃ。

あー、夏はいいなあ。
太陽がやさしく輝くだけで、こんなにも皆が幸せになる。
息をしているだけで、身体のすみずみまで幸福がしみわたってゆくようです。

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One Response to 夏の散歩

  1. p_mume1980 says:

    そうそう。歩くのはいいよね。
    実にいい。自転車もそれなりに楽しいけど。
    やっぱり歩くのが一番いい。

    昨日も年上のともだち2人と母校の松戸の大学に行ったので、
    3時間ほどだけど、大いに歩いて、樹の話や
    庭園の話に、幽霊の話や、近所で首を切られた近藤勇や
    赤報隊の竹内力の話をしていました。

    ツバキやサザンカの遅いのが咲いてて、まあ寒いけど
    それなりにいい感じ。

    まったくもってツバキのない世界なんて考えられないよ。
    ツバキをつくってくれたことに関して言えば、
    神さまだかなんだかに、感謝してしまう。迂闊にも。

    それにしても、これを読むと
    なにもかもなげうってNZでへらへら暮らしたいと
    思わず決意してしまいそうになるわ。危険だわ。
    危険な文章だな。
    けれども、読むだけで行ったことのない風景が再生される
    ってのはとてもいいね。

    ひさびさにブログでも書くべかと思ったりする

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