Monthly Archives: April 2011

ベンキョーしよう

ロックバンドでねーちんたちにきゃあきゃあゆわれながら人生を過ごす、という手堅い人生の計画をあきらめたのは妹の陰謀だった。 わしをバンド仲間から引き離してあんないけないことやこんないけないことから遠ざけてしまった妹の悪辣な知恵についてはいつかは述べることがあるであろう。 いざ、あんないけないことやこんないけないことが一挙に生活から消滅してしまうと、わしはひどく退屈せねばならなかった。 大学と名の付くものに入るには、まだ間があるはずだったが、わしが生まれて育った国は日本のような工業規格品みたいな国とは違って途方もなくええかげんな国なので、 大学の片隅でしょぼしょぼベンキョーしてもよいことになった。 そこはえらそーで自分は頭が良いと思い込んでいるバカたれがたくさんいる気取り屋の収容所のようなところであって、そもそも収容所そのものに気が遠くなるくらいオバカな細かい規則が網の目のように張り巡らされていてくだらなかったが、それなりに良い所もあったと認めねばならない。 よくないところは、集まっている基地外の諸君が、それまでバンドの形で集合していた基地外とタイプが異なって「遊ぶ」ということにかけては、不細工というか粗野というか、オモロイことが何も出来ないひとびとだったことで、仕方がないから、わしはベンキョーをしようと考えた。 ベンキョーするに際して考慮したことは「向こう500年間に役に立つようなことはベンキョーしない」ということであって、わしは役に立つということが頭から嫌いなので、たとえば頭に「応用」がつくような学問や工学のようなものはとんでもない、と考えた。 いま考えてみると新しい画材・色彩を発明するとか世にも妙なる響きをもつ楽器を考案するとか音響学の奥義を究めるとか工学でも、役立たずの道を囂々と邁進する王道を歩くことも出来たわけだが十代後半のバカガキの頭では、そんな賢い考えは浮かばなかった。 西欧文学をやるのにラテン語が出来ないのでは、階級が下から3番目くらいの序列も知能も低い悪魔でも腹を抱えて笑うだろう。 それも、えーと、えーと、コーギートー、エルゴー、うーんと、スムなんちゅう調子ではダメであって、トマス・モアの一節くらいはカッチョヨク暗唱できるのでなければならない。近代ラテン語は、わしのボロ高校でも英語の時間にやらされるくらいで、差別がはかれないので、文学的教養とか文学的素養とか現代における死語を口走るには、せめて古典ラテン語が出来なくてはダメである。 実際近代ラテン語とそれから派生する諸方言が判らなければ、気取り屋のボストン人が書いた詩ひとつちゃんと読めやしない。  どうようにして科学では数学が出来なければダメである。 世の中には生物系という数学がまるで出来なくてもやれるとされる科学もなくはないが、あれは実は生物というものが(ぴー)…(この部分は良心による検閲の結果削除されました) わしは、どのくらい、ということはないが数学はだからよくやった。 数学者になろうと思ったわけではない。 どちらかというと言語を学習するようにやったのだと思います。 ひとりで机に向かって、というようなことはあまりやらなくて、気の合う友だちとビールをちびちび飲みながら、議論しながらやることが多かった。 そんなバカな、ひとりでやるのでなければ集中できないではないか、と日本のひとならば言いそうだが、慣れればこっちのやりかたのほうが遙かに数学がうまくなる。 輝く偽善のワタミ学術用語を用いれば、おすすめであります。 あるとき妹が妙に深刻な顔をして、わしの部屋にあらわれたことがあって、「おにーちゃん、わたし、このあいだ行ったKのパーティで…あのときよ、きっと…子供ができちゃったの! わたしの人生なんか、もう終わりだわ!」 ちゅうことかな、けけけ、無学者め、マジメな人間が羽目を外すと地獄の門がひらきやすい、という聖書の文句を知らんのか、この世にマジメな人間が破滅するということほどドラマ性があって楽しいことはなかりけりと喜んだが、そうではないのであった。 ベンキョーは、なんのためにすると思うか、という。 (く、くだらん) (全然、悲劇性というものがないやん) (だから優等生て嫌いなのよ) わしが「単位時間あたりの収入を上げるためであろうの」というと マジメに答えないと兄妹の縁を切るという。 ほんとうに縁を切ってくれたら欣喜雀躍だが、これまでの行動に鑑みて妹がそんな好条件で縁を切ってくれるわけがないので、ちょっと考えてみたことがある。 T先生と、わしは散歩するのが好きであった。 秋の丘陵をT先生と散歩していると、わしのパーな頭ではただの「森」なのが、先生の眼には高解像度の自然が鮮明に映っているのであってCGAとUXGAくらい違う。 夜になって「天上の無数の星」というようなことをわしが口走ると、先生はにやにや笑いながら、空に見えている星は空気が完全に澄んでいても5000もないよ、という。 一枚の葉をとりあげて、それから判ることを延々と述べてきかせる。 人間実践検索図鑑みたいなひとである。 先生とわしは同じ世界を見ているのに、そこから得ている情報は虫と神様ほども違うのであって、わしは教育というものなしでは人間というものはただの性能の悪い粗雑な認識装置にしか過ぎないことをよく思った。 勉強しても人間は向上したりはしない。 わしの行った大学は世界でも指折りのカッチョイイ大学ということになっているが、 そこに滞留している阿片崫の住人たちの頭のわるさを観察すれば、そのくらいのことは考えなくてもわかる。 しかし、その頭の悪い住人たちは話をしてみると判ることは、底抜けに愉快で、なによりも認識している世界が精細で豊穣である。 思い込みが少なくて、依拠している現実の有効数字の桁が多い。 … Continue reading

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友だち

誰が友だちでそうでないかというようなことを考える習慣がわしにはない。 他のこととおなじでテキトーなんです。 嫌いなひとがまわりをうろうろするのは嫌なので、「きみは嫌いです」ということははっきり言う。 きみの存在にも興味がないから、わしに近寄らないでね、とちゃんとお願いする。 本人が楽しいひとでも、くだらないお友達がまわりにくっついているひとも、わしの半径100メートルによっちゃいやよ、と丁寧に依頼します。 まともな人間なら、そうゆっているのにわしに近づいたら殴られるくらいのことはわかるであろう。 わし、元ヘビー級拳闘人(アマチュアだけどね)ですけん。 なぐられると痛いねん。 友だちは数が少なければ少ないほどよい、というのは考えてみれば当然のことである。 それを当然だと思わない人は、ようするにまだ友だちというものがいないのだと思われる。 わしは最小友人主義(ヘンな「主義」だのい)だが、世の中には良い人間であってしかも付き合って愉快なひとというのはうようよいるので、どうしても数が増えてしまう。 友人からそうでないかというような選定をする習慣はなくても、あるとき、ふと気がつくと、このひとって、わしのお友達なのね、と考える瞬間がやってくる。 そうやって出来たお友達と、鳥居坂をあがり芋洗い坂の途中のバーのテーブルに腰掛けて、のんびりグラッパを飲みながら雲量定数の決まりかたや、マクベスを待っていた運命や、ラシーヌの台詞や、あるいは能楽の卒塔婆小町の歩き方のまねをして遊んだりするのは楽しいものである。 あるいはセブンダイアルズのバーで同世代同国語の友だちとあえば、英語のクラスであるのにラテン語ばかりやらされた怨恨の精算や、ボートを漕ぐアホ歌、天井の低いクラブや、蛎殻がつまれた路地、結局ホテルの建物を半分ぶちこわしてしまった旅行のことを話し合って暗然とする。 つまりは他の誰が聴いてもなんのこっちゃわけのわからない話をひそひそとして、くっくっくっと、もうすぐ窒息死しそうな忍び笑いをもらして苦しがっているわけで、苦しがるためにわざわざでかけてきてオカネを使うなんて、ほんまにアホなひとびとである。 英語と欧州語の世界ではドアをノックしてはいってくる友だちが多いが、日本語でも手足のついたたいていはおっちゃんたちの友だちも多くても、重要度はネットの友だちのほうにあるようだ。 名前を挙げるのはいくらなんでも下品だからやらないが、わしがいまでもこうして日本語を書いているのは、むかしむかしから付き合いのあるほんの数人のネットの友だちがいるからであって他には理由がない。 「見聞を広げる」とか「知識を拡大する」とかな自己の向上みたいなことにはわしはまったく興味がないので、そういうこととはもちろん関係がない。 どちらかと言えば、これだけ悪意に満ちて冷酷な「世界」というものに取り巻かれながら、淡々とごく自然に善意だけで生活してゆける人々が、ネットの向こうという、そもそもほんとうにいるんだかいないんだかもはっきりしなかったはずの相手に向かって、辛抱強くあきらめもしないで、手をさしだして触れあおうと考えられる「人間」というものの不思議さに驚いたまま、ここに来てしまったのであるに違いない。 ブブリキやNasuやjosicoはんが友だちでいようとしてくれた頃のわしは、画面の「ゲームオーバー」を見つめてボーゼンとしているゲーム廃人のどーしよーもないひとであった。 実はそれはブログを書いていた少し前のわしの姿の一部であって、そのうちめんどくさくなってだんだん正体をあらわしてしまったが、友だちというものはそういうものであって、わしがほんとうはいまだに本質的には「ゲームオーバー」を見つめてボーゼンとしているだけのバカタレなのを、ちゃんと知っているのです。 モニというひとがひたすらわしを救済しているだけであって、わしのバカタレぶりは、なんも変わってひん。 友だちというものは、別に決めなくても、もう見た瞬間から「あっ、このひとは友だちなのだな」と判る。 むかしブブリキが「あなたはわたしを嫌いなようですが」と書いてきた手紙をわしはいまでも大事にとってある。 わしのほうはブブリキはわしじゃけん、と思っていたので、びっくりするような、ははは、やっぱりわしだし、と思うような、ヘンな気持ちでその手紙を、ほとんど懐かしいような気持ちで読んだ。 もちろんjosicoはんの神棚にあげて毎日柏手をうちたいくらいの、人間の勇気に満ちた、カッチョイイ手紙も大事にとって繰り返して読みます。 こんなひとびとが、わしにとってはもともとは読めてるんだか読めてないんだかもよく判らない言葉のネットの向こうの、そのまたなんだかよくわからない曖昧な経緯のところにまで何人もいるのでは、友だちの数が計画経済通り、ちゃんと減少してくれるわけもない。 世の中というのはまことに無茶苦茶な場所です。 友だちになってしまいそうな上に、おまけにマジなひとびとであって、テキトーですテキトー、袖がすりあっても多少しかない縁とゆってすれ違うだけですまなさそうなので、このひとびとともっと話をしてみたいという自分の気持ちに対する虚しい抵抗を繰り返していたが、ジュラさんと優さんというひとが「友だち」という言葉を思い浮かべると、自動的に頭に浮かぶようになってしまって困っているが、それも仕方がないのだろう、という実はただそれだけのことを書くために、これを記事にしてしまったが、しまりもまとまりもないままモニさんが遊びにいこうとゆいにきた(いつのまに起きたのだろう)ので、 もう出かけます。 でわ

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遊ぼう

モニが、知的なハンサムでそのうえいまどき珍しい温厚で成熟した人格のその青年(わしのことね)と結婚して最も衝撃をうけたのは、わしが、結婚するまえにさんざん聞かされたナマケモノで何もしない人間だという誇張された悪い噂よりも現実はもっとものすごく何もしない人間で、およそ「労働」とかは、けけけ、と笑って鼻紙にして捨てる程度の興味しかもっていない、という事実を発見したことだったそうである。 ほんとうだとしたら、とんでもないやつだ。 ほんとうだけどね。 ほんにんがいうのだからまちがいはない。 朝、とゆってもたいてい午後一時くらいだが起きてくると、まっすぐラウンジのコーヒーテーブルに行ってMBP(MacBookパワーの事です。略するとカッコイイので略しているのね)を開けて黙って静かにブラウザを眺めている。 途中でたっていって、ものすごい集中力で淹れたコーヒーをモニのいる寝室にもっていってから、自分の机にもおく。 おもむろにコーヒーを飲みながら、 「今日はモニさんとビレッジのシシュアンに行くし」と考えます。 今週はダンダンミー(担々麺)を研究しているからで、めぼしい四川料理屋を発見してはあんまし中華料理が好きではないが四川料理だけはおいしいと思う事があるモニをひきずってゆく。 四川人が集まる店は、辛いだけであまりおいしくないようだ。 マレーヒルの日本人がいっぱいいる店は、胡麻の使い方が上手でうまい。 グランドシシュアンのチェーンも安い割においしいのだとゆわれている。 日本の担々麺は麵がスープに入浴しているが、NYCで中国人たちのつくる担々麺は一見素のままの麵にほうれん草と豚の挽肉がのってその上にトングが載って出てくる。 「丼」の半分くらいの大きさの鉢の下には、それが勝負所であるらしき、胡麻油とチリ油が混ざった油たれのようなものが沈潜していて、トングを使って、ぐあっとへっくりかえすといきなり辣油まみれになってところどころに件の豚挽肉がへばりついた混ざりものが出来上がるので、スパゲティと同じ要領でくるくるぱくりと食べます。 うめーんだよ。 なんど食べても不味いのかうまいのか判らなくて、いったいどっちなんだはっきりしろよな、と思いながら中華料理がそれほど好きとはゆえないわしが何度も食べてしまうのだから、きっとおいしいのだと思う。 高級店で食べても5ドルだし。 オークランドはNYCなど全然問題にならないくらいの割合で四川人が蟠踞しているが、四川料理屋に行くとニューヨークとは違って麵がスープに入浴しているのや、スープがないのや、これでもかこれでもかと豚挽肉が載っているのや担々麺って菜食麵ちゃうの?ちゅう感じのや、いろいろあるので、ああいう担々麺はNYCスタイルであるらしいが、いま思い出したが、わしは担々麺の話をしていたんじゃないやん。 閑話休題 モニは、わしが真剣な顔をして何か考えているときは決まって次の食事に何を食べるかということを考えているときだ、といって笑う。 そんなことはなくて、モニが考えるよりも遙かに計画性に富んだ知性の持ち主であるわしは次の次のご飯を考えているときもよくあるのだが、脳が溶けた鷹は爪がマニキュアで光るという。 マリファナくらいなら良いがトルエンは大脳が器質的に溶けてしまうので気をつけましょう。 次の食事のことを考えていることにしておいても良いと思う。 モニがでかける仕度をしているあいだに、わしは昨日の晩につくったバチャータの旋律にあわせて机の下の足でステップを踏みながら、ソリシタ(UK)やロイヤ(米)が書いた法律上のやりとりのメールを読みます。 表計算のシートも広がっている。 これは日本語のブログであって、まさかわしが日本語でこんなことをしてるなんて思う奴は、わしの手下(てか)にはひとりもおらないだろうからヘーキで書くと、わしが見ているシートにはずいぶんヘンなものもあって、わしはそういう些事シートを眺めて電気代の推移で事業に関する社長たちやマネージャーたちのウソを知っていたりする。 吝嗇な冷菜凍死家というのはこわいのよ。 バチャータはおもろい音楽で、なんでもかんでもバチャータに出来る。 「はるばるきたぜ函館へ」だってバチャータに出来ます。 あのひとも山口組の衆のまえで鼻をふくらませてないで、親分衆を舞台にあげてみなでラインを組んでバチャータを踊ればいいのい。 暴力団もいつまでも「伝統」にばかり頼っていては闇の組織になってしまうのではないか。 …あれは初めから闇の組織がバッジつけてえばっているのか。 若いマジメなお坊さんが、土地の有力者に無理強いされてつきあわされた売春宿の宴会で、ああ惨めなことになった、こんなことにつきあわされてしまって神様になんとゆって申し訳をすればいいだろうと唇をかみしめていると、 目の前で踊っていた白拍子が突然菩薩の姿に変化して、それまでの今様(いまよう)も唱和される経文に変わって、まばゆいばかりの光のなかの菩薩が、「悩まなくてもよいのです。わたしがあなたをゆるしてあげましょう」という。 わしは、あの日本の昔の説話が大好きだが、「遊ぶ」ということには神聖性がある、とわしは思う。 ホイジンガやカイヨワはマジメな秀才にしか過ぎなかったのでどうしても「遊び」に意味をみいださなければならなかったが、それでは「遊び」というものの本来の価値は見失われてしまうのではなかろうか。 意味は病気のようなもので、いちどものごとに意味をみいだしてしまうと、それは壁にも道路の表面にも水や空気にさえべったりとくっついて離れない。 病状がすすむと意味を呼吸するようにさえなります。 動物の進化をみてさえ「適者が生存したのだ」といいだす。 猿はもしかしたら、あるとき突然ただおったってしまったのではないか、と考えるのは適者生存の理屈を思いついたあとでは大変なのです。 … Continue reading

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ノーマッド日記6

ノーマッド日記6 1 アメリカのコーヒーは薄くて不味い。 むかしから不味いが、むかしのアメリカ式「レギュラーコーヒー」が廃れて、欧州式の抽出コーヒーが主流になっても、まだ同じように不味いのが不思議です。 モニとわしはマンハッタンでは用心して知らないところではコーヒーを飲まないようにしている。 マンハッタンでは、実は「紅茶」が大流行(おおはやり)に流行っているが、コーヒーで猜疑の念を深くしているわしはアメリカものの「紅茶店」にはまだいちども行ったことがない。 カプチーノなどダブルショットにしてもらっても薄くて不味くて飲めないので、おいしいコーヒーが飲みたいときにはスペイン語しか通じないレストランやイタリア語なまりになまっていて、なにゆってるのかよくわからないねーちんたちがやっているピザ店とかに行く。 なまなかなコーヒー屋へ行くより、そっちのほうが遙かにおいしい。 わしがよく行くイタリア屋さんはヘンで、カップを抽出機の下に置いて「Say when!」という。 なんのこっちゃと思いながら、あれがまともなコーヒーなら、このくらい飲みたいというところで「When」というと、ニカッと笑ってコーヒーカップを渡してくれる。 どうやって計算するのだろうと訝っていると、なんのことはない、案ずるより産むのは痛い、最小量一杯のコーヒーと値段は同じです。 わしは、とてもとてもケチなので、こういう事に遭遇するとカンドーしてしまう。 これからはビレッジでコーヒーを飲むときにはここに限るべ、と考えました。 コーヒーを飲むには甘いものが一緒でなければならないが、合衆国にはわしの大好きな「アフガン」がないのだね。 次点はブラウニーなので、ブラウニーにヨーグルトを添えてもらって、ついでに(合衆国はカップケーキがおいしい国なので)デビル・カップケーキという恐ろしげな名前のカップケーキをつけてもらう。 カップケーキからチョコレートクリームが滴っているという見るからに凶悪なケーキです。 ケーキというものは、こうでなくてはならぬ。 モニはトリュフ一個だけでコーヒーを飲んでいる。 モニという人は自分のことについては悩んでばかりいるのに、世の中のことには不思議なくらい文句をゆわないひとで、考えてみれば、わしの百倍は合衆国のコーヒーにもチーズにも文句があるはずなのに、なんだか普通に口に運んでいる。 ときどき、わしが不味いブラウニーに頭にきて、手のなかでぐちゃぐちゃにして皿のなかに粉砕して埋葬したりするのを胸の下に手をあてて、大笑いしてみたりしている。 ガメは、子供みたいだな、と失礼なことを言う。 結婚相手をうまくひきあてた人は自分はこのひとに会わなかったら、いったいどうなっていただろう、と訝るというが、あれはまことに本当の話であって、わしなどはモニと結婚していなければ、世界に対して、もっと悪い事には自分に対しても不満であったことだろう。 どうしてモニに会えて、まして一緒に暮らすことになったのか判らないが、 危ないところであった。 なにが危ないかって? それがいわくいいがたいところに「結婚」というしょうもない性的結合という身も蓋もない結びつきを前提にしたダッサイ社会制度がいまに生き延びている理由があるのだと思います。 2 英語世界では人前で泣くことは礼儀に反している。 生の感情をみせることは、英語の世界では、たいへん見苦しいことであって、オランダの人とかはそういうことに慣れていないので英語世界では思わぬ軽蔑を買う。 でもマンハッタンは大きな都会なので、頭上の天井高くシャンデリアが輝いている「一流料理屋」でも、ときどき泣いているひとを見る事がある。 言い切る自信はないが、ロンドンでは考えられない。 知らない人もいるのかも知れないが、連合王国は階級社会なので平気で、そういう言い方をすると中流階級以上の人間がレストランのような場所で泣くなどということは絶対に考えられない。 それはゆってみれば、レストランの椅子の上で性交に及んでいるようなものであって、たいへん異様なことです。 でもマンハッタンはアメリカという不思議な国の都会なので、泣いている人がいる。 モニとわしはアップタウンのレストランで、その泣いている美しい人をみていた。 身なりの良いアフリカンアメリカンの男と向かい合って食事をしていた、そのひとはいかにも暖かな感じのする明るい灰色の目からみるみる涙をあふれさせて泣いていた。 モニは、そういうマジメな人なので、食欲をなくしてしまって泣いている女の人が座っているテーブルをちらちら見ている。 わしはミントソースのかかったラムのあしをつつきながら、もれきこえてくる単語を拾っている。 男のほうが、自分はあなたを心から愛しているが、われわれが属しているコミュニティは違いすぎる、自分にはとてもやってゆく自信がない、とゆっている。 … Continue reading

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1 マンハッタンは、多分、世界一安全な都会であると思う。 いまちょっとインターネットを眺めてみると、治安はジュリアー二市長時代によくなったとどの記事にも書かれているが、ニューヨーク人にはまた違う意見があって、だいたいのひとはみな「コッチのおかげでよくなった」という。 わしが初めてかーちゃんにつれられてマンハッタンにやってきたころは、ガキの目で見ても滅茶苦茶な都会であって、見るからに危なかった。 7th Aveにすら「危ないブロック」というのがまだちゃんとあって、そこのブロックにさしかかるとおとなどもも道を渡って反対側に行く。 建物の近くを歩くとひきこまれて危ないから、といわれて建物から離れて歩かなければならないところも多かった。 その頃は、だから移動するのもほとんどはリムジンであって、子供心にも「なんだかサファリパークみたいだ」と思ったりしたのをおぼえている。 それがみるまに治安がよくなっていって、毎年毎年、くるたびに見て判るほど安全な街になっていった。 ひとつにはジュリアー二市長の時代には、まさかこんなに、と思うくらい大量に警官が街角に立っていて、その頃はもう高校生になっていたわしが見て、誰かが何か悪い事をしようと思っても、街の角角にフットボールチームくらいの数の警官がまとめて立っているのでは悪い事のやりようがない、と考えて可笑しかったりしたものだった。 それからいままでの十年間、マンハッタンはわしにとっては「最も楽しい都会」「最も安全な都会」で、要は、砂場のようなものだった。 大学生になると、ひとりでも合衆国によくやってくるようになったが、アトランタ、シカゴ、と他にも好きな街があっても、マンハッタンだけはいつも「別格」であったような気がする。 2 むかしから、このブログを読んでいる人は知っているが、わしには子供の頃もうひとつ好きな都会があって、それが「東京」という街だった。 お世辞にもカッコイイ街並みではなかったが、わしは東京という街の猥雑で雑然としていて田舎じみているのに洗練された細部がある、その混沌とした感じが好きだった。 多分6歳くらいのときだと思うが、ストップオーバーで寄った東京の夜景があまりに壮大で綺麗だったので妹とふたりで空港シャトルの冷たい窓に顔をくっつけて、くっつけすぎて鼻をふたりで豚鼻にしながら、すげえー、と思ったのをおぼえている。 いま考えてみると箱崎のあたりを通っていたのだと思うが、ちゃんとは憶えていない。 それが東京との出会いであって、ニュージーランドやロンドンで何度もあったことがある、妙に機嫌のよいおじさんであった義理叔父の出身の街が、こんなに自分の人生と大きく関わるようになるとは、その頃はまだよく判っていなかった。 たとえば、ラーメンという食べ物がある。 わしはいまでも、あんまりこの食べ物が好きではないが、マンハッタンでもっとも麵類がおいしいということになっているモットストリートの何軒かの上海・香港料理屋でだす麵より、東京の「ラーメン」のほうがおいしいくらいのことは、わしにも簡単に判別がついた。 いまは「一風堂」に延々長蛇の行列をして一杯2000円のラーメンを食べるくらいだからマンハッタン人もラーメンのおいしさを判っているが、その頃はまだ日本のことをよく知っているひとでも「ラーメンって中華麺の紛いものだろう」というくらいの認識であって、実際、レキシントン通りあたりで「日本式中華料理」というような看板を掲げているその手の店も不味い店ばかりだった。 それが日本では遙かに手がこんだ味で、とんかつも他の「洋食」もそうだったが、わしは東京に着くと、義理叔父や従兄弟と一緒に築地や銀座の日本でしか食べられない食べ物をだす店によくでかけるようになっていった。 その頃はまたコンピュータパーツの街としての秋葉原が最盛期だった頃であって、英語世界では最も先進的なパーツが手に入るシンガポールよりも、さらに少し進んでしかもハイエンドのPCパーツがこれでもかこれでもかと並んでいて、古典的な技術オタクであるわしはよく段ボール二箱ぶんくらいもパーツを買って妹に呆れられたものである。 もっとよかったのは電子パーツの店をのぞいてみると、およそなんでもつくれるだけの部品が小売りでならんでいたことで、アールグレイの香りよりもハンダが焼ける匂いのほうが好きなわしは、自分がつくりたいものの部品の調達リストをつくって、よく出かけたものだった。 その東京が「みるみるうちに」という表現を使いたくなるほど、あっというまに冴えない図体がでかいだけの田舎町になりさがっていったのは、こうやって思い返してみると、2003年くらいからだったように思われる。 それまではたとえば3月のを終わりにニュージーランドを出て、東京に寄ると、どう表現すればいいかわからない「わあ」というような熱気が空港から一歩でただけで感じられたのが、なんだか森閑としているように感じられるようになった。 溜池のANAホテルに泊まった翌朝、サブウエイで朝食をとっていたら背中に妙な視線を感じる。 振り返ってみると、そこには壁際に10人くらいの日本のひとが座っていて、そのどの人もがまったくの無表情で、そういう言い方はひどいが「うつろ」としか表現のしようがない目で、こっちを見ていて、思わず「ぎゃああ」と叫んで逃げ出したくなったりしたのも、その頃だったと思う。 その何年かあと、日本の衰退がなぜ起こって、どういう具合に具体的に推移したか記録しようと考えて5年間11回に渉って日本にやってくることになるが、2003年という年には、もうやがてそうなる、と直感していたのだと思います。 3 シドニーやオークランドのような南半球の「都会」は2002年頃までは、ほんの田舎街にしかすぎなかったが、移民の流入に伴って、実質的にも都会の顔をもってしまった。 それ以前と何がいちばん違うかといえば、それはひとの考え方であって、ふたことめには人種がどーのと暇つぶしのように言っていた老人たちまで、そういうことを考えなくなった。 アラン、というひとはまずアランというちょっと愛想が悪くみえるがにっこり笑うと人間の良さが誰にも見えるような性格の若い聡明な会計士であって、そのひとの両親が香港からやってきた中国系であることはふだんは忘れている。 一方で欧州はこうでアジアはこういう具合で中東人というのはこういうものなのだ、という論説というようなものは、急速に関心を失った、どころか失笑のたねになることが多くなったのは、別に書物に知識を求めなくても、現に職場に行けばインド出身のひともレバニーズも職場の同僚として「おはよう」をしているからで、いざそういう生活になってみると人間が観念でこさえあげた像というものは殆ど何の有効性もない、と判ってしまう。 マンハッタンは移民の受容の歴史が古いぶんだけ、同じ移民社会でも古い世代に属しているので「人種のるつぼ」という人がいるが、まだ「人種のモザイク」とゆったほうが実情に近いところがある。エスニックグループがそれぞれのコミュニティをもっていて、仕事や遊びに行くときにだけ「広場」の役割をはたしているショッピングエリアやクラブで一同に会する、というところがあると思う。 そういうことはイングランドでも同じであって、移民の受容としては古い形に属する。 オークランドのような街は文化も出身地域も異なるひとびとが完全に混交して住んでいてラミュエラのような高級住宅地でもインド系も中国系も中東人もまんべんなくいる。 そういところは同じ移民社会でも「世代の差」のようなものがあるようです。 4 考えてみると、東京が「都会」であったころというのは、世界でも最も異質な文化同士がほんの短いあいだにしろ、小さな火花を散らしていた頃なのでしょう。 … Continue reading

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聞き取りにくい声を、聞きにゆく

二日前、タパスバーにモニがセーターを忘れてきたのが判明したので、さっき、ふたりで取りにいった。 二階にあるらしい事務所にカリフォルニア育ちの女のマネージャーがセーターを取りにいってくれているあいだ、わしはグラシア生まれでグラシア育ちのシェフと話して遊んでいた。 そんなことが正常でないことは判りきったことだが、どういう言葉のふきまわしか、わしは親切なカリフォルニアの女の美人マネージャーのことを「あんなインチキな人格があるだろうか」とゆった。 自分でなにをゆっているのかわかってんのかね、というような暴言だが、わしには、そういうことがときどきある。 友達ならみな知っていることなので、びっくりするくらいですむが、知らない人とは、ときどき殴り合いになることもあります。 相手が女の人の場合はまさか殴らないが。 グラシアの、わしがもっているアパートの近くで生まれたシェフはあまりのことに、しばらく、ぶっくらこいて目をまるくしていたが、 「どうゆえばいいか、わからないが、ぼくもそう思うんだよ」という。 「あのひとには、どこかインチキでまったくプラスチックで人間ではないところがあるんだよ。きみがどうして、そう思うのか判らないが」 差し出してくれたクロケタスをかじりながら、カリフォルニア人の親切な女美人マネージャーが戻ってくるまで、ひげもじゃのシェフとわしは、表情を変えずに口を極めて彼女を罵っていた。 彼女のかっこいい足が階段の上に見えたので、そこで黙って、手渡されたセーターを丁寧にお礼を述べて受け取りました。 モニは呆れはてて、わしらを見ていたが、ドアを開けて外に出てから、「ガメたちは、ほんとうに欧州人なんだな」と感に堪えたようにいう。 自分だって、そうやん。 2 流れ落ちる水について考えることにはさまざまな意味がある。 自分の作品を全部ミニチュアにして鞄に詰め込んでニューヨークに逃げてきた、あの男は、自分のことをどんなふうに考えていただろう。 世界が恐怖に包まれているときに、良心には、ほんとうには意味があるだろうか。 少なくともイエスは、そういう嵐のときに勇気をもつ意義を認めなかった。 彼がほんとうに認めたのは怯懦の意義だったろう。 W.H.AudenがどれだけT.S.Eliotを「行動」において評価していたかわしには判らない。 ひとつだけ想像がつくのは、ふたりともに、パウンドの沈黙のほうに苦痛を感じただろう、ということだけである。 詩人達は、小説家のような根っからの俗物たちとは違う空気を呼吸して生きている。 少なくとも、なぜ世界をくだくだしく説明するか判らないという悩みは詩人だけが理解する悩みである。 だから、結局、パウンドの沈黙こそは、彼らの時代においては、最も苦痛に満ちた文学的行動として機能しただろう、と簡単に想像できる。 3 わしがきみにこうやって日本語で話しかけることにどんな意味があるのか、きみは知っていますか? わしは日本では欧州の常識があるひとにも、あのべったり神が張り付いたような苦痛に満ちた言葉を理解できる人にも、まだ会ったことがない。 すべりひゆ、という神の影にはいってゆきそうな人を見たことはあるが、あのひとにしても、まだ10年くらいは、あの絡みつくいやらしさやどうしても離れていってはくれない押しつけがましい「時間の実体のようなもの」を見てはいないだろう。 神が見過ごしている言葉は、この東アジアのすみっこにしかないのだと思う。 中国語のような言葉と違って、このアジア語の部屋のかたすみには確かに神が座っているべき椅子がおいてあるのに、そこには誰も座っていない。 誰もいない部屋で、わしは、そこでなにが起こっているのか訝っている。 4 瀑布の音。 流れ落ちる水の音に耳をすませるべきなのである。 聞き取りにくい声に耳をすますべきなのである。 きれぎれに聞こえる、かすかな悲鳴のような声、 あるいはすすりなく声に耳をすませるべきなのである。 その遠くから聞こえる微かな声は自分が声高に話していては聞こえはしない。 聞こえるわけがない。 顔を覆って泣く「あのひと」の声は、きみの心がたとえばフランシス・ベーコンが描く鈎につるされた魂にかわりはてるまでは、ちゃんと聞こえやしない。 … Continue reading

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フクシマ経済

この20年で合衆国と連合王国に住む人間の富はおおざっぱにゆって3倍になった。 20年前に30歳で1億円もっていた年収1000万円の人は3億円もっていて年収3000万円になっている、っちゅうような意味です。資産・収入・可処分所得ちゅうようなものがだいたい3倍になった、と思えばよいと思います。 念のためにゆっておくと統計的数字に縋って議論を進めるのは、やむをえないときにするのであって、統計上3倍になっているからとゆって、そのひとが当然3倍豊かになっているわけではない。 所有している自宅の価値が3倍になっていても、自分が住んでいる家を(その人間が「金持ち」かどうか判断するときに)普通には資産には数えないので判るとおり、住んでいる人間にとっては良い事はなにもない。カウンシルの評価額があがればタリフが3000ドルから9000ドルにあがって支出があがるだけであって、景気の良い社会の最大のビョーキであるインフレがたとえば(通常先進国が上限目標にする)3%であれば、10 の昼食は18ドルになっているわけで、その社会のちょうどまんなかくらいの収入の人間は「生活が苦しくなった」という感想をもつのが通常だからです。 しかし、たとえば連合王国でサラリーマンがこの20年間のことを家計的にふりかえって、しみじみと損ぶっこいちまったなあー、と思い出話にふけるときには「なんでも3倍」を前提にして話しをする、ということです。 カナダや豪州やニュージーランドも、ほぼ同じ。 いまのいま、という時点でカナダと豪州は3倍より少し多いか、というくらいの感じと思えばよいのではないか。 一方、この20年で日本のひとの懐は20年前に社会の中軸であった40代のまんなかで大企業に勤めていて自宅をローンで買って子供がふたりいる、という家庭を例にとると年収は900万円から650万円に、自宅の資産価値は6500万円から4600万円に下がってしまっている。 20年前にふたりで400万円の年収をつくっていた共稼ぎ夫婦は、20年後のいまの日本では収入が300万円である。 だいたいすべての「富」が20%から30%減少している。 20年間、この状態から抜け出せなかったのは先進国のなかでは日本だけであって、いまでも、その理由は謎ということになっている。 アホの巣窟なので有名なブリテン島ですら、屁理屈をねつ造して破滅に破滅の上塗りをする時代は15年しか続かなかった。 日本の場合、どうしてこうなったかというと、日本のひとの「おかみ」を信ずる不可思議な心根のせいである。 5年間11回の日本遠征での最大の不可思議は、日本では殆どの人が(わしからみると)まるで自分が政府の一員であるような口を利くことで、言うことだけを聞いていると国民全員が政府のどこかの部署で働いているかのようであった。 連合王国やニュージーランドにおける大庭亀夫のごとく畏れおおくも政府のえらい人に向かって「おまえらのクソ立場なんか、わしの知ったこっちゃねーよ」というような不敬罪な暴言を口走ったりはしないのです。 わしが日本型中央計画経済のばかばかしさを言うと、「でもガメちゃん、日本は大国だから、そうそう簡単にいままでのやり方をあらためるというわけにはいかないんだよ」という。「貧乏なひとの面倒もみなければならないし、地方のうまくいっていない政体の面倒もみなけりゃならない。それを、突き放して、きみたちの問題というわけにはいかないのさ」 ボルジャー首相という、みるからにいいかげんな顔をしたおっさんが突然声明を発表して、「カネがないから、もう郵政、国でやるのやめたし。あとは諸君で勝手にやってね」とゆって一夜で民営化したニュージーランドみたいな無茶苦茶な国とは偉い違いの懇切丁寧な20代の国民のおむつまでかえてあげそうな面倒見の良さである。 フクシマの原子炉がおだやかで対処しやすいやり方でとはいえ、ぶっとんだとき、明らかにコントロールを失っているのに「安全に推移している」と言い募る日本政府と、そのエダノというオオウソツキに拍手喝采する日本人たちの姿を見て世界中のひとが息をのんだ。 あの光景を見て、ようやく日本経済の現在の不振の理由を理解した経済人も世界にはたくさんいた。 英語ではwe-know-bestのひとびととゆったりする。 わしらがいちばんわかっとるんじゃけん、しろーとのあんたさんらは、余計なことをゆわないで黙ってついてきなさい。 日本では津波が起きた途端に事故が起きるのではないかと心配したひとたちに向かって「日本の原子力技術力をなめんな」という合唱が起こって、一瞬で「無知蒙昧な人間たちの心配する声」がかき消されるのを、わしはリアルタイムで観察して記録していた。 長い間理由がわからなかった日本人たちの現在の自国の経済・財務上の絶体絶命への非現実的なほど極端で漫画的な危機感のなさが、それを観察することによって判るような気がしたからです。 わしは、とうの昔に機能しなくなった岸信介以来の国家社会主義経済的な日本のやり方が、ここまで無残な敗北を繰り返しながら、(たとえばPCはオモチャにすぎない、大型電算機以外に「電算機の未来」があるのなら、おれは役人をやめるよ、と嗤った当時の官僚達の発言をあげつらうまでもなく)いまでも国民に支持されているのは、それが日本の文化の深いところに根ざしているからだと思っています。 真に壊滅に向かう経済は、いつも文化そのものに理由があるのだ、と歴史は教えているが、フクシマを観察したあとでは日本もまた同じなのではないか、と疑ってしまうのです。 画像はセントラルパークでチェスに興じるおっちゃんたち。ダブルクリックすると大きくなりもす

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セントラルパーク

日曜日はセントラルパークに行った。 チェルシーのわしのアパートからは遠いがアッパーイーストサイドのモニのアパートからは、すぐというのもアホらしいくらいすぐです。 どのくらいすぐかは教えてあげないけど。 土曜日の夜はモニのアパートにいたので、日曜日の午後はセントラルパークをのんびり散歩して過ごした。 わしはアップタウンは住んでる奴の頭の中身が腐っているので嫌いだが、セントラルパークに近いのだけはうらやましいと思う。 オークランドは住むやすい街だが、街のまんなかにのんびりできる大きな公園がないというマヌケな欠点がある。 ハグレーパークがないクライストチャーチなんか考えられない。 夏の終わりの、あのオレンジ色の宝石箱をひっくりかえしたような夕日がきらめく公園を横切って歩く楽しみがないクライストチャーチは想像のしようがない。 春のまだ寒い朝の霧のなかを10歳と11歳くらいの姉妹がくつわを並べて蹄の音を響かせるハイドパークがあるからロンドンはロンドンなのであって、そうでなければ、そのヘンのコンクリ雑草が生えたような高層ビルがだらしなく背伸びしあっている大きな街と変わらない。 アメリカ人たちは、話し方に品がないうえに、みるからにバカだが、公園をつくる知恵だけはあった。 しかもセントラルパークは、とてもとてもよくできた公園です。 大きな岩や池や橋をうまく配置して、どんなひとが散歩しても寛いだ気持ちになれるように設計してある。 晴れた日曜日にボールパークカフェで1ドル38セントのコーヒーを買って、ベンチに腰掛けてソフトボールに興じるひとびとを見ていると、それだけで幸せになってしまう。 あるいはチェス&チェッカーハウスの階段を上がっていって、チェスの真剣勝負に打ち込んでいる変人たちの手元の盤面を見て、「あっ、もうすぐチェックメイトやん。あぶないやん」とハラハラするのでもよい。 わしはセントラルパークが子供のときから大好きであって大西洋を渡ってニューヨークにやってくると、かーちゃんにせがんでよくパークアベニューから公園まで怒濤のようにやってきたものだった。 (いま考えると小規模な怒濤だが、その頃は本人は自分の存在を怒濤のように思っていたのね) ちゃんとお上りさん然と馬車に乗ったこともある。 もう、よく憶えていないがアイルランド人の気のいいにーちゃん御者が、しょーばいを忘れて半日一緒に遊んでくれたのはおぼえている。 エセックスハウスからダコタハウスまで公園を取り囲む建物の名前をすべて教えてくれて馬車道をのんびり走りながら架空な「セントラルパーククイズ番組」の司会を務めてくれたりした。 むかしは冬の夜のセントラルパークの冷たい道を踏みしめながら、モニとよく散歩した。 おおきな岩のある丘のわきをとおって暗い橋の下をくぐって、池をまわってプラザホテルの脇へ出てくる道をなんどモニとふたりで通ったことだろう。 モニの緑色のウールのコートが霧に濡れて光って、背中に腕をまわすと冷たかったその感触までおぼえている。 わしはその頃、完全に人生を投げてしまった若い衆であって、毎晩マンハッタンのクラブからクラブをクロールして遊んでばかりいた。 冬でも蒸し暑い、甘い煙の匂いがたちこめたクラブのなかで、明け方まで男も女も服を脱いで踊り狂うパーティのなかでだけ気持ちが安らぐようであった。 わしはもちろん何も信じてはいなかった。 世の中などはただひどくくだらないものであって、週末の興奮を繰り返しながら、そのあとはさっさとおさらばできればよい、と考えていた。 モニというひとが好きであるのは判っていたが、モニの人生に対する真剣さ、一途な愛情というようなものがただ鬱陶しいもののように思えた。 快楽に満ちた煉獄というものがあるのだと思う。 どこまでもいつまでも破格の悦楽が持続して次から次にあらわれる陶酔の時間のなかで呼吸もできなくなる。 そこでは世界は足下の泥のようなものであって、ときどき気がついて避けて歩けばよいだけのものである。 モニの必死の力がなければ、わしはまだあの煉獄の階段に腰掛けて、この世のものとは思えないほど美しいきらめく炎に見とれていたことだろう。 結局、モニの手に導かれて煉獄から螺旋階段をかけのぼって閉まりかけた門を駆け抜けて、この世界に帰ってきてみると、どれほど美麗でどれほど愉悦に満ちていても煉獄は煉獄にしかすぎなかった。 帰りにはトランプタワーの裏庭でスプマンテを飲んでから、5thAve&53rdStにある有名なハラルカートでラムとチキンのコンボを食べた。 モニとふたりでおだやかな春の日差しのなかをのんびり歩いて、チェルシーまで帰ってきました。 少し調子が外れる(^^)Tu trouverasを鼻歌に歌いながら横を歩いているモニの顔を眺めながら、むかしを思い出して、女のひとは実際ためいきがでるほど強いのお、半分くらいは神様の血が混ざっているに違いなし、と考えた。 もっともっと幸せにしなければ。

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プロメテウスの火

五十年、というような先のことまで考えれば人間のエネルギーは核融合に求めるしかないのは、ほぼ自明である。 こう言うと色を為す人がいるのに決まっているが、地熱も風力も核分裂も、いま人間が過渡的に頼っているエネルギーの獲得手段はいずれも化石燃料のオーダーにすら達しないほどのエネルギーしか調達できる見込みがない。 「それならば省エネルギーの世界を達成すればよい」というのも一見もっともな意見だがたとえば50年後に「エネルギー」というとき、そのエネルギーの行き先の大きな部分が食料生産であることを考えると、エネルギーの節約もごくごく補助的な役割しかはたせないのは明らかであると思う。 核融合反応からエネルギーを取り出して人間が利用するには、おおきく分けてふたつの方法がある。 DD反応やDT反応、というようなことを言おうとしているのではない。 ふたつの反応、とは、人間が自力で地上に核融合を実現する、つまり手製の人工太陽をつくるか、すでに空をみあげれば存在する「神様がつくった核融合炉」太陽を利用するか、ということを言っている。 主に葉緑体の働きを通じて太陽エネルギーを利用する一方で人間は歴史を通じて太陽に苦しめられてきたが、それでも犬さんの「お手」に毛が生えた程度の文明で(ときどきは破滅したが)なんとか焼きつくされて滅ぼされることを免れてきたのはなんといっても神の融合炉から地上までの長大な距離と地球を毛布のようにくるむ濃密な大気のせいである。 太陽からエネルギーを直截とりだすとなると、今度は、この遙かな距離が問題なので、たとえば軌道上に複数のエネルギー中継衛星をおいて地表に向かってレーザーで搬送するという研究をすすめているグループもあるが、もっと現実の発電に近いプロジェクトならオーストラリアのように国土の大半が不毛の荒野である広大な国ではSolar Fieldを築いてそこで発電するプロジェクトが進められている。 いま進んでいるのは、たしかフランスのアレバ社の技術で40メガワット級だがオーストラリアは国柄を反映して、かなり進んだ太陽熱技術を自前でも持っている。 アモルファスにかわる太陽電池の技術ももっているはずだが、どのくらい実用化に近づいているのか。最後に話を聞いたのが2006年で、そのときは「あいつの技術はオモロイんだよ」という程度だった。 いま、どのくらい進んでいるものなのか、またメルボルンに行ったときにでも訊かないと判らない。 義理叔父が若いころには、まだ通産省の鉱業課というようなところで、エネルギー政策を担当させられた若い上級職が「あのおー、このまま行くと40年くらいで石油ってなくなっちゃうみたいなんですけど、大丈夫なんですかね?」と訊くと、上司に「ばあーか。石油は探せばでてくる、というのは世界の常識なんじゃ、そんなくだらない心配してねーで、さっさと備蓄の計画をつくらんかい」と怒られていたそうである。 一方で原子力課の担当になるのは命がけで、なにしろ、原子力発電所をつくる土地にでかけて公聴会を開くたびに反対派が顔をめがけて灰皿を投げつけてくる。 義理叔父の軽井沢の夏の家に遊びに来ていた友達が「あれってさあー、なれると肩も動かさないで顔だけで、ひょいっ、ひょいっと避けられるようになるんだけど、一回徹夜明けで右だとおもってんのに左に顔がうごいちゃってもろにデコにあたっちゃってさ。血みどろになって、投げたやつも狼狽してだぜ。ははははは」と力なく笑っておった。 あまりに精神的にきついので原子力課のあとは、もんのすごく楽な部署に配置されて2年間休暇みたいな勤務だったのが常識であったという。 エネルギーに興味があるひとならイロハにあたることだろうが、いまの核分裂反応を遅滞化してエネルギーをとりだすやりかたはエネルギー資源的にも「急場しのぎ」以上の意味はない。原料に出来るウラニウム自体、化石燃料ほども資源としてもたないからで、化石燃料に代わる「次世代エネルギー」だと思っているひとは誰もいないだろう。 フクシマ事故で「当座のエネルギー需要」ですらすさまじい量の中国以外は、いっせいに「やーめた、やめた」になりつつある理由のひとつは、核分裂発電技術がいわば単なる「中継ぎ」にしか過ぎない、という大きな理由がある。 もともと人類のエネルギー需要をせおって立てる、というほどの力量はない技術なのである。 こういうと絶対に怒って怒鳴り込んでくる人がいるので書いていてもユーウツだが風力や地熱などは気休めにしか過ぎない。 風力で日本のエネルギーを全部まかなおうと思えば、(計算してないからわからないが)多分、日本の海岸線に全部風力発電機をくまなくおったてても追いつかないのではないかと思われる。 もうひとつ風力発電というのは、どの国においても汚職の温床になりやすい、という政治的に扱いにくい特徴をもっている。 住基システムのような集中型ネットワークシステムや風力発電のようなエコ発電は、政治の腐敗面では、往事のダムや道路建設と同じ役割を果たしている。 発注受注の公正の監視が難しいので、民主主義国家では危険な事業である、という側面がある。 悲観的なひとびとは核融合炉の耐壁ひとつとっても、「もう人間の知力ではあかんのちゃうか」という。 材料工学も磁場についての知識も、あれもダメこれもダメの状態で、海の波やマグマの熱や風も頼みにして原油の相場をにらんで、ごまかしごまかしを重ねてきたが、これまでのように技術的ブレークスルーがタイミングよくでてきてくれないので「人間は頭が悪い」という科学教育を受けた人間が等しく実感する問題が、より明瞭な形で意識されるようになってきた。 こうなったら技術的特異点、なかでもニューロネットワークを持つ「強い」人工知能をまつしかないと「えっ、このひともなのか」と思う巨大な知性の持ち主まで信じるに至っているのは、この科学全体を覆う「閉塞感」のせいだと思います。 現代では食料問題はそのままエネルギーの問題だが、 北アフリカの政治的動乱はアフリカ内部から「食料が十分に供給できない」という問題が先進国側に向かって波及してきた、その先端だと見ることもできる。 中国の内陸部の、それがゆえに中国政府が対外的な強面を強いられているという地方政府を尖端とする暴動圧力も同じことなのかもしれません。 手のひらで燃えさかりかけた火をもっとも残酷な形で吹き消されたプロメテウスはヘラクレスの手によって解放された、と人間の過去には未来の記憶が記述されているが、そのヘラクレスが来るとされている2023年まで生きていて、ほんとうに彼がやってくるのか、あるいはそれもホーキングたちの虚しい夢にすぎないのか、仮にそれが訪れたとして、そのときには「知的優越」という自然界でわれわれが親しんだ地位から転落したあと、どのような思想がありうるのか、 炎が壁に映すゆらめく影のようなこの世界に、もう少しいてもよさそうだ、と思います。 画像は春の陽気に浮かれてビルの屋上に駆け上がり日本のみなさんに「がんばれ、ニッポン!」と呼びかける大庭亀夫先生。推定身長3メートル20くらい、と思われる。

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現実

金曜日は忙しい。 近所のイタリア料理屋で友達夫婦と早めの夕食を食べて、これも近所に別の友達夫婦が新しく開いた画廊のパーティに「顔を出して」コクテル一杯だけ飲んでアパートに戻ってきました。 一時までにイーストビレッジのクラブに行かなければならないので、勤勉なわしは、それまでに日本語の練習をするのだ。 すごい。 酒を2升飲んでも素振りを止めなかった王貞治みたいである。 わしも一本足で日本語ブログを書いてみようかしら。 「顔を出す」というような義理と人情の世界に生きるようになると人間は終わりだとゆわれているが、ときどき隙をつかれて人並みの義理の誘いに「うん」とゆってしまう。 修行が足らないことである。 友人などは少なければ少ないほどよいと決まっているものなのに、毎年毎年えらい勢いで友達が増えてしまうのは、こういう油断によっている。 人間らしく暮らしたければもっと冷淡になる方法を研究しなければならない。 社交の礼儀にかなった、あっかんべえの表情を鏡に向かって工夫しようか。 つい癖で二本指を突き出してしまう習慣を中指一本に改めてみるべきか。 わしは現実的な処理というものが好きである。 たとえば「どうしてもとれないタオルの染みをとる」というようなことになると、軽く半日は熱中します。 皿洗いも大工仕事も好きである。 射撃もすきなら、乗馬も大好き。 世界のディテールというものが熱狂的に好きなので煉瓦のモーター(モルタル)などは世界中の異なる方式を自家製の写真図鑑にしてもっている。 前に少しだけ書いたUKとNZの農場にほうっぽらかしのクラシックカー(というかただのポンコツでねーかという妹のような意見もあるが)も、もちろん整備は全部自分でやる。 だからむかしむかしのロータスのエンジンがほぼトヨタの某エンジン(型番教えてあげない)と、そっくり同じ大きさと形状である、というようなことも知っていて、どこにどういうボルト穴を足してやれば快調に走るか、というようなことも知っている。 自分の肉体がどのように機能するかも熟知しておる。 そのために医学まで(ちゃんとやらなかったが)必要なところだけ学んだくらいであって、自分の筋繊維の強さがどのくらいで、体質がどうで、どこをどう力むとバク転が出来て、どのくらい膝を上げて走れば短距離で快速で走ることができて、長距離ならどのくらい下げればよいかも研究してしっている。 ちん○んだって、こうすれば…(以下、原稿散佚) わしは現実というものが嫌いである。 毎日朝起きるたびに少しづつ硬くなっていっているに違いない自分の関節のことを考えるのが18歳のくらいのときにはもう鬱陶しいと思っていたし、家に伝わっている財産で食べるというバカバカしさを我慢しまいと思えば、自分で稼がなければいけないのだ、という考えはわしをよく憂鬱にしたものだった。 案ずるより産むのは痛いという。 やってみたら、なんだか猛烈にくだらないドクター中松ないきさつでわしは21歳でまだセーガクをやっている頃にドビンボーからお金持ちになってしまったが、仕事なんかするのやだなーと考えながら夜明けまでゆーうつなままポルトを一本飲んでしまった、あの気色悪い甘みに満ちた苦い朝のことは多分いっしょう忘れないであろう。 このブログをずっと読んでくれている人なら判るかもしれぬ。 わしには、なんで「人間の一生がたいへん」なのか判らないのだと思う。 ブログで書いたことはないが、わしは飛び級が制度としてはないが現実にはやれるという不思議な国で教育を受けたので、他人よりもはやく一通りの教育を通過した。 そういう異常なガキが通常必ず経験するという心理的な早熟ゆえの苦労というものも全然なかった。 3つくらい年上のガキくらいは簡単にのしてしまうくらい身体的能力に恵まれていたせいもあるにかもしれないが、振り返って眺めてみると、年が上の仲間達とふつーにつきあっていたような気がする。 なんだかよくわからないうちにオカネモチということになって冷菜凍死家を開業したときもPという年上の友達が万事めんどくさいことは取り仕切ってくれて、わしはメキシコのド田舎でおっちゃんたちとサンガリータと交代のみをするテキーラで飲んだくれて乾いた土の上にのびて寝ていたりすればそれでよかった。 わしのマブダチとゆえば、いわずとしれて、わしが従兄弟だが、このマブダチが半分(というと本人は怒るが)日本人なので、日本に興味をもって口実を設けてやってくると、そこには義理叔父のトーダイ友達がいっぱいいて、毎週のようにオモロイところに連れていってくれて、あちこちに友だちができた。 わしは現実というものが苦手である。 だが、それはきみが思うかもしれないように現実が襲撃してくるからではなくて、その逆であって、現実というものがいつも微笑んでいるからである。 わしは人間が頽廃しているので全力で悪いほうに想像しようとするが、日本で会ったひとたちはとてもとても親切で、どう想像しようとしても世界でも指折りな親切なひとびとであった。 日本の政治史を(わしはケチなのでここを強調すると)タダで毎週出張教授してくれたS先生や、陶芸を(再び強調すると)タダで教えに来てくれたM先生や、日本語の発音の矯正をひきうけてくれたN先生や、ここではなんのことなのか書かないが、わしのツイッタやブログでたびたび出てくる「3人の博士たち」の暖かい善意をわしは忘れるわけにゆかない。 しかも、このひとたち全部、(これもブログをずっと読んでくれるひとたちにはすぐに名前が思い浮かぶはずの)インターネットでわしに突然からんできて、あまつさえ、ウソツキ呼ばわりまでするという何人かが原因で常に日本社会を罵倒するに至っているわしのブログとツイッタを毎日愛読しているのだから、そのカンヨーをおもうべし(^^) ブログアカウントを削除して行方不明になっては帰ってくる、ということを繰り返しながら、ブログの読者が300人くらいに減って、相手にしてもらうこともなく、罵倒しにくる人しかいないようなこのブログを続けているのも、日本語を忘れたくない、という利己的な理由と、josico、Nasu、もちこはんにもちこ付録のブブリキ、おっかないすべりひゆ、どこの誰だかいまだにわかんないがわしが大好きなthingmeurlやSDどんやネナガラのようなむかしからいままで、わしが現実の世界さながらどんな滅茶苦茶をしていてもいつも変わらずに友達でいてくれたひとびとと優さんやジュラさんや清右衛門のような新しい友達がいるということのほかに、初めから現実の世界で見知っている、この人たちの温顔が現実的な気持ちの支えになっている、ということもあるでしょう。 わしは現実というものと向き合ってゆく。 … Continue reading

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MOMA

                                                                                                                                                                   1 ひさしぶりにMOMA http://www.moma.org/ へ行った。 MOMAは、人が多い美術館なので、わしは、あんまり行きません。 あんまり行かない、どころではなくて、考えてみると4年くらい行っていない。 建物が小さいせいかも知れないが、いくたびになんとなく疲れる美術館だという印象が出来てしまっている。 同じ巨大美術館でも、メトロポリタンミュージアム http://www.metmuseum.org/ のほうは、モニのアパートから近いせいもあって、よく出かけて中二階でカクテルを飲んで遊んだりするが、MOMAには億劫がってなかなかでかけない。 16時半からただになる日などは、観光客や学生が延々長蛇の列をなして入り口に並んでいるので、おぞましい、という気持ちもあります。 そんなに忌避している美術館になぜでかけたかというと、わしの人生で自分があんまりやりたくないことをやってみる理由などひとつしかない。 モニはゴッホの「De sterrennacht」(星月夜) http://www.vangoghgallery.com/painting/starryindex.html が好きであって、この絵はMOMAにある。 絵が好きな人というのは、そーゆーもので、時々どうしても観に行きたくなるもののようで、今日もそれで出かけたのでした。 MOMAは暖かい季節には木曜日の午後がもっとも空いている、というのは有名な事実なので、ここでモニに催促されるとかっこわるい、自分のほうから「天気がいいから歩いてMOMAにいくべ」とゆってアパートでチェダーチーズやサンドライトマトのペーストやプロシュートを動員した昼食を摂ってから、春の日差しのなかを歩いてでかけました。 (6th Ave をMitzvah tankが北に向かって行進している。 うるさいので道を5th Aveに変えたら、今度は同じMitzvah tankが南に向かって戻ってきたので笑ってしまった。 観ていると、誰かが石かなにかを投げつけたようで、若いユダヤ人が窓から頭をだしたまま頭を抱えている。 警察の覆面パトカーがいっせいにサイレンを鳴らして集まってくる。 そのなかに日産のキューブがあって、わしは始めてNYPDの覆面パトカーには、ああいう小型車も混じっているのを知りました) 2 受付もクロークも並ばずに、人が少ないフロアをまっすぐ5階にあがって、「 星月夜」に着いた。 モニとふたりで並んでみていても、特にほかの人と一緒にみるということもなくて、誰もいない。 タイミングというものは偉大なものだと考えました。 「 星月夜」という絵は、意外と荒っぽい絵で、そこここに何も塗られていないカンバス地が剥きだしになっている。 ガキンチョのときに、この絵を初めてみたときには、「なんて、ええかげんなおっさんだろう」と考えて可笑しかったのを思い出す。 モニは、フロアの絵をもうちょっと見ていくというので、ほんじゃ、終わったら電話で呼んでね、ということにして、わしはさっさと中庭に降りて本を読むことにしたが、途中、わしが大尊敬するフランシスベーコンの巨大な絵(たしか、最後の絵だと思う)がカフェの入り口に展示されているのを観て足がすくんでしまった。 絵がガラスで覆われていてよかった、と思いました。 そうでなければ、あの絵を自分が直接つながっているようでやりきれなかっただろう。 4階まで階段を下りたところで、そーいえば、ここにはFranz Klineのカッコイイ絵があるのだった、と思い出して、すたすたすたと奥に行って、あのアイボリーやクリームや他の「白」がうまく使われた絵を観てよろこんだ。 中庭で30分くらいのんびりしていると、電話をかけるでもなくモニが直截おりてきて、「もう、観たい絵は観たからいきましょう」という。 … Continue reading

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アップタウンへ行った

1 アップタウンの友達に会いに行った。 ビレッジやチェルシーあたりとアップタウンでは文化が別の国であるほど違う。 この「文化の違い」は言葉で説明するのはぜんぜん無理です。 アップタウン文化に近いものがまったく存在しない日本の言葉ではなおさら絶対に不可能である。 アパートでもわしのチェルシーのボロアパートは集中冷暖房とゆってもスチームパイプの超大時代な暖房で冷房に至っては、わしが購入したときにはGEの、運転させていると「きみ、ダイジョブ?」と機械に訊きたくなるくらい凄まじい大音響を立てて蒸気機関車のように頑張る冷房機であった。 冬は暑くて夏は寒い、典型的なニューヨークのビンボアパートですねん。 受付も昼間はユダヤ人のおばちゃん、夜はアフリカンアメリカンのおっちゃんが、ふつーのセーターを着て座っておる。 むかしは、わしが違うねーちゃんとアパートに戻ってくると、このユダヤ人のおばちゃんはしばらく口を利いてくれなかったりした。 まことにプロ意識に欠けているとゆわねばならぬ。 あまつさえモニが泣きながらリフトから走り出てロビーを走って横切りドアを押し開けて出て行った日には、わしの部屋まであがってきて、説教しやがったこともあった。 冷静沈着がモットーの民族性であるのが謳い文句であるはずなのに、とんでもないひとです。 あれでは受付だか舎監だかわからんとゆわれている。 それがアップタウンのモニのアパートになると、セキュリティ室が別にあって、玄関には制服を着たおっちゃんが恭しく立ってるからな。 ドアを開けてはいると、部屋は宮殿のようであって、派手好きなUFOみたいなシャンデリアが頭上には輝いておる。 豪奢なインテリアに圧倒されて、きみは「す、すげえー、玉姫殿みてえ」と思うかもしれんが、ちゃいまんねん。玉姫殿の調度とはゼロの数がいくつか違う値段なのよ、あれ。 全部、パリから運んだのだとモニのかーちゃんがゆっておったからな。 なんちゅう、力持ちのおかあーさまでしょう。 まだしつこく言い募ると、わしのアパートから見えるのは「庭」ではなくて空き地みたいなものであって、よく目をこらすとゴミがおっこっていたりするが、モニのアパートメント・ブロックには外から見えないが広大なコートヤードがあります。 住んでいる人しか使えないのね。 いまの季節だと頭上にはカロリペアが咲き誇っておって、十字型に交差している道沿いにはチューリップがつぼみのまま並んでおる。 く、くっそおおおー。かっこええのお。 こんな暮らししてるなんて、おまえら、なんか悪いことしたんちゃうか、、と思わせる典雅な眺めであります。 さらにさらにしつこく言い募ると、モニのアパートはアパートであるのに「階上」の部屋があって、おまけに空中庭園みたいにシブイ庭がふたつもついてまんねん。 どうなっとるんじゃ。 アップタウンのひとびとは裕福です。 スペイン語しか通じない定食屋で「げっ、今日はチキンカツが一枚多いやん。ラッキー」とかサンドイッチを分解して喜んでいるのを発見されて、カウンタのなかのおっちゃんに大笑いされたりしている、わしの日常とはえらい違いである。 アップタウンの友達と会って昼食をすませてから、わしはついでにアッパーウエストサイドの友達カップルと落ちあって、セレンディピティ3  http://www.serendipity3.com/main.htm  という有名なデザートレストランへ行った。 こんなに天気が悪い寒い日の午後なら空いているであろう、というわしの白頭鷲(ブブリキ(注)がわしになったわけではなくてアメリカの国鳥です)の眼のように鋭い読みはあたってときどきブロックをぐるっとまわるほどできる行列が全然形成されておらなくて、わしら一行4人は5分もまたないで一階のいちばんよいテーブルにおさまった。 この世の終わりみたいなすさまじい量で有名なサンデーを食べながら、誰彼の友達たちの噂話をしてきゃあきゃあしました。 友達夫婦はそのまま近くのブルーミングデールに消えていったが、モニとわしは、モニのアパートに歩いて帰った。 ふかふかぽよんぽよんの地上高の高いキングサイズベッドの上で、いちゃいちゃしたりもんもんしたり昼寝したりして、うー、楽ちんはええのう。 わしもそろそろチェルシーの生活を改善するべかしら、と真剣に考えました。 2 帰りに寄ったスーパーの「鮨コーナー」(最近はファーマシーのランチコーナーですら握り鮨を売ってるからな)を通りかかったら手書きの「ここで使われている魚はスコットランド沖とカナダ大西洋岸に限られています」というサインが貼り出してあった。 太平洋産、だと売れないの?と訊くと、質問が多くて困ってるんだぜ、という顔で頷いてます。 一日何度も質問に答えるのうんざりだから、紙に書いて出した。 最近は、会話のなかでも「日本の地震と津波・原発事故」の話題が出ることは少なくなったが、こうやってまだいろいろな生活の細部で顔をだす。 … Continue reading

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雨の日

1 モニが女友達たちと会いに行ったので、ひとりでGreenwich Aveを歩いて、わしの好きなあのバーに行ってきた。 雨が降っていて、しかもそれは驟雨で、激しい雨のなかを歩いていたら、唐突に日本のことを思い出して、わしはぼろかすに泣いたのだ。 ポピュリストの知事や東北の絵描きが言うように「天罰」なのかもしれないが、天罰だとしたら、神様はなんと無慈悲なのだろう。 声にだして神を呪ったら、稲妻が光って威嚇的に巨大な雷鳴が鳴った。 いいかげんにすればどうか。 わしがあなたを嫌いなのはとうの昔に知っているはずである。 2 うさぎのパイとプロシュートを食べた。 ゴルゴンゾーラとマスカポーネをポットで混ぜたチーズはバローロと合わないではないか。 「あわないのお」とゆったら、バーテンダーが山羊のチーズにラズベリージャムを添えて出してくれた。 こっちは、ワインとあった。 プロというものは、すごいものです。 どんなことにも解決を知っているのではないか。 3 雨が降って、しかもそれは激しい雨で、稲妻に頬を照らされながらわしは家に帰ってきた。 カリフォルニアのシタデルで買ったコートはずぶ濡れになったが、わしを守ってくれる。 フッドと長い袖。 わしは守られていて、また性懲りもなく神様のことを考える。 4 激しい雨が降って、稲妻がなっても、わしは歩くのをやめやしない。 書くのも描くのも鳴らすのも喋るのもやめやしない。 近所のアパートに寄って、ユダヤ人たちと話した。 ヒブルーの新聞を指さして、この言葉を読める日本人がいるんだぜ、という。 ガメ、また、そーゆー冗談を言う、と彼らは笑うが、 ほんとうだってば。 そいつはイディッシュも読めるのさ。 みな、いよいよガメの法螺だとゆって笑う。 ほんとうだったら、どうするんだ。 5 雨のなかを歩いて、下をむいて歩いて、いったいわしはどっかに着くのか。 Home…home…O home わしは、どこかに漂着できるのか。 ‘My nerves are bad to-night. … Continue reading

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ノーマッド日記5

1 薔薇の茎を伝って、あの気難しい花を咲かせる力は人間の想像を絶するほど苦渋に満ちた力に違いない。 深夜のビレッジのアパートで開け放たれた窓から聞こえてくる酔っ払いの怒鳴り声や救急車の巨大で不吉な音を聞きながら、鍵と錠のように自分の魂とかっちりとかみあわさった音と表現がやってくるのを待って息をのみこんでいる詩人のいらだちも、ジャズの演奏でパレットの上の一瞬の賭博にかけて跳躍する魂も、完全ではあっても物足りない画面に思い切って描線を斜めに描こうとしている画家の振り上げた腕にも、同じ力が働いている。 ものごとを生み出す力は決して思考のはてに出てくるわけではない。 それは思考が延々と続けられたずっとあとになって、おもいもかけないときに「ものを生み出す人」の手から殆ど勝手に動く意志のようにやってくる。 友よ。 結局、社会を再生する力も同じようにしてやってくるのではないか。 終わりのない長い議論が続いて、きみらの大学がある本郷の高台からお茶の水におりて、戦前の匂いのする路地のパブや、あるいは、あのうさんくさい画廊の上のUさんの部屋で飲みつぶれる寸前まで、飲んだ。 走り去るタクシーの窓からKさんは壮絶に紅色になった顔を出して、「ガメ、冠詞のないフランス語なんかあるかバカ、と日本人にゆってくれええええ」と、なんのこっちゃなことを叫びながら去っていった。 「あれはなんですか?」とIさんに訊くと、「あいつはブンサンだから気にしなくていいのだ」とますます訳のわからないことをゆった。 一橋の中華料理屋の夜よ。 六本木の鳥ソバ鍋よ。 三人の博士は恭しく礼拝して帰っていったが、あのうちのひとりは仙台に住んでいたのだ。 いまさらレベル7だからとゆって、それがなんだというのだろう。 あの事故は偏差値73でした、とゆったほうがよいのではないか。 どうしてもランク付けが大事なら、 フクシマはヘータイの位なら大将でした、というふうにゆってみればいいのに。 山下清の良さは、わしにはうまく判らないが。 2 豪州のMAと「太平洋環を南東から北西に押し上げている力」について話した。 自分と家族だけ世界の終末を生き延びるためにつくったシェルターがクイーンズランドの洪水で水没して死にそうな目にあったマヌケなMAの説がほんとうであるとすると、日本は向こう4年間は地震と火山活動に苦しめられることになる。 「富士山の爆発がみられるかもしれないんだぞ、ガメ、コーフンしないか?」って、きみ、つつしみたまえ。 科学者の言葉は神様と人間には通じないのを忘れてはいかむ。 3 そのうち、マジメにブログに書きたいが、フクシマのような場合、「いまくらいなら大丈夫だと考えられる」という科学者のコメントには、あまり実質的な意味はない。 科学者なら、(はしくれでも)いままでのデータに照らして、これが起こればこうだというのでなければならないが、ヒロシマとナガサキの爆弾や、ネバダの核爆発の爆心に突撃させられた兵隊のデータはあっても、残りはたいしたデータはない。 そうして日本のひとが何度も議論しているように爆弾と原子炉事故はもちろん異なるものである。 だから実は参照蓄積されているデータなどないに等しい。 少ないデータから見積もられる被害は常に最小を下回るのは論理的に至極あたりまえであって、科学の基礎訓練を受けたひとには判りきったことです。 チェルノブイリのときに何年か経ってから判明した経年被害の大半が「予想外」であったのは、そういうことであって、あたりまえなのね。 科学っちゅうのは、もっているデータの処理以上のことはゆわないルールになっておる。 だからフクシマのあと仮に関東一帯で皮膚の異常や説明できないめまいや癌の高い発生率がみいだされても(仮に、だけどね)、「既存データでは予測できなかった新事実」で終わりなんです。 科学の良心っちゅうものは、そーゆーふうに規定されているのだから当然である。 日本の東半分の住んでいる人、あるいは、それより以西に住んでいるひとも、だからこれからギニアピッグになる。 「フクシマ型原発事故」が起きた場合、どんなことが起こるのか、(期せずして)これから30年くらいかけて何百万人という日本人の「生身」を使った生体実験データが生じることになった。 規律を重んじてお上の権威に忠実な日本のひとたちは、「実験場」のなかで粛々と暮らしてゆくに決まっているのでサンプリングも楽である。 内心、よろこぶ、とまではいかなくても、「こんなことがあるのか」と考えて舌をまいた研究者が(複数)いるでしょう。 誰にもわからない事態なのだから「当面健康の被害はないと考えられる」というのは科学的ステートメントとしては100%正しい。 非の打ち所がない。 日本名物「要出典バカ」「出典キボンヌ族」が来ても、ばっちりダイジョブである。 … Continue reading

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新しい日本のこと

今日はモニとふたりで遊び疲れて寝ておった。午後零時まで寝ていて、ふらふらと起きてきて、パンにサンドライトマトのペストを塗ったのやチキンベジタブルスープ、ブリーチーズにアプリコットジャムをのっけて食べた。 それから、どうしたかというと…また、寝てもうた。 起きてから、少し散歩をしよう、と考えてユニオンスクエアまで歩いたが、他人がチェスをするのを眺めただけで帰ってきた。 帰ってきて、また寝てました。 最近マンハッタンのダウンタウンでは大流行のタパス屋のひとつに寄って、ポテタスブラバスとクロケタスとハモンと(より重大には)無茶苦茶うまいパンコントマテをつくってもらって帰ってきた。 バクラバとハルバ(ハルワではないのです)とチャイで、のんびりした。 もう日本のことがうまく思い出せない、と考えながら、日本についてのブログをふたつ書きかけて、くちゃくちゃと消した。 他に考えたいことがなかったので、新しい鍵の構造を考えた。 鍵師の知恵くらいでは開かないんちゃうか、という仕組みを思いつけたので満足しました。 実用新案、とっておくべ。 世代的にいま昭和30年くらいから後に生まれた人たち(教育内容の改訂にあわせると昭和33年生まれからあと)は、自分たちで無責任な言論をおもしろがって弄んで、どんな危機も、わざと先延ばしを繰り返してきた結果が、というのはつまり自分たちが使う言葉に現実との関係性をもたせなかった自分自身たちの「文化」の結果が、いまの日本社会と経済なのだから、もう年金も福祉も、実質的にはなしでも仕方ないし、言うことを聞いている限りでは「おれたちは頑張ったんだから絶対もらう」とゆっている団塊のひとびとは異なって、「なくてもいいし、死んでもいい。自分たちは、こんなカッコワルイ世界には未練はない」と言っているようだから、勝手にすればいいとして、その下の、いま三十代前半や二十代のひとびとが、これから先をちゃんと生きてゆける社会にする方法には、どんなものがあるだろうか。 ニュージーランドという国は、いまの日本の凋落過程とまったく同じに、極めて富裕な社会から20年間、「ダイジョブダイジョブ」を繰り返していて、ついに80年代に大破綻を招いた。 その頃のことはいまでも語りぐさであって、ホームローンの利息は24%に達したし、失業率も「心の健康のために『就業率』でかぞえたほうがええんちゃうか?」というくらいになった。 80年代という時代は日本が興隆を極めていた一方で英語国は大転落をこいていた時代です。西洋人は傍若無人をきわめた日本人の態度に、「なんでもかんでもコピーして安く売るだけの癖に、なんでそんなに自分たちが優秀だと言い募るか」と抗議してみたりしたが日本人は、そんな負け犬の遠吠えになど洟もひっかけなかった。 そーゆーわけで、職業につけないニュージーランド人が国民的得意芸を発揮して他の英語国に出稼ぎに行っても、医者でも就職がないほど難儀した。 せいぜいガイジンでは絶対に出世できない日系会社に就職してこきつかわれるくらいが関の山であった。 ニュージーランドは経済規模でいえば三重県くらい。人口も400万人という押しも押されもしない小国なので全然日本の参考にはならないが、国ごと「お倒産」になる寸前に至る、という世にも珍しい事態に直面して、たとえば、一晩で「郵政省」を解散した。 いや、部署は残ったが、規模を百分の一にして完全に民営化した。 案ずるよりは産むが易し。 子供を産むのはほんとうは天地が裂けるほど痛くてたいへんで阿鼻叫喚という言葉はお産をする女のひとがいる病院の部屋のためにある言葉だが、ま、ここは男がつくったに決まってる、決まり文句を使っておきます。 案ずるより産むがやすし。 わし、決まり文句が好きだし。 その手は桑名の焼き蛤、 あれ以来つかう機会がなくて寂しい。 五番街のブリッツェル売りのおっちゃんにゆっても判りひんもんな。 警察も縮小しました。 もとが郵便箱の扉があいているだけで警察に電話がいって「はい、犯罪一件あがり」のチョーイージーな犯罪立件の伝統があるニュージーランドの国柄なので、犯罪発生率は爆裂で上昇して、国民が新聞で数字を見ておもわず朝の紅茶をふきだすほどになった。 でも、生活そのものは、そんなに変わらなかったそーである。 政府が小さくなるというのはすごいことであって、ニュージーランドは破滅の淵からよみがえった。 丁度いまの日本と同じにこれでもかこれでもかこれでもかと細かく定められていた行政細則も、ついでにみんななくしちったので、なんでもテキトーなのが大好きなビジネス族がニュージーランドへやってきたいというようになった。 ほんなら、というので、それまではイギリスと細々と大陸欧州からくる以外は殆どいなかった「移民」への門戸を開放した。 他文化への知恵と、人間が自分の生活を向上させるための情熱というものはすごいもので、その力に押されて国の経済まで上昇してしまった。 二十年、さぼっていたので、まだ、全然ダメでひとりあたりGDPで見ていると、先進国と後進国の入れ替え戦があるあたりのポジションをシンガポールや日本、ギリシャ、ポルトガルあたりと常に争っているが、それまでの「けっ、おめーらみてーに『がんばる』とかは嫌いなんだよ。痩せても枯れてもわしらは欧州者よ、文化のほうが大事やん」という根性の腐った態度が矯正されただけでも。良かったとゆわれている(^^;) ニュージーランドの新しい国是に「役人は更正させようとしても絶対無理だから力をもたせない数を増やさない」と念仏のように信じるのがよい、という一条がはいったのはそういう理由によっている。 政府が毎年、「あのおー、犯罪発生率が他の国に較べても高うおますので、ちょっと警官の数を増やそうと思うんですけど」とゆっても、「おまわりなんて、いまで十分じゃ」とあっさり国民に否定されるのも、国会議事堂が手狭になったので増築したいとお伺いを立ててみたら「ほんなら、議員の数を減らせ」ということになって、藪蛇とは、かうなることをいいけるものかな、国会議員の数をばっさり減らされたのも、「役人はいっけんどんなに賢そうにみえても本質的にバカだ」ともう皆が知ってしまっているからである。 もうひとつ、実際に仕事をしてみると、ニュージーランドの再建の主要な力になっているのは、いったん外国に出て(何をしていたにしろ)、5年10年と生活してきたひとたちであるのが判る。 合衆国で暮らしてひたひとびとには合衆国人の考え方が身についていて、ニュージーランドだけで(とゆっても二三年の留学、というようなことはニュージーランドではありふれたことで、そういう人もここでは「ニュージーランドだけにいた人」に含めているが)育った人間には思いも付かないアイデアをもっているし、フランスに十二年暮らしていたひとにはフランス人の素晴らしい知恵があって、あるいは具体的にもワイン作りの技術があったりして、「異なる思考」がぶつかることがいかに生産的なことか判ります。 一国が危機に陥ったときには、その国を救うのはその国にとどまっていたひとではなくて、他国に出かけて寂しい思いや馴染めない思いに耐えながら、「異なる」ものとのつきあい方を学び、新しいものをどう評価すればよいかを学習して戻ってきた若い力である。 そこに移民達のもちこむ「異質」なパワーが加わると、それはそれは凄まじい力を発揮する。 合衆国が初めは欧州人たちに後半は東アジア人たちに「あの国はもうダメだ。もうダメだ」と繰り返し言われながらいまでも隆盛をきわめている第一の理由でしょう。 … Continue reading

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アポロ・シアター(Apollo Theatre)

ハーレムのアポロシアターへ行った。 わしが現代のミュージシャンのベスト20に絶対はいるべ、と思っているSalif Keita https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/02/05/seydou-ke〓ta-salif-ke〓ta/ のコンサートがあったからです。 途中のセントラルパークのすぐ北にあるやたらにおいしいエチオピア料理屋でアフリカ人の友達と待ち合わせをしていった。 民族衣装に身を包んだ奥さんはゴージャスで、大元はアフリカ人だが何代か前からイギリス人の旦那はデヘデヘしておる。 きらめくような生地の長いドレスに頭を高く巻いてドレスと同じ生地の大きなスカーフで頭をくるんでいる。 向こうから、歩いてくる友達の奥さんを見て、か、かっこいい、とみほれてしまいました。 モニとふたりでマジで見とれてしまった。 エチオピア料理屋では、もちろんフォークもスプーンも出てこない。 途中でなげだして、「すんまへん、フォークをください」ちゅうような軟弱なことをゆっているのはわしだけであって、他の3人はちゃんと薄灰色の片側が酸味で片側が酸味でないように伝統的な方法で焼き上げた、えもいわれない天上の味のパン(ジンバブエ人の友達は「あれは、悪魔の味だ」というが)をうまく使って食べている。 アフリカンブリティッシュ旦那が「ガメは、相変わらず、ぶっくらこくくらい不器用だな」とゆって笑っておる。 うるへー。 料理屋からアポロシアターまではハーレムを歩いていった。 街の様子がセントラルパークの南とは異なるのはあたりまえだが、この頃はアフリカ語で話しているひとがまた増えた。 120thまでは聞こえてくる言葉がアフリカ語のほうが英語より多い。 アポロシアターにつくとバーでワインを買う。 ねーちんが、なみなみと注いでくれます。 「おつり、いらないからね」と、わし。 「くれっていっても、あげないもん」 そーですか(^^) アポロシアターなのだからあたりまえだが、働いているひとも皆アフリカンアメリカンのひとびとである。 わしは、何度も書いたが、不明な理由でアフリカンアメリカンのひとびとと相性がよい。 向こうも、ケミストリをビビビと感じるようで、どこにいても、アフリカンアメリカンとはすぐに友達になる。 「むかしのようにアフリカンアメリカンの綺麗な人と仲良くなりすぎてはいけません」とモニには深刻に厳命されておるし、実際、結婚まえのように、クラブで(酔っ払ってはいても)ふつーに話しているつもりでいるのに、いきなりチ○チンをぎゅっと握られてしまう、というようなことになると、モニさんに生活から蹴り出されてしまうので、十分、注意しておりまする。 アポロシアターとかにやってくると、そーゆー意味で緊張してしまう。 あんまりリラックスしすぎないように緊張するっちゅうのもヘンなものだが。 前座はアフロキューバンバンドという触れ込みのキューバ人たちのバンドで、メインのパーカッションのにーちゃんよりもピアノのねーちんのほうがよかった。 声もよかったし、リズム感もよかった。 アドリブにはいってもリズムが壊れなくて、原子時計みたいに正確です。 ピアノを弾いていて歌を歌っていて、なかなか出来る術ではない。 アポロシアターは、デザイン的に無茶苦茶カッチョイイ劇場だが、セキュリティが悪いのとPAがボロイので有名でもある。 初めは英語で話していたのに途中からめんどくさくなってフランス語になっちったチョーえーかげんな司会の雄叫びと一緒に、バックコーラスのかっこいいねーちんふたりが踊りながら歌いだして、相変わらず白装束のサリフ・ケイタがあらわれると日本語では表現できないroarが、劇場に響き渡る。 サリフケイタは不思議なひとだ。 抜群のリズムで出来た曲を書くのに、その曲を歌うときには小さなステップひとつ踏まない。 北島三郎が「東京だぜ、おっかさん」を歌うよう、というか、三波春男が「東京ちゃんちきおけさ」を歌っているときみたい、というか、棒立ちで歌う。 バンドはのりまくり踊りまくりステップ踏みまくりで演奏しているのに、サリフケイタは棒立ちのままです。 しかも、ぶっ壊れたアポロシアターのPA。 割れる音。 … Continue reading

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国債預金

今日こそは、素面で国債と預金と国は爆発しないが国民の生活は爆発する仕掛けの話を書こうとおもっていたが、出かけたイタリア式タパス屋のバローロ(のコーヒーとかラズベリーとかいろいろごちゃごちゃな風味がつけてあるやつ)(東京では同じ2007年が2万円を越えるのに、なぜマンハッタンのレストランでは100ドルを切っているのだろう)がおいしかったので、思わずカラマリのオリーブオイルがしつこいと悪態をつきながら、一本半のんでもうた。 でも考えてみると、酒はともかく、ワインはいつもいつも隙さえあれば飲んでいるわけなので、素面を願望していてはいつまでたっても書けひんやん。 チェルシーマーケットまでカップケーキ(バナナとナッツがはいっているおいしいカップケーキがあってだね。マンキーケーキとゆーのです。酔っ払ったときに食べるとおいしいのね)を買いに歩きながら、文章メタメタでもいいから日本語で書いておこう、と考えました。 そーゆーわけでところどころ日本語が綻びるであろーが、オカネのことは普段でも酔っ払った頭で指示を出しているのだから論旨はヘンにならないであろう。 日本の財務問題がいよいよ解決不能な状態に陥ったのは、振り返ると、「日本の国債はアルゼンチンやなんかとは異なって国内の投資家が買っているから急激な投げ売りが起こらない。だから国債は安全だ」という理屈が世の中に行き渡ったからだった。 聴くところによると、これは税理士だかなんだかの人が唱えだした説だそーで、それを政府が「ラッキー」とばかりにとりあげて、ダイジョーブだ、ダイジョーブだ!の大合唱に国内を導いたものだそーだが、まあ、誰が唱えたかはどーでもいいや。 この理屈がほんものなら、実は税金は全廃にしたほうがよくて、国の予算をすべて国債発行で賄って税金をゼロにして消費と経済活動を極限まで奨励したほうが良いはずなのに、そー外国の経済家にゆわれると、「またまた、ごジョーダンを。そんな、きつい冗談をおっしゃっちゃ困りますよ、旦那。日本には日本の道がある。日の本ふたもと、みながかしこくなったら、わたしもあがったり」とかとゆって誤魔化していたりしたが、それも良いことにする。 そもそも国債はどうやって買うか、というと、銀行に行って「えーっと、国債ひとつください」とゆえば、誰でも買えます。 ラブラドール犬の首に買い物かごをかけて三百万円の札束と「国債買います」というメモをいれておけば、犬さんがとことこ三菱UFJ銀行に歩いていって国債を買って、帰ってくるであろう。 だから日本では犬にも劣るということになっている投資家も買えます。 連合王国では女王そのひとが連合王国最大の投資家なので、「犬にも劣る」とかというと、MI6が闇夜にまぎれてやってきて誘拐されてロンドン塔に幽閉されたあげく飛べないように羽のすじを切られて、挙げ句には断首役人にでっっかい斧で首を切られて処刑されてしまうので、誰もそんなことはゆわないが、日本では神聖な天ちゃんは憲法に規定された「象徴性」を食べて生きているので、みな「投資家は犬だ」という。 わしは、そんなことを言い募られると犬さんが怒ると思うが、それも良いことにする。 でもさ、きみは「国債に大量に投資している投資家」っちゅうのを見たことがあるかね。 あんな巨大な金額のクソ投資(ごめん)をしているやつがあそこにもここにもいる、と感じますか? 国債っちゅうのはコンサーバティブ投資の最たるもので、たとえばアメリカならアメリカ合衆国の年金機関が「ニュージーランドはこの頃バカ役人の首をきりまくっていて賢いからニュージーランドの国債ならよかんべ」とゆって、国の内情と利回りを見比べて償還のタイミングも考えて買うものである。 ガハハ、のおっちゃんが、いやあ、わたしも、今度の地震で儲かっちゃって、建材の在庫が足りなくて困っちゃうんだけど、建材の調達のあいまには国債かってるんですわ。 これもお国奉公ですけん。 国があがったら、わたしもあがったり・ ちゅうようにして、買うものではないのね。 国債というのは、ほんらい外国の巨大機関が買うものなんです。 個人で何十億だか買う人もそりゃいるけど、そんなのは誤差でんがな。 スーツに付いた糸くず、雨蛙の鼻に落ちた雨滴、チョコの銀紙に残ったチョコのかす、ゴルゴンゾーラから落ちた青カビのかけらのようなものなのね。 じゃあ、誰が買っているかというと銀行が買っているのさ。 みずほ銀行や三菱UFJ銀行や三井住友銀行が買っている。 投資として良いと思って買っているわけではない。 行動力がないので、よく欧州や合衆国の銀行は日本の銀行家たちを「羊なみのバカ」とゆったりするが、それはほんとうではない。 行動が伴わないだけで、あれで、なかなか賢いひとが揃っているのです。 5thアヴェニューをがに股でどたそたと歩いてきて、周囲のひとが顔をしかめているのもかまわずにたばこをふかしながらロックフェラーセンターを指さして、大声で、XXくん、あれも、むかしはおれたちのものだったのになあああ、アメリカさんにはめられちまったなあ、とゆっている三菱U○Jのおっちゃんをみていると、やっぱりバカなんちゃう、と思わなくもないが、しかし、ほんとうは、あれでも見た目よりは賢いひとがそろっているのです。 では、なぜ日本の銀行は国債を買うのか。 政府に「買え」とゆわれているからですのい。 ここのところになると、ほんとうは仕掛けが外国人たちにはよくわからない。 なぜ政府に「買え」と「命令」されて、本来自由企業であるはずの銀行が割りが悪いばかりかいまでは危険な投資でさえある日本国債を買うのかが判らない。 それが判るようになるには実は日本では顧客と向き合うためのカウンターの高さまで政府が規定しているのを知らなければ判らないのです。 日本では「銀行」とは政府が金融上「民間」というポジショニングをとらなければならないときに名乗る、単なる政府の一部署とゆってもよい。 ここまで読んできて聡いひとはわかったはずである。 日本にはもともと「自由経済」など存在しなかった。 この国は「計画経済」の国であって、誰が「計画」しているかというと、まだ20代の、若い、優秀な、空調すらないビンボアパートでうんうんうなりながらランニングひとつで汗みどろになりながら必死に計画大綱の草稿を書いている役人なんです。 だから役人が自信を失ったとき、国ごと自信喪失におちいるしかなかった。 万国共通、自信喪失に陥った役人が考えることは「辻褄あわせ」である。 日本の役人は元を正せば自分たちの失策によって生まれた巨大な欠損を国内ただ一カ所「余剰な」現金が眠っている金鉱の金を全面的にあてることによって埋め合わせようとした。 … Continue reading

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(アルコールの匂いのする)、宿題

日本のひとが公理のように信じ込んでいる国債はダイジョブ神話が、そーではないのだ、あれはもしかすると来年にもこけるかもしれないのだ、ということをいまいちど書こうと思ったが、モニとヴィレッジのエノテカにいってワインを飲み過ぎてしまったので、そういう理性的な「公論」みたいなことは出来ないのが判ってしまった。 (あんなにうまいペストがイタリア以外の国でつくれるとは思わなかった) (ワイルドボアのペーストもウサギのパイもうめかっただが) だから、アカウントは無断で削除するわ、何週間も続けてさぼるわの挙げ句、もういまは激しく減って300人くらいしか残っていないと思われる、むかしからこのブログを辛抱強く読んでくれていて、なにが起こってもとりあえず読みに来てくれる「お友達読者」に話しかけるだけにしよう。 わしは友達のバーに行って、ゴルゴンゾーラとマスカポーネと蜂蜜を混ぜたのをトーストしたパンに塗って食べた。 イタリアワインとはおもえないほどおいしいワインと一緒にね。 小説家の友達と、文学なんか、もう終わりだろう、とゆって喧嘩した。 バレリーナの友達(小説家の友達のガールフレンド)と、店の壁側のカウンタに肘をついてアン・ド・トロワをして遊んだ。 グラシアの話をした。 カタロニア人の偉大さについて話しあった。 彼らは、なんという高貴な敗北者だったろう! 彼らの敗北があまりに誇り高いものだったので、遠く離れた日本の銀座にも「ランチ定食」が出来上がった。 あれってさ、フランコが考えたものだったよね、と小説家とわしが口を揃えていうと、モニとバレリーナが、もう我慢できん、という調子でふきだします。 でも、ほんとの話なんだぜ。 すっかり出来上がって、角のスーパーでチキンスープを買ってから、4人でわしのショボイアパートにやってきた。 バチャータの音楽をかけながら、4人でコッポラやスタグリープを飲んで酔っ払った。 「モニさんのアパートに較べると、ガメのアパートは激しくぼろだな」と小説家がいう。 うるせーな。 モニさんのアパートはラウンジに階段がふたつあるからな。 もう、わしも、小説家も、バレリーナも、酔っ払って、なああああーんにも判らない。 真実を述べると飲み較べをすれば蟒蛇にも楽勝で勝てるモニさんだけが、モウリーンを片手に微笑んでおる。 マンハッタンは楽しいのい。 ここも本当にアメリカなのだろうか。 いつのまにか小説家が、アレンギンズバーグの詩を声に出して読んでいる。 モニとバレリーナが床に座って、膝を抱えて聴いています。 「アメリカはまだ種子なのだ」 ほんとうに種子なのかどうかは元がUK人のわしには判らないが、(皮肉な気持ちではないよ)、そう信じることには良い意味があるのではなければならない。 この新しい土地には新しい生命が満ちて、スペイン語やアメリカ語で、 次の世代の思想が語られるのでなければならない。 バレリーナと小説家は、夜のチェルシーのソディウムライトのなかに消えていったが、 わしのボロイアパートの部屋に、いっぱい消化できない言葉を残していった。 宿題がふえた。 アメリカの宿題を、明日になれば考えなければならない。 日本語の宿題も、ロシア語の宿題も、たまった。 いきなり解決できるものでないのは、もちろんです。 のんびり考えてみるしかなし。 (また、ヘンなブログで、ごめん)

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ノーマッド日記4

1 Marchiの息をのむような精確な描線の絵を買いにブエノスアイレスに行きたいと思うが、 なんだか買ってしまうと怖いような気もする。 あの光のなかに消えてゆく女の子の絵を壁にかけて、目を近づけて、沈黙している自分の姿を発見するのが怖いのだ。 写真を模写して芸術にかえてしまう手。 それは神よりも悪魔に似ているような気がする。 2 画廊の主人Pとラムの話に熱中していて、次から次に訪れる客たちに呆れられる。 初めのうちははいってくる人をちらと見て「やあ」程度は言っていたが、ハラルの殺し方のあたりから話に魂がはいってしまって眼が光り始めていた。 ひとりの男の客は、辛抱強くPに話かけるために立って待っていたが、明らかに怒りに顔を紅潮させて帰っていった。 P、一向に反省する様子もなく、「ちぇっ、うまいラムのアシがくいてえなあ」だって。 食べ物好き、侮るべからず。 3 カタロニア人にスペイン語で話しかけるのは、当然、微妙な行為だが、ニューヨークでは無条件に喜んでもらえる。トライベッカのコーヒー屋のあの気立ての良いバリスタの女の子は、スペイン語で話すようになってからコーヒーを何度も捨てては淹れなおすようになった。 どこから来たの? というので「ニュージーランドからだよ」 というと、モニに向かって、こんなひとばっかりいる国なんだったら、私もニュージーランドに行ってみたいなあ! だって。むふふ。 モニ: こういう見かけばかり立派な男ばっかりです。 がっかりすると思う。 どーゆー意味だんねん。 4 このMacBook ProはHDDを512GのSSDに代えてあるが、やはり無茶苦茶はやい。 スリープモードからの復帰は一秒もかかっていないように見える。 スクリーンを開いたときには、もう復帰している。 インテルから新しいSSD のシリーズが出たが、あのくらいの値段ならサーバはダメとしても個人のPC はやはりSSDに変わってゆくだろうか。 マンハッタンも殆どが20Mbpのfiber opticに変わってしまったが、コミュニケーションにしろスタンドアロンのコンピュータにしろ(あたりまえだが)速いのは気持ちがよい。 一方ではユニオンスクエアのヴァージンレコードもボーダーズもなくなってしまった。 現実のセックスについての知識について「ネットフリックス以前」と「ネットフリックス以後」という冗談があるが、オンラインビジネスが圧勝した陰には、そういう理由もある。 優秀な店員はB&Nに流れたようだ。 このあいだまで気息奄々だったB&Nのおっちゃんがえらい鼻息で笑ってしまう。 ボーダーズ、消えたからな。 マディソンスクエアガーデンのボーダーズがどんな様子か見にいってみよう。 5 中国人たちの知性は意外なほど網羅的で枚挙的だが、中東人達にも同じところがある。 「物事の本質」とはなんだろう? 要約と要旨は異なるが、要約はよいとして要旨を把握する知性は姑息な知恵なのかもしれない。 6 … Continue reading

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ノーマッド日記3

チャイナタウンへ行ってお粥を食べた。 「粥之家」という有名なコンジー屋ですのい。 アレン通りにありまんねん。 http://www.congeevillagerestaurants.com/restaurant-village.php  魚とピータンが入っている、すげーうめえー粥が3ドル95セント。 わしはけちんぼなので、どんなにうまいものでも値段が高いとたちまち機嫌が悪くなるが、この世のものとは思われないくらいうまい粥をモニとふたりで食べて8ドル。 それにゼーキンがついて、中国人のにーちゃんが親切だったので、チップを少しおおくあげて12ドル。 安いやん。 前にブログに書いた1ドル餃子屋 http://bit.ly/hxY9Vt もそうだが、マンハッタンのチャイナタウンは安くておいしい店が多い。 わしのアパートからはホーストンという幅の広いマヌケな通りをずっとずっと歩いてゆく。 交差点で交通整理に立っていた警官にうっかりクラクションを鳴らしてしもうて、「てめー、このやろー、そこに下がってまってろ」とゆわれてから、警官のおっちゃんにこの世の終わりのようなF言葉で怒鳴りつけられてる気の毒なタクシー運転手をくすくすしながら眺めたりしているうちに、のんびり歩いてもすぐにつきます。 ペドミタで見たら5000歩であった。 わしは超大股なので、距離にすると結構あるのかもしれん。 エスニック料理屋にほぼ共通した欠点だが、チャイナタウンの店はどこもコーヒーと甘いものが不味いので、チェルシーまで歩いてから知っている店のカウンタに腰掛けてカフェ・ラテでシトロンのタルトを食べた。 ここまで読んで、マンハッタンに住んでいた人は、「ひえええー、ずいぶん歩くんだなあ」と思っているかもしれないが、モニとわしは、マンハッタンにいるときには(最近日本のケーズデンキで極秘に入手したペドミタに依ると)一日二万歩は必ず歩くよーだ。 出かけては戻ってきて、また出かける、ということを何回も繰り返す。 チェルシーマーケットにでかけてパンを買ってくる。 (あの「モリモト」という日本料理屋はチェルシーマーケットの隣にあるのだった。東大元暮らし、というのは東大に合格しただけで能がない人が一生大学の名前だけを元手にさびしい人生を生きてゆくことを言うのだと叔父がゆっておった) わしのアパートはチェルシーという所のビレッジよりにあるので、南へ歩いていけば小説家や画家のおっちゃんおばちゃん友達たちの住む家があり、北へどんどん歩いていけば投資家やシャチョーのジジ友達たちの家がある。 ミュージシャンやダンサー、俳優女優ライターちゅうような若いお友達はマンハッタン中に散らばって住んでおる。 研究者の友達はハーレムの南にひとりだけ偏屈なやつが住んでいるが、そもそもおおむねマンハッタンを人間が住むところだと見なしていないので、誰もいません。 モニとわしは日が暮れてくると、その日の気分や誰かのパーティやコンサートの都合によって、ハーレムやトライベカ、イーストビレッジ、この頃はときどきMPDにも出かけるが かっちょよくタックスを着ていかなければいけない場合以外は、ほとんど歩いてでかけます。 今日は48F(摂氏だと9℃ですかいの)で、このくらいだと、わしはTシャツ一枚で、モニはワンピースの上から薄いコートを着ている。 足もとは気の毒に歩ききちがいの旦那に付き合わされるので平底の靴です。 もっとも、わしには時々「小さいさん」と呼ばれるモニだが、マジメにセンチメートルに換算してみると180センチ以上あるので、これを読むきみが想像するほど背が低い姿で歩いているわけではないが。 目下わしはあごも口の周りもヒゲぼうぼうで髪の毛ももしゃもしゃなので、道の反対側で交差点を歩いてくるわしを眺めていたモニに「なんだか気が違った預言者が時代を間違えて歩いてくるみたいだ」とゆって笑われたが、いつもは、もうちょっとタイディにしておる。 Tシャツとジーンズで、山を歩くときにはくようなブーツをぶっとい靴紐で固めて大股でノッシノッシと歩く。 自然いつもえらそーであるが、モニに、ときどき、ちゅっとキスしてもらうと、予想もせぬことには顔がどわっと赤くなったりするので、横目で眺めながら、すれ違うおばちゃんに笑われます。 (どこの世界に嫁はんにキスされて赤くなる旦那がいるというのだろう。情けない) モニと結婚してからは、たくさん人が来るパーティにはあんまりいかなくなった。 3組か4組のカップルが誰かの家に集まってカクテルを飲みながら最近見聞きしたことを話し合う、というようなことが多くなった。 パーティというものがあまり好きでないモニの影響もあるでしょう。 夜遊びに行くときは、思い切り「ドレスダウン」して、わざと知らないクラブに出かけることが多くなった。 そういうときでも、むかしよくやったようにフロアのまんなかで大バク転をしたりしなくなった。 モニと向き合って身体を揺らせて踊っておるだけのことで、そこいらのマヌケなおっさんと変わらない。 トシをとった、のかもしれません。 画像は、4月になってユニオンスクエアの脇に、おっ立ったアンディ・ウォーホルのモニュメント。 おおおー、と立ち止まって写真を撮ってゆくひともいれば、横目でちらっと見て、「けっ」っちゅう感じで嘲笑ってゆくひともいる(^^) 

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