フクシマ経済

この20年で合衆国と連合王国に住む人間の富はおおざっぱにゆって3倍になった。
20年前に30歳で1億円もっていた年収1000万円の人は3億円もっていて年収3000万円になっている、っちゅうような意味です。資産・収入・可処分所得ちゅうようなものがだいたい3倍になった、と思えばよいと思います。
念のためにゆっておくと統計的数字に縋って議論を進めるのは、やむをえないときにするのであって、統計上3倍になっているからとゆって、そのひとが当然3倍豊かになっているわけではない。
所有している自宅の価値が3倍になっていても、自分が住んでいる家を(その人間が「金持ち」かどうか判断するときに)普通には資産には数えないので判るとおり、住んでいる人間にとっては良い事はなにもない。カウンシルの評価額があがればタリフが3000ドルから9000ドルにあがって支出があがるだけであって、景気の良い社会の最大のビョーキであるインフレがたとえば(通常先進国が上限目標にする)3%であれば、10
の昼食は18ドルになっているわけで、その社会のちょうどまんなかくらいの収入の人間は「生活が苦しくなった」という感想をもつのが通常だからです。

しかし、たとえば連合王国でサラリーマンがこの20年間のことを家計的にふりかえって、しみじみと損ぶっこいちまったなあー、と思い出話にふけるときには「なんでも3倍」を前提にして話しをする、ということです。
カナダや豪州やニュージーランドも、ほぼ同じ。
いまのいま、という時点でカナダと豪州は3倍より少し多いか、というくらいの感じと思えばよいのではないか。

一方、この20年で日本のひとの懐は20年前に社会の中軸であった40代のまんなかで大企業に勤めていて自宅をローンで買って子供がふたりいる、という家庭を例にとると年収は900万円から650万円に、自宅の資産価値は6500万円から4600万円に下がってしまっている。
20年前にふたりで400万円の年収をつくっていた共稼ぎ夫婦は、20年後のいまの日本では収入が300万円である。
だいたいすべての「富」が20%から30%減少している。
20年間、この状態から抜け出せなかったのは先進国のなかでは日本だけであって、いまでも、その理由は謎ということになっている。
アホの巣窟なので有名なブリテン島ですら、屁理屈をねつ造して破滅に破滅の上塗りをする時代は15年しか続かなかった。

日本の場合、どうしてこうなったかというと、日本のひとの「おかみ」を信ずる不可思議な心根のせいである。
5年間11回の日本遠征での最大の不可思議は、日本では殆どの人が(わしからみると)まるで自分が政府の一員であるような口を利くことで、言うことだけを聞いていると国民全員が政府のどこかの部署で働いているかのようであった。
連合王国やニュージーランドにおける大庭亀夫のごとく畏れおおくも政府のえらい人に向かって「おまえらのクソ立場なんか、わしの知ったこっちゃねーよ」というような不敬罪な暴言を口走ったりはしないのです。
わしが日本型中央計画経済のばかばかしさを言うと、「でもガメちゃん、日本は大国だから、そうそう簡単にいままでのやり方をあらためるというわけにはいかないんだよ」という。「貧乏なひとの面倒もみなければならないし、地方のうまくいっていない政体の面倒もみなけりゃならない。それを、突き放して、きみたちの問題というわけにはいかないのさ」

ボルジャー首相という、みるからにいいかげんな顔をしたおっさんが突然声明を発表して、「カネがないから、もう郵政、国でやるのやめたし。あとは諸君で勝手にやってね」とゆって一夜で民営化したニュージーランドみたいな無茶苦茶な国とは偉い違いの懇切丁寧な20代の国民のおむつまでかえてあげそうな面倒見の良さである。

フクシマの原子炉がおだやかで対処しやすいやり方でとはいえ、ぶっとんだとき、明らかにコントロールを失っているのに「安全に推移している」と言い募る日本政府と、そのエダノというオオウソツキに拍手喝采する日本人たちの姿を見て世界中のひとが息をのんだ。
あの光景を見て、ようやく日本経済の現在の不振の理由を理解した経済人も世界にはたくさんいた。

英語ではwe-know-bestのひとびととゆったりする。
わしらがいちばんわかっとるんじゃけん、しろーとのあんたさんらは、余計なことをゆわないで黙ってついてきなさい。
日本では津波が起きた途端に事故が起きるのではないかと心配したひとたちに向かって「日本の原子力技術力をなめんな」という合唱が起こって、一瞬で「無知蒙昧な人間たちの心配する声」がかき消されるのを、わしはリアルタイムで観察して記録していた。

長い間理由がわからなかった日本人たちの現在の自国の経済・財務上の絶体絶命への非現実的なほど極端で漫画的な危機感のなさが、それを観察することによって判るような気がしたからです。

わしは、とうの昔に機能しなくなった岸信介以来の国家社会主義経済的な日本のやり方が、ここまで無残な敗北を繰り返しながら、(たとえばPCはオモチャにすぎない、大型電算機以外に「電算機の未来」があるのなら、おれは役人をやめるよ、と嗤った当時の官僚達の発言をあげつらうまでもなく)いまでも国民に支持されているのは、それが日本の文化の深いところに根ざしているからだと思っています。

真に壊滅に向かう経済は、いつも文化そのものに理由があるのだ、と歴史は教えているが、フクシマを観察したあとでは日本もまた同じなのではないか、と疑ってしまうのです。

画像はセントラルパークでチェスに興じるおっちゃんたち。ダブルクリックすると大きくなりもす

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One Response to フクシマ経済

  1. 水男どの、

    >兄ちゃん(右側)がこんなところに・・・。

    写真を拡大するとわかるが、このおっちゃんはマッドハッタですねん

コメントをここに書いてね書いてね

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