ノーマッド日記6

ノーマッド日記6

アメリカのコーヒーは薄くて不味い。
むかしから不味いが、むかしのアメリカ式「レギュラーコーヒー」が廃れて、欧州式の抽出コーヒーが主流になっても、まだ同じように不味いのが不思議です。
モニとわしはマンハッタンでは用心して知らないところではコーヒーを飲まないようにしている。
マンハッタンでは、実は「紅茶」が大流行(おおはやり)に流行っているが、コーヒーで猜疑の念を深くしているわしはアメリカものの「紅茶店」にはまだいちども行ったことがない。

カプチーノなどダブルショットにしてもらっても薄くて不味くて飲めないので、おいしいコーヒーが飲みたいときにはスペイン語しか通じないレストランやイタリア語なまりになまっていて、なにゆってるのかよくわからないねーちんたちがやっているピザ店とかに行く。
なまなかなコーヒー屋へ行くより、そっちのほうが遙かにおいしい。

わしがよく行くイタリア屋さんはヘンで、カップを抽出機の下に置いて「Say when!」という。
なんのこっちゃと思いながら、あれがまともなコーヒーなら、このくらい飲みたいというところで「When」というと、ニカッと笑ってコーヒーカップを渡してくれる。
どうやって計算するのだろうと訝っていると、なんのことはない、案ずるより産むのは痛い、最小量一杯のコーヒーと値段は同じです。

わしは、とてもとてもケチなので、こういう事に遭遇するとカンドーしてしまう。
これからはビレッジでコーヒーを飲むときにはここに限るべ、と考えました。

コーヒーを飲むには甘いものが一緒でなければならないが、合衆国にはわしの大好きな「アフガン」がないのだね。
次点はブラウニーなので、ブラウニーにヨーグルトを添えてもらって、ついでに(合衆国はカップケーキがおいしい国なので)デビル・カップケーキという恐ろしげな名前のカップケーキをつけてもらう。
カップケーキからチョコレートクリームが滴っているという見るからに凶悪なケーキです。
ケーキというものは、こうでなくてはならぬ。
モニはトリュフ一個だけでコーヒーを飲んでいる。

モニという人は自分のことについては悩んでばかりいるのに、世の中のことには不思議なくらい文句をゆわないひとで、考えてみれば、わしの百倍は合衆国のコーヒーにもチーズにも文句があるはずなのに、なんだか普通に口に運んでいる。

ときどき、わしが不味いブラウニーに頭にきて、手のなかでぐちゃぐちゃにして皿のなかに粉砕して埋葬したりするのを胸の下に手をあてて、大笑いしてみたりしている。

ガメは、子供みたいだな、と失礼なことを言う。

結婚相手をうまくひきあてた人は自分はこのひとに会わなかったら、いったいどうなっていただろう、と訝るというが、あれはまことに本当の話であって、わしなどはモニと結婚していなければ、世界に対して、もっと悪い事には自分に対しても不満であったことだろう。

どうしてモニに会えて、まして一緒に暮らすことになったのか判らないが、
危ないところであった。
なにが危ないかって?
それがいわくいいがたいところに「結婚」というしょうもない性的結合という身も蓋もない結びつきを前提にしたダッサイ社会制度がいまに生き延びている理由があるのだと思います。

英語世界では人前で泣くことは礼儀に反している。
生の感情をみせることは、英語の世界では、たいへん見苦しいことであって、オランダの人とかはそういうことに慣れていないので英語世界では思わぬ軽蔑を買う。

でもマンハッタンは大きな都会なので、頭上の天井高くシャンデリアが輝いている「一流料理屋」でも、ときどき泣いているひとを見る事がある。
言い切る自信はないが、ロンドンでは考えられない。
知らない人もいるのかも知れないが、連合王国は階級社会なので平気で、そういう言い方をすると中流階級以上の人間がレストランのような場所で泣くなどということは絶対に考えられない。
それはゆってみれば、レストランの椅子の上で性交に及んでいるようなものであって、たいへん異様なことです。

でもマンハッタンはアメリカという不思議な国の都会なので、泣いている人がいる。

モニとわしはアップタウンのレストランで、その泣いている美しい人をみていた。
身なりの良いアフリカンアメリカンの男と向かい合って食事をしていた、そのひとはいかにも暖かな感じのする明るい灰色の目からみるみる涙をあふれさせて泣いていた。
モニは、そういうマジメな人なので、食欲をなくしてしまって泣いている女の人が座っているテーブルをちらちら見ている。

わしはミントソースのかかったラムのあしをつつきながら、もれきこえてくる単語を拾っている。

男のほうが、自分はあなたを心から愛しているが、われわれが属しているコミュニティは違いすぎる、自分にはとてもやってゆく自信がない、とゆっている。
美しいひとは、ならばなぜ初めから自分と付き合ったのか、わたしがこんなにあなたを愛しているのに卑怯だと思う、とゆっている。

そのうちには男のほうも涙をぬぐいだしてしまった。

ウエイタがわしらのテーブルにやってきてさりげなくふたりのほうを指し示しながら、今日は礼儀にかなわない客がいて申し訳ない、とゆっておる。

カナダなまりのウエイタには判らないが、そーではないのさ。
モニとわしは、自分たちが結婚したときのことを思い出していたのです。
モニの家でもわしの家でも外国人同士の結婚を歓迎していないのは判りきったことだった。

わしらはアメリカ人ではないからな。

だから、わしらはほんとうにお互いが大好きなことを何度も確かめなければならなかった。
反対を乗り切っていけることに自信をもたねばならなかった。

そのことを思い出していただけです。
失礼にびっくりしていたわけではないのさ。

わしは立ち上がっていって、勇気をだせばきっと良い事があること、やってみればいいではないか、と思う事を話したかったし、実際あれがダウンタウンのレストランならそうしたろうが、そういうことはそのレストランの習慣にないことなので、ただモニと(あとで)あのふたり、うまくいけばいいのに、と言い合っただけだった。

いまごろ、あのふたりはどうしているだろう。

春になったビレッジの道を歩いて、モニと夕食を食べに行く。
たくさん食べる気がしないので、近所のピザ屋へマルガリータピザを食べに行った。
サンジョベーゼのハウスワインがある店で短い夕食を摂って、ふたりで散歩して歩いた。
観光客と大学生がたくさんいるワシントン広場を横切って、わしがむかしから好きなバーに二軒行った。

バーテンダーと天気の話やいま出ているスタンダップコメディエンヌの話をしてから酔いさましに、チェルシーに向かう道を歩いていると。モニがふいにつないでいた手に力をこめます。
モニの顔のほうをみると、モニの目は涙ぐんでいて、ゆわなければいいけどなあああ、と思うまもなく「ガメ、ありがとう」という。
たくさんのことを思い出しているのだな。

わし、こういうの苦手ですねん。

わしはあなたがただもうバカみたいに好きなだけですねん。
あるいは、こういう感情は女びとにはないのかもしれない。
わしはただただあなたが好きであって、毎週末に買って帰る花束も、週に二回あなたあてに届くわしのラブレターも、ただのそーゆーわしのきちがいぶりの証拠なのね。
わしはこの世界などどうでもよいのです。
この世界の常識など興味がない。

真理も神もどうでもよい。
わしの知ったこっちゃねっす。

この狂った道がどこに続いているのか、わしには判らないが、あなたと二人でいる限りは行き先が地獄でも天国でも、そんなことは問題ではない。

生まれ変わったら、またあなたと会えればいいと、願っているだけです。

また、会おうね。

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