Monthly Archives: May 2011

Sweet teeth are made of these

日本にいるとき最も困ったのは「甘いもの」だった。 これはわしだけでなくてモニも同じだったと思います。 日本の「甘い物」は公平に言っておいしいものが多いが、甘い物というものは、単に甘味の絶対基準に従っておいしければいいというものではなくて、「慣れ」や「親しみ」というものが大きくものをいう。 リコリシュは、そういう甘い物の代表だが、これは前も書いたから、いまさら書くに及ばない。 日本にいるときには何回も言及したのは、戦時中に食べるものがなくなって、ただ想像力のレストランで、食べたいものを延々と書き連ねてそれだけで「ご馳走帖」という随筆に仕立ててしまった百鬼園先生に似た所行であって、ただただ言霊にすがって、自分の魂を鎮めたかっただけのことであると思われる。 ワインを二本平らげたあとの、見るからに凶暴な感じがするチョコレートが滴り落ちているチョコレートケーキとか、くずれていまにも容器から転げ落ちそうな巨大なサンデーとかは、夕食の掉尾を飾るには絶対に不可欠であって、全身これコレステロールのマスカポーネで出来たティラミス、砕かれたピスタチオがうまい比率で混ざったミント味のジェラート、シトロンのパイに、どんな場合でもシェフの腕が露骨に出てしまうクランブルレ、3時間もしくは4時間延々と続く夕食の、デザートはいわばフィナーレなので、ここでぐっと丹田に力をこめてメニューをにらみつけて、真剣に何を食べるか決定しないと、死ぬときにも成仏できないであろう。 たとえばサンデーなら、こんなんです。 これはセレンデピティというNYCでは寅さんせんべいくらい有名なサンデーを出す、観光名所でもあれば、地元のひとびとも隙さえあれば「今日は天気が悪くて、いまは午後3時だから行列がないに違いない、速攻でいってみるべ」と言い合ってでかけてゆくデザートレストラン(一応、ふつーのレストランなんですけどね。ニューヨークに住んでいる人間で、あれを「料理屋」だと考えているひとはいないであろう。どこかで食事をすませて甘い物を食べにいくところです)の「臆病者サイズ・バナナスプリット」 臆病者ですら、このサイズなので、マンハッタンで甘い物に関して「勇者」であるのがいかに大変なことか判りますね(^^) 次がストロベリーサンデーで、次が…なんだっけ、名前忘れちまったべ、自分でメニューを渉猟してくれたまえ。   もともとは英語圏らしい、巨大で凶悪な甘いものばかりだったマンハッタンも、この頃ではマカロンや小さなカップケーキ(パティケーキのことをアメリカではカップケーキいいますのや)、小さな小さなタルトとかも供するようになった 上品になる、というのはすべからく良いことだが、わしは、下品にこの宇宙の真の価値をみいだすほうなので、ランギオーラベーカリーの「甘いもんは爆発だ!」の巨大なクリームバンとかがなつかしい。 お上品に小さなコクテルグラスにおさまっているジェラートを見ると、なんだか泣きたくなってしまうが、これも「洗練」に向かって急速に収斂しつつある現代世界に生きているものの宿命である。 すかたなかんべ、と呟きながら、さっきまで「シンプルロックンロールバンドの興隆」についてモニとわしのテーブルで長口舌をふるっていたウエイターのにーちゃんに、「もう一回デザートメニュー、もってきてね」とゆって憐憫の微笑を浴びたりしているのです。 うー、もっと甘いもの、食べたい。 蛇足とは思うが、タイトルはEurythmicsのSweet Dreams http://www.youtube.com/watch?v=rJE_Sc1Wags のダジャレでごんす

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虹がかかっている午後

ユニオン・スクエア、といっても、わしのマンハッタンの南チェルシーのアパートから近い広場のことではなくて、サンフランシスコの観光客でごった返す広場のほうです。 有名店がぐるりと取り巻いていて、その一辺をなしているパウェル通りに面して The Westin St.Francisというホテルがあります。 子供の頃、わしはそのホテルのロビーでかーちゃんを待っていた。 いまのわしを知っている人は誰も信じてくれないが、子供の頃のわしは、極めて行儀のよいガキであって、かーちゃんが2時間くらい約束の時間に遅れても、特に感情を険しくするわけでもなく、ときどきため息をつきながら座っているベンチの足下をみるくらいで、手にとって読む本がなくても、じっと待っていた。 そのときも、だいぶん時間は経ってしまっていたが、なにしろ、かーちゃんはわしが当時もっとも信頼していた人間なので、特に不安になるわけでもなくベンチに腰掛けて、いま思えば不憫に思ったに違いない制服のアフリカン・アメリカンのおっちゃんと話したりしながら時間をつぶしておった。 ホールの向こうにはおとなたちが蝟集しているバーがあって、そこにいるひとびとを観察して時間をつぶした。 そのうちに、わしは、ひとりの輝くばかりの金髪の美しい若い女の人が、時計をみつめては、形のよい唇をかみしめていたり、ため息をついたりしているのに気が付いた。 バーテンダーが、もうちょっと何か飲み物がいりますか、と訊いているのを断って、落ち着きのない様子で誰かを待っている。 わしは子供の頃はそれが癖で、頬杖をついて、その美しい女の人を見ていた。 「花のようだ」と考えました。 ひとつには、その人が明るい花柄のドレスを着ていたことからのバカガキらしい単純な連想だと思われる。 ふつうなら暖かい感じがするはずの薄い灰色の目が、そのひとに限っては氷の世界への窓のように冷たい感じがするのが、なんというか、心に棘のように刺さってくるような感じだった。 回転ドアがまわって、大きな花束をもった、小柄な小太りのおばちゃんが入ってきます。 なんだか田舎の家でビスケットをつくっているところが思い浮かぶような、とても暖かい感じのするおばちゃんである。 見ていると、おばちゃんは、まっすぐ灰色の目をした美しい女の人のほうへ歩いて行った。 歩いていった、とおもうまに、ふたりは固く抱き合って、なにごとか謝っているおばちゃんの肩に両腕もまわして、美しい灰色の目の女の人は涙ぐんでさえいます。 花束を渡されて、心から嬉しそうにしている。 花束をカウンターにおいて、もういちど抱き合うと、長い長いキスを始めた。 わしは、少し離れたところで、軽蔑しきった顔で、このふたりの女の人を眺めながら、何事かを言い合っている、絵に描いたように首の後ろが赤そうなおっちゃんたちにも気が付いていた。 見ていて、あの若い女の人が、なぜあれほど緊張して思い詰めていたか、ぼんやりと判るような気がしました。 あの人は氷の海を泳ぎ渡るようにして、この世界を暮らしているのだ。 自分が愛するひとひとりの存在だけを希望にして、です。 それが、わしにとって女の同性愛のひとびとを見た初めだった。 話には、かーちゃんの遠縁のいとこ(はとこ?)の奥さんがダンちゃんをぶち捨てて同性愛の女の教師にはしったとかで「同性愛」という言葉は生活のなかにすでに登場していたが、現実感をもって触れたのは、あのときが初めだと思います。 チェルシーの8thAveを歩いてゆくと、あちこちに虹色旗が翻っている。 あれは「同性愛者を歓迎します」というサインである。 レストランにもブティックにもヘアドレッサーにも掲げられてある。 だいたい午後7時くらいになると、男同士のカップルが無数にあらわれて、手をつなぎあって道を闊歩する。 カフェでも、わしのアパートから近い「ヴァイニル」 というウエーターが機知に富んでいて、気難しいわしをすら冗談で笑わせる店に行くと席を占めている半分はゲイのカップルで、ヘテロのカップルに較べると少し高い調子の賑わいがある。 「ヴァイニル」の舗道の椅子に腰掛けてカクテルを飲んでいるモニとわしの目の前で、ゲイのカップルが交差点で信号を待ちながら、前に立っている男の小さくて固そうな尻を指さして、冗談を言い合いながら、くっくっく、と笑い転げている。 モニが、「楽しそうです」と指さして、笑っておる。 先週の新聞には、ここからすぐの通りと公園の名前を挙げて、午前2時をまわるころになると「同性愛者狩り」をする十代の男の4人組がいるからゲイのひとびとは気をつけるようにという記事が出ていた。 長い時間にわたって殴る蹴るの容赦のなさで、もう5組のゲイカップルが病院に送られたそーだ。 モニは、そのニューズ記事を見ながら「わたしは世界をどう許容すればいいかわからない」と涙ぐんでいたが、わしにも、どれほど非寛容を受け入れてやれば世界は納得するのだろうと訝る気持ちがある。 NYCに住んでいるひとは知っているかも知れないが、第一、女の同性愛者に至っては、(男同士のカップルとほぼ同じ数がいるにも関わらず)(同性愛のどこが悪い、という住民が多い)ヴィレッジの近辺ですらほとんどみかけない。 ときどき、あの子供のときに見た女同士のカップルはいまごろどうしているかなああー、と思います。 … Continue reading

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ちいさな出来事

ひょろひょろと背が高くて分厚い眼鏡をかけている。 頭はナンバーワンカットで少し骨盤をつきだすようにして立っている。 金曜日の午後、広い店内にたくさんあるテーブルがどこも埋まっているところへ、ふらふらふらとはいってきたと思ったら、テーブルのひとつに寄っていってそこに座っていたふたりのおばちゃんに話しかけている。 おばちゃんは、「聞き間違えたんんじゃないよね?」という様子で、ちょっとびっくりした感じで聞き返しています。 一瞬、考えていたが、どうぞ、と言っておる。 ひょろひょろさんは、椅子を少しテーブルから遠くひきだして、正面のライブ演奏に正対して、というのはおばちゃんたちに横顔を向けて腰掛けてしまった。 シャンパンと(チーズと絡めて煎った)ポップコーンの相性が良いというのは、どーゆーことなんだ、とさっきから悩んでいたわしは、悩むのをやめてその風変わりなひとに見入ってしまった。 モニに、「変わったひとだのい」という。 モニもびっくりしてます。 店内に入ったら、テーブルの案内係を待つ、というのはジョーシキです。 案内係のおじちゃんもしくはおばちゃんあるいはおねーさまが気が付いてくれるまで、じっと待つ。 一応、礼儀をわきまえているつもりなら、「すみませえーん」ちゅうような間抜けな声を出して注意をひくのもよろしくない。 ただひたすら黙って待ちます。 そーすると、案内のひとが寄ってきてテーブルにつれていってくれる。 わしのように、「このテーブルじゃ嫌だ」とかぬかすとんでもない客がいないとはゆわれないが、ふつーはおとなしく着席する。 …と、ここまで書いてくだらないことを思い出したので書きとめておくと、日本にいたとき友達に話しても信じてもらえなかったことがひとつあって、有名シェフがやっているようなレストランでは、最上等のテーブルが店内にない、場合がある。 欧州でもアメリカでも同じです。 「あっ、ブッシュ様ですね。お待ちしてました。いつも、ごひいきにしていただいてありがとうございます」 とゆって、案内のねーちんにつれられて店の奥にはいってゆくとそこには秘密の小部屋があって、リフトになっているその小部屋は急速に地下にもぐって、砂漠で死んだ兵士の怨霊や真っ青な顔に血走った目のサダム・フセインが待っていて…ウソです。 もちろん、ウソ、ごめん。 そうではなくて、キッチンのなかに特別にしつらえたテーブルがあるのね。 シェフと話しながら、直截、こーゆーソースとか、ダメ?とお願いしたりしながら料理をつくってもらえる。 流行っておる。 閑話休題。 ひょろひょろした人は極めて異常な行動をとりながら、しかし悠然と椅子に腰掛けている。 次の瞬間、わしが「えっ?」と思ったのは、ウエイトレスがふつーの様子でやってきて、ふつーに注文をとって、ふつーに白ワインを運んできたことでした。 うーむ、と考え込む、たわし。 モニも、不思議そうな顔で見ています。 演奏が終わり、大きな拍手が起きると、ひょろひょろな人とテーブルを共有していたふたりのおばちゃんは帰ることにしたよーだ。 勘定書(ビル)のことをアメリカ方言ではチェックというが、チェック・プリーズでやってきたおにーちゃんに、耳打ちするように何事かやや熱心に説明しているのは、このひょろひょろした人は自分達のテーブルに座っているが、わたしたちの知らない人です、だからこの人のワインを勘定書に含めてもらっては困る、と説明しているのであると思われる。 おばちゃんたちが立ち去ると、次にはもっと不思議なことが起こったのであって、テーブルの案内のねーちゃんが、若い女の二人連れをテーブルに案内してきてしまった。 ここに至って、わしはぶっくらこいちまって声もでない、というか、この謎を解くには魔界の謎解きオタクを召喚せねばならないぞ、と考えた。 しかも、若いねーちゃんふたりづれの気立てがいかにも良さそうなひとは、ひょろひょろのひとに挨拶して、握手しておる。しかしながら、知り合い同士でないことは明瞭で、わしは、うーむ、うーむ、うーむ、と考えた。 全然、状況がわかりひんやん。 ひょろひょろ人は、白ワインを盛大にこかして、グラスが床にたたきつけられて割れたが、彼は顔色ひとつ変えない。 わしは、「あっ」と思う。 次ぎのセッションが始まった演奏の途中で、急にすっくと立ち上がって演奏しているひとびとのすぐそばまで行って仁王立ちになって見ていたが、テーブルに戻ってくるのに、違うテーブルのところへ行ってしまって、わずかにパニくっている。 そのうちに他のテーブルがあいたところで、ウエイトレスが若いねーちゃんのふたりづれのところへ来て、あいたテーブルを指さしながら、あそこに移りますか?と訊いているが、しばらくふたりで話し合っていたねーちゃんたちは、動かないで、そのテーブルにいることにしたよーでした。 わしは、見ていて、ちょっと涙ぐみそうになった。 ひょろひょろ人が来たときのように、また、静かに、だが唐突に席を立って帰ってしまうと、テーブルの上においてあるひょろひょろ人がおいていった勘定をウエイトレスがとりにきた。 … Continue reading

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雨に濡れる自由

1 人間の頭のスイッチの入り方というのは、訳がわからない、というか脈絡がない、というかなんのこっちゃというか、不明なスタートの仕方をする。 「War Horse」という芝居のことを考えていたら、いつのまにか戦争のあれこれを考えることになってリデル・ハートのことを考えていたはずなのに、日本式居酒屋の前を通って日本語も見た瞬間に、考えは、突然、「セシウム137はもしかすると乳腺に滞留するのではないか」というところにとんでいってしまった。 セシウム療法やチェルノブリでの反芻動物の記録が混線しているのに決まっているとすぐに気がついたが、ナスやもちこはん、優さんやジュラさんや仙台の「とら」さんのことを考えて不安でいてもたってもいられなくなってきてしまう。 うーん、あれは、どこで見た知識だろう、どんな話だったろうとずっと考えていて、午ご飯を食べに行くレストランに着くまで考え込んでしまった。 乳腺に滞留するとすれば成人だって女のひとびとは無事ですむわけがない。 子供の感受性でのみ低放射線障害があらわれる、という話ではなくなってしまうからです。 レストランはラファイエットにある気楽な店であって、いま確かアメリカと連合王国の両方で16週間ヒットチャートのトップを占めているアデル http://www.youtube.com/watch?v=rYEDA3JcQqw が、マンハッタンにいるときには毎日のようにやってくる店です。ごくごく自然にしていられるひとのようで店のひとにはたいへん評判がよいようだ。 午後3時ともなれば他に客もいないので、顔見知りのアフリカンアメリカンのねーちんウエイトレスと、よもやま話をした。 モニは「ガールズデイ」でお友達とでかけちったのでいないのよ、とか、 21日の「世界の終わりの日」にはどうしていたか、 ユニオンスクエアの近くに出来たノードストロームのアウトレットて、めちゃくちゃ安いんだぜ、 あのワイン店で働いているおじいちゃんはアンディ・ウォーホルの愛人だっっという噂のあるひとなのを知っていたか。 そーゆえば、アンディ・ウォーホルは「Society for Cutting Up Men」を名乗るおばちゃんに銃で撃たれて重傷を負ったことがあった。 「表面だけ見てくれ」とゆったのは、内面は砕け散ったガラスのようにもう残っていない、と感じたからだった。 そういうことを知っているヴィレッジのひとたちがいまも彼をその内面ゆえに愛しているのはなんという皮肉なことだろう。 60ドルの食事にチップをいれて80ドル払って、戸口にもたれかかって葉巻をくわえたねーちゃんが退屈そうに店番をしているギャラリーに寄って帰ってきた。 それは、(多分)微生物のイメージでつくられた極彩色の造形がコンピュータの画面のなかをゆっくり動きまわる、なかなか感じのよい展示であって、値札の25000ドルを払う気はしなかったが、のんびりするには良い展示でした。 「さんきゅ」とゆって店をでかかったが、急におもいついて、 「セシウムって、知ってるかい?」と訊いてみた。 「セシウム? なに、それ、クラブの名前かなにかなの?」 笑うと以外なくらい幼い顔になるねーちゃんは、にっこり笑ってこたえておる。 「雨と一緒にふってくるのさ。たまらないと思わないか。そんなことがあっちゃいけないんだ」 「?」 ねーちゃんは、ひょっとするとこのバカでかいにーちゃんは発狂しているのではないかと思ったに違いない。 まだ、わしを見つめてにっこり微笑しているが、心なしか微笑が凍り付いておる。 「じゃ、またね」というと、やっと安心したように、 「よい午後を」という。 別に信じてくれなくてもよいが、バカわしは涙がでてきそうになるのをこらえるのに苦労した。 雨に濡れる自由すらない国で、これからあの国のひとたちはどうやって生きていくというのだろう。 ガメは涙が出てきそうになると襟を立てる癖があるといつもモニに笑われるが、 このクソ暑い天気じゃ立てる襟もありゃしない。 ちぇっ。 2 … Continue reading

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スプラッシュ!

「わがままを言ってはいけません」という。 モニは、こういうときは妙にきっぱりしていて威厳がある。 将来、わしが経済的に破滅して、モニの家の作男になったときの準備なのだと思われる。 「チャタレー夫人ごっこ」と呼ばれる場合もあるよーだ。 「きちがい医者ごっこ」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/05/21/rise-of-flight/ や、 「連隊長と当番兵ごっこ」 と並んで、モニとわしのあいだでは人気のある遊びである。 でも、いまは遊びで言っているわけではない。 「だって、プール欲しいんだもん」 「いりません。スウィミングクラブで十分です」 ええええー、スウィミングクラブなんてだっせええええー。 第一、それじゃ、「ちんぽこ潜水艦」できないじゃん、と真摯な怒りをぶつけるわし。 むかしから、このブログを読んでいる人は熟知しているが、ちんぽこ潜水艦、というのは、箱根の誰もいない大浴場で従兄弟と酔っ払って泳いでいたわしが思いついた偉大な遊びであって、裸で背泳ぎをすることによって到達できる境地のことです。 無論、女びとでも出来るが、ベルト付きオプション品を購入しなければならないであろう。 2ブロックくらい離れたところに、アパートを三つぶちぬいて、屋内プールを設えたカッチョイイアパートが売りに出ているのです。 不動産屋が貼り出した、でっかい写真にわしは、うっとりしてしまった。 プールの脇には小さなバーがある。 いまの多少床面積が広いだけのせこいアパートを売り飛ばして、これを買っちまえば、バーでモニと酔っ払って、裸でプールに飛び込んで、こんなことをしたり、あんなことをやってしまったり、むふふふふにしたり出来るのではなかろーか。 第一、シロクマの王様の前は楽園を追放されたシャチであったとゆわれているわしが、かくも長きにわたって、水につからないで暮らしているのは甚だしく不自然である。 「じゃ、モニさんの言うとおりスウィミングクラブに入ればいいんじゃない?」てか。 うるせーな。 わしは、ひと見知りすんだよ。 モニの前でチンポコ潜水艦をしてモニをきゃあきゃあゆわせて喜ばすのは好きだが、なんで、赤の他人の前で、わしの美しい白い肌をさらさねばならないの。 この頃は乳首を隠すための「男用ブラ」売ってるけど。 欲しいよおおおおー。 あのプール付きのおうち買いたいよおおおおー、とおよそ1時間頑張ってみたが、ダメであった。 ダメであった、というか、どこかでテキトーにごまかされて、いちゃいちゃもんもんになって私的水泳などどうでもよくなってしまった。 16歳未満のひとはやってはいけない成熟した温和なオトナだけに許される運動をして、くたびれて眠ってしもうた。 夢のなかで、わしは雄々しくも雄大な背泳ぎでチンポコ潜水艦をして幸福だったが、 現実の世界ではまたもモニの堅実さに敗退してしまったもののようである。 残念である。 ニュージーランドでは「プールがある家」はふつーです。 ぐるぐる先生が空から見せてくれるので、興味がある人は行ってみるとよい。 モニとわしの家があるオークランドのラミュエラというところに行くと、プールやテニスコート、あるいはプールとテニスコートが両方ある家など、あっちにもこっちにも、上にも下にも、東にも西にもある。 土地が安いからな。 標準の「フルセクション」1200平方メートルで、土地だけなら7000万円くらいからある。 ダブルセクションの土地なら楽勝で5ベッドルームのでっかい家に、プールとテニスコートがつくれます。 家とプールとテニスコートがついているのを買っても2億円ちょとくらいからあるはずである。 … Continue reading

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日本語インターネットという洞窟

1 ひさしぶりに、英語の資料をつくるのに、わしに対する巧妙な悪口が書いてあるあちこちのサイトを覗こうと思って、「はてな」の「あのんど」とかいうページに自分についての知恵の限りをつくして書かれた悪口を読んで、悲しくなってしまった。 わしのことを心理の技芸をつくしたやりかたで貶めようとしている文章を読んだから「悲しい」のではありません。前には、同じページやAPEMANというひとのわしに対する勇み立った攻撃ぶりを見て、実は腹を抱えて笑っていた。 ゆっては悪いと思うから、黙っていただけで、冗談も皮肉も通じない、子供のようにナイーブな、そのくせ意地だけは徹底的に悪い、バカの見本のようなひとびとだとおかしがって、英語友達にはよく紹介していた。 彼らの幼稚な頭では、なぜわしが腹を抱えて笑っていたかは判らないだろうが、2chのスレッドとあわせて、わしの数少ない日本語世界の娯楽だったのです。 悲しくなったのは、ここに見られる日本人の「信じたくないものは皆ウソだということにする」「自分が認めたくない事実が事実であるとうすうす気が付いていても、それをウソだと他人をいいくるめるために異常なほどの知恵をつくす」「相手を傷つける技術に芸術的なくらい長けている」という特徴が、財務において、これからでは到底解決など及びも付かないところまで日本という国の負債を悪化させ、挙げ句の果ては、自分達の預金をすっかり国債として国に供出した結果となり、フクシマの原発がぶっとんでもなお、ゴジラでも長期的には死にかねないゆっくりだが膨大な放射線物質を浴びながら、「きみの無知ゆえに、このくらいの放射線で大騒ぎするのだ」と言い募る、いまの世界中が唖然として、「もうこれ以上は傷ましくて見ていられない」と考えるほどの無知と衆愚の原動力だからです。 このブログを削除したときに、そんなふうに傲慢を極めていれば日本の社会は人為的で巨大な災厄によって早晩ほろびるだろう、とゆったときには、あちこちで、「預言者かよ、おまえは」「ばかばかしい」 と笑声が上がったものだったが、案外はやくそれも現実になってしまった。 皮肉ではなくて、あの頃悪意の限りをつくして、わしを陥れるために共同作業していたひとたちが、今回の大災厄を生き延びたのを祈っています。 あんなドブネズミのような人生を送ったまま死んでしまったのでは、いくらなんでも人間の一生として寂しすぎる。 2 佐藤亜紀、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/12/1593/ という小説家のひとが話しかけてきたとき、このひとが小説家であることさえ、わしは知らなかった。もう何の話だったか忘れたが、このひとが突然話しかけてきて、アイコンが、わしのむかしからの分からず屋の友達ブブリキに似ていたので、興味をもった。 ツイートのなかにひとつ「私は虐殺される側の人間だ」というのがあって、これは、おもしろいぞ、と思ったのでした。 神様と語彙の関係などについては、まるで小学生みたいなことを言ってくるので閉口だったが、このひとと日本語で議論すれば、おもしろいことが出来るかも知れない、と考えたのでした。 しかし、それも「シンガポール流線型の独裁」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/09/1512/ というわしが書いたブログを誤読したこのひとが 「人種差別主義者」という、わしが育った世界では決定的な侮蔑の言葉を使ってツイッタを使って、フォロワー(こっちは、ただのバカとしかいいようがないイナゴの半分も知能がないようなひとびとであった)たちと一緒にいっせいに攻撃してきたことによって、失望と軽蔑しか残らないことになった。 そのときに考えたことだが、というか日本人の友達がゆってきたことだが、結局、(日本語インターネットでこのひとと同様の不毛な他人攻撃に終始しているひとびとと同じく)この佐藤亜紀というひとも2chの巨大で姿が見えない悪意と戦ったあげく、一種のPTSDのなかにあって、本人が気が付かないだけで、2chやはてな部落の救いがたい非生産性を再生産しているだけなのではないか、ということでした。 日本語インターネット世界は英語インターネット世界と決定的に異なっている、というよりも、社会のなかで働いているベクトルの向きがまるで逆である、と思う。 英語世界では子供は「何もすることがないなら、せめて他人が楽しい気持ちになるようにしなさい」といわれて育つ。 あるいは、日本人である義理叔父は、遙かなむかし、荒廃しきって「道をあるくなんてとんでもない」とゆわれていたころのマンハッタンで、タクシーに乗って、交差点で止まっていたら、乞食のおっちゃんが近づいてきて窓をたたく。 タクシーの運転手が窓を開けたのが、まず驚きだったそうです。 なんで、そんなことする必要があるんだ、と腹が立った。 あぶないじゃないか。 開けた窓から乞食がクビを突っ込んで、「おい、カネを寄越せよ」という。 運転手が1ドル札を渡すと、「たった1ドルかよ。おまえ、正気かよ」と乞食が悪態をついた。 運転手は、うんざりしたような顔で、「おれもカネがねーんだよ」といって、タクシーを走らせて去った。 義理叔父は、タクシーの運転手が、明らかに、しかもごく自然に乞食を自分と同じ人間と認めていて、どこかしら暖かい感じがする仲間意識のようなものまでもっていてどんな人間でも乞食に落ちる、ということはありうるのだ、と思っている、しかも乞食には他人にカネを要求する権利があると認めている、ということを見て取って、「日本の民主主義は、ほんものになりうるのだろうか」と、それからしばらく考えて苦しんだ、という。 うまく言えないが、インターネットというのは、いかにも仲間なんだから、おれがもっているものはもっていってもいいんだよ、という英語国民が少なくとも理想としてはもっている気分に根ざした文化であって、日本のひとのような「自分はあなたよりもすぐれている」ことが大事な文化とはあいいれないような気がします。 議論も、おのおのが開発したツールやスクリプトの交換も、学会というシステムも、「きみもぼくも同じ人間でしょう」という気分においては同じであって、政治家だから偉い、学者だから、作家だから偉い、ということは起こりえない。たとえば画家というものについて言えば、「画家」というものが社会的なステータスではなくて、そのひとがある絵に対する敬意だけが画家のステータスたりうる。 3 もちろん英語の世界にも、バカはいる、どころか日本語インターネットの百倍くらいは簡単にいる。 しかし、決定的に違うのは、彼らは自分達が価値のないことをやっていて、誤っていることをまで知っていることであると思う。 学校のイジメということでゆっても、アメリカの高校のイジメはすさまじいなどという生易しいものではないが、イジメる側は、「自分達が邪な側である」というのを常に知っている。 イジメる側の数が増えるにつれて、自分達が正義だと錯覚して、終いには、学校側まで「あなたのお子さんがおかしいのではありませんか」と言い出す、日本特有の救いのないイジメとは性質が180度異なるのです。 ニフティくらいまでしか遡れなかったが、「フォーラム」と呼ばれたもののログを見る限り、「PC通信」の頃の日本のオンライン世界は意外とまともです。 「良心」という編集機能が働いていて、利用者の数が少ないことからくる正当な「仲間意識」もあったようだ。 … Continue reading

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ノーマッド日記7

1 あぢー。 マレーヒルのインド料理屋までお午ご飯を食べに行ったら、帰りにはこのあいだまで青空をふけてどっかにぶっちしていた太陽の母上が放蕩から帰ってきて、夏だと告げに来たのであった。 わしは暑いのが嫌いなので、オーバーヒート。 子供の時から身体の組織全体が摂氏12度前後に最適化されているので、昨日や今日のように気温が20度を越えた上に湿度が80%を越えると、いきなり出力が低下してしまう。 ジュースやスムージーでときどき冷却するが、それでもみるみるうちに真っ赤になって、赤鬼というかなんというか、かっこわるい。 フィジー生まれのインド人友達がオオマジメに告げた前世はシロクマの王だったという悲しいカルマの説はほんとうだったのだろうか。 ワニに瞞されて毛皮をはがれたマヌケ時代の大国主命はシロクマ時代のわしの物語ではなかろうか。 ウサギの神様がどうして商売の神様で商家のおかみさんになったのだろう。 よう、わかりひん。 あぢー。 近くのデリでレギュラーコーヒーを買ってフラットアイアンビルディングの前の広場の椅子に腰掛けてモニとのんびり午後を過ごした。空を眺めたり、ビルの谷間から頭を出して誇らかに輝いているエンパイアステートビルディングの光の反射を楽しんだり、なにより、世界一バリエーションが豊富な道を行き交うひとたちの姿を眺めているだけで少しも飽きないのがマンハッタンという街のよいところです。 欧州旅行の話をした。 折角火山が爆発したのだから、デンマークからスウェーデン、ノルウェーにまで足を延ばしてひとが少ない北欧の夏を楽しもう。 あの火山の灰は重いというから、きっとパリまでは来ないだろう、という見通しは甘いのではないか。 バルセロナは、たった二週間しかいないし、きっと失業者ばかりで街がますます荒んでいるだろうから、グラシアだけでランブラのほうには行きたくない。行くなら、午前1時前にしよう。 行きたいところはグラシアにしかないし。 それからブロードウエイをぶらぶら歩いて帰ってきました。 モニの身体のあの表現のしようがない良い匂いをかぎながら真新しいシーツにくるまってころころしながら午寝するのだ。 夜になればビレッジにでかけると思う。 そのあと足をのばしてハドソン川が見えるかっちょいいバーにまで歩いていってもよい。 2 ひさしぶりにクラブ「A」へ遊びに行ったら、バンドのおっちゃんが「ガメ、ひさしぶりに一緒にやるべ」というので、おっちゃんのオリジナルとJames Morrisonの 「Broken Strings」 http://www.youtube.com/watch?v=26PAgklYYvo&feature=artistob&playnext=1&list=TLoJKl8K23XEA をやった。 わしはいつでもギターをやりたいが、高校生のときから「声がセクシーだから」とかなんとかゆって誤魔化されてヴォーカルしかやらせてもらえませんねん。 どうも、どこのどんなことにおいても知的なことは向いていないと思われているよーだ。 ガメにギターなんか握らせるとバカヂカラでネックをへしおってしまいかねない。 この頃は、冷菜凍死においても、戦略にはあんまり混ぜてもらえなくて、事後に承諾するやくばかりでくだらん。 同じ天井からオカネがばらばら降ってくるんでも、他人が考えたビジネスモデルだといまいち面白くない。 眉をひそめて、自分が頭に描いた図面に従って一個づつ線路をつないでいって、手元の電源ボクスのつまみを「ビッ」とひねると、事情が判らない人には複雑を極めてみえる9ミリゲージがひよひよひよと動き出すからビジネスや凍死はオモロイのであって、儲かるだけなら、アホでも出来る。 小学5年生の算数ドリルで70点とれる程度の頭があれば、どんなひとでも金持ちくらいにならなれます。 35歳を過ぎて一億円の現金をもっていない人間は、余程のバカか、金銭と正面から取り組むことのなかった怠け者のどちらかだ、運なんか関係ないのさ、とわしの年長の友人はなんでも運のせいにするわしを非難して言うが、案外ほんとーなのかもしれません。 ステージから降りてきて、モニとふたりでマルガリータを飲んでいたら、二人連れの無茶苦茶かっこいいねーちんたちが話しかけてきた。 ひとりは、この頃世界中で流行っているゴムブーツ(ゴムなが、ともいうな)をはいている。 もうひとりは、ぶっとんだボリュームの明るい銅色の髪が似合う、アイルランド訛がばりばっりの見るからにデルモなねーちんである。足の甲に趣味の良い、蝶の入れ墨をしてます。 話してみると、オモロイひとたちだったので、4人で、マヨルカ島の話や、夏のボンダイビーチ、ニコチンパッチをしたまま葉巻を喫うと気持ちがいい(よく死ぬ人がいるので悪い子もマネをしてはいけません)話や、もっといけない話をして遊んだ。 … Continue reading

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世界が終わった次の日に

1 Japan block dayに行った。 行った、というよりもモニと日曜日の散歩でPark Aveをぶらぶらとセントラルステーションのほうに歩いて行ったら、やっていた、というのが正しい。 手前の他の国の屋台に較べても、遙かに盛況で食べ物の屋台にはどこも延々長蛇の列が出来ていた。 会場の中心になるところには東北出身のひとたちが店を出していて「宮城県人会」「福島県人会」「岩手県人会」というサインが出ている。 いちばん駅よりのところにはステージがしつらえてあって、太鼓と笛と三味線にあわせて阿波踊りの小さな「連」が舞台のうえで踊っていた。 人間があまりに多いので、モニとわしは会場にはいってゆけなかったが、いろいろな出店がある通りの、日本のところだけ、人間が充満していることをなんだか訳もなく嬉しいことのように思いました。 日本の屋台は余りにひとが多いので、モニとわしは、日曜日にはまるでやる気のないおっさんがひとりで店を取り仕切っているカフェテリアでコーヒーとビスケット(アメリカ式に言えばクッキー)を食べた。 5月の終わりだというのに冬のように冷たい風が吹いてきて、モニとわしは寒い。 20thを歩いて家に帰ってきました。 モニは、そこからひとりで買い物に行ったが、わしはアパートに帰って午寝をした。 セントラルパークでは「ジャパンデー」もやっていたはずだが、そこに行こうというほどの興味がもうわしにはなくなっているので、億劫で行かなかった。 人間の自然な気持ちというものは、寂しいものであって、触れないでいるものは、毎日遠くなってゆくものなのだと思います。 天使の喇叭がなったのでびっくりして飛び起きたが、夢にしかすぎなかった。 アイスランドの火山が爆発したが、モニさんとあなたは欧州に帰ってくる予定を変えなくてもよいのか、というかーちゃんのメールを読みました。 そーゆーことは火山灰に訊いてくれ、と返事を書いてもよいが、かーちゃんには生まれて以来、わしが人生の前半の物語においていろいろ世話になっているので、そうぶっきらぼうなことを書くわけにはいかない。 モニと相談して決めます、と返信を書いた。 欧州に帰れなければ、モニは、きっとブエノスアイレスに行きたいというだろう。 でも大陸欧州旅行用に買っちった新しいクルマはどーなるんだ。 2 ここまでわしのブログを辛抱づよく読んできてくれたひとびとは、わしは「自称ニュージーランド人」なだけで、いわば騙りであって、本当は欧州人であることを知っているわけである。 ニュージーランドのパスポートを持っているので、無論ニュージーランド人であってもいいわけだが、なんというか、わしには「ニュージーランド人」であると胸をはってゆえるような溌剌としたところに欠けるところがあるようだ。 「ワナビー・ニュージーランド人」ですのい。 欧州人に生まれるということは人間として最悪であって、なんだか濃縮された人間として生まれつくことでもある。 コンデンスト人間、なのです。 稀釈しないと強烈すぎて受け付けられないのだとゆわれている。 欧州などというものは、ひとりの人間が20年くらい住んだからとゆって判るわけはない。 日本で言えば京都社会のようなもので、しかも、京都よりも百倍くらいコンジョが悪くて、千倍も徹底的に何もかもよいものは隠されている。 何も難しいことをゆっているのではない。 きみは、ボンドストリートに行けば、ロンドンのうちでも一流の品物を買える、と思っているかも知れないが、ははは、甘い。 欧州というところでは、最もよいものは看板もなにもない、アパートの4階、というようなところにあるのであって、一時が万事、そういう世界なのです。 早い話が、クラブの飯に飽きて、わしがよくでかけるレストランは、ガイドブックには出ていない高級ホテルの地下にあって、名前がない。 看板がない、というようななまやさしいことではなくて、あの天上の味を饗している料理屋には名前そのものがないのです。 マディソンアヴェニューのモニが行きつけの店は、普段は閉まっていて、モニが電話すると店を開ける、というシステムだが欧州の店は、そこまでの親切心もない。 店の顔をもっておらず、名前もない。 欧州とは、そういう密やかな、バカバカしい特権で出来ている社会なので、それが受け入れられない精神構造の人間には欧州というものが、まるごと判らない。 第一、酷い人になると、欧州人がほんとうに思ったことを言う習慣がある、と誤解しているひとまでいる。 … Continue reading

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個人のための後退戦マニュアル・その3

ニュージーランドではどこの電力会社から電気を買うか、ふつーに選べる。 3年前、日本にいたときに広尾山の家のクソ高い電気代に頭にきたので、「なんで東京では東京電力からしか電気が買えないんですかあ」と件のトーダイおやじたちに訊いたら、 「そりゃ、ニュージーランドみたいな小国は簡単にそういうことが出来るだろうけど、日本のような国は体系が複雑で難しいんだよ」ということであった。 笑いがこみあげてきて苦しかったのを、なんとか我慢して「そーですか」と答えたのだったが、大国なら大国らしく、ひとつくらい他の国がやってないことを自分の頭で考えてやらんかい、と考えました。 後退戦の殿(しんがり)にいるのは、多分人口の99%を占める「どこにも行かないひとびと」であると思う。 戦争について知識があるひとはよく知っているが、しんがり、って難しいのよ。 このひとたちが敵に背中を見せると全軍が潰乱してオシャカになってしまう。 戦艦大和はフィリピンの沖合でアメリカ軍の軽巡洋艦と駆逐艦の突撃にぶっくらこいて、くるりと反転してとんずらこいちったが、その後、日本の海軍が立ち直ることはなかった。 富士川の西岸で、いっせいに飛び立った水鳥の羽音にとびあがって逃げた平家の軍隊は、結局、潰乱に潰乱を重ねて壇ノ浦で全滅するまで浮き足が止まらなかった。 槍の穂先を敵に向かって揃え、敵に向かっておこたりなく用心しながら、ときどき自分達の実力を見せながら、本国の力が充実するのを待つのは、海外組ではなくて国内組の役割である。 日本が立ち直るためには国内に残る人々の役割が最も大切なんです。 カルタゴという国は敗戦のたびに当事者である軍人を極刑に処して政治の中枢にあるものや富によって社会の支配権を握っていたものたちは決して責任をとらなかった。 ギリシャでは「任命した優れた実務家たちを監視するために民主主義はある」という原則を忘れて、皆で意見を一致させて合意した政策を採用する、という信じられないくらいアンポンタンな政治理念を信じ込んでしまった結果滅びてしまった。 コリントもカルタゴも、自分達の愚かさを反省すらせずに愚かさを賢明さといいなして自分達の空疎な妄想にしかすぎなかった「正義」にしがみついた結果、国土が文字通り更地になってしまった。 カルタゴに至っては更地にした上に、ローマの兵士達が塩をまきくるって、二度と穀物をつくれないようにされた。 丁度、いま東電の神様がセシウムとストロンチウムの同位体をまきくるっているのと似ています。 危機は変化のチャンスでもある。 いままでは自分自身が小役人のようなことを言って、由縁もなくえばっていたりしたのが、「これじゃ全然ダメじゃん」と判るからです。 いまはもうこれまでの「権威や、お上のある社会」のやり方や考え方ではダメダメなのが判ったのだから、「変えなきゃ」という気持ちを忘れなければいいだけのことである。 このブログでもさんざん何回も書いてきたように、日本には変えなければどうしようもないことがうんざりするほどある。 「わしらのニッポン、日本人が世界一」をやって、30年がとこ、ものごとをほうっぽらかしにしたまま来たのだから当たり前なんです。 まず個人ひとりひとりが幸せにならなければならない。 わしは日本の歴史を調べていて、1980年代にあれほどの繁栄をみたのに、それが90年代になるとあっけなく「坂を転げ落ちるように」経済が崩壊してゆくのは、結局、 「お金は儲かったけれどぜんぜん幸せにならなかった」からではないか、と考えました。 社会が空前の繁栄を遂げた、といって、ふつーの、というのは当時の社会の中堅である会社員にとっては、給料の上昇よりも物価の上昇のほうが激しかった。 なかんずく、70年代に田中角栄という極めて人好きのする、誰をも魅きつけずにはおかない人格をもったカネの亡者を首相に据えてしまったせいで、(具体的には農業への補償という仕組みを梃子に使って)土地の値段などは、ロケットのように上昇した。 他の物価でも、たとえば義理叔父の証言によると、子供のときずっとずっとずっと山手線の半周近い「初乗り」が30円であったのに、ある日突然90円になり、それが次の次の週には160円になる、という具合だったそうで、義理叔父のことだから数字はええかげんに違いないが、そういう実感だったのでしょう。 その延長にあって経済が破壊的な速度で容赦なく成長した80年代にあっては、クラブで一万円札を何百枚もばらまいて、それをきゃあきゃあ拾ってあるく若い女優やデルモのねーちんたちを見繕ってはホテルにつれていく不動産会社の社長とか、政治家、あるいは当時はいまよりもさらに社会的地位が高かったらしい暴力団のもんもんなおっちゃんたちとかばかりが大金をつかんで肩で風をきって歩いていたのであって、トーダイといえど他人を踏みつけにする才能に恵まれなかった義理叔父たちは、こんな国は破壊されてあとかたもなくなればいい、と心から呪詛していたという。 ふつーの国では、国が2割もうかると、住んでいる人間にも1割は還元される。 いまわしがその小さな島の空中に腰掛けてこのブログを書いているマンハッタンでは、 日本の国家社会主義経済体制に守られた製造業にボロクソに負けて崩壊寸前までいった経済が、金融とITとパテントによって繁栄を取り戻すにつれて、みるみるうちに街が安全になっていった。 5thAveにすら散在していた危険なブロックを避けて、あっちに渡ったりこっちに渡ったりしながらでなければまっすぐ通りを歩いてゆくことも出来ず、女びとなどはロッカーもしくは鞄にハイヒールをいれて、襲われたとき必死に走って逃げるためにスニーカーにはきかえて通勤するのが常識であって、しかも日が暮れると、引き込まれない用心にビルの側を歩かなかった街が、女同士、午前2時にほろ酔い気分で12センチくらいはあるヒールの靴で歩いていてもあたりまえになった。 太ったおっちゃんが乗ると、そのままパンクしてへたりこむんちゃうか、と思うくらいボロイタクシーは、あっというまに新車になり、いままで家を買うことを考えることも出来なかった中層の下くらいでも家が買えるようになった。 かつては週末の1ドルピザをかじりながらテレビを観るガールフレンドやボーイフレンドと一緒の週末に、ミシュランガイドをひろげて、テーブルにロウソクがともるレストランを予約してでかけるようになった。 病院が建設され、大学の設備が素晴らしいスピードで拡充され、奨学金制度は改善されて、個人の生活が誰がみてもわかりやすい形でよくなっていった。 「社会が繁栄すれば、わしの暮らしもよくなるのだな」とみなが実感したのです。 この事情はオーストラリアでもニュージーランドでも、社会が全然改良されないので有名であって、いまと中世とどこがちゃうねん、とアメリカ人などにゆわれるシブイ社会を主催している連合王国ですら同じです。 個人の生活が楽にならなければ、誰もそんなバカみたいに働くわけないやん。 だから、「いまは我慢して社会のため」とか「ここは辛いが会社のため」というような大時代なバカ理屈は、舌をつきだして、目をひらいて、あかんべのベロベロバーをせねばならぬ。 具体的には高い生産性で仕事をしている若い世代に高給を払わないで「50歳まで勤めたらオカネモチにしてあげるからね」というような田舎に娘を買いに来た女衒みたいというか、妾に毎日自分の褌をかえてもらおうとしているガハハジジイというか、そういう下品な理屈にたった会社に就職してはいけないのです。 … Continue reading

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膠着語の週末

1 メトロポリタンミュージアムは金曜日の午後がいちばん良い。 午後5時頃になると、教師に引率された高校生の集団や観光客達も潮がひくようにいなくなって、おおきな美術館の建物のそこここに「静かな場所」が生まれます。 美術館は夜の9時まで開いているので、モニとわしは、グランドホールの上にあるバーでプロセコを飲みながらのんびりする。 ここはワインも意外なくらい良いリストがあります。 何よりも室内楽カルテットの奏者がうまいのがよい。 テーブルや椅子が安物なのが残念だが、給仕のひとびともよく気がつく陽気なひとたちが多くて、明や清の素晴らしい大皿に囲まれたこの回廊を取り巻いたバーにいると、なにがなし明るい気持ちになる。 プロセコを飲んで、オリーブをつまみながらワインを4杯お代わりして、すっかり良い気持ちになってから美術館を少しだけ散歩した。 いつもはメトロポリタンミュージアムに来るのに「お目当て」などないが、今日は、見たいものがあってきた。 去年自殺したアレキサンダー・マックイーン http://www.afpbb.com/article/entertainment/fashion/2694247/5305966 の特別展示があったからで、これを観ないですませるわけにはいかなかった。 モニとわしのように、あの素晴らしいデザインの才能を惜しむ人がたくさんいたのでしょう。もう人が少なくなった館内であるのに長い行列が出来ていたが、内緒な理由によって、モニとわしは脇からいれてもらいます。 日本の大鎧の「おどし」にヒントを得たドレスや有名な革のコレクションにもみとれてしまうが、赤いサテンのドレスが並んでいるコーナーでは、わしとモニにしか判らない特殊な理由によって涙が出てきてしまった。 モニとわしは、たくさんの人が流れてゆくなかで、壁際に立って、彼のつくった美しい造形をしばらく観ていた。 死んだ天才デザイナーとの別れを惜しみました。 ほんとうはアップタウンのモニのアパートで週末をすごすはずだったが、モニがビレッジに行こう、というのでタクシーを止めてビレッジに行った。 モニが「ビレッジに行こう」とゆったのは、むろん、わしの気持ちを見て取ってのことです。 タクシーの運転手はアフリカ人で、86丁目からバンクストリートに向かう間中、自分は合衆国についたばかりで、自分にとって、この国の自由がいかに素晴らしいか話してくれる。 わしは、この国の人間でないのよ、と言おうと思ったが、なんだかそれも余計なことのように思われて、ああ、それはよかったですね、という程度の曖昧な返事に終始する。 降りてから、あの運転手はきっと、生まれたときから自由に恵まれた、自由の価値がわからない愚か者のアメリカ人め、と思ったことだろう、と考えました。 ロングフェローの有名な詩に因んで名前を付けられたレストランで、わしはカルボナーラを食べ、うさぎのパテでパンをかじりながら、ラムのローストを食べた。 このレストランに来る度に、この国をつくっている精神のことをおもいだす。 モニが「ガメは、このレストランにいるときはアクセントが少し違うよーだ」と揶揄かっておる。 自分ではそのつもりはないが、ありえないことではない。 若い国で「戦の詩」の伝統をもったのは合衆国くらいのものかもしれません。 それがこの国の誇りの根幹をなし、どんなときでも低く流れる基調底音をつくって、何人が命を失っても銃の保持を絶対にやめない、「アメリカ」というものをつくって、 ヒラリー・クリントンの口を借りて 「You can’t defeat us」 というローマ人のような言葉を吐かせるのに違いない。 One if by land, two if by … Continue reading

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個人のための後退戦マニュアル・その2

1 ずっとむかし、(とゆって、いま見ると去年の11月だが)「ラナウエイズ」 ≈https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/28/ というブログを書いた。 自分で書いた文章ながら外国語の文章は読みにくいので、適当にとばし読みすると、 いまの日本は集団発狂しているから、いったん外に出て、正気が残存している社会の空気をすって、ついでにIT革命という巨大なパラダイムシフトや人種差別が徐々にだがいまや確実に消滅しつつある事実や、そーゆーことを経験してから、そのうちにはおおごけにこけるに決まっている日本の再建に参加するのも悪くないだろう、という趣旨(多分)のブログで、ついでに「いまの日本社会は旧ソ連と似ている」というような、自分ではすっかり忘れていた偉大な卓見も書いてあったりして、なかなかよい記事である(^^) 後退戦は防衛に適した地形なり町なりを選んで、じっくり腰をすえてしぶとく戦うのが基本だが、清右衛門という友達が「逃散があんだぜ、逃散が」というので、つい遠くにいくことも考えてしまった。 (だから、ここからわしが何かボーロンのようなことを書いたら、それは全部清右衛門  http://prunusmume16.blog28.fc2.com/  ツイッタ @p_mume1980 の責任なので抗議や嫌がらせはそちらのほうへよろしく。 なお、他の記事については、ブブリキという人がすべて責任を負っています。 (ウソです) 具体的な留学の方法などは簡単であって、きみが30歳より若ければ、有名なワーキングホリデービザという誰でも1年から2年は、そこの国へ行って何をやっていてもよい、という素晴らしいビザがあります。 アホでもええねん。 自分のTシャツがたためなくても受け入れてもらえます。 英語が出来なくてもダイジョーブだ。 現地に行ってワーキングホリデーで来た人間用、あるいは、その国のふつーの求人掲示板で職業を見つけて暮らせばよい。 下宿とかも、部屋をシェアすればたとえばニュージーランドなら週50ドル(3500円)くらいからあるだろう。 わしが家に出入りの日本の画廊主人の息子はワーキングホリデービザでやってきたが、女優志望の無茶苦茶はくいねーちんとルームメイトをしておって、英語を全部このねーちんから教わった。 お礼にマッサージをしてあげていたもののよーである。 ただでお礼してたのかと思ったら、ちゃんと1時間10ドルとっていたのだった。 10ドルじゃ、割にあわねっすよ、という。 太股とかすげー凝ってるんすから。 ふ、ふともも。 ふ・と・も・も、ですか? あっ、いや。 それで、一年ごろごろしていて、その国が気に入ったら大学にはいるなり、就職したりすればよいのです。 大学にはいれば3年間の就学ビザに卒業したあと一年間の就職猶予期間ビザがあるはずである。 (わしは留学とかしたことがないので、具体的には自分で調べませう) きみが会社なり政府機関なりで働いている場合は、もうちょっと工夫がいるであろう。 乾坤一擲、職を投げ出して、という手もあるが、乾も坤も一擲すれば二度と返らないという。乾坤象背に帰らず、といいます。 だから会社や政府の制度をうまく梃子にして日本を出て行かねばならぬ。 古い時代、80年代、Mさんは○○省の役人であって、憂国の情に燃えて目の下にクマをつくって毎日3時間睡眠で日本の未来を設計すべく頑張っていたが、 日本のトーダイおじさんたちが口を揃えて「日本史上の最悪党・日本の破壊者」と罵り出すと止まらなくなる中曽根康宏が首相の時代に、キレてしもうた。 酒を飲まないMさんが嘔きくるうまで飲んだ翌日にやったことは「試験に出る英単語」(^^)を買ってくることであって、そこから狂ったように勉強して人事院留学でHBS(ハーバード・ビジネス・スクールという、やたら狭いブロイラー養成所みたいな寮に学生を閉じ込めて「これって一ヶ月分の読書ですかあー」という量の本を一日で毎日読ませて徹底的に自己主張させまくるという経営学の海兵隊訓練所みたいなバカな学校のことです。  チャールズ川よ、静かに流れよ)に行ったそうです。 人事院留学は国費で留学させてくれる代わりほんまは日本に戻って役人を続けねばならないが、「絶対いやだ」とがんばって、就職したアメリカの大学に全部賠償金を払わせて日本には帰らなかった。 向こうに行っっちゃって、その国で必要な人間だと、その国の学校なり会社なりヘアドレッサーなり鮨屋なりが認識してくれればあとはどうにでもなる、という好例であると思う。 歴然たる国法違反だからな。 おおげさに言えば国事犯なのに某旧帝大から教授になってくれと何度もゆわれたそーなので、世の中とかは、やはりそういう隠微な仕組みになっているのです。 (言い忘れたことを唐突に書くとTOEICは全然ダメなテストですねん。由来から言えば役所間抗争から生まれた「役人都合試験」です。 … Continue reading

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個人のための後退戦マニュアル・その1

フィルムのなかのロシア人たちの証言によると、第二次世界大戦東部戦線のドイツ人たちは「薄気味が悪くなるくらい強かった」という。 それだけ聞くと、そーですかあー、と思うだけだが、もう少しくわしく聞いてみると、内容は興味深いと言わなければならない。 ドイツ人たちがロシア人たちのあいだで未だに伝説になっている「ドイツ人らしさ」を発揮したのが開戦初頭の無敵時代ではなくて1943年と1944年というドイツが敗走にはいって久しい(クルスクの戦いは1943年夏)ときの話だからです。 シャーマンM4への「肉弾攻撃」が国を挙げて戦意高揚の英雄譚になる極東の同盟国とは異なってドイツ人は国民性としては、どんな場合でも辛辣な皮肉屋で冷静な国民なので、相手が戦車でこちらが歩兵の戦いだとゆわれると「じゃ、戦争負けなんじゃん」と、あっさり思う。 ドイツ映画の「スターリングラード」で、大挙攻めてきたT34の大群に棒にくくりつけた地雷だけを武器に必死の戦いを繰り広げて撃退した夜、文字通りボロボロになって疲労困憊した兵士達の足下のラジオからフューラーが「我が国の最新鋭機甲師団がT34の大群を壊滅した」という演説するのを聴いて、「そんな機甲師団がいたかなあ」と訝る新兵に「おまえのことだよ」と古参兵が物憂げに吐き捨てるところがある。 一種の会戦主義であったナチスドイツの陸軍は、本来の物資不足に、会戦に備えるためという理由もあったのでしょう、そういう極端な物資の欠乏は日常のことだったようです。 なにしろろくすぽ兵器がないので、大集団で行動するT34を先頭にロシア軍が大挙して突進してくると、前線のドイツ兵たちは文字通り算を乱して一目散に逃げちってしまう。 ロシア軍は勝ち鬨をあげながら津波のような勢いで潰走するドイツ軍に襲いかかります。 「ところが、潰走したはずのドイツ軍は5キロメートルも先にゆくとちゃんと合理的な布陣をして待ち受けているのさ」とロシア軍の将校が感に堪えたように言っています。 あんな軍隊、ほかにあるはずがない。 潰走しても潰走しても、5キロメートル先に行くとまるで計画されたアンブッシュとでもいうような完璧な布陣で待っている。 ああ、これがドイツ人というものなのか、と私は、言葉が不適切かもしれないが、カンドーしました、という。 そのフィルムを観たイギリス人のじーちゃんが、「後退戦こそが文明だからな」とつぶやいたのをおぼえていた、というのが、この長たらしい前置きのブログ記事を書こうとおもった理由である。 (ツイッタを読んでいた諸君は、そーじゃなくて、あんたが日本語話したいのにつきあってくれるひとがみな寝ちったからでしょうが、とゆーだろーが) (ものごとの契機というものは、単一とは限らないのだよ) (ほんとよ) 人間はしつこくあらねばならない、とあらゆるいまに生き延びた文明は証言している。 ことの初めからノルマン人とローマ人の無茶苦茶を極める侵略と支配でぼろぼろだった連合王国人などは、いまに至るまで存続しているのは、ひたすら、しつこいことによってであるとゆえなくもない、と思う。 なにしろノーフォーク人たちに至っては出だしからローマ人たちに自分達の女王を強姦されたあげく王国を簒奪されて立ち上がった正義の戦いにクソ負けに負けて8万人もぶち殺されたりしていたので、執念く負けながら戦わなければ生きてゆくことも叶わなかった。 わしがゆいたいのは、ですね。 国としては原子炉がぶっとんじったのはゆゆしきことだが、個人としては、それくらいがあんだよ、おれは生き延びてみせるし、という立場もありうるだろう、ということなんです。 大量の核物質を内包した原子炉がゆっくりゆっくりぶっとぶという未曾有の事態になるまでは一ヶ月に一度だった部屋の掃除を毎日にする。 晴れていても傘をもってでかけて濡れたら家に帰って必ずシャワーを浴びる。 魚はしばらく諦める。 牛乳もしばらくやめる。 食料品は輸入品に切り替えて、どうしてもダメなら信頼が出来そうなスーパーマーケットの産地表示を確認してから買う。 そうやって生活における行動を少しづつつめてゆけば被曝量は十分の一にはなるだろう。 そうこうしているうちに日常的に正確な汚染・被曝情報が流されるようになるだろうから、そのときは、もっと細かくいじましく生活を抑制していかねばならない。 被曝地生産者の生活はどうなるのだ、それでは国家の経済はどうなってしまうのだ、という「国」の側の意見も当然あるが、それは公の側の意見であって、ここでは「個」の戦いに専心して考えてみようとしている。 生き延びられる自信がついたところで、「おれはもう50歳のジジイだから放射線なんかどうでもいいわ。福島牛が安いっちゅうから、どんどん食べるし」という判断があっても別に悪くはない。 お国のために浦霞をもっぱらに飲み、笹かまぼこを食べくるって、食後は二人静でなにほどの悪いことがあるだろう。 第一、いまの年金制度に国民がしがみついているとすると早く死ぬこと自体、たいへんな国家への奉公です。 しかし、文明というものは往生際の悪さをもって華とする。 兼好法師が「人間は死ぬときの潔さが大事である」とゆったのを本居宣長が、けっけっけ、と嗤って、「そーゆー人間に限っていざというときはじたばた言いやがんだよ。かっこつけてんじゃねーよ、ばーか」とゆっているが、そのとおりであって、 「わたしは、この世界に絶望しているから早く死んでもいいのだ」というのは、10歳くらいの子供に実際にもっともよく見られる幼稚な思想である。 実際、わしは10歳くらいのときに、もう長く生きすぎたので、これからの世界は若い諸君にまかせてなるべく早く死にたいものだ、とつぶやいて、かーちゃんやとーちゃん、許せないことには妹にまで爆笑されたことがある。 思想家というものは、つらいものだ、と考えたが、ま、過去のことはここではよいであろう。 どうせ、ここまで状況がきびしくなってくると、「いさぎよく諦めよう」というバカが夏の夕立のあとの藪蚊のように湧いてくるときがくるに違いないが、日本のひとびとは、かっこつけてるだけの、そういう幼稚かつケーハクな思想に瞞されてはいけません。 有利不利の条件を並べてみて、料理のレシピじみたそのリストをにらんで、自分達に最適の文明のスタイルを考え、一日一日もゆるがせにしないで、丹念に毎日を暮らしてゆくことの疲労は途方もないが、しかし、それが出来るということが文明の本質なのだと思います。 人間は、これまでも、ありとあらゆる不条理な苦難に直面しながら、殆どなんの理由もなく自己を生き延びさせようとしてきた。 … Continue reading

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フクシマのあと

1 ジョイスシアターに行った。 http://www.joyce.org/ ジョイスシアターは、わしのアパートから歩いて5分もしないところにある小さな劇場です。 小さいが座り心地の良い椅子があって、寛いだ雰囲気である。 PAがちょっと古いが、アポロシアター https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/04/10/1976/ よりは、マシである。 マーサ・グラアム ダンス・カンパニー(Martha Graham Dance Company)出身のRamon GuerraがつくったDanza Contemporanea De Cubaは、Sadler’s Wells and the Coliseum TheatreやバルセロナのMercat de las Floresでも公演するが、ニューヨークでは、このジョイスシアターにやってくる。 この頃は3月には、ハバナまでまずインストラクターと一緒に旅行して、Danza Contemporanea De Cubaの日常を観て、それから公演を観る、という面白いこともやっているよーだ。 公演そのものは、いつものDanza Contemporanea De Cubaの、洗練されているとはいえないが、性的暗喩と雄大な肉体の躍動に満ちた三幕ものであって、特に三幕目の、人間が陥る「情熱の地獄」とでもいうべき世界を描いたダンスが素晴らしかった。 激しい諍いに明け暮れるカップル、絶望のなかで暴力をふるいあうゲイのふたり、そういう、人間にとっては見慣れた光景がフリージャズにのって、ほとんど裸体のダンサーたちによって繰り広げられる。 モニは乳房まで見せるヌーディティは不必要だ、というが、それには舞台と客席の距離をゼロにする効果があったと思う。 ツイッタの友達はみな知っているように、ひどい風邪で「ぐるぢい」と思いながら、わしはカンドーしました。 どうも、キューバの人というのは何をやらせてもかっこいいな、とバカなことを考えた。 革命ですら。 2 先週くらいから「フクシマ」のニュースはなくなった。 英語の日常世界では、フクシマは「過去」になった。 日本は国全体がチェルノブイリみたいに印象されて、事故後の「国民なんてどーでもいいや」な対応も、ピント外れな上に恐ろしくダサイ「ローテク」事故処理も、世界中をびっくりさせてしまった。 … Continue reading

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トゥルルッ、 トゥルルッ、トゥルッタッタ!

週末の夜のリンカーンセンターは嫌いではない。 着飾ったひとびともいれば、ジーンズにTシャツのひともいるアメリカらしい雑多な身なりのひとびとが、午後8時少し前になると、ゆっくりとリンカーンセンターのほうへ動いてゆきます。 あるひとはニューヨークフィルのコンサートへ、あるいはオペラ(多分、今日はリゴレットだと思う)の会場へ笑いさざめきながら消えてゆく。 アメリカンバレーシアターは、ドンキホーテをやっているのだと思うが、モニとわしの今日のお目当てはブレヒトの戯曲をもとにしたバレーを中心にすえて変わった試みをしている「ニューヨーク・シティ・バレー」 わしはニューヨークやシドニーにいるときも、欧州にいるときと同じようにオペラやバレーにはよく出かける。 ブログに書いて「陶酔した」なんちてもイモいだけなので書かないが。 簡単にいえば、昼間のまだ太陽が高いうちからイーストビレッジやサリーヒルズで酒を飲んで遊んでいるのではないときには、劇場の椅子に腰掛けて、身なりのよい年寄りたちに囲まれながら、まるでお行儀がよい人のように、周りの気取ったクソ会話に我慢しながら、開演を待っている。 不思議なくらい気息があって、ひとびとがなんだか話すのがくたびれた、とでもいう風情になったころ、オーケストラボックスから「ぷおおおおー、ぱおおおー」という「あの音」が聞こえ始めて、あの素晴らしい一瞬の沈黙がある。 緞帳があがる。 メヌエット。 ラベルのLe tombeau de Couperin http://www.youtube.com/watch?v=j9qxygpFTos は、わしの好きなチューンであって、もうそれでわしはすっかり嬉しくなってしまう。 今夜のオーケストラは、ちょっと音が重いが、まあ、やむをえないとゆわねばならない。 8人づつ組んだダンサーたちが、軽々とスピンし、跳躍し、びっくりするようなしなやかな曲線を身体で描いて見せて、バレーの夜独特の軽い、うっとりするような興奮のなかに連れて行ってくれる。 いちど幕が下りて、すぐにあがると、ピアニストとバイオリン(おっ、Delmoniだ!)が舞台の端で演奏をはじめるところです。 ピアノの脇に、男と女のダンサーが鍵盤を覗き込みながらたっている。 演奏が始まると、うっとりした様子で聴き入っている。 まるで音楽が好きな一対の天使が地上に舞い降りて人間の音楽に耳を傾けている、とでもいうようである。 途中で、顔をみあわせて「踊ろう」とうなづきあって、まるで大きな翼を広げた天使たちが舞い飛ぶように踊り始める。 もう、その頃になると、劇場は息を潜めて、呼吸するのも苦しいような気の詰めよう。 Delmoniおっちゃんの、ブルドッグみたいに垂れ下がったほっぺたがバイオリンを弾くにつれてプルプルするのも眼にはいらなくなります(^^) そこからあとは観客にとっても一場の夢の世界であって、ブレヒトが書いて、(わしの記憶が間違っていなければ)W.H.Audenが英語に訳した The Seven Deadly Sins の古めかしくはあるがブレヒトらしいテーマの物語に笑ったり、しんみりしたりしている。 最後はワルツだった。 森のなかの群舞に始まって、さまざまな時代のウイーンの舞踏会のワルツをみせてゆく。 ワルツは、(きっと、ボールルームダンシングに夢中な、じゅん爺などはよく知っているに違いないが)、かっこよく踊るのが最も難しいステップです。 躍動感のないワルツくらい世の中でダサイものはない。 えー、あんなん簡単じゃん、というひとは、それは舞踏会というものに行かないひとであるに違いない。 もっとも勇気が必要なダンスです。 (あたりまえだが)プロのダンサーたちのワルツは、すごい。 どう言えばいいか判らないが、「流線型」のステップと身のこなしで、拍でゆえばいもいはずのワルツのリズムが、ブレーキーなリズムに軽く勝っている。 クラブで若い衆の輪のまんなかで踊るダンスガキと、たとえば19世紀のウィーンの腐れ貴族とでは遊びというものに賭ける根性も時間も桁が4つ異なるので、当然とゆえば当然。 … Continue reading

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放射性の午後

クラブからクラブへとモニとふたりでふらふらと遊んでばかりいたので脳が溶けて半分くらいになったような気がする。 昨日も交差点で信号を待っていたら、モニがわしの耳をじっと覗き込んで、向こうからタクシーが来るから危ないな、とつぶやいて喜んでいたが、これは妹がむかしわしを馬鹿にするために発明した冗談であって、どうも妹とふたりで買い物に行ったりしているときに碌な話をしておらんよーだ。 半日、日本の状況について頭をアップデートして、昨日は日本の事をたくさん考えた。 就中、インターネットで知り合った友達たちのことを考えた。 ナスどんは、子供をふたり神戸に預けたまま、青山通りの舗道をみつめて歩いているのだろうか。 どうしよう、いったいどうすれば娘達を救えるだろうか、と悩んでいるだろうか。 真におそろしいものは目には見えはしない。 Nasuの青山のアパートの窓から見える東京は静かで平和な街だが、セシウム同位体とストロンチウム同位体で、Nasuの国の政府の落ち着き払ったウソよりも汚れている。出来るものなら、食べることも飲むことも息をするのをやめたいと思う。人々の「落ち着き」は怯懦にすぎず、その社会をつくりあげた無責任なやつらは、そんなことは言ったことがないとでもいうような顔をして話題を変えてすましている。 チャンネルを変えるように、(言語を変えて)違う世界の影を脳髄に映すことも出来る。 手の施しようがなくなって、殆ど運まかせにするしかなくなった、あるいは国中を汚染することと引き換えに他国に納得してもらうしかなくなったフクシマの原子炉のことも、初めの会見から世界中のひとびとがなんというウソツキだろうと呆れかえっていたエダノというひとに「さん」までを付けて、拍手し続けた挙げ句、放射性物質のなかで身動きできなくなってしまったひとびとのことも、リモコンのボタンを一押しするようにして心からかき消してしまうことも出来る。 だが、それが出来やしない。 日本語が棘のようにきみの心にくいこんでいて、どうやってもとれない。 言語的「万能とげ抜き」はないものか。 原子力は、あんまり勉強したくない科目である。 あれは「イモ科学」だという、わしの学校特有の偏見があるからね。 (多分、それがいちばん大きな理由だろう) それでも、他のすべての科学的方法を身につけたひとと同じように、こういうことは判る。 「低放射線を長いあいだ浴び続けるのは健康に極めて有害である」という意見と 「低放射線を長いあいだ浴び続けても健康には問題がない」 あるいは 「低放射線を長いあいだ浴び続けるのは健康に良いかもしれない」ですら、 科学的には正しい。 3つとも正しい。 なぜ? データがないからです。 正当な判断をするに足る歴史的に蓄積されたデータがないし、その上、日本の外では、この頃は前には(詐欺師根性まるだしの「発表」とは異なって)ゆいいつ信頼されていたPDF数値データも、だんだんおかしいのではないかとゆわれるようになってきた。 物質量の比率に矛盾があるからです。 なんだか、全然信頼できない数値なのではないか。 なんじゃ、これは。 数値を改変しているのではなくて黙っていることがあるよーだ。 高放射線に関してはヒロシマナガサキと、それよりは遙かに被曝規模もサンプル数も少ないがネバダの実験場で爆心地に突撃させた兵士たちのデータが貧弱ながらある。 しかし低放射線に関してはチェルノブイリの後でも信頼しうるデータは皆無といってもよい。 「危険だ」という確固としたデータがない場合には科学の世界では「危険はないと思われる」とゆってもいいことになっている。 そこが芸というものであって「と思われる」を省いてはダメです。 日本からのニュースを見ていると、省いてしまっている「科学者」もいるよーだが、それは詭弁のルールを知らない、というべきである。 安全だ危険だと議論しているひとびとをたくさん内包したまま東京はどんどん汚染されてゆく。やがて北東からふきつける強い風がふくだろう。 真におそろしいものは目には見えはしない。 福島に嫁いできた若い娘の足首をつかんで離さない言葉にしてすら言われない「人間を土地に拘束する力」は誰にも見えやしない。 転勤希望を出した仙台の若い男の教師をいないあいだに罵りの言葉とともに机を蹴り上げていった教師を突き動かす力は目に見えはしない。 職業や両親や子供の教育を「考えて」母親をすんでいる土地に絡め取ってしまう力は目に見えはしない。 … Continue reading

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「自由」を見にいく

スタテン島行きのフェリーに乗りに行った。 別に用事があったからではありません。 スタテン島へのフェリーは自由の女神像のすぐ傍を通ってゆく。 むかしマンハッタンに居だしたばかりの頃は、このフェリーによく乗りに来た。 片道30分のフェリーはタダです。 一円もかからない。 ビンボというのもバカバカしいくらいビンボだった初期セーガクわしは、大西洋を越える航空券代で持ち金をあらかた使い尽くすと、時間が余ってもてあましたあげくhip flask(フラスコ?)に安いバーボンを詰め込んでジーンズのお尻のズボンにいれて、このフェリーに乗り込んで朝から海を見ながらちびちびやったものだった。 ポケットに手を突っ込んでくしゃくしゃの1ドル札が何枚かあると、それで(アメリカン)マフィンを買って食べた。 オーボンパンの気取ったマフィンちゃうねん。 もっとでっかくてもっと甘くて荒っぽい、トラック運転手なんかが大好きなマフィンにバターをいっぱい塗って、バーボンを飲みながら、食べる。 舷側のベンチに座ってぼんやり見ていると、いつのまにか頭巾を被っていないマリアンヌが松明をもって世界を照らすために立ち上がっておるのが見えてくるのです。 なんだか愚かな人間たちのために乾杯してくれているように見えるのね。 だから、わしもフラスコを掲げて乾杯の返礼をした。 「人間の愚かさのために、乾杯」 あれから7年、わしはモニと結婚して、なんだかまともなことになってしまった。 ときどき、こんなはずではなかった、 いまごろは妹やかーちゃんにも見放されて、ピカデリー通りの地下道で薄汚れたなんだかどす黒いような赤ら顔で、コンクリートをみつめながら酒臭い息を吐いているはずであったのに、と思う事がある。 むかしから神様にむかって悪態ばかり吐いているのに、まるで神様が意固地になって破滅させまいとしているかのよーである。 友人どもに言われなくても、わしが一見まともな人間のような顔をして道を歩いているのは、ひたすら、他人に話しても到底信じてもらえるわけにゆかない強力な運の力であって、他には何も理由がない。 (あんなもんにそんなまともなものがあるわけはないが)神様に人格があるとすれば、 余程の偏屈じじいなのであると思われる。 アパートを出て、7thAve をおりていって、イタリア料理屋が外に出しているテーブルに腰掛けてモニとふたりでパスタの朝食を食べた。デカンタのNero d’Avolaは5月のマンハッタンの(飛行機雲でいくつにも区切られた)抜けるような青空の下で、あっというまになくなってしまう。 わしの、ややパンチェッタが多すぎるカルボナーラもおいしかったが、ちょっと味見をさせてもらったモニのボンゴレはもっとおいしい。 見事なアルデンテです。 なんだか、ふたりで幸せになってしまった。 良い天気とおいしい食べ物の組み合わせは人間をとても幸福にする。 ソーホーを抜けて、トライベカに辿り着いたところで、タパスバーでまた広々としたスペースにテーブルを並べている店をみつけたので、洋梨のサングリアとテンプラニーニョを頼んで、アフリカンアメリカンのねーちゃんと3人で世間話をして遊んだ。 ウオール街の裏通りを歩きながら、「テロ日和りだなあ。わしがムスリムの狂信者であったら、こういう日を西洋人へ怒りの鉄槌をくだす日として選ぶであろう」と呟いて、モニに怒られました。 マリアンヌも松明をろうそくにもちかえて、わしのお尻に鑞を垂らしてお仕置きをしようと考えるかも知らん。 スタテン島へ行くフェリーはファイナンシャルディストリクトを抜けた少し先のど派手なターミナルから出ている。 わしが朝からデースイしてフェリーのベンチで寝転がって寝ていた頃はまだ、煤けた、うらびれたビルだったのを憶えているが、いつのまにかモダンにカッコヨクなってしまった。 現代的でかっこよいものの常としてなんとなくケーハクだが、そのくらいは我慢しなければなりません。 なにしろ、タダだからな。 遠くに自由の女神が逆光のなかに立っている。 小さくて寂しげです。 これが観光船ならば、皆、息をのんで女神像を見つめるところだが、スタテンフェリーは通勤船なので、わしの目の前では(一年生なのでしょう)NYUのでかいにーちゃんが床にバカでかい本を落っことしたまま、涎を流しながら眠っておる。 その隣では、アフリカンアメリカンのねーちゃんが、緊張した面持ちで経営学の本を読んでいます。 … Continue reading

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破滅と再生への道_2

むかしクライストチャーチのカシノでピットマネージャーに向かって大声で怒鳴っている韓国の人を見たことがある。 「おれの国では、負けたカネは全部返ってくるんだよ」という。 「だから、おれも当然ここでもかえってくると思って大金を賭けたんじゃないか」 「だから、負けたぶん全部かえせよ。このカシノのどこに『負けた金は返ってきません』て表示があるんだよ。知らなかったんだから、かえせよ」 えらい勢いで怒鳴り散らしておる。 女のピットマネージャーは、黙って、この人をまじまじと見ていたが、 「賭博というのはね、この国では負けたオカネは戻らないんです」と一言だけいうと、相手をするのをやめてしまった。 そのうちに韓国のひとのほうは、ほーらみろ、説明がつかないものだから黙ってしまったではないか。ふざけるな。おれの金をかえせ、とますます大騒ぎをはじめる。 驚いたことには、他の数人の韓国人も一緒になって騒ぎはじめておる。 セキュリティを呼ぶかなああー、と思ってわしは眺めていたが、どうやらピットマネージャーはセキュリティを呼ぶほどでもない、と思ったらしい。 大騒ぎしている韓国人たちをほうったらかしにして、本来の自分の仕事に戻ってしまった。 韓国人たちは仕舞にはおきまりの「人種差別主義者め」とまで悪態をつきだしたが、ほんとうは自分たちが言っていることが大嘘だと判っているからでしょう、 そのうちに引き上げてしまった。 わしはクレジットカードでチップを買うときに、「ああいうのって、よくいるのか?」とピットマネージャーに訊いてみると、うんざりしたような顔で 「年中よ」というので笑ってしまった。 しかし、「賭博に負けたら、そのオカネは戻ってきません、というサインはどこにもないではないか、というのはなかなかいいな。わしも払うのを拒否できるのい」というと、 「勝ったときに現金を払う、という表示もないぞ、ガメ」とゆってウインクしておった。 年金の話にギャンブルの話なんて持ち出すなんて不謹慎だ、というひとがいるに決まっているが、いま国に向かって年金をどうしても払え、ダメなら払い込んだカネだけでも返せ、と言い募っている人は、わしにはあのときの韓国の人と同じに見えます。 前にも書いたが、年金というのは一国が国民に対して提示したビジネスモデルにそって徴収したカネであって、そのビジネスモデルが破綻すれば年金はおろか元金も払いもどせないのは当たり前である。 それを当たり前だと思えない人というのは、この世の中には「お上」というものがあって、お上にはおもいきり不平をぶちこけば、しぶしぶ打ち出の小槌をふってオカネがどこからともなく降ってくるのだと思っているもののよーである。 あまったれるんじゃねーよ、と思う。 だって自分たちで是認してきた制度やん。 その自分達が認証したビジネスモデルが崩壊すればかけきんが戻らないのは当然である。 それが破綻しても払えとゆわれても「お上」はもうオカネがないのよ。 ない袖は振れぬ、と日本語ではいう。 いまの日本政府は袖無しなんです。 余分な鼻毛だけが伸びている。 間寛平みたいな国なんですのい。 年金制度を考えたひとというのは、人間の寿命は65歳くらいだべ、と思っていた。 その社会の人間の寿命が65歳くらいの場合、年金を払い始める20歳のひとびとの余命は50年から55年くらい、すなわち75歳になればくたばるものだと前提されていたはずです。 年金保険庁のかさにかかったような楽しげな無駄遣いは、たしかに読めば読むほど凄まじいが、しかし、あれがなくても、多分、いまの年金制度のモデルは全然ダメである。 ニュージーランド、という国は日本とそっくりな年金制度をもっていたが、「払うの無理だから」という理由でやめてしまった。 90年代を通じて、どんどんどんどん、えらいスピードで年金制度を縮小した。 当然、おおさわぎになったが、「払えないものは払えないのさ」という歴代首相のがんばり(というか居直り)で世界でも極めてすぐれた、といわれていた年金制度はほぼ消滅してしまった。 いまは、税金の歳入のなかから、年に条件によって100万円から140万円くらいが年金として支払われる。 他にも任意で加入できる年金があるが、政府が「あれは将来ほんとうに払えるかどうか判らないから、あんまり奨められない」とゆったりする。 国として投資しても、日本同様、失敗することが多かったからです。 役人は株屋に勝てないのだとゆわれている。 そのかわり、というわけではないがニュージーランドでは老人ホームが世界一、といわれるほど発達していて、収入も財産もなければタダです。 居心地もいーそーだ。 … Continue reading

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バーで

風邪だか花粉症だか判らない症状でモニは調子が悪い。 「温和で成熟したオトナは風邪をひかない」という日本の諺どおり、わしはなんともないが、モニは鼻をぐずぐずゆわせて苦しそうです。 セントラルパークへ行って遊ぶはずであったが、花粉症だとするとでかける先としては最悪の場所なので取りやめにして昼寝をすることにした。 ふたりとも眠ろうと考えればいくらでも眠れる体質なので午後2時までゆっくり眠ってからCVSというファーマシーにでかけました。 調剤おばちゃんから薬をもらって、ビレッジのダイナーに行った。 モニはブルーベリーパンケーキ、わしはベーコンとハムが付いたフレンチトーストを食べた。あとコーヒーふたつ。 あー、うめー、やっぱりここはうめーなあーと思いながら支払いをするときにふと見るとチップをいれれば30ドルである。 わしの大好きな持ち主のおやじをつかまえて、「このあいだまで20ドルだったじゃないか。いつのまに値上げしたんじゃ」というと、ニヤリと笑って 「へっへっへ。ガイドブックに出ちったからな。人間、稼げるときに稼がねば」だそーであった。 「せちがらい」と日本語ではゆーな。 マンハッタンもだんだんロンドンのようになってきた。 ダイナーを出て、でわ、家に帰るへし、と思うとモニが立ち止まって、「つまんないなああ」という顔をしている。 わしはモニが「遊びたいなあ」と思っている気持ちを、わしが前頭葉に内蔵している「モニ・ソナー」で探知したが、ここで遊ぶと二週間前と同じに「ガメ、わたし、また気持ち悪い」になってしまうので、 「ダメです。家に帰ります」というが、舗道で立ち止まったままMPD(ミートパッキングディストリクト)の再開発ビルの屋上に見えているバーを見上げて、 「ああ、世の中のひとは楽しそうだなああ」とおおげさにタメイキをつく。 しょーがないなあー、もう、と考えて、今度気持ちわるくなったら、絶対まる一日ベッドから出ない、と約束させて、バークローリングをして遊ぶ事にした。 最近英語をちゃんと日本語にしないでめんどくさいから、英語のまんまカタカナで放ったらかしじゃん、と怒っているお友達のために便宜を図って説明すると、バークローリング、(bar crawling)ちゅうのは、バーからバーへはしごをして遊ぶことです。 このあいだにも書いたが、NYCではタパスバーが大流行を通り越して猖獗を極めておる。 これは明らかな風潮で、どこに行ってもタパスバーやピンチョスバーがごろごろあるが、 もうひとつ、こっちは地味だが、むかしから段々段々増えて、いまや数の上で主流になっているのは「マルガリータがおいしいバー」であると思います。 バーテンダーの人がラティノの人が増えたせいもあるであろう。 バーといえばマティニが売り物であったのはむかしのことで、いまはマルガリータがおいしくないと、なかなか人に来てもらえない。 自然、どこのバーもマルガリータに秘術をつくすようになって、いろいろなマルガリータが進化の枝の先端で妍を競うようになった。 モニとわしは、では、マルガリータに飲み物を決めて、おいしそうなバーを伝ってあるこう、ということにしました。 MPDの土曜日は午後3時ともなれば、もうすげー酔っ払って踊り狂っているひとびとがいるクラブがいくつかある。 しかし、それらは中途半端なクラブであって、人気はあっても番いにきたいもにーちゃんといもねーちゃんが夜のベッドめざして必死の努力を繰り広げているごとき趣のところなので、いまひとつ下品である。 だからビレッジに行きます。 マンハッタンに住んでいてこれを読んでいる人が3人はいるはずで、そーゆーひとびとは「えっ?イーストビレッジじゃないの?」と言うであろうが、違うんだね。 マルガリータがおいしいバーは「ビレッジの周辺」に点在しておる。 知らない人がたどりつけないところで姑息に営業しておる。 実際にはビレッジは騒音規制がうるさいので、うるせー音楽がなければ盛り上がらない人々のために規制がなくなる場所につくったからそうなったのだと思われる。 合衆国人の第一の国民性は「絶叫する」ことである。 マンハッタンで特に顕著だが、大きい街ではどこも同じで、人間に与えられた音量ボリュームが10であるとすると、みなが11くらいで話します。 男も女も、いきなりぶち壊れたPAのような話しかけてくるのでほぼキチガイの集まりのなかに放り込まれたような気になる。 わしは前々から、なぜわしが立ち回る先ではアジア人をひとりも見かけないのだろう、と思っておった。 これはマンハッタンのようなところではかなり異常なことです。 義理叔父にお伺いを立ててみると、「おまえが行くようなところは、オトロシくてアジアの人間は、よう行かんわい」ということであったが、そりゃまあ、ジジイはそう思うであろうが、若い人はそんなことはなかろう、と常々考えていた。 でも、あれて、この音量のせいだな。 アジアの人間は発語聴覚において文化的に繊細なので、この阿鼻叫喚が耐えられないのであると思われる。 … Continue reading

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I see a tiny light

1 リンカーンセンターまでオペラとバレーのチケットを取りにいった。 帰りにはパークアヴェニューのフランス料理屋によって食事しました。 ブルーマッスルのシャンパンソースとホタテのリゾット添えを食べた。 ソースにもいろいろ能書きがあって説明してくれたがモニとオペラの話に夢中になっていたので忘れてしまった。 モニはアンコウのステーキ。 隣のテーブルにやってきた(50代くらいの)男女6人組がずっと話したそうにしているので、きっとお話ししてくるであろうな、と思っていたら、モニとわしがシャブリを空にしたタイミングを狙って話しかけてきた。 合衆国の人達は相変わらずひとなつこいというか子供のようである、というか、ちょっと面白そうな人をみかけると話しかけたくて仕方がない。 自分達はシアトルからドライブしてやってきたのだ。 ボストンの大学に息子がいるので明日はチェルシーのハイラインを散歩するのです。 フランスの人ですか? 一度プロバンスに行ってみたい、娘と一緒に。 とても楽しい人達で、看護婦だったふたりは病院で働いていたころの昔話をする。 一気に死や生の話までするのは、少し酔っ払っているからでしょう。 フロリダのキーウエストはやめたほうがいい、すげー退屈だから。 原発事故前に日本に旅行できたあなた方はとてもラッキーでした。 わたしたちも一度行きたかったのに、あの事故ですっかり計画を諦めなければならなくなってしまった。 美しい東北地方が死の世界になったというのはほんとうだと思いますか? 1時間くらいも話していたろうか。 「話ができてとても楽しかった」 「よいご旅行を」といいあって別れた。 レストランを少し歩いたところで、モニがにこにこ笑いながら 「ガメは、やっぱり英国人だなあああ」という。 アクセントがきつすぎましたか?自分では中和したつもりだったが、というと モニがクビをふっておる。 そういうことではない。 あのシアトル人たちは住所と名前を交換したがっていたのがガメには判らないのか? とゆわれて、ぶっくらしてしまった。 あれだけ楽しい話をすれば当然です。 住所を交換して、シアトルに来たときは家に寄ってくださいね。 ニュージーランドに行くことがあったら寄ってもいいでしょうか? とあのひとたちは言いたかったのに、ガメは全然きがつきもしない。 そーだったのか、とわしは気がつきます。 連合王国人は、ああいうときにいくら仲がよくなっても名前や住所を交換したりはしない。 モニは合衆国暮らしが長いので、アメリカ人たちが「この人は良い人だが冷たい人なのかなああ。それとも自分達など退屈な人間だと思われたのだろうか」という気持ちが痛いほどわかったという。 わしには、わかんねー。 妹がいつも言うように鈍感なだけかもしれないが、それよりも 習慣として知らない人と急に仲良くなったりしないからな。 「悪いことをしたと思いますか?」と訊くと、そんなことはないと思う、とモニは言う。 でも、ほんとうはああいう態度はいかんのか。 知らなかった。 … Continue reading

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傘がない

ツイッタで友達の「もちこ」はん(@mochoco)と話していて、バルセロナのMUJIの傘っていいんだぞ、と言ったら「がめさ かさをさすの?」と訊かれたので面白いと思ったのだった。 わしは、もともとは、傘なんて全然さしません。 もってなかったもん。 クライストチャーチ人は、全然傘をつかわない。 最近は、ゴルフに使うデカ傘をさして歩いている人もいるにはいるが、それがどういう人なのか想像がつかないくらい、もともとのクライストチャーチ人は傘とは縁がない。 ロンドンからクライストチャーチに越してきた人は、たとえば夏に夕立がやってきて、慌てて隣の家に「雨がふってきましたよ!洗濯物をとりこまなくてわ」と言いに行って、ぶっくらこいてしまう。 「なんで、とりこむの?」と驚かれてしまうからです。 クライストチャーチ人は雨が降っても洗濯物は干しっぱなしである。 濡れたら、またほっといて乾くのを待ちます。 むかしは、理由を考えた事がなかったが、空気が綺麗だからよね。 街の家はさすがに周りの明かりが明るすぎて見えないが、「牧場の家」に行くと、 いまでもバッチシ天の川が見える。 夏にデッキチェアを出して寝転がって、シャンパンを飲みながら暮れなずんだ夕方の空を眺めていると人工衛星が偏執的に運行表に忠実なバスのように軌道にそって、ぶぶぶぶぶ、と動いてゆくのが見えます。 流れ星は、ひっきりなしに空を横切っている。 マジメな本にも、「ニュージーランドは南極に近いのでオゾン層が壊れた穴から世界の平均よりも遙かに高い紫外線が降り注いで皮膚癌の発生率が高い」と書いてあるが、あれ、ウソですのや。 真実は、他の文明から遠く離れていて、しかも日本の7割くらいの国土に400万人しか人口がないニュージーランドという国は、極端に空気が綺麗だから、なのね。 だから、雨と水道の水を区別する必要を感じない。 1994年頃、マレーシア人の観光客の団体だったかが、川の上流をトイレにように使って大腸菌が検出されたのをきっかけに飲んではいけないことになるまでは、川の水は下流でも飲めて当たり前だった。 だから、夏の雨は濡れて歩くのがふつーのことだった。 もっとも、夏には雨が滅多に降らないが。 もうひとつの理由は、クライストチャーチは完全なクルマ社会で、道を歩く習慣がない、という理由もある。 クライストチャーチの一般的な家にはクルマ二台分の車庫がくっついている。 新しいデザインの家なら、車庫から直接家にはいれるようになっている。 一方、オークランドのように道路システムが歩く人に対して配慮されている街とは違って、歩いてみれば判るがクライストチャーチは歩くには、ものすごく不便な街です。 歩行者用の信号が短すぎるし、道路を渡るポイントもとても少ない。 小さな声で言うと、バスに乗ったり歩いたりするとビンボーな人だ、という偏見もある。 冬は、「雨が地面から降る」という。 風が強いので、傘なんてさせやしない。 だから、長い距離を歩かなければならない用事があっても、面倒くさいのでやけくそで冷たい土砂ぶりのなかを歩いて行く。 もちこはんがゆっていたロンドンはどうかというとクライストチャーチとは正反対で、あの街の変態みたいな道を運転したいと思うやつはあんまりおらんだろう。 じゃ、歩くのが楽しい街かというと、全然そんなこともないのです。 なんというか他人に運転してもらってうろうろするかタクシーで移動するのに便利なように出来ていて、通りと通りのつながりが悪いというか、歩いて楽しい街とはゆわれない。 マンハッタンや東京のような街とは違うのね。 もちこはんが教えてくれたサイトには確かに「ロンドンは歩行者用に雨が降っても濡れないように設計された街だ」ちゅうようなことが書いてあったが、ははは、そんなんウソでんがな。 そうであるとしたら、あるはずのない通りがロンドンにはたくさんあります。 英国人の得意技「もっともらしい能書き」にころっと瞞されてはんねんな。 あれが「雨に濡れない街」なら大阪のアーケード街などは完勝であると思います。 もちこはんの発言を読んでから、とつおいつ思い出してみると、どうやらわしは、バルセロナでしか傘をささないようだ。 わしはバルセロナは冬が好きなので、冬にいることが多いが、多分すさまじい数の中国製スクーターが盛大に撒き散らす排気ガスのせいでただでさえドキタナイバルセロナの空気は冬には絶頂に達して、どうかすると広い通りなどは向こう側がかすんでいたりする。 … Continue reading

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