Monthly Archives: May 2011

Sweet teeth are made of these

日本にいるとき最も困ったのは「甘いもの」だった。 これはわしだけでなくてモニも同じだったと思います。 日本の「甘い物」は公平に言っておいしいものが多いが、甘い物というものは、単に甘味の絶対基準に従っておいしければいいというものではなくて、「慣れ」や「親しみ」というものが大きくものをいう。 リコリシュは、そういう甘い物の代表だが、これは前も書いたから、いまさら書くに及ばない。 日本にいるときには何回も言及したのは、戦時中に食べるものがなくなって、ただ想像力のレストランで、食べたいものを延々と書き連ねてそれだけで「ご馳走帖」という随筆に仕立ててしまった百鬼園先生に似た所行であって、ただただ言霊にすがって、自分の魂を鎮めたかっただけのことであると思われる。 ワインを二本平らげたあとの、見るからに凶暴な感じがするチョコレートが滴り落ちているチョコレートケーキとか、くずれていまにも容器から転げ落ちそうな巨大なサンデーとかは、夕食の掉尾を飾るには絶対に不可欠であって、全身これコレステロールのマスカポーネで出来たティラミス、砕かれたピスタチオがうまい比率で混ざったミント味のジェラート、シトロンのパイに、どんな場合でもシェフの腕が露骨に出てしまうクランブルレ、3時間もしくは4時間延々と続く夕食の、デザートはいわばフィナーレなので、ここでぐっと丹田に力をこめてメニューをにらみつけて、真剣に何を食べるか決定しないと、死ぬときにも成仏できないであろう。 たとえばサンデーなら、こんなんです。 これはセレンデピティというNYCでは寅さんせんべいくらい有名なサンデーを出す、観光名所でもあれば、地元のひとびとも隙さえあれば「今日は天気が悪くて、いまは午後3時だから行列がないに違いない、速攻でいってみるべ」と言い合ってでかけてゆくデザートレストラン(一応、ふつーのレストランなんですけどね。ニューヨークに住んでいる人間で、あれを「料理屋」だと考えているひとはいないであろう。どこかで食事をすませて甘い物を食べにいくところです)の「臆病者サイズ・バナナスプリット」 臆病者ですら、このサイズなので、マンハッタンで甘い物に関して「勇者」であるのがいかに大変なことか判りますね(^^) 次がストロベリーサンデーで、次が…なんだっけ、名前忘れちまったべ、自分でメニューを渉猟してくれたまえ。   もともとは英語圏らしい、巨大で凶悪な甘いものばかりだったマンハッタンも、この頃ではマカロンや小さなカップケーキ(パティケーキのことをアメリカではカップケーキいいますのや)、小さな小さなタルトとかも供するようになった 上品になる、というのはすべからく良いことだが、わしは、下品にこの宇宙の真の価値をみいだすほうなので、ランギオーラベーカリーの「甘いもんは爆発だ!」の巨大なクリームバンとかがなつかしい。 お上品に小さなコクテルグラスにおさまっているジェラートを見ると、なんだか泣きたくなってしまうが、これも「洗練」に向かって急速に収斂しつつある現代世界に生きているものの宿命である。 すかたなかんべ、と呟きながら、さっきまで「シンプルロックンロールバンドの興隆」についてモニとわしのテーブルで長口舌をふるっていたウエイターのにーちゃんに、「もう一回デザートメニュー、もってきてね」とゆって憐憫の微笑を浴びたりしているのです。 うー、もっと甘いもの、食べたい。 蛇足とは思うが、タイトルはEurythmicsのSweet Dreams http://www.youtube.com/watch?v=rJE_Sc1Wags のダジャレでごんす

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虹がかかっている午後

ユニオン・スクエア、といっても、わしのマンハッタンの南チェルシーのアパートから近い広場のことではなくて、サンフランシスコの観光客でごった返す広場のほうです。 有名店がぐるりと取り巻いていて、その一辺をなしているパウェル通りに面して The Westin St.Francisというホテルがあります。 子供の頃、わしはそのホテルのロビーでかーちゃんを待っていた。 いまのわしを知っている人は誰も信じてくれないが、子供の頃のわしは、極めて行儀のよいガキであって、かーちゃんが2時間くらい約束の時間に遅れても、特に感情を険しくするわけでもなく、ときどきため息をつきながら座っているベンチの足下をみるくらいで、手にとって読む本がなくても、じっと待っていた。 そのときも、だいぶん時間は経ってしまっていたが、なにしろ、かーちゃんはわしが当時もっとも信頼していた人間なので、特に不安になるわけでもなくベンチに腰掛けて、いま思えば不憫に思ったに違いない制服のアフリカン・アメリカンのおっちゃんと話したりしながら時間をつぶしておった。 ホールの向こうにはおとなたちが蝟集しているバーがあって、そこにいるひとびとを観察して時間をつぶした。 そのうちに、わしは、ひとりの輝くばかりの金髪の美しい若い女の人が、時計をみつめては、形のよい唇をかみしめていたり、ため息をついたりしているのに気が付いた。 バーテンダーが、もうちょっと何か飲み物がいりますか、と訊いているのを断って、落ち着きのない様子で誰かを待っている。 わしは子供の頃はそれが癖で、頬杖をついて、その美しい女の人を見ていた。 「花のようだ」と考えました。 ひとつには、その人が明るい花柄のドレスを着ていたことからのバカガキらしい単純な連想だと思われる。 ふつうなら暖かい感じがするはずの薄い灰色の目が、そのひとに限っては氷の世界への窓のように冷たい感じがするのが、なんというか、心に棘のように刺さってくるような感じだった。 回転ドアがまわって、大きな花束をもった、小柄な小太りのおばちゃんが入ってきます。 なんだか田舎の家でビスケットをつくっているところが思い浮かぶような、とても暖かい感じのするおばちゃんである。 見ていると、おばちゃんは、まっすぐ灰色の目をした美しい女の人のほうへ歩いて行った。 歩いていった、とおもうまに、ふたりは固く抱き合って、なにごとか謝っているおばちゃんの肩に両腕もまわして、美しい灰色の目の女の人は涙ぐんでさえいます。 花束を渡されて、心から嬉しそうにしている。 花束をカウンターにおいて、もういちど抱き合うと、長い長いキスを始めた。 わしは、少し離れたところで、軽蔑しきった顔で、このふたりの女の人を眺めながら、何事かを言い合っている、絵に描いたように首の後ろが赤そうなおっちゃんたちにも気が付いていた。 見ていて、あの若い女の人が、なぜあれほど緊張して思い詰めていたか、ぼんやりと判るような気がしました。 あの人は氷の海を泳ぎ渡るようにして、この世界を暮らしているのだ。 自分が愛するひとひとりの存在だけを希望にして、です。 それが、わしにとって女の同性愛のひとびとを見た初めだった。 話には、かーちゃんの遠縁のいとこ(はとこ?)の奥さんがダンちゃんをぶち捨てて同性愛の女の教師にはしったとかで「同性愛」という言葉は生活のなかにすでに登場していたが、現実感をもって触れたのは、あのときが初めだと思います。 チェルシーの8thAveを歩いてゆくと、あちこちに虹色旗が翻っている。 あれは「同性愛者を歓迎します」というサインである。 レストランにもブティックにもヘアドレッサーにも掲げられてある。 だいたい午後7時くらいになると、男同士のカップルが無数にあらわれて、手をつなぎあって道を闊歩する。 カフェでも、わしのアパートから近い「ヴァイニル」 http://www.vynl-nyc.com/welcome.html というウエーターが機知に富んでいて、気難しいわしをすら冗談で笑わせる店に行くと席を占めている半分はゲイのカップルで、ヘテロのカップルに較べると少し高い調子の賑わいがある。 「ヴァイニル」の舗道の椅子に腰掛けてカクテルを飲んでいるモニとわしの目の前で、ゲイのカップルが交差点で信号を待ちながら、前に立っている男の小さくて固そうな尻を指さして、冗談を言い合いながら、くっくっく、と笑い転げている。 モニが、「楽しそうです」と指さして、笑っておる。 先週の新聞には、ここからすぐの通りと公園の名前を挙げて、午前2時をまわるころになると「同性愛者狩り」をする十代の男の4人組がいるからゲイのひとびとは気をつけるようにという記事が出ていた。 長い時間にわたって殴る蹴るの容赦のなさで、もう5組のゲイカップルが病院に送られたそーだ。 モニは、そのニューズ記事を見ながら「わたしは世界をどう許容すればいいかわからない」と涙ぐんでいたが、わしにも、どれほど非寛容を受け入れてやれば世界は納得するのだろうと訝る気持ちがある。 NYCに住んでいるひとは知っているかも知れないが、第一、女の同性愛者に至っては、(男同士のカップルとほぼ同じ数がいるにも関わらず)(同性愛のどこが悪い、という住民が多い)ヴィレッジの近辺ですらほとんどみかけない。 … Continue reading

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ちいさな出来事

ひょろひょろと背が高くて分厚い眼鏡をかけている。 頭はナンバーワンカットで少し骨盤をつきだすようにして立っている。 金曜日の午後、広い店内にたくさんあるテーブルがどこも埋まっているところへ、ふらふらふらとはいってきたと思ったら、テーブルのひとつに寄っていってそこに座っていたふたりのおばちゃんに話しかけている。 おばちゃんは、「聞き間違えたんんじゃないよね?」という様子で、ちょっとびっくりした感じで聞き返しています。 一瞬、考えていたが、どうぞ、と言っておる。 ひょろひょろさんは、椅子を少しテーブルから遠くひきだして、正面のライブ演奏に正対して、というのはおばちゃんたちに横顔を向けて腰掛けてしまった。 シャンパンと(チーズと絡めて煎った)ポップコーンの相性が良いというのは、どーゆーことなんだ、とさっきから悩んでいたわしは、悩むのをやめてその風変わりなひとに見入ってしまった。 モニに、「変わったひとだのい」という。 モニもびっくりしてます。 店内に入ったら、テーブルの案内係を待つ、というのはジョーシキです。 案内係のおじちゃんもしくはおばちゃんあるいはおねーさまが気が付いてくれるまで、じっと待つ。 一応、礼儀をわきまえているつもりなら、「すみませえーん」ちゅうような間抜けな声を出して注意をひくのもよろしくない。 ただひたすら黙って待ちます。 そーすると、案内のひとが寄ってきてテーブルにつれていってくれる。 わしのように、「このテーブルじゃ嫌だ」とかぬかすとんでもない客がいないとはゆわれないが、ふつーはおとなしく着席する。 …と、ここまで書いてくだらないことを思い出したので書きとめておくと、日本にいたとき友達に話しても信じてもらえなかったことがひとつあって、有名シェフがやっているようなレストランでは、最上等のテーブルが店内にない、場合がある。 欧州でもアメリカでも同じです。 「あっ、ブッシュ様ですね。お待ちしてました。いつも、ごひいきにしていただいてありがとうございます」 とゆって、案内のねーちんにつれられて店の奥にはいってゆくとそこには秘密の小部屋があって、リフトになっているその小部屋は急速に地下にもぐって、砂漠で死んだ兵士の怨霊や真っ青な顔に血走った目のサダム・フセインが待っていて…ウソです。 もちろん、ウソ、ごめん。 そうではなくて、キッチンのなかに特別にしつらえたテーブルがあるのね。 シェフと話しながら、直截、こーゆーソースとか、ダメ?とお願いしたりしながら料理をつくってもらえる。 流行っておる。 閑話休題。 ひょろひょろした人は極めて異常な行動をとりながら、しかし悠然と椅子に腰掛けている。 次の瞬間、わしが「えっ?」と思ったのは、ウエイトレスがふつーの様子でやってきて、ふつーに注文をとって、ふつーに白ワインを運んできたことでした。 うーむ、と考え込む、たわし。 モニも、不思議そうな顔で見ています。 演奏が終わり、大きな拍手が起きると、ひょろひょろな人とテーブルを共有していたふたりのおばちゃんは帰ることにしたよーだ。 勘定書(ビル)のことをアメリカ方言ではチェックというが、チェック・プリーズでやってきたおにーちゃんに、耳打ちするように何事かやや熱心に説明しているのは、このひょろひょろした人は自分達のテーブルに座っているが、わたしたちの知らない人です、だからこの人のワインを勘定書に含めてもらっては困る、と説明しているのであると思われる。 おばちゃんたちが立ち去ると、次にはもっと不思議なことが起こったのであって、テーブルの案内のねーちゃんが、若い女の二人連れをテーブルに案内してきてしまった。 ここに至って、わしはぶっくらこいちまって声もでない、というか、この謎を解くには魔界の謎解きオタクを召喚せねばならないぞ、と考えた。 しかも、若いねーちゃんふたりづれの気立てがいかにも良さそうなひとは、ひょろひょろのひとに挨拶して、握手しておる。しかしながら、知り合い同士でないことは明瞭で、わしは、うーむ、うーむ、うーむ、と考えた。 全然、状況がわかりひんやん。 ひょろひょろ人は、白ワインを盛大にこかして、グラスが床にたたきつけられて割れたが、彼は顔色ひとつ変えない。 わしは、「あっ」と思う。 次ぎのセッションが始まった演奏の途中で、急にすっくと立ち上がって演奏しているひとびとのすぐそばまで行って仁王立ちになって見ていたが、テーブルに戻ってくるのに、違うテーブルのところへ行ってしまって、わずかにパニくっている。 そのうちに他のテーブルがあいたところで、ウエイトレスが若いねーちゃんのふたりづれのところへ来て、あいたテーブルを指さしながら、あそこに移りますか?と訊いているが、しばらくふたりで話し合っていたねーちゃんたちは、動かないで、そのテーブルにいることにしたよーでした。 わしは、見ていて、ちょっと涙ぐみそうになった。 ひょろひょろ人が来たときのように、また、静かに、だが唐突に席を立って帰ってしまうと、テーブルの上においてあるひょろひょろ人がおいていった勘定をウエイトレスがとりにきた。 … Continue reading

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「雨に濡れる自由」

1 人間の頭のスイッチの入り方というのは、訳がわからない、というか脈絡がない、というかなんのこっちゃというか、不明なスタートの仕方をする。 「War Horse」という芝居のことを考えていたら、いつのまにか戦争のあれこれを考えることになってリデル・ハートのことを考えていたはずなのに、日本式居酒屋の前を通って日本語も見た瞬間に、考えは、突然、「セシウム137はもしかすると乳腺に滞留するのではないか」というところにとんでいってしまった。 セシウム療法やチェルノブリでの反芻動物の記録が混線しているのに決まっているとすぐに気がついたが、ナスやもちこはん、優さんやジュラさんや仙台の「とら」さんのことを考えて不安でいてもたってもいられなくなってきてしまう。 うーん、あれは、どこで見た知識だろう、どんな話だったろうとずっと考えていて、午ご飯を食べに行くレストランに着くまで考え込んでしまった。 乳腺に滞留するとすれば成人だって女のひとびとは無事ですむわけがない。 子供の感受性でのみ低放射線障害があらわれる、という話ではなくなってしまうからです。 レストランはラファイエットにある気楽な店であって、いま確かアメリカと連合王国の両方で16週間ヒットチャートのトップを占めているアデル http://www.youtube.com/watch?v=rYEDA3JcQqw が、マンハッタンにいるときには毎日のようにやってくる店です。ごくごく自然にしていられるひとのようで店のひとにはたいへん評判がよいようだ。 午後3時ともなれば他に客もいないので、顔見知りのアフリカンアメリカンのねーちんウエイトレスと、よもやま話をした。 モニは「ガールズデイ」でお友達とでかけちったのでいないのよ、とか、 21日の「世界の終わりの日」にはどうしていたか、 ユニオンスクエアの近くに出来たノードストロームのアウトレットて、めちゃくちゃ安いんだぜ、 あのワイン店で働いているおじいちゃんはアンディ・ウォーホルの愛人だっっという噂のあるひとなのを知っていたか。 そーゆえば、アンディ・ウォーホルは「Society for Cutting Up Men」を名乗るおばちゃんに銃で撃たれて重傷を負ったことがあった。 「表面だけ見てくれ」とゆったのは、内面は砕け散ったガラスのようにもう残っていない、と感じたからだった。 そういうことを知っているヴィレッジのひとたちがいまも彼をその内面ゆえに愛しているのはなんという皮肉なことだろう。 60ドルの食事にチップをいれて80ドル払って、戸口にもたれかかって葉巻をくわえたねーちゃんが退屈そうに店番をしているギャラリーに寄って帰ってきた。 それは、(多分)微生物のイメージでつくられた極彩色の造形がコンピュータの画面のなかをゆっくり動きまわる、なかなか感じのよい展示であって、値札の25000ドルを払う気はしなかったが、のんびりするには良い展示でした。 「さんきゅ」とゆって店をでかかったが、急におもいついて、 「セシウムって、知ってるかい?」と訊いてみた。 「セシウム? なに、それ、クラブの名前かなにかなの?」 笑うと以外なくらい幼い顔になるねーちゃんは、にっこり笑ってこたえておる。 「雨と一緒にふってくるのさ。たまらないと思わないか。そんなことがあっちゃいけないんだ」 「?」 ねーちゃんは、ひょっとするとこのバカでかいにーちゃんは発狂しているのではないかと思ったに違いない。 まだ、わしを見つめてにっこり微笑しているが、心なしか微笑が凍り付いておる。 「じゃ、またね」というと、やっと安心したように、 「よい午後を」という。 別に信じてくれなくてもよいが、バカわしは涙がでてきそうになるのをこらえるのに苦労した。 雨に濡れる自由すらない国で、これからあの国のひとたちはどうやって生きていくというのだろう。 ガメは涙が出てきそうになると襟を立てる癖があるといつもモニに笑われるが、 このクソ暑い天気じゃ立てる襟もありゃしない。 ちぇっ。 2 … Continue reading

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スプラッシュ!

「わがままを言ってはいけません」という。 モニは、こういうときは妙にきっぱりしていて威厳がある。 将来、わしが経済的に破滅して、モニの家の作男になったときの準備なのだと思われる。 「チャタレー夫人ごっこ」と呼ばれる場合もあるよーだ。 「きちがい医者ごっこ」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/05/21/rise-of-flight/ や、 「連隊長と当番兵ごっこ」 と並んで、モニとわしのあいだでは人気のある遊びである。 でも、いまは遊びで言っているわけではない。 「だって、プール欲しいんだもん」 「いりません。スウィミングクラブで十分です」 ええええー、スウィミングクラブなんてだっせええええー。 第一、それじゃ、「ちんぽこ潜水艦」できないじゃん、と真摯な怒りをぶつけるわし。 むかしから、このブログを読んでいる人は熟知しているが、ちんぽこ潜水艦、というのは、箱根の誰もいない大浴場で従兄弟と酔っ払って泳いでいたわしが思いついた偉大な遊びであって、裸で背泳ぎをすることによって到達できる境地のことです。 無論、女びとでも出来るが、ベルト付きオプション品を購入しなければならないであろう。 2ブロックくらい離れたところに、アパートを三つぶちぬいて、屋内プールを設えたカッチョイイアパートが売りに出ているのです。 不動産屋が貼り出した、でっかい写真にわしは、うっとりしてしまった。 プールの脇には小さなバーがある。 いまの多少床面積が広いだけのせこいアパートを売り飛ばして、これを買っちまえば、バーでモニと酔っ払って、裸でプールに飛び込んで、こんなことをしたり、あんなことをやってしまったり、むふふふふにしたり出来るのではなかろーか。 第一、シロクマの王様の前は楽園を追放されたシャチであったとゆわれているわしが、かくも長きにわたって、水につからないで暮らしているのは甚だしく不自然である。 「じゃ、モニさんの言うとおりスウィミングクラブに入ればいいんじゃない?」てか。 うるせーな。 わしは、ひと見知りすんだよ。 モニの前でチンポコ潜水艦をしてモニをきゃあきゃあゆわせて喜ばすのは好きだが、なんで、赤の他人の前で、わしの美しい白い肌をさらさねばならないの。 この頃は乳首を隠すための「男用ブラ」売ってるけど。 欲しいよおおおおー。 あのプール付きのおうち買いたいよおおおおー、とおよそ1時間頑張ってみたが、ダメであった。 ダメであった、というか、どこかでテキトーにごまかされて、いちゃいちゃもんもんになって私的水泳などどうでもよくなってしまった。 16歳未満のひとはやってはいけない成熟した温和なオトナだけに許される運動をして、くたびれて眠ってしもうた。 夢のなかで、わしは雄々しくも雄大な背泳ぎでチンポコ潜水艦をして幸福だったが、 現実の世界ではまたもモニの堅実さに敗退してしまったもののようである。 残念である。 ニュージーランドでは「プールがある家」はふつーです。 ぐるぐる先生が空から見せてくれるので、興味がある人は行ってみるとよい。 モニとわしの家があるオークランドのラミュエラというところに行くと、プールやテニスコート、あるいはプールとテニスコートが両方ある家など、あっちにもこっちにも、上にも下にも、東にも西にもある。 土地が安いからな。 標準の「フルセクション」1200平方メートルで、土地だけなら7000万円くらいからある。 ダブルセクションの土地なら楽勝で5ベッドルームのでっかい家に、プールとテニスコートがつくれます。 家とプールとテニスコートがついているのを買っても2億円ちょとくらいからあるはずである。 … Continue reading

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日本語インターネットという洞窟

1 ひさしぶりに、英語の資料をつくるのに、わしに対する巧妙な悪口が書いてあるあちこちのサイトを覗こうと思って、「はてな」の「あのんど」とかいうページに自分についての知恵の限りをつくして書かれた悪口を読んで、悲しくなってしまった。 わしのことを心理の技芸をつくしたやりかたで貶めようとしている文章を読んだから「悲しい」のではありません。前には、同じページやAPEMANというひとのわしに対する勇み立った攻撃ぶりを見て、実は腹を抱えて笑っていた。 ゆっては悪いと思うから、黙っていただけで、冗談も皮肉も通じない、子供のようにナイーブな、そのくせ意地だけは徹底的に悪い、バカの見本のようなひとびとだとおかしがって、英語友達にはよく紹介していた。 彼らの幼稚な頭では、なぜわしが腹を抱えて笑っていたかは判らないだろうが、2chのスレッドとあわせて、わしの数少ない日本語世界の娯楽だったのです。 悲しくなったのは、ここに見られる日本人の「信じたくないものは皆ウソだということにする」「自分が認めたくない事実が事実であるとうすうす気が付いていても、それをウソだと他人をいいくるめるために異常なほどの知恵をつくす」「相手を傷つける技術に芸術的なくらい長けている」という特徴が、財務において、これからでは到底解決など及びも付かないところまで日本という国の負債を悪化させ、挙げ句の果ては、自分達の預金をすっかり国債として国に供出した結果となり、フクシマの原発がぶっとんでもなお、ゴジラでも長期的には死にかねないゆっくりだが膨大な放射線物質を浴びながら、「きみの無知ゆえに、このくらいの放射線で大騒ぎするのだ」と言い募る、いまの世界中が唖然として、「もうこれ以上は傷ましくて見ていられない」と考えるほどの無知と衆愚の原動力だからです。 このブログを削除したときに、そんなふうに傲慢を極めていれば日本の社会は人為的で巨大な災厄によって早晩ほろびるだろう、とゆったときには、あちこちで、「預言者かよ、おまえは」「ばかばかしい」 と笑声が上がったものだったが、案外はやくそれも現実になってしまった。 皮肉ではなくて、あの頃悪意の限りをつくして、わしを陥れるために共同作業していたひとたちが、今回の大災厄を生き延びたのを祈っています。 あんなドブネズミのような人生を送ったまま死んでしまったのでは、いくらなんでも人間の一生として寂しすぎる。 2 佐藤亜紀、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/12/1593/ という小説家のひとが話しかけてきたとき、このひとが小説家であることさえ、わしは知らなかった。もう何の話だったか忘れたが、このひとが突然話しかけてきて、アイコンが、わしのむかしからの分からず屋の友達ブブリキに似ていたので、興味をもった。 ツイートのなかにひとつ「私は虐殺される側の人間だ」というのがあって、これは、おもしろいぞ、と思ったのでした。 神様と語彙の関係などについては、まるで小学生みたいなことを言ってくるので閉口だったが、このひとと日本語で議論すれば、おもしろいことが出来るかも知れない、と考えたのでした。 しかし、それも「シンガポール流線型の独裁」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/09/1512/ というわしが書いたブログを誤読したこのひとが 「人種差別主義者」という、わしが育った世界では決定的な侮蔑の言葉を使ってツイッタを使って、フォロワー(こっちは、ただのバカとしかいいようがないイナゴの半分も知能がないようなひとびとであった)たちと一緒にいっせいに攻撃してきたことによって、失望と軽蔑しか残らないことになった。 そのときに考えたことだが、というか日本人の友達がゆってきたことだが、結局、(日本語インターネットでこのひとと同様の不毛な他人攻撃に終始しているひとびとと同じく)この佐藤亜紀というひとも2chの巨大で姿が見えない悪意と戦ったあげく、一種のPTSDのなかにあって、本人が気が付かないだけで、2chやはてな部落の救いがたい非生産性を再生産しているだけなのではないか、ということでした。 日本語インターネット世界は英語インターネット世界と決定的に異なっている、というよりも、社会のなかで働いているベクトルの向きがまるで逆である、と思う。 英語世界では子供は「何もすることがないなら、せめて他人が楽しい気持ちになるようにしなさい」といわれて育つ。 あるいは、日本人である義理叔父は、遙かなむかし、荒廃しきって「道をあるくなんてとんでもない」とゆわれていたころのマンハッタンで、タクシーに乗って、交差点で止まっていたら、乞食のおっちゃんが近づいてきて窓をたたく。 タクシーの運転手が窓を開けたのが、まず驚きだったそうです。 なんで、そんなことする必要があるんだ、と腹が立った。 あぶないじゃないか。 開けた窓から乞食がクビを突っ込んで、「おい、カネを寄越せよ」という。 運転手が1ドル札を渡すと、「たった1ドルかよ。おまえ、正気かよ」と乞食が悪態をついた。 運転手は、うんざりしたような顔で、「おれもカネがねーんだよ」といって、タクシーを走らせて去った。 義理叔父は、タクシーの運転手が、明らかに、しかもごく自然に乞食を自分と同じ人間と認めていて、どこかしら暖かい感じがする仲間意識のようなものまでもっていてどんな人間でも乞食に落ちる、ということはありうるのだ、と思っている、しかも乞食には他人にカネを要求する権利があると認めている、ということを見て取って、「日本の民主主義は、ほんものになりうるのだろうか」と、それからしばらく考えて苦しんだ、という。 うまく言えないが、インターネットというのは、いかにも仲間なんだから、おれがもっているものはもっていってもいいんだよ、という英語国民が少なくとも理想としてはもっている気分に根ざした文化であって、日本のひとのような「自分はあなたよりもすぐれている」ことが大事な文化とはあいいれないような気がします。 議論も、おのおのが開発したツールやスクリプトの交換も、学会というシステムも、「きみもぼくも同じ人間でしょう」という気分においては同じであって、政治家だから偉い、学者だから、作家だから偉い、ということは起こりえない。たとえば画家というものについて言えば、「画家」というものが社会的なステータスではなくて、そのひとがある絵に対する敬意だけが画家のステータスたりうる。 3 もちろん英語の世界にも、バカはいる、どころか日本語インターネットの百倍くらいは簡単にいる。 しかし、決定的に違うのは、彼らは自分達が価値のないことをやっていて、誤っていることをまで知っていることであると思う。 学校のイジメということでゆっても、アメリカの高校のイジメはすさまじいなどという生易しいものではないが、イジメる側は、「自分達が邪な側である」というのを常に知っている。 イジメる側の数が増えるにつれて、自分達が正義だと錯覚して、終いには、学校側まで「あなたのお子さんがおかしいのではありませんか」と言い出す、日本特有の救いのないイジメとは性質が180度異なるのです。 ニフティくらいまでしか遡れなかったが、「フォーラム」と呼ばれたもののログを見る限り、「PC通信」の頃の日本のオンライン世界は意外とまともです。 「良心」という編集機能が働いていて、利用者の数が少ないことからくる正当な「仲間意識」もあったようだ。 … Continue reading

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ノーマッド日記7

1 あぢー。 マレーヒルのインド料理屋までお午ご飯を食べに行ったら、帰りにはこのあいだまで青空をふけてどっかにぶっちしていた太陽の母上が放蕩から帰ってきて、夏だと告げに来たのであった。 わしは暑いのが嫌いなので、オーバーヒート。 子供の時から身体の組織全体が摂氏12度前後に最適化されているので、昨日や今日のように気温が20度を越えた上に湿度が80%を越えると、いきなり出力が低下してしまう。 ジュースやスムージーでときどき冷却するが、それでもみるみるうちに真っ赤になって、赤鬼というかなんというか、かっこわるい。 フィジー生まれのインド人友達がオオマジメに告げた前世はシロクマの王だったという悲しいカルマの説はほんとうだったのだろうか。 ワニに瞞されて毛皮をはがれたマヌケ時代の大国主命はシロクマ時代のわしの物語ではなかろうか。 ウサギの神様がどうして商売の神様で商家のおかみさんになったのだろう。 よう、わかりひん。 あぢー。 近くのデリでレギュラーコーヒーを買ってフラットアイアンビルディングの前の広場の椅子に腰掛けてモニとのんびり午後を過ごした。空を眺めたり、ビルの谷間から頭を出して誇らかに輝いているエンパイアステートビルディングの光の反射を楽しんだり、なにより、世界一バリエーションが豊富な道を行き交うひとたちの姿を眺めているだけで少しも飽きないのがマンハッタンという街のよいところです。 欧州旅行の話をした。 折角火山が爆発したのだから、デンマークからスウェーデン、ノルウェーにまで足を延ばしてひとが少ない北欧の夏を楽しもう。 あの火山の灰は重いというから、きっとパリまでは来ないだろう、という見通しは甘いのではないか。 バルセロナは、たった二週間しかいないし、きっと失業者ばかりで街がますます荒んでいるだろうから、グラシアだけでランブラのほうには行きたくない。行くなら、午前1時前にしよう。 行きたいところはグラシアにしかないし。 それからブロードウエイをぶらぶら歩いて帰ってきました。 モニの身体のあの表現のしようがない良い匂いをかぎながら真新しいシーツにくるまってころころしながら午寝するのだ。 夜になればビレッジにでかけると思う。 そのあと足をのばしてハドソン川が見えるかっちょいいバーにまで歩いていってもよい。 2 ひさしぶりにクラブ「A」へ遊びに行ったら、バンドのおっちゃんが「ガメ、ひさしぶりに一緒にやるべ」というので、おっちゃんのオリジナルとJames Morrisonの 「Broken Strings」 http://www.youtube.com/watch?v=26PAgklYYvo&feature=artistob&playnext=1&list=TLoJKl8K23XEA をやった。 わしはいつでもギターをやりたいが、高校生のときから「声がセクシーだから」とかなんとかゆって誤魔化されてヴォーカルしかやらせてもらえませんねん。 どうも、どこのどんなことにおいても知的なことは向いていないと思われているよーだ。 ガメにギターなんか握らせるとバカヂカラでネックをへしおってしまいかねない。 この頃は、冷菜凍死においても、戦略にはあんまり混ぜてもらえなくて、事後に承諾するやくばかりでくだらん。 同じ天井からオカネがばらばら降ってくるんでも、他人が考えたビジネスモデルだといまいち面白くない。 眉をひそめて、自分が頭に描いた図面に従って一個づつ線路をつないでいって、手元の電源ボクスのつまみを「ビッ」とひねると、事情が判らない人には複雑を極めてみえる9ミリゲージがひよひよひよと動き出すからビジネスや凍死はオモロイのであって、儲かるだけなら、アホでも出来る。 小学5年生の算数ドリルで70点とれる程度の頭があれば、どんなひとでも金持ちくらいにならなれます。 35歳を過ぎて一億円の現金をもっていない人間は、余程のバカか、金銭と正面から取り組むことのなかった怠け者のどちらかだ、運なんか関係ないのさ、とわしの年長の友人はなんでも運のせいにするわしを非難して言うが、案外ほんとーなのかもしれません。 ステージから降りてきて、モニとふたりでマルガリータを飲んでいたら、二人連れの無茶苦茶かっこいいねーちんたちが話しかけてきた。 ひとりは、この頃世界中で流行っているゴムブーツ(ゴムなが、ともいうな)をはいている。 もうひとりは、ぶっとんだボリュームの明るい銅色の髪が似合う、アイルランド訛がばりばっりの見るからにデルモなねーちんである。足の甲に趣味の良い、蝶の入れ墨をしてます。 話してみると、オモロイひとたちだったので、4人で、マヨルカ島の話や、夏のボンダイビーチ、ニコチンパッチをしたまま葉巻を喫うと気持ちがいい(よく死ぬ人がいるので悪い子もマネをしてはいけません)話や、もっといけない話をして遊んだ。 … Continue reading

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