(こっそり書いた)友達たちへの手紙

こんな来たこともない友達の家の部屋で夜中に起き上がってきて日本語なんか書いているわしという人間はいったいなんだ。
この一週間は酒ばかり飲んでいた。

シラーにテンプラニーニョにドライシェリー。
マティニ、マルガリータ、ピナコラーダ。

むかしの友達にたくさん会った。
あのひともこのひともだんだん太ったり若禿げに禿げたりして、だんだん退屈な容貌になってゆくもののようである。
あまりに退屈なので、わしは、毎晩、どんどんどんどん飲んで、一晩中ニコニコしていて、言う気になれば顕隠男女を問わずにきゃあきゃあゆって喜ぶとゆわれている「ガメ冗談」をとばして他人を笑かせたりしていた。

やる気になれば社交的なんです。
のみならずマナーにも通じておる。
吉良上野介などはわしに較べれば台所の差配程度に過ぎないというからの。
不作法者の赤穂の47人の侍にクビをはねられちったじーちゃんよりも育ちがよいので、相手が田舎者だからとゆって苛めたりしないだけです。
どんなに酔っ払っていても、些細なことでも失礼な事をゆったりしたりしないので、やたらと酒の席に呼びたがるひとびとがおる。
わしはビッグバードのぬいぐるみか。
クッキーモンスターなのか。
英語には「クッキー」という言葉はないのに、なぜニュージーランドでいちばん有名なビスケットの会社は「Cookie time 」というのだろう。
世の中は、わかりひんことばかりである。

夜中に眼がさめてしまったので、モニをベッドに残して階下の部屋(とゆってもとーぜん友達の家の部屋だが)に降りてきて、コンピュータを展げて、eメールを読んだ。
前に好奇心から頼んであったそのうちには(ほとぼりがさめたところで)日本にも聞こえてくるに違いないアメリカやフランスの学者達が主張する事態がほんとうだった場合の日本社会の若年層の癌患者治療費その他原子力発電所事故がらみの医療費の増大についての試算を見た。
予想通り、現行の保険制度なんか軽くぶっとぶ金額です。
しかし、日本人は焦ることはない。
もう何年かしないと目に見えた影響はない。
しかも死んでゆくのは社会的「声」をもたない子供たちなので、いままでも屁理屈に屁理屈を重ねて「結局、日本人がやっていることは正しいのだ」と言い募ってきた40代以上の世代はまたしても安全である。
素晴らしい。
喜ばしい。
あの人たちらしい。
自分が知識人としてふるまっておきながら「知識人」という言葉にくすくす軽蔑笑いをもらしさえする、その凄まじい無責任な態度で日本という国を食い物にして、なんとか年金も保険制度も生きている「われらが無敵の日本村」に逃げ込むわけである。
蟹の群れに食い尽くされた虚ろな眼窩の水死体に似た日本。
もう光っている骨に残っている肉も、ほんの少ししかない。

日本のひとびとの言うことを生で聞けるというクソの役にも立たない能力に恵まれた人間(言葉が悪くてすまん)は、日本の人たちがそれらしくカシコゲな表情をつくって、もっともらしく聞こえるように工夫してゆっていることを聞いているうちに「なんかがヘンだなああああ」と思うが、何がヘンなのかちゃんと判らないまま、めんどくさいのでそのまま放ってしまう。
屁理屈のからくりを暴く努力をするには人間の一生は短すぎて他にやることがたくさんあるので、そんな何の生産性もない努力をする人間はいないのです。

ときどき妙に親切な科学者や技術者があらわれて「日本の発表している数値と日本政府が発表しているストーリーには整合性がないので、あれはきっと元の根っこから全部ウソなんちゃう?」と述べたりするが、傍から眺めているほうは、「どうせ、また日本人の屁理屈にごまかされて終わりだべ。そんな難しいこと考えるのはやめて、まとめてエンガチョにしちまうべ」という結論に至るもののようである。
もうめんどくさいから、日本の言うことは一から十までまとめてウソということにしちまうべ、と考える。
だから一国の政府の、しかも世界中が緊急の関心をもっている問題についてのプレスリリースに記者がひとりも現れないというような世にも珍しい事態が起きるのです。

やる気になれば、どうやらほんとうに2025年まででもたどり着けそうでなくもない財務的な「先延ばし」のテクニックは解説を受けてみると、完璧すぎて笑い出したくなるようなものだったが、原子力発電所の事故の「先延ばし」のほうは、わしにはたとえばナスという友達がいて、ナスにはふたりの小さな子供がいて、あるいはネナガラにも小さな子供がいて、というような事を考えると、財務の先延ばしすればするほどますます破滅的な結末を招くに決まっている政策を眺めているときのように、「ま、気が済むまでバカやって、人間の歴史のギニアピッグになってくれたまえ」と笑ってすませるわけにはゆかない。
80年代に人間の生活の基盤である土地を投機の対象にすることを許した日本社会に対して「灰皿をたたきつけたくなるような怒り」を感じる、と司馬遼太郎は書いたが、その病は高じて、いまは自分らの未来を託すべき子供の健康を犠牲にして当座の社会の体面を繕うに至るほど日本社会は腐りきってしまった。

他人の家の居間の机に座っているのに、平気で新しいブランデーの封をきって飲んではいけないが、わしはこれからブランデーを飲んで寝る。
日本語のスイッチがはいってしまったので、なんだか悲しいのです。

全部、ブブリキ @mrballhead が悪いことにして寝よう。
そうでもしないと、やってられない。

画像は、あんまし流行ってなさそーな日本料理屋のドアに貼ってあった貼り紙。
「がんばれ、日本
がんばれ、東北
がんばっぺ、いわき」と書いてある。
いつか、わしのツイッタとブログに大挙してやってきて集団のイナゴのように笑いにきたひとたちがいたが、
あらためて、自分では賢いつもりであるらしい、あなたがたにいっておく、
あなた方の「見世物用の知性」から生まれる、ただ大向こうを受けた狙った言葉など、
この「大甘」の「がんぱっぺ、いわき」の百万分の一の価値もない。

あなたたちのような人間が日本という国を滅ぼしたのだと、将来のどんなひともすぐに気がつくだろう。
あなたたちが永遠に忌まれ、呪われることになったことをわしは、日本という国のためには、よいことだと思っています。

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4 Responses to (こっそり書いた)友達たちへの手紙

  1. ブブリキ says:

    その、いつもの『全部ブブリキが悪い』つのやめれ!!そりゃたしかにちょっとは悪いけんじょ・・・

  2. ブブリキどの、

    >その、いつもの『全部ブブリキが悪い』つのやめれ!!

    もちこはんが「ちょっとならいい」てゆーてたもん。
    他人が悪いことにせんかったら、わしの人生はどうなるねん。

    >ちょっとは悪いけんじょ・・・

    「けんじょ」て、どこの方言だ?
    おせーてくれ

  3. ブブリキ says:

    『けんじょ』うーん、漫画かネットでのやりとりで覚えたのかなあ。どこの言葉だろ、東北かしら。でも神奈川の漁師言葉で北海道弁や東北弁と同じ語尾があったりもするからな、自信ないです。

    • ブブリキどん、

      吾妻ひでお展に行ったなんてうらやましい。
      いまの同人アニメみたいなひとの多くは吾妻ひでおのようなモティべーションなしで、おちゃらけてふにゃふにゃするからヘンになってしまう。
      「オタクアニメ」て本来は発狂寸前でたどりつくものよね。

      >『けんじょ』

      いま方言おぼえて遊んでるところだから自分で調べてみるべ
      友達の気安さで訊いてみただけだぴょん

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